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【火曜特集】(300) アンダーアーマーの業績悪化で福島のサッカーチームも危機に

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多くのスポーツ選手が着用する人気ブランド『アンダーアーマー(UA)』の日本総代理店である『ドーム』の業績悪化が止まらない。「近年はUA事業の調子が悪く、昨年は新型コロナウイルスの影響 も受けて回復は難しい」(情報筋)とみられている。スポーツ用品業界ではアウトドア系が好調な以外は、何れもコロナ禍がマイナスに働いている。昨年は同社の稼ぎ頭であるサプリメント事業を投資ファンドに売却して、この3月から別会社ながらドームも経営に参加する組織変更が行なわれる。但し、財務的に一息つけるが、根本的な解決にはUA事業の立て直しが不可欠。しかも、ドームは「震災復興の為に福島県で参入したサッカーチーム“いわきFC”の引き受け先を探している」(サッカー業界関係者)。2016年にドームが参画した同チームは、いわき市に本拠を置くが、成績が振るわず、未だ地域リーグにとどまっており、“お荷物”になっていたという。プロ野球の『読売ジャイアンツ』や東京大学アメリカンフットボール部等との派手な提携の裏で、台所事情は厳しいようだ。


キャプチャ  2021年3月号掲載
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テーマ : スポーツニュース
ジャンル : ニュース

【全進・森保ジャパン】(03) 対話重視のチーム作り

新型コロナウイルスの感染拡大で、今秋に予定されていたサッカーW杯カタール大会アジア2次予選が来年に延期された。フル代表、五輪代表とも活動再開の見通しが立たない異例の状況下でも、兼任監督の森保一は選手との対話を通じて、チーム作りを進めていこうとしている。

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欧州の主要リーグが中断に追い込まれていた今春、ポルトガル1部『CSマリティモ』のFW前田大然(※現在は『横浜Fマリノス』)の携帯電話に、森保からの不在着信があった。「何か悪いことをしたかな」。恐る恐るかけ直すと、コロナ禍での海外生活を心配する代表監督の声が聞こえてきた。家族を優先する為に退団も考えていた不安定な時期だっただけに、指揮官の気遣いは心に染みた。同じ頃、セルビアのFW浅野拓磨(※『パルチザンベオグラード』)にも近況を尋ねる連絡があったという。森保の会話は、相手の話を聞くところから始まる。練習の合間にさりげなく近寄り、「調子はどう?」等と声をかけ、選手の言葉を引き出していく。話が細かい戦術面にまで広がり、10分以上に及ぶこともある。森保は、「監督の立場で何か言ってしまうと、選手は中々反論できない。本音を聞き出して、成長に繋がるフィードバックをしたい」と言う。前田は、「試合に出ていない選手にも目を配ってくれる。コミュニケーションをこれだけ大切にする監督はあまりいないと思う」と信頼を寄せる。

対話重視の姿勢は、現役時代の多くを過ごした『サンフレッチェ広島』で、総監督だった今西和男から植え付けられた。選手が引退後も指導者としてサッカーに携われるよう、今西は“聞く・見る・話す・考える”をテーマに教育を施した。特に、他人の意見を理解しながら皆で目標を合わせていけるようにと、ディスカッションを多く取り入れた。定期的に個人面談も行ない、今西は「まるで学校の先生みたいだった」と懐かしむ。門下生には『大分トリニータ』の片野坂知宏、『大宮アルディージャ』の高木琢也、『ギラヴァンツ北九州』の小林伸二、U-16日本代表の森山佳郎等、現役監督だけでも多士済々だ。森保は「今西さんはいつも『どう考えているんだ?』と聞いてくれた。自分も同じようにやっていきたい」と、海外組とのオンラインでの面談を検討している。好奇心旺盛な森保は、自分と異なる考え方に触れることを好む。Jリーグ発足前後にはドイツ帰りの風間八宏(※『川崎フロンターレ』・『名古屋グランパス』元監督)からプロの姿勢を教わり、コーチとして臨んだ2年前のW杯ロシア大会では、西野朗から監督としての決断力を学んだ。「選手もスタッフもメディアも、色んな意見があっていい。他人の意見を聞くのが楽しい」。立場に拘らない柔軟なコミュニケーション能力が、チームを纏める原動力になっている。 《敬称略》 (星聡)


キャプチャ  2020年8月21日付掲載

テーマ : サッカー日本代表
ジャンル : スポーツ

【火曜特集】(294) ゴルフ界でもスーパースター! GC成田ハイツリーがイチローを“特別待遇”扱いにした裏事情

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「本来なら他の会員制コースと同様、写真付きの入会申込書が掲示板に掲げられなければいけないのですが…。世界にその名を轟かせる超有名人だからといっても、同じ条件でないとおかしくありませんか?」。ある会員がこう疑問を呈するのは、昨年10月、『ゴルフ倶楽部 成田ハイツリー』に入会した、日本が世界に誇る元メジャーリーガーのイチローの入会審査についてだった。本来、同倶楽部で会員になる為には、会員2名の紹介の下、印鑑証明書や戸籍謄本等必要書類を整えて同伴面接プレーに臨む。その後の理事会の入会審査を経て晴れて会員になるのだが、その間、クラブハウス内の掲示板に1ヵ月、入会申込書が掲げられ、他の会員らに顔が晒されるのだ。だが、同倶楽部関係者によれば、イチローが会員になったことは会員間でも殆ど知られていないという。イチローの入会申込書がハウス内の掲示板に掲載されなかったからだ。同倶楽部には五木ひろしや神田正輝等、名の知られた芸能人の会員もいるが、彼らは一般人会員と同様に掲示板に掲げられた上で入会している。事情を知る数少ない会員からの話を総合すると、イチロー側は、会員になっても他の会員と共にプレーすることはないという理由から、入会申込書の掲示を拒み、その申し出を倶楽部側も了承したというのだ。現在、『シアトルマリナーズ』の会長付特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー。日本との往復の際に、空港に近いこのコースでのプレーを考えたのだろうか。それにしても、ゴルフの世界でもイチローは桁違いのスーパースターぶりを示す一件であることには間違いない。


キャプチャ  2021年3月号掲載

テーマ : スポーツニュース
ジャンル : ニュース

【震災10年・スポーツにできること】(05) 新オーナーと次の10年へ

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9月に開幕するサッカー女子プロ『WEリーグ』に東北から唯一参戦するクラブが『マイナビ仙台レディース』(※右画像)である。Jリーグ1部仙台の女子部門だったクラブは、先月から就職情報大手の『マイナビ』が運営する。「復興を目指す東北に何か協力したいと仙台のスポンサーになったのが始まりだった」と同クラブの粟井俊介社長。経営再建を図る仙台からチーム譲渡の打診を受けると、「女性活躍社会の牽引役になるというリーグの理念が、マイナビのやってきたことと合致する」と快諾した。震災が起きるまでは『東京電力』のチーム『マリーゼ』だった。休部、仙台の傘下入りと荒波を乗り越え、節目の年の再スタート。手始めに、リーグで初めて全選手とのプロ契約を打ち出した。年俸も相場の200万~300万円から大幅増。「先行投資だが、選手たちと一緒に女子サッカーの市場を大きくし、東北の皆さんが前向きになれるメッセージを伝えていきたい」と粟井社長は語る。

同じ町に拠点を置くバスケットボール男子の『仙台89ERS』も苦闘を続けてきた。震災後に一時活動を休止。ファンの署名活動を受け再始動したが、2016年の『Bリーグ』参戦後は資金力の差に勝てず、1年で2部降格。2018年、地元でサプリメント製造販売を手掛ける『ボディプラスインターナショナル』の支援を仰ぐことになった。10年前は選手だった志村雄彦社長は、「仙台ではもうバスケができないと思ったところからのスタートだった。震災後の繋がりでボディプラスや地域の方に支援してもらえてやってこられた」と話す。感謝の意味を込め、仙台以外の市町村で試合を行ない、地元の名産を紹介する取り組みを今季から始めた。2月には津波で被害を受けた宮城県南三陸町で開催。「昔、お客さんだった子供がボランティアとして手伝ってくれたし、『来てくれてありがとう』と言ってくれる人がいた。これが僕らの仕事だと思った」。再びコロナ禍の逆風が吹くが、支援の輪は広がる。スポンサーはオーナー交代前の約90社から約150社に増加。今季の協賛金収入は過去最高となった。「地域との繋がりをより強くし、日本一の目標を達成したい」と志村社長は話す。サッカーJ3の盛岡も2019年、英会話教室大手の『NOVAホールディングス』を親会社に迎えた。同社の稲吉正樹社長が先ず手を着けたのは強化費。「選手への投資ができていないから負けてサポーターが離れ、スポンサーも獲得が難しいという悪循環だった」。選手人件費をリーグの平均以上まで増やした。フロントの人員も3倍の約20人に増やし、津波の被害を受けた沿岸部を含む県内全市町村への働きかけを強化している。今季は選手を各市町村のアンバサダーに指名。試合への小中学生の無料招待等を始めた。本拠地『いわぎんスタジアム』の収容人数はJ2基準を満たさない。稲吉社長は盛岡駅近くに新スタジアムを造る構想を描く。「チームや会社単体ではできないので、行政や地元企業の皆さんと一緒に、10年以内に実現したい。寒冷地に合ったドーム型にできれば一番いい」。待てば海路の日和あり。津波に断ち切られた繋がりがあったとしても、新たに生まれた絆もある。新たな船頭の力とアイデアを背に、被災地のクラブは逞しく、次の10年へこぎ出していく。 (谷口誠) =おわり


キャプチャ  2021年3月14日付掲載

テーマ : スポーツニュース
ジャンル : ニュース

【震災10年・スポーツにできること】(04) 地域クラブ、夢への脈動

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東日本大震災で高さ15mの津波が襲った宮城県女川町。高台に移転した住宅等の跡地に今年9月、町の新しいシンボルができる。東北社会人1部リーグ所属のサッカーチーム『コバルトーレ女川』(※左画像)の本拠地となるスタジアムである。震災の後、クラブは1年間の活動休止を強いられた。しかし、住民への物資運搬や給水活動をする中で、「町の為にこのクラブがあるという、自分たちの立ち位置を再認識できた」と、当時もチームの指揮を執っていた阿部裕二監督は語る。ピッチでのスタイルも定まった。ボールを保持する攻撃的サッカーで、「お客さんがまた来たいと思うようなエンターテインメントを目指している」。2018年には『日本フットボールリーグ(JFL)』の舞台にも上がった。周辺の企業に雇用してもらっている選手は、引退後も町にとどまる人が多く、家族らを含め100人程が町に住む。人口が震災前の1万人から6300人へ減った町にとっては、存在感のあるコミュニティーと言える。「クラブ設立時から町の人口を増やすというビジョンがあった。少しは町の力になれてきたかな」と阿部監督は話す。

5000人収容の新スタジアムは女川駅から徒歩圏内で、より多くの人を呼び込む縁になり得る。目標に掲げるJリーグ3部の基準も満たす。「普通なら成績が出てからスタジアム造ってほしいという話になるのに、ありがたい。期待に応える結果を出したい」と阿部監督は誓う。福島県には日本初の施設ができた。JFL所属の『いわきFC』のクラブハウス『いわきFCパーク』は、グラウンド、クラブハウス、商業施設が一体化した、他では珍しいコラボレーション。スポーツ教室に参加する子供の姿を、隣接したカフェから親が見守る。チームドクターが院長を務める整形外科やヨガ教室、英会話教室もある。クラブの親会社であり、アメリカのスポーツブランド『アンダーアーマー』を日本で展開する『ドーム』(東京都江東区)の支援で完成した。J1湘南の元社長でもある、いわきの大倉智代表は「地域のコミュニティーを形成するには、スポーツ施設という箱が大事だった」と強調する。2019年に施設を訪れた人は30万人。観光客数が原発事故前の水準に未だ戻らぬ市にとって、ここで生み出される賑わいは小さくない。2016年に福島県2部リーグで戦っていたチームは昨年、JFLへ昇格した。J3への加入時は、原発事故の復旧作業の拠点という役割を終えた『Jヴィレッジスタジアム』をホームにする。ただ、更に上へとなると規模が小さい。クラブは、J1入りの条件となる1万5000人収容の新スタジアムの建設をいわき市と模索中。大倉代表は、「サッカーもラグビーも野球もコンサートもやるような、屋根があって皆が使えるアリーナになれば面白い」と理想を膨らませる。盛岡市にも、2万人収容で大型スクリーンを備えた野球場が2023年にオープン、プロ野球の公式戦を催す。少子高齢化の進んでいた地域を襲った震災は、人を、活気を呼び込めるというスポーツの価値を再確認するきっかけにもなった。場ができ、人が集まり、町に命が通う。そんなホームを作り出そうという脈動が、各地で息づいている。 (谷口誠・田原悠太郎)


キャプチャ  2021年3月12日付掲載

テーマ : スポーツニュース
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【震災10年・スポーツにできること】(03) “釜石の奇跡”よ、三たび

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子供たちが大漁旗を振るい、各国の代表ジャージーを纏ったファンが彩りを添える。恰も1年前の祭典のようだった。昨年10月、岩手県釜石市の『釜石鵜住居復興スタジアム』で開かれた、ラグビーW杯の1周年記念試合である。トップリーグで躍進中の『クボタ』を、下部リーグの『釜石シーウェイブス』が迎え撃った一戦。相手の巨漢に直向きにタックルしていたのが、ロックの高橋聡太郎だった。この町の高校1年生だった10年前、震災に遭った。家族は無事だったが、親を亡くしたり、転校を余儀なくされたりする同級生を間近に見て、「起こっていることを頭の中で整理できない日々だった」。3ヵ月後のシーウェイブスの練習試合。会場を訪れた高橋聡は、「ラグビーの試合が身近にあって、見に行くことができる場所が釜石。漸く一つ日常が戻ってきた」と実感した。明治大学進学の為、一旦上京したが、「自分のプレーで釜石が活力を取り戻す後押しをしたい」と2017年に地元チームの戦列に加わった。高校時代の高橋聡が、地元のイベント等で意義を訴えてきたのが、W杯の地元誘致だった。その夢が叶い、会場となった復興スタジアムは、“奇跡”と所縁ある舞台でもある。震災時、ここにあった小中学校は津波に呑み込まれたが、児童全員は避難して無事だった。

W杯では、ウルグアイの団結が格上のフィジーを破る番狂わせ。ここでは“釜石の奇跡”が起きるのだと――。新日鉄釜石ラグビー部の日本選手権7連覇から三十数年を経て、薄れつつあった“ラグビーの街”の色は、最近また濃くなりつつある。W杯では、スタジアムに向かう観客を子供や高齢の人が道すがら手を振って見送る等、他の街にはない形でもてなした。一時は存続が危ぶまれながら、シーウェイブスも逞しく生き延びている。ジュニア部門に参加する小学生も、この5年で3倍に増加、4月には中学生の単独チームを設立する。市も2つの高校のラグビー部に指導者を派遣する構想を持つ。地元で腕を磨ける環境が整えば、高橋聡に続く釜石育ちの選手は増えるだろう。シーウェイブスは、来年1月に誕生する新リーグにも参戦する。現在の年間予算5億~6億円は、国内強豪の15億円超と比べ少ない。太刀打ちするには、より多くのチケットを売り、スポンサーを集める必要があるが、「新リーグはそのアピールになる」と桜庭吉彦ゼネラルマネージャーは言う。「先ずはチームの存在を知ってもらう為に、広域でイベントや地域貢献活動をしたい」。今月の復興道路開通で移動時間が1時間半ほど短くなった仙台等でのPRを考えている。復興スタジアムはW杯時にあった仮設席がなくなり、6000人収容に減った。新しい1部リーグの基準となる1万5000人規模とするには拡張や移転が必要となるが、「ホームはあくまでも釜石」と桜庭氏は拘る。「ハードルは高くても、走りながら可能性を考える。10年後には優勝を争い、日本一のラグビーの街になりたい」。人口3万2000人の町のクラブチームで、日本一をもう一度。その時、釜石に三度目の奇跡が舞い降りる。 《敬称略》 (谷口誠)


キャプチャ  2021年3月11日付掲載

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【震災10年・スポーツにできること】(02) ベガルタ、再び希望の光に

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東日本大震災から10年目の今季、J1の『ベガルタ仙台』は監督に手倉森誠を迎えて戦っている。震災のあった2011年に前年の14位から4位に、翌2012年にはクラブ史上最高の2位に躍進させた名将の帰還。コロナ禍による減収、選手の不祥事と災難続きのクラブの再建を託された新監督は、何を見据えているのか。昨年12月末、J2の『V・ファーレン長崎』の監督を退いた手倉森に電話をかけた人物がいる。同月14日にベガルタの社長に就任したばかりの佐々木知広だった。1999年にベガルタの市民後援会を立ち上げ、同会の理事長も務めた旧知の新社長の熱烈なラブコールに、手倉森も直ぐに腹を固めた。今回の仕事は、単に昨季17位に終わったチームを立て直すだけでなく、このクラブが持つもっと大きな使命を見つめ直すこと。そう考えると、その当事者に自分がなることが運命のようにも感じられた。では、そのもっと大きな使命とは何か。佐々木は、「東日本大震災からの10年でスポーツ界に大きなパラダイムシフトが起きた」という。地域のサポーターや企業や行政に支えてもらう存在だったJクラブが、震災を機に、逆に地域に対して何ができるかを真剣に自問自答するようになった。手倉森も語る。「震災直後、水も電気もない暮らしをした時、当たり前の日常のありがたみをどれだけ痛感したか。『東北を良くしたい』『ベガルタを応援したい』と思いながら命を落とした人もいる。その無念さを思えば、俺たちは生きているんじゃなくて生かされているんだなと」。

「その上で、好きなサッカーで仕事をさせてもらっている喜びを噛み締めたら、誰かの為に尽くさないといけないなと。その誰かとは被災した人たちのことだろう。そんな話を選手と本当によくしたものだった」。その思いを10年前、手倉森は“希望の光”という言葉に集約して選手を鼓舞し、選手も何かにとりつかれたように闘い、チームは2シーズンに亘って輝き続けた。サッカーをただするだけでなく、社会との接点を意識し、実際に持つことの大切さは、クラブの背骨になった筈だった。8季ぶりに古巣に戻った監督が、実は予感し、的中したことがある。ある種の“風化”である。「10年という歳月は、震災を昔のこととする感覚を生んでいる。一方で、まだまだ心に傷のある人は多く、復興した街の新しい建物を見て、余計に寂しくなっている被災者だっているだろう。そういう目に見えない心の復興に寄り添う為に、果たすべき役割は寧ろ大きくなっているのに」。地域を支える気持ちに再び血を通わせる為に、手倉森は“語り部”になっている。新しく獲得した選手には、勝つこととは別の使命があることを伝えている。「それを重荷と感じるなら断ってくれていいよ」と。上原力也(※前磐田)や皆川佑介(※前横浜FC)ら新加入組は皆、意気に感じて集まってくれた選手だ。最初にベガルタの監督に就任した2008年、会見の場で「5年でアジアチャンピオンズリーグ(※ACL)に出る」とぶち上げて笑われた。2013年に実現してみせた。「口にした言葉には責任を持たないといけない」という手倉森は、「誓いという字は“折”と“言”の組み合わせ。一度口にしたら折ることも折られることもない」と笑う。最新の誓いは、ベガルタを再び“希望の光”にすることであり、クラブに集う人の思いを優しく温かく繋げる、慈愛に満ちた“東北のシンボル”にすることである。クラブの名前の由来となったベガとアルタイルの如く、恒星として、いつの世も人々を照らすクラブにする覚悟がある。 《敬称略》 (武智幸徳)


キャプチャ  2021年3月10日付掲載

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【震災10年・スポーツにできること】(01) 楽天、被災地と二人三脚

とてつもない痛みと悲しみを被った地域や人たちへ、スポーツは何ができるのか。自分たちの存在価値を自問しながら奮闘してきた、被災地のチームや選手の“10年”をみつめる。

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もう10年か、未だ10年か――。スポーツの世界において、10年は長い月日だ。東日本大震災の起きた2011年からずっと『東北楽天ゴールデンイーグルス』に籍を置く現役選手は3人だけ。それでも、多くの人の思いを背負った被災地の球団であるとの思いは、連綿と引き継がれている。キャンプ前、新入団選手の被災地訪問は通過儀礼となっている。今年は1月21日、新人7人が名取市閖上地区を訪れた。ドラフト1位の早川隆久は、小学6年生の時に千葉県内で震災を体験した。当時、自宅にも被害があったというが、「千葉とは津波の高さも違い、改めてその被害の大きさを感じた」と語った。そして、入団が節目のタイミングとなったことに「物凄く縁を感じた」という。そんな感慨は田中将大も同じだったろう。「10年という数字は自分にとって意味のあるタイミングだと思い、今回の決断に至った」と入団会見で語った田中。『ニューヨークヤンキース』入団後も、オフには仙台で自主トレを行ない、頭には常に東北のファンの姿があった。「今も一緒になって頑張りたいという気持ちはある。今まで以上に近くにいることで、できることがあるかもしれない。できる限り協力したい」と被災地を思いやる。

震災発生時、チームは兵庫県明石市でオープン戦の真っ最中だった。その後も名古屋、神戸、札幌等を転戦。選手会長だった嶋基宏の「見せましょう、野球の底力を」のスピーチは、『札幌ドーム』でのチャリティーマッチでの言葉。この時点では未だ被災地の惨状を一度も見ることができずにいた。4月に入って漸く仙台に戻り、避難所を訪問した星野仙一監督は「遅くなってすみません」と挨拶。すると、「おかえり」「待っていたよ」と拍手が上がる。選手たちも、あちこちの避難所で「頑張って」と方々から激励された。「選手に会えたり、キャッチボールをしたりして、子供が、その親が生き生きしていった。それを目にして、選手の『地域に入って活動したい』との思いが強くなった。直に接した分、球団よりも選手のほうが感受性が強かった」。昨年までオーナー代行を務めた井上智治は、そう振り返る。選手は「地域の象徴、希望の光になろう」と戦い、ファンはそれをじっと見つめ、我が事のように喜んだ。その姿が選手に更にやる気と自覚を促す好循環。2011年も、『Kスタ宮城』(※当時)の観客動員数は1試合平均1万5899人と、前年比微増。この優しくも熱いファンの後押しは、2013年のリーグ優勝、日本一となって結実する。観覧車の設置や観戦スタンド新設等もあり、2019年には本拠地の平均入場者が2万6250人にまで拡大した。が、昨季はコロナ禍の影響で3935人にまで激減した。今季も通常開催できるかは不透明。そこに飛び込んできた田中の復帰は大きなインパクトがあると井上は言う。「(2013年の)勝ったイメージが凄い。加えて、バリバリの大リーガーが東北に戻ってきてくれた。プロ野球全体への影響も大きく、(球団的にも)戦力以上の価値がある」。ファンの反応は速かった。3月26日からの開幕3連戦(※日本ハム戦)の入場券は早々とソールドアウト。田中の為の球団公式ファンクラブ『マー君クラブ』も、あっという間に完売した。「東北がここからどう元気になるかが大事。マー君が来て東北が盛り上がり、チームが勝って更に元気になる。そんな新しい10年のスタートになればいい」と井上。節目のシーズンが間もなく始まる。 《敬称略》 (土田昌隆)


キャプチャ  2021年3月9日付掲載

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【プロ野球アウトロー列伝】(06) パンチ佐藤…「あの5年間は竜宮城のようなもの。でも戻りたいとは思わない」



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改めて記録を調べてみて驚いた。パンチ佐藤こと佐藤和弘がプロ野球選手だったのは、1990年から1994年までの僅か5年のことだった。たったの5年で放ったヒットは71本。記録以上の強烈なインパクトを残したプロ野球選手だった。「あの5年間は竜宮城のようなものですよ。楽しかった5年、素敵だった5年間。僅かな期間のことなのに、今でも多くの人がパンチ佐藤を覚えていてくれる。それはとても嬉しいことですよ」。1989年ドラフト指名時に、当時、『オリックスブレーブス』監督の上田利治から指名挨拶を受けた際に、パンチパーマ姿の佐藤が「心は一つです」と返答したことから、入団前に既に注目を浴びた。「あの年のオリックスは野茂(英雄)君を1位指名したけど、抽選で外してしまったんです。それで僕が1位指名されて、上田監督から電話がかかってきて、『野茂を外したら、今年一番の左打ちの外野手を指名するつもりだった。そうしたら君の名前が挙がった。どうだい、来てくれるね?』と言われたら、『心は一つです』って言うしかないじゃないですか。別にウケ狙いじゃないですよ」。ヒーローインタビューでは「下痢するまで呑みたいです」と発言。これも未だに語られるエピソードだ。「あの日は偶々、彼女が球場まで見に来ていたんです。で、ヒーローインタビューをしている目の前、金網の向こうに彼女がいたから、『今日は三宮でとことん呑むぞ』という意味で彼女に言っただけなんです(笑)」。入団前、入団直後から、その風貌と独特な言語センスで一気に注目を浴びた。プロ1年目には代打起用中心ながらも、打率3割3分1厘を記録。順風満帆なスタートを切ったかと思われた。しかし、パンチのプロ野球人生は、ここから試練に見舞われることになる。

何かにつけて「どんどん目立て。どんどんマスコミにアピールしろ」と応援してくれた上田利治に代わって、1991年からオリックスの監督となったのは土井正三だった。巨人V9時代の立役者の一人だった土井の就任と共に、阪急時代からの名跡であるブレーブスの名を捨て、ブルーウェーブと改称。変革の道を歩み出した。現役引退直後の1995年に発売されたパンチの著書『プロ野球毒舌改造論』(ラインブックス)には土井監督を名指しで、或いは“D監督”と表記して、辛辣に非難している。「土井監督時代の3年間は碌に出番を貰えませんでしたね。監督からしたら、僕は足も遅く、守備も下手、一軍では使えなかったんでしょう。だから、『クビにして下さい。トレードに出して下さい』って何度も言ったんだけどね。あの頃、近鉄を見ていて、『あぁ、俺も仰木(彬)監督の下で野球をやりてぇなぁ』って、いつも思っていましたよ」。監督の指示に従うことなく、自分の意思を貫こうとするパンチの存在をよく思っていなかったのだと、今なら理解できる。しかし、当時は只々不満が募るばかりだった。この時期、パンチと同様に不遇をかこっていた若者がいた。鈴木一朗。後のイチローである。イチローの代名詞となる振り子打法をよく思っていなかった土井は「バッティングフォームを改造すれば試合に使う」と言ったものの、イチローは頑なにその申し出を拒んだのだという。「当時、僕もイチローも二軍だったから、『お前バカだなぁ、ニコニコしていればお前なら一軍じゃないかよ』って言ったことがありますね。そうしたら彼は、『いや、監督は2~3年で代わりますけど、自分のバッティングはずっと変わりませんから』って言ってました。彼は既に3年後、5年後を見据えていたんですよ」。イチローがプロ入りしたのは1992年のことだった。入団当時の彼の印象をパンチが振り返る。「右投げ左打ちの外野手が入ってくるって聞いた時は嫌な気持ちになりましたよ。でも、春のキャンプで彼を見て、『あぁ、子供の身体だな。まぁ、10年くらいは抜かれないだろう』って思いましたね。でも、いざランニングが始まると走り方が綺麗で、誰もが直ぐに『これはやばいぞ』って思いましたよ」。更に、バンチは続ける。「イチローは“ウサギとカメ”で言うところの“休まないウサギ”なんですよ。彼に追いつこうと猛練習しようにも、こちらが怪我してしまう。もう、レベルが違い過ぎましたから」。パンチとイチローにとっての“冬の時代”は1993年限りで終わった。土井に代わって、仰木が監督に就任したのだ。監督就任後、仰木は驚くべき提案をする。「僕の登録名を“パンチ”に、イチローの登録名を“鈴木”から“イチロー”に変更したい。そう言われました。仰木さんの本心は『イチローを売り出したい』という思いで、『でも、イチローだけ登録名を変更すると悪目立ちするかも』という不安があったようです」。結果的にイチローは、この年、シーズン210安打を記録する大ブレイクを果たし、パンチはこの年限りで現役を引退する。30歳になる直前のことだった。

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【水曜スペシャル】(283) マイク・タイソンのエキシビションマッチが売上83億円! “引退選手”で儲けるボクシング界の今後

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昨年11月28日にロサンゼルスで行なわれたマイク・タイソンのエキシビションマッチは、視聴料50ドルのインターネット中継が160万件のビッグセールスだったと主催者が公表。約83億円の売り上げとなる大成功となった。両選手のファイトマネーや放映権料の支払いで3分の2以上が支払いに消えるというが、主催者は手応えを掴んで『ファイトクラブ』なるシリーズ化を発表している。これを見逃さなかったのが元5階級王者のフロイド・メイウェザーで、2月20日にボクシング0勝1敗のYouTuber、ローガン・ポールとのエキシビションマッチを決めた。こちらも別の動画配信サイトで、約25ドルで販売。試合直前には約70ドルまで段階的に値上げする仕組みで、前売りを呼び込んでいる。

この話に真っ青になったのが、2月28日に東京ドームで予定される新イベント『MEGA2021』の主催者だ。同イベントもメイウェザーの起用を発表していたのだが、8日前に別試合を組まれてしまったのである。日本の新型コロナウイルス規制である入国後14日間の自主隔離要請が変わらない限り、メイウェザーの試合は不可能になってしまうのだ。ある格闘技プロモーターは、「日本では精々数億円のギャラでしょうが、向こうでは成功すれば桁違いだから、あっさり予定を作られてしまった」と話す。「本来、主催者はちゃんと契約を詰めて、興行前2ヵ月以内に別の試合を入れないようにしておくべきだったけど、主催が格闘技興行未経験の素人なんです」(同)。何れにせよ、引退選手によるエキシビションマッチのビジネスは、通常のボクシングより確実に儲かるとして、世界中で関係者の目の色を変えさせている。これは日本も例外ではなく、ある仕掛け人は「元世界王者の長谷川穂積や内山高志に声をかけ、現役の格闘家とエキシビションマッチを組むプランをテレビ局に持ちかけている」という。「前に亀田興毅が素人とスパーリングをやって話題になったことがありますが、亀田は体が小さく、動きも地味。更に、相手が素人なんていう情けないものでした。もっと倒すか倒されるかの仰天イベントを仕掛けたい」(同)。但し、こうしたイロモノイベントばかりが目立つのは、業界的に決して良い傾向とは言えない。本来の公式試合に人が集まらなくなる懸念も囁かれている。


キャプチャ  2021年2月号掲載

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George Clooney

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