【新米住職ワーキングプア】(05) お坊さんに値段をつける時代になって一体だれが喜ぶのかしら

20171013 19
昨年来、大きな話題となっていた映画のレンタルが始まったので、盆前でしたが思い切って借りて見ました。新海誠監督の『君の名は。』(東宝)です。プロモーションでは“若い男女の体が入れ替わる”という部分が強調されていましたが、それは表面的なことで、恐らく映画館に足を運んで下さる客を増やす為の“方便”なのでしょう。作品に通底するテーマは、“癒し”と“魂の再生”に違いないからです。複雑に織りなす時間軸の中で、物語は展開します。3年前に大災害に遭い、そこで亡くなった女の子が、時を超えて、異なる時間軸を生きる“男の子”に出会います。時間がズレていますから、直接会うことはできません。だから、ある朝、目覚めると、互いの体が入れ替わっているという形で、双方の存在認識に至ります。最初はそれを単なる夢に過ぎないと本気にしていなかった2人でしたが、周囲の態度や、入れ替わっていた間の生活がライフログとして其々の携帯電話へ残ったことで、(2人にしか認識できない)現実の出来事と理解するようになります。何故、そんなことが起こっているのか? 謎解きは映画をご覧頂くとして、仏教徒である私の目には、次のような意味深い風景が映ったのでした。美しい恋愛表現を挟んで、“助けを求める者とその声に応えようとする者”の必死な姿に、私は増す魅せられました。それはまるで、“助けを求める衆生とその声に応えようとする仏様”の物語にも擬えられるかもしれません。映画の中で描かれる“互いに会いたいのに中々会えない関係”は、私たちと仏様の関係に近いものがあるようにも思えてなりませんでした。「簡単には会えない。けれども、魂のレベルでは確かに触れあえる何かがある」。そんな関係性が、この作品にはとびっきり緻密で壮麗な描写で提示されています。

特筆すべきは、“過去”の書き換えシーンでありました。文頭でも示しましたが、災害で亡くなった(筈の)女の子は、男の子と直接会うことは適いません。ですが、若しも避難できていたなら――。過去が変わることで未来も変わる。エンターテインメント作品ですから、ここは敢えてスクリーンの向こう側にいる観客に希望と救いを与える構成になっています。過去を上手く書き換えて。興味深いことに、仏教というものは概ねそれに近い方法で“救い”を得ようとしているようでもあります。映画のように、過去そのものに手は触れられなくとも、解釈を変更することにより対応可能とするのです。「あれにはこういう意味があったのかもしれない」「あれは何か縁あってのことかもしれない」。直面した困難と、若しそのままがっぷり四つに組めば、体中の骨が軋むだけです。が、そこに仏教観を基にした解釈が加わることで、たとえ起こった事実は変わらなくとも、それが現在に与える影響は大きく性質を変えます。そうやって現在が変われば、未来もまた変わる。苦しみの中に浮かんでくる種類の道――私の生きる方向が、そのことを通して明らかになっていく。それは、その本人の解釈次第で如何ようにも意味合いを深めていきます。その過程に“救い”が齎される可能性があることを、この映画は教えてくれてもいるようです。人生へ対する苦しみが、まるで癒しの方向へと転じられていくことを願って作られたような作品と言ってもいいかもしれない。本来、こうした癒しと再生については、仏教が最も得意としてきたことでした。格式の高い儀式、雅楽や仏教賛歌といった音楽的要素、声明の美しい響き、身も心も包み込むような深い香りを放つお香、お経の中にある深遠な教え、お坊さんの柔和な表情やたとえ話、極楽をイメージさせる荘厳、そしてそれらの真ん中には勿論、凛々しいお姿の仏様――。その全てが渾然一体となって融合する過程で、(苦悩する)人々を癒す方向へと誘います。いや、誘っていたのでした。過去形になるのは、現代のお寺やお坊さんを取り巻く状況が、嘗てとは大きく変化しているからです。とりわけ、葬儀の場は様変わりしました。「昔は、葬儀というものは物凄く特別なものだった。誰かが亡くなれば、夜中であっても正装して、その家の当主と親戚の方が揃ってお寺の門を叩いたものだ。だが、今は葬儀屋さんから電話1本だ」。先代からこうした話を聞かされるにつれ、私は隔世の感を抱くことです。確かに、葬儀屋さんが仕切るようになって、よいことも沢山ありました。大勢が入るホールは当然のようにエアコンが完備され、車社会に対応すべく巨大な駐車場を備え、火葬場や霊獣車の手配や故人のお迎え等も、全て手厚く対応してくれています。ですが、その一方で、お寺の裁量権が殆ど失われているものもあります。例えば、お香や線香は、なるべくお葬式という最高の格式に沿うグレードのものを使いたいのですが、葬儀社の都合に合わさざるを得ません。七日参り用の線香セットまでも、既にご家庭へ届けられていたりします。

続きを読む

スポンサーサイト

テーマ : 社会ニュース
ジャンル : ニュース

【風俗嬢のリアル】(09) シズカの場合――貯めたお金の使い道

20171013 18
那須塩原を出たシズカは、関東の実家に暫く滞在した後、新潟県長岡市内にある人妻デリへルへ移動していた。2年前にも同じ店で働いており、今回は2度目の入店だ。何と、日本3大花火大会の1つである『長岡まつり大花火大会』を見る為だけに来ているという。その盛り上がりを象徴するように、長岡の街は花火一色だった。駅前には正三尺玉の打ち上げ筒がモニュメントとして展示されており、商店街には長岡花火をアピールする垂れ幕が幾つも下がっている。ふらりと入った土産屋では、長岡花火の有料閲覧席チケットを購入している客の姿もあった。シズカは、2年前に長岡花火を見て感動し、もう一度見に来ることを心に決めていたのだという。シズカの勤めるデリへルの事務所は、閑静な住宅街の中にあった。一般入居者もいるごく普通の4階建て集合アパートで、一戸が事務所と待機室、もう一戸が寮として使われている。看板こそ出ていないが、如何にも水商売風の男性と小綺麗な女性が出入りしており、風俗店が入居していることは傍目にも明らかだ。「お待たせしました~」。シズカは、リサイクルショップで400円で購入したという綿素材のノースリーブワンピースを着て現れた。実用的な腕時計を付け、バッグを肩にかけた平凡なスタイルは、都市にいても田舎にいても常に違和感無く街に溶け込んでいる。その日は、朝10時に出勤して2人の客を取り、早めに上がったのだという。「長岡に来て丁度1週間ですね。今日まで連勤ですよ」。シズカは少し疲れた様子で言った。客の支払う金額は80分1万6000円程。女の子の手取りは、半分よりやや多めだ。

寮の利用者はシズカの他に、長期滞在者が1人。壁を隔てた隣の部屋に、家具や荷物を持ち込んで完全に私物化しているという。一方、シズカの部屋はテレビと簡易べッドがあるのみ。シーツも無いので、代わりに店にある客用のバスタオルを敷いて寝ているという。それでも、Wi-Fiが通っているので住み心地は快適なのだそうだ。「店の女の子たちは30代が中心ですね。人妻とかシングルマザーが殆どだと思う。夏休みに入ったから、子供にご飯を作らなきゃいけないみたいで、『あー、面倒臭い』とか言っていましたから」。シズカは待機中も寮の部屋にいる為、他の女の子たちとの接触はあまり無い。観光は2年前に一通り終わらせており、仕事が終われば部屋でゴロゴロしているだけだ。余程テレビ漬けなのか、「関係ないけど、新潟のテレビのアナウンサーは噛み噛み」と笑いながら言っていた。期間限定でシズカが復帰したことは、店の常連名にも伝わっており、待ってましたとばかりにリピーターが付いていた。「2年前のお客さんは、3人は来たかな。『覚えている?』って聞かれるけど、私は覚えていない。申し訳ないって感じです。『随分休んでいたんだね』って言う人もいれば、『旅はもう終わったの?』って聞いてくるお客さんもいて、人によって話していることが違うんですよね」。人妻店という設定上、シズカは嘘のプロフィールで固めることもあれば、聞かれるままに答えることもあるという。相手を見て対応を変えるのも、サービスのうちだ。シズカは、どの県へ行ってもそれなりに人気があるようで、1週目にも拘わらず、既に新規のお客さんが2人もリピートしていた。「長岡の人は女性に優しいですね。それと、何故か肌がスべスべで、全体にスリムで太っちょがいない。あとは新潟県出身が圧倒的に多いです。特徴っていってもそれくらいですかね。皆、普通」。ラブホテルは市内に点在しており、スタッフの送迎で客の待つホテルへ向かうのが通常だが、長岡では一緒にホテルへ入りたがる客が多いという。態々外で待ち合わせて、客の運転する車に乗り換えるのだ。「ホテルに入ってからがスタートなんで、移動中はタダなんですよ。話す時間が欲しいのか、あわよくば触ろうとしているのかわからないけど、その間も会話で奉仕しないといけないんで、まぁ面倒臭いですね」。一度だけ自宅へ派遣されたこともあるという。ワンルームにべッドとテレビがあるだけで、洗濯機も冷蔵庫もコンロも無い殺風景な部屋だった。「3年間、単身赴任しているみたい。神奈川の家に妻子がいるって言っていました。本当に3年も住んでいるのかなってくらい何も無いんですよ。ご飯は外食で、洗濯はコインランドリーだって。建設か電気関係の仕事なのか、プレイ中に何度も電話がかかってきて、『夕方からまた現場に戻る』って言っていましたね」。シズカは聞かれるがまま、日本一周の旅をしている最中だと話すと、「いいなぁ、俺もどっか行きたいなぁ」と男は呟いたという。

続きを読む

テーマ : 社会ニュース
ジャンル : ニュース

パーティー三昧&マウンティングだらけ! 頭空っぽな意識高い系が集うシェアハウスという魔窟

オシャレな物件にオシャレな人が集まってオシャレな共同生活を送るシェアハウス。暮らしてみると、とんでもない地獄だった! 意識高い系のバカが大量に集まるシェアハウスのあり得ない実態を、アラサー女ライターの金城明美が体験ルポ!

20171012 04
リア充男女がひとつ屋根の下で交流を深めるシェアハウス。5年ほど前に『テラスハウス』(フジテレビ系)の放送が始まってからというもの、オシャレ物件として未だに人気ですよね。でも、ちょっと待って下さい。シェアハウスって、言ってしまえば只の寮ですよね? 風呂トイレ共同の格安アパートと何が違うんですか? きっと、シェアハウスに住む連中なんて、ハリボテみたいな安っぽい内装の部屋に大喜びするような中身の伴わないバカに決まっています。大手シェアハウスの運営会社の物件ホームページを見てみると、“入居者同士で成長し合える場”なんて書かれていますが、抑々、そのメンタリティーがキモ過ぎ! 第一、「キラキラ物件に住めば自分もキラキラできる」とか思っている時点で底が浅過ぎです。実際にどんな頭の弱いミーハーが住んでいるのか、独り暮らし歴10年(※埼玉4年&東京6年)、JR中央本線沿いでアーバンライフを送るアラサー女ライターの筆者が検証してみましたよ! 今回、筆者が住むことにしたのは、東京郊外にある大型シェアハウス。新宿まで急行で30分とド田舎の癖に、家賃は共益費・光熱費含め7万円近くとお高め。ハウス内には何と100人近くが共同生活を送っていて、住人は日本人の他に、韓国人・中国人・フランス人・スイス人等々、随分と多国籍。どうやら、7割以上は外国人のようです。これはこれは、若しかしたらヨーロッパあたりの男性とお近づきになれるチャンスかもしれませんね。俄然、やる気が沸いてきましたよ!

入居当日は、黒光りしたサーファー風の管理人(※30代前半ぐらい)と顔合わせをし、緊急連絡用にと、ほぼ強制的に『Facebook』で管理人とお友だち登録させられます。どうでもいいけど、何で貴男のFacebookのプロフィール、英文で書かれているの? ねぇねぇ何で何で? 更に、入居者全員が入っているというLINEグループにも、これまた強制的に参加。どうやら、共用スペースを散らかしたり、ルールを破ったりしたら、94人もメンバーがいるLINEグループ上に曝し上げられるようです。地獄か! 「ルールを違反した人には、愛をもって厳しく叱りますね!」と、何故かドヤ顔のサーファー。どうでもいいけど、エレベーターに張り出されている貴男のプロフィール写真、目玉の部分がくり抜かれていましたよ。施設の使い方やルールの説明を受けた後は、サーファーにハウス内を案内してもらいます。各々個室が与えられていて、それ以外は共用。広々とした調理場&ダイニングルームには、アイランド型キッチンが4つ、10人がけのパイン材のダイニングテーブルが3つ。更に、別のフロアにはコワーキングスペース、鏡張りのトレーニングルーム、大型スクリーンのある上映室、大浴場、個室シャワーなんかがついています。地下にはネイル室とかバーラウンジまでありますよ。はいはい、オシャレオシャレ。因みに、共用部分が豪華な割には、約6畳の細長い個室は鰻の寝床みたいにお粗末。まぁ、シェアハウスなんてアパートの初期費用が払えないような底辺が住むとこだし、仕方がありませんね。ただ、売れっ子ライターの筆者が住むにはちょっと貧相なので、一番上の高層階(5階)の部屋を借りて、格の違いを見せつけてやります。他のヤツらと同レベルだと思われたら嫌だもんね! 諸々の手続きが終わった後、早くも管理人からパーティーの招待状を渡されます。目論見通り、ここにはパリピの巣窟だったようですね。当日、参加者の人数をざっと数えてみると、大体20人ぐらい。女性陣は、女子大生っぽい若くてオシャレな日本人ばかりです。皆で仲良くキッチンに立っていますが、「適当に作ったから失敗しちゃったかも~次」とか言いながら、アボカド入りのトマトクリームパスタ(※全粒粉)を出してくるあたり、抜け目がありません。男性陣のほうはというと、20~40代まで年齢層は幅広く、国籍もバラバラ。「適当にお酒買ってきたよ~」とか言いながらハイネケンを持ってくるあたり、日本人男子もぬかりがありません。何で適当に選んだ酒がハイネケンなんだよ! アサヒスーパードライでいいだろうが! 一方、海外勢は何故か女性の参加者はおらず、欧米系の妙にギラついた40代くらいのおっさんたちと、オタクっぽい20~30代の男たちがちらほら。この人たち、自分の国ではモテなかったんだろうなぁ~。筆者が参加した時には、既に意識高い系日本人たちと、都落ち欧米人たちがカオスな宴を繰り広げている真っ最中でした。何これ、入り難い…。

続きを読む

テーマ : 暮らし・生活
ジャンル : ライフ

浄土真宗本願寺派開教使がブラジル仏教の今を映画に

20170928 08
キリスト教大国のブラジルで、仏教への関心が高まっている。その興味深い状況を、現地で布教の最前線に立つ日本人僧侶が懸命に映画にしている。『TRÊS JOIAS』(※邦題は『ブラジル仏教』)がそれ。ブラジルにおける仏教伝道と受容の動きを、浄土真宗・禅・チベット仏教に焦点を当て、ブッダ(僧侶)・ダルマ・サンガのテーマで3部作構成(※1部60分、計3時間)で描く。作っているのは、記録映画作家で浄土真宗本願寺派開教使の菅尾健太郎師(40)だ。菅尾師がブラジルに開教使として起任したのは15年前。同派南米開教区の約35ヵ寺は、移民1世等移民史の中で建立された。現地で布教伝道に携わるな中、菅尾師はあることに注目した。「門信徒の大半は、移民1世の子孫である日系ブラジル人。でも、そうした歴史や文化的背景を持たない非日系ブラジル人もお寺に来る。敬虔なカトリックの家で育ったけれど、真摯に仏教を学び、お寺に通い、僧侶になる人もいます。異文化の背景を持つ彼らにとって、仏教の魅力とは何か、そしてどのように受容していくのか、観察するようになったのです。そこにこそ、21世紀に進化し続ける仏教の姿があるのではないかと思いました」。前作では、アメリカの浄土真宗の記録映画を作った菅尾師が、15年間のブラジル伝道経験の集大成として取り組んだのが本作品だ。映画には様々な背景を持つブラジル人の発心も描かれ、仏教の力を感じさせる。ブラジルに続き、日本では来年7月に公開予定。目下、最終的な編集に向けて、クラウドファンディング(https://motion-gallery.net/projects/tresjoias)で資金を募っている。


キャプチャ  2017年8月号掲載

テーマ : 国際ニュース
ジャンル : ニュース

兎に角“自己アピール”したがるバカどもの狂乱…有名人が死んだ時にSNSでお悔やみを申し上げる風潮が気持ち悪い!

通夜や葬式で会った遺族に対し、かける言葉など見つからないが、それでも慰めねばならない時に、心の底から出る言葉。「お悔やみ申し上げます」。SNSの普及で、あまりにも安くなり過ぎていませんか? (フリーライター ダテクニヒコ)

20170927 15
2014年10月に乳癌の告知を受けて闘病中だった小林麻央さん。2017年6月21日に容態が急変し、翌22日夜に自宅で死去した。夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵は、「わざわざご報告するようなことでは無いかもしれませんけど」としながらも、世間の注目の高さを受けて会見を開き、「最後に『愛している』と言って、本当にそのまま旅立ちました」と語った。この訃報に対し、様々な人がコメントを出している。姉の小林麻耶は自身のブログで、「生まれた時から可愛くて可愛くて、どうしてこんなに妹が好きなんだろうと自分でも不思議に思ってしまうくらい心の底から大好きでした。世界一愛おしい存在です」と書き込んだ。姉妹なら、その悲しみは如何許りか。ニュース番組で共演していた『嵐』の櫻井翔は、報道陣の取材に応じ、涙を流しつつ、「家族を失ったような気持ちで一杯です」と声を絞り出した。「演技ではないか?」という声もあったが、3年半も共に仕事をした仲間の死。悲しまないほうがおかしいだろう。海老蔵の親友で、麻央さんとも家族ぐるみで親交があった中村獅童は、「あなたの優しさに満ち溢れた笑顔、一生忘れることはありません」と追悼メッセージを送っている。同じく親交があった片岡愛之助、その妻の藤原紀香、海老蔵の幼馴染みである寺島しのぶ、結婚披露宴で歌を贈った友人の平原綾香、その披露宴で司会をした徳光和夫。彼らがコメントを出すのはわかる。まぁ、本来であれば自分の心の中で冥福を祈ればいいことであり、親交があってもコメントを出していない明石家さんまのスタンスで良い筈だが、コメントを求められる芸能人という立場なら、それも致し方ない。

中には、海老蔵夫妻とは親交が無いのにコメントを出していた、半ば売名行為のようなものも散見したが、百歩譲って同じ芸能界の同僚の死を悼むということで許されるであろう。しかし、全く無関係な一般人の追悼コメントがSNS上で撤き散らされたのは見過ごせぬ事態。それも、「本当に悔やんでいるのか?」と疑いたくなる内容のものも数多くあった。その幾つかを見ていこう。「小林麻央さん、お悔やみ申し上げます。私の母は41歳の時に乳ガンでこの世を去りました。うちにはお金があまりなかったので、高額な治療費を支払う為に父は昼夜働き、家事と看病は私がしていました。恵まれた環境、施設で闘病出来ることはある意味幸せです。必要以上に心配せずに済むのですから」。えーと…お悔やみではなく妬み嫉みだよね? 「小林麻央ちゃんの計報、とても残念に思っています。お悔やみ申し上げます。ブログにコメントでアドバイスをしたことが何度もありましたが、反映されたのは、一度だけでした。あとは、全部はじかれていました。大事なことは、がんを発症する前にがんを予防するための知識を得ておくこと」。その下に貼ってあったリンクをクリックしたところ、『クスリいらず医者いらず健康法』というサイトが…。死人を使って広告紛いのことをするって正気か? 「報道でやっていた小林麻央さんの最後のブログに【中略】心よりお悔やみ申し上げます。今聴いているのはJ・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調。涙しかない」。アンタの聴いている音を書く必要はあるのか? 「基本的には宮崎あおいちゃんのことしか呟かないのですが小林麻央さんの死去【中略】慎んでお悔やみ申し上げます」。うん、冒頭の言い訳は誰に対して発信しているの? そして、そうなら小林麻央さんのことは呟くな! 「福岡県東部が主だが、新聞等で知った6月13日~24日の60歳未満の方の計報、7人目になってしまった。これに小林麻央さんら芸能関係の方を加えると9人。半月で9人。尋常な数ではない。3.11以降すっかり体が変になった自分も他人事ではない。#内部被曝 #お悔やみ #訃報 #福岡県」。アンタが内部被曝しているかどうかはさておき、そのコメントに小林麻央さんの名前と“お悔やみ”というハッシュタグを加えるのはどうかと思うよ。「遅くなりましたが、小林麻央さん。ホント残念です。つつしんでお悔やみ申し上げます」。遅くなりましたって、誰に向けて謝ってるんだよ。っていうか、お前誰だよ。「小林麻央さんが誰かはわからないけど、お悔やみ申し上げます」。誰かはわかってー! 「小林真央さん。お疲れ様でした。がんばったね」。“真央”じゃなくて“麻央”! 「しかし、小林麻央ちゃんへのお悔やみツイートを何故に誤字だらけで呟けるのかだけは疑問【中略】そんな適当な人って、悲しんでる自分に酔ってる様にしか見えないわ。残された遺族に対して失礼だとは思わないのかしら」。ホントにそう!

続きを読む

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

【平成の天皇・象徴の歩み】(16) 沖縄と向き合う決意

20170922 05
赤へルメット姿の2人が、爆竹を鳴らしながら火炎瓶1本を投げ、ご夫妻から約2m手前の祭壇裏で燃え上がった――。1975年7月7日、沖縄県糸満市の『ひめゆりの塔』で、皇太子夫妻時代の天皇・皇后両陛下に向かって火炎瓶が投げ付けられた。読売新聞は、その瞬間を捉えた写真と共に、事件を報じた。両陛下にとっては初の沖縄訪問で、先の大戦の慰霊の為、南部の激戦地を巡られていた。怪我は無く、慰霊は続けられ、陛下はその夜、県民に向けてお言葉を発表された。「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によって贖えるものではなく、人々が長い年月をかけて、これを記憶し、1人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」。陛下はお言葉通り、住民を巻き込んだ凄絶な地上戦で約20万人が犠牲になった沖縄に、全身全霊で心を寄せ続けられた。沖縄学の第一人者である外間守善さん(※2012年没)に教えを請われたのも、そうした姿勢の表れだった。1968年に始まった進講(講義)で、沖縄の文化や独自の短歌・琉歌も学ばれた。3000余りの歌から琉球国王の四十数首をノートに書き写し、勉強されたという。本土との交流事業で“豆記者”として派遣される沖縄の子供たちとの間で、沖縄がアメリカ軍の占領下にあった1963年から触れ合いの場を持たれてきた。

琉球大学准教授の高良宣孝さん(42)は、12歳の時、静養先の軽井沢のホテルに招かれた。陛下の世が長く続くことを願う琉歌を詠むと、陸下も琉歌を返してくれた。「いくさ世もすまち みろく世もやがて 嘆くなやう臣下 命ど宝(戦いの時代も終わり、幸せな時代も間もなく来る。臣下よ嘆くな、命を大切に)」。琉球王朝の最後に首里城を離れる尚泰王が詠んだと伝わる歌だ。言語学者になり、沖縄の方言も研究した高良さんは、「陛下が深く知ろうとされた沖縄の文化に興味を持った」と話す。陛下は1989年、即位後初の記者会見で、「機会があれば是非」と沖縄訪問を望まれた。1993年に実現すると、『ひめゆり平和祈念資料館』で、ひめゆり学徒隊の人々と会うことを望まれた。戦中の動員で136人が犠牲になり、天皇との面会を疑問視する声もあった。だが、陛下と会った本村つるさん(92)は、元学徒隊員の体験記を読み、我が子にも伝えていると明かす陛下に接し、沖縄に寄せる真摯な思いを感じ取った。2012年、両陛下のお子さま方が計画された陛下の喜寿(※77歳)のお祝いでは、東宮御所で沖縄の歌や踊りが被露された。両陛下と40年来の交流がある琉球舞踊家の志田房子さん(80)は、「沖縄を思い続けて下さることへの感謝を込めて舞った」と語る。両陛下の沖縄訪問は、皇太子時代を含めて計10回に上る。外間さんは、他界する5年前に出版した自伝『回想80年 沖縄学への道』で、ひめゆりの塔事件の前夜、陛下が見せたある“覚悟”に触れている。沖縄への出発を翌朝に控え、陛下は深夜まで県民へのお言葉を推敲されていた。大反対の中、激戦地で慰霊すると決めた陛下に「何が起こるかわかりませんから、是非用心して下さい」と伝えると、「何が起きても受けます」と静かに答えられたという。「並々ならぬご決意が伝わってきた」――。外間さんはそう書き残している。 =おわり

               ◇

吉田敏行・小野沢記秀・岩崎千尋・大前勇が担当しました。


⦿読売新聞 2017年7月5日付掲載⦿

テーマ : 天皇陛下・皇室
ジャンル : 政治・経済

「60代のオヤジが20代とヤるなんて幻想だよ」――週刊誌が煽る“死ぬまでSEX”ブームの舞台裏

『高齢者だってセックス 言えない性の悩み』と題した番組が『クローズアップ現代+』(NHK総合テレビ)で放映されたのは、今年5月のこと。週刊誌でも高齢者のセックス特集は好評で、『死ぬまで、死ぬほどセックス』『まだまだ現役、こんなに楽しんでいます 80歳からのセックス』等のタイトルが電車の中吊りで踊るのが、嫌でも目に入ってくる。近頃、老いらくの恋ならぬ老いらくの性が、何やら盛り上がっている。戦前生まれは性欲があることすら恥じらいのヴェールで包んでいた世代だったが、団塊世代がアラセブに突入すると、老人リブばりに性の解放を声高に叫ぶようだ。という訳で、高齢者の性に詳しい方々に集まって頂き、実際どうなっているのか聞いてみた。 (聞き手/フリーライター 中山美里)

20170922 01
鈴木「実際、高齢者のセックス特集をするとバカ売れするんですよね。『文春超えるんじゃないの?』ってくらいにバカスカ売れる」
高山「書籍も売れ行き好調のようですしね。出版業界で唯一、好調なんじゃないでしょうか(笑)」

――しかし何故、あんなに売れるんでしょうね?
鈴木「実は、企画によっては売れないんですよ。“自分の愛するパートナーと添い遂げられると理想ですよね”というテーマで、心身を満足させる為のノウハウや人体の科学に焦点を当てれば売れるんです」
高山「実用的だということですね」
鈴木「でも、“ジジイでもモテる”とか、“愛人を作る”とかって企画にすると、全然ダメなんですよ」
高山「60代男性が20代とセックスなんて、単なる幻想ですからね。実際、20代の女性とセックスしたって楽しくないし(苦笑)。話して面白く、癒し癒されるエロスの時間を提供できるのは、アラフォー以降の大人の女性ですよ」

――やはり、読者の実生活に則したものだと売れるってことですね。明菜さんのお客さんは、やはり年上の方が多いんですか?
明菜「色々な年代の方が来ますが、高齢の方も多いですよ。これまでの1番年上は94歳。勃たなかったですが、やる気は満々でした。60代は更にいますね」
高山「『勃起力の衰えと年齢は関係ない』って取材でよく聞くんです。『“勃つ・イク・射精する”は別物だ』と皆さん言うんですよね。私にはイチモツが無いので、残念ながら実感できないんですが…」
明菜「そうですね。フニャフニャでもイクし、出る人は出る。中年でも勃たない人もいるし、高齢でもしっかり勃つ人もいます。個人差があるものだと思います」
鈴木「年齢と共に性ホルモンの分泌は衰えるので、これまでは『高齢になると性欲は無くなる』と考えられていたんです。でも、神経伝達物質があることで、性欲は無くならないことがわかってきた。セックスは、脳も使えば手足も使う。まさに全身運動です。健康の為にも、したほうがいいんでしょうね」
高山「『女性は、閉経で女性ホルモンの分泌が無くなると濡れなくなる』と学説では言われているんです。でも、高齢者AV女優が出演するメーカーに取材した時は、男性とヤリ続けている女性は70代でもグチョ濡れだし、閉経後に彼氏等ができてヤリ始めると、再び愛液も出始めるんですって。『長寿の秘訣はスケベだ』って断言していた女優さんもいましたね」
鈴木「但し、何でもやり過ぎは良くない。高血圧の人なんかは、それこそ興奮し過ぎて本当に昇天というケースもあるから注意しないと(笑)」
高山「確かに(笑)。実際、本番行為は体力使うからそれなりに危険だけど、そこは記事にできませんよね。挿入ではなく、肌の触れ合いを求めている人は多く、年金が入るといつも120分コースで風俗を予約するお爺ちゃんもいます」
明菜「60代以上の男性は90分以上と長く利用する方、多いですね。あるお客さんは、いつも最低3時間以上で利用してくれるのですが、家に行くとお風呂を沸かして待っていて、ご飯も用意されているんです。一緒にお風呂に入って、食事をした後にエッチなことをする…そんな流れが出来上がっています」

続きを読む

テーマ : 社会ニュース
ジャンル : ニュース

【新米住職ワーキングプア】(04) お布施はどこに行ったかと住職を監視する檀家をいかにするか

20170920 12
本を書くと講演依頼が入るようになります。『お寺さん崩壊』(新潮新書)を上梓して以降、宗派を問わず各地からお声掛かりが増えました。先日は曹洞宗さんの現職研修ということで、お寺さん200ヵ寺くらいの前でお話をさせて頂きました。群馬県での講演でしたが、過疎地のところが多いとのこと。地方寺院の未来が決して明るくないこともあって、本当に真剣に耳を傾けて下さり、また寺院存続へ向けた具体的な質問や意見等も多数頂き、大変有意義な時間でした。中でも、「余裕が無い為に寺院収入の全てを護持に使い、自身は給与を殆ど貰っていない」と仰っておられた女性住職の弁には、胸を打たれた次第です。私自身は、今後の寺院存続を念頭に置いた場合、寺院経理の徹底した透明性の確保は、財政公開も含めて非常に有効であるものと考えています。しかし、それを急激に進めると、間違った理解をしがちな檀家さんのご意見に振り回されることもあります。例えば、「人件費は認めない」といった類いのものです。だから、自らそれを辞退する住職も現れるのかもしれません。檀家の言い分はこうです。「自分たちは働いたお金で布施をしている。住職も寺へ寄付をすべし」。一見、尤もに映りますが、大きな見落としがあります。この場合、檀家は最初に仏様から布施(法施)を頂いていることを自覚していません。法の世界とのお取り次ぎをするお寺から、先ず葬儀や法事・法話といった布施を頂いている。それに対して、“財施”といった形での布施返しをお寺は頂く。先に有難いご縁を頂いたことに対する感謝の気持ちからのお布施であることが、すっぽりと抜け落ちています。そうすると、「お布施をしてあげている」という意識が生じてしまうようです。

地方で過疎地といった地理的不利を被 っている寺院では、この誤った論理に巻き込まれ易い為、特に気を付けておくべきでしょう。何故なら、こうしたところに位置する寺院は、ともすれば神社と同じような扱いを受けがちだからです。田舎の神社は、集落に住む人たちが氏子となり、全員で支えてきた歴史があります。だから、神社に対して“自分たち(集落)のもの”という意識を強く滲ませます。「自分が社を支えてやっている」という自負心です。高じて、神さんを支えている。その延長線上に“お寺”も意識されていく――。これが、前述したお布施の勘違いに繋がっていきます。しかし本来、寺院というものは、その地に最初に開創した僧侶がいる筈です。ここは神社との大きな違いです。初代住職により建立された地方寺院は、歴代の住職が布教を重ねることで檀家を開拓し、彼らを繋ぎ止め、護持を果たしてきました。その過程で、寺院存続に欠かせない大型の寄付をされた檀家さんもおられたことでしょう。そうした檀家の家系は、総代等の重要地位に就いてこられた筈です。そうしたことに加え、戦前の寺院は財産として田畑を所有しているところも多かったようです。護持や住職の食い扶持も、それにより保証されていたのです。ですが、敗戦によりそれが一変します。農地改革による寺領の激減です(『寺院消滅』鵜飼秀徳著・日経BP社)。地方寺院の住職の兼業は、今では当たり前ですが、恐らく、この頃より急増したものと思われます。平日は住職が自ら飯の種を稼ぎ、週末は寺院存続の為にほぼボランティアで法務に励む。“365日・24時間戦えますか”の世界の出現です。ブラック企業も真っ青の働き方ですが、今や檀家からも“当たり前”と認識されています。先の女性住職の発言には、こうした背景が重なって、思わず涙をそそられた次第です。翻って、寺院財政の透明化について、「若し住職給与を出せる余裕があるならば、堂々と適正な額を支給すべきだ」と考えています。そうでなければ、後継者が育たないからです。跡継ぎがいなければ、いずれそのお寺は朽ち果てていきます。そうなって一番困るのは檀家さんです。既に、住職が一般社会での仕事を持ちながらお寺の運営も熟すという地方寺院ならではの兼業は、不可能な時代に差し掛かりつつあります。そのあたりの説明をしっかりと行い、檀家の理解を得た上で、住職給与が支給できる法人財務体制を構築することが急がれます。檀家さんの意識が“してあげている”というようなものになり易い理由を考えてみますと、偏にお寺へ対する若干の不信感がそこに芽生えているように思うのです。先日、地元の教区の下部組織でも講師依頼が入り、丁度『仏教壮年会』の総会でお話をしていた時のことです。地方寺院を取り巻く歴史や制度の変遷、過疎化の現状、住職の給与実態、少子高齢化における地方寺院の近未来像、お布施の精神等について語った後、質疑の時間も少し設けました。一様に皆さん「知らなかった。坊主丸儲けと思っていた」と口を揃える。私はつい勝ち誇ったような表情を作り、すかさず「おわかりになりましたか? お寺を大事にして下さいよ」と門徒さんに重ねて釘を刺しました。そして、鼻の穴を少し膨らませておりました。

続きを読む

テーマ : 社会ニュース
ジャンル : ニュース

【平成の天皇・象徴の歩み】(15) 開拓地の苦難、耳傾け

20170920 01
栃木県那須町の千振地区は、戦後、満州(※現在の中国東北部)から引き揚げた人々が切り開いた牧場や農耕地が広がる。2005年9月、皇室の静養施設・那須御用邸の東約5㎞に位置するこの開拓地に、天皇ご一家が足を運ばれた。「シノザサの根を起こすのに随分苦労されたようですね」。案内役の中込敏郎さん(90)にそう声をかけたのは、天皇・皇后両陛下の長女で、2ヵ月後に結婚を控えていた黒田清子さん(紀宮さま)だった。「そんなことまでご存知なのか」と中込さんは驚いたという。千振の記録『千振開拓50年のあゆみ』を両陛下は読まれており、自分も読ませてもらったのだと黒田さんが説明してくれた。1995年発行の記録集は、8世帯其々の開拓史を紹介している。「ご一家で開拓民1人ひとりの人生を知ろうとしてくれた」と、中込さんは感激した。「三角に組んだ丸太に笹を被せた小屋に住み、雨漏りに耐え、荒野を耕しました」。ご一家で中込さんの説明に耳を傾け、陛下は去り際、「満州での開拓に続いての開拓を成し遂げられ、ご苦労さまでした」と、那須の大地を切り開いた人々を労われた。1932年から約27万人が満州や内モンゴルに入植した満蒙開拓では、終戦時のソビエト連邦軍侵攻による混乱もあり、約8万人が命を落としたとされる。

戦後60年を迎えたこの年の千振訪問には、秋篠宮さまと孫の眞子さまも一緒だった。皇后さまは翌月の誕生日に発表した文書で、当時、中学2年生の眞子さまには少し早いと思ったが、藤原ていの『流れる星は生きている』を読んでいたので誘ったことを明かされた。戦後の満州からの脱出行を描いた藤原の体験記は、紀子さまの母親で、やはり満州からの引き揚げを体験した川嶋和代さんが、眞子さまに渡したのだった。両陛下は他にも、長野県軽井沢町の大日向地区や宮城県蔵王町の北原尾地区等、満州やパラオ等から引き揚げた人たちが切り開いた開拓地を、即位後だけで10回ほど訪問されている。昨年11月には、長野県阿智村で2013年にオープンした『満蒙開拓平和記念館』に向かわれた。「公務を離れてゆっくりして頂く」と同年に始まった私的旅行を利用しての訪問だった。寺沢秀文副館長(63)は「両陛下が見学を望んでいる」と聞いていたが、「国策で多くの人が犠牲になり、現地の住民の家や土地も奪ったとされる歴史の暗部も扱うこの施設に来られるのは難しいだろう」と考えていた。両陛下は同館で、引き揚げを体験した語り部3人の話を割かれた。久保田諫さん(87)は、戦後の混乱の中、集団自決することになり、開拓団の女性や子供に手をかけたと打ち明けた。其々の体験談に耳を傾けた陛下は、「3人のご苦労があったから、今の日本の平和と繁栄があるので、語り継いでいって下さい」と伝えられた。久保田さんは「悲しい歴史もありのまま伝えることを両陛下に後押ししてもらった」と受け止め、その語り口はより熱を帯びるようになった。両陛下の訪問で同館は注目を集め、来館者が1.5倍に増えたという。


⦿読売新聞 2017年7月4日付掲載⦿

テーマ : 天皇陛下・皇室
ジャンル : 政治・経済

【平成の天皇・象徴の歩み】(14) 差別の苦しみ、癒やす

20170915 04
天皇・皇后両陛下を乗せて、瀬戸内海を行く高速船が速度を落とし、大島にギリギリまで近付いて行った。2004年10月4日、香川県の小豆島に向かい、高松市に戻る途中だった。両陛下は当初、同市で『全国豊かな海づくり大会』に出席するこの機会に、大島の『国立療養所大島青松園』を訪ね、入所しているハンセン病の元患者と会うことを望まれた。だが、島は浅瀬で高速船が着岸できない為、この2日前、同市内で入所者代表ら約25人との懇談が設定された。其々の手による陶磁器や盆栽を前に、「作ることが生き甲斐になっていますか?」等と声をかけられていた。両陛下はその上で、上陸できないまでも、船上から島の人々に手を振ろうとされたのだった。島の桟橋にも約200人が集まり、日の丸の小旗を振った。肉眼では両陛下の姿を確認できなかったが、入所者の野村宏さん(81)は「波に揺れる船を見ただけで、両陛下の温かなお気持ちが伝わってきた」と振り返る。野村さんが入所した1952年当時、同園では24畳の大部屋で12人が生活していた。職員は予防着と長靴姿。外の病院で治療を受けられず、医師や看護師は目しか出さない格好で接してきた。当時の患者らは、人里離れた地域や島での生活を余儀なくされた。差別的待遇は、1996年のらい予防法廃止まで続いた。

国の隔離政策を違憲とした熊本地裁判決が確定したのは、2001年になってからだ。陛下は、皇太子時代の1968年の『奄美和光園』(鹿児島県奄美市)訪問から、2014年の『東北新生園』(宮城県登米市)訪問まで、半世紀近くかけて、国内14の全ハンセン病療養所の入所者と懇談された。「ハンセン病への誤解や偏見が続く中、両陛下は行動し、理解を広めてくれた」。『全国ハンセン病療養所入所者協議会』会長の森和男さん(77)は、そう強調する。1975年の沖縄初訪問の時も、『沖縄愛楽園』(名護市)に向かわれた。差別と戦争の惨褐に苦しんだ人々と懇談後、車に向かわれた時、船出歌『だんじょかれよし』(※“誠にめでたい”の意)の大合唱が沸き起こった。陛下は、この情景を“だんじょかれよしの歌声の響 見送る笑顔目にど残る(だんじょかれよしの歌声の響き 歌って見送ってくれた人々の笑顔 今も心に残っている)と、沖縄独特の短歌『琉歌』に詠まれた。これに皇后さまが曲を付けた『歌声の響』は、ご結婚40年・50年の祝賀の機会に披露されてきた。2015年にハンセン病への差別撤廃を世界に訴える『グローバルアピール2015』が東京で開かれると、両陛下は来日した各国の元患者代表をお住まいの御所に招き、懇談された。日本政府ハンセン病人権啓発大使で、『日本財団』会長の笹川陽平さん(78)は、この時に案内役を務めた。頬擦りするように顔を寄せ、病気で形が変わった手を握られる両陛下と、目を潤ませて感激している元患者らの姿が、目に焼き付いているという。「家族からも手を握ってもらえない私と握手して下さった。これまでの苦しみや痛みがスッと消えた」。懇談後の記者会見で、インドの『ハンセン病回復者協会』会長のヴァガヴァサリ・ナルサッパさんは目を輝かせた。アメリカ人の男性代表は、「両陛下に会って私は復活した。新しい世界への扉を開けてくれた」と、感謝と喜びの言葉を口にした。


⦿読売新聞 2017年7月2日付掲載⦿

テーマ : 天皇陛下・皇室
ジャンル : 政治・経済

轮廓

George Clooney

Author:George Clooney

最新文章
档案
分类
计数器
排名

FC2Blog Ranking

广告
搜索
RSS链接
链接
QR码
QR