【木曜ニュースX】(346) 新証言! 安倍晋三元首相銃撃犯を狂わせたのは統一教会じゃなかった!?

被告(42)が安倍晋三元首相を銃撃する5年程前のこと。被告の母・A子さん(70)は、ある親族にこう打ち明けていた。「最近、彼は『革命を起こす』とか、そんなことばっかり言うてんのよ」。事件発生から間もなく10ヵ月。模倣犯まで現れた被告の知られざる一面を、親族が初めて明かした。「彼は小さい頃から内向的な性格で、親戚の集まりで話しかけても、はにかんで俯くばかり。いつも母親の膝の後ろに隠れていて、時々チラッと覗き込んでくる。引っ込み思案で前に出ることの出来ない、恥ずかしがり屋の少年でしたね」。そう述懐するのは、被告の遠戚にあたる人物である。この親族は被告の父と懇意にしていた時期があり、酒を酌み交わすこともあったという。「彼の父親は酒が好きで、ウィスキー“オールド”のボトルを1日で空にする。元々は面白くて良い人だったんですが、彼の兄に病気が見つかって以降、段々とおかしくなり、嫌なことがあると直ぐ家出をするように。最後はノイローゼみたいになって、『俺もう嫌だから、ここで首括って死ぬ』等とクダを巻きながら、浴びるように酒を飲んでいたのを覚えています」(同)。1980年代初頭、被告が産まれて間もない頃のことである。時を同じくしてA子さんは、『統一教会』ではない別の“宗教”を信仰するようになっていった。「彼女が最初にハマったのは“実践倫理宏正会”という団体です。朝早くに集まりがあるとかで、彼とその兄を放ったらかして、よく出かけていました。私の身内にも『一緒に行こう』と誘っていました」(同)。
この団体は、早朝に行なわれる“朝起会”という活動をメインとしている。会員数は400万人を超えるとも言われ、宗教ではなく、社会教育関係団体を自称している。A子さんがこうした活動に傾倒していったのには理由があった。「彼が産まれた翌年の1981年9月にA子さんの母親が若くして白血病で亡くなり、3年後の1984年12月には彼の父がマンションの屋上から飛び降り自殺。更に、その2年後にA子さんの知人が列車事故に巻き込まれて亡くなってしまったのです」(同)。こうした不幸の連鎖故か、A子さんは更なる“救い”を求め、1991年頃に統一教会に入信。建設会社の社長だった父親が1998年に他界すると、遺産の大半を献金に費やし、2002年に自己破産するのだ。だが、「こうした経済状況が原因で、彼が大学進学を諦めたというのは、ちょっと違うと思います」。この親族はそう言って、これまでの“犯人像”を否定するのだ。「彼は色んな大学を受験したものの、志望校ではない奈良産業大学しか受からなかった。それで大学進学を選ばなかったと聞きました」(同)。被告はその後、海上自衛隊に入隊するも、自殺未遂騒動を起こし、2005年8月に任期満了に伴い退職する。A子さんからこの親族に久しぶりに電話がかかってきたのは、翌2006年のこと。「韓国にリゾート地が出来て、そこのマンションを買いたいから50万円を貸してほしいんやけど…」。親族が後日調べたところ、“リゾート地”とは統一教会の本部がある京畿道加平郡のことで、この年に韓鶴子総裁が暮らす『天正宮博物館』が完成していた。再び親族が言う。「別の親族に相談したら、『お金を渡してもどうせ教団に取られるだけだから、(A子さんのことは)相手にしないほうがいいよ』と。それで断ったら、A子さんは『あらそう…』と残念そうにしていました」。この親族が、A子さんと最後に会話を交わしたのは5年程前。冒頭のようなやりとりだった。「私が『彼は元気にしとる?』と聞いたら、『仕事はしているんやけど、変なことばっかり言っているのよ…』と。それを聞いて、私が笑いながら『虫も殺されへんような顔してんのに、そんなアホなこと出来るわけないやん。真面目に働け言うといて』と言って電話を切ったのです。当時は、まさかあんな事件を起こすとは思ってもいませんでしたからね…」(同)。凶行の萌芽は、この頃から生まれていたのか…。被告の初公判は公判前整理手続が長期化する可能性があり、来年以降になると見られている。

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