「安保闘争最盛期は左翼の運動に好意的な人が多かったんですよ」――本橋信宏氏(著作家)インタビュー

安保闘争――。それは1960年代・1970年代と、2度に亘って日本で展開された、日米安全保障条約に反対する国会議員・労働者・学生・市民、及び批准そのものに反対する国内左翼勢力が参加した日本史上最大規模の政治闘争であった。国会議事堂の周囲をデモ隊が連日取り囲み、傷害事件・放火事件・器物損壊等が日常茶飯事であった。その中心となっていたのが、急進派学生が結成した『共産主義者同盟(ブント)』が主導する『全日本学生自治会総連合(全学連)』。「安保を倒すか、ブントが倒れるか」。彼らが“行動”に出る時、そこには必ずと言っていいほど、自らの思想を掲げる“犯行声明”があった。先鋭的な創作活動を続け、嘗て『“全学連”研究 革命闘争史と今後の挑戦』(青年書館)を上梓した著作家の本橋信宏氏に、当時を振り返ってもらった。 (聞き手/編集プロダクション『V1パブリッシング』 左文字右京)

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――1960年代から1970年代には、左翼による過激な事件が相次ぎました。思想的な事件と犯行声明は切っても切れませんが、『よど号ハイジャック事件』の「…最後に確認しよう。われわれは明日のジョーである」なんて、今考えると非常に現実離れしている感覚があります。当時の社会は、どういう風にこの事件を受け止めていたんでしょうか?
「政治的運動体になると、必ず犯行声明がありますよね。但し、よど号事件に限ってだと、日本初のハイジャック事件ですから、私たちもよくわからなかったですね。実行犯はブントの赤軍派です。赤軍派の塩見孝也議長も後に仰っていましたが、実行メンバーは飛行機に乗るのも初めてで、まるでバスや電車に乗る感覚だったそうです。取り敢えず空港に行って、“次の便1枚”って感覚。だから、乗り遅れて一度失敗しているんですよ(笑)」

――本当は3月27日に決行する筈が、メンバーが時間通りに集まらなくて、結局、31日に延期しています。司令塔である塩見議長が直前に逮捕されて、もう後が無い状態で、しかもぶっつけ本番で犯行に臨んだ訳ですが、逆にそんな状態でよく北朝鮮に亡命できましたね。しかし何故、彼らはそんな犯行を思いついたんでしょう?
「塩見議長の唱えた“国際根拠地論”に基づいているんですね。『革命を進めるには日本だけじゃダメで、世界各国でブロックを作って、そこを拠点に革命戦争を起こす』という計画。本当はキューバに行きたかったんだけど遠過ぎて、だから北朝鮮なんだと。結局、逆に向こうでオルグされ、『拉致問題に関与したのでは?』ということで問題になりました。向こうに行った若林盛亮さんたちにもお会いしましたが、随分日本のことに詳しかったですよ。すっかり憂国の人になっておられた」

――国際手配中の皆さんも、『何でもアリ!? よど号のyobo-yodo』でツイッターもしてます。ただ、オルグの関係もあるので、その真意を疑われてしまっていますが…。実際に、実行部隊の赤軍派を含めて、“新左翼”とか“全共闘”の時代は、「そういう過激な行動を起こす人間が現れるかもしれない」という空気に満ちていた訳ですね。
「先ず、60年安保で闘ったのは日本共産党と社会党、そしてブントでした。『先の大戦は先進資本主義国同士が引き起こしたもの。平和を実現する社会主義・共産主義国家建設には、暴力革命でしか辿り着けないのだ』とブントは主張していました。後にタカ派に転じた闘士もいましたが、ブントで挫折して、そしてその中の一部が革共同(革命的共産主義者同盟)に流れて、中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)・革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)等に分派していきます。そして、70年安保の“新左翼”と呼ばれた時代を迎える訳です」

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賭博の合法化=門戸開放で日本に襲来する“仁義なき戦い”…フィリピンカジノ贈賄疑惑を巡るFBI介入が意味するもの

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年明け早々の1月11日、『ロイター通信』が極めて興味深い記事を配信した。ドナルド・トランプの大統領就任を10日後に控えたこの時期にロイターが報じたのは、日本ではパチスロ業界の最大手企業として知られ、海外カジノ事業展開を狙う『アルゼ』(現在の『ユニバーサルエンターテインメント』)の岡田和生会長が、ラスべガス賭博市場進出の際にタッグを組んでいた嘗ての盟友、“カジノ王”スティーヴ・ウィン(『ウィンリゾーツ』社主)を相手に繰り広げている泥沼の裁判を巡る一風変わった視点からの観察記事である。つまり、裁判そのものではなく、ユニバーサルエンターテインメント(※この社名はありふれていて個性を感じないし、外国企業と勘違いする恐れがあるので、以後、当記事では同社を、その歴史や性格を連想し易い“岡田アルゼ”の略称で呼ぶ)とウィンリゾーツとの裁判の背後で展開していた、 FBIとウィンリゾーツ合作による岡田アルゼのフィリピン贈賄疑惑に対する捜査活動についてのエピソードを扱っていた。

記事の概略は以下の通りである。

2015年4月、岡田vsウィン訴訟に、元アルゼ社員・藤原孝高氏(※当時は岡田アルゼの財務経理部副部長)の宣誓供述書が出たが、これはウィンリゾーツとFBIの合作による、外国での贈賄疑惑事件に対する捜査活動の成果である。藤原氏は、ウィンリゾーツの保安主任であるジェームズ・スターンが、岡田アルゼの内部告発者として知り合った十数名の社員の内の1人。スターンは、内部告発者がFBIの捜査に協力できるようアレンジした。このアレンジ作業に、ウィンリゾーツは10万ドルほど費やした。元々、スターンはFBIの捜査員で、2007年にウィンリゾーツに入社するまで、FBIでアジア組織犯罪の担当主任をしていたベテランである。2012年3月に、岡田アルゼの社員がスターンに接触して内部告発を行った。同年11月にはスターンが東京に出向き、藤原氏に会って「FBI捜査に協力する意思があるか?」と確認を取り、快諾を得た。その結果、藤原氏と彼の同僚・小坂敏彦氏をサンフランシスコに向かわせ、現地でFBIの捜査員と面会させた。同年、ウィンは「岡田がフィリピン政府の賭博取締当局に賄賂を使って饗応接待をした」と主張し、岡田をウィンリゾーツの取締役会から追放すると共に、彼を相手に民事訴訟を起こした。スターンがFBIへの証言者として面会をアレンジした岡田アルゼ関係者は11人ほどいるそうだが、岡田vsウィン裁判で陳述したのは今のところ、藤原氏だけだ。アメリカ企業が外国で賄賂を使えば刑法犯罪になる(※だから、「ウィンは、自社取締役の岡田がフィリピンで贈賄していることを知るや否や、取締役会から追放した」と推測される)。尚、岡田自身は「非合法なことはしていない」と贈賄を否定している。FBIは、こうした法律があるのに、海外での捜査は資金やマンパワーが不足しているので、自ら行うことができない。そうした中、ウィンリゾーツが“適材の人物”スターン氏を使って、FBIと“合同捜査”の陣形を作ったのは極めて異例。但し、このやり方は“係争中の一方の企業がFBIを引き入れて優勢に立つ”という事態を招く恐れがあるので、違法ではないが、倫理的にはグレーゾーンである。実際、岡田アルゼはウィンとFBIの合作に激怒し、これを“産業スパイ”呼ばわりし、今年中にこの件で提訴する可能性もある。

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一記者が見た『朝日新聞社』の歪んだ報道倫理――社内の空気を忖度して記事を捏造、“ジャーナリスト”と“ブンヤ”の違いは何か

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「アメリカ人が就きたくない職業の筆頭は新聞記者」――。経済誌『フォーブス』日本版の無料配信記事に、そうあった。アメリカの求人情報サイト『キャリアキャスト』の今年の調査結果だという。去年も記者が最低だった。展望が無いというのだ。調査方法がもっとわかると良かったが、独り作業的職業が多いのは興味深い。実際、記者稼業は、不人気度9位のタクシー運転手に似ている。客がいないか、鵜の目鷹の目で視線を歩道に走らす運転手のように、記者もネタを探して歩く。遠く離れた行き先を言う上客が稀なように、上ネタも減多に無い。ただ、そんな運転手記者の目にも映る会社の風情というのもある。山本七平氏に肖れば、以下は“私の中の朝日新聞”・“一記者の見た朝日新聞社”・“ある異常体験者の偏見”となろうか。割り引いてお読み頂きたい。月刊誌『WiLL』2016年9月号に、『週刊朝日』元編集長の川村二郎さんが、こんな朝日体験を書かれていた(メディア時評『朝日新聞は“君が代”に謝罪しろ』)。国旗国歌法ができる1999年のことだという。その頃、朝日新聞には日の丸と君が代に反対する有名人の意見が来る日も来る日も載り、川村さんは社外の知人から「紙面の作り方がどうかしていませんか?」と言われて、「グーの音も出ない」でいた。そんなある日、「海外の大会で、君が代が始まると、席を立つ観客が多い」というY編集委員の署名記事が載った。その記事なら私も覚えている。川村さんは、「あれって本当かよ?」とY編集委員に聞いた。海外でのスポーツ大会はテレビでよく見るのに、そんなシーンは見たことがなかったからだ。

時評は、こう続く。「すると、こういう答えが返ってきた。『ウソですよ。だけど、今の社内の空気を考えたら、ああいうふうに書いておく方がいいんですよ』。あまりのことに、言葉を失った」。編集委員は朝日の顔である。「ショックだった」と川村さんは記す。Y編集委員の話に比べると救われるが、私にもこんなことがあった。リクルート事件を追っていた1988年、朝日が「大蔵省の宮沢喜一大臣にも未公開株が渡っていた」と特報した。当時、私は週刊朝日編集部にいた(※川村さんは副編集長の1人)。同僚が蔵相の緊急会見を取材し、誌面にねじ込んだ。私は「それにしてもよく数えたな」と、同僚である後輩を労った。会見で何を訊かれても、宮沢氏は「ノーコメント」で通し、「その数、13度に及んだ」と記事にあったからだ。彼は頭を掻いて照れた。「嘘に決まってんじゃないっすか。死刑台の段数ですよ」「えっ、13回は嘘? 実際は?」「7~8回ですかねぇ」。鳥肌が立ちそうだった。その宮沢氏が首相となり、1992年1月に訪韓して盧泰愚大統領との首脳会談に臨んだ。その直前、朝日は1面トップで、「慰安施設に軍が関与していたことを示す資料が見つかった」と伝えた。議題には無かった慰安婦問題が急浮上し、韓国大統領府の発表によれば、首相は大統領に“反省”と“謝罪”を8回繰り返した。「謝罪の回数を公表するとは心ないことを…」と思ったが、ひょっとすると、大統領府は日本で話題を呼んだ週刊朝日製の“13回のノーコメント”を参考にしたのかもしれない。何れにしても、“13回”では宮沢氏に申し訳ないことをした。尤も、人のことなど言えた義理でない。嘘は書かなかったが、“世間や社内の空気”を忖度し、追おうともしなかった事柄が一方ならずある。1990年代半ば、『朝鮮総連』元活動家の知人が友人に会わせてくれようとした件もそうだった。その頃、日朝間で何か問題があると、朝鮮学校に通う女生徒の制服であるチマチョゴリがナイフで切られる事件が続いていた。ある時、知人が吹っ切れたように話し始めた。「あんなことはもう止めないといけませんよ。自分の娘を使っての自作自演なんです。娘の親は、総連で私の隣にいた男です。北で何かあると、その男の娘らの服が切られる。朝日にしか載らないが、書いている記者も私は知っている。夕べ、友人に電話しました。『娘さんが可哀想だ』と。彼は『止める』と約束しました。会いますか?」。私は、「いや、結構です」と即答した。掲載を巡って衝突すれば、社を辞めることになるのも見えている。動悸は続いたが、悲し過ぎる素材で、書かないことに対する自分の中での抵抗は幸い薄かった。それから二十余年。その間、日朝の間には拉致という途方もない事件が明るみに出たが、「朝鮮学校女生徒の制服が切られる」という記事は見ずに済んでいる。

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アマゾン、生活必需品のインフラへと大転換進める――アメリカの先進事例、いずれ日本へ

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台所でもリビングでもトイレでもいい。家のどこにいても、スマートフォンもパソコンも不要。思い立ったその瞬間に注文できる――。『アマゾンジャパン』(東京都目黒区)が今月5日に発売した『ダッシュボタン』(左画像)は、買い物の手間を極限まで省く小型端末だ。Amazonプライム会員向けに実質無料で提供する。ボタンは、『サントリー』・『カルビー』・『花王』等著名メーカーのブランド毎に40種類以上。『サントリー』の天然水のボタンなら“550ミリリットルボトル24本セット”・“2リットルボトル2箱”等、サイズや量を最初にスマートフォンで設定しておくと、その後はボタンを押すだけで注文できる。「生活必需品の入手は“買い物”ではなくて“作業”だ」。アメリカの『Amazon.com』でダッシュボタン事業を担当するダニエル・ラウシュ氏は語る。定期的に買う消耗品ならば、店舗に態々足を運んでパッケージや値段で品定めをする意味は薄い。寧ろ、“使いたいのに手元に無い”事態を防ぐほうが重要との考えだ。昨春に先行発売したアメリカでは、直近のボタン経由の注文数が当初の5倍まで増えているという。

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Amazonは近年、消費者の日常的な利用が増えるように、商品やサービスを拡充している。日本で昨年9月に始めた『パントリー』というサービスは、カップ麺1個・洗剤1本といった具合に1個単位で買える。生活必需品の取り扱いは従来、配送効率等の観点から箱単位が多かった。同じく、昨年11月に始めた『プライムナウ』は、発注から最短1時間で商品を届けるサービス。先月には、東京都内の対応地域を23区全体に広げた。書籍に代表されるように、Amazonはニッチ商品を幅広く取りそろえる“ロングテール”の事業モデルで成長してきた。ただ、これだけでは消費者との接点は限られる。生活必需品の取り扱いを増やし、同時にサービスの使い勝手も磨けば、Amazonは毎日のように消費者と接することになる。勿論、購入頻度の高い生活必需品が増えれば、発送業務の負荷は大きくなる。そこで、Amazonは並行して、物流拠点の効率化も急いでいる。神奈川県川崎市にある同社の物流拠点(上画像2枚)。広大な空間を、100台を超える黄色い商品棚がするすると自動で動き回る。向かう先は入荷したコンテナから商品を取り出したり、逆に発送用のコンテナに積み込んだりする作業員の待つ一角だ。同社が今月6日に本格稼働させた『アマゾンロボティクス』は、作業員が倉庫内を歩き回るのではなく、棚が作業員の元を訪れることで、商品管理や発送作業を効率化する。人力では数時間かかることもあった出荷作業も、「早ければ数分で完了する」(アマゾンジャパンでオペレーション技術を担当する渡辺宏聡氏)。国内導入は川崎市の拠点が初めて。今後、他拠点への展開も順次検討する。

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実録・“ヤクザの子”として生まれて――暴排条例施行下で生活するヤクザの子供たち

暴排条例施行以降、ヤクザに対する締め付けは強まるばかりだ。その影響は家族にも及び、親がヤクザというだけで不利益を被るケースも多いという。今、ヤクザの家族はどんな状況に置かれているのか。2人の当事者を直撃した。 (取材・文/フリージャーナリスト 鈴木智彦)

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ヤクザも人の親である。その息子・娘だって人の子だ。両者の間にある特殊な事情は、“父親がヤクザ”という点だけである。親は親、子は子であり、過去、愚連隊の有名人の息子が検事になったり、ヤクザの息子が教師になったりした例は、枚挙に暇が無い。最近の警察は「二親等の血族に現役暴力団員がいると合格できない」としているらしいが、どうみても差別に他ならない。とはいっても、現実は理想論で動かない。正確に記すならケースバイケースである。暴力の信奉者らしく、親であるヤクザが学校に乗り込み、当人にその自覚は無くても、教師を恫喝する例だってある。ヤクザの自己申告は極めて自身に都合よく湾曲していて、マスコミは実例を確かめずに、ヤクザとその家族の人権を、まるで鬼の首を取ったかのように叫びがちだ。左翼とヤクザは、“敵の敵は味方”という論理によって融合し易い。極端な例を全てと思うのは危険だろう。

最初に取り上げるのは、西日本に住むヤクザの息子である。19歳になった今は、強盗致傷で少年院に収容されている。この青年と知り合ったのは中学生の頃だった。「人間、馬鹿が最高。好きな漫画は“浦安鉄筋家族”。夏休みになったら、海パン一丁で学校に行きたい」。子供らしさが存分に残った笑顔は、本当にどこにでもいる中学生といった風情だった。高校受験を控えた頃、彼と“ヤクザの子供として生まれ、生きること”について語り合ったことがある。煙草を吸い、酒を飲みながらの取材になったのは、父親であるヤクザ組織幹部から「学校でやるくらいならうちの中だけでやれ」と叱られ、家庭の教育方針に口を挟めなかったからだ。「特段、どうということはないですよ。周りも知っているし、先生もわかっている。刺青を見てもどうも思わない。苛められたことも無いし、うちのお父さんがヤクザだなんて威張り散らしたら馬鹿です」。目の前の酒と煙草を除けば、言っていることは大層真面だった。が、話しているうちに、ヤクザの常識が彼の中にそのまま根付いていることに気付かされた。「やられたらやり返さなきゃ舐められる」。その後、彼は地元の工業高校に入学し、1年余りで中退した。退学後も、彼とは時々会った。実父である父親に会う度に、彼が今、何をしているか尋ね、食事の際は同席してもらうよう頼んだ。母親は看護師で、堅い仕事である。ヤクザの姉さんチックな華美さは無く、腰も低いし、社会性もある。ただ、籍は抜いてある。暴排条例以降、行政がヤクザの家族に対して補助や手当を出せなくなったからだという。息子は、そんな両親の気苦労を知らないというより、意識していないようだった。「アニメの仕事に就きたいんです。主題歌とか好きなので」。相変わらず呑気な夢を語っていた。「ならば、東京に来たらウチに泊まってくれ」と申し出ても、彼は一向に上京しなかった。そして、彼との交流は寸断された。先程、“強盗致傷”と書いたが、これは俗にいう“カツアゲ”のことだ。街を歩いているオヤジに因縁を付け、殴ってカネを奪って捕まった。ヤンキー・不良漫画でよくあるこの行為は、今の世の中で決して許されない悪行であり、その代償は大きい。「俺が若い頃なら、こんなもん事件にもならなかった」。父親の感覚を“暴力に毒されている異常者”と断じるのは、正直、適切なのか悩む。逮捕されたことを知って、こちらはもっと面食らった。両親は、明らかに普通の教育をしているとしか思えなかったし、大人しく素直で、優しい子供というイメージしか無かったからだ。ただ、思い返せば引っかかることは多々あった。「クラスメイトが喧嘩をふっかけてくるなんて無いです。そんな馬鹿はいないですよ」。さらっと流してしまった台詞の中に、ヤクザの息子だけが持つ優越感が存在していたのに、先入観と見かけで欺かれたのだ。父親は「アイツにヤクザをやる根性など無い」と一刀両断するが、その見立てには頷けない。息子の言動は、一般的なガキの頃のヤンチャな思い出を遥かに超越している。

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【霞が関2016秋】(14) 消費者物価、早期解散を後押し?

内閣府が、物価指数の動向に頭を悩ませている。足元で広がる消費者の節約志向を受け、物価の上昇幅が大きく鈍化。アベノミクスの最大の成果とする“デフレ状況ではなくなった”とする根拠が揺らいでいる。「“コアコア”を見ると、2013年10月以降、前年比34ヵ月連続のプラスとなっている」。安倍晋三首相は先月29日の参議院本会議で、こう強調した。“コアコア”とは、『消費者物価指数(CPI)』の内、物価変動が大きい生鮮品やエネルギーの価格変動を除いた数値。モノやサービスの需給を的確に反映し易いとされる。安倍首相が、アベノミクスの最大の成果とされる“デフレ状況ではなくなった”と断言する最大の根拠になっている。そのコアコアの変調が鮮明になってきた。2014年に平均で1.8%、昨年も1.0%上昇したのに対して、今年8月は伸びが0.2%まで縮小した。東京都のコアコアは先月、マイナスへ転落した。内閣府幹部は、「(全国平均のコアコアも)遅くとも年明けにはマイナスに転落するのではないか」と指摘。政府内には「実質賃金の上昇は個人消費回復の兆し」と期待する関係者もいるが、「実質賃金の上昇は、物価の伸びが鈍化しているのも大きい」(内閣府幹部)という。個人消費の動向を見ると、実質賃金の上昇が消費者の財布の紐を緩めていると言える状況にはない。

『ユニクロ』は、春物で始めた値下げを秋冬物でも継続する。機能性肌着である『ヒートテック』は、昨年よりも約300円安い価格に設定した。『ニトリホールディングス』の白井俊之社長は先月末、「他社が値下げするなら対抗値下げする」と断言している。コアコアの変調に追い打ちをかけそうなのが、生鮮食料品やエネルギー価格の上昇だ。両者はコアコアには含まれないが、生鮮食料等が値上がりすれば可処分所得が減り、コアコアの対象となるモノやサービスの消費を手控える要因になる。夏場の天候不順を背景に、葱の卸値は昨年に比べて3割高、人参は2.4倍。「生鮮野菜の高騰は年内一杯続く」との見方もある。気温の低下で需要が高まってきた鍋物食材の高騰は、心理的にも消費者に悪影響を与えかねない。『石油輸出国機構(OPEC)』の生産削減の合意を受けた原油価格の上昇で、灯油が値上がりする可能性も高い。コアコアがマイナスになれば、野党が“アベノミクスの失敗”を批判するのは明かだ。経済官庁幹部は、「悪い数値予測はなるべく早く官邸に伝えて、解散後に文句を言われないようにしないといけない」と身構える。安倍首相がデフレからの脱却や経済再生を、衆議院解散後の選挙でアピールしたいのなら、永田町の解散風が示す通り、“早期”のほうが都合が良いかもしれない。 (中村亮)


⦿日本経済新聞電子版 2016年10月25日付掲載⦿

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“絶対に儲かる極秘情報”にカモがどんどん集まった――“ニセ八百長”で億を稼ぐ競馬必勝法詐欺の手口

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黒のビジネスバッグにクールビズのスーツ、人当たりのいい営業マン姿の篠原翔さん(仮名・29)は、僅か1年で4億円の被害を出した“競馬必勝法詐欺”の実行犯である。一体、どんな詐欺なのか? 篠原さんは、営業トークのような軽快さで説明を始める。「どんな詐欺でも基本となるのは、“絶対に儲かる極秘情報”の設定です。ギャンブルの必勝法でいえば八百長です。競馬の場合、馬主にアラブの大富豪やヨーロッパの貴族や王族等、世界のスーパーセレブが名を連ねています。『彼らが八百長レースを行っている』というリアルな設定ができる分、競馬は都合がよかったんです」。カモを集める“撤き餌”は、従来のようなスポーツ紙の広告や携帯電話のスパムメールではなく、「インターネットサイトを使ったのも新しかった」という。先ず、2万円を払ったサイトの有料会員に、“勝ち馬券の2割をサイト運営会社の成功報酬”という条件で、お試しの八百長レースを教える。この時、「情報漏洩しないよう、レース直前に結果をインターネット上にアップロードする」と伝えておくが、当然、情報はアップしない。レース後に結果を見てアップして、サイト上でアップした時間の表示を操作して、レース直前にアップしたようにしておけばいいのだという。「レース後、こちらから電話をして『成功報酬を払って下さい』と言う訳ですが、勿論、お客さんと揉めることになります。ここで、『正規の会員さんは、事前に八百長レースの結果を教えているので、今回も数百万円勝っていますよ』と話す。そうして、『事前に八百長の結果を教える場合には、情報料30万円を先払いして下さい』と誘導するのです」。

言うまでもないが、指定したレースは外れる。「逆に、『馬主から、“情報が漏れているから八百長を中止する”という連絡が入った。貴方に教えた途端、漏れたのはどういうことか!』とガンガン客を責めるんですよ。その後、『貴方も損をしたでしょうから、次のレースで巻き返しませんか?』と優しく誘導する。次の八百長レースの情報を100万円→300万円→500万円と、額を吊り上げながら紹介する訳です」。この詐欺のキモとなるのが、客と揉めた時の対処法だ。「きちんとマニュアルがあった」と篠原さんが言うように、八百長が中断になった言い訳も各種パターンが揃っており、怒った客の対処方法も“宥め賺す”・“威圧する”・“泣き落とす”等、きめ細かくマニュアル化されていた。「何レース目かの段階になると、客の性格・個人情報や、どのくらい可処分所得があるのか、ある程度は把握しているんです。そして、カモから絞れるだけ絞り取るんです」。最大のカモからは、9回騙して4000万円毟り取ったというから恐れ入る。「1クール3ヵ月で一旦、会社もサイトもクローズしていました。それを4クール、約1年やったのかな。1クール当たり売り上げで言えば、億は超えていましたね」。篠原さんによれば、この競馬必勝法詐欺は、詐欺としてはそれほど儲かる手法ではないという。ダミー会社の登記や足の付かない口座、更に手間暇がかかる為、必然的にスタッフの数が増えるからだ。「実際、うちで言えば、現場のメンバーが最低でも5人、1クール当たり経費が1000万円以上かかっていました。僕は雇われスタッフというか営業マンみたいなもので、給料も歩合制になっていて、1クール平均すれば300万円、年収で1000万円ぐらいでした」。割は良くないが、それでも“逮捕リスクの低さ”が、この詐欺の魅力だという。「競馬の予想をして、その情報と引き換えにカネを貰う。要するに、競馬の予想紙と一緒なんです。有料の予想紙を買って、それで外れたからと詐欺で訴える人はいないでしょ? 客とも直には接触せず、追跡できないようにしていた。ローリスクの詐欺として開発された最新の手法だったんですよ」。今は詐欺から手を引いている篠原さんだが、最後にこうも言った。「でも、元手として500万円、あと仲間が2人いれば、自分が親になってまたやってもいいですね。リスクは少ないんですから」。 (取材・文/フリーライター 西本頑司)


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为了去海外旅行9月22日至9月25日,然后休息博客更新。我们很抱歉。

絶対に触れてはいけない奥州藤原氏4代のミイラ――東北に伝わる“藤原清衡の呪い”

平安時代末期、京の都と並び称されるほどの栄華を誇った奥州藤原氏の本拠・岩手県平泉町。この町にある有名な中尊寺には、その藤原氏4代のミイラが今も棺に入った状態で安置されているという。そして、そのミイラに関し、奇妙な話が同地には伝わっている。「触れる者に災いを及ぼす」と…。 (取材・文/フリーライター 高島昌俊)

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2011年、東北地方の文化遺産としては初めて『国際連合教育科学文化機関(UNESCO)』の世界遺産に登録を果たした平泉。正式名称は『平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-』で、毎年200万人が訪れる人気観光スポットだ。数々の遺跡が残る平泉町は岩手県南部に位置し、長閑な山園地帯が広がる自然豊かな町だ。だが、現在の姿からは想像もつかないが、平安時代末期の12世紀、この地には京の都と並び称されるほどの都市が存在した。それが平泉という訳だが、当時は東北以北の地域は“蝦夷”と呼ばれ、朝廷からは蔑みの対象で、蛮族同然の扱いを受けていた。その蝦夷に出現した平泉は“理想郷”と謳われ、その象徴として今の世に伝わるのが、中尊寺の金色堂だ。そんな平泉に繁栄を齎したのが、当時の東北地方屈指の豪族であった奥州藤原氏。藤原清衡を中心に、基衡・秀衡・泰衡と4代100年に亘って栄え、“騎力17万”と伝えられるほどの兵力を持ち、中央政府の支配力が及ばない地域で半ば独立国のような権勢を誇っていた。結局、奥州藤原氏は、1189年に源頼朝によって減ぼされると、平泉は衰退の一途を辿り、歴史の表舞台から姿を消していく訳だが、その後も中尊寺やその敷地内にある金色堂は廃れることはなく残っており、同時に藤原氏4代のミイラも棺に入った状態で安置されている。しかし、藤原清衡のミイラに関しては「触れる者に災いを及ぼす」との噂があり、関係者や歴史ファンの間では“清衡の呪い”と呼ばれて怖れられている。エジプトでツタンカーメンを発見した考古学者ら関係者が次々と亡くなった“ファラオの呪い”の日本版とも言える話だが、実際、この“清衡の呪い”では何が起きたのだろうか? 「金色堂やミイラの調査が本格的に行われるようになったのは1950年のことなのですが、実は、それ以前にも密かに調べられていたんです。で、災いが降りかかったとされるのは、極秘調査に参加した3人の関係者。調査中にミイラに触れてしまい、身体の一部を欠損させてしまった。それだけなら兎も角、彼らはそれを持ち帰ってしまったんです」。呪いの発端となった出来事についてそう明かすのは、地元の歴史研究家である。調査中に傷付けてしまったり、破損することは決して珍しくないそうだが、その後の対応が拙過ぎた。これでは呪われても然りと言えるだろう。

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「3人は、仮にA・B・Cとしましょう。極秘調査を終えて間もなく、Aは列車事故に遭い、Bは階段から落ち、Cも原因不明の関節炎に悩まされるようになります。何れも故障箇所は右膝でしたが、清衡のミイラの欠損箇所というのも右膝だったんです」。詳細は明かされていないが、それ以外にも様々な災いに襲われたそうで、軈て3人は「持ち帰ったミイラの欠片が原因では?」と考え、手放すことを決意。岩手在住の作家で民族学者の山田野理夫氏(故人)に相談し、氏に引き取ってもらったいう。ところが、その後も“清衡の呪い”が収まることはなかった。「山田先生も、清衡の呪いの可能性が高いことを指摘していました。でも、今度は山田先生の身に災いが降りかかってしまいます。ある日、目が覚めた直後、急に右膝が痛み出して起き上がれなくなってしまったんです」。鍼灸師を呼び、治療してもらっても、痛みは治まらないどころか、その後の山田氏は奇妙な夢まで見るようになったというのだ。「夢の中では、1基の古碑がある荒涼とした池の畔に佇んでいたり、杉の大木に囲まれた寺の本堂らしき建物に続く坂道を登っていたそうです。恐らく前者は、平泉にある毛越寺の大泉が池、後者は中尊寺でしょう。夢の中の山田先生は、寺の本堂から更に奥に進み、軈て黄金色の輝きを放つ建物が見えて、そこで夢は終わってしまったそうです。寺が中尊寺だとすると、これは金色堂ということになります。つまり、自分の身を以て清衡の呪いであることを確認した訳です」。同じ夢を繰り返し見て、山田氏も「手元に置いておくのは危険」と判断。中尊寺に返還することを決め、同寺の貫主になる僧侶の今東光氏に相談したが、「清衡公を元の場所にお返ししたいのは山々だが、棺は今後、もう二度と開かれることはないだろう」と言われ、最終的には中尊寺敷地内のどこかに埋葬されたと言われている。「『棺に戻せない』というのが気になりますが、確かに、ミイラの棺は長期に亘って封印されたままです。ひょっとしたら、ミイラに触れたり、欠損させること以前に、抑々“棺を開けること”自体が災いの対象になるのかもしれません」。また平泉には、清衡以外にも“義経の呪い”なる言い伝えも残っているそうだ。「終焉の地とされる場所には供養塔が建っていますが、工事等で場所の移転の話等が持ち上がる度に、関係者が事故や原因不明の病気に襲われるという話もあります。平泉は歴史がある地だけに、この手の話は尽きません」。京都や鎌倉等の古都には怨念が渦巻いていると言われているが、それは、一見長閑な平泉も例外ではないのだ。


キャプチャ  第3号掲載

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88ヵ所巡礼に纏わる封印された死国のダークロード――“裏遍路”という四国霊場のタブー

年間15万人ほどが訪れるという四国遍路。通常は整備された道を徒歩や車で移動するが、それとは違う道を行き来する者の姿が嘗てあった。それは、誰も知らない悲しみに溢れた道であった――。 (取材・文/ノンフィクションライター 八木澤高明)

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40人ほどの白装束の団体がバスを降りて、礼所となっている寺へと向かって歩いていく。四国88ヵ所霊場を巡るお遍路さんたちである。白装束の一団は、寺に参拝し、般若心教を上げ、御朱印を貰うと、次の札所へと向かう為にバスに乗り込み、去って行った。観光バスが去った後の駐車場に、お遍路さんの誰一人として振り返らなかった墓石があった。長年の風雨で彫られた文字は擦れ、全てを読むことはできないが、“下総国”という文字が確認できる。江戸時代に四国への巡礼に出て、この地で亡くなった遍路の墓である。一昔前まで、四国遍路たちは、自分の足だけを頼りに全行程凡そ1400kmを歩かなければならなかった。右手に持った金剛杖は、行き倒れた場合にはそのまま墓標となり、菅笠は骨を納めるものだった。遍路たちが歩いた遍路道には、今でも至るところに生き倒れた遍路たちの名も無き墓標が残っているが、それらはほんの一部に過ぎず、亡くなった多くの遍路たちは墓石すら無く、四国の土となっていった。弘法大師空海(774-835)によって開かれたとされる四国88ヵ所霊場。四国には空海が残していった伝説が数多く残っているが、霊場として四国が開かれていったのは、寧ろ空海の死後、平安時代に寺社仏閣への寄付である勧進を集める聖たちが、四国を隈なく歩いたことがきっかけとなった。更に、四国遍路が民衆の間に広まり、一般的になるのは、江戸時代になってからのことである。徳川家康によって江戸幕府が開かれ、戦乱の時代に終止符が打たれると、全国に5つの街道が整備され、人々はより安全に旅をすることができるようになった。それによって、人や物の行き来が活発となり、商品経済が発展していく。人々の懐に余裕ができ始めると共に、四国遍路も盛んになるのである。江戸時代初期の1687年、元々高野山の聖であった真念(?-1691)によって、四国遍路のガイドブックである『四国遍路指南』が大阪の商人たちから資金を得て発行されたこともあり、それまではっきりとした寺の数は決まっていなかったものが、真念の著書によって“88ヵ所”と記された。今日の四国遍路の形が定まったのである。そうして四国遍路は、お伊勢参り等と並んで庶民の人気を集めるようになり、四国や関西だけでなく、全国の津々浦々から人々が巡礼するようになったのである。

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だが、集まった人々の中には、四国を死に場所と定めて訪れる者も少なからずいた。嘗て、“不治の病”と恐れられた癩病等の病を患った者たちである。彼らは通常の遍路道を歩くこともあったが、世間から蔑まれる病を抱えていた為、違った道を歩くことを強いられた。彼らが歩いた道は、癩病が“かったい”と呼ばれたことから、“かったい道”や“裏遍路道”と呼ばれた。自分の体が朽ち果てるまで四国を回り続ける癩病等の遍路たちは、季節毎に四国の中を移動したという。寒い冬は高知県の32札所である禅師峰寺(南国市)から程近い砂浜や、将又室戸岬の洞窟等で過ごし、春になると雨の多くなる高知を離れて、愛媛・香川・徳島に向かったという。32番札所から程近い海岸沿いの村で、乳母車を引いていた老婆を見つけた。その老婆に、冬を越した癩病の遍路たちについて知っているか尋ねてみた。「そんな人たちが冬越ししたのは知らんね。私たちの婆さんの時代のことじゃないだろうかね。だけど、昔のお遍路さんというのは、今みたいに綺麗な白装束じゃなくて、言葉は悪いけど、着のみ着のままの汚い格好をして、家の縁側とかで勝手に寝ているような怖いイメージやったな」。記録によれば、癩病の遍路たちが四国に現れ始めたのは、江戸時代初期のことである。それから、明治・大正・昭和の初期まで記録が残っている。筆者が話を聞いた老婆は86歳だと言ったが、彼女には癩病の遍路の記憶は無いという。四国では、他国から流れてきた癩病の遍路により、感染者が出るということも少なくなかった。昔から、遍路に食事や時には宿を提供する“お接待”という習慣がある。人によっては癩病患者を接待することもあり、それによって家族の者が癩病に感染し、接待した者が癩病の遍路として死出の旅に出なければならなくなるという悲劇に見舞われることもあった。『ハンセン病文学全集』(皓星社)と題された随筆に、当時の生々しい記録が記されている。「タ闇につつまれる頃、齢四十五、六の男へんろが松葉杖に身をあずけて足をひきずりながら、力の無い声で私の家を訪ねて一夜の宿を乞うのであった。日頃よりお大師様を信心している私の母は、外出した時に、宿がなくて困っているへんろに出会えば、家に連れて帰って泊める信心家であった。【中略】母が多忙の時には、いつも私が母に代わってへんろの食事や、便器の世話から外科の交換まで母に命ぜられるままに面倒を見ていたのであった。外科の交換をする時など、膿汁の悪臭に堪えかねて、息を殺してするくらい臭かった」。

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