【ヘンな食べ物】(54) ワニは鯨の仲間だった?!

広島県三次市で伝統の“ワニ(※現地で鮫のこと)料理”を食べた話の続き。刺身は一見、新鮮なミンククジラによく似ていたが、生姜醤油で食べてみると、何と味もそっくり。臭くないどころか、魚に一般的な青臭さや繊維質も無い。マグロやカツオから臭みを消し去り、もっと食べ易くした感じ。さっくりした歯応え、鶏のささみのような味わいで、ちゅるんと喉を通る。いくらでも食べられてしまうのもミンククジラと同じだ。同行していた私の友人は、実は赤身の魚が苦手だったが、「ワニはすっごく食べ易い」とのこと。店主の藤田さんが説明するに、「魚の匂いは脂の匂いなんです。鮫は脂が無いから、魚の匂いがしないんですよ」。翌日、ここで買い求めたワニ肉を東京へ持って帰り、友人たちとワニ料理パーティーを開いたのだが、メンバーの中に「魚が一切食べられない」という青年がいた。福岡県の魚屋の息子なのに、子供の時、突然、魚を受けつけなくなったとか。一種のアレルギーなのかもしれない。なのに、ワニの刺身はパクパク食べていた。「全然平気ですね。凄く美味しい」とのこと。改めて、ワニ(鮫)は通常の魚類とは全く異なった肉質であることが確認された。魚類学者は、鮫を鯨の仲間に入れたほうがいいのではないか? 扨て、ここまで読んで、「えっ、私も鮫肉食べたことあるけど、そんなに美味くなかった…」という方がおられるかもしれない。そうなのである。鮫肉自体は、都内のスーパーですら時折見かける。凄く珍しいものではないし、値段も安いのだが、「鮫が好き」という人には会ったことがない。

私もこの後、高知県四万十市で湯引きした(熱湯をかけた)“ふか(※現地の言葉で鮫)”を酢味噌で食べたのだが、決して不味くはないものの、途中で飽きてしまった。三次市のワニの刺身のように、いくらでも食べられるというものではなかった。どうして『フジタフーズ』の鮫肉と他の鮫肉は違うのか? 推測するに、1つには種類。藤田さんのところではネズミザメとアオザメだけを扱っている。もう1つは、藤田さんの眼力とポリシー。昔は島根県から人力で運ばれていたワニだが、現在は専ら九州や四国からチルドで届く。藤田さんは市場へ行き、自分でワニを見るが、「切った断面を一目見れば、いいかどうかわかる」とのこと。「これは美味くないな」と思ったら買わない。なので、この店では刺身が常にあるとは限らない。テレビや雑誌でも幾度となく紹介されているので、全国からお客さんがやって来るが、刺身が無くてがっかりする人も少なくないようだ。それでも厳選されたワニ肉しか提供しないのは、藤田さん曰く、「ワニ肉が美味しくないと思われると困るから」。うーん、鯨肉と置かれている状況も似ている。鯨も種類によっては、秋刀魚と鯛ほどに味が違うのに、一緒くたに“鯨”で括られているし、一般に出回っているのは質の良くない肉が多いから、「鯨が好きだ」という人は滅多にいない。益々“ワニ=鯨説”が私の脳内で強まっていった時、それをひっくり返したのは加熱したワニ料理だった。ワニバーガーを食べると、ワニ肉が口の中でほろほろと解れていく。照り焼き風のタレと絶妙に絡んで、とろけていく様は、がっしりした鯨肉とは似ても似つかない。ワニ肉は熱に弱く、火を通すと直ぐにバラバラに崩壊してしまう。それを逆手にとっての一品なのだ。ワニはやっぱり鯨とは違う。


高野秀行(たかの・ひでゆき) ノンフィクション作家。1966年、東京都生まれ。早稲田大学第1文学部仏文科卒。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)・『アジア未知動物紀行』(講談社文庫)・『世界のシワに夢を見ろ!』(小学館文庫)等著書多数。


キャプチャ  2017年9月21日号掲載
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【寝言は寝て言え!】(19) 批判の方向音痴にも程がある

ならず者国家の暴走が止まりません。そうです。勿論、北朝鮮のことです。9月3日には6回目の核実験に踏み切り、国営放送は大陸間弾道ミサイル(ICBM)に搭載する水爆の実験に成功したと発表しています。今回の核実験の影響で、北朝鮮北東部に近い中国の吉林省でも揺れが観測されました。推定される出力は広島原爆の10倍以上と試算されています。8月29日にも弾道ミサイルを発射し、Jアラートが作動する事態にもなりました。政府は「ミサイルの動きを完全に把握している」と言いますが、何とも怪しい話です。金正恩はギリギリのところを攻めてきます。あの強かさ…。只の豚野郎ではありませんね。「日本をナメているのか?」と言いたくなりますが、恐らくナメているでしょう。日本は憲法に縛られ、北朝鮮が度重なる挑発行為をしても、「遺憾」とか「断じて容認できず」と言っておしまいです。日本が主体的に使えるカードが無さ過ぎます。経済制裁だけでは弱いのです。だから結局、アメリカがどう動くかという点で右往左往するのみです。特にICBMは、日本というよりアメリカに対する挑発ですから、アメリカとしても黙っている訳にはいきません。緊張は高まるばかりです。勿論、僕は「北朝鮮に直ぐ攻め込め」と言っている訳ではありません。アメリカが北朝鮮を攻撃するなら、中国も黙っていることはできないでしょう。ロシアもどう動くか不透明です。そうしたあらゆる事態を想定し、いざという時に使えるカード、つまり攻撃できる手段を日本も持っておくべきじゃないかということです。

これまでは「対話を」と言って、徒に北朝鮮に時間を与えてしまいました。結果的には、猶予を与えて核開発をサポートしてしまったようなものです。北朝鮮は話し合いが通じる国ではありません。だからこそ、カードが必要なのです。本来は防衛費にお金を回したくはないのですが、日本を取り巻く環境は悪化の一途で、北朝鮮は当然のこと、中国の脅威もあります。防衛費が増えていくのは自然な流れでしょう。それにしても不思議なのは、普段から「憲法9条守れ! 原発止めろ! 核兵器はいらない! 日本も核兵器禁止条約に参加を!」等と声高に叫んでいる人たちが、何故北朝鮮の核兵器に対しては大きな反対の声を上げないのかという点です。いつも平和を訴えているのに、平和を明らかに乱している北朝鮮には何故か沈黙するのです。例えば、社民党の福島瑞穂議員は、普段から平和を訴え、『ツイッター』等で活動の報告を欠かしません。しかし何故か、今回の核実験については、翌日の昼になってもツイッターに何ら非難の声を上げていないのです。代わりに4日午前にアップされているのが、“アベ政治を許さない”というプラカードを持って駅前に立ったという報告でした。ナンデヤネン。こういう人たちは、核兵器を保持していない日本に非難を浴びせ、戦争反対を訴え、核実験を繰り返す北朝鮮に何も言わない。批判の方向音痴にも程がある。


KAZUYA YouTuber。1988年、北海道生まれ。2012年、『YouTube』に『KAZUYA Channel』を開設。著書に『日本一わかりやすい保守の本』(青林堂)・『バカの国 国民がバカだと国家もバカになる』(アイバス出版)等。近著に『日本人が知っておくべき“日本国憲法”の話』(ベストセラーズ)。


キャプチャ  2017年9月21日号掲載

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【奪われた40年】(05) 「命以外すべて失った」

20170921 06
「もうすぐ拉致された日だな」――。今年7月下旬、新潟県柏崎市の蓮池薫さん(59・左画像)は、同市東港町の海岸に腰を下ろし、海水浴客で賑わう砂浜を見つめた。蓮池さんは1978年7月31日、ここで北朝鮮の工作員らに襲われ、妻の祐木子さん(61)と一緒に拉致された。当時、中央大学の3年生だった蓮池さんは、夏休みに東京から帰省し、交際中の祐木子さんと砂浜でデートをしていた。太陽が海に沈みかけた夕暮れのことだった。「煙草の火を貸してくれ」。波打ち際から男がニコニコしながら近付いてきた。ポケットからライターを取り出そうとした瞬間、目から火花が飛び散るような衝撃を受けた。後ろから忍び寄ってきた別の男に突然殴られ、両方の目が腫れ上がった。殆ど何も見えなくなった。人気の無い土手の方に引きずられていき、窪みで体を押さえ付けられた。「しじゅか(※静か)にしなさい」。声は低く、日本語は不自然だった。辺りが暗くなると、頭まですっぽり入る袋に入れられた。ザラザラして油臭かったのを今でも覚えている。袋ごと男に担がれ、波打ち際でゴムボートに乗せられ、沖で工作船に移された。袋から顔を出すと、柏崎の街の明かりが遠ざかっていった。船内は蒸し暑く、油と汗が混じったような臭いが充満していた。沖に出た工作船は、昼間は動きを止め、夜になるとブオーンと音を立て、猛スピードで走った。船から降ろされたのは2日後だったと記憶している。待ち受けていた男らの説明で初めて、北朝鮮に連れて来られたことを知った。祐木子さんとは別々に、工作員を養成する平壌の招待所に収容された。「日本に帰せ」。いくら訴えても相手にされなかった。「逃げようとしたらただでは済まないぞ」。3ヵ月ほど過ぎた頃、そう脅された。「日本に帰すつもりはないな」と悟った。

祐木子さんと再会したのは、2年近く経った1980年5月だった。2人は北朝鮮で結婚し、子供2人を授かった。平壌郊外の山に囲まれた招待所で暮らしたが、自由に外出はできず、生活は監視下に置かれていた。柏崎の両親に消息を伝えることさえできなかった。「苦痛に満ちた空白」。蓮池さんは、拉致された24年間をこう表現する。「夢と絆を失った。命以外の全てを奪われた。夢とは“自由”のこと。自分のやりたいことを見つけ、努力することだ」と蓮池さん。北朝鮮では「強要された生活しかできず、生きている実感は無かった」という。2002年9月、北朝鮮は拉致を認めた。「日本に行ってこい。子供は置いていけ」。蓮池さんは、子供2人を“人質”に取られたまま、祐木子さんと一時帰国を指示された。同年10月15日、羽田空港に到着し、24年ぶりの日本に降り立つと、年老いた両親が涙を流して待っていた。北朝鮮には戻らず、日本に永住すると決めた。「北朝鮮と日本では“空気の重さ”が違う」。北朝鮮では精神を押し潰されるような抑圧を感じたが、帰国後は感じなかった。北朝鮮に残された子供2人も、2004年5月に日本に帰ってきた。現在は新潟産業大学准教授として韓国語等を教えながら、月に2~3回、拉致問題の講演をする。「経験者だけが知る拉致の生々しい現実を伝えることで、風化を防げる」と信じている。北朝鮮が帰国させた拉致被害者は、蓮池さん夫妻と、地村保志さん(62)・富貴恵さん(62)夫妻、曽我ひとみさん(58)の5人だけだ。政府認定の拉致被害者だけでも、12人が北朝鮮に残っている。蓮池さんは、「『何故自分は帰国できないのか?』と絶望しているだろう。精神的に限界を超えている」と心配する。北朝鮮は今年、14回のミサイル発射を繰り返し、核実験も強行。国際社会の圧力は高まっている。蓮池さんは、「核・ミサイル問題に埋没させず、拉致問題を早期に解決すべきだ」と訴える。提言するのは、現金供写ではなく、核・ミサイル開発に回せない手法の経済協力を見返りに、拉致被害者の帰国を促す“日本独自の外交”だ。北朝鮮を知り尽くすからこそ、「理不尽だが、見返りが無いと動かない」と指摘する。「きっと生きて、助けを待っている」。蓮池さんは、そう確信している。交渉が再開した時、北朝鮮の嘘を見破れるよう、「被害者に関する情報収集と分析を急ピッチで進めておかなければならない」と強調した。 =おわり

               ◇

前田泰広・小峰翔・建石剛・海谷道隆が担当しました。


⦿読売新聞 2017年9月18日付掲載⦿

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【奪われた40年】(04) 特定失踪者、忘れさせぬ

20170921 05
「北朝鮮にいる私たちの家族も帰国できる日を待っている」――。今年5月12日、新たな家族会が結成された。政府に拉致被害者と認定されていない“特定失踪者”の親やきょうだいらで作る『家族有志の会』だ。特定失踪者は、拉致問題を調べる民間団体『特定失踪者問題調査会』が、「拉致の疑いを排除できない」と判断した行方不明者を指す。調査会によると、全国に約470人おり、この内の77人は拉致された可能性が濃厚とされる。千葉県市原市出身で、1973年7月に行方不明となった古川了子さん(当時18)も、その1人だ。古川さんは、「千葉駅にいる」と電話で知人に言い残した後、消息を絶った。造船会社で働き始めたばかりで、初めて貰ったボーナスは手つかずのまま。預金通帳も自宅にあり、失踪する理由は見当たらなかった。姉の竹下珠路さん(73)は、「のりちゃんを早く助けてほしい」と訴える。北朝鮮が日本人拉致を認めた2002年9月の日朝首脳会談では、日本政府が把握していなかった“ソガヒトミ”が拉致被害者のリストに含まれていた。新潟県の佐渡島で拉致された曽我ひとみさん(58)だった。曽我さんはその後、警察による再捜査で、母のミヨシさん(当時46)と工作船で拉致されたことが裏付けられた。「ひょっとして、のりちゃんも北朝鮮に拉致されたのでは?」。竹下さんは妹の消息を追った。

2002年12月、ソウルで面会した元北朝鮮工作員は、「平壌の病院で古川さんに似た女性を見た」と証言した。2004年1月、国外移送目的略取容疑で千葉県警に告発状を出したが、証拠が乏しく、拉致と認定されなかった。 2014年5月、北朝鮮は特定失踪者も含めた拉致の再調査に合意し、特別調査委員会が設置された。「見つかるかもしれない」。竹下さんは期待したが、北朝鮮は2016年2月、一方的に再調査の中止を宣言した。「このままだと、のりちゃんのことは忘れられてしまう」。竹下さんは有志の会の事務局長に就いた。「これだけの議員に話を聞いてもらったのは初めて。会を結成した効果だ」。有志の会の発足から約3週間後の今年6月1日。会長で、1974年2月に佐渡島で消息を絶った大沢孝司さん(当時27)の兄・昭一さん(81)は手応えを感じていた。有志の会はこの日、永田町の衆議院第1議員会館で、拉致問題に取り組む与野党の国会議員と面会し、特定失院者の救出を訴えた(※右上画像)。国会審議の合間を縫って姿を見せた議員は7人。大沢さんは「私はもう81歳。今、動かないと、本人も家族も消えてしまう」と、切実な気持ちを伝えた。政府の対応も変化してきた。有志の会は先月21日、北朝鮮への制裁に関する政府の説明会に初めて招かれた。大沢さんは、「漸く国から“被害者家族”として扱われた」としみじみと語った。当初は12家族でスタートした有志の会だったが、今月15日現在、48家族に増えた。富山県射水市で1974年5月に行方不明となった荒谷敏生さん(当時25)の妹・矢島文恵さん(64)は、「拉致の証拠が無い為、声を上げ難かったが、皆と一緒になって勇気を持てた」と話す。それでも、政府認定の拉致被害者に比べると、注目度は低い。大沢さんは「何も言えずに1人で我慢している人は、もっといる筈だ」と推察し、こう強調する。「同じ境遇の人が力を合わせ、家族を取り戻したい」。


⦿読売新聞 2017年9月17日付掲載⦿

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【奪われた40年】(03) 「会いたい」募る焦り

20170921 04
鳥取県米子市の拉致被害者・松本京子さん(拉致当時29)の兄の孟さん(70)の自宅には、紙袋に入ったサンダルが40年間、大切に保管されている。京子さんは1977年10月21日、このサンダルを履き、「編み物教室に行く」と言い残して外出したまま、行方不明になった。自宅から約100mの路上には、京子さんの右足のサンダルだけが残されていた。同年9月の久米裕さん(当時52)拉致に続く2件目の拉致事件だった。1歳下の京子さんとは、幼い頃から口喧嘩が絶えなかった。志が強く、しっかり者の妹だと思っていた。しかし、手がかりを求めて同級生に話を聞くうちに、“大人しくて物静か”という別の一面を知った。警察に届け出ても消息は掴めず、母の三江さんは次第に京子さんのことを口にしなくなった。失踪の原因がわからず、“触れてはいけない雰囲気”だった。失踪から10年後の1987年11月、大韓航空機爆破事件が起きた。実行犯の金賢姫(※元北朝鮮工作員)は、拉致被害者の田口八重子さん(拉致当時22)から日本語教育を受けていた。「京子も北朝鮮にさらわれたのでは?」。孟さんは、そう考え始めた。不審な“目撃情報”も寄せられた。京子さんが行方不明になった日の夜、近所の高齢男性が植え込みに蹲る女性と男2人に出くわしていた。「何をしているのか?」と声をかけると、いきなり男に額を殴られた。男らは女性を連れて海岸のほうに向かったという。

激しく出血した男性は数日後に死亡し、情報は長い間、孟さんに届かなかった。男性宅はサンダルが見つかった道路に面しており、「点と点が繋がり始めている」と直感したが、拉致を確信する証拠は無かった。2002年9月の日朝首脳会談で、北朝鮮が認めた拉致被害者の中に、京子さんの名前は無かった。三江さんは当時79歳。「母が元気なうちに京子に会わせたい」。孟さんは拉致の証拠を求めて、韓国に足を運んだ。「キョウコと名乗る女性を北朝鮮で見た」。2003年10月、ソウルで面会した脱北者の元北朝鮮軍兵士は証言した。京子さんの写真を見せると、「顔のほくろの位置が似ている」と話した。鳥取県警は再捜査を始め、警察庁は2006年11月17日、北朝鮮による拉致事件と断定。政府は京子さんを17人目の拉致被害者と認定した。しかし、三江さんは2012年11月27日、娘に会えないまま89歳で亡くなった。「“長い”の一言では片付けられない月日が経った」と孟さんは語る。今年5月には体調を崩し、「腎臓が弱っている」と診断された。「一刻も早く京子に会いたい」と焦りを募らせる。しかし、北朝鮮は今月15日、今年14回目の弾道ミサイル発射を強行した。孟さんが懸念するのは、拉致問題が置き去りにされることだ。「日本の国民の両肩には、拉致問題という重荷がぶら下がっている。関心を持ち続けてほしい」。孟さんはそう訴える。松本京子さん拉致事件の1ヵ月後に新潟市で拉致された横田めぐみさん(当時13)の弟・拓也さん(49)は、この日、ニューヨークでミサイル発射の一報を聞いた。国連の各国代表部で、拉致問題の解決に向けた協力要請を終えた直後だった。拓也さんは「北朝鮮への圧力を一層強めることでしか、北朝鮮は態度を改めない」と考えているが、その心境は複雑だ。北朝鮮が暴発すれば、帰国できていない拉致被害者の身に危険が及びかねない。「心配だが、挑発が続く状況で圧力を弱めることはできない。家族としては苦しい立場だ」と漏らした。


⦿読売新聞 2017年9月16日付掲載⦿

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【奪われた40年】(02) 明るい姉「今も拘束」

20170921 03
「姉は13歳の若さで北朝鮮に拉致された。40年間拘束されたままだ」――。ワシントンで今月13日に開かれたアメリカの政策研究機関『戦略国際問題研究所(CSIS)』主催のシンポジウムで、拉致被害者の横田めぐみさん(当時13)の弟で家族会事務局長の横田拓也さん(49)は、聞き入る聴衆に訴えた。訪米したのは、「当事者が生の声で“深刻で現在進行形の問題”と伝えることに意味がある」と考えたからだ。国務省や国防総省の担当者にも面会し、協力を求めた。「北朝鮮との交渉は、ソフトなアプローチでは進まない。圧力こそが解決に繋がる」と、テロ支援国への再指定を求める拓也さんの主張には、拉致された疑いがあるアメリカ人男性の家族も賛同した。「理解は得られたと思う」。拓也さんは、訪米の手応えを口にした。「明るく、向日葵のような存在」だった4歳年上の姉・めぐみさんが新潟市で拉致されたのは、1977年11月15日夜。中学校のバドミントン部の練習帰りに行方がわからなくなった。心配した母の早紀江さん(81)は、小学3年生だった拓也さんと、双子の弟の哲也さんを連れ、周囲を捜し回った。「ここに引きずり込まれているかもしれない」。真っ暗なホテルの廃虚にも足を踏み入れた。幼かった拓也さんは、“決死の覚悟”で早紀江さんについて行った。「私たちの家族に降りかかった拉致問題の始まりだった」。拓也さんは、そう回想する。めぐみさんの失踪後、横田家は犬を飼い始めた。父の滋さん(84)は朝も夜も、雨の日も雪の日も、犬の散歩に出かけた。「散歩という名目で、海岸近くの防風林で姉を捜しているんだろう」。父の気持ちを想像すると、胸が痛くなった。

19年余りが過ぎた1997年1月、脱北した元北朝鮮工作員の証言がきっかけとなり、めぐみさんが拉致された疑いが浮上した。めぐみさんの実名を公表するか、一家で話し合った。「実名を出すと北朝鮮に殺される」。拓也さんは反対したが、滋さんは「“新潟県のYさん”では誰も関心を持たない」と譲らなかった。家族にとって、実名公表は賭けだった。2002年9月17日の日朝首脳会談。遂に北朝鮮が拉致を認めたが、めぐみさんについては「死亡」と回答した。しかし、提示された遺骨は偽物で、死亡したとする時期の説明も二転三転した。「姉は絶対に生きている」。そう確信した。2016年4月、家族会の事務局長に就いた。最近では、滋さんや早紀江さんに代わって家族会の活動に参加する機会も増えた。80歳を超えた両親の姿に、40年という時の重みを感じる。「父が元気な状態で姉を迎えることができるのだろうか?」。心配になることもある。「言葉にし難いほど長い時間だった」。渡米直前の今月9日、拓也さんはさいたま市の集会で、この40年間を振り返った。「同情するだけで終わってほしくない」と拓也さん。「拉致問題は未解決。日本の国・国民が40年間、愚弄されてきたことに怒り、“我が事”として声を上げてほしい」と思う。めぐみさんが帰国した時には、「何もできなくて待たせてしまった。ごめんなさい」と謝るつもりだ。「北朝鮮に負ける訳にはいかない」。強い決意で救出活動を続ける。拉致被害者の曽我ひとみさん(58)が今月13日、来月で帰国して15年となるのを前に、新潟県佐渡市で記者会見した。曽我さんら5人以外に帰国が進まない現状に複雑な心境を明かし、核ミサイル開発を加速す る北朝鮮に「怒りだけが残っています」と話した。曽我さんは1978年8月、佐渡市で拉致され、2002年10月15日に帰国。夫のジェンキンスさん(77)と長女の美花さん(34)、次女のブリンダさん(32)は2004年7月に帰国したが、一緒に拉致された85歳となる母・ミヨシさんの行方はわかっていない。拉致被害者の帰国が実現していない実情に、「とても切ないというか、帰ってきた私のほうが辛い」と心情を吐露。拉致被害者に対し、「日本で待っているお父さん・お母さん・お兄さん・お姉さんがいます。絶対に諦めないで下さい」と呼びかけた。現在、曽我さんは地元の高齢者介護施設、ジェンキンスさんは観光施設、美花さんは保育園で働いており、ブリンダさんは結婚して家を出たという。「家族みんな日本にも慣れ、生活を楽しく送っています」と話していた。


⦿読売新聞 2017年9月15日付掲載⦿

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【奪われた40年】(01) 遅すぎた拉致公表

北朝鮮がミサイル発射や核実験を繰り返し、緊張が高まる中、拉致問題は進展がない状態が続いている。日本で最初に起きた北朝鮮による拉致事件から、今月で40年。関係者の証言で、新たな事実を追った。

20170921 01
1977年9月19日夜、能登半島にある石川県能都町(※現在の能登町)宇出津の旅館。海の見える一室に偽名で泊まっていた在日朝鮮人の男(当時37)は、周波数を短波4770kHzに合わせたラジオに耳を傾けていた。21時過ぎ、朝鮮歌謡『南山の青い松』が流れた。“拉致を決行する”という合図だった。男は約1時間後、旅館に連れてきていた東京都三鷹市役所の警備員・久米裕さん(同52)と、“舟隠し”と呼ばれる入り江に向かった。「儲け話がある」と密貿易を装って誘い出した久米さんには、「これで取引して」と一番上と下だけ本物の1万円札の偽の札束を渡していた。入り江で男が石をカチカチと叩くと、闇に2~3人の北朝鮮工作員の影が浮かんだ。久米さんは工作船で北朝鮮に拉致された。『宇出津事件』と呼ばれるこの事件は、北朝鮮が最初に起こした日本人拉致だった。男は旅館に戻ったところで、不審に思った旅館関係者からの通報で駆けつけた警察官に、外国人登録法違反容疑で逮捕された。のらりくらりと取り調べを躱していたが、捜査員に“久米”の名前を聞かれると顔色を変えた。男は東京で金融業を営んでいたが、妹は北朝鮮で暮らしていた。男は1973年頃、工作員から「助けてほしい」と頼む妹の音声テープを聞かされ、工作活動の協力者に取り込まれた。1977年8月、貿易代表団の一員を装って来日した朝鮮労働党対外情報調査部の幹部・金世鎬容疑者(※国際手配)から、「45~50歳の身寄りのない男性を探せ」と指示され、金融業の客の中から久米さんを選んだ。拉致翌日の20日15時、三鷹駅前の喫茶店で工作員に報告する予定だった。当時の捜査関係者によると、男が自供を始めたのは、工作員との待ち合わせ時間を過ぎた16時頃だった。「北朝鮮に送還されると死刑になる。日本にいさせてほしい」。男は胸の内を打ち明けた。捜査員が喫茶店に向かったが、既に工作員の姿は無かった。当時の捜査員は「工作員が逮捕されれば妹も無事では湧まない。工作員が逃げるのを待って供述したのだろう」と振り返る。“15266”・“30873”――。当時の捜査関係者への取材で、男の自宅から押収された乱数表の内容が判明した。

20170921 02
『A3放送』と呼ばれる北朝鮮の暗号放送で読み上げられる数字を、乱数表で計算。換字表でハングルに変換すると言葉になる。「接線(接触)は19日から20日」。拉致の指令だった。石川県警は暗号の解読に成功し、拉致の目的は、戸籍を乗っ取り、工作員が日本に成り済ます“背乗り”だったことを突き止めた。捜査は、北朝鮮による国家ぐるみの拉致に追っていた。しかし、検察当局は「久米さんの意思で北朝鮮に渡った可能性を排除できない」と難色を示し、拉致(国外移送目的誘拐容疑)での立件は見送られた。外登法違反も起訴猶予になった。事件は警察庁に報告されたが、公表されることはなかった。当時の捜査幹部は、「『北朝鮮の手口を把握したことを知られたくない』という事情もあった」と打ち明ける。事件が終結を迎える中、翌月の1977年10月、鳥取県で松本京子さん拉致事件が発生。11月には新潟市で横田めぐみさんが拉致された。「今思えば、あの時、事件を公表して警鐘を鳴らしていれば、その後の拉致事件は防げたかもしれない」。宇出津事件の捜査を担当した元捜査員は悔やむ。政府が宇出津事件を、拉致被害者支援法に基づき、北朝鮮による拉致と認定したのは、事件から25年以上が過ぎた2003年1月だった。政府認定の拉致被害者は17人に上るが、帰国したのは蓮池薫さん(59)・祐木子さん(61)夫妻ら5人だけだ。残りの12人について、北朝鮮は「死亡」「未入境」等と主張。2014年に再調査を約束したが、2016年2月に中止を宣言した。未帰国の12人の中には、出身や拉致の現場が九州の被害者が4人いる。鹿児島県日置市の吹上浜では1978年8月、市川修一さん(当時23)と増元るみ子さん(同24)の2人が姿を消した。1980年には、宮崎市の青島海岸から原敕晁さん(同43)が連れ去られ、熊本市出身で京都外国語大学の大学院生だった松本薫さん(同26)が留学先のスペインで拉致された。増元さんの姉の平野フミ子さん(67・熊本県八代市)は、「解決に向けて何も進展しておらず、本当に悔しい。自分たちができることは、拉致問題に対する国民の関心を高める為、声を上げ続けることだけ。解決を信じて待つしかない」と訴える。この他、民間団体『特定失踪者問題調査会』は、77人を“拉致濃厚”とみており、この内、失踪時の居住地が九州・山口・沖縄だったのは13人としている。


⦿読売新聞 2017年9月13日付掲載⦿

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【Deep Insight】(41) 忍び寄る強権勢力と日本

ざっくり言えば、人と人の関係には2つのタイプがある。1つは実利で繋がる仲間。もう1つは損得だけでなく、共通の信条で結ばれた同志だ。前者の関係は脆いが、後者はちょっとやそっとでは崩れない。国と国にも同じことが言える。そして、安倍晋三首相が予て強調してきたのは、後者の関係を追求する外交である。民主主義・人権・法の支配といった価値を共有する国々と連携を深める――。安倍首相は日頃からこう訴え、2013年末の『国家安全保障戦略』にも明記した。この理念は正しいと思う。日本の国力が縮む中、実利外交だけで競い合っても、中国等には敵わないからだ。ところが、今の安倍首相と世界の要人との関係を眺めると、必ずしもこの路線とは一致しない。安倍首相にとって気の合う“友人”は誰か? 複数の側近に尋ねると、決まって名前が挙がるのが、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領、インドのナレンドラ・ダモダルダス・モディ首相だ。会談の回数も多い。アメリカのドナルド・トランプ大統領や、昨年6月に就任して以降、相互訪問を含めて早くも3回会談したフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領も「親しい首脳」(首相側近)という。モディ首相を除けば、いずれも強面の強権型リーダーだ。プーチン大統領はウクライナのクリミアの武力併合、エルドアン大統領は反政府勢力の弾圧、ドゥテルテ大統領は麻薬犯罪取り締まりにおける人権侵害が国際的な非難を浴びる。安倍首相が彼らと親しくするのは、無論、理由があってのことだ。領土交渉ではプーチン大統領の懐に飛び込まざるを得ない。南シナ海の中国化を防ぐには、ドゥテルテ大統領への支援も必要だ。綺麗事ばかりでは外交はできない。だが、そう理解した上でも、自由や民主主義の価値を重視した外交を、日本は今こそ大切にすべきだと思う。日本の繁栄を支えてきた自由な世界秩序が、後退の瀬戸際にあるように映るからだ。そんな危険が浮かび上がったのが、今月上旬のドイツでの20ヵ国・地域(G20)首脳会議だ。内幕を知る関係者らによると、議長を務めたドイツのアンゲラ・メルケル首相の隣には、前回の議長である中国の習近平国家主席が陣取り、まるで国際秩序の守護者のように振る舞った。「開放的な世界の経済体制を守らなければならない。世界貿易機関(WTO)の規則に従おう」――。習主席はこう訴え、国際ルールの順守を説いた。首脳宣言の水面下の調整でも、中国はこうした原則を繰り返し力説したという。本来、これらの言葉は日米欧が中国に投げてきたものだ。

ところが、内向きなトランプ政権の出現で、「アメリカが壊す秩序を中国が守っているかのような光景が生まれている」(ヨーロッパ外交当局者)。その資格と能力があるなら、中国の呼びかけを拒む理由は無い。しかし、現実は逆である。先月下旬、米欧等の当局者や有識者がスウェーデンに集まり、『ジャーマンマーシャル財団』が主催する非公開の会議を開いた。テーマは中国問題。飛び交ったのは、まさに中国異質論だ。「『いずれ中国も市場経済国になる』と思い、WTOへ迎え入れた。この前提が間違いだった」。アメリカ側がこう指摘し、中国の関税の高さや、政府による国有企業への統制ぶりを問題視した。ヨーロッパ側からも、こんな声が出た。「中国は長年、米欧の声に耳を傾けず、成功してきた。もう変わらないだろう」。一党支配下にある中国の政治体制は、更に異質だ。同国がこのまま世界秩序を動かすようになれば、西側諸国が守ってきた自由・民主主義・法治体制が変質し、骨抜きになる危険がある。決して大袈裟な心配ではない。他ならぬ米欧でも、民主主義が後退する兆しが出ているのだ。アメリカの政治学者であるロベルト・フォア、ヤーシャ・ムンク両氏が昨年発表した研究結果によると、“軍人の統治”を良いことだと考えるアメリカ人は2014年に約17%と、1995年の約3倍に増えた。この傾向は若者ほど顕著だ。「政府が統治力を欠いた場合、軍事クーデターは正当化されるか?」。こんな問いに対して「NO」と答えたミレニアル世代のアメリカ人は、たったの19%。ヨーロッパの同世代への調査でも、36%に留まった。格差の広がり、党派対立に明け暮れる政治への失望――。理由は様々だが、自由な秩序が揺らいだら日本も只事では済まない。だからこそ、価値観を共有する国々と連携し、強権主義への防波堤を築いていかなければならない。残念ながら、どこまでトランプ大統領を当てにできるかはわからない。「中国はとても戦略的に動いている」。5月下旬の主要国首脳会議(タオルミナサミット)で、世界への政治力を強める習主席の手腕を寧ろ評価したという。第2次世界大戦は、英米主導の秩序に日独伊が挑む中で始まった。今、阻止しなければならないのは、中国がロシア等他の強権国と枢軸を組み、現行秩序を変えようとすることだ。中露の蜜月には、そんな意図が漂う。両国は米欧を揺さぶる為、先週末からバルト海で共同演習に入った。中露のこれ以上の接近を阻むのに役立つなら、安倍首相とプーチン大統領の“友情関係”にも前向きな意味がある。だが今のところ、そのような効果はみえてこない。 (本社コメンテーター 秋田浩之)


⦿日本経済新聞 2017年7月26日付掲載⦿

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【地方銀行のリアル】(06) 『島根銀行』(島根県)――天下り“妖怪老人”が牛耳る最悪地銀

20170920 14
親藩松平家の城下町として知られ、江戸情緒そのままに武家屋敷や商家等が立ち並ぶ島根県松江市。宍道湖と中海やそれを繋いで流れる大橋川に囲まれ、“水の都”とも呼ばれている。そんな松江市の玄関口であるJR山陰本線松江駅の北口に昨年11月、街の景観を一変させるかのような威容を誇る高層ビルが出現した。高さ66m、地上13階地下1階建て。延床面積は1.2万㎡を超える。県東部や隣接する鳥取県西部等を地盤とする第2地銀、『島根銀行』の新しい本店だ。嘗て取得していた用地に2014年秋から建設を進めていたもので、総工費は上物だけで58億円。今年2月に全面移転が完了し、営業を開始した。旧本店は、通称“小マンハッタン”と呼ばれる大橋川沿いの中洲にあった。周囲はオフィス街というより飲食店街。築50年超とあって老朽化が進み、地上3階建てで、銀行の本店とは思えないほど目立たない存在だった。収容能力も無く、その為、「本部機能も4ヵ所に分散配置せざるを得ず、業務効率が中々上がらなかった」(島根銀行幹部)という。その意味で、新本店はしまぎんマンらにとって「悲願」(関係者)とも言えるが、それとは裏腹に取引先企業や預金者らの反応は今一つ芳しくない。現在、山陰地方で最も高いビルは、同じ松江を本拠地とする域内最大の地銀、『山陰合同銀行』の本店だ。宍道湖畔に立ち、高さ75m。地上14階地下2階建てで、延床面積は2万㎡に迫る。島根銀の新本店は、それをやや小ぶりにして高さを抑える等、“盟主”の心情を忖度したとも言える形だが、それでも、これまで背後に付けていた『松江赤十字病院』(※高さ63m、地上14階建て)を抜き去って、高さ2位に躍り出る。

だが、山陰合同銀行は島根・鳥取でシェアまさに断トツとも言える存在だ。今年3月末時点での貸出金残高は2兆8224億円(※単体)で、連結総資産は5.4兆円を超える。これに対し、島根銀行の貸出金残高は2635億円。山陰合銀の10分の1以下で、総資産は4214億円と約13分の1に過ぎない。行員数も、山陰合同銀行の1834人に対し、島根銀行は367人と5分の1だ。なのに、そんな島根銀行が「山陰合同銀行と肩を並べるような豪華で、巨大な本店ビルを建てちゃって大丈夫なのか?」(取引先関係者)という訳だろう。業績が好調で、将来の成長も約束されているというのなら、頷けもしよう。しかし、地域金融機関は地方経済の疲弊に、マイナス金利政策をとした『日本銀行』の異次元緩和による資金運用難も重なり、今やどこも青息吐息だ。とりわけ、島根銀行の立場は、100を超える全国の地銀の中でも「最悪」(メガバンク筋)と言えるほどに厳しい。“コア業務純益”――。本業の儲けを表すとされる業務純益から、更に国債等債券の売買益を差し引いたもので、預貸金や手数料ビジネスな等、謂わば銀行本来の業務からどれくらい利益を稼ぎ出しているかを示す。そのコア業務純益が今年3月期、全国地銀で唯一赤字(※1億300万円)に転落してしまったのが島根銀行だ。赤字となった最大の要因は“逆ザヤ”だ。貸出金や保有有価証券の運用利回りから預金の支払利息と営業経費等の調達原価を引いた総資金利ザヤは、前期の0.08%から0.11ポイント悪化して0.03%のマイナスに。その上、顧客に人気の高かった一時払い終身保険を保険会社が売り止めにしたこと等で、手数料ビジネスの利益(※役務取引等利益)も急減したからたまらない。深刻なのは、異次元緩和の出口が見えず、2018年3月期以降もこうした状況が改善される目途が全く立たないことだろう。実際、今年7月末日に発表した第1四半期(4~6月)決算でも、コア業務純益は1億4900万円の赤字。新本店の稼働に伴って減価償却負担が嵩み、営業経費が前年同期比で1億円ほど膨らんだことが、赤字幅拡大の一因であることは言うまでもない。地元金融筋からは、「このまま行けば業務純益そのものの赤字転落も視野に入る」との声も飛ぶ。窮した島根銀行が同17日になって打ち出してきたのが、定期預金金利の引き下げだ。大口定期やスーパー定期等、商品性や預入期間・金額に拘わらず、全ての定期預金の金利を一律、年0.01%にまで圧縮する。競合する山陰合同銀行や『鳥取銀行』とほぼ足並みを揃えての動きとはいえ、商品によっては0.035ポイントもの大幅引き下げ。顧客の1人は、「(新本店の)償却負担の一部をこっちにつけ回されたようなもの」と吐き捨てる。

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【新米住職ワーキングプア】(04) お布施はどこに行ったかと住職を監視する檀家をいかにするか

20170920 12
本を書くと講演依頼が入るようになります。『お寺さん崩壊』(新潮新書)を上梓して以降、宗派を問わず各地からお声掛かりが増えました。先日は曹洞宗さんの現職研修ということで、お寺さん200ヵ寺くらいの前でお話をさせて頂きました。群馬県での講演でしたが、過疎地のところが多いとのこと。地方寺院の未来が決して明るくないこともあって、本当に真剣に耳を傾けて下さり、また寺院存続へ向けた具体的な質問や意見等も多数頂き、大変有意義な時間でした。中でも、「余裕が無い為に寺院収入の全てを護持に使い、自身は給与を殆ど貰っていない」と仰っておられた女性住職の弁には、胸を打たれた次第です。私自身は、今後の寺院存続を念頭に置いた場合、寺院経理の徹底した透明性の確保は、財政公開も含めて非常に有効であるものと考えています。しかし、それを急激に進めると、間違った理解をしがちな檀家さんのご意見に振り回されることもあります。例えば、「人件費は認めない」といった類いのものです。だから、自らそれを辞退する住職も現れるのかもしれません。檀家の言い分はこうです。「自分たちは働いたお金で布施をしている。住職も寺へ寄付をすべし」。一見、尤もに映りますが、大きな見落としがあります。この場合、檀家は最初に仏様から布施(法施)を頂いていることを自覚していません。法の世界とのお取り次ぎをするお寺から、先ず葬儀や法事・法話といった布施を頂いている。それに対して、“財施”といった形での布施返しをお寺は頂く。先に有難いご縁を頂いたことに対する感謝の気持ちからのお布施であることが、すっぽりと抜け落ちています。そうすると、「お布施をしてあげている」という意識が生じてしまうようです。

地方で過疎地といった地理的不利を被 っている寺院では、この誤った論理に巻き込まれ易い為、特に気を付けておくべきでしょう。何故なら、こうしたところに位置する寺院は、ともすれば神社と同じような扱いを受けがちだからです。田舎の神社は、集落に住む人たちが氏子となり、全員で支えてきた歴史があります。だから、神社に対して“自分たち(集落)のもの”という意識を強く滲ませます。「自分が社を支えてやっている」という自負心です。高じて、神さんを支えている。その延長線上に“お寺”も意識されていく――。これが、前述したお布施の勘違いに繋がっていきます。しかし本来、寺院というものは、その地に最初に開創した僧侶がいる筈です。ここは神社との大きな違いです。初代住職により建立された地方寺院は、歴代の住職が布教を重ねることで檀家を開拓し、彼らを繋ぎ止め、護持を果たしてきました。その過程で、寺院存続に欠かせない大型の寄付をされた檀家さんもおられたことでしょう。そうした檀家の家系は、総代等の重要地位に就いてこられた筈です。そうしたことに加え、戦前の寺院は財産として田畑を所有しているところも多かったようです。護持や住職の食い扶持も、それにより保証されていたのです。ですが、敗戦によりそれが一変します。農地改革による寺領の激減です(『寺院消滅』鵜飼秀徳著・日経BP社)。地方寺院の住職の兼業は、今では当たり前ですが、恐らく、この頃より急増したものと思われます。平日は住職が自ら飯の種を稼ぎ、週末は寺院存続の為にほぼボランティアで法務に励む。“365日・24時間戦えますか”の世界の出現です。ブラック企業も真っ青の働き方ですが、今や檀家からも“当たり前”と認識されています。先の女性住職の発言には、こうした背景が重なって、思わず涙をそそられた次第です。翻って、寺院財政の透明化について、「若し住職給与を出せる余裕があるならば、堂々と適正な額を支給すべきだ」と考えています。そうでなければ、後継者が育たないからです。跡継ぎがいなければ、いずれそのお寺は朽ち果てていきます。そうなって一番困るのは檀家さんです。既に、住職が一般社会での仕事を持ちながらお寺の運営も熟すという地方寺院ならではの兼業は、不可能な時代に差し掛かりつつあります。そのあたりの説明をしっかりと行い、檀家の理解を得た上で、住職給与が支給できる法人財務体制を構築することが急がれます。檀家さんの意識が“してあげている”というようなものになり易い理由を考えてみますと、偏にお寺へ対する若干の不信感がそこに芽生えているように思うのです。先日、地元の教区の下部組織でも講師依頼が入り、丁度『仏教壮年会』の総会でお話をしていた時のことです。地方寺院を取り巻く歴史や制度の変遷、過疎化の現状、住職の給与実態、少子高齢化における地方寺院の近未来像、お布施の精神等について語った後、質疑の時間も少し設けました。一様に皆さん「知らなかった。坊主丸儲けと思っていた」と口を揃える。私はつい勝ち誇ったような表情を作り、すかさず「おわかりになりましたか? お寺を大事にして下さいよ」と門徒さんに重ねて釘を刺しました。そして、鼻の穴を少し膨らませておりました。

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