『日本相撲協会』は一代年寄授与問題を放置…稀勢の里ブームに隠された“引退できない”白鵬の苦悩

稀勢の里が奇跡の逆転優勝を果たし、空前のブームが到来している相撲界。しかし、10年以上に亘り角界を支えてきた第一人者の白鵬は今、深い悩みを抱えている。大横綱の知られざる心象風景とは――。 (取材・文/本誌編集部)

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新横綱として臨んだ大相撲春場所で、左腕に重傷を負いながら、“史上最大の逆転撃”で連覇を成し遂げた稀勢の里。両国国技館で行われる来たる5月場所も、稀勢の里効果で空前の人気となっており、19年ぶりに誕生した日本出身横綱への期待は、益々大きくなりそうな状況である。「確かに、先場所の優勝はファンの心を打つものがありました」と、相撲評論家の中澤潔氏が語る。「恐らく、新横綱の場所で休場は許されないという責任感が勝ったと思うのですが、左腕が利かない状態でよく勝てたと思います。逆に言えば、本割・優勝決定戦と2連敗した照ノ富士の相撲は、如何にも芸が無かった。まさに、相手に『投げて下さい』と言わんばかりの寄り方で、稀勢の里の唯一の勝ち筋に自分から飛び込んでしまっている。相手は左を使えないのだから、そういう場合は右を封じながら寄ればいいのに、左から行ってしまい、その結果、右の小手投げを打たれてしまった。力だけで勝ってしまう人にありがちな粗い部分が出てしまいましたね」。形の上では、稀勢の里と並んで“同点優勝”の照ノ富士は、5月場所で優勝すれば一応、横綱昇進基準である“2場所連続優勝かそれに準ずる成績”を満たすことになるが、今のところ、綱取りのムードは全く立ち上がってこない。この1年で3回、カド番だったこともあるが、春場所でも琴奨菊での一番に立ち合い変化して勝つ等、相撲内容にも“注文”が付けられている。

「変化ということだけで言えば、稀勢の里も照ノ富士との本割の相撲で左右に変化しているが、怪我をしていることが明らかだった為に特に批判されなかった。稀勢の里は、春場所13日目の日馬富士戦で土俵下に転落した際に左腕を強打したものと言われていますが、何度VTRを見ても、左上腕内側の部分をどこで打ったのか、よくわかりませんでした。稀勢の里は、土俵を割る瞬間に既に顔を歪めていたように見え、『日馬富士の当たりを正面から受け止めた瞬間に、既に筋肉を損傷していた可能性があったのではないか?』と私は思っています。嘗て、元双葉山が(時津風)理事長だった時代、当時の横綱が取組中にやはり左腕を傷め、休場したことがあったのですが、その時に双葉山は『本場所で怪我するのは稽古不足だ』と言い切ったことがありました。稀勢の里も、『ああいった形での怪我は横綱として恥ずかしいことだ』という認識があったからこそ、優勝インタビューで『治療に専念し、早く土俵に上がりたい』という言葉が出てきたのだと思います」(同)。ファンの期待を一心に背負う稀勢の里。その一方で、急速に影が薄くなっているのが、第一人者の白鵬だ。最後に優勝したのは昨年の5月場所。以降、2回の休場があり、最も勝った場所でも11勝止まりに終わっている。並みの横綱であればそれほど騒がれないが、歴代最多の優勝37回を誇る大横綱が、1年近く優勝を逃し続ければ、“衰え”が指摘されるのは当然のことである。「実際に衰えはあると思います」と然るスポーツ紙記者が語る。「負けることそのものよりも、負け方が以前には無かった、正面から相撲を取って力負けするパターンが時々見られるようになった。年齢的にも32歳と、近年の横綱としては最年長の部類に入っており、仕方がないことかもしれません」。優勝29回を誇った昭和の大横綱こと千代の富士は、35歳まで現役を続けたが、近年の“大型化時代”における横綱の引退年齢は、昔より早くなっている。北勝海以降の横綱引退年齢は、北勝海28歳、大乃国28歳、旭富士31歳、曙31歳、貴乃花31歳、若乃花29歳、武蔵丸32歳、朝青龍29歳。こうしてみると、32歳の白鵬や、間もなく32歳の鶴竜、33歳の日馬富士が横綱として“晩年”に差しかかっているのは明白である。しかし、史上最強の横綱として、この10年間の角界をリードし続けてきた白鵬の“存在感”が、稀勢の里の登場でここまでかき消されてしまうのは、やや不思議である。「白鵬が実績面で角界最大の功労者であることは、誰しもが認めているところですが、それが正当に評価されていないように見えるのは、1つに本人の土俵態度、そしてもう1つは国籍の問題が関係していると思います」と、前出の中澤氏が語る。

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お金が無ければ知恵を出せ! Jリーグ地方クラブ奮闘記

20170815 21
①『ガイナーレ鳥取』…現役時代より走っている? 岡野雅行GMの“野人流営業術”
「『GMをやってくれ』と言われた時は驚きましたよ。先ず、GMの意味がわからない。パソコンもできない。『葉巻でも吸って、ふんぞり返っていればいいのか?』と」――。J3で奮闘する『ガイナーレ鳥取』のGMを務める岡野雅行は苦笑する。日本代表をワールドカップに導いた“野人”は、GM職4年目を迎えた。選手時代を含めると、鳥取暮らしはもう9年目になる。GMというと、チーム編成に携わる仕事がメインと思われるが、岡野は違う。強化責任者というより営業マン。県内は勿論、日本全国を飛び回っている。例えば、鳥取の自宅を出て、1日で姫路・岡山・広島・米子と移動することも珍しくない。「母体の無い小さなクラブなので、営業も件数を熟すしかない。話好きで長くなる社長さんもおられるので、時間が無くなって焦ってダーッと次の約束に飛んでいくんですよ」。車の走行距離は月に3000㎞超。岡野は現役時代より走っている。岡野にGM就任を依頼した社長の塚野真樹によると、“野人効果”は抜群だという。「例えば、営業で県外に行くと、『ガイナーレとは…』という説明から入らなきゃいけない。それでも『で、何?』となる訳ですが、有名な岡野が来ると違う。説明不要。彼がチームや鳥取の良さを語ると、すんなり耳を傾けて頂けるんです」。感謝の気持ちを忘れず、誰とでも直ぐに打ち解けられる岡野には、鉄板の営業術がある。“ジェントル野人”大作戦だ。「今は後ろで結んでいますが、嘗ては髪を下ろしていました。そうやって野人のイメージを出した上で、『今日はお時間を作って頂きましてありがとうございます』と深く頭を下げる。そうすると、『野人なのに挨拶ができるんですね』と驚かれる方がいるんです。ちょっと狡いかもしれませんけど」。

塚野によると、酒席での岡野は素晴らしいの一言に尽きるという。目の前に一升瓶をドンと置かれて、「野人さん、今夜はとことん飲みますよ」と言われれば、どこまでもついていく。一滴も飲まない人には、ジョホールバルのエピソードで喜ばせる。カラオケだってお手のもの。十八番は『ザ・ブルーハーツ』。営業巡りの車中では、「今日会うのは60代の社長さんか。それなら誰の歌がいいだろう…?」と昔のCDをチェックする等、準備に余念がない。気配りができて、サービス精神旺盛なのだ。近頃、岡野には嬉しい変化があるという。「以前は“ジョホールバルの岡野”とか“レッズの岡野”として声をかけて頂いていたんですが、最近は『鳥取、応援しています』という風に、“ガイナーレの岡野”として声をかけられることが増えてきたんです」。ガイナーレというと、2014年に始めた“野人と漁師のツートッププロジェクト”で話題となった。これは、1口5000円で寄付を募り、その額に応じて地元の境港名産の海産物をお礼に送るというもの。寄付から経費を引いた額が、選手獲得資金に充てられる。これを元手に、2014年はフェルナンジーニョやハマゾッチを補強。2人の活躍もあって、J3で4位に食い込んだ。この“カニで選手を釣り上げる”プロジェクトによって、ガイナーレは既に5000万円以上を集めている。このプロジェクトは当初、地元でも期待されていなかった。「知名度のあるGMが旗を振って旨いカニを売り込めば、バンバン注文が入りますよ。在庫不足じゃ困るから、沢山用意してく下さい」。塚野が漁師に呼びかけたところ、「30ケースもあればいいでしょ」と笑われたという。ところが、蓋を開けてびっくり。1ヵ月で3000ケースも注文が来たのだ。塚野が説明する。「勝因は僕らが頑張ったことではなく、単純に地元にいいものがあるということです。地方に共通することだと思いますが、鳥取県民は『鳥取のものなんて…』とか『鳥取が頑張ったところで…』と自己評価が低いんですよ。で、東京で評価されて始めて地元の価値に気付いたり、自信を持ったりする。鳥取県出身の僕は、それが嫌。だから、その地方気質を逆手に取って、地元の人が普通のものだと思っているカニや魚を全国に売ったんです。『こんなもの大したもんじゃない』と思っていた海産物が都会で喜ばれて、漁師の皆さんは喜んでいましたよ」。つまり、こういうことだ。岡野と塚野は、ガイナーレを通じて鳥取を元気にして、誇りを持てる街にしようとしているのだ。少し前まで、鳥取ではこんなことが言われていたという。「岡野は東京から鳥取に通っているんだってな。そりゃそうだよ。鳥取みたいな田舎に、有名人が態々住む訳ないもんな」。そんなことはない。野人GMは鳥取に住み、今日も日本中を走り回って、自分の大好きな鳥取とガイナーレの魅力を訴え続けているのだ。

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井岡一翔の脱税疑惑に村田諒太の不当採点騒動…“総亀田化”する日本プロボクシングの惨状

20170807 04
5月20・21日に2日連続でプロボクシングをゴールデンタイム中継したフジテレビの視聴率(※『ビデオリサーチ』調べ・関東地区)は、初日が前半9.5%、後半17.8%、翌日が前半8.2%、後半9.7%。突出している初日後半は、ロンドンオリンピックの金メダリスト・村田諒太(※ミドル級・右画像)の世界初挑戦で、数字は当然、時間帯トップ。それ以外も3位で、苦戦が続くフジにとってはかなりの朗報だった。2夜連続放送の懸念を覆す成功と言えるが、村田の判定負けの採点に異議を唱える声が多数で、ボクシング自体へのイメージダウンも大きく、ネガティブな要素も残った。村田が所属する『帝拳ジム』の本田明彦代表は「ボクシング界の信頼を損ねる」と激怒したが、抑々、この世界に信頼なんてあったのか? ボクシングや格闘技の興行は、あくまで“金儲けの為の見世物”というヤクザな世界であり、元は暴力団が取り仕切っていたもの。近年、ヤクザは排除されつつあるが、その世界観は変わっておらず、あらゆるところに不正が見え隠れする。八百長やドーピング等の絶対悪を除いても、スター選手を保護する為の特例措置や不公平な采配は珍しくない。嘗て亀田三兄弟も、採点疑惑や姑息なマッチメイクに批判が巻き起こった。その原因は全て“カネ”にある。タイトルを管理する団体は、高い承認料を積まれれば格下の対戦相手との試合を認めるし、期間中にジャッジやレフェリーの世話をするのは興行の主催者だから、接待は“暗黙の了解”だ。こうした悪習をできるだけ排除し、競技性を守る為に必要なのは第三者の介入で、ボクシングであればコミッションがそれを担うが、これも業界では決して強い立場にはないのが実情だ。

アメリカではコミッションが行政機関の下にあり、一定の強い権限が与えられているが、日本では興行を主催するプロモーターこそが神である。そして、その金儲けを手助けする最大のパートナーがテレビ局だ。テレビ局は基本、全ての番組を時間通り放送する為に“台本”を作る。スポンサー企業がお金を出して番組予算を立てるので、CM放送の時間枠を計算しておくのが仕事の柱となる。その為、本来なら勝敗の予測がつかず、アクシデントもある生放送の試合中継はコンテンツとして不向きで、リスクが高い。野球やサッカーであれば、競技自体が人気を持っている為に極端に上下はしないが、格闘技系は選手の人気に大きく左右される。強くても試合がつまらない地味なファイターでは視聴率は獲れず、局は人気選手のみゴリ押しして、別の形で“予定調和”を作り出すのだ。10年前に亀田三兄弟が誇った高視聴率は、彼らが人気者だったのではなく、TBSによるゴリ押しがあまりにも酷い為に、「八百長をしているのではないか?」と反発する“アンチ”が増えたことで数字を伸ばした皮肉なものだった。但し、TBSといったテレビ局にしてみれば、亀田が正統だろうが異端だろうが関係なく、“視聴率さえ獲れれば文句無し”という土壌ができ上がっていた。今、その路線を受け継いでいるのが、同じくTBSが売り出している井岡一翔だ。当初は“ボクシング界のニューホープ”としてファンが期待した存在だったが、今や亀田的な手法によって、“イオカメダ”という不名誉なニックネームが付けられるほど。その試合は、時間を引き延ばして視聴率稼ぎしているとさえ思われている。井岡は、元2階級制覇の世界チャンピオン・井岡弘樹氏を叔父に持つサラブレッドとして、アマチュア史上3人目の高校6冠を達成。2009年に弘樹氏の運営する『井岡ジム』からプロデビューした。3戦目で世界ランカーを下した井岡は、「強い選手とやってボクシング界を盛り上げたい」と語り、ジム会長の弘樹氏も「かませ犬とはやらせない」と公言していた。しかし、それは長くは守られなかった。2011年のデビュー7戦目では、当時、無敗のWBC世界ミニマム級王者であったオーレイドン・シスサマーチャイをKOし、当時の国内最速記録を更新する世界王座獲得となったが、この勝利には“注釈”が必要だった。井岡は本来ならばライトフライ級だったところ、減量して最も選手層が薄いミニマム級を狙ったのだ。3度目の防衛戦では、WBA王者の八重樫東との統一戦に勝って、高い実力は証明したが、一定の人気が出るや、井岡はあからさまに“TBSの犬”と化した。翌2012年、本来のライトフライ級で2階級制覇を果たすも、そのマッチメイクはまさに“亀田流”。当時のWBAチャンピオンは無敗の超強豪であるローマン・ゴンサレスだったところ、WBAがゴンサレスを“スーパー王者”に格上げして、無理にチャンピオンの空席を作成。井岡は5位の選手と王座決定戦に出て勝利。その上にゴンサレスがいるのに、“2階級制覇”等とは良く言えたものだった。WBAは翌年、この2人のチャンピオンに対戦の指示を出したが、井岡サイドは回避を申し出たのである。ある関係者によると、「井岡陣営がゴンサレス側にカネを払って対戦回避を許してもらった」という話で、井岡が強い相手から逃げたことにファンの批判は急増。しかし、TBSはそこには触れず、試合中継で井岡を絶賛し続ける為、更に開き直ったマッチメイクに拍車がかかっていった。

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「個を活かす川崎のスタイルで優勝したい」――中村憲剛選手(川崎フロンターレ)インタビュー

勝てそうで勝てないシーズンが続く。だが、希望は失っていない。寧ろ闘志を駆り立てている。川崎一筋の偉大なキャプテン・中村憲剛が、15年目に向けて熱く語った。 (聞き手/スポーツライター 熊崎敬)

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――オフはどう過ごしました?
「天皇杯の2~3日は、娘が体調を崩したんで、自宅に缶詰めだったんです。外出できなかったので、去年の最後2ヵ月のことを考えちゃって。チャンピオンシップも天皇杯もチャンスはあったのに、どっちも向こうに転がっていった。『鹿島に習わなきゃいけないところもあるな』って感じていました」

――習う、というと?
「良くないなりに勝つということ。苦しい時間を耐えて、セットプレー1発で持っていくような。昨シーズン、そういう試合は増えたんですけど、勝負どころでできなかった。自分たちのボールを持つサッカーには勿論、自信があります。でも、そこにプラスαができなかった。やっぱり、一発勝負のトーナメントで勝つには、試合を殺すようなことも必要になる。『もう1つ上に行くには、もっとあからさまにやってもいいんだ』と、自分の中で感じたんです」

――なるほど。
「鹿島だって、自分のリズムで試合をしたい筈なんです。でも、それができない時の割り切り方が凄い。『今は守って逆襲でいいじゃん』というね。チャンピオンシップと天皇杯で、それを痛感しました。あともう1つ、メディアも含めて『やっぱり鹿島だ』と思わせる力もある」

――私もそれに加担していますね。
「それが伝統の力なんですよ。常勝といっても、黄金時代を知っているのは(小笠原)満男さんとソガ(曽ヶ端)さんくらい。若い選手の多くは知らないんです。でも、周りから『強い』『勝てる』と言われるから、『最終的には自分たちが勝つだろう』と思って試合ができる」

――鹿島と違って、「川崎は肝心要で勝てない」と思われている。
「それは自分たちが招いたこと。勝てば空気も変わると思う。俺はそれが去年だと思っていた。風間さんが4年かけて築いたチームの集大成だったんですよ。だから本当に悔しい。いや、悔しいって言葉じや陳腐過ぎる。振り返ると、2003年に入団して3~4年で優勝争いするようになって、『これなら直ぐ獲れるんじゃないか?』と思っていました。でも、何も獲らないまま15年目を迎えている訳で…」

――ただ、チームの完成度は高まっている。その手応えはありますよね。
「えぇ。相手を自陣に押し込んで逆襲すら許さない、そんな試合が去年は何回かできました。風間さんは選手の個性を大事にしていたので、誰が出ても同じというチーム作りはしなかった。だから、就任2~3年までは、誰かが欠けると結果が出なかったりしたんです。でも、去年は層が厚くなって、誰かが欠けても勝ち切れる試合が増えましたね」

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【体技心・田中将大4年目の挑戦】(03) ダル、高め合う存在

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注目していたのは日本メディアだけではなかった。大リーグでは初の“田中vsダルビッシュ”。今月23日、『ニューヨークヤンキース』対『テキサスレンジャーズ』戦で実現した2人の日本人投手の投げ合いを、アメリカメディアも大きく取り上げた。ダルビッシュが150㎞台後半の速球と、50㎞近く遅いカーブで緩急をつけ、7回無失点。田中もスプリットやスライダーを駆使して8回無失点と、持ち味を出し、息詰まる投手戦を演じた。2学年上で同じ関西出身のダルビッシュの存在を知ったのは、『宝塚ボーイズ』に入団した中学1年生の頃。「超有名でしたよ。中学生で140㎞出すなんてあり得なかった。『羽曳野にダルビッシュっていうやべぇヤツがいるらしい』って先輩たちと話していました」。初対戦は田中が楽天入りした2007年で、この年は2戦2敗。身近に感じたのは、2008年の北京オリンピック、翌2009年のワールドベースボールクラシック(WBC)で日本代表として共に戦ってから。「刺激を受けたのは、野球に取り組む姿勢。トレーニング・食事・体の使い方。色々な話をしてもらった」。尊敬の念が募る一方、負けたくない思いも強まった。日本での直接対決は田中の1勝3敗。「僕が勝手に意識して、『負けないぞ』って思っていた」という相手は2012年、先に海を渡った。

大リーグでの実績はほぼ互角。「ダルさんの真っすぐは凄い。自分には無いのはわかっている」と言いつつ、「『ああなりたい』というのは無い。自信を持っていると言えるのはコントロール。自分のスタイルで投げるだけ」と自負心も覗く。実績を積み、尊敬する先輩はライバルへと変わったのか? そう聞くと、言葉を選んで答えた。「高め“合う”と向こうも思ってくれているかはわからない。(自分が)一方的に思っていても、ライバルじゃない」。ダルビッシュは23日の試合後、「昔は弟分みたいな感じだったけれど、メジャーで向こうも成績を残している。去年(右肘の手術から)復帰してから、自分がアドバイスを貰っていた」と明かした。ツイッターでも「同じ時代で投げてきて、同級生のような位置づけ。ニューヨークで投げあい、お互い好投できたのは一生の思い出になるでしょう」と記した。先輩の言葉を聞く限り、後輩の一方的な“片思い”ではないようだ。2人は直接対決から中4日の28日も先発し、田中は2戦連続の好投。先月8日以来の勝利で、ダルビッシュと並ぶ6勝目となったが、「『少し安定はしてきたのかな』とは思うけれど、未だ2試合。続けていくだけ」と感概に耽ることはない。互いに認め、競い合う相手を意識しながら、前に進み続ける。田中の愛称と言えば、高校時代に定着した“マー君”だが、ダルビッシュには“まさお”と呼ばれている。2009年のWBCで、藤川(阪神)に「マー君というより、まさおという顔」と言われ、名付けられた。扨て、本人は“マー君”と呼ばれることについて、どう思っているのだろうか? 「60歳になっても問題ない?」「世間の皆さんが呼んでくれるなら」。「小さい子から呼ばれるのは?」「“田中”と呼び捨てにされるよりはずっといい」。「(1歳の)息子さんから呼ばれたら?」「うーん、それはちょっと嫌ですね…」。だそうだ。 (ニューヨーク支局 宮崎薫)


⦿読売新聞 2017年6月30日付掲載⦿

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【野村貴仁が斬る!】(01) 清宮幸太郎如きがドラフト1位なんて日本のスカウトの目は節穴か!

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「あんなのが監督やっているからダメなんですよ」――。アメリカの優勝で幕を閉じた第4回ワールドベースボールクラシック(WBC)。準決勝敗退に終わった小久保ジャパンに対して、「頑張った」という声が聞こえてくる。しかし、痛烈なダメ出しをするのは、日本のプロ野球のみならず、メジャーリーグでも活躍した我らがこ意見番・野村貴仁氏である。「小久保(裕紀)は現役時代からノーセンス。同じピッチャーに、いつも同じ球でやられていた。学習能力が無いんです。だから、何で小久保が日本の監督をやっているのか、意味不明ですわ。選考もよくわからんでしょ。オーストラリア戦でストライクが入らなくなった左のピッチャーがいたでしょ? あんなの、僕がいた頃のオリックスなら1軍にも入れないですよ」。MLB歴代1位の通算762本塁打を放ったバリー・ボンズや、通算591本塁打のアルバート・プホルスといった並みいる強打者を抑えてきた野村氏は、アメリカ野球を皮膚感覚で知る数少ない日本人でもある。その野村氏によると、「アメリカの優勝は順当であった」という。「ワールドシリーズで優勝したチームと日本シリーズで優勝したチームがやったら、日本はコテンパンにやられますよ。しかも、アメリカは未だ本気じゃないですよ。WBCが盛り上がっているのは日本だけじゃないですか。僕も、ボクシングの世界WBCかと思いましたよ。だから、世界一を決める大会じゃないですよ」。

それでも、アメリカ戦を振り返ると、菅野智之(巨人)や千賀滉大(ソフトバンク)の力投、更には「行ったか?」と思われた筒香嘉智(DeNA)の大飛球等、見せ場はあったが、「菅野ですか…あれはアメリカじゃ軟投派ですよ。向こうの高連シンカーは150㎞で曲がるんです。アメリカの一流ピッチャーが投げたら、日本の打者は先ず打てませんね。向こうのピッチャーは背が高いから、ボールに角度が付くんです。だから、遅いと思っても差し込まれてしまう。下からボールを見るから猫背になる。更に、ボールが動くので、ホームランを打つのは難しいです。筒香もセリーグの投手は打てるけど、向こうの投手は中々打てていないですよ。まだまだ松井秀喜と比べてはいけません。最後の打席もチェンジアップを捉えられなかった。打つべきは3球目のストレートでした。『大谷翔平がいたら…』って言う人もいますけど、大谷はインコースの低目しか打てないです。そこは、メジャーでは投げちゃいけないコースなんです。そこに落ちる球を投げられたら、先ず打てないでしょうね」。野村氏からすれば、大谷も筒香もまだまだこれからの選手ということだ。そして、日本野球が再び頂点を極めるには、「スモールベースポールに活路を見出すしかない」という。「下位打線には、1塁ランナーの時にポテンヒットで打球判断よく1・3塁の形を作れるバッターを入れておくべきなんです。糸井なんて打ってつけでしたね。怪我もあったから選ばれていませんが、適任でしたよ。もう少し日本に合った野球をやらないと厳しいでしょうね」。ところで、2017年のドラフト会議では、早稲田実業の清宮幸太郎が目玉として注目されている。甲子園を沸かせた“天才バッター”を、野村氏はどう評価するのだろうか? 「はっきり言いますよ。バットをくにゃくにゃ前に出す、足を上げる。あの打ち方だったら絶対ダメですよ。僕が投げたら絶対に打たせませんよ。先ず、速い球は打てません。守るところもありませんし。あのレべルでドラフト1位とは、スカウトに見る目が無いんですよ」。野村氏は厳しい眼差しを向ける。これからも野村氏から、野球界に向けての提言は続く。 (取材・構成/ノンフィクションライター 八木澤高明)


キャプチャ  第25号掲載

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タブーだらけの引退女王・浅田真央の真実――カネのなる木に群がる銭ゲバとマスコミに封殺された黒い過去

先日、引退を表明したフィギュアスケーターの浅田真央。嘗て天才少女と祭り上げられ、今も国民的人気を誇る彼女の引退会見は、聞きたいことも聞けないタブーだらけの不可解なものだった――。 (取材・文/本誌編集部)

フィギュアスケート界のスター、浅田真央が引退を発表した。ニュースやワイドショーが挙って取り上げた2017年4月10日の引退会見は、如何にも浅田らしいほのぼのとした空気に包まれた。

――辛かったことは?
「辛かったことはそんなに無くて、やはりこの道を選んできたのも自分。自分がやりたいと望んでやってきた道なので」

――トリプルアクセルに声をかけるとしたら?
「難しい。うーん、『何でもっと簡単に飛ばせてくれないの?』って感じです」

約1時間半に亘ってそんな質疑が続き、最後に司会者が「最後に(浅田を)送り出せる質問を…」と促すと、会場は微笑に包まれた。席を立って最後の挨拶をする途中には、声を詰まらせ、後ろを向いて涙を拭うような仕草を見せた。多くのファンに愛され続けてきた浅田らしい引退会見だった。しかしその一方で、不自然なまでに浅田を気遣う記者の質問には、違和感を覚えた人もいたのではないだろうか? 「違和感の正体は、記者たちが肝心な質問をしなかったことでしょう。浅田自身が再三、口にし続けてきた『オリンピックで金メダルを獲る』という目標が叶えられなかったことに対する思いを聞く質問が無かったのが象徴的で、突っ込んだ質問が憚られるような空気がありました。記者たちが真央ちゃんの心中を“忖度”したということでしょうね」(スポーツ紙記者)。勿論、其々のオリンピックやメダルに関する漠然とした質問はあったのだが、何れもこれまでと変わらぬ優等生的な答えがあったのみ。そんな不自然な空気が垣間見えたのが、ライバル関係にあったキム・ヨナに関する話題だろう。質問したのは『しんぶん赤旗』の記者だったのだが、会見後、『産経新聞』が暗に批判するような記事を掲載し、インターネット上でも赤旗記者に対する批判が殺到した。「浅田の引退会見は、現場にいた記者だけでなく、ニュースを報じたメディア、それを伝えるコメンテーター、更に情報を受け取るファンに至るまで、周囲が総がかりで“美しいラスト”を演出したようなものですよ」(同)。

20170630 08
なるほど、確かに浅田のアスリートとしての実績は超一流だ。周囲がここまで敬意を払うのも理解はできる。幼い頃から天才少女として注目を集め、15歳でシニアデビューを果たした浅田は、その少女然としたルックスや天真爛漫なキャラクターも相俟って、瞬く間に世間の注目を集める存在となった。年齢制限の為、トリノオリンピックへの出場は叶わなかったが、初めてのオリンピックとなったバンクーバー大会では銀メダルを獲得。4年後に選手生活の集大成として臨んだソチオリンピックでは、ショートプログラムで転倒という致命的なミスをしてしまうが、そこから立ち直ってフリーで見せた演技は、日本中を感動させた。その後も、引退か現役続行かで揺れた心境を“ハーフハーフ”と表現して休養に入り、1年後に復帰。思うような成績は残せなかったが、不調に苦しむ姿もまた、世の中の注目を集め続けた。但し、冷静に考えれば、浅田はオリンピックでは銀メダルを獲得しただけである。オリンピックで浅田以上の実績を残した選手はいくらでもおり、その意味では、浅田をここまでの“国民的ヒロイン”に押し上げたのは、アスリートとしての実力以上に、ドラマチックな物語性にあったことは明白だろう。「浅田の周囲は兎に角、魅力的な物語に溢れていましたからね。山あり谷ありで激動の選手生活に加えて、サイドストーリーがこれでもかというほど豊富にあった。ありていに言えば、浅田ほど数字が取れる選手はいなかったということです」(ワイドショー関係者)。実際、メディアもこうした物語を殊更煽り続けてきた筈である。にも拘わらず、引退会見に限っては、オリンピックで金メダルが獲れなかったことや、ライバルと言われ続けたキム・ヨナとの関係について、まるで大した出来事ではなかったかのように、深く触れることを避けたのだ。浅田は何故、ここまでアンタッチャブルな存在に祭り上げられてしまったのか?

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【体技心・田中将大4年目の挑戦】(02) “捕手目線”の分析力

20170609 12
大リーグ4年目の今季、5勝を挙げてはいるものの、今月は苦しい登板が続く。14日は2回途中8失点。20日は4回途中6失点で3敗目を喫した。試合後、田中は言った。「自己分析して色々話しても、言い訳にしかとられない。原因はわかっています」――。分析力に優れた投手だ。投球フォームのバランスや有効な球種等、自分の状態を冷静に判断し、相手打者を観察しながら投球を組み立てる。「球の動き方とか打者の反応で、『こういう感じの球を狙っているのかな?』と考える」。捕手のサインにも、時には遠慮なく首を振る。「今日は冴えていないな、見えていないな」と、捕手のその日の状態がよくわかるからだ。自分や周囲の状況を客観的に見る視点を磨けたのは、何故か? 「それはやっぱり、キャッチャーやっていたからですよね。捕手の経験は、今の自分に凄く関係があると思います」。地元の兵庫県伊丹市のチームで野球を始めた小1の頃、「肩が強かったし、『捕手がいないからやってくれ』と言われて」、マスクを被った。チームメイトで当時投手だった坂本勇人(巨人)とバッテリーを組んだこともある。

「当時は投手に憧れもあったけれど、『上手くリードできたなぁ』と思う時とか、盗塁してきた走者を刺した時とか。色んな喜びを感じながらプレーしていた」。中学時代に投手も兼ねるようになり、北海道駒大苫小牧高2年の春の選抜大会直前までは投手兼捕手。選抜の1回戦で先発して完投勝利を挙げ、以後、投手に専念するようになった。プロ入り後は、往年の大捕手が成長を後押ししてくれた。楽天入りした2007年、最初に出会った監督が野村克也氏(81)。1年目から先発ローテーションの一角を任され、「“鉄は熱いうちに打て”みたいな感じで、投げ終わったら『ちょっと来い』と。捕手目線で話をしてくれた」。野村監督の下でプレーしたのは3年だけだったが、「野球が大好きで、野球や配球に関する理論を数多く持っている方。そういう監督さんが一番最初で、色々教えてもらえたのは、僕の野球人生の中でも凄く大きなこと」と感謝する。次回登板は25日(※日本時間26日未明)の『カンザスシティロイヤルズ』戦。「打たれるのには理由がある。わかっていることもあるけれど、実際に体をそういう風に(正しく)動かしていかないといけない」。高校までマスクを被った異色の経歴が齎す“元捕手目線”も力に、復調の青写真は描けている。あとは、その正しさを黙ってマウンドで証明するだけだ。投球練習を見ていると、捕手の“バン”という重いミット音の後、田中が返球を受ける少しだけ軽くて高い“パン”という音が聞こえてくる。次の1球を投げる為にグラブにボールを収めるだけなら、こんな小気味よい音はしない。「キャッチングは意識している。それも、捕手だったというのは大きいと思います」。捕るのもしっかり、丁寧に。“パン”にも田中らしさが表れている。 (ニューヨーク支局 宮崎薫)


⦿読売新聞 2017年5月25日付掲載⦿

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プロ野球って本当に日本に必要ですか?――最早観る価値ゼロな時代遅れのアナクロスポーツを斬る!

中高年のオヤジが大好きなプロ野球が、今年も開幕した。しかし、あんな間の抜けたスポーツを3時間以上もダラダラ観て、何が楽しいのだろうか? 抑々、今やプロ野球は世の中に全く必要とされていないのだ。

20170608 04
プロ野球が開幕し、今年も“野球ファン”という頭の悪い連中が、ビール片手に、自分が応援するチームの成績に一喜一憂している。野球ファンの多くは40代から60代の中高年たちだ。この世代は今や、「プロ野球が日本人にとって特別なもので、国民的娯楽である」と信じ込んでいる。しかし、それは現実を理解できていない中年オヤジの単なる妄想に過ぎない。確かに、観客動員数だけを見れば、近年のプロ野球は中々の人気ぶりだ。昨年の観客動員数は、実数発表が始まった2005年以降で最高となる約2423万人(※12球団合計)を記録。嘗ては不人気だったパリーグも、2014年に年間動員数1000万人を突破し、昨年は過去最多となる約1072万人を集めた。今年の開幕戦も、『北海道日本ハムファイターズ』の本拠地である『札幌ドーム』が3試合とも満員札止めとなり、『福岡ソフトバンクホークス』の本拠地である『ヤフオクドーム』も2試合が札止め。『読売ジャイアンツ』と『広島東洋カープ』の其々の本拠地、『東京ドーム』と『マツダスタジアム』も、昨年より観客動員数が伸びている。アマチュア選手への裏金に始まり、野球賭博、清原和博の覚醒剤逮捕と、数々の不祥事を連発して“ファン離れ”を心配されながら、プロ野球は未だこれだけの客を集めている訳だ。だが、これは人気低迷と経営不振に悩まされた挙げ句、球界全体がサッカーのような地元密着型経営に舵を切った結果に過ぎない。昨年、話題を集めた“カープ女子”等はその典型だ。現在のプロ野球は、本拠地のある地元に支えてもらい、何とか生き永らえている“ローカルコンテンツ”でしかないのである。

その証拠に、嘗てはテレビ各局のドル箱だった巨人戦のナイター中継の平均視聴率は、1994年の23.1%をピークに下がり続け、2000年代半ばには遂に10%を割り込む等、過去最低を記録した。最近は地上波中継からも姿を消しつつある。プロ野球が日本人にとって不可欠なものなら、何故CSやインターネット配信ではなく、地上波で中継しないのか? 最早プロ野球など、多くの国民にとってどうでもいい存在に過ぎないのだ。抑々、プロ野球というのは最初から理解不能のおかしなスポーツだった。小さなボールを18m以上も先の狭いゾーンに投げ、その球を細い木の棒で遠くに打ち返す…。先ず、このルールが意味不明の上、何故か座ってだらだら休んでいる選手が沢山いる。しかも、試合時間は平均3時間以上とバカみたいに長い。下手をすれば4時間かかったりするのである。だから、サッカーやバスケットボールの競技人口が全世界で其々数億人いるのに対し、野球はたかだか3000万人程度しかいないのだ。いくら娯楽が少なかったとはいえ、こんなものが昭和の一時期に大きな人気を集めた理由は1つしかない。それは、長嶋茂雄というスターが登場し、天覧試合でサヨナラホームランを放つ等の大活躍をしたからである。それ以上でも以下でもない。清原和博と桑田真澄の“KKコンビ”やイチロー・松井秀喜等、その後のスター選手は長嶋という存在による単なる副産物なのだ。プロ野球が本物の国民的娯楽と言えたのは、長嶋が巨人に入団した1958年から引退した1974年までの16年間。或いは、王貞治が756本塁打を達成してハンク・アーロンの記録を抜いた1977年から、江夏の21球、阪神の21年ぶりの優勝等のドラマが生まれた1980年代までの間だろう。実際、1993年にサッカーの『Jリーグ』がスタートして、スポーツ観戦の選択肢が増えると、途端にプロ野球のオワコン化が始まり、2001年のイチロー、2003年の松井秀喜の『メジャーリーグ』移籍によって止めを刺される。天然芝の美しい球場、拍手と歓声だけの応援、更にパワーとスピードがぶつかり合う迫力ある試合内容――。こういうメジャーの野球を毎朝観ていれば、日本のプロ野球になど興味が無くなるのは当たり前だ。事実、この頃から巨人戦の視聴率が急下降していき、プロ野球からどんどんファンが離れていった。つまり、昭和の終わりと共にプロ野球は終わっていたのである。

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【天下の暴論2017】(04) そろそろ止めたらどうかパラリンピック

20170512 12
パラリンピック、そろそろ止めたらどうか? 障害者を見世物にするのは、やはりよくないと思う。不健全だし、不道徳だし、下種だし、卑劣だし、つまらないし、アホ臭い。何かあれば「障害者差別だ!」と騒ぎ立てる世の中である。小人プロレスも、テント小屋でフリークスを見世物にするのもNGになってきたのに、何故パラリンピックは野放しになっているのか? 恐らく、次のような反論が戻ってくるのだろう。「障害者を見世物にしているのではない。頑張っている人を応援しているだけだ」「障害を乗り越えてスポーツに励むことの何が悪いのか? あまりに心の貧しい見方ではないか?」「彼らは立派なアスリートだ。“障害者”と一括りにするのは失礼だ」。一度、頭を冷やしたほうがいい。「大衆は小さな嘘より大きな嘘の犠牲になり易い」と言ったのは、オリンピックを国威発揚の場として利用したナチスのアドルフ・ヒトラーだ。筆者はオリンピックに興味はないが、その存在意義は理解できる。泳ぐのが得意な人たちが集まって、プールで競争する。そこで世界新記録が生れるかもしれない。サッカーやバレーボールが得意な人たちが集まって、華麗なプレーを見せる。それを見て人々は感動する。莫大な利権が絡んでいるので、招致活動に熱心になる人たちの気持ちもわかる。でも、パラリンピックは、スポーツをするのに支障がある人たちが集まる訳でしょう? 義足の人が走ったり、車椅子に乗ってフェンシングをしたり。聴覚障害の人が伝言リレーをやるのは変でしょう? 嗅覚障害の人がソムリエコンクールに出るのは変でしょう? 算数が苦手な人が数学オリンピックに出るのは変でしょう?

障害者をバカにしているのではない。逆だ。「障害者をバカにするな」という話です。障害があるのに、敢えて苦手なところを使って勝負させる必要はない。身体が悪いなら頭を使い、頭が悪いなら身体を使えばいいだけだ。スティーヴン・ホーキングに求められているのは、理論物理学の研究であり、カヌーを遭ぐ技術ではない。抑々、パラリンピックは“パラプレジア(麻痺)”とオリンピックを掛け合わせた言葉だ。第1回は1960年のローマ大会。当時は『ストーク・マンデビル競技大会』と呼ばれていたが、1988年の第8回ソウル大会より正式名称が『パラリンピック』となった。1998年の長野パラリンピックでは、クロスカントリースキー種目において初めて知的障害者の参加が認められる。しかし、2000年のシドニー大会において、男子バスケットボール知的障害クラスで金メダルを取ったスペインチームに、障害者を装った健常者がいたことが発覚し、2002年のソルトレイク大会では知的障害者の参加を認めないことになった。尚、2012年のロンドン大会では、陸上・水泳・卓球の3種目に知的障害者が参加している。ここまでくると、殆ど意味がわからない。知的障害だけで身体障害が無いならオリンピックに出ればいいのに。結局、頭の中がこんがらがっているのだ。義足の技術の進化により、健常者の世界記録を抜く可能性もある。義足なら疲れないし、体に機械を組み込めば、あらゆる種目で記録は更新されるだろう。実際、ドイツのマルクス・レームは、カーボン繊維でできた義足を使い、2015年の障害者陸上男子走り幅跳びで8m40の記録を出している。これは、2008年の北京オリンピック、2012年のロンドンオリンピックの優勝記録を上回っている。そのうち、100mを3秒で走り、パワーリフティングで3トンを持ち上げる障害者も出てくるかもしれない。しかし、それを“記録”と呼べるのか? “パラリンピックの父”と呼ばれるルートヴィヒ・グットマンは、「障害者競技は“記録”だけが目的ではない」と言う。第2次世界大戦後、傷痕軍人の治療に当たったグットマンの時代には、こうした物言いも通用したのだろう。しかし、今の時代に「記録は目的ではない」と言う人の“目的”とは何か? ここで、連中の正体は暴露される。結局、こういうことだ。パラリンピックを消費するのは、社会の大多数を占める健常者である。その中でも特に下劣な連中は、障害者が飛んだり跳ねたりする姿を見て感動する“優しい自分”が好きなのだ。「障害にもめげずに努力を重ねる姿を見て、明日を生きる勇気を貰った」という訳である。「同情は特有の厚顔無恥ぶりを伴う」と言ったのは、ドイツの哲学者であるフリードリヒ・ヴィルへルム・ニーチェだが、“麻痺”しているのは、こうした連中の感覚だ。“障害”はカネになる。『五体不満足』(講談社)の乙武洋匡、全盲のピアニストである辻井伸行、聴力を失ったフジ子・へミング、“筆談ホステス”の斉藤里恵…。彼らの仕事について“良い”・“悪い”と言っているのではない。メディアや企業が障害をビジネスに利用している事実を指摘しているだけだ。

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