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【新米住職ワーキングプア】(27) 人々に安心を届ける役目が僧侶にあると確信しているからこそ…



20200713 01
悲惨な事件が続いています。殊に、5月28日に起きた20人もの死傷者が出た川崎殺傷事件と、それとの間接的な関係性の中で引き起こされてしまった東京の元次官による長男殺傷事件(※6月1日)は、私たちにやるせない気持ちを残しました。元次官は、引きこもりの息子が暴力傾向のある発言等を周囲の子供たちへ向けたことがきっかけとなり、事件の芽を摘むとの悲壮な決意で愛息に手をかけたとのこと。それまでの家族関係の中で抱えていたストレスもあったようだと報道されました。事件そのものについて触れることはここでは控えますが、一宗教者の私としては次のような思いを抱いたことです。識者として、心理学系の大学教授や精神科医等が分析的視点から事件の説明を試みていましたが、ではとうすれば加害者や被害者を生み出さず、柔らかで優しい社会を構築できるのかといった点で、消化不良の感が拭えないな――と。また、それは何故かと思い致しているうちに、そこに宗教者の意見が何一つないことに気付いたのです。人の心の中にある気楽や、人間が娑婆世界で生きるということの悲哀や喜び全般を扱っている筈の宗教者の存在がないではないか。いや、そこへの期待といったものが、抑々まるで感じられない。心理学や精神医学的視座には、事件を分解していく帰納的な明瞭性はあっても、人や社会といったものへ対する全体的理解と、それらへの寄り添いといったことまでは到底及ばない筈なのに。しかし、裏を返せば、現代日本においてそこまでのことは宗教者に求められていないということなのでしょう。確かに、長らく“葬式仏教”と揶揄されてきた経緯もあるわけで。だとすれば、だからこそ逆にこちらから意見の発信をしてみるのもありなのではないでしょうか。

社会を揺るがす事件や災害、事故等が起こった時、どうしてそれが生じたのかという分析的視点はとても大事です。原因が少しでも判明すれば、対策を考えることもできるでしょう。一方で、人々の心の内に目を移せば、一度胸に湧いた不安というものは簡単には消えません。宗教者という存在は、そうした時にこそ必要となるのではないでしょうか。つまり、人々を癒し、心を落ち着かせ、社会全体に安らぎを再び齎す役割を果たす為にです。しかし、戦後に政教分離が徹底されたこの国では、公教育の現場において一切の宗教色が感じられないよう図ってきました。我が国の小学校教育では、本来車要なのに、その全てが避けられている3つのものがあるとは広く知られています。即ち、お金、政治、宗教の話についてです。これらは寧ろタブー視されていると言ってもよいくらいです。そうした空気の中で、宗教そのものについて語ることも取り上げることも、この国では忌避されがちです。とすれば、自分たちから語りかけねば、どこに何のメッセージが届くというのでしょう。社会の安寧を願い、それを可能にする存在こそは、我が国において長い歴史を有する伝統仏教各派でありましょう。そこから更に積極的なメッセージが出されることが期待されます。現時点では遠慮もあるのでしょうけれども。テレビで識者コメントなるものが出される度に思うことがあります。「我々も“仏教界コメント”というもので対抗できないだろうか」と。そこで重視されるのは、無論のこと、寄り添う気持ちと安心感の醸成です。それらは、既に仏教界が各宗派の中で実際に取り組んでいることでもありますが、その中だけで完結させるのでなく、広く社会一般に向けてそうした活動に取り組んでいる姿勢こそを提示していく必要性が高まっているように思うことです。お坊さんたちは日頃、何を目指して、どのような活動をしているのかといったことを広く世間に知って頂く必要性とも言い換えられましょう。現状では、お葬式や法事ばかりに目が行きがちですが、それ以外にも多岐に亘った社会活動をしているわけです。でも、それらは宗派内部では知られていても、他では殆ど認識されていないようです。ですので、その機会を自ら作るということです。

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【東畑開人の週刊臨床心理学】(09) 廊下が欲しい



20200710 09
オンラインミーティングにはだいぶ慣れて、「結構やれるじゃん」と思っているのだが、一向に慣れないのがミーティングの終わり方である。教授会にせよ、研究会にせよ、ゼミにせよ、さっきまで和気藹々と仲良くやっていたのに、「じゃあ、これで終わります」という声と共に、ブチッと画面が消え、自分ひとりの部屋に放り出される。これが切ない。長年つき合ってきた恋人から「終わりにしましょう、返信は必要ありません」とたった一通のメールで別れを告げられたような気持ちになる。毎日が失恋の連続である。研究会が終わると「あぁ、儚い」と遠い目になり、ゼミが終わると「諸行無常だなぁ」と袖を濡らす。教授会の後には“あしびきの Zoom画面から 消えゆきて 学長サヨナラ 一人かもねむ”と、つい短歌を詠んでしまう。人間は結局孤独なのだと、日々噛み締めている。いや、違う。私たちは昔から孤独だった筈だ。どんなに盛り上がる会議でも、研究室に帰れば、最後は一人だった。ゼミにも飲み会にも必ず終わりがあった。だけど、毎回失恋の痛みを感じることはなかった。何が違うのか? 廊下が足りていない。教授会の終わりに、「今日もあの教授のカラオケ状態でしたね」「マラカス鳴らそうかと思ったよ」と廊下で愚痴り合うのが楽しかった。雑談も陰口も密談も全部、廊下での出来事だったのだ。事件は会議室でも現場でも起こるけれど、人間らしいことは大体、廊下で起こっていたのである。“プレイセラピー”をご存知だろうか? 遊ぶことでカウンセリングを行なう方法のことだ。言葉では自分を上手く表現できない子供に対して、よく行なわれる。

幼稚園で友だちに乱暴を働いてしまう男の子と、プレイセラピーをしていたことがある。彼は半年前に母親を病気で亡くしていたから、心配した父親が連れてきたのだ。玩具がいっぱいに詰まったプレイルームに入室すると、彼は早速、プラスチックの刀を見つけて、私のことをボカスカと叩いた。幼稚園児とはいえ、流石に痛い。「止めてー」と悲鳴を上げると、「俺はトイレ侍だぞ、悪いウンコ男はやっつけてやる」と満面の笑みで言う。どうやら私は“ウンコ男”になってしまったようだった。遊びは心の世界を映し出す。母が亡くなったのは、丁度彼がトイレットトレーニングを受けている時期だったのだ。自分が上手くトイレをできなかったせいで、母が病気になってしまった――。突飛な考えではあるが、幼い心はそう感じていた。だから、ウンコ男とは本当は彼のことで、自分を攻撃するように私を攻撃していた。幼稚園で暴力を振るっていたのもそれだったのだろう。その後、何ヵ月も私は斬られ続けた。痛かったけど、トイレ侍の心の痛みが伝わってきて、切なかった。だけど、ある時から遊びが変わった。トイレ侍は斬殺の後に、治療を行なうようになったのだ。床に寝かされた私を、彼は刀を使って手術した。その時のトイレ侍は優しかった。「ほら治った、生き返っていいぞ、ウンコ男」。そして、蘇生した私を再び斬り殺し、もう一度、治療を行なった。それは聖なる儀式のように繰り返された。彼は心の中の母親を蘇生させようとしていたのだと思う。そして同時に、傷付いた自分を癒そうとしていたのだと思う。聖なる儀式をするようになってから、彼はプレイルームから帰るのを渋るようになった。「帰るもんか、未だやるぞウンコ男」と居座るのだ。「今日はおしまい!」と言って、何とか部屋から出すのだが、次の回にはまた居座る。次の人も待っているから、大変困った。だけど、ある回で、彼は時間になると部屋から出ることができた。キラキラしたプレイルームの外は、コンクリート造りの無機質な廊下だった。最初、彼は大股でノシノシ歩いていた。トイレ侍気分が続いていた。だけど、次第に背中が丸まり、歩みが弱々しくなる。酷く態とらしかったから、「どうしたの?」と私は聞いた。すると、「トイレ侍の変身が終わっているところ」と彼は言った。廊下を使って、変身が解ける遊びをしていたのだ。母親を蘇生させられるプレイルームから、母親がいない現実へとその廊下は続いていた。その現実に向き合い始めていて苦しいから、彼は帰り渋りをしていたのだ。だけど、遊びにすることで、彼は重たくなる心と体を前に進めることができた。だから、ウンコ男も心理士へとゆっくり変身した。彼の横を同じペースで歩いた。待合室では父親が待っていた。

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【異邦人のグルメ】(63) 中庭アレクサンドラ×『原宿餃子樓』(東京都)

20200710 01
「や~め~ろ~や~!」。独特のイントネーションでツッコむ碧眼の美女。バラエティーやドラマ等で活躍するモデルの“アレちゃん”こと中庭アレクサンドラさん(29)は、関西系ロシア人だという。どういうこと? 「生まれたのはモスクワで、5歳からカラチャイチェルケス共和国で育って、10歳の時に大阪に来ました。未だ頭が柔らかいから、何でも『ナニコレ?』と聞いて、3ヵ月ぐらいでカタコトの日本語をマスターしましたよ」。そんなアレちゃんのオススメが、原宿の『原宿餃子樓』。「このお店では大蒜・韮の有無を選べるんだけど、今日は勿論、有りで!」。餃子にはビールも欠かせない。“ビール党”を自負するアレちゃんによると、「“ロシア人=ウォッカ”みたいなのは間違い。抑々、ロシア人って普段はお酒飲まないんで、お祝い事とかパーティーとか、特別な時に飲みまくるんです。私は毎日、ビールを飲みますけどね(笑)」。そこへ、何とも香ばしい色と香りの焼餃子と、ツルツルで見るからにジューシーな水餃子がやってきた。「ええやん、ええやん!」。醤油、お酢、ラー油を混ぜて作った特製ダレにつけてパクッ。一口です。「めっちゃ美味い! 食べ易い大きさなのもいいんですよ。水餃子も韮がシャキシャキ、皮はしっとりで優しい!」。家で餃子作りにチャレンジしたこともあるんだとか。「皮が中々上手くひっつかないんですよね。『何で指にばっかりひっつくんだよ!』って」。新喜劇仕込みの楽しいお喋りが止まらない。おや、餃子、あんまり減っていませんけど? 「よく噛んで味わうのが好き。皆が早過ぎるんです(笑)」。食事が一番の幸せで、一切我慢はしないそう。それでこのスタイル。う~ん、羨ましい。 (撮影/写真家 本田武士)


キャプチャ  2020年7月9日号掲載

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【新米住職ワーキングプア】(26) こっちも都合あるのに「連休中に何故法座なの?」と婦人会に言われ…



20200706 01
令和最初の法座を無事に務め、ほっとしていたところ、反省会にて今度はぎょっとする発言がありました。「連休中に何でやるんですか? 遠くから親戚とかも帰ってきているのに、遊べないんですよね。他所のお寺は平日にやっているところもあるでしょう。何でうちのお寺は…」と続くわけです。法座を縁の下で支えて下さる婦人会の方からでした。「かなり迷惑なんですけど…」とのニュアンスを済ませる発言の主は、世代交代して比較的お若い方です。とはいっても50代なのですが。要は、連休を避けてほしいとのこと。返答を求められた私は、四苦八苦しながら理由を述べてみましたが、悉く切り返されます。「申しわけないんですが、住職の都合から、その時期が丁度一番実施し易いんですよ」と言うと、「私たちにだって都合があります。仕事だって休まないといけないんですよ」と逆ネジを食らわされ、あたふた。そこで、「法座とは何かということを最初にお伝えしたほうがいいな」と思い直し、「法座とは、仏様からご門徒の情様に対するプレゼントのようなものなんですね。美しい旋律のお経や、仏様の有り難いお知恵に触れて、その日を気持ちよく過ごして頂きたい。住職は、そこのお手伝いをさせて頂いているわけです。といいましても、住職や坊守だけでは法座を回すことはできません。婦人会の力が必要なんですね。法座を楽しみにしている大勢のご門徒さんの為にも、曲げてご都合をつけて頂けると助かるのですが…」。すると、驚愕の発言が飛び出したので した。「出たくもない、仕事だって休みたくない、払いたくもない中で、こっちはやっているんですけど」。最早、ぐうの音も出ないとはこのことです。

そうなんです。この方にとって法座というものは、お寺が資金集めの為にやっているものらしく…。なのに、それをボランティアで働かされているという理解のようでした。そこに更なる駄目押しが。「私たち、知らない間に“檀家”になっていて、そのまま手伝いまでさせられているわけですよね」。私はこの瞬間、「伝統仏教の弱点がここに全て浮かんでいる」と悟りました。これまでも、その点については折に触れ取り上げてきましたが、衰弱を齎している原因を繙けば、それは寺檀制度の疲弊にあるわけです。逸早くこれを解体した見性院の橋本英樹住職のお心の裡が、ひしひしと伝わってきます。抑々、お寺とは言うまでもなく信仰の場であります。ということは、そこに属する人たち其々の信仰心が基本となる筈です。しかし、江戸時代に成立した寺檀制度は、“家”を単位としたもの。幕府によって強制的にどこかのお寺への所属が義務付けられ、キリシタンではないことの証明を得たり、行政的な各種手続きをお寺を通して執り行なうといったことが主な目的でした。それが、時代がこれだけ移り変わっているのに、何故かそんな制度の枠組みが引き継がれている。現代でも江戸時代同様に、其々の檀家さんが、所属するお寺を陰に日向に支えている。その意味で、檀家さんという“家”の存在の有り難みは大きい。だが、世代交代が進む中で、うちのお寺の為にと進んで力を貸してくれる“オウチ”がどれほど残るかは疑問が尽きません。それは、都会等で葬式を出した“オウチ”において、既によく現れているところです。「うちの宗派は何だったっけ?」と、その時になって初めて“オウチの宗派”に意識が向く。「田舎の寺は確かあそこだったな。取り敢えず連絡をとろう」なんてこと自体、もう珍しくも何ともないわけです。それまでは、自分の宗派すらよくわかっていなかったりする。それにしても一体、その時だけの“うちの宗派”とは、その家庭にとってどんな位置付けなのでしょうか。無論、広く歴史的に俯瞰すれば、“オウチ”が“お寺”に世話になってきたという経枠があって、“うちの”という意識が形成されているのでしょうが。幕府から妙な目をつけられるようなこともなく、平穏無事な生活が守られたのも、所属するお寺があったおかげでしょうし、お役所的な様々な役割をお寺が果たしてくれたことで助かった部分もある。中でも両者の最大の絆となったものは、やはり“葬儀”であったことでしょう。

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【東畑開人の週刊臨床心理学】(08) “悪い考え”が巡る



20200703 21
遂にやってしまった。月に一度行なわれる最重要会議をすっぽかしてしまったのだ。絶対出席しなくてはならぬと前日の夜から気合いを入れていたというのに、『Zoom』のミーティングルームにアクセスしたら、「本日はお疲れ様でした」と学科長が締めの挨拶をしているところだった。時間を間違えていたのだ。思わず「えっ、まさか終わりですか?」とマイクをオンにして叫んでしまう。すると、学科長は満面の笑みで、「あっ、バジー先生、もう終わりよ。ちゃんと議事録読んどいてね~」と言って、同僚たちと共に画面から退室しようとする。「やばい、せめて存在感をアピールしておかなくては」と思い、「お疲れ様でございました!!!!」とパソコンに向かって絶叫したのであった。ああ無情。悪意があったわけじゃないのだけど、リモートワークだから廊下で弁解するわけにもいかない。どうすればいいのかわからず、頭を抱えてしまう。すると、“悪い考え”が蠢き始める。同僚の表情には「この寄生虫が!」という声が刻まれていた気がしてくるし、学科長のあの満面の笑みは、何か残酷なアイディアを思いついた爽快感からきていたのではないかと疑念が浮かぶ。はっ、まさか議事録に俺の懲戒処分が書き込まれているのではあるまいか――。そう思ったら怖くて、議事録のファイルを開くこともできない。更に、“悪い考え”は展開していく。黒川元検事長ですら訓告処分だというのに、俺が懲戒処分だなんて納得いかん。

抑々、最初に会議に居なかった時点で連絡してくれればよかったではないか。落ち度は向こうにある。いや寧ろ、これは俺を陥れんとする謀略なのではないか。ならばこっちにも考えがある。目には目を、歯には歯を。裁判だ。今だったら、仕事を辞めて暇している黒川元検事長が弁護人になってくれる筈だ。徹底的に法廷で争って、無慈悲な鉄槌をくらわせてやろうじゃないか。と、錯乱していたのが昨晩。誠に“悪い考え”ほど恐ろしいものはない。考えれば考えるほど、他者は残酷で無慈悲になっていき、自分も破壊神のようになってしまう。それで思い出すのが、昔、高校のスクールカウンセラーをしていた時に会っていた少年のことだ。彼はクラスで一度お漏らしをしてしまってから、不登校になっていた。それからは家に引きこもるようになって、出かける時には2時間シャワーを浴びなければならないほど、他人の目を怖がるようになっていた。そういう状態であったので家庭訪問をしていたのだが、彼と会うのは簡単ではなかった。眠っていたり、体調が悪かったりが理由だったが、実際には私のことが怖かったのだと思う。だから、私は毎回、短い手紙を書いて帰った。小さな接触の安定した積み重ねによって、怖さが和らぐことを期待してのことであった。効果はあった。ある時、偶然早くに目が覚めたからという理由で、彼は私を部屋に招き入れてくれたのだ。部屋は綺麗過ぎる程に片付いていた。若しかしたら、私を迎える為に前日から準備をしていたのかもしれない。だけど、それは言わなかった。酷く緊張している彼を刺激したくなかったからだ。「普段、何をしているの?」と尋ねると、いつも見ているサイトをパソコンで見せてくれた。そこに現れたのは、A国の環境汚染の映像だった。工場排水でピンクに染まった川や、奇形の動物。彼は興奮しながら、汚染物質を垂れ流すA国を罵った。彼の心は世界と戦争しているようでもあったが、それは私にはお漏らしをしてしまった汚い自分を責めている言葉にも聞こえて、切なかった。私たちは会い続けた。綺麗な部屋で、彼の祖母が運んでくるケーキを食べながら、環境汚染の話をし続けた。だけど、彼はそれに慣れず、いつも緊張していた。私に汚いと思われるのを恐れ続けていたのだと思う。そんなある日、私はうっかり食べていたケーキを皿から落としてしまった。綺麗な床にクリームがべったりこびりついた。「ごめん」と謝ると、彼は「いいですよ」と硬い表情で言った後に、「本当はいつも汚いから」と呟いた。そして、自分が言ってしまったことに気がつくと笑った。「普段はA国みたいなんだ」。私も笑ってしまった。そう、ちょっとくらい汚くても大丈夫なのだ。彼との面談を学校の相談室でするようになったのは、それから程なくしてのことだった。その時漸く、彼はA国の話ではなく、“人の目が怖い”ことを話せるようになった。

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【異邦人のグルメ】(62) 段文凝×『玄海』本店(東京都)

20200703 01
語学番組『テレビで中国語』(NHK Eテレ)に6年間レギュラー出演。“可愛過ぎる中国語講師”として脚光を浴びた段文凝さんが、折りに触れて食べたくなるのが、新宿にある『玄海』の水炊きだ。「初めて来た時、お店に入って直ぐのところにある大太鼓とか、和風の内装が直ぐ好きになりました。中国でも家庭でチキンスープを飲むので、水炊きには親しみもあるし、食べると体が温まる。父が漢方医だったので、温かいものが体にいいと教わってきたんですよ」。中国の天津師範大学を卒業し、来日したのは11年前のこと。早稲田大学大学院でジャーナリズムを学んでからは、“日中の架け橋”たるべく、テレビやラジオを中心に活動し、現在は早稲田大学の文学部で非常勤講師として教鞭をとっている。学生サンが実に羨ましい。「今は語学だけじゃなくて、中国文化も教えています。楽しいですね。学生のレポートや質問で、『それは考えたことなかったな』と気付かされたりして」。そこへ、グツグツと音を立てる水炊きが登場。濃厚なスープからは、得も言われぬ香りが漂ってくる。お椀を持つや、「熱い!」とキュートな悲鳴。そっと口をつけてスープを啜るなり、「美味しい~! 好吃! 鶏肉も柔らかいし、栄養が超入っているんじゃないですか?」。皆も食べて食べて、とスープを注いでくれる。感激です。「人のお椀によそったりするのは、日本に来て覚えました。中国では先ずやらないですよ(笑)」。因みに、好みの味付けのタイプはあっさりめ。でも、男性のタイプは、輪郭やパーツがくっきりした男らしい人とのこと。遠回しな言い方も苦手。だ、段さん、ま、また登場してくれると、う、う、嬉しいです…。 (撮影/写真家 本田武士)


キャプチャ  2020年7月2日号掲載

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【新米住職ワーキングプア】(25) 性差を越えても、やはり今でも女性たちが仏教伝道の主役です



20200629 01
春のお彼岸。自坊で法話をしていて、改めて気付かされたことがありました。顔ぶれに女性が圧倒的多数を占めることを。全体の8割方がそう。片隅で小さくなっている男性陣に比較して、反応だって明らかに良い。熱心にこの住職のほうへ視線を向けてくれ、時に大きく頭を縦に振ってもくれます。無論のこと、気分だってアゲアゲなのであります。こうしてみると、仏事というのは、やはりご婦人方の力ありきと断言できましょう。ならば男性はと言えば、偶々就いた役にある間だけは、しぶしぶながらお寺へ足を運ぶといった感じでしょうか。だから、しょうがないといった表情で、只々時間が過ぎ去るのを待っているような様子もしばしば…。折角の法話だって、右から左なのか、船を漕いでいる方はそれこそ多い。地方の仏教壮年会大会等でお話をする時には、明らかに婦人会で行なう時よりも反応が乏しく、話し手として寂しい思いをしたことなど珍しくないもの。そのくせ、お寺の運営会議等になると、そんな彼らが一転するものだから不思議です。男衆は俄然、張り切り出すのです。総会ともなれば大いに発言をし、ひとり悦に入っている。そんなお顔に、こちらとしては小さな溜め息を吐いたこと等も数知れず。あまりにもトンチンカンで独りよがりな主張が多過ぎて。無理もありません。だって、それまでお寺ごとなど、それこそ一切奥様任せ。山門を潜ったことなんて数えるくらいしかないわけで。この面倒臭い世代は、概ねもう70代以上とご高齢。世間ではとっくに退役を宣告されている筈ですが、それへの無念や反発といったものが背後にあるのでしょうか。

法事等の取り仕切り役ともなれば、なお第一線を張りたがる。その気迫たるや凄まじく、その勢いで以て、お寺ごとの会議なんかでも元気よく手が上がるものだから、始末に負えないわけです。その間、女性はといえば言うまでもなく面倒だからでしょう。旦那さんたちに冷たい視線を適当に投げかけるばかり。誠に奥方様からは多くを学ばせて頂いておることです。それにしても、男性と女性との間におけるお寺ごとへの関心は、こんな風に大きな違いがあるようです。女性は純粋に法話や美しい旋律のお経を楽しんだり、お斎の準備を張り切ったり、参拝者のもてなしに歓びを見出しているような表情等もしばしば湛えます。そうした時間を過ごす内に、心が癒されているのかもしれません。対する男性は、専ら寺務運営等の行政的な事柄に口を挟みたがり、顔つきだってしかめっ面。自分が一度口にしたことを取り下げるなど絶対にない。そこには、自分というものに拘り続ける爺様のまこと元気なお姿が見て取れます。しかし、そんな煩悩の炎も、燃え尽きる前の蝋燭の最後の輝きのようで、時に哀れみを誘うのですが。正直、住職としては内心、「偶にはこちらの方針に従ってくれよ」という気分になったりも。が、それを少しでも匂わせると、「何を若造が」という表情を直ぐに返されますから、辛抱の日々なのであります。私は彼らの息子の年代なので、是非もないわけです。そんな二進も三進もいかない状況に直面した時、私はしばしは、とっておきの笑い話をして、その場をやり過ごすことにしています。「皆さん、孫が遊びに来たら嬉しいでしょう? えっ、嬉しくない? どうしてよ。何だって? 疲れるだと。何で? ああそう、小遣いせびられるからか。でもね、それくらいならいいじゃないか。だって、そのうち言われるよ。『お爺ちゃん、いつまで生きているの?』って。あんたの息子や娘が家で呟いてんの、それ。えっ、それでも孫は可愛いだと。あんた、もうボケ始めてんの?」。ここまでくると場が笑いに包まれるのですが、無論のこと、「それ、俺の気持ちな」という本音がそこに重なっていることなぞ、露ほども気取られてはならぬのです…。日本社会の中で女性の活用が唱えられ始めて久しいですが、会社や行政職の中ではまだまだ女性管理職の割合は少ない。ヒラリー・クリントンさんが、アメリカ大統領選で破れた際に口にした“見えない天井”を意識させられます。私自身、ある書籍を刊行した折に、男性社会の中で直面する女性の困難というようなものをその時、初めて少しばかり理解させられました。

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【東畑開人の週刊臨床心理学】(07) テレビから消えると悲しい



20200626 19
今回は新型コロナウイルス明けについて書くと予告していたのだが、延期である。というのも、『NEWS』の手越君が活動自粛になってしまったことで、深く動揺しているからだ。最初は罪悪感であった。俺が前回、手越君について書いたせいで、「退所か否かにまでなってしまったのではないか」と魔術的思考に囚われたのだ。軽い冗談のつもりだったのに、どうしてこんなことに。あぁ、若しかしてこの連載は実はデスノートで、名前を書き込むとその人をテレビから葬り去る不思議な力があるのではないか。すると、キムタクのことも書いたことがあるのを思い出す。焦ってしまって、「キムタク、大丈夫ですか?」と事務所に電話をかけそうになったが、思いとどまった。そんなわけあるか。少し冷静になってから、よくよく考えてみると、ベッキーの時も、ショーンK(※覚えておられますか?)の時も、同じように動揺していた。私は、スキャンダルが出た芸能人が、一夜にして表舞台から消えていくのに弱い。確かに、スキャンダルは好奇心をかき立てる。私も大好きなので、毎回、センテンススプリングやウェブ記事を読み漁っている。それなのに、同時に深く傷付いている自分もいる。ファンでもなんでもないのに、だ。別に芸能人の裏の顔に傷付いているわけではない。ショックなこともあれば、楽しいこともあり、怒りを覚えることもあるけれども、そこは問題ではない。全然、自分と関係のない話なのだ。胸が痛むのは、彼らが去っていってしまう時だ。さっきまで知的で美声を誇っていたショーンKが、経歴を詐称するホラッチョ川上だとバレてしまうと、一瞬にして痕跡も残さずに去っていく。そのあまりの潔さに、悲しくなってしまうのである。

北山修という精神分析医が、“見るなの禁止”という理論を語っている。嘗て『ザ・フォーク・クルセダーズ』として一世を風靡した後に、潔く芸能界を去った人物であるだけに、表の顔と裏の顔のギャップが如何に悩ましいものであるかを深く洞察している。例えば、恋人がスマホにロックをかけていたり、親が何故か引き出しに鍵をかけていたりを思い出したらよい。「見てはいけない」と、そのスマホや引き出しは訴えている。だけど、そう言われると見たくなってしまうのが人間の性なので、うっかり覗いてしまう。すると、驚きの事実がわかり、大変なことになる。これが“見るなの禁止”である。読者の皆様にも身に覚えがあるのではないか。その最たるものが『鶴の恩返し』だ。「見てはいけない」と言われたのに、老夫婦は覗いてしまう。すると、綺麗な反物を織ってくれていた筈の若い娘が、実は鶴だったとわかる。しかも、自分の羽を毟って反物を織っていたのだから、その鶴は血塗れで、傷付いている。老夫婦はさぞかし驚いたことだろう。まさに芸能スキャンダルの構造そのものである。表では元気なアイドルが、裏では依存症や不倫に苦しんでいる。表では愉快な芸人が、裏では反社会勢力と手を切れないでいる。いや、それは私たちの人生そのものでもある。“顔で笑って心で泣いて”という諺があるように、私たちも傷付いた鶴を裏に抱えている。だけど、それを見せないようにして、人間のふりをして生きているのだ。重要なのは、鶴だとバレたら、最早一緒に居られなくなってしまうことだ。そう、鶴であったことがあまりに恥ずかしいから、彼女は去っていく。それだけじゃない。老夫婦も鶴を引き留めたりしない。何故なら、“見るなの禁止”を破ったのは自分たちだというのに、彼らは裏切られたように感じているからだ。鶴も老夫婦もお互いに傷付いているから、別れていくしか解決法がなくなってしまう。ここが悲劇なのだ。裏の顔がバレること自体は悪いことではない。それは痛ましくはあるけど、人間関係が深まるとはそういうことだ。鶴だって、ずっと自分の羽を毟り続けるわけにはいかなかっただろう。持続可能な関係になる為には、どこかで鶴だとわかる必要があった。だから、必要なのは去っていかないことだし、去らせないことだ。

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【EXPO2025・あと5年】(下) 新都市モデルを牽引

20200626 05
「朝、自然豊かな山あいの自宅に自動運転の航空機を呼び、時速400㎞で都心のオフィスに向かう」――。神戸市の自動運転航空機ベンチャー『スカイリンクテクノロジーズ』が描く未来は、決して夢物語ではない。年内に試作機を飛ばす予定で、5年後の大阪・関西万博では来場者を乗せ、会場と国内の文化拠点を結ぶサービスの提供を計画している。2025年大阪・関西万博の運営主体である『日本国際博覧会協会』が行なった事業アイデアの公募には、こうした“空飛ぶクルマ”や次世代移動サービス『MaaS』、VRを活用したサービス等、1000を超える提案が寄せられた。水辺が多い会場内に設置する100余りの歩道橋を3Dプリンターで建設する『大和ハウス工業』等のプロジェクトや、二足歩行の人型から車型に変形するロボットという、アニメや映画の世界を実現する計画もある。2025年万博の事業提案で目立つのは、3Dのアバターでバーチャル参加する人と交流できる仮想空間等、仮想・拡張現実を活用した計画だ。このような移動手段の進化と通信手段の変化は、何れも人のコミュニケーション範囲を広げる。新型コロナウイルス終息後に進展するとみられる非接触社会にも、方向性は似ている。提案された計画は今後、審査を経て万博の基本計画に盛り込まれる。

万博という“未来社会の実験場”は、社会での具現化に向けて動き出していることを基にしている。大阪府は先月1日、テクノロジーを活用して生活の利便性向上を目指す司令塔となる新組織(※スマートシティ戦略部)を発足させた。万博を控え、最先端技術を活用した、住み易くて持続可能な都市モデル創出を目指している。万博で示す未来像を、先んじて実現しようというのだ。2025年万博の企画立案に関わった大阪府立大学の橋爪紳也特別教授は言い切る。「2025年に大阪が見せる未来都市の姿は、これから先の世界標準になる可能性がある。他の都市ではできない挑戦的なものを大阪でテストするのは、今だ」。3月31日に開かれた大阪府市の有識者会議で、府市のパビリオンの有力なテーマ案候補となったのが、“REBORN 大阪の力で世界が生まれ変わる”。人の若返りや、都市の持続可能性の追求が狙いだ。“いのち”をテーマに掲げる2025年万博は、新型コロナウイルスの猛威を経験した日本と世界が、まさに生まれ変わる契機にもなり得る。大阪府の吉村洋文知事は、「人間の本質的な欲求に応えるもの」と賛同。ただ、メンバーからは「どう生まれ変わるのか、先はどうなるのかを示す必要がある」といった意見もあった。万博が夢を語るだけで終わってしまうのか、目指す“未来社会の実験場”となり得るかは、そうした具体像をどう示せるかにかかっているとも言える。一連のアイデアを受けた実証実験は、万博開幕前から始まる。会場のインフラや建築物にセンサーやカメラを設置して、交通や警備等に活用する提案や、来場者の生体情報解析を通じたサービスの提案は多いが、何れも新しい領域に踏み込むものだ。個人情報保護や情報の管理をどこが担うのか等、課題も多く、実現にはルール作りから着手しなければならない。橋爪教授は「万博の最大のレガシーは、万博で示された技術を活用して、万博後の大阪が新しい、若々しい街に変わること。大阪はもう一度、先頭ランナーに立つ必要がある」と話し、こう期待する。「そうすることで、大阪が“いのち輝く未来社会”を創る牽引力となる」。

                    ◇

井上浩平・小川原咲・黒川信雄・佐藤祐介・矢田幸己が担当しました。


キャプチャ  2020年5月2日付掲載

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【EXPO2025・あと5年】(上) 万博、アフターコロナの道標

2回目の大阪万博開幕まであと5年。その方向性を展望する。

20200626 04
新型コロナウイルスの感染者が世界で70万人を超えた3月30日、東京五輪の1年延期が正式に決まった。アラブ首長国連邦(UAE)で10月に開幕予定のドバイ国際博覧会(※万博)の運営団体が、開催時期の1年延期を検討しているとのニュースに、「感染症で万博が延期とは…」と、ある万博関係者は衝撃を受けた。5年後の4月13日には大阪湾の人工島・夢洲で2025年大阪・関西万博が開幕予定だ。政府はドバイ万博に担当者を派遣し、2025年万博への参加を各国に求める予定だったが、こうした一連の計画も変更を余儀なくされた。ドバイ万博の日程等は6月の博覧会国際事務局(BIE)総会で正式決定される見通しだったが、BIEは各国の渡航制限で開催が困難として、総会の延期を決定。現在の感染者は320万人に迫る。僅か約0.1μmの新型コロナウイルスに、五輪や万博を始め、世界中が翻弄されている。大阪市の松井一郎市長は、「2025年に向けてこの試練に打ち勝ち、人類の危機に負けないものを作り出したい」と力説した。戦後最悪の世界不況を引き起こすとも予測されるコロナ禍。ただ、感染拡大が終息し、景気が回復しても、アフターコロナの世界は以前と違う風景になると予想されている。

新型コロナウイルスは、大規模な社会変革の引き金を引いた。緊急事態宣言で人との接触を7~8割減らすことが求められる中、テレワークや遠隔授業、遠隔診療の導入等、新しいライフスタイルへの転換が加速。接触を伴うコミュニケーションを避け、“安全の為の監視”が進んだ。世界で最初に感染が拡大した北京では、マスクをしたまま顔認証が可能なゲートが導入され、アメリカの『Apple』と『グーグル』はスマートフォンの近距離無線通信規格『ブルートゥース』を使い、感染者との接触を通知する仕組みを今月にも提供予定だ。触れずに車のドアが開閉できる装置等、非接触の商品も次々に開発。ICTやVRを活用した、人との接触を介さない商品・サービスの活況は、多くの人が集まることを前提にしているビジネスやイベントが、アフターコロナは大幅な転換を迫られることを示唆している。リアルの来場者だけでなく、“VRでの80億人が参加”を掲げる2025年万博は、世界的な大規模イベント等の未来の姿を世界に示す舞台になる。個人の遺伝子情報や生体情報を分析して健康を守るシステムが当たり前になり、レストランでは身体の状態に最適なメニューを提供。知らないうちに癌や感染症の検査が行なわれて、正しい姿勢や適切な運動が自然に促され、無意識のうちに健康を維持できる。昔はどうやって健康を維持していたのか、想像もできない――。2025年万博に向け、運営主体の『日本国際博覧会協会』が実施したアイデア公募に寄せられた提案が描く、未来の姿だ。だが、世界は今、新型コロナウイルスの感染拡大に直面。国連のアントニオ・グテレス事務総長が「世界を“平常”に戻すことができる唯一のツール」と期待するワクチンや特効薬の開発には1年以上かかるとされ、世界が躍起になって取り組んでいるのは“人との接触を抑える”という原始的な手法だ。コミュニケーションの主流を非対面に促し、対面・書面・押印が原則だった日本の商習慣や行政手続きにもデジタル転換を迫るコロナ禍。ワクチンや新薬開発でもブレイクスルーを見い出すことができれば、2025年万博が描くビジョンの実現に近付く。世界、そして日本はどうやってこの難局を突破するのか。“いのち輝く未来社会のデザイン”をテーマに掲げる万博の意義は、今から問われている。


キャプチャ  2020年5月1日付掲載

テーマ : 社会ニュース
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