【日本の領土を考える】(05) 江戸川乱歩と南洋ブーム

探偵小説の巨匠、江戸川乱歩(※1894-1965)が描く物語の世界は怖い。心底怖い。『芋虫』(※昭和4年)は、戦争で食欲と性欲以外、殆どの機能を失った夫の介護をする妻が“完全なる支配者”になるべく、唯一残った夫の目を潰してしまう。『人でなしの恋』(※大正15年)は、愛する人形を妻に壊された夫が人形と“心中”する結末がショッキングだ。他にも、『人間椅子』・『屋根裏の散歩者』・『陰獣』等、タイトルからして怖い。淫靡で、怪奇的で、背徳感漂うテイストの物語を借りて、乱歩は人間の秘められた欲望や業を、容赦なくあぶり出してゆく。そんな乱歩が、南洋を舞台にした冒険小説を書いている。対英米戦開戦目前の昭和15(1940)年から、児童向け雑誌『少年倶楽部』で連載を始めた『新宝島』だ。南洋の島に漂流した3人の少年が、勇気と知恵で、あらゆる困難に立ち向かう物語である。そこに登場するのは、大海の孤島であり、椰子の実やパンの木、海賊や難破船であり、恐ろしい猛獣や大蛇、人喰い人種(の気配)である。それらが当時、内地(=日本)から見た南洋のイメージだったのだろう。いやいや、昭和35年生まれの私が少年時代に胸を躍らせて見た、怪獣映画やテレビ等で描かれた南洋だってそう変わりはない。未知の世界におけるワクワク、ドキドキの冒険譚、夢とロマンとスペクタクル――。南洋には、そんな神秘的な印象が付き纏う。尤も、『新宝島』単行本の序(※昭和17年6月)によれば、乱歩が意図したのは、漂流者のサバイバル生活を描いたロビンソン・クルーソーのような物語だったのだが――。それはさておき、同じ『少年倶楽部』に連載され、人気を博した漫画(※絵物語)『冒険ダン吉』(※島田啓三作)は、昭和8年から始まっている(※昭和14年まで)。やはり、舞台は南洋だ。
本紙に平成23年に連載された『“冒険ダン吉”になった男 森小弁』(※著・将口泰浩)は、明治中期にミクロネシアに渡り、様々な事業や学校建設等で同地の近代化に尽くした森小弁(※1869-1945)の波乱の生涯を描いた、事実に基づく小説だ。森は『冒険ダン吉』のモデルとされている。単行本のプロローグで、将口はこう書いた。〈…勇敢で賢いダン吉は原住民の信頼を得て酋長となり、病院や小学校、鉄道、日の丸神社を作り、キリンの戦車にまたがり、海賊とも戦った。当時、トラックやパラオなどの南洋群島は日本の委任統治領であり、南進論の高まりとともに日本人の目が南に向けられていたという時代背景もあり、人気を集めた〉。乱歩は、後に代表作となる名探偵の明智小五郎と怪人二十面相が対決するシリーズの第1作『怪人二十面相』(※昭和11年)にも南洋を登場させている。失踪し、10年ぶりにボルネオ島から帰国した富豪の長男が二十面相の変装だった、という設定だ。実は乱歩には、早稲田大学卒業後の大正5年に大阪の貿易商社に勤め、南洋との取引に従事した経験がある。僅か約1年で辞めてしまったが、その経験を小説の舞台設定として借りたのだろう。“南進論”の高まりと共に日本の社会に巻き起こった南洋ブームは、森小弁が海を渡った明治以降、何度も起きている。仕事や移住先を求め、資源や交易先を探し、更には国の安全保障の為に、日本人は南へ南へと向かう。第一次世界大戦(※1914~1918年)後に、ミクロネシアの南洋群島を『国際連盟』の委任統治領とした大正期以降、南へ向けられる視線は更に熱量を増し、昭和のブームへと繋がっていく。『新宝島』や『冒険ダン吉』等の物語は昭和のブームを背景とし、ブームを再生産する役割を担った。多くの子供達が、未だ見ぬ夢のような世界での冒険譚に胸を躍らせたであろう。彼らが成人した時、南を目指す動機付けとなったかもしれない。昭和の南洋ブームは、戦争の足音と共に不即不離の関係となってゆく。乱歩が『新宝島』の連載を始めた昭和15年7月、第二次近衛文麿(※1891-1945)内閣が発足。国家的な南進策へと舵が切られる。従来、海軍主導だった南進論に、伝統的に北進論中心だった陸軍も“乗った”のだ。創作者にとってそれは、窮屈な思いを余儀なくされることにもなった。実は、昭和15年の乱歩は『新宝島』以外の作品を全く書いていない。日中戦争以降、娯楽性の強い探偵小説が書けなくなり、冒頭に紹介した『芋虫』に至っては“反戦小説”として発禁処分にされてしまったからである。乱歩は、前出の『新宝島』の序でこう書いた。〈この物語は、大東亜戦争勃発以前、昭和15年度に執筆したものであるが、当時既に我々の南方諸島への関心は日に日に高まりつつあったので、その心持が、物語の舞台を南洋に選ばせたものであろう…〉。序を書いた昭和17年6月といえば、開戦から連戦連勝を続け、南進を続けていた日本軍がミッドウェー海戦で空母4隻を失う大敗を喫し、アメリカ軍に反転攻勢を許すきっかけとなった時期と重なっている。但し、それは後にわかることだ。南方作戦を展開する日本軍は、更に南の蘭印(※インドネシア)やパプアニューギニア(※オーストラリアの信託統治領)、ビルマ(※ミャンマー)等にまで駒を進め、軈て泥沼化してゆく。『新宝島』では、少年達が大量の金を産する原住民の村に辿り着く物語が描かれている。アメリカから石油等の輸入を止められた日本は、南に資源を求める他なかった。『新宝島』は単なる少年向けの冒険譚でない。当時の国際情勢や世相を見事に反映させた“一味違う”秀作と見るべきだろう。 《敬称略》 (編集委員 喜多由浩)

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