【クレディスイスはどこへ】(下) 変化を迫られるスイスの銀行

“金融立国”スイスの銀行業界で、古き良き伝統を最も色濃く残すのが、小規模、家族経営で富裕層の資産運用を専門とするプライベートバンクだ。中でも、経営陣が無限責任を負う経営形態の銀行はプライベートバンカーと呼ばれて区別され、“生粋のプライベートバンク”とされる。スイスの金融界を支えるそんな銀行の一つを訪ねた。チューリヒの南西約50㎞に位置するルツェルンに、プライベートバンカー『ライヒムート』の本店がある(※左画像)。石造りの重厚な建物だが、邸宅のような佇まいで銀行のようには見えない。芝生に囲まれた庭を通り、小さな玄関扉を開けると、簡素ながら高級感ある応接間が広がっていた。ライヒムートは1996年創業と、プライベートバンカーの中では最も歴史が浅い。カール・ライヒムート氏とその息子、クリストフ氏が創業した。カール氏は『クレディスイス』に長く勤務した経験を持つ。「父は、販売力にものをいわせて既成の金融商品を売り捌く米英型の経営に疑問を感じていた。私も起業を目指しており、スイスの伝統である顧客本位を維持しながらも革新的な部分を持つ銀行の開業を思い立った」。引退したカール氏を継いで社長を務めるクリストフ氏は、そう話す。現在、顧客は8000人超。スイスやドイツ、イギリスが中心で、アジアは今のところいないという。クリストフ氏は「誰でも取引はできます」としつつも、「200万スイスフラン(※約3億円)以上の金融資産を持つ顧客が多い」と話しており、やはり富裕層に限られるようだ。クリストフ氏ら経営陣3人は、経営破綻の際には個人資産を弁済に充てる無限責任を負う。「無限責任は古臭いかもしれないが、私達がリスクを負っていることで顧客は安心する。無限責任は信頼関係を更に深めるのに役立っている」と胸を張る。
ライヒムートでは、顧客の家族構成や資産状況等詳細を把握した上で、其々に合った資産運用や投資を提案する。クリストフ氏は、「顧客は私達の姿勢を見ている。無限責任を負っている私達は慎重を期し、投機的な運用はしない」と説明する。クレディスイスの経営危機については、「彼らはスイス国内の経営は順調だったが、海外でリスクを負い過ぎた」と分析する。スイス金融業の伝統を受け継ぐプライベートバンクだが、取り巻く環境は厳しい。1990年代に300行を超えていたが、現在は92行に減少。中でも、ライヒムートのように無限責任制を貫くプライベートバンカーは17行から5行に減った。背景には、テロ資金や犯罪収益等のマネーロンダリング(※資金洗浄)や国境を超えた脱税をあぶりだす為、国際的な資金の流れに対する監視が強まったことがある。嘗てスイスでは1934年に施行された銀行法で、顧客情報の第三者への提供が禁じられていた。この為、財産の詳細を知られたくない世界の富裕層がスイスの銀行を利用した。「ナチスの金塊が預けられている」「暗殺者の報酬の振込口座がある」――。小説や映画で増幅されたその秘密主義は神秘性を高め、スイス金融業のブランド確立に一役買った。しかし、2001年のアメリカ同時多発テロ等を背景とした国際的な規制強化で、伝統的なルールの維持は難しくなった。アメリカ政府は2008年、顧客の脱税を幇助した疑いで、スイス最大手の『UBS』を告発。スイス政府はこれを受け、銀行の顧客情報をアメリカに提供した。そうした変化の中で特に影響が大きかったのが、アメリカ当局によるスイスの銀行『ウェゲリン』の告発だ。2002年から2010年にかけ、アメリカの納税情報開示義務を履行していないアメリカ人顧客の口座を開設したとして、アメリカ当局が脱税幇助で告発。ウェゲリンは2013年1月、弁償金や罰金等計5780万ドルを支払うことに合意したが、廃業を決めた。ウェゲリンは1741年設立のスイスでも最古のプライベートバンカーの一つで、この事件をきっかけに、廃業したり業態を変えたりするプライベートバンカーが相次いだ。法的なリスクや訴訟、規制対応のコストは跳ね上がっており、クリストフ氏は「私達は比較的規模が小さいが、規模が大きくなればなるほど経営者個人が負うリスクも大きくなった」と語る。変化を迫られているスイスのプライベートバンク。ただ、数こそ減ったものの、世界的な株高等で、管理する資産の総額は増加傾向にある。「無限責任といったスイス金融業の伝統を守りながら、運用面では風力や太陽光発電分野への投資等、革新性を追求していきたい」。クリストフ氏は、そう話す。
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(欧州総局長)宮川裕章が担当しました。

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