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【危機の羅針盤】(12) 仕分けが肝心、クレーム対応

1999年の夏、ある暴言がインターネット上で“熱い”議論を呼んだ。警察OBの『東芝』の社員が「お宅さんみたいのはね、クレーマーちゅうの!」と言い放った音声が公開されたからだ。何と、1ヵ月に600万件ものアクセスがあったという。そして、このクレーム騒動は、まさに世紀末の様相を呈することになったのである。音声を公開したのは福岡県に住む男性。ビデオデッキの不具合で、何度も東芝にクレームをつけた人物だ。週刊誌の報道によれば、福岡の『ベスト電器』から2年間に384万円の買い物をして、その内の235万円分の商品を返品していたという。驚くべき返品率だ。すぐさま東芝は記者会見を開いた。町井徹郎副社長(※当時)は、「如何なる事情を考慮しても不適当なもので、真摯に反省している」と謝罪。しかし、記者の質問には、「一般論として、インターネットなら何をやってもいいというわけではない。一方的な自分の見方を公表することが許されるのか」と反論も交えた。その言葉が火に油を注ぐこととなり、町井副社長は福岡まで謝罪に出向くことになった。ところが、その謝罪の場面でも一悶着が起きてしまったのだ。謝罪を受けた男性が、「暴言のことは許しますが、私を総会屋の窓口に回したことを詫びてほしい」と要求。それに対して、「その対応は間違っていない」と反論。結局、物別れに終わってしまったのである。日本を代表する企業の副社長が、インターネットを通して消費者に屈服させられた。そのニュースは世の経営者に暗い影を落とし、クレーマーを勢いづかせた。別の見方をすれば、企業と消費者のパワーバランスを変えた瞬間とも言えよう。この事件には、企業のクレーム対応における大切な教訓が含まれている。キーワードは、“私を総会屋の窓口に回したこと”という件だ。

当時は総会屋という存在が跋扈していたから、その窓口もあって、面倒なトラブルを全て引き受けていた。そこに回されたことを言ったのだろう。確かに、消費者と警察OBが対峙する構図は、適切とは言い難い。今の警察官の態度は謙虚だが、当時は未だ“おいコラ”型が少なくなかったからだ。冒頭でご紹介した暴言も、そんな土壌から出てしまったのだろう。企業にとって警察OBは有用な人材だ。とりわけ犯罪という領域の危機管理には、今でも欠かせない存在とも言える。顧客情報の窃盗やインターネット上での犯行予告等は、警察の助けを借りなければならないから。勝手を知り、人脈を持つOBは有り難い存在となるのだ。では、企業のクレーム対応は今後、どのように行なっていくべきなのか。答えは、“仕分け”という発想を持って臨むこと。即ち、クレーム対応を一律にせず、先ず分類から始めるのだ。具体的に言えば、①愚痴のレベル②真っ当な要求レベル③常識外れな要求レベル④犯罪的な要求レベル――の4つに。そして、其々に適した人材に応対させるのである。①には聞き上手なタイプを。また、②には分別のあるタイプ、③には法律に詳しいタイプ。更に、④には警察OBや弁護士というように。分担するのだから、他部署との兼務でも十分な筈だ。東芝の場合は、③を飛ばして④を投入してしまったのだろう。この“仕分け”という発想は、個人の危機管理にも応用が可能だ。例えば、嫁と姑の関係においても。姑がご立腹になられた時、嫁はそれを“愚痴”・“教育”・“怒り”・“苛め”の4つに分類してみる。その上で、“愚痴”は辛抱強く聞く。“教育”は学ぶ姿勢でメモを取る。“怒り”は上手に謝罪する。“苛め”は亭主の助けを借りるといった対応を取るわけである。コロナ禍のせいでテレワークになって、家族で過ごす時間が増えた。そのせいでDVも増加しているという。夫婦の間で試してみる価値はありそうな気がする。 (リスクコンサルタント クラッチ・ビット)


キャプチャ  2020年7月9日号掲載
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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
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【新型コロナウイルス・日本再生への道】(03) 宣言解除、揺れた戦略

20200709 06
政府は新型コロナウイルス対策で、有識者による専門家会議と基本的対処方針等諮問委員会を活用した。両組織は共に医療分野の専門家に偏っており、政府の戦略が定まらない一因となった。4月30日、首相官邸で安倍晋三首相や菅義偉官房長官らによる新型コロナウイルス対策の連絡会議が開かれた。首相は会議後、5月6日までの緊急事態宣言の期限延長を記者団に表明することになっていた。「今後の対策期間はどういう書きぶりになるの?」。出席者の一人から、専門家会議が近く公表する提言についての質問が出た。原案に“1年以上は何らかの形で持続的な対策が必要”との表現があるのを知ると、官邸幹部は「国民はキレますよ」「破裂しますよ」等と声を上げ、首相も「何故こんなに長くしなければいけないのか」と同調した。問題の表現は先月1日の提言から消えていた。感染防止を徹底すれば経済が立ちゆかなくなる。弱った経済の再生を急ぎ過ぎると感染がぶり返す――。政府が最も苦慮したテーマだ。当初は、感染防止が前面に立った。

政府が感染症の専門家会議を設けたのは2月14日のことだ。メンバー12人の大部分は医療分野の専門家が占めた。科学的知見を新型コロナウイルス対策の参考にする為だ。改正新型インフルエンザ対策特別措置法が3月13日に成立し、政府は緊急事態宣言の発令や解除にあたって、基本的対処方針等諮問委員会の判断を仰ぐことになった。諮問委は16人中、専門家会議の12人が全員参加していた。役割こそ違うものの、感染防止に重きを置く組織がもう一つ増えた。一方、官邸は出口戦略として経済再生を強く意識するようになっていた。これを踏まえ、先月14日の会合から、経済分野の専門家4人を諮問委に加えた。しかし同日、専門家会議は宣言解除の判断基準として、“直近1週間の累積新規感染者が10万人あたり0.5人未満程度”等とする目安を示した。官邸の反対を押し切って公表したものだ。首相も「聞いた時、『えっ?』と思った」と周囲に漏らす程、“かなり厳しい数字”だった。先月25日、宣言の全面解除の是非を論じる諮問委の会合が開かれた。脇田隆字委員(※『国立感染症研究所』所長)は「21日に諮問委をやったばかり。頻繁にやる理由は何でしょうか?」と、開催日を当初予定の28日から前倒しした点を質した。解除を急ぐ官邸との温度差は明らかだった。感染の第2波が来れば、宣言の再発令も視野に入る。“感染防止”と“経済再生”にどう折り合いをつけるか。政策の司令塔がバランスの取れた戦略を打ち出せる体制を整えなければ、第1波の時と同じ轍を踏むことになる。


キャプチャ  2020年6月4日付掲載

テーマ : 政治のニュース
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【新型コロナウイルス・日本再生への道】(02) 未だ来ぬ給付金

20200709 05
「休業中の売り上げは、ほぼゼロ。一日も早く現金が必要だ」――。4月9日から休業していたホテル『ファミリーリゾートフィフティーズfor舞浜』(東京都江戸川区)を経営する梶川文男社長(71)は、資金繰りへの不安を明かした。新型コロナウイルスの感染拡大で打撃を受けた中小企業の資金繰りを支援する持続化給付金を、先月1日の受け付け開始と共に申請したが、1ヵ月近く待てども届かなかった。先月末に漸く振り込まれたが、休業期間も地代や人件費がのしかかる。今月1日から営業再開したが、今月の予約は僅か2件で、先行きは見えない。持続化給付金はオンライン申請のみで手続きが完了し、2週間後には振り込まれるというのが政府の触れ込みだった。しかし、先月29日時点で、140万件の申請に対し、支給は80万件(※1兆円超)と6割弱にとどまる。申請する企業も受け付ける行政側もオンライン手続きに慣れておらず、写真データとして添付した書類の不備や確認に手間取るケースが目立った。

イベントや演劇等の舞台道具を手がける横浜市の中小企業の男性経営者(53)は、未だ持続化給付金が手元に届かない。「このままでは7月に貯金も底をつく」と不安は募る。『帝国データバンク』によると、新型コロナウイルスの影響による倒産は200社を超えた。雇用情勢も急激に悪化している。“戦後最悪の経済危機”が現実味を帯びる。政府は2度の補正予算で、事業規模234兆円という巨額の対策費を積んだ。だが、必要な支援が迅速に行き渡らない。浮かび上がったのは、日本の行政のデジタル化の遅れと非効率さだ。政府が個人向けに用意した1人10万円の現金給付も、未だ大半の国民に届いていない。迅速な支給が目的の筈のマイナンバーカードを使ったオンライン申請ではトラブルが相次ぎ、43自治体が「郵送手続きのほうが早い」とオンライン受け付けを中止した。アメリカ等では個人の番号制度を銀行口座と連携させて素早く現金を支給しているのに対し、日本ではマイナンバー制度の活用が遅れている。感染の第2波が広がれば、企業の倒産や失業者が爆発的に増え、更なる支援が必要な事態となる。『野村総合研究所』エグゼクティブエコノミストの木内登英氏は警告する。「行政手続きが危機時の緊急性を想定して作られていなかった。支援策をいくら作っても、行き届かなければ安全網にならない」。


キャプチャ  2020年6月3日付掲載

テーマ : 経済ニュース
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【新型コロナウイルス・日本再生への道】(01) 病床調整、綱渡り

新型コロナウイルスへの対応で、日本の社会は、緊急事態宣言発令という前例のない対応を迫られた。感染拡大の第2波に備え、課題を点検した。

20200709 04
集中治療室(ICU)がいっぱいになった。4月20日、新型コロナウイルス感染症の患者を受け入れている東京都江戸川区の中核病院『東京臨海病院』に緊張が走った。ICU6床が満床だと、30人余りいる感染患者の誰かが急変すれば救えない。危険水位だ。同日夕、保健所に転院先探しを依頼し、同時並行で医師も他の病院に片端から電話した。断られ続けた。患者の振り分けを担う都の調整本部から連絡が来たのは、翌日午前。漸く1床空けた僅か5分後、重症の急患が運び込まれ、ICUはまた満床に。「4月中は、この繰り返し。いつもぎりぎりだった」。同病院の山口朋禎医師は語る。保健所は増大する業務に忙殺されていた。電話相談、PCR検査の手配、感染経路の調査――。入院先の調整機能を強化しようと、同2日、都庁に調整本部ができたが、混乱の中、「機能するようになったのは4月下旬頃」(都幹部)。

病床の調整は綱渡りだった。同じ時期、大阪では、救急の最後の砦である救命救急センター4ヵ所が新型コロナウイルス対応に追われ、通常救急の停止や制限に至った。『日本救急医学会』代表理事で大阪大学教授の嶋津岳士氏は、「新型コロナウイルス患者を受け入れられない地域の病院もあり、重症でない感染者も救命救急センターに運ばれることが多かった」と話す。感染疑い患者の盥回しも問題になった。日本はPCR検査の実施が少なく、確認に時間を要した。疑い患者は、病床を確保した病院でも受け入れ難い。他の陽性者からも一般の患者からも隔離が必要で、病床の逼迫を招きかねないからだ。「改善には検査の迅速化が不可欠だ」。救急が専門の大友康裕氏(※東京医科歯科大学教授)は指摘する。病院が受け入れを躊躇う要因は多い。マスク等防護具の不足、通常診療や病院経営への影響――。再び患者が急増する前に、医療現場への支援を拡充した上で、適時に病床を確保できるよう準備が必要だ。重症は大病院で、そうでない患者は地域の病院で診るといった役割分担や、患者の入院先を割り振る調整機能の強化が急がれる。第1波の収束にほっとしたのも束の間、福岡県北九州市では6月1日までの1日間で、無症状も含め、113人の感染がわかった。入院は5月31日時点で58人。同市は90床余を確保したというが、感染拡大を想定し、今後も病床確保を急ぐ。北橋健治市長は断言した。「第2波の真っ只中にあると認識している」。ウイルスは僅かな隙を突いて近付いてくる。これからも。どこにでも。


キャプチャ  2020年6月2日付掲載

テーマ : 医療ニュース
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【戦後75年】第2部・戦争とスポーツ(下) 憎しみを超える喜び

20200709 03
「傷ついた者同志の集いは楽しかった。政治政略はなく、手を握り合い、肩をたたき、又会う日迄お元気で、と祝福している姿に、私達だけが知る涙を禁じ得ないのも、又懐かしい思い出」――。1964年の東京パラリンピックに出場し、水泳とフェンシングで銀メダルを獲得した青野繁夫さん(※1986年に65歳で死去)は、大会の公式報告書に感想を綴っていた。元々は静岡県で教員をしていた。陸軍軍人として中国に派遣され、揚子江支流で機銃掃射を浴び、脊椎に重傷を負う。戦後は、傷痍軍人らを受け入れた神奈川県小田原市の『箱根療養所』(※現在の『国立病院機構箱根病院』)に入所した。開会式では選手宣誓の大役を務めた。張り詰めた気持ちをこう表現している。「嘗て砲弾雨飛の中に、いたたまれない焦燥と緊張を味わったが、それと違った意味の緊張感であった」。パラリンピックは第2次世界大戦後、イギリスの『ストークマンデビル病院』で傷痍軍人のリハビリとして始まった競技が起源とされる。箱根療養所の歴史等を調べている『戦時下の小田原地方を記録する会』によると、多くの障害者が人目を避けて暮らした戦後の日本で、同療養所は逸早くリハビリにスポーツを取り入れた。東京大会にはここから19人が出場し、少なくとも青野さんら2人は傷痍軍人だった。

障害があっても朗らかにスポーツに励む外国人選手との交流は、青野さんの人生を変えた。弟の行雄さん(94、静岡県掛川市)によると、大会後には車の運転免許を取り、自立を目指した。「スポーツが風穴を開けて、残された機能を生かしていく励みになったと思う」。生き生きと腕を動かして泳ぐ兄の姿は、瞼に焼き付いている。積極的にスポーツをリハビリに取り入れたのが、大分県別府市の整形外科医・中村裕さん(※1984年に57歳で死去)だ。マンデビル病院で学び、東京パラリンピックの開催に奔走した。長男の太郎さん(59)は、「日本では当時、“障害者は可哀想”という意識があったが、父は『障害のある人も社会の中で生きることが大切だ』と考えていた」と話す。中村さんの思いを継ぐ大会が大分県にある。1981年に始まった『大分国際車いすマラソン』だ。中村さんに誘われ、第1回から参加する徳島県吉野川市の工藤金次郎さん(93)は、「外国人選手と交流し、健闘を称え合うことが喜び」と笑顔を見せる。10代で海軍に入り、海防艦で北海道や東北地方の防衛にあたった。グラマン戦闘機の機銃弾が真っ赤に燃えて向かってくる光景は、今も忘れられない。復員後は鉄工職人として働いた。結婚し、1男1女をもうけたが、40歳を過ぎた頃、橋の建設現場で転落。脊椎を損傷し、車椅子生活になった。中村さんとはリハビリを通じて出会った。当時、競技用の車椅子はなく、鉄工職人の腕を生かして自作。海風を切って走る度に、「自分の腕で前へ進んだ」と喜びを感じた。海外の友人も増え、今も毎日、数㎞を走る。「障害があるからこそ通じ合う苦悩や喜びがある。戦争で憎み合った時代を超え、一緒に走れる今は幸せ」。来年のパラリンピックで生まれるドラマも心待ちにしている。

                    ◇

後田ひろえ・寺垣はるかが担当しました。


※本文由李的博多居民提供。谢谢。
キャプチャ  西部本社版2020年6月5日付掲載

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【THE MONEY TIMES】(58) 女詐欺師の種は尽きまじ“山拓副総裁”



20200709 01
他人を出し抜いて地位や仕事を得ようと、権力者の威光に寄り縋る人間心理が招いた“コネ社会”。東京地検特捜部に逮捕された過去を持つ女詐欺師は、その人間心理を巧みに利用した。嘗ての自民党ナンバー2である元副総裁、山崎拓氏の政治力を以ってすれば、輸出規制のかかる医薬品が入手可能と持ちかけ、中国への転売を目論む医薬品の卸会社社長から、清水絵夢氏は300万円を騙し取ることに成功。更に、証券取引等監視委員会から金商法違反(※偽計)容疑で強制調査を受けたジャスダック上場企業『Nuts(ナッツ)』の医療関連事業にも参画した。当然、“虚飾の道具”として、山崎氏の名を前面に掲げたことは言うまでもない。証取委の強制調査を機に平取締役に降格したナッツの森田浩章前社長が、前回からの証言を続ける。「ナッツが手掛ける中国人富裕層対象のヴィデビムスクリニックは、山崎さんとのパイプを持つ清水さんの口利きで、徳洲会に提携の申し入れができました。医療サービスの拡充と、アジュバントを用いた健康食品を販売する為の提携です。アジュバントとは、元慶應義塾大学准教授の森山雅美氏が開発した免疫活性化物質。ナッツは、アジュバント製品の開発販売も医療関連事業の柱に据えていました」。昨年7月16日、ナッツは森山氏が経営する『アジュバント・R&D』との契約締結を発表。契約金5000万円を支払い、日本と中国におけるアジュバント製品の営業権等を取得したという。

「それから間もなく、森山先生と共同でアジュバントイミュニティプロベスラボラトリー(AIPL)というナッツの子会社を設立しました。事前に、『清水さんは中国で国賓の山崎先生と非常に懇意』と聞かされていた為、AIPLの顧問の斡旋を依頼したところ、昨年9月12日、日本医師会推薦候補だった自見庄三郎氏(※元参議院議員)に引き合わされたのです」。政界人脈を見せつけられ、ナッツは絵夢氏とコンサルティング契約を取り結ぶ。「清水さん曰く、『私ならヴィデビムスクリニックに中国人の会員を大勢集められる』とのことだったので、医療関連事業全体の助力を得ようとしました。昨年10月31日に契約を交わし、自見氏の紹介料500万円を含め5000万円の報酬を支払った。清水さんだけでなく、山崎さんとのコンビに対しての報酬のつもりでした。実際、清水さんから『山崎先生には私から渡しておきます』と伝えられていました」。尚且つ、絵夢氏は“中国人富裕層向けの医療ツーリズム”が成功した暁には、山崎氏にナッツの株式100万株を譲渡することも要求したという。「その後、清水さんが『ヴィデビムスクリニックで人間ドックを受ける中国人を毎月400人斡旋できる』と紹介してきたのが、本拠地が福岡のコンサル会社、笹川総合研究所でした。更に、笹川総研が中国人送り出しの業者として、上海にあるセレスという会社を連れてきた。昨年11月21日、ナッツはその2社と業務提携し、記者会見まで開きました。ところが、実際に斡旋された中国人は、これまでただの一人としていません。ゼロです」。やはり、絵夢氏は法螺吹きだったか。一方、ナッツのもう一つの医療関連事業であるアジュバント事業は、絵夢氏の“新たな餌”となる新型コロナウイルスワクチンへと繋がっていくのである。「最終的に、清水さん橋渡しの徳洲会との提携もご破算に終わりました。ただ、森山先生が『アジュバントとインフルエンザワクチンを混ぜたら新型コロナウイルスの感染予防が可能』と言い出し、アジュバント事業は別方向に展開した。中国で新型コロナウイルスワクチンを開発する計画が立てられたのです。嘘か真か、清水さんは『中国で国賓の山崎先生の親書を、私が習近平に届けるから』と、中国政府の協力も得られると請け合いました」。今年1月29日、ナッツは中国と共同で新型コロナウイルス対応のワクチンを開発すると発表。その途端、株価は85円から114円へとストップ高を演じた。しかし、その1ヵ月後に行なわれた証取委の強制調査を機に、森山氏から契約解除を通告され、未だ誰も見ぬ新型コロナウイルスワクチンの開発は頓挫した。ところが、後にナッツを蚊帳の外に置き、絵夢氏が新型コロナウイルスワクチンのビジネスを尚も進めていることが判明。契約に違反しているとして、ナッツは森山氏含め、其々5000万円の返還を求める訴訟の準備を進めている。とはいえ、絵夢氏が進めているビジネスは、案の定、詐欺紛いだった。実は、在日中国人の女性社長が1000万円を騙し取られたという。

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【渡辺正行の「待たせたなぁ!」】(51) 『ウッチャンナンチャン』ブレイクのきっかけとなった謎のグループ『ジャドーズ』とは?



今年で35年目、もうじき390回を迎える『ラ・ママ新人コント大会』は、数多くの若手のスター芸人を輩出してきた。その初期、つまり1986年頃に最も人気を集めていたグループを1組挙げるとしたら、それは『ジャドーズ』だろうか。元々、彼らは1984年に学生同士で結成した5人組のバンド。しかし、1986年11月に角松敏生さんのプロデュー スでメジャーデビューを果たすまでは、お笑いグループとして注目されていた。その際のメンバーは全員ではなく、ボーカル&ベースの藤沢秀樹、パーカッションの斎藤謙策、ドラムの島村幸男の3人。バンドのライブ中、MCの時間に披露していた学生の宴会芸的なギャグがウケていたことから、お笑いの世界にも足を踏み入れるようになったようだ。そんな彼らとの初対面がいつだったのか、まるで覚えていない(笑)。ただ、1985年9月、『コント赤信号』が大阪の劇場からメインとして初めて呼ばれた時、ジャドーズと共演しているのは確かだ。まぁ、同じく共演した若手時代の『ダウンタウン』のセンスと実力に圧倒されて撃沈…。その後の俺たちのコントは散々なものになってしまったのだが、ジャドーズはどんな目で見ていたのだろうか(笑)。何にせよ、確かそれ以降に、俺が『テレビ東京』でネタ番組の司会をしていた時、ジャドーズが出演したことがあった。その芸を改めて見て、「君たち、面白いじゃん。俺、新人コント大会を主催しているから、よかったら出てみないか?」と声を掛け、新人コント大会の会場『ラ・ママ』の舞台に立つようになったのではないかと思う。

彼らの芸の特徴は、短いネタを繰り返すこと。3人が其々、長嶋茂雄監督や荒井注さん、紙を破る音等の物真似やギャグをするのだが、常に「ジャジャジャジャ、ジャジャジャジャ、ジャン!」というノリのいい独特なブリッジを使っていた。ブリッジとはネタの間に挟む言葉や動作。連発することによって、それ自体がウケる要素にもなる。例えば、『アンガール』の“ジャンガジャンガ”や『レギュラー』の“あるある探検隊”、『オリエンタルラジオ』の“武勇伝”等は、流行が過ぎてもなお、記憶に残っている人が多いのではないだろうか。つまり、30年以上も前、彼らと同じように音楽的なブリッジを使い、会場を沸かせていたのがジャドーズだったのだ。因みに、メンバーの藤沢は、後に自称“ミラーボール星からやってきた宇宙人”こと『ダンス☆マン』として音楽家デビュー。『モーニング娘。』の『LOVEマシーン』や『恋のダンスサイト』等、大ヒット曲のアレンジを次々と手掛け、何と2000年には、郷ひろみさんの応援ゲストとして、『NHK紅白歌合戦』にまで出場している。お笑いもできるし、音楽もできる。そんなセンス溢れるジャドーズが、新人コント大会で人気を集めるのは当然だったのかもしれない。ただ、それは観客だけにはとどまらなかった。ジャドーズから大いに影響を受けたことによって、全国区のスターとして羽ばたき、お笑いの世界で確固たる地位を築いたコンビがいる。何を隠そう、『ウッチャンナンチャン』である。ご存知の通り、内村光良と南原清隆のお笑いコンビ。同級生だった横浜放送映画専門学院(※現在の日本映画大学)時代の1985年に結成した。他の同級生には現在、大人気タレントの出川哲朗がいる。

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【水曜スペシャル】(183) ウイグル大規模暴動から11年、中国で続くウイグル族抑圧

新疆ウイグル自治区で、イスラム教を信仰する少数民族のウイグル族と漢族が衝突した大規模暴動から、昨日で11年となった。中国政府はテロ対策を名目にウイグル族らへの厳しい管理を続けており、ウイグル族らの強制労働等を指摘する報告が相次いでいる。 (上海支局 南部さやか)

20200708 08
3日、ウイグル族らが集団労働しているとされる浙江省杭州市の電子機器工場を訪ねた。工場の南北2ヵ所の門に警察の詰め所が見える。警察官が目を光らせる。約2㎞離れた場所に4~5階建ての寮3棟があった。数百人程度が暮らしているとみられる寮の門に看板が掲げられている。民族衣装姿の人々が描かれ、その下に“民族は一つの家族として団結しよう”との中国語の標語が記されている。自治区の政府系ニュースサイト『天山網』は3月4日、この工場に2月下旬、貧困対策等を名目に自治区の97人が専用機で移送されたと伝えた。寮近くの住民に尋ねると、工員は引率者を“先生”と呼び、寮と工場をシャトルバス3台で往復していると明かした。工員は1~2年で入れ替わり、外を出歩く姿は見かけないという。海外の研究機関等は最近、ウイグル族らの人権状況の悪化を伝えている。

『オーストラリア戦略政策研究所』が3月に発表した報告書によると、中国の9省27ヵ所のサプライチェーン工場に2017~2018年、自治区から8万人以上が移送され、当局の管理下で働いた。報告書は、ITや自動車等の分野で世界の大手企業83社が恩恵を受けている可能性も指摘した。報告書によると、ウイグル族らの一部は、中国政府が『職業技能教育訓練センター』と称する施設から直接、工場に送られ、事実上の監視下で労働時間外に中国語や思想教育を受けている。報告書は「強制労働を強く示唆する」としている。職業技能教育訓練センターには数百万人が強制収容されているとの見方があるが、中国政府は「既に全て終了した」としている。収容に代わる集団労働の手法で、ウイグル族らの統制を続けている可能性がある。一方、アメリカの調査研究機関は先月末、中国政府が女性に不妊手術を強制しているとの報告を公表した。自治区の不妊手術の施術率が急増していることを指摘し、ウイグル族ら女性への聞き取り調査も報告の根拠にした。こうした情報が相次ぐ中、アメリカのドナルド・トランプ政権は先月17日、少数民族弾圧に関与した中国当局者への制裁を可能にする『ウイグル人権法』を成立させた。強制労働等に関わったとして、37の中国企業・機関を輸出規制対象に指定し、今月1日にはアメリカ企業に取引停止を勧告した。中国外務省は「内政干渉だ」とし、批判を撥ねつける。亡命ウイグル人組織の『世界ウイグル会議』は、「中国は非人道的で抑圧的な措置を一層強めている」と懸念する。


キャプチャ  2020年7月6日付掲載

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【水曜スペシャル】(182) 「コロナ禍で平壌の高級幹部家族へのコメ配給が途絶えた」――高英煥氏(北朝鮮元外交官)インタビュー

北朝鮮の元外交官で、金日成主席の通訳を務めた元韓国国家安保戦略研究院副院長の高英煥氏が本紙のインタビューに応じ、平壌の高級幹部の家族へのコメ配給が「今年2~3月を最後に途絶えた」と明らかにした。経済制裁に加え、新型コロナウイルス対策の為の中朝国境封鎖で、食料や日用品が不足しているとも指摘した。 (聞き手・撮影/ソウル支局 岡部雄二郎)



20200708 06
――北朝鮮内部の現状をどう見る。
「北朝鮮は今、新型コロナウイルスによって体制の耐久力が落ちている。中朝の国境封鎖が経済に決定的な打撃を与えている為だ。昨年2月のハノイでの米朝首脳会談までは、経済制裁が解除されて生活が上向くとの期待感が住民の間にあった。だが、(会談が決裂して)制裁は解除されなかった。それどころか、平壌中心部に暮らす朝鮮労働党、政府、軍の幹部の家族に対するコメの配給が、2~3月を最後に行なわれていない。幹部本人への配給は続いているが、その為に戦時の備蓄米“2号倉庫”の一部を開放しているという情報がある。国境を開けばウイルスが広がる恐れがあるが、国境を閉じ続ければ中国との貿易ができない。“苦難の行軍”(※1990年代に大量の餓死者を出した食糧危機)が再来するのではないかとの動揺が広がっている。世界的な第2波が起き、中朝の国境封鎖が長期化した場合、北朝鮮は体制の危機を迎えることもあり得る。内部の不満が高まれば、再び挑発行動に出るだろう」
――“苦難の行軍”の際、体制を支える高級幹部への配給は途絶えなかったと言われている。
「金正日総書記は当時、『私には平壊市民と軍隊さえあればいい』と言ったそうだが、今はその平壌が揺らいでいる。今回、韓国を“敵”に仕立てたのも、その為だろう。金正恩委員長に対する市民の憤怒を、韓国の文在寅大統領に逸らしたというわけだ」
――食糧や日用品を売り買いする闇市場の現状は。
「コメ価格は安定しているが、これは当局が事実上、価格を統制している為だ。実際には異なる価格で取引されることも多い。生活必需品である砂糖やうまみ調味料、大豆油、トイレットペーパー、小麦粉も不足している。農場への肥料供給量も、昨年と比べて3分の1程度減ったと聞いている」
――北朝鮮は韓国への挑発行動を強めている。住民の不満を逸らせる以外にも狙いはあるのか。
「経済制裁の緩和へ向け、北朝鮮としては、11月のアメリカ大統領選前にドナルド・トランプ大統領を動かしたい。その為に大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射すれば、アメリカ軍の空母が朝鮮半島周辺に展開し、2017年のように軍事的緊張が高まりかねない。だが、北朝鮮軍には臨戦態勢を取る余裕がない。故に、最も弱い相手である韓国を叩き、間接的にアメリカを攻めようとしたのではないか」

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【石井ふく子の「世間の渡り方」】(18) “失敗”の処方箋

今では信じられないでしょうが、昔、ドラマは全て生放送でした。1958年から私がプロデューサーを務めた『東芝日曜劇場』(TBSテレビ系)も、1960年代前半までは生放送でした。生放送では、どんなにリハーサルを重ねても失敗がありました。だから、失敗やトラブルには慣れっこになっています。例えば、岡本かの子さん原作の恋物語『華やぐいのち 老妓抄から』(※1959年)では、主演の乙羽信子さんがセリフを忘れてしまいました。勿論、撮り直しはできず、そのまま生放送が続きました。相手役は木村功さん。如何に名優と雖も、どうすることもできません。乙羽さんから救いを求められても、相手のセリフまでは覚えていませんから。どこで誰がセリフを詰まらせるかなんて事前にはわからないので、カンニングペーパーの類もなし。セリフを思い出してくれるのをひたすら待つことしかできません。当時はセリフを忘れてしまう人が珍しくありませんでした。そういう時は、生放送中に体の動きが止まってしまっては不自然ですので、役者さんに庭を眺めてもらったり、小道具を取ってもらったりしました。その間、スタッフがカメラに映り込まないようにこっそり近付き、小声や口の動きでセリフを伝えるのです。生放送は時間との戦いでもありました。予定時間内に終わらないのは論外ですが、時間が余ってしまうのも困るのです。津島恵子さんらに出て頂いた時代劇『子を取ろ子取ろ』(※1959年)は、未だ5分も放送時間が残っているのに脚本が全て終わってしまい、青ざめました。脚本の途中で5分余っていたのなら、セリフの間隔を空けてもらう等の対処法もありますが、終盤ではそれも無理。咄嗟の判断で、役者さんたちに「走ってー!」と伝えました。特に走り出すべきシーンではないのですが、セリフがなく、役者さんたちも止まっていたらおかしいと思ったのです。走り続けた役者さんたちはへとへとになったようで、申し訳ないことをしてしまいました。

舞台裏で慌ただしかったのは、役者さんたちが衣裳を替える時です。同じ服を着たままで画面に登場するわけにはいきませんので、何度か衣裳が替わります。だから、生放送中の役者さんたちは、スタジオから駆けだして衣裳部屋に飛び込み、服を着たり、脱いだりを繰り返しました。衣裳さんが役者さんを追い掛けながら服を着せることもありました。役者さんの上からポーンと被せる。傍から見たら滑稽ですが、私たち当事者は真剣でした。特に大変だったのは、時代劇での女優さんたちです。打ち掛けから帯まで、短時間で替えなくてはなりませんから。女優さんの帯を懸命に直している衣裳さんの手が映ってしまい、演出家が激怒する一幕もありました。時代劇でのトラブルを数え上げると限がありません。勝新太郎さんに徳川五代将軍の綱吉を演じてもらった『忠臣蔵 女たち・愛』(※1987年)では、柴犬のような日本犬が必要でした。それなのに、本番ギリギリになって動物プロダクションが連れて来た犬が、何故かスピッツだったのです。慌てて動物の扱いに慣れたメイクさんを呼んできて、丁寧に毛を刈り、短くして日本犬風にしました。鼻もピンク色だったので、害のない眉墨でちょっとだけ黒く塗ったのです。さぁ、これで大丈夫と思ったら、本番中にワンちゃんが鼻を舐めちゃったんですよ。犬にNGを出すわけにもいかないので、苦笑いしながら撮影を続けました。こうした失敗を繰り返してきたので、トラブルには随分強くなりました。やっぱり、若いうちに大きなトラブルを経験しておくものですね。失敗やトラブルはつきものですから、他人の失敗を殊更に叱ることはしません。演技や演出で「これは違うな」と思うことがあったら、ご本人の傍に行って、言うべきことだけを伝えます。周囲の人に聞かせることはありませんし、相手の目を見ながら指導したいからです。最近はあまりリハーサルをやりませんが、私は必ずやります。リハーサルを繰り返して、それでも本番の時に失敗したら、皆、「あれだけ一所懸命練習しても失敗したなら仕方ない」となるものです。やるだけのことをやったら、どんな結果であろうが、誰かが失敗しようが、「まぁいいか」と思えるもの。誰かの失敗を怒りたくなったら、それは私の準備が足りなかったから――。そう思うことにしています。


石井ふく子(いしい・ふくこ) テレビプロデューサー・舞台演出家。1926年、東京都生まれ。東京女子経済専門学校(現在の新渡戸文化中学校・高等学校)を卒業後、『新東宝』の女優等を経て、1950年に『日本電建』へ入社して宣伝部で務める。1961年に『東京放送(TBS)』へ入社。プロデューサーとして『肝っ玉かあさん』『ありがとう』『渡る世間は鬼ばかり』等、数々のホームドラマをヒットさせる。1985年に「テレビ番組最多プロデュース」(1007本)、2014年に「世界最高齢の現役テレビプロデューサー」(87歳342日)、2015年に「舞台初演作演出本数」(183作品)でギネス世界記録に認定。2014年4月より淑徳大学人文学部表現学科客員教授に就任。


キャプチャ  2020年6月27日号掲載

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