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【息子は3歳!還暦パパの“異次元”子育て】(05) タブレットがやってきた! AIと共存、人間力どう発揮?

https://www.sankei.com/article/20230807-BHIMP5M2GBNCLOWQCPDDVEOGJE/


キャプチャ  2023年8月7日付掲載
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テーマ : パパ育児日記。
ジャンル : 育児

【少子化・私のリアル】第1部・親になるって大変ですか?(下) 読者からの反響

20231129 03
子育て世代の悩みや喜び等リアルな声を聞く本連載に、メールや郵送で多くの感想や体験談が寄せられた。紙面では、2人目も欲しいが再就職も諦めきれず悩む大阪府の母親(32)や、9ヵ月の育児休業を経て仕事への考え方が変わった東京都の父親(38)ら8人の体験を紹介。読者の声も、子育てに感じるモヤモヤや仕事との両立の悩みが目立った。熊本県の自営業、小林律子さん(45)は高校3年の息子、中学3年の娘がいる。記事を読み、息子が生まれた当時の気持ちが甦ったそう。友達は旅行や飲み会で楽しむ中、世間から取り残された気がしていた。「可愛い筈の我が子を可愛いと思えず、自己嫌悪。『こんなお母さんでごめん』と泣いていました」。小林さんは、同じ年頃の子を持つ母親達に励まされてきた。「コロナ禍でママ同士の交流がないと、自分の時間だけ止まっているように感じるのかも。止まっているのではなく充電してるんだと思えば、自分らしく子育てできると思います」と寄せた。東京都の会社員、染谷俊介さん(40)は息子(1)の誕生後、半年間の育休を妻(41)と共に取得した。育休前に職場で挨拶すると「半年も休めて羨ましい」と言われたが、実際は数時間おきの授乳やおむつ替えで、仕事より大変だった。片時も目を離せず、達成感もなかったという。妻と交代で休日を作り、乗り切った。だが、育休中はボーナスはゼロ。退職金の予定額も減った。「今の制度だと、キャリアと収入の両面で不利益を被る。育児は幸せな時間だが、これでは積極的に子供を産もうとは思わない。我が家も2人目は考えられない」。大阪府の会社員、岸村元さん(38)は共働きの妻との育児の分担に悩む。仕事で帰宅が遅くなった時、妻に「いいわね、残業できて」と言われ、それを時短で働く同僚女性に伝えたら、女性には「私も夫にそう思っている」と言われたそう。自分が子供の為に仕事を休めば、その分、休日出勤する必要が出てくる。男性の長時間労働のせいで女性に負担が偏っていることはわかるものの、「それを自身の問題としてどう引き受けたらいいのかが悩み」だという。子育てが一段落した親からは、エールの声も。大阪府の主婦、水谷佳子さん(48)は大学生の3人の子を持つ。子育てを大変だと思ったことは殆どなく、「子供を育てさせてもらえてありがたい」という気持ちだった。「自分の子供を精いっぱい愛してあげて下さい。子供といられるのは人生のほんの一部の時間です。子供は宝。そんな子供に寄り添える時期を、どうぞ大切にして下さい」と結んだ。


キャプチャ  2023年5月31日付掲載

テーマ : 社会ニュース
ジャンル : ニュース

【少子化・私のリアル】第1部・親になるって大変ですか?(中) 「命を守りながら気を張っている」――古坂大魔王さん(芸人)インタビュー

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長女(4)が生まれた時は、月の半分は仕事で海外にいるような生活だった。夜泣きが酷かったらしいけれど、覚えていない。一緒に寝ていても起きなかったから。一番好きな人との間に子供が生まれ、最高に幸せな家庭の形ができた筈なのに、仕事を一生懸命するほど家庭が不幸になっていく感じだった。妻は仕事をしたいけど、我慢していた。両親も高齢だったり、亡くなっていたりして頼れない。次女(2)が生まれたタイミングで、妻と話し合い、2週間の育休を取った。世間からは「そんなに短くては意味がない」とも言われた。しかし、この2週間は集中して育児を学ぶ為の免許合宿のようなものだと考えた。その時にしかできない経験だった。2人目なのに、知らないことだらけ。「子供ってこんなに抱っこしないといけないんだ」とか、「真剣に話すと意外に伝わるんだ」とか――。育休を取ったから、その後の育児が楽になった。次女も夜泣きが酷く、毎晩3回くらいは起きて、寝付くまで抱っこした。今、妻が入院しても子供の面倒を見られると思う。育休を取る前だったらお手上げだったかもしれない。育休後も仕事をセーブしている。2人の育児より仕事のほうが10倍楽だと思うけど、今、僕が育児をやらないと妻が倒れてしまう。それくらい大変。「育児をしてよかった」と思うのは、1週間で5秒くらい。命を守りながら、ずっと気を張っている。でも、子供は寝たら天使のよう。妻と、その日の子供達の写真や動画を見るのが楽しみ。この瞬間に、子供がいてよかったと感じる。これって登山に近い。登頂まではつらく、頂上に着いてやっと「登ってよかった」。で、下りるのがまたつらい。そして下山してから振り返り、「良い景色だったなぁ」と。これからは、子供が一人で寝るとか、彼氏ができたとか、寂しさが出てくるかもしれない。でもきっと、その寂しさも最高に楽しいんじゃないですかね。 (聞き手/生活部 加藤亮)


キャプチャ  2023年5月13日付掲載

テーマ : 社会ニュース
ジャンル : ニュース

【少子化・私のリアル】第1部・親になるって大変ですか?(上) 育児も仕事も…これってわがまま?

https://www.yomiuri.co.jp/life/kosodate/20230511-OYT1T50117/
https://www.yomiuri.co.jp/life/kosodate/20230510-OYT1T50178/


キャプチャ  2023年5月12日付掲載

テーマ : 社会ニュース
ジャンル : ニュース

【どうなる!?日本の宗教】(09) LGBTQは“精神疾患”!? 神政連の呆れた内部文書

20231127 08
『神社本庁』の政治団体『神道政治連盟(神政連)』は、主に自民党の政策や政権公約に対し、自らの政治信条や価値観を反映させるのが目的だ。ホームページでは次のように述べる。「戦後の日本は、経済的にめざましい発展を遂げた一方、個人と公共心とのバランスを欠いた、行き過ぎた個人主義が引き起こした事件が数多く見られるようになりました。神政連は、日本らしさ、日本人らしさを回復し、私たちが生まれたこの国に自信と誇りを持つことができるよう、神道の精神に基づいて憲法改正などさまざまな運動に取り組んでいます」。コアな保守層が支持基盤なだけに、伝統的な家族観を重視する。夫婦別姓には反対で、LGBTQ(※性的少数者)の権利擁護には一貫して消極的だ。宗教界において反LGBTQの点では、『世界平和統一家庭連合』(※旧統一教会)と並ぶ存在である。昨年6~7月、神政連はLGBTQを巡って社会から大きな反発を受けた。問題となったのは、神政連国会議員懇談会(※6月に開催)で配付された『夫婦別姓 同性婚 パートナーシップ LGBT』と題した冊子。そこに掲載された弘前学院大学の楊尚眞教授(※今年1月死去)の講演録が、LGBTQへの偏見に満ちていたからだ。講演録では同性愛について、「後天的な精神の障害、または依存症」「同性愛行為の快感レベルが高くてなかなか抜け出すことができないのは、ギャンブル依存症の人が沢山儲けた時の快感を忘れられず、抜け出せないのと同じなのです」等と記されていた。講演録が公になると、LGBTQ当事者を中心とした自民党への抗議署名は5万筆を超え、一般社会からもLGBTQへの無理解に批判が集まった。

神政連はこの時、本誌の取材に対し、「神道には性的マイノリティーと言われる方々の存在を否定する考え方はない」とした上で、「抗議は冊子自体に対するものではなく、楊教授の講演録の一部の表現に対してではないでしょうか」と答えている。楊氏の見解は神政連とは別物であり、「一般論としていえば、性的少数者に対する差別はあってはならない」というのが対外的な立場である。ところが、それを疑わせる出来事が判明する。昨年4月、埼玉県の性の多様性(※LGBTQ)条例を巡って、県議会での審議入りを前に自民党埼玉県連が意見募集をした際、神政連の埼玉県本部が「LGBTQは何れも、精神疾患であることが明らかになりつつある」等と記した文書を下部団体に送付していた。文書は4月に県内各支部に送られていた。『埼玉県 性の多様性に係る理解増進に関する条例(※仮称)の骨子案 問題点・疑問点(※事務局作成)』とのタイトルが付けられている。自民党埼玉県連が作成したLGBTQ条例の骨子案について、神政連の県本部としての見解を示し、自民党県連に条例反対の投稿を促すものだ。条例案は同年7月に県議会で可決され、施行された。文書は、同性愛や両性愛について「生まれつき同性愛・両性愛である人はいなく、環境要因に基づくことが明らかになっている」と記載する。LGBTQについては、「幼少期での虐待、性的虐待、家庭内暴力、両親の不仲、親の薬物依存、アルコール依存、思春期での同性愛行為などの環境要因による精神疾患(※統合失調症や双極性障害等)であることが明らかになりつつある」「行動療法や宗教などで“治癒”する」等としている。LGBTQを疾患と見做す考え方は現在の精神医療では否定されており、科学的に誤った情報を基に条例に反対する投稿を促していたことになる。更には文書の記載内容は、LGBTQ当事者への偏見や差別を助長しかねないものだ。文書を受け取った埼玉県内の神職は、「嘗て神政連はマスコミからの非難を躱す為、『冊子の講演録の内容は神政連の見解ではない』等と弁解していた。しかし、文面を読むと嘘だったことがわかる」と指摘する。当たり前過ぎることだが、神職や神社関係者、或いはその家族にもLGBTQ当事者はいる。神社関係者であり、LGBTQ当事者でもある人物は、この文書を読んで呆れてしまったという。「神政連は『神道にはLGBTQを差別する考えはない』と公式に述べている。ところが、自らの価値観にそぐわないLGBTQの存在や、姓名の多様な在り方を一切認めていない。信仰や伝統であれば差別が許されるというわけではないし、差別を扇動し、多様な人々の信仰を破壊するのは許されない」。本誌は4月、神政連中央本部に「神政連埼玉県本部の文書からすると、神政連もLGBTQを精神の疾患であると認識しているのではないか?」と質問した。しかし、「回答は致しかねる」という返答だった。LGBTQの法的な位置付けや権利擁護の在り方について、個人の価値観や宗教観によって様々な考え方があるだろう。しかし、科学的な根拠がないまま精神疾患だと決めつけるのは、8万社の神社を包括する宗教法人の関連団体として適切なのかどうか。このままでは神社への信頼が揺らいでしまうのではないか。 (取材・文/本誌 野中大樹)


キャプチャ  2023年6月10日号掲載

テーマ : 社会ニュース
ジャンル : ニュース

【加藤久美子の目】(02) 軽井沢ツアーバス事故に実刑判決…今こそ皆でシートベルト着用を励行すべき!



2016年1月15日午前2時頃に長野県軽井沢町で発生したツアーバスの転落事故では、18歳から32歳の乗客39名と乗務員2名を含む41名のうち、乗客13名と乗員2名の合計15名が死亡するという、過去30年間のバス事故で最悪の結果となった。乗客の殆どが20代を中心とする若者で、死亡した乗客13名のうちシートベルトをしていなかったのは12名。多くは車外に投げ出されており、中にはバスの下敷きになって死亡したケースもあった。今年6月8日、長野地方裁判所で事故について判決言い渡しが行なわれた。大型バスの運転に慣れていなかった運転士に対して、事故を防止する為の必要な訓練等を行なわないまま運行にあたらせたという理由により、業務上過失致死傷の罪でバス会社社長に禁錮3年、運行管理担当の元社員に禁錮4年の実刑判決が言い渡された。多くのメディアがこの裁判の様子を報道しており、涙ながらに思いを語る遺族がインタビューに応じていた。愛する我が子を事故で失った悲しみは、事故から7年が経った今でも到底癒えることはないだろう。筆者自身にも大学生の息子がいる。ある日突然、愛する我が子を失うことの苦しみは想像を絶する。心からお悔やみを申し上げたい。事故に関しては発生当初から、何が原因でどうして事故が起こったのか、何故道路から僅か3mの転落で15名もの命が奪われてしまったのかが問われた。筆者も、古くからの友人である交通事故鑑定人の中島博史氏と情報交換をしていた。中島氏は発生直後にテレビ番組の撮影の為、現場を何度か訪れているし、メディアでは報道されていない話も聞かされていた。何㎞/hくらいの速度が出ていたのか等、事故の原因については、その後の報道で明らかになっていった。だが、死亡した乗客13名のうち実に12名がベルト非着用だったことは、あまり報道されなかったと記憶している。若し39名の乗客全員がシートベルトをしていれば、死傷者の数はもっと少なかったのではないか。報道によると、事故当日に遺体の検案を行なった『軽井沢町国民健康保険軽井沢病院』副院長の医師は、取材に対し「シートベルト着用の痕がはっきり確認できたのは1人だけ」と話していた。医師は、未明の事故で多くが就寝中だった為、被害が拡大した可能性も指摘。 夜間の就寝中でも走行中はシートベルトを着用する必要性を訴えていた。その後の調査で、バスの乗務員からシートベルト着用の指示がなかったことを責める報道が少なからずあったことにも驚かされた。「シートベルト着用の指示がなかったからシートベルトをしなかった。悪いのは、シートベルト着用の指示をしなかったバス乗務員にある」とでも言いたいのだろうか。シートベルトは他人に言われなくても自発的に着用するのが当然だと思っているが、世間の認識は違うのだろうか。

20231127 06
あまり意識されていないかもしれないが、シートベルトは自分の体を守るのと同時に、他人の命を守ることにも繋がる。シートベルトで拘束されていない体は、事故の衝撃を受けると、シートベルト着用の他の乗客に凶器となって襲いかかる危険性が生じる。この事故では13名のうち1名だけがシートベルトを着用していたとのことだが、全員がシートベルトをしていれば、亡くなった1名の方も命を落とすことはなかったかもしれない。筆者は職業柄、頻繁に高速バスを利用して移動する。その度に確認しているのが、周囲の乗客のシートベルト着用状態である。軽井沢のバス事故以来、特に注意して見ているが、実際、殆どの乗客がシートベルトをしていない。6月7日夜、羽田空港から某バス会社の高速バスに乗った時にも、後ろの席に行くまでの間、ちらちらと他の乗客の着座状態を見ていたが、20名くらいの乗客のうち、ベルト着用を確認できたのは1名だけだった。筆者の前に座っていたサラリーマン風の男性は、シートベルト着用を促すアナウンスが流れると、思い出したようにシートベルトを着用していた。しかし、通路を挟んだ横の男性とその前の女性、筆者の真後ろの男性は、アナウンスが流れてもシートベルトを着用する気配はなかった。シートベルトなどまるで気にすることなく、其々がスマホいじりに没頭していたと思う。恐らく、バス車内でシートベルトをしない人達は普段、タクシーに乗っても自家用車で移動する時も、後部座席でのシートベルトはしていないのではないか。タクシーに乗った際にドライバーに話を聞いてみるが、後席で自発的にシートベルトをする人は“100人に1人いるかどうか”のレベルだそうだ。ドライバーからお客さんに対して「シートベルトの着用を強要し難い」とも言っていた。中にはシートベルト着用を嫌がり、暴れだす客もいるという。

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テーマ : 車関係なんでも
ジャンル : 車・バイク

【宗教2世のリアル】(11) 「オウムにかえせ」と記した子

幼い文字で「はやくオウムにかえせ」と綴られた日記帳。家から火が噴き出た絵――。1995年4月、『オウム真理教』への強制捜査に伴い、教団施設で生活していた子供が児童相談所に一時保護された際の記録だ。本紙が山梨県への情報公開請求や関係者への取材で入手した。宗教2世の問題が注目される中、カルトと呼ばれる宗教が子供に与える影響の深刻さが浮かび上がる。 (取材・文/大阪本社編集制作センター 野口由紀/東京本社デジタル編集本部 宮川佐知子/東京本社政治部 森口沙織)



20231127 03
1995年3月20日、オウム真理教の信者が霞ヶ関駅へ向かう地下鉄車内で猛毒のサリンを散布し、14人が死亡、6000人以上が負傷した『地下鉄サリン事件』が発生した。警察当局は4月、山梨県旧上九一色村(※現在の富士河口湖町)の教団施設等、全国の約120ヵ所を一斉捜索。同月以降、教団にいた約110人の子供が各地の児童相談所に一時保護された。このうち最多の53人を一時保護したのが山梨県の児相だ。同県の開示記録等によると、内訳は男児28人、女児25人。幼児から14歳までで、小学生に相当する年齢が多い。毒ガス攻撃を受けていると信じて屋内に閉じこもっていた為、大半の子供は青白く、表情も乏しかった。ヘッドギアと呼ばれる装置を頭に被り、肌は透き通るように白い。服は汚れ、足の裏は真っ黒。力なく横たわり、「ここは現世?」と職員に尋ねる子もいた。健康診断で“貧血あり”又は“栄養不良”とされた子は25人(※47.2%)。身長が同年代の平均値を下回る子は47人(※88.7%)に上った。飢えて食欲は旺盛だったが、箸が使えず、手掴みの子も。学校に通っておらず、学力や一般常識の欠如が見られた。多くの子供が「オウムの生活に戻りたい」と話し、ある子供は5月下旬まで「オウム真理教にかえせ」と日記に書き続けた。心理検査で家族全員の絵を描けた子は1割に満たず、思春期の子供は誰も家族を描かなかった。オウムの教義で親子関係は超越すべきものとされ、教団では別々に生活。一時保護中も親の顔を忘れたり、面会を嫌がったりした。山梨県での一時保護は、子供が住民票のある地域等へ移管されるまで、最長3ヵ月に及んだ。児相職員らが一緒に遊び、社会復帰を支援する等して、多くの子供は次第に明るい表情を取り戻した。

その一方で「教団は悪くない」と信じ続ける子や、親子関係の再構築が難しい子もいた。1995年6月に児相が開いた会議では、「マインドコントロールが社会適応を困難にしている。本人自身が自覚していないところが今後の課題」と、長期的な支援の必要性が指摘されていた。当時、53人を一時保護した『山梨県中央児童相談所』の判定課長だった保坂三雄さん(76)は、「子供達は無表情で怯えていた」と振り返る。“尊師”と呼ばれた松本智津夫元死刑囚(※教祖名は麻原彰晃)を理想化し、職員には敵対心を剥き出しにした。神聖とされる頭部を触られるのを嫌がり、面接に誘うと「任意か、強制か」「根拠法令を示せ」と反発する小学生も。子供が遊ぶプレールームの黒板に“オウムにかえせ”と書かれていたこともあった。保坂さんが根深い影響を感じたのが、親子関係を否定する教義だ。幼くして親と切り離され、親の名前や顔を「忘れた」という子もいた。心理検査にもそれが表れた。父親の絵を描いて後から消そうとしたり、家の煙突から火が噴き出る絵を描いたりした。「子供は特定の大人から愛情を受けて自己肯定感を育み、人を信頼できるようになる。情緒的な人間関係を築けないと社会復帰も難しくなる」と保坂さんは言う。多くの子供は次第に職員と打ち解け、家族関係修復の兆しも見えた。ある女児は、母親との面会前に「絶対会わない」と頑なだったが、職員が連れていくと母親に抱きしめられ、涙を流した。それを見た男児は、「僕のお母さんも来てくれるの?」と尋ねたという。児相職員らが聞き取った記録には、子供が教団で虐待といえる環境に置かれていた様子が窺える。生活の大半を過ごしたのは、旧上九一色村の第10サティアン2階。70~80人が同じ場所で暮らし、大人は10人程度の世話係だけ。勉強は1日1時間程度で、多くの時間を瞑想等の修行に費やした。風呂はなく、10日から2週間に一度、他の施設へシャワーを浴びに行った。掃除が行き届かず、殺生も禁じられた為、ゴキブリやネズミが走り回っていた。食べ物は「尊師のエネルギーが入っている」とされ、黴が生えても食べさせられた。残すと足を深い蓮華座に組み、バンドで縛って固定させられる“縛り蓮華座”の罰を受けた。泣いても許してもらえず、失禁しても放置された。『精神科医講評』と題する児相の文書では、子供達について「多くのストレスに見舞われ、何を望んでも思うに任せない体験を繰り返してきた」と分析。

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テーマ : 社会ニュース
ジャンル : ニュース

【WEEKEND PLUS】(432) 数㎝の違和感で引退を決断…バレエダンサーの岩田守弘さん、本場の知見を伝えたい



20231124 09
ボクシング漫画の名作『あしたのジョー』のラストシーンを思わせる言葉が記されていた。「白い灰になりました」。メッセージの送り手は、世界最高峰と言われる『ロシア国立ボリショイ劇場バレエ団』で、名ダンサーとして知られた岩田守弘さん(53、右画像、撮影/大前仁)。先月下旬に最後と決めた舞台を終えると、偽らぬ思いを私(※記者)に伝えてきた。体力の衰えや年齢を考慮し、岩田さんは引退を表明したが、別の理由もあったと思う。それは、一流の踊り手だからこそ大切にしてきた“数㎝単位の感覚”だったのではないか。14年に亘って取材を続けてきた私には、そう思えてならない。先ずは最後の公演から振り返ろう。先月25~26日に催された公演の名称は『日本舞踊の可能性 vol.5』。会場の浅草公会堂(※東京都台東区)には熱気が渦巻いていた。メインの演目は『信長-SAMURAI-』。戦国時代の武将、織田信長と配下の武将の半生を描き、ロシアバレエのダンサーと日本舞踊家がコラボレーションしている。2015年に初めて上演されると話題を呼んだ作品で、当時から岩田さんは豊臣秀吉役を踊ってきた。笛や琴等が奏でられ、西と東の異なる踊りの担い手が競い合いながら、軈て一つの舞台へと融合していく。50分近い演目が終わると、拍手が波打つように舞台へと押し寄せた。アンコールの踊りに臨んだ岩田さんがフワリと宙を舞う。それは長年、応援してくれた観客への惜別の舞と見て取れた。踊り始めてから44年。この日までの道程は短くなかった。9歳の時、両親が主宰する『岩田バレエスクール』(※神奈川県横浜市鶴見区)で舞台に立った。19歳だった1990年にソビエト連邦末期のモスクワに渡り、本場の踊りを学んだ。

1995年にロシアバレエ界の頂点に立つ『ボリショイバレエ』に入り、翌年に外国人として初めてのソリストに昇格。名作『白鳥の湖』等多くの演目で重要な役を踊り、2012年に退団するまで目の肥えた観客を唸らせた。その後の10年間、岩田さんは東シベリアとロシア中部にあるバレエ団の芸術監督を歴任した。指導者の座に就きながらも、主要な公演では踊り続けた。「ダンサーに言葉は要りません。踊りで全てをわかってもらわなければならないですから」。こう語る岩田さんだが、私との付き合いが長くなるにつれて、秘めた思いも明かしてきた。「よく“踊ることは辞められない”と言いますよね。僕にとっては、他人に負けることが受け入れられないのです」。芸術監督との二足の草鞋を履きながら舞台に立つ動機を、こう言い表した。他人に負けない――。それは圧倒的な踊りを披露し、万雷の称賛を得ることを意味した。自信のベースになったのは、確かな技術と豊かな表現力だった。22歳だった1993年秋には、世界三大バレエコンクールの一つ『モスクワ国際バレエコンクール』で金賞を手にしている。技術や表現力に加え、他人を圧倒する身体能力を誇っていた。公称の身長は166㎝。背が高くない分、素早い動きと高い跳躍、そして軸のぶれない回転技を売りにした。その一端は、日本舞踊とコラボレーションした演目『信長』の一場面でも見られた。岩田さんが演じる秀吉は中国地方の大名、毛利家の討伐へと乗り出す。ここで回転技を始めた岩田さんはどんどん加速してゆく。振り付けで想定された数以上を回り、場内のどよめきと拍手を誘った。瞬時に私が思い出したのは、11年前の光景だ。2012年7月、ボリショイバレエを去る岩田さんは自身の退団公演を主催した。演目の一つではピアノの伴奏に合わせて、同じような回転技に挑んだ。普段以上の速さと回数を回り、地響きのような拍手を浴びていた。当時は41歳だった岩田さんは12歳も年を重ね、最後と決めた舞台に臨んでいたのだ。技術の高さと気持ちの入れ方は当時と変わらず、未だ現役で踊れるレベルだと思えてくる。この点を岩田さんと共演する機会が多かったバレリーナの多久田さやかさん(36)に尋ねると、「全くその通りです」と賛同する。プロの目から眺めても、岩田さんは十分な体力を維持しているように見えたようだ。だが、近年の岩田さんは人知れぬ葛藤と、踊りへの拘りを漏らすようになっていた。そして最後の公演では、この点を言い当てた別の日本人ダンサーがいる。ロシアやアメリカ、ドイツ等のバレエ団に所属してきた針山愛美さん(46)は語る。「何故(岩田)守弘さんが引退されるのか。それは、数㎝の単位の正確さに拘り、踊ってきた完全主義者だったからではないか。今回の踊りを見ていたら、そう思ったのです」。劇場内で旧知の針山さんと再会した私は、この指摘を聞くと脳内に電流が走った。完全主義者――。この点こそが、私が漠然と抱いてきた疑問を解き、確信へと転じさせた。岩田さんは少しでも衰えを見せるのを嫌い、舞台から降りる覚悟を決めたのだ。「踊りの質を落とすくらいならば、踊るのを辞めます」。嘗て本人が漏らしていた言葉も頭を過った。

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テーマ : クラシックバレエ
ジャンル : 趣味・実用

【暮らしの照明・ミラノから】(04) シャンデリア、LEDで進化

20231124 06
光を通して音楽を見る――。先月開催された国際家具見本市『ミラノサローネ』の照明展で、チェコの『プレシオサ』のデモンストレーションが来場者を魅了した(※右画像、撮影/大石由佳子)。クリスタルの棒と発光ダイオード(※LED)を組み合わせたシャンデリアが、音の周波数に連動して明るさを変える。高さ5m、幅14.5m、使用したクリスタルは計810本。巨大な迷路のような造形だが、ブランド担当者は「本数を減らして小さくすることができ、家庭でも楽しめる」と話す。光の装飾であるシャンデリアが進化している。オランダの『クエーサー』は無数の星が瞬いているような、繊細な灯りを表現した。「小型のLED基板と金属製の棒をランダムに配して、洗練された光の彫刻を作り上げた」と同社の広報担当者。両手に抱えるほど大きな照明だが、近付いて見ると、小さな円形の光源が一つひとつはっきり確認できた。日本の『スタジオ・ロウ』は工業用パイプを活用した。メッシュ部分に反射した光が幾つも重なり、息を呑む美しさだ。デザインした袴田広基さんは、「消灯時はオブジェ、点灯すれば空間全体がアートになる照明」と話す。別会場で発表したイタリアの『ネモ』は、独自に開発したテープ状のLED灯を輪にして立体的に連ねた。軽量で、平らに畳むことができる為、運び易く、設置場所の融通も利く。手がけた日本人デザイナーの三宅有洋さんは、「軽やかなシャンデリアを目指した」という。デザインと機能に富んだシャンデリアを支えるのはLEDだ。エネルギー効率が高く、発熱し難い上、様々な形や色を表現できる。世界的デザイナーのトム・ディクソンさんは、「既存の光源にデザインを合わせるのではなく、光源そのものからデザインが可能になった」と、LEDの功績を称える。斬新且つ革新的な照明が溢れる中、異彩を放っていたのが電球をモチーフにした照明だ。イタリアの『スランプ』は豪華なシャンデリアの隣で、壁面に取り付ける電球型ランプを展示した。同じイタリアの『フェッロルーチェ』は電球を使うレトロ調のランプを提案し、暖かな光で会場を穏やかに照らした。主催団体は電球をテーマにしたアート作品を並べる企画展を開いた。照明の形も在り方も変わる中、改めて電球のフォルムや光を再評価する動きがあるという。「照明の世界はLED光源の出現によって、飛躍的な発展を遂げた。照明は長く文明として捉えられ、明るさが追求されてきたが、技術の進化とともに文化として語られるようになった」。日本で長く活躍する照明デザイナーの面出薫さんは言う。光の色や量を調整し、心地よい空間を作り出す、屋内外を問わずに持ち運ぶ、五感で楽しむ――。灯りに何を求めるのか。照明は暮らしの価値観を浮かび上がらせている。 =おわり

          ◇

(社会部)大石由佳子が担当しました。


キャプチャ  2023年5月19日付掲載

テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

【暮らしの照明・ミラノから】(03) 提灯と行燈で“和”を連想

20231124 05
先月の国際家具見本市『ミラノサローネ』に合わせて、ミラノ市内で開かれたイタリアの家具ブランド『ボッフィ・デ・パドヴァ』の展示会。会場を訪ねると、提灯形の照明が吊り下がっていた(※左画像、撮影/大石由佳子)。シンプルな家具と調和し、洗練された雰囲気が漂う。「素敵でしょう? タイムアンドスタイルとの共作よ」とスタッフが教えてくれた。『タイムアンドスタイル』は日本の家具ブランドで、国内外で注目度が高まっている。伝統技術を活かした普遍的なものづくりを信条とする。提灯形の照明は、秋田杉の木枠に美濃和紙を張り込んだもので、職人が一つひとつ手作りしているという。「日本の古典的なデザインと柔らかな灯りが心地よいと、欧米を中心に支持されている」と広報の宋明河さん。今年は、スウェーデンのデザインユニットが手がけた雫形のランプも発表した。“和”を連想させるデザインは、サローネの会場でも数多く見られた。デンマークの『メイド・バイ・ハンド』は、ピンクやベージュ等の生地を張った提灯形のランプを提案。吊り下げず、壁に設置する使い方が面白い。同じ提灯形でも、スペインの『ボーヴァー』の光はスタイリッシュ。デンマークの『トム・ロッサウ』は行燈に似たランプを手がけ、シェードに絵の具の飛沫のような模様を散らした。和風のデザインが存在感を示す背景には、“ジャパンディー”と呼ばれるインテリアスタイルの流行がある。ジャパニーズ(※日本)とスカンディナビアン(※北欧)を組み合わせた造語で、其々の特長を融合したスタイルを指す。インテリアとデザインの専門誌『エル・デコ』のブランドディレクターである木田隆子さんによると、自然素材のシンプルな木の家具、和の職人技を活かしたデザインの照明や食器、空間には障子や格子を取り入れること等が、ジャパンディーの構成要素だ。日本と北欧のインテリアは元々、親和性が高い。民芸の要素を取り入れた北欧スタイルも、以前から双方で人気だった。ところが、この数年はジャパンディーと言われ、広く欧米諸国で市民権を得るようになった。木田さんは、「親しい人達と心地よく過ごすヒュッゲというデンマークの言葉が注目されてきた。コロナ禍でそうした志向は更に強まり、ジャパンディーの世界的な流行に繋がった」と話している。国内でもジャパンディーへの関心は高く、海外デザイナーが手がける和の灯りを目にする機会が増えている。今月12日、デンマークの『アンドトラディション』が、東京都内に日本初のショールームを開いた。入り口の近くに提灯形のランプが吊るされている。球形と半球が繋がっているようなデザインがユニークだ。クリエイティブディレクターのエルス・ホアベックさんは、「伝統に敬意を払いながら、互いを引き立てる。文化の融合によって生み出される、モダンクラシックを体感してほしい」と話す。デザイナー達の新たな解釈が加わり、和の照明も日々進化している。


キャプチャ  2023年5月18日付掲載

テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

轮廓

George Clooney

Author:George Clooney

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