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【誰の味方でもありません】(315) 野次馬精神と暴走する正義

https://www.dailyshincho.jp/article/2023/09280555/?all=1


キャプチャ  2023年9月28日号掲載
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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

【呉座勇一の「問題解決に効く日本史」】(39) 上司を論破しても敵を増やすだけ! 西郷隆盛に学ぶ人望の作り方

上司や同僚との人間関係に悩む社会人は少なくない。しかし、性格や仕事上の方針が合わないからといって、その人間関係を避けるわけにはいかない。どう付き合っていけばいいか。実は西郷隆盛が参考になる。西郷隆盛は薩摩藩の下級武士の家に生まれ、兄弟が多かったこともあり、幼少期には布団も不足する程の貧乏生活を送った。西郷は18歳で藩の役人となる。業務を通じて農民の苦しい生活を知り、農政改革の意見書を藩に提出した。これが藩主の島津斉彬の目に留まり、28歳の時に庭方役に抜擢された。同役は藩主の側近くに仕え、機密事項に与る重要ポストであった。以後、西郷は斉彬の側近として、将軍継嗣問題等の政界工作に従事する。ところが、32歳の時に斉彬が急死してしまう。幕府は一橋派(※一橋慶喜を次期将軍に就けようと画策していた斉彬らの派閥)に対する弾圧を強め(※安政の大獄)、前途を悲観した西郷は鹿児島湾で入水自殺を試みる。蘇生した西郷は、藩の命令により、奄美大島で流島生活を3年程送る。さて鹿児島では、新藩主・島津忠義の実父である島津久光が藩の最高権力者の座に就いた。久光の信任を得た大久保利通は、久光に働きかけ、盟友である西郷隆盛を藩政に復帰させることに成功した。この頃、島津久光は兵を率いて上洛し、幕政改革を行なおうと考えていた。しかし、久光と面会した西郷は、久光の計画は「無謀である」と痛烈に批判する。挙げ句の果てには、久光を“地ゴロ”と呼び捨てたという。地ゴロとは、薩摩の方言で“田舎者”という意味であった。田舎者の久光が京都に行ったところで、幕政改革などできる筈がない、という趣旨の発言だったらしい。

久光が不愉快に思ったことは言うまでもない。嘗ての主君である斉彬を崇拝していた西郷は、久光を斉彬と比較して劣ると見做していたのだろう。そのような久光を軽んじる気持ちが、地ゴロ発言に繋がったのではないか。西郷は更に久光の許可なく大坂に行き、勝手に政治工作を行なった。これを知った久光は激怒し、徳之島、更に沖永良部島への流島を命じた。沖永良部島での流島生活は、粗末な座敷牢に閉じ込められるという過酷なものだった。けれども、沖永良部島での苦難は西郷の人格を磨き、これまでの自分の生き方を反省するきっかけにもなった。薩英戦争に敗れて危機的状況に陥った薩摩藩は、藩の立て直しの為に西郷を呼び戻した。38歳の時である。再度の復帰を果たした西郷は、以前とは別人のようだったという。嘗ての西郷は己の才能を恃んで、誰に対してもズケズケと直言する人間だった。ところが、復帰後の西郷は謙虚で口数少なく、自分の本心を心の奥に隠すようになった。久光に対しても議論をふっかけるようなことはせず、敬意を払った。こうした態度の変化によって、西郷は益々人々から信望を集め、薩摩藩を代表する政治家へと成長していく。西郷隆盛というと、度量の広い大人物のイメージが強い。だが、西郷は生まれながらにそのような人間だったわけではない。寧ろ自分の意見が正しいと思うと、相手を徹底的に論破するような攻撃的・感情的な人間だった。西郷は、自分の激しい性格が失脚に結び付いたことを反省し、人間関係の円滑化の為に意識的に謙虚に振る舞ったのである。結果的にその努力は、明治維新という大仕事の土台形成にも繋がった。近年は論破ブームというものもあったが、上司や同僚をやりこめても敵を増やすだけである。我々は西郷を手本にして、周囲の人間のプライドを傷付けことなく、正しい結論に導く議論の進め方、配慮を身に付けるべきだろう。


呉座勇一(ござ・ゆういち) 歴史学者・信州大学特任助教・『国際日本文化研究センター』機関研究員。1980年、東京都生まれ。東京大学文学部卒。著書に『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)・『頼朝と義時 武家政権の誕生』(講談社現代新書)・『戦国武将、虚像と実像』(角川新書)等。


キャプチャ  2023年9月19・26日号掲載

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

【堀江宏樹の「セックスで読み解く日本史」】(10) 江戸時代の遊女は“パイパン至上主義”

江戸時代の日本では、その人の社会的階層や職業は外見で明らかでした。プロの女性である遊女達が、何本もの笄と呼ばれる鼈甲製の飾りを髪に挿し、素人女性とは隔絶した派手なビジュアルを誇ったのはその為です。自然界では毒のある生き物ほど華やかな風貌をしているのと同様に、遊女達も、男達が気軽に手出しできない空気を纏っていたことでしょう。遊女達は“プロの女性”として、あそこの外見にも拘りました。明治から昭和時代初期の川柳研究者である西原雨が纏めた『川柳吉原志』という書物に、“十本程 額へ残す てんや者”・“小綺麗に 毛を引いておく てんや者”等の句が収録されています。「以下の数句は遊女の風俗史上省くべからざるものとして採録し置きたるも、説明は省略しておく」という説明がついていますが、これだけだと現代人には何の意味かもわからないでしょう。先ず、この句に出てくる“てんや者”とは、現代では“出前されてくる飲食物”を指しますが、嘗ては“プロの女性”を指しました。つまり、遊女です。遊女達が“額へ残す”とか“毛を引いておく”のは、髪ではなく陰毛の話で、商売道具であるあそこの見た目を気にする遊女達は、陰毛は殆ど全部抜いて外見を整えていたようです。勿論、陰毛が長く、密集し過ぎていると、男性のあそこに絡みつき、“毛切れ”という怪我をさせるからという配慮もあったでしょうが、毛がないほうが男性客のペニスが女性器に出たり入ったりするさまが丸見えだから、それで楽しませたいというプロ意識の反映だったと考えられます。

江戸時代は男女混浴の銭湯で、素人女性も大っぴらに陰毛ケアを行なっていました。これは男女共に行なうので、銭湯には専用の毛切り石が置いてあった程です。“下刈り”・“摘草”・“毛引き”等と多彩な表現があることから、ごく一般的な行為だったことが推測されますが、やはり素人は痛いのが嫌だから、抜くのではなく剃るのですね。その一方で、ツルツルになるまで毛を抜くのがプロ仕様のあそこです。川柳にも“吉原の 土手通るほど 草を抜き”・“売り物は 草をむしって 洗う鉢”等とあります。あそこが(ほぼ)無毛であるべきというルールが遊女達に根付いた時期は不明ですが、中国文化が与えた影響は無視できません。唐代の詩人である白行簡(※白居易の弟)が天と地、陰と陽の交歓を、男女の性行為で表現した詩において、「亦タ出ルヲ看、入ルヲ看ル」等と態と目的語を省いていますが、これは女性器に出し入れされるペニスが丸見えの状態――つまりパイパンの女性器との性交を指すのでしょう。ここから転じて、唐文化を重んじた平安時代の日本に“パイパン至上主義”が定着していたとしてもおかしくはないと考えられるのです。因みに、この白行簡の詩、シルクロードの名所である敦煌・千仏洞の内部にこっそり書かれていたのを、フランス人探検家のポール・ユジェーヌ・ペリオに発見されたものです。今日では「寺院に性描写の漢詩!?」と思ってしまいますが、昔は寺院だからこそ、という感覚でしょう。性器には魔除けの呪力があり、寺の壁や仏像の礎石にその絵等を入れることは、中国や日本では罰当たりな行為どころか、信仰心の表れでした。江戸時代の吉原でも、客が全然来ない不運の日は悪い空気を断ち切る為、遊女達は店の外に出て着物の前を捲り、あそこを丸出しにして開運のまじないとしたそうですが、ある種の客引きにもなっていたことでしょう。


堀江宏樹(ほりえ・ひろき) 作家・歴史エッセイスト。1977年、大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒。日本・世界を問わず、歴史の面白さを拾い上げる作風で幅広いファン層を持つ。著書に『乙女の日本史』シリーズ(KADOKAWA)・『眠れなくなるほど怖い世界史』『愛と欲望の世界史』『本当は怖い日本史』(三笠書房)・『偉人の年収』(イーストプレス)等。


キャプチャ  2023年8月号掲載

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

【村西とおるの「全裸で出直せ!」】(215) 悪を逃げ切れると思う勿れ…お天道様は必ず見ている、裁きを受ける

藤島ジュリー景子社長が記者会見で社長を辞任することを明らかにしました。新社長には、嘗てジュニア達の目の前の皿に自分の剥き出しの性器を乗せて「僕のソーセージを食え」との武勇伝を暴露された、東山紀之さまが就かれました。会見上、「ジャニー喜多川のやったことは鬼畜の所業」とまで述べられたのですが、これから先、被害者に“いつ、いくら”といった具体的な話をすることはなく、「只のガス抜きで、時間稼ぎではなかったか」と被害者達を落胆させたのでございます。これまで通り、『ジャニーズ事務所』の名前を冠することを明らかにしたことで、被害者の中からは「忌わしい名前をまた聞くことになり、セカンドレイプを受けているようなも」「大久保清や小平義雄の如き名前を引き続き使うなんて無神経過ぎる」との批判の声が上がったのです。が、今回ジャニーズ事務所が“解体的出直し”を迫られたのは、反省したからではありません。“追い詰められた”からです。大手の幾つかの企業は「人権尊重の観点から如何なるハラスメントも認めない」として、今後、ジャニーズ事務所のタレントをCMに起用しないと発表しました。こうしたことが他の企業やテレビ局に波及することを恐れ、先手を打った記者会見であったのでした。「タレントには罪はない」との方便では許されない程に追い詰められた挙げ句、加害を認めての謝罪と、ジュリー景子社長の辞任であったのです。

しかし、問題の本質はジャニー喜多川氏による性加害のみではありません。そうした問題があることを認識しながら、その問題に蓋をして、変わらずジャニーズのタレントを起用したメディアの“報道しない自由”があります。特に“皆さまのNHK”は、国民に高額な受信料を求めながら、ジャニーズ事務所の組織ぐるみの隠蔽を黙認してきたのです。「視聴者が望む限り、人気のタレントを躊躇なく起用する」と、社会的に問題を起こした芸能事務所との取り引きを、これから先も続けるべきではありません。ファンが望むなら、どれほどの反社会的事務所でも所属タレントを出演させるのか、ということです。NHKは今後、少なくとも総資産数百億円、年商1000億円と言われるジャニーズ事務所が具体的に被害者への補償や救済を行なうまでは、ジャニーズ事務所のタレントを出演させることを控えるべきです。1000人を超えると言われる膨大な被害者の救済を行なわず、「第三者委員会に委ねる」等とお為ごかしを言っているうちは、一線を画さなければいけません。また、そうした厳しい態度を取ることで、「日本のテレビメディアは性犯罪に関心がない」の汚名を天下に晴らすことができるのです。


村西とおる(むらにし・とおる) AV監督。本名は草野博美。1948年、福島県生まれ。高校卒業後に上京し、水商売や英会話教材のセールスマン等を経て裏本の制作・販売を展開。1984年からAV監督に転身。これまで3000本の作品を世に送り出し、“昭和最後のエロ事師”を自任。著書に『村西とおるの閻魔帳 “人生は喜ばせごっこ”でございます。』(コスモの本)・『村西とおる監督の“大人の相談室”』(サプライズBOOK)等。


キャプチャ  2023年9月28日号掲載

テーマ : ジャニーズ
ジャンル : アイドル・芸能

【高市早苗の月刊国会レポート】(16) サプライチェーン強靭化が進行中



相次ぐ豪雨や台風による深刻な被害、アメリカではハワイの大火等、自然の脅威に苦しんだ方々が多かった夏でした。今月も、改めて被災者の皆様にお見舞いを申し上げます。やはり、相当な規模とスピード感を持って防災対策を進めなければ、かけがえのない命を守り抜けないという焦燥感で一杯です。内閣改造等人事が近いと言われている時期ですが、本稿執筆時点の経済安全保障担当大臣の立場で、現状報告をさせていただきますね。皆様も、最近は新聞等各種メディアで“経済安全保障”という用語を頻繁に目にしておられることだと思います。実は、日本の法律の中に“経済安全保障とは○○だ”と定義したものはないのですが、“経済活動に関して行なわれる国家及び国民の安全を害する行為を未然に防止すること”だと考えていただいたらいいと思います。令和2年1月に新型コロナウイルス感染症が国内で確認されて以降、私達は日本のサプライチェーンの脆弱性に愕然としましたね。また、安全保障上機微な技術の懸念国への流出疑惑、電気・ガス・水道等基幹インフラ事業者へのサイバー攻撃の不安等、様々なリスクを懸念していました。そこで自民党は、一昨年10月の衆議院選挙の政権公約に「経済安全保障推進法(※仮称)を策定します」と記しました。昨年5月には経済安全保障推進法が成立し、公布されました。この法律では4つの新制度が創設され、必要な準備を進めて、順次、施行されてきました。

①重要物資の安定的な供給の確保に関する制度(※サプライチェーンの強靭化)…昨年8月施行
②先端的な重要技術の開発支援に関する制度(※デュアルユースとされるものを含む先端的な重要技術の研究開発促進と社会実装を産官で目指す)…昨年8月施行
③基幹インフラ役務の安定的な提供の確保に関する制度(※基幹インフラへのサイバー攻撃等、役務の安定的提供を妨害する行為を防止する為、重要設備の導入や維持管理の委託について国が事前審査をする)…今年4月施行・来春に本格運用予定
④特許出願の非公開に関する制度(※安全保障上機微な発明の特許出願につき、特許法上の権利を得られるように保全指定をして公開を留保し、外国出願を制限。G20で制度がないのは日本、メキシコ、アルゼンチンのみ)…今年4月施行・来春に本格運用予定

昨年8月10日に経済安全保障担当大臣に就任して以来、各府省庁が取り組む経済安全保障施策の司令塔・調整役として、働いてきました。以来、4つの新制度の中で目に見えて進展したのは、“重要物資の安定的な供給の確保に関する制度”です。これは、国民の皆様の生存、国民生活や経済活動に不可欠な物資が供給途絶しないように、重点的にこれを確保する為の方策を講じていく“サプライチェーンの強靭化”に資する制度です。昨年9月に、各省庁にお願いをしてサプライチェーン調査を実施していただきました。つまり、供給途絶の蓋然性が高い物資や、今は日本国内で作っているけれども十分な生産能力を持っていない為に国内の需要を満たしていない物資等です。また、中国等による活発な企業買収によって他国企業の競争力が高くなり、日本企業の世界市場でのシェアが落ちていくことで、将来の事業継続性に問題が出てきそうな分野もあります。色々なパターンがありましたが、昨年12月には“特定重要物資”として11物資を政令(※閣議決定が必要)で指定しました。これに対して、令和4年度補正予算で1兆358億円の予算を措置し、今年から生産基盤の整備・供給源の多様化・備蓄・生産技術開発・代替物資開発等に、自発的に取り組んで下さる認定事業者を国が支援する取組が始まりました。11の特定重要物資を所管する経済産業省、厚生労働省、農林水産省、国土交通省の大臣が取組方針を策定し、民間事業者が“安定供給確保の為の取組に関する計画”を作成します。所管大臣から認定を受けた認定供給確保事業者は、助成金や利子補給、ツーステップローン等の支援を受けることができます。本稿執筆日までに、経済産業省所管では半導体(※原料を含む)16件、蓄電池15件、クラウドプログラム3件、工作機械5件が、国土交通省所管では船舶部品7件が、農林水産省所管では肥料5件が、厚生労働省所管では抗菌性物質製剤2件が認定されました。合計53件が動き始めています。圧倒的に経済産業省案件が多いので、西村康稔大臣は大車輪で頑張って下さっています。この他、特定重要物資に指定したのは天然ガス・永久磁石・重要鉱物・航空機部品です。順次、取組が始まっていくと思います。私達は、どのようなリスクに直面しているのでしょうか。昨年9月のサプライチェーン調査の結果と特定重要物資指定に至った理由を、幾つか書いておきます。例えば、命に関わる物資として指定をしたのは抗菌性物質製剤です。βラクタム系抗菌薬は注射用に使われるものですが、原材料のほぼ100%を中国に依存していました。過去に原薬の供給途絶が起きたことがあり、手術を延期する事態になりました。供給正常化までには、約1年を要しました。今後、母核も含めて原材料から国内で作る、研究開発もする、日本に製造ラインも作るといった取組が必要です。半導体は、海外依存度が79%でした。昔は、日本は半導体に強いというイメージがありました。今でも種別に見ると強い分野ではあるのですが、より高度な、これから絶対に必要になってくる半導体もあります。エアコン、自動車、鉄道、情報通信機器等、私達に身近な分野で使われますので、できるだけ国内調達をしていくべきだということで、指定をしました。

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テーマ : 政治家
ジャンル : 政治・経済

【西村博之の「相手にYESと言わせる話術」】(49) 「無駄遣いできる毎月の額を決めておこう」

人間は野生動物と違って文化的な生活をする生き物です。文化的な生活というのは、基本、生きる為以外にもお金と時間を無駄にすることになるわけなので、「必要のないものを買うことが悪いことなのか?」と言われたら、そんなこともないかと思うのですね。自分にとっては無駄でも、相手にとってはストレス発散に繋がっていることなんて山ほどあります。例えば、僕はゲームをします。ゲームが仕事に繋がるパターンがあるとはいえ、趣味でゲームをやっていることが殆どなので、それを「時間とお金の無駄である」と言われたら「そりゃそうだよね」としか言えません。ただ、それを取り上げられるというのは酷というもの。同じようにストレス発散で買い物をする人に対して、「本当に必要なもの?」と言えば相手はイラッとしますし、それが原因で別の問題が引き起こされる可能性もあります。抑も、無駄遣いにモヤモヤするのは、家計からお金が出ていくからです。其々働いているカップルが自分の給料で好きなものを買ったとしても、そこまで嫌だと思う人は少ない筈です。そう考えると、細かい買い物での散財が問題なのではなく、散財の額が問題。だから、「これ買ってもいい?」と聞かれた時、「お互い、毎月無駄遣いできる額を決めておいたほうがいいかもね。僕も○○買ったし」と提案してみるのがいいと思うのですね。ただ、提案するタイミングも大事です。「これ買ってもいい?」と聞かれた時には2パターンがあります。相手がどうしても欲しいものを聞いてきている時と、相手自身も“必要ない”と薄々感じている時です。前者のタイミングで提案するとイラッとされるので、後者のタイミングを見計らって提案したほうが納得してもらい易いです。んで、一旦ルールが決まれば、「これ買ってもいい?」と聞かれても「範囲内ならいいのでは?」で済みます。というか、ルールさえ決めておけば聞かれることも減ります。何に使っているのか聞かないほうが精神衛生上よかったりもしますし、抑も“買うべきかどうか”の精査をするのが時間の無駄ですから。但し、範囲額内でも、例えば刺青を入れるとか、購入後に元に戻らないような実害が出ることの場合は事前に止めたほうがいいので、そのあたりの共通認識を持っておく必要はあるかと思いますが。 (聞き手・構成/編集プロダクション『ミドルマン』 杉原光徳)


西村博之(にしむら・ひろゆき) 英語圏最大のインターネット掲示板『4chan』管理人・『2ちゃんねる』創設者・『東京プラス株式会社』代表取締役・『未来検索ブラジル』取締役。1976年、神奈川県生まれ。中央大学文学部教育学科卒。『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』(扶桑社新書)・『論破力』(朝日新書)・『自分は自分、バカはバカ』(SBクリエイティブ)等著書多数。


キャプチャ  2023年9月19・26日号掲載

テーマ : 夫婦生活
ジャンル : 結婚・家庭生活

【岩崎う大の「シン・お笑い論」】(12) 岩崎家、オーストラリアへ移住



中学3年の夏休みを前に、岩崎家はオーストラリアのパースという街に引っ越すことになる。日本を離れる時につらかったのは、当時夢中になっていた『週刊少年ジャンプ』と、『ダウンタウン』の番組が観られなくなることだったのを憶えている。そこから3年間、殆ど日本の文化に触れることができなくなり、代わりにオージーの空気を吸い続けたわけで、これは勿論、僕という人間、そして芸人としての僕を形成するのに大きな影響があった筈だ。僕が日本で高校3年間を過ごしていたら、もうちょっと健やかにお笑いの才能を伸ばしていたかもしれないし、ねじくれ過ぎて表舞台に現れることはなかったかもしれない。兎に角、僕は3年間をオーストラリアで過ごすことになった。先ず、英語で喋るということに対して、凄く恥ずかしかった。思春期真っ只中な上、元来シャイな僕にとって、英語でコミュニケーションをとるというのは非常にハードルが高かった。英語を習得する為にホームステイをしたこともあった。僕を迎え入れてくれたのは、大学生ぐらいの息子が2人いる白人の家庭で、長男は眠そうな顔をしたガールフレンドをしょっちゅう家に連れてきていたのだが、このカップルは僕が存在しないかのように振る舞っていた。次男のほうは誰がどう見ても不良で、ロン毛にボロボロのバンドTシャツだったが、凄く優しい目をしていて、ホームステイ初日に「音楽は好きか?」と言って、ラジカセを部屋に持ってきてくれた。でも、僕は音楽に興味がなかった。申し訳ないので適当なラジオ局に合わせて、暫く部屋に音を流していた。またある時は、彼が突然部屋にやって来て、「煙草を吸おう」と誘ってくれた。ついていくと、屋根の上に登らされ、そこには柄の悪い役をやる時のブラッド・ピットみたいな髭の人と、これまた“ザ・不良少女”という感じのパンクガールがいた。対する僕は、アジア人の眼鏡チビ。2人は本当に異文化交流という感じで色々質問してくれたが、僕の拙い英語力のせいで、会話は盛り上がらなかった。

しかし、2人とも長男のカップルにはない温かみを持っていた。「もっと仲良くなれたらいいなぁ」と思いながらも、英語を喋れない自分が彼らの時間を退屈なものにしているのもわかった。更に、僕の想像力が暴走してしまい、「この優しい人達が、ひょんなことから僕を集団でリンチし始める未来も高い確率であり得るぞ」と思ってしまった。そう思うと、そんな映画があった気さえしてきた。それが伝わったのか、あの日以来、誘われることはなった。それから、現地の高校に入学することになって、寄宿舎に移った。伝統ある学校で、立派な教会があった。学期途中に編入する形で、事務所でテキストを貰った。偶々一番上にあった“RELIGION(宗教)”と書かれた教科書を見た時に、「絶対大変じゃん…」と絶望的な気持ちになった。依然として英語には全く自信がなかった。その高校は、大学のように科目によって教室が替わるシステムだった。その初日。僕が生物学の教室の前で待っていると、教室から出てきたアボリジニの少年が、僕に向かって「お前はアジア人か?」と聞いてきた。僕は英語が聞き取れたことが嬉しくて、「うん」と答えると、周りの生徒達が笑い始めた。周りからしたら「どう見たってアジア人だろ」という笑いだったのだろう。自分で自分が気の毒になった。その笑いの構造に気付かず、後れをとったことも悔しかった。「いや、俺はアボリジニだよ」と返していたらどうなったんだろう? そんなことが頭の中をぐるぐると回った。次の授業は数学だった。そこで僕は、ジャッキーという中国系マレーシア人と出会う。ジャッキーは僕を見るなり、凄い笑顔と凄い訛りのある英語で「どこ出身だ?」と聞いてきた。僕が「日本だ」と答えると、肩を抱いて「OK! OK! フレンド! メーン!」と言ってくれた。これが僕をどれだけ救ってくれたことか。ジャッキーには本当に感謝している。彼は「アジア人は皆友達だ。オーストラリア人は皆クソだよ」と、カレーパンマンに似た可愛らしい顔を歪めて笑った。この学校には、母国語が英語でない生徒の為の英語クラス(※ESL)があった。ESLのクラスの皆は本当に優しくて、異国で生きるマイノリティーとしての連帯感があったのだろうか、中々の絆で結ばれていたと思う。その代わり、普通のオーストラリア人の生徒達と仲良くなるのは難しかった。

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テーマ : お笑い芸人
ジャンル : お笑い

【宇垣美里の漫画党宣言!】(105) 着物の和洋折衷アレンジにうっとり

我こそは着道楽。どこに着て行くのか悩んでしまうようなインパクトのあるトンチキファッションをこよなく愛している。ところが、30を過ぎたあたりから周りの同好の士が次々とある沼へとハマっていった。着物である。視界の端にちらちらと映るそれらは、あまりに個性的且つ魅力的ながら面倒臭そうでもあり、二の足を踏んでいたのだが…。『爛漫ドレスコードレス』を読んでから、もう『インスタグラム』を検索する手が止まらない! わ、私も着物が着たい!! お店で偶然見かけたチンアナゴ柄の帯に一目惚れした山田撫子は、勢いのままに浴衣とセットで購入。早速、花火大会へ和装で向かうものの、少し歩いただけで浴衣が着崩れ、慣れない下駄に靴擦れし、もうヨレヨレの状態に。すっかり落ち込んでしまった撫子だったが、浴衣にベルトとサンダルを合わせた粋な女性・鷹倉響に助けられる。後日、響と再会した撫子は、思い切って「浴衣で一緒にお出かけしませんか?」と声をかけるのだった。もう全てのページが「おしゃれ!」「可愛い!」の大洪水。伝統的な着こなしも憧れるけど、和洋折衷なアレンジコーデの数々にもうっとりが止まらない。登場人物毎に着こなしに個性があり、更には鎌倉へのお出かけや観劇用推しコーデ等、和装する機会もバリエーション豊かで、「私ならこの着方をしてみたいなぁ」「ここにお出かけしたいなぁ」なんてどんどん欲が湧いてくる。ファッションが好きな人にとっては、それだけでもう夢中になれる作品だ。

何より、どんどん着物にはまっていく撫子の好きのパワーが眩しく、その姿は純粋に何かが好きで、それに夢中になっている時のわくわく感を思い出させてくれる。上級者の嫌味や素人だと足元をみて高額なものを強引に売ろうとしてくる呉服屋等、時にトラブルに遭いながらも、より自由に着物を楽しまんとする撫子。呉服屋の跡取り、誠次郎に何故態々和装を選ぶのかと問われ、撫子が答えた「そんなのかわいいからですよ」のセリフに胸打たれた。そうだよね、それが全てだ。読んでいて着物が着たくなるのは勿論、新しい何かに挑戦してみたくなること間違いなし。洋服を和装に取り入れて楽しむ響や、着物への愛と呉服屋の伝統の板挟みになっている誠次郎、自宅でこっそりフリフリレースの着物を楽しむさゆりさん等、着物への様々な価値観に触れ、其々の着こなしや楽しみ方、更に和装業界の売る側の苦悩にも寄り添っていて、着物を愛する人を誰一人取りこぼさない内容となっている。自由に着物を楽しむことを大前提にしつつも、初心者の撫子に寄り添った響達によって、着物の魅力や豆知識が沢山作中に登場し、着物のルールについても教えてくれるから、読めば勝手にどんどん知識がついてくる。基本的にはコメディータッチで、撫子を中心に繰り広げられるテンポの良い掛け合いは漫画としても面白く、何度読み返してもおいしい。実は、学生時代のアルバイト先の制服が着物だった私、一応着付けもできる。そう、あとはもう一歩踏み出すだけなのだ…。着物の沼から私を呼ぶ声がする。実家にある着物道具一式、送ってもらおうかな。目指すはバキバキに尖った和洋折衷推しコーデ! 私も着物友達を作ってお出かけしたいなぁ。


宇垣美里(うがき・みさと) フリーアナウンサー。1991年、兵庫県生まれ。同志社大学政策学部卒業後、『TBS』に入社。『スーパーサッカーJ+』や『あさチャン!』等を担当。2019年4月からフリーに。著書に『風をたべる』(集英社)・『宇垣美里のコスメ愛』(小学館)・『愛しのショコラ』(KADOKAWA)。近著に『風をたべる2』(集英社)。


キャプチャ  2023年9月21日号掲載

テーマ : 漫画
ジャンル : アニメ・コミック

【劇場漫才師の流儀】(277) “息”は“自分の心”

この前、西川きよし師匠の出番を楽屋のモニターで聴いていたら、明らかに喉の調子が悪そうでね。いつも聴いているので、ちょっとでも元気がなかったりすると直ぐわかるんですよ。その直後、きよし師匠に楽屋ロビーで会った時に「良い薬があるんですけど、飲まれますか?」って聞いたんです。そうしたら、既に6種類ぐらいの薬を持ってはりました。丁度病院に行ってきたばっかりだったそうです。僕は、いつもお世話になっている耳鼻咽喉科で2種類の薬を貰っているんです。ひとつは喉の炎症を抑える薬で、もうひとつは痰を切る薬です。一応、「いざという時に飲んで下さい」って小さなステロイドの薬も持っています。漫才師で、本番の直前に急に声が出なくなってしまったって話を偶に聞いたりしますが、そういう時の為の薬なんでしょうね。でもありがたいことに、未だ一度も飲んだことがありません。僕も相方の阪神君も、喉が強くてね。好不調はありますけど、全く声が出なくなってしまったということは一度もないんです。喉の薬も、僕は漫才の時より、歌を歌う時に飲むんです。前日の朝晩と、本番の日の朝と昼に薬を飲んでおくと、声の出方が全然違うんですよ。一度、珍しく阪神君の喉の調子がちょっと悪い時があってね。耳鼻咽喉科の先生に診てもらったら、「こんなに荒れていてよく声が出ますね」って驚かれたそうです(笑)。

漫才師に比べると、俳優さんとかはやっぱり喉に凄く気を使っているみたいですね。周りに迷惑をかけてしまうじゃないですか。歌手の方も、物凄くケアをしっかりしていますよね。ただ、僕が見聞きする限り、殆どの漫才師は何もしていませんね。悪くなってから病院に行くくらいで。恐らく、声を張る仕事をしている人で、こんなに喉のケアに無頓着な人種はいないのではないでしょうか。迷惑をかけるといっても相方にだけなので、どこか気楽なんですかね。あっ、お客さんにも迷惑かかります…(笑)。喉に関しては、年を重ねて声が出難くなったみたいなことはあまり感じませんね。ただ、滑舌は昔のほうが数段よかったな。昔のビデオを見ると、ようこんな速く喋れるなって思いますもん。あと、不思議なんですけど、漫才をやっていてちょっと喉の調子が悪いなと思っても、歌ったら全然いけてるやんということがあるんですよ。恐らく、漫才と歌では声帯の使う場所が違うんでしょうね。やしきたかじんが良い例ですよね。喋っているときはガラガラ声なのに、歌うと透き通った痺れる声になるじゃないですか。僕の知り合いの歌い手さんで、呼吸法や発声法の大切さを説いていて大人気の人がいるんです。その人は、「人生で一番大事なのは息」と言わはります。というのも、息って“自分の心”って書くじゃないですか。“息”と“声”と“間”で生きてきた自分には、わかる気がするんです。 (聞き手・構成/ノンフィクションライター 中村計)


オール巨人(おーる・きょじん) 漫才コンビ『オール阪神・巨人』のボケ担当。1951年、大阪府生まれ。大阪商業高校卒業後、1974年7月に『吉本新喜劇』の岡八朗に弟子入り。翌1975年4月に素人演芸番組の常連だったオール阪神とコンビを結成。正統派漫才師として不動の地位を保つ。著書に『師弟 吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年』・『さいなら!C型肝炎 漫才師として舞台に立ちながら、治療に挑んだ500日の記録』(ワニブックス)。近著に『漫才論 僕が出会った素晴らしき芸人たち』(ヨシモトブックス)。


テーマ : お笑い芸人
ジャンル : お笑い

【安田理央の「アダルトカルチャーの今と未来」】(48) “余所者”と“若い女性”が支えるストリップ劇場

店舗が火災事故に見舞われてしまい、現在、修繕費用のクラウドファンディングを実施中の『わらびミニ劇場』は、“日本で一番小さいストリップ劇場”と言われるコンパクトな劇場です。その歴史は50年以上という老舗ですが、オープン時は全国に数百軒もあったストリップ劇場が、今では僅か18軒にまで減少しました。「お客さんが減ったというのも勿論ありますけれど、更新に関する問題で廃業を余儀なくされている劇場も多いみたいです。風営法の関係で、移転も難しいですしね」。そう語るのは、わらびミニ劇場の岡野毅代表です。「私がこの業界に入った1990年代初頭は、もうストリップの黄金時代は過ぎていましたけど、それなりにお客さんは入っていました。最初は新宿の劇場で働いていたので、外国人のツアー客が多かったのを覚えています」。岡野氏は12年前にわらびミニ劇場の代表となりました。「うちは夜よりも昼のほうが、お客さんが多いんですよ。高齢者がメインだから。蕨の繁華街からも外れているから、飲んだ勢いで来るという客は殆どいません。夜は家に帰る人しか、こっちのほうを通らないんですよ(笑)」。地元に愛されている小さな劇場というイメージを抱きがちですが、実際は地元の客はあまりいないそうです。

「蕨って小さな街だから、地元の人は入り難いんじゃないかな。他の街から来る人が多いから、電車が止まったりすると商売上がったりです(笑)」。高年齢化が進み切ってしまったように見えるストリップ業界ですが、最近目立っているのが女性客です。2020年に『女の子のためのストリップ劇場入門』(※著・菜央こりん、講談社)という漫画が話題になりましたが、ストリップにはまる女性が増えているようなのです。「浅草ロック座や渋谷道頓堀劇場なんかは女性客が凄く多いですね。うちなんかでも随分増えました。彼女達は、お目当ての踊り子を追いかけて来るみたいだけど、うちは小さいから、踊り子との距離がめちゃめちゃ近いのに驚いていました」。女性客は20~30代が多いのですが、その一方で中々増えないのが若い男性客です。「今の若い男性は草食系男子とかいうから、風俗とかで実際に触れ合うよりも、裸を見るだけのほうがよかったりするんじゃないかと思うんですよ。そういう意味じゃ、一度見に来てもらえれば、ストリップも気に入ってくれるのでは」。現在のストリップ業界においての最重要課題は、若い男性客の確保なのかもしれません。ただ一方で今、若くて新しい踊り子が次々とデビューしているようです。次回は、新人の踊り子さんに、何故今、ストリップの世界に足を踏み入れようと思ったのか、じっくり話を聞いてみたいと思います。


安田理央(やすだ・りお) フリーライター。1967年、埼玉県生まれ。雑誌編集者やコピーライターを経て、1994年からフリーに。著書に『AV女優、のち』(角川新書)・『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(イーストプレス)等。近著に『日本AV全史』(ケンエレブックス)。


キャプチャ  2023年10月2日号掲載

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