【ソビエト連邦崩壊と今】(06) 中露、カザフスタンを“共謀の舞台”に

「暴徒には警告なしに発砲するよう、治安部隊に命令した」――。ロシアと中国の狭間にある旧ソビエト連邦、中央アジアの資源大国であるカザフスタンのカシムジョマルト・トカエフ大統領(68)は、この一言で“恐怖政権の新指導者”として国際デビューを果たした。ソ連崩壊に伴う建国30年という年明けから突如、世界の耳目を集めたカザフスタン全土の反政府騒乱。トカエフ氏は、これを制圧して「国内の権力闘争に勝利した」とされるが、「決定的役割を果たしたのはカザフスタンに軍を急派したロシアのウラジーミル・プーチン大統領だった」と現地の消息筋は指摘する。カザフスタンを巨大経済圏構想『一帯一路』の要衝と位置付ける中国も、プーチン氏の部隊派遣を強く支持した。軍事同盟宛らに連携を強める中露両国は、中央アジア最大の国カザフスタンに「共謀と共闘の舞台を広げた」(同)ように見える。カザフスタンではソ連崩壊による独立から27年余り、ヌルスルタン・ナザルバエフ氏(81)が大統領の座にあった。同氏は2019年に大統領職をトカエフ氏に譲り、自らは終身の国家安全保障会議議長として院政を敷いた。今回の騒乱は「トカエフ氏追い落としに民衆を巻き込んだクーデター」とみられ、これに気付いたトカエフ氏が反撃に出たと消息筋は分析する。その証左に、ナザルバエフ氏の安保会議議長ポストはトカエフ氏が襲った。ナザルバエフ氏の最側近で“トカエフ大統領の監視”が主任務だったというカリム・マシモフ国家保安委員会(※ソ連時代のKGBに相当)議長は解任され、“国家反逆罪”の容疑で拘束された。
消息筋によると、トカエフ氏は騒乱が発生するや真っ先にプーチン氏に緊急電話して、軍の派遣を懇請。プーチン氏はベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領に電話を入れ、即座にロシア軍を主体とする『集団安全保障条約機構(CSTO)』の2500人規模の平和維持部隊急派を決めた。プーチン氏は2005年春、同じ中央アジアのキルギスで議会選の不正に民衆が立ち上がった『チューリップ革命』や、2020年秋のナゴルノカラバフ自治州を巡るアルメニアとアゼルバイジャンの紛争では、加盟国にCSTOの部隊を送ることがなかった。カザフスタンには何故、同盟軍を派遣したのか。実際の作戦任務でCSTO軍が出動したのは初めてのことだ。消息筋は、こう解説する。「全方位外交が国是のカザフスタンだが、唯一の同盟国扱いはロシアだけで、重要度はナンバーワンだ。中国、アメリカ、EUは“パートナー”に過ぎない。プーチン氏にすれば、キルギスでの革命は兎も角、安全保障と国益の面で死活的に重要なカザフスタンでは、ウクライナで2004年に親露政権を倒したオレンジ革命のような、いわゆるカラー革命は絶対に許せない」。他国から攻撃されたのではなく、カザフスタン国内で民衆が表向きは燃料値上げに反対して起こした騒乱に、CSTO軍が出動した。部隊出動の根拠に、アメリカのジョー・バイデン政権は疑問を呈した。日本在住のウクライナ人国際政治学者、グレンコ・アンドリー氏は「ソ連軍が主力のワルシャワ条約機構軍が1968年8月、チェコスロバキアに侵攻して民主化運動“プラハの春”を戦車で蹂躙した弾圧を彷彿させる」と語る。チェコ侵攻の暴挙に無理矢理理屈付けしたのが、「社会主義圏全体の利益は一つの社会主義国の利益に優先する」としたブレジネフドクトリン(※制限主権論)だ。CSTO軍派遣の根拠は、旧ソ連勢力圏の死守に血眼になっているロシアの“プーチンドクトリン”といったところか。「今回わかったのは、ウズベキスタンの独裁者であるイスラム・カリモフ氏が2016年に死去した際の権力闘争を含め、中央アジアの揉め事の解決で頼りになるのはプーチン氏だけという現実だ」と消息筋は断言する。トカエフ氏は中露双方と太いパイプを持つ。ソ連時代、スパイ養成機関としても知られるモスクワ国際関係大学で中国語を学び、ソ連の外交官となって北京に語学留学した後、1991年のソ連崩壊まで約7年間、北京のソ連大使館に勤務した。1994年以来、二度の計10年に亘って外務大臣を務め、とりわけ中露との幅広い人脈づくりに励んだとされる。プーチン氏にとって、これまではナザルバエフ氏という独裁の大先輩の存在があった。1歳年下で今回の騒乱で大きな貸しをつくったトカエフ政権には、遥かに自由な物言いができる。現在、毎日のようにプーチン氏に電話して指示を仰ぐというトカエフ氏は、その言い回しまでプーチン氏に似てきた。カザフ騒乱始め、旧ソ連各国の反政権運動は「外国勢力の影響を受けたテロリスト」の仕業で「外国で訓練を受けた」等だ。「武力鎮圧はテロリストの完全排除まで続ける」は、プーチン氏がチェチェン戦争に絡んで吐いた「テロリストは便所にいても捕まえてぶっ殺してやる。それで問題は終わりだ」を想起させる。「警告なしに発砲」も、後ろ盾にプーチン氏がいたからこその発言だとグレンコ氏は指摘する。現在、ジェノサイド(※民族大量虐殺)で世界の指弾を浴びる中国の新疆ウイグル自治区は、カザフスタンと1700㎞もの国境で隣接する。中国は1991年12月25日のソ連崩壊から実に2週間足らずで、カザフスタン始め中央アジア5ヵ国全てと電撃的に国交を樹立した。新たな独立国との国境画定が主目的だったが、中央アジアの民族主義や民主化の波が、ウイグルやチベット、内モンゴルの分離・独立運動に影響するのを懸念したことも、関係構築を急いだ理由だった。その懸念が初めて現実味を帯びたのが、今回の騒乱だ。
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