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【池上彰の「そこが知りたい」】(32) 「思わず笑ってしまう笑いを追い求め続ける」――萩本欽一さん(コメディアン)

コメディアンや司会者として、テレビの笑いを自ら変えてきた。数多くのレギュラー番組から育ったタレントも大勢いる。“視聴率100%男”と評され、バラエティー番組に影響を与え続けてきた萩本欽一さん(82)は、今のテレビ番組をどう見ているのだろうか。ジャーナリストの池上彰さんとの対談では、笑いに対する考え方や、70歳を超えてからの大学生活といった新たな挑戦について語った。



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池上「“萩本さん”ではなく“欽ちゃん”とお呼びしますが、宜しいですよね?」
萩本「実は、“欽ちゃん”と呼ばれなくなってテレビに出演するのを止めたの。『ああ、欽ちゃんは終わった』と思って。芸能生活は長いけれども、ちょっと拙いところに来ちゃったな。だらしなくやってきたのに、“萩本さん”と呼ばれるようになったら背負っているものが重くなったと感じて。でもね、香取慎吾と共演することになった時、若いのに平気な顔をして『欽ちゃん、宜しく』って言ってくれてさ。こんなに長く芸能界にいる萩本欽一を前にして“欽ちゃんって呼んでも、私は怒らない人だと気付いてくれた。何て素敵な青年なんだと思いましたよ」
池上「80歳にしてYouTubeに挑戦されました。ゴーグルのようなカメラを顔に着けて仮想空間のメタバースも体験されていて、驚きました」
萩本「『YouTubeが面白いよ』と勧められたので挑戦しました。仮想空間も経験しましたが、中々笑いでは使い難いと感じました。仮想空間で別人間になっても、まだまだ生身の人間に敵わない。優秀なロボットを作ったけれども、笑いだけはできなかったという話も聞いたことがあります。未だ笑いには早いのかな」
池上「色々なことに挑戦されて、2015年に73歳で駒沢大学仏教学部に入学した時はびっくりして、そして嬉しかった。でも何故中退されたのでしょうか?」
萩本「卒業したら『大学出ですね』と言われます。でも、『高校出でも頑張れるよ。勉強だけで世の中が成り立っているわけじゃないよ』と。私はそんなことを考えていましたから」
池上「幾つになっても学ぼうと思えば学べる。そういう勇気を皆に与えてくれました」
萩本「大学では若い人から教わりました。『大学って良いな』って初めて思ったのが雨の日でした。私は雨でも傘を差しませんが、キャンパスを歩いていたら女子学生が『欽ちゃん、濡れるよ』って声を掛けてくれたの。大学の中だからでしょうね。違う空気のところにいるんだ。何か良いなぁ、って感じたなぁ。雨の街を歩いても、誰もそんな声を掛けてくれた人はいませんでしたから」
池上「勉強も新鮮だったでしょう」
萩本「はい。教室ではアドリブを飛ばしていました。『先生、話が面白くないから必ずオチを付けて下さい』と注文も付けました。授業は新たなことを知る時間でしょう。知ってほしい、覚えてほしいというのならば、1時間半もベラベラと喋っているだけじゃだめよ」
池上「楽しい授業になったでしょうね」
萩本「授業は変わりましたね。ただ、最初の1年は試験に出ませんでした。そしたら大学側に呼ばれてね。そこで言いましたよ。『人生は勝つか、逃げるか』だと。勝てそうもない戦いに挑むことはない。だから1年は授業の様子を見たんだ。敵のやり方を見極めようとしたんだ、とね。実は、授業には上手く対応できませんでした。何故かというと、他人の話を聞くよりもツッコミを入れていましたから。授業で『お釈迦様は生まれて直ぐに7歩歩きました』って説明されても、『そんなことはないだろう』って(笑)。それでもね、他人の話を聞き入れる。この習慣を大学で身に付けようって思ったの。これは大切な宝物になるぞ、と。そう考えるようになると、試験の作戦も練られるようになって、授業は俄然面白くなりましたね。それで、最初にできた友達に『どんな試験が出るの?』と聞いたことがあります。そしたら『うーん。少し勉強していれば大丈夫よ』というのが返事で、ヒント等は教えてくれなかった。たとえ友達であっても、卑怯なことはしないのは最高の友達だよ!」
池上「良い友人関係ですね。欽ちゃんの相方といえば、コント55号の坂上二郎さんが2011年3月にお亡くなりになりました」
萩本「あるキャスターが、二郎さんが亡くなったニュースを伝えた後に、『二郎さんには笑わせてもらいました』って言って笑顔になったの。普通ならば『お悔やみ申し上げます』と伝えるのにね。抑も、皆同じコメントじゃなくてもいいでしょう。だから、私が死んだというニュースは、テレビで池上さんに伝えてもらって、こう言ってもらえたら嬉しいなぁ。『欽ちゃん、笑わせてもらったなぁ』って。深刻な顔じゃなくて、素敵な笑顔でね。これはもう、私の遺言ですから、ね」

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テーマ : お笑い芸人
ジャンル : お笑い

【水曜スペシャル】(711) 「1980年代的な遠慮のなさが“翔んで埼玉”をヒット作にした」――魔夜峰央さん(漫画家)インタビュー

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埼玉県をとことん田舎扱いし、それでも何故か県民から愛される。それが映画『翔んで埼玉』だった。首都圏の地域格差を誇張して大ウケしたが、今度はその関西版となる続編が公開された。地域格差の問題は全国各地にある。それを侮辱することなく、徹底したギャグに昇華させたのが、原作者で漫画家の魔夜峰央さん(70、左画像、撮影/内藤絵美)だ。舞台が埼玉だけでなく、関西にまで飛び火した続編『翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて~』で、埼玉のようにいじられまくるのは滋賀県。武内英樹監督は「滋賀が埼玉的ポジションと聞いた」ところからスタートし、徹底的なリサーチを重ねて完成させたという。無論、原作のギャグ漫画『翔んで埼玉』に関西のことは書かれていない。魔夜さんは監督らのリサーチ結果を聞き、大阪の北東に京都があり、その先にある滋賀の位置関係を再確認した。「大阪の人は、京都を挟んでいるのでそれほど滋賀を意識していないようですが、京都の人は滋賀を滅茶苦茶ディスっているそうですよ。東京と埼玉の関係の比じゃない程らしいです」と作品を盛り上げる。埼玉県人が東京に足を踏み入れるには通行手形が必要だったが、撤廃に成功して関東に平和が訪れた第一作。主演の二階堂ふみさんが放つ名ゼリフの「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!」は鮮烈だった。続編でもこの過激なセリフは継承され、「ゲジゲジの滋賀県人はそこらへんの害虫でも食べといたらよろしい!」とアレンジされている。これは車の滋賀ナンバーに由来したセリフだ。“滋”の文字がゲジゲジに似ていて、現実に“ゲジゲジナンバー”と呼ばれることもあることから、ストーリーに盛り込み、笑いに変えている。

そんな話題作の続編の製作が発表されたのは2021年だった。魔夜さんは「改めて言うが、正気かおまえら」とコメントを残した。実は、最初に映画化されると決まった時も同じ気持ちだったと明かす。ひたすら埼玉をいじる毒のあるギャグ漫画が、2時間弱の物語となってスクリーンに登場する。そのことが信じられなかったからだ。2019年に公開された第一作は、武内監督がメガホンを執ることに決まった。魔夜さんは、古代ローマ人が現代日本の銭湯にタイムスリップする映画『テルマエ・ロマエ』を手掛けた監督だと知って、安心した。「俳優の阿部寛さんをローマ人役に起用する監督ですから、大丈夫だと思いました。武内監督は描きたいことを全て盛り込むのではなく、敢えて半分に抑え、お客さんの想像に任せるのが上手いんです」と評価する。だからこそ、続編もそんな武内監督に期待した。GACKTさん、二階堂さんの主演の2人が続投し、杏さんや片岡愛之助さんらがキャストに加わった。当初は昨年公開予定だったが、撮影が延期に。約1年遅れの公開となった。関西を舞台にした映画の封切りは奇しくも、プロ野球『阪神タイガース』が38年ぶりの日本一を達成する記念すべき年と重なった。「関西が盛り上がるこのタイミングに合わせ、公開される定めになっていた感じがします。第一作より無駄に壮大で馬鹿馬鹿しい。それを楽しんでほしい」。魔夜さんは出身地の新潟県で漫画家生活を始めた。少女漫画雑誌で連載していたギャグ漫画『パタリロ!』がヒットしたことで多忙を極め、編集長の勧めで埼玉県所沢市に引っ越した。住んでいたのは1979年から1983年まで。同時期に漫画『翔んで埼玉』を連載し、3回で終了した。発表当初は反響がなく、時が過ぎた。2015年、地域ネタブームの最中に、魔夜さんの娘が漫画の一部をSNS上に投稿したところ、話題となった。それが『宝島社』の編集者の目に留まり、同年に復刊された。発行部数は現在、76万部を超える。連載した当時の1980年代は漫画だけでなく、テレビ等でも過激な内容がある程度許容されていた時代だ。「これぐらいのいじりは普通でしたが、時代が昭和から平成に移り、段々と言いたいことが言えなくなっていった」。では昨今、何故映画がヒットしたのか。魔夜さんは、「言いたいことを言っている作品が珍しくて、目立ってしまったんでしょうね。今だったら描くのは難しいでしょう。この作品は40年も前に生まれたので、“時効”が成立しているということでしょうし」。コンプライアンスが厳しい時代だからこそ、遠慮のない痛快さが逆に共感を呼んだと分析する。更に人気の分析をする魔夜さんは、「基本的に地域格差の問題はどこにでもある。自分の地元に置き換えて考え易いから、多くの人が実感できるのでしょう」と語る。「埼玉であれば、大宮と浦和には対抗意識があると聞きます。東京出身のタクシー運転手さんは世間話で、葛飾区と隣の江戸川区も同じような関係だと言っていました。第一作がイタリアで上映された時、現地の人達は仲が悪い地域の話で盛り上がっていました」。“ダさいたま”と皮肉られてきた埼玉県は、以前から比べるとイメージが上がった。総務省の調査によると、2021年の人口増加数はさいたま市が全国でトップだった。『リクルート』が首都圏の居住者を対象に実施した今年の住みたい街ランキングでは、大宮が3位に輝いている。魔夜さんは“ダさいたま”という呼び方は好まないという。「私に埼玉愛があるわけではありませんが、言われた方は傷付くのではないでしょうか」。とはいえ、「埼玉県民にはそこらへんの草でも食わせておけ!」は原作にあるセリフで、かなり過激な印象が残る。しかし、「ギャグと軽蔑は明らかに別物です。だから笑ってもらえる」と魔夜さん。これまで、埼玉県の人から直接クレームを受けた経験はないと満足げだ。今年、漫画家デビューから50年を迎えた。『翔んで埼玉』の映画だけでなく、原作漫画の続編も期待したくなる。「ないよ、絶対ない。それは映画に任せます」。 (聞き手/東京本社夕刊編集部 福田智沙)


キャプチャ  2023年11月24日付夕刊掲載

テーマ : 漫画
ジャンル : アニメ・コミック

【水曜スペシャル】(706) 松本人志性加害疑惑で浮き彫りになった“テレビ時代の終焉”

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お笑いコンビ『ダウンタウン』の松本人志氏の活動休止を受けて、テレビ業界に激震が走った。毎週木曜日22時から松本氏がレギュラー出演していた『ダウンタウンDX』を放送している『読売テレビ』の大橋善光社長は、先月17日の記者会見で「松本氏と被害女性が対決する番組を放送したい」という趣旨の発言をした。これが報じられると、インターネット上で「人権感覚ゼロ」と炎上した。大橋氏としては、松本氏の活動休止で番組に影響が出れば「営業的に大ダメージとなる焦りがあったようだ」(同局OB)。『読売新聞』経済部のエリートだった大橋氏は、〈テレビ業界の悪しき慣習を断つ〉というスタンスをとり、松本氏が所属する『吉本興業』とも距離を置いてきた。その大橋氏が妄言を吐くほど、松本問題はショックだったのかもしれない。『フジテレビ』も混乱に陥った。松本氏が同局の番組に出演することを、自身の『X』(※旧ツイッター)上で一方的に宣言した一件でだ。当初、フジテレビ側は出演させるつもりだったようだが、「出演の可否を決める編成権は放送局にある」と報道局が騒ぎ、最終的に出演取り止めになった。旧『ジャニーズ事務所』問題で、有力事務所の編成権への介入が問題となったが、改めて人気タレントや有力芸能プロダクションに弱い放送局の体質が浮き彫りになった。松本問題について、「旧ジャニーズの時の二の舞にならないように積極的に報道する」(民放キー局幹部)との動きも一部にあるが、掛け声倒れになる可能性も。


キャプチャ  2024年2月号掲載

テーマ : テレビ・マスコミ・報道の問題
ジャンル : ニュース

【火曜特集】(706) 未成年はカネになる! 逮捕リスクもお構いなし! 現役アイドル達の最新パパ活事情

アイドル達を直撃したコロナ禍は、今も彼女達の経済状況に大きな影響を与えている。そんな彼女達を支えているのは“パパ”の存在だ。嘗てなく広まっているアイドル達のパパ活事情に迫った。 (取材・文/フリーライター 小島チューリップ)

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グラビアアイドルやモデルだけでなく、国民的アイドルグループのメンバーまで、芸能活動の裏で隠れてパパ活に勤しんでいることは、既に白日の下に晒されているが、コロナ禍以降、その流れは更に深化しているという。「散々言われていることですが、コロナ禍は特に若い女性達に経済的ダメージを与えました。芸能活動している子達は特に深刻です。去年と違って、若者や一部あまり気にしない人達はライブやイベントに戻ってきましたが、いわゆる“太い”、お金に余裕がある中高年層は完全には戻ってきていません。オンライン配信等も増えましたが、ファンの財布の紐が緩んだのも最初だけです。やはり対面で会えないと続かないんですね。握手会等、イベントそのものの制限は未だ続いているので、収入が減ったアイドル達の懐は厳しいままです」(イベント会社代表)。厳しいといっても、アイドル達が正社員や派遣社員等定時の仕事と芸能活動を両立することは難しい上、不特定多数と会話するキャバクラや水商売等もウイルス感染のリスクが高く、警戒されている。そこで求められるのは、やはり“パパ”の存在である。「数年前と違って、アイドル達の中でパパ活をしていることを隠す様子もなくなっているのが、最近の特徴です。勿論、ファンにばれるのは問題なので公にはしませんが、最早やっていない子を探すほうが難しいという感じでしょう。実際、私のよく知る芸能事務所では、高額ではないものの、コロナ禍前まで月給で給料が出ていましたが、コロナ禍で事務所自体の経営が悪化し、それがストップ。なのに、接客を伴う副業を全面禁止にした為、必然的に殆どの所属アイドルが裏でパパ探しに必死になるという始末でした」(同)。

一方で、お金に余裕がある男といえば仕事で一定の立場にいる人間ばかりの為、彼らもコロナ禍で多くが自粛。その為、少ないパパを大勢のアイドル達で取り合うという構図が生まれているという。今年までライブアイドルとして活動していたA子に聞くと、こう明かした。「私が所属していたアイドルグループはメンバーが8人いたのですが、パパ活をしていない子は現役高校生の1人だけで、18歳以上の残り7人全員がやっていました。まぁ私もやっていたんですが、皆、隠すこともなく情報交換していましたね。で、お金払いが良いパパとか、秘密を守れてゴムをきちんと付ける紳士なパパとかは、紹介し合ったりしてパパの交換もしていましたよ」。“パパ”といえば聞こえがいいが、いわゆる芸能人がお金で身体を売っているわけで、本来ならアイドル同士でも内緒にしているものだろう。それが、ここまで大っぴらになったというのは、やはりコロナ禍の影響だろうか。更にA子は、パパにアイドル仲間を融通する斡旋役も蔓延っている現状を教えてくれた。「アイドルは遊んでいて交流関係が広いイメージがありますけど、実際、若くして芸能活動をやっている子は人脈が狭い子が多いんです。その為、『お小遣いをくれるパパが欲しいけど、どう探したらいいかわからない』という子が多い為、お金のある男性達と繋がりのあるアイドルが“パパ紹介役”として暗躍しています。勿論、彼女たちはパパ側から仲介手数料を貰っています。一晩10万円のところ、5万円とか平気で抜いていますよ。それなりの売れっ子グラドルとかだと50万円払わせて30万円抜いた、とかいう話も聞きました。数人に紹介できれば月収100万円近いので、正直、斡旋が本業で、アイドル活動自体が副業みたいな子もいます」。芸能界という特殊な世界であっても、身体の関係があることが前提の紹介だとしたら、完全に売春の斡旋であり、違法行為だ。万が一、公になって警察が動いたら摘発されることもあるかもしれない。A子は更に衝撃的な内部事情を話してくれた。「成年のアイドル達をパパに紹介しているアイドルは、捕まるリスクなんて考えていないと思いますが、明らかに違法な現役高校生のアイドルや、14~15歳のジュニアアイドルを紹介して稼いでいる子も中にはいますよ」。未成年の紹介とは、完全にアウトである。これは聞き捨てならない。「嘗てはJKビジネスが流行ったことがありましたが、色々禁止されてしまって、今、中高生がそこそこ稼げるアルバイトは全然ないんですね。それなのに、お姉さんアイドルらが平気でパパ活で稼いでいる話を楽屋でしているのを耳にするわけですから、家庭が凄い厳しい子は例外として、高校生であっても『私も!』となるのは当然ですよね。殆どの子は『18歳になってからね!』と止めますが、ロリコンがお金になることを知っている子が声をかけるんです。無名でルックスもいまいちの地下アイドルなんて、今やパパ活アプリでも大した価値はないと思いますが、未成年というだけで金額が数倍にアップするんですよ。その為、リスクを承知で、ロリコンパパ達に紹介する子もいます」。アイドル全般に蔓延るパパ活の裏稼業。まさか未成年アイドルにまで及んでいるとは…。コロナ禍という特殊な事情があったにせよ、それだけのせいにするわけにはいかない。アイドルを抱きたいパパらとしては「良い時代になった」と楽しんでいるかもしれないが、純粋に足繁くライブやイベントに通って応援しているファンからしたら、たまったものではない。どうにかアイドル業界が少しでも健全になり、ファンの夢を壊さないことを祈るばかりだ。


キャプチャ  第23号掲載

テーマ : 芸能ニュース
ジャンル : ニュース

【水曜スペシャル】(705) 「俺にしかできない音を俺自身も聴きたい」――Charさん(ギタリスト)インタビュー

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「テクニックは勿論必要だけど、それだけで良い音を出すことはできない」――。日本ギター界のレジェンド、Char(※左画像、撮影/手塚耕一郎)に“他人の心を打つ音楽”を奏でる為の秘訣を問えば、楽器の良い音は勿論のこと、雷や鳥の鳴き声といった自然界の良い音、或いは嫌な音を知っていることが先ず大事だと説く。「俺が好きなのは、その奏者がどういう人間なのか見えてきたり、それ以外の景色を見せて勝手に想像させてくれたりする演奏。例えば、速弾きに『すげぇ!』とは思うけど、もう一度聴きたいとはならない。聴いた人が理屈じゃなく、『何か良い』『もう一回聴きたい』と思えるような音楽じゃなかったら、只のBGM。だったら無いほうがいいと思うんだよね」と信念を語る。そんなCharが今月、最新アルバム『SOLILOQUY』を携えた全国ツアーを開始する。タイトルは日本語で“独り言”。敬愛するジェフ・ベックにインスピレーションを受けて書いた『JEFF-SOLILOQUY-』を始め、収録した全12曲の作曲、編曲、演奏、プロデュース等、制作に関わる一切をChar一人で手がけたことに由来する。「以前は曲のアイデアがあっても、欲しい楽器の音を重ねていくには沢山の人の関与が必要だったけど、今はデジタル技術の向上で、クオリティーの高い音源を機材から引き出し、聴き応えのある表現が一人でもできるようになった。落書き(=思い浮かんだフレーズやテーマ)から色んな色(=音源)を使って、自分の絵(=楽曲)が描けるのは楽しい」と話す。

だが、一方で「バンドを組んでいるヤツらが羨ましい」とも。「あったらあったでうざいんだよ。作った瞬間、解散したくなる」と、これまでの経験を振り返って目尻を下げて笑うが、「何年かに一度、一緒に演奏しているとゾーンに入ることがあって、『ああ、コイツらとやっててよかった』と思うことがある。もうそれは言葉では言い表せない程」と明かす。今回のツアーでは、ほぼ初対面に近い腕利きの3人をバンドに起用した。「会ったことのない人間同士で新しいものを生むには、其々の個性や得手不得手を短い期間で把握し、判断しないといけない。それが楽しいんだよ。新しい解釈や発見に導かれ、自分を育てることもできる」。唯一、メンバーの採用時に確かめたのは「お前、たばこ吸う? 酒飲む?」だけ。喫煙者であり、酒を愛するChar流の仲間集め。「バンドを作るっていうのは、いつの時代もそういうところから入るから」。そう冗談を交えながら、「演奏が上手いのは当たり前」と一流の余裕を見せた。8歳でギターを始めてから、今年で60年になる。『ギター・マガジン』の〈ニッポンの偉大なギタリスト100〉で1位に選ばれる等、日本ロック界の重鎮だが、「音楽はやればやるほど若い時よりも深さを知っちゃって、終わらないんだよ」と困ったように笑う。「6本の弦と21のフレットの組み合わせで、未だ自分が弾いたことのない表現に辿り着く瞬間が嬉しい。俺にしかできない音を俺自身も聴きたい」と言う。どこまでも高みを目指して立ち続けるステージ。酒は好きだが、飲んで上がることはしないという。理由を尋ねれば、「声が半音下がって、喉が閉まっちゃう」と話す。そして、「あとなんだろうな」と言葉を選んで、こう付け加えた。「しらふで音楽に酔いたいよね」。 (取材・文/東京本社学芸部 伊藤遥)


キャプチャ  2023年11月8日付夕刊掲載

テーマ : J−POP
ジャンル : 音楽

【WEEKEND PLUS】(445) 「『もっと行けるなら行っちゃいなよ』と若い人達の背中を押したい」――KREVAさん(ラッパー)インタビュー

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1990年代からラッパーとして活動し、日本でヒップホップをメジャーシーンに押し上げた貢献者の一人、KREVA(※右画像、撮影/宮間俊樹)。だが、アメリカの本格的なラップだけでなく、J-POPを取り入れた曲作りを得意としていただけに、「ヒップホップ畑からは飛び出たヤツと思われるし、飛び込んだ先のヒットチャート界では『何かラップの人が来た』と思われるし、板挟みのような感覚はありました」。30年近いキャリアを積んだ現在、韻を踏みつつ、ビートの効いたグッドミュージックが自分らしい音楽と感じている。自身で作詞・作曲した最新曲『Expert』(※先月発表)も、そんなKREVAの王道をゆく一曲だ。ミディアムテンポのメロディアスな曲調で、〈自分を落とす事 たった一言も言うな〉等と歌う。「何でそうなったのかは覚えていないんですけど、自分より若い世代の人達に『もっと行けるなら行っちゃいなよ』と言うような歌にしたいと思って書き始めました。でも、気が付いたら自分で自分を鼓舞するような感じの曲になっていましたね」。そう笑って制作経緯を振り返る。今作を含め、少し珍しい曲作りの習慣がKREVAにはある。「昼ご飯を食べたらスタジオに行く生活をしています」。そこで夜までひたすら1人でトラックを作り続ける。制作が上手く進まない時も、レコードをかけたり、掃除をしたり、兎に角スタジオで過ごすようにしている。

「俺は依頼を受けて『明るい曲ね。はいはい』とか言って、直ぐに曲を書き出しちゃうようなタイプの人間ではないので。それぐらいやってないと才能のある人達に抜かれちゃう。そうならないよう、日々やっています」。真面目で努力家。ラッパーでラジオDJの宇多丸に言わせると、KREVAは“努力の天才”だ。ラップを始めたのは1995年、慶應義塾大学環境情報学部の在学中。数年後にはヒップホップの殿堂と呼ばれる国内の音楽イベント『B-BOY PARK』のMCバトルで3連覇という快挙を成し遂げ、結成したヒップホップユニット『KICK THE CAN CREW』のヒットで『紅白歌合戦』(※NHK総合テレビ)に出場した。ソロ活動を始めた2004年以前から、作詞、作曲、トラック制作、パフォーマンス、プロデュースの殆どを担当。「アメリカのラッパーに近付くより、日本のチャートで自分の曲を響かせたい。そういった意識が強かったので、皆さんの目につき易かったかもしれないです」。これまでヒップホップとポップスの領域を自由に行き来してきたが、ある日、著名なJ-POPバンドの誘いで出演した音楽フェスでは、最前列にいたカップルの観客が自身のラップパフォーマンス中に地面に座り込み、曲を聴かないという屈辱的な経験もした。「そんなのは本当に沢山ありました。俺は覚えていないんですが、その時、『お前ら、聴いておかないと絶対後悔するからな』と言ったらしいです」。冗談交じりにそう述懐する。それでも貫いた自身の音楽性の原点について、KREVAは言う。「ニューヨークのラッパー達がソウルミュージックをサンプリングして曲を作っているんだったら、自分にとってのソウルミュージックはJ-POP。自分が好きなJ-POPのコード進行や、メロディアスな曲調、センチメンタルな情感はヒップホップに入れられたらいいな、と思ってきました。ヒップホップもポップスも両方、自分の武器になっています」。来年はソロデビューから20周年を迎える。「ヒップホップで育ってきたっていうのは変えられない事実なんで、それを持ったまま如何に勝負できるかだと思っています。目標は定めず、その時にやりたいと思ったことを全力でやっていきたい。一生懸命やっていれば目標を超えるような良いことが起きるので、それが来た時に自信を持って動けるよう、常に自分を磨いていきたいです」。 (取材・文/東京本社学芸部 伊藤遥)


キャプチャ  2023年10月23日付夕刊掲載

テーマ : J−POP
ジャンル : 音楽

【WEEKEND PLUS】(442) 将棋界が藤井聡太“一強”に懸念…8冠独占でライバル待望論

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将棋界が、藤井聡太8冠のライバルになる新たなスターを切望している。昨年、8冠を達成したことで、藤井氏は今後、主たる棋戦で防衛戦ばかりとなる。挑戦権を得る為の一発勝負では負けることがあった同氏だが、連敗をしない為、5局や7局で勝敗が決する棋戦では負ける可能性が低く、既に「ブームは頭打ちの雰囲気」(全国紙記者)なのだ。将棋連盟やメディアとしては、一日も早くライバル棋士が登場し、棋戦を沸かせてほしいところ。注目株は、藤井氏と同学年の伊藤匠七段。2020年にプロ入りしたが、昨年、早くも竜王戦で藤井氏と激突した。「藤井氏が凄過ぎて霞んでしまうが、伊藤七段も尋常ではない強さ」(同)といい、同学年ライバルへの成長が待たれる。また、プロ手前の三段リーグで注目されているのは、中学3年生の山下数毅氏。昨年は惜しくも四段昇格(※プロ入り)を逃したが、実力は折り紙つき。京都大学の研究所の講師で世界的数学者の父を持つことでも知られる。圧倒的な“藤井一強”の時代が続けば、「将棋界が停滞するという危機意識がメディア等にもある」(同)。


キャプチャ  2024年1月号掲載

テーマ : 芸能ニュース
ジャンル : ニュース

【WEEKEND PLUS】(441) 大病を経て、ここは“窓の外”…俳優の佐野史郎さん、写真撮影が表現の原点



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腕に点滴のチューブが繋がっていた。手の動きは不自由だし、薬の副作用もあって怠かった。それでも、病院の個室に持ち込んだ小さなギターを弾いた。それが生きるエネルギーになったことは間違いない。「15歳の時にギターを始めてから弾かない日はないほど。弦を振動させ、音を出すことが、生きることにポジティブな後押しをしてくれたのかもしれません」。俳優の佐野史郎さん(68、左画像、撮影/幾島健太郎)は2021年春、血液の癌の一種である多発性骨髄腫を患っていることが判明した。入院当初は腎機能等の数値は改善の兆しを見せていたが、細菌に感染して敗血症となった。入院は自分の時間を確保できたという前向きな気持ちもあった。「よし、ギターの練習をしようと。でも、正直なところ逃げていたのでしょうね、恐怖から」。病室にいた時につくった曲のタイトルは『まどのそと』。ミュージシャンとしても活躍する佐野さんの新曲。Aメロ、Bメロといった曲の構成は、1日あまりで出来上がった。その歌詞の一部は――。〈♪へやのなか うわのそら こえかけても こころここにあらず ふわりふわふわ〉。「ふわりふわふわ。病室にいた自分の状態を表現したのかもしれませんね。自分がどこに向かっているのだろうという実態が掴み難いというか」。38~39度の高熱が2週間以上続いた。抗生剤が効かずに震えと痛みが全身を襲う。免疫力の低下で病室の外に出ることはできず、窓すら開けられなかった。死を覚悟した瞬間もあった。その暗い影を払いのけたのは日常の風景だった。「家に帰りたいと切実に願いました。家族と一緒に食事をしたい、と。その思いがあったから乗り越えられたのかも」。

窓を開けて病室の外に出たい――。「言霊ではありませんが、希望を込めて」と、歌詞は〈ふいにさしこむ まぶしいひかり きらりきらきら〉というフレーズで終わる。つらい闘病生活の末、2021年12月に退院し、仕事に復帰した。抗癌剤治療の副作用等もあり、今年6月に急性腎障害で緊急入院したが、7月に退院し、従来通り仕事に復帰している。12月23日から『新宿K's cinema』(※東京都新宿区)を皮切りに全国で上映される『火だるま槐多よ』にも出演した。22歳で他界した天才画家であり詩人の村山槐多の作品『尿する裸僧』に魅せられ、取りつかれた若い男女が主人公。佐野さんは、主人公の男性の秘密を握る廃車工場の男を演じている。出演場面は少ないが、物語の筋を運ぶ重要な役柄だ。女性と揉み合うシーンもあるが、体力的に問題なかった。「以前と比べて体力や免疫力は落ちていると思いますが、仕事には差し支えはありません」と語る。ストーリーのカギとも言えるのが、死者の顔を模ったデスマスク。大病を乗り越えたことで、心境に変化はあったのだろうか。「考え方が変わったことはありません。自分は何が好きで、どうしたいのかと考えてきたことが確信に変わったということはあります」と答え、こう続けた。「デスマスクが登場する等、死を題材にしている作品だからといって腰が引けることはありません。何故なら死は身近にありますし、私は一回リアルなものとして感じていますから。死と向き合うのは勿論怖いのですが、自然のことでもある。覚悟という立派なものではありませんが、自然のこととして受け止めているのでしょうね」。同作では、佐野さんは作業着姿で登場する。作品では衣装合わせが要だ。「演じる人物が何を着ているのか、何故その服を纏っているのか、どんな佇まいでいるのか。それを手掛かりにして役柄の人生の背景を探っていきます。衣装合わせで演技の半分以上が決まるといっても過言ではないかもしれません」。若松孝二監督(※故人)には「佐野ちゃんが好きなのを着て」と任されていたが、それで役柄を理解しているかどうかがわかるのだろう。存在感を発揮している。1975年に劇団『シェイクスピア・シアター』の旗揚げに参加。1980年に唐十郎さん率いる劇団『状況劇場』に入団。退団後に『夢みるように眠りたい』(※1986年)で映画主演デビューを果たした。連続ドラマ『ずっとあなたが好きだった』(※1992年、TBSテレビ系)で怪演したマザコンの冬彦さんは、今も多くの人の記憶に残る。監督デビューは『カラオケ』(※1999年)。自作の長編小説『ふたりだけの秘密』(※筑摩書房)が原案で、久しぶりに再会したクラスメイトの心の触れ合いや友情を描いた。多才な人である。2019年には絵本も発表した。「まどが かたかた なっている」と始まる怪談絵本で、タイトルは『まどのそと』(※岩崎書店)。窓の外に誰かいるのだろうか? まま、ぱぱ、いもうとは文で登場するが、実在するのかはわからない。ハダタカヒトさんの絵とも相俟って、怖さがじんわりと伝わってくる。新曲と絵本が同じタイトルになったのは「それほど大事な題材なのでしょう」と振り返る。「映画や歌、絵本等は、作り手の思い通りに受け止められるとは限りません。それに『自分はこういう思いを込めて、こう描きました』というものに限ってそうじゃないものが映し出されてしまう気がします」。演技や創作に対する持論だ。窓の外。佐野さんは何を見ているのだろう。

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テーマ : 俳優・男優
ジャンル : 映画

【WEEKEND PLUS】(439) 「ネタさえ磨き続ければ他の仕事に繋がる」…お笑いコンビ『さらば青春の光』が“どん底”から脱した秘訣とは?

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「ブレイクしたと思っていないし、目指すつもりもないです」――。お笑いコンビ『さらば青春の光』の森田哲矢(※右画像の左、『テレビ大阪』提供)は、こう淡々と語る。今、テレビやラジオ、インターネット配信のレギュラー番組は、個人の活動も含めて17本。売れっ子に見えるが、2人の目標は“朝から晩までテレビに出ているアイコン的な存在”ではなく、“ゆるーい右肩上がり”のコンビだ。生き残る為に“圧倒的に強いネタ作り”を活動の軸に置く。『さらば青春の光』は、コント日本一を決める『キングオブコント』(※TBSテレビ系)への出場を目指し、森田と東ブクロ(※同右)が2008年に結成。2018年に始めた公式YouTubeチャンネルは、下ネタやゴシップ等の攻めた切り口が好評で、再生数が100万回を超える動画も多数ある。今年、全国6都市で開催した単独ツアーは、計2万人を動員した。「忙しいのは嬉しいけど、休みがなさ過ぎて、たまーにですけど、『明日からめっちゃ売れなくなってもええな』って思う時もあります」と森田は笑う。順風満帆の道程ではなかった。2013年に大手芸能事務所『松竹芸能』を飛び出し、個人事務所『ザ・森東』を立ち上げた。テレビでの露出が激減し、“賞レースでの一発逆転”を目指す時期が続いた。努力の結果、キングオブコントは6回決勝進出、苦手意識のある漫才でも『M-1グランプリ』(※ABCテレビ・テレビ朝日系)のファイナリストを一度経験。それでも状況は然程変わらなかった。

転機は、皮肉にも2018年を最後に賞レースからの卒業を決めたことだった。「5分のネタを必死に磨いても、籤引きでトップだとほぼ優勝はない。費用対効果が合っていないと気付いたんです」と森田。コンテストに向き合ってきた時間をYouTubeやライブに費やすと、周囲に評価され、仕事が増えていった。どん底を知るからこそ、売れている現状も冷静に受け止める。東ブクロが「今が全盛期という気持ちを常に持っとかなあきません」と気を引き締めれば、森田も「10年後も仕事があると思わないようにしています」と語る。2人のポリシーは、「ネタさえ磨き続ければ、相乗効果で他の仕事にも繋がる」。世の常識を疑い、不条理を笑いに変えるのが『さらば青春の光』の世界観だ。必死に努力を重ね、金メダルを手にするも「割に合わない」と吐露するスポーツ選手や、パワースポットの警備員だけど全然幸せになれない男――。ネタを書く森田の創作の源の一つがドキュメンタリー番組だ。「優れた人ほど、裏には狂気をはらんでいる。そこに光を当てたら面白くなるんです」。テレビ大阪制作の『さらばのこの本ダレが書いとんねん!』(※火曜深夜0時半)は、コンビの魅力が凝縮されている。番組では、全国のエロ本自販機を取材した写真集や、孤独死等の事故現場を専門とする特殊清掃員の実情を綴った書籍等、一風変わった本の作者をゲストに迎え、裏話を聞く。マニアック過ぎたり、重くなったりする内容でも、ポップに笑いを交え、著者や本の魅力を引き出す。昨年4月のスタートから話題を呼び、今秋、放送時間が15分から30分に拡大した。森田は「僕らにできないことをやっている方々の話が面白くないわけがない。色んな変な作者見て、本って簡単に出せんのかなって思いましたけどね」と冗談を交えつつ、楽しそうに番組の魅力を語る。コンビ結成から15年。東ブクロは、森田を「ほんまにコンプレックスが凄くあって、それをはね返す為にお笑いやっているんやろなって思いますよ」とイジる。一方の森田は、ミステリアスで掴み所のない相方に対して、「一緒にいると常にうっすら不安。絶対に安心させてくれません」。そして、こう続けた。「でも、俺という人間には、これくらいがええんかな。常に脳を刺激させてくれているんで」。ガハハと笑った。同番組はYouTubeチャンネル『さらば青春のテレビ大阪チャンネル』の他、『TVer』で見逃し配信もある。 (取材・文/大阪本社学芸部 谷口豪)


キャプチャ  2023年10月19日付夕刊掲載

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【河合香織・THE INTERVIEW】(03) 「音楽家として、母として。知的で優しい日本の皆様へ」――椎名林檎さん(音楽家)



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椎名林檎はアーティスト活動の一切を辞めていた時期がある。それは21年前の2001年、長男を産み、子育てに没頭している最中だった。「21歳で子供を産み育てている時に、『もう自分の人生ではなくなった』と思いました。自分が親にしてもらったこと全部、いや、もっと沢山のことを子供に残したいと。でも、中々その通りにできず、焦っていた。当時は仕事なんて金輪際できないと思いました」。1998年に『幸福論』でデビューし、翌年にはファーストアルバム『無罪モラトリアム』がミリオンヒット、2000年の『勝訴ストリップ』は250万枚を超えた。スターダムに登りつめた途端、何故その地位を捨てようと思ったのか。2001年9月11日、椎名は授乳の合間に、テレビのバラエティー番組を見ていたという。その瞬間、パッと画面が切り替わって、ニューヨークの世界貿易センタービルが倒壊する映像を目にした。恐ろしかった。同時に、彼女は「自分が恐怖感を覚えているように、こうやって不安に震えながら頼りない我が子を抱えた女性達が全世界にいるんだ」と思った。「その人達に同調し、その思いを表す曲を書いて、密かにどこかへ置いておくのが自分の使命だと思ったんです」。女性達に同調する根底には、自身の母親への思いがあった。椎名は、「私は先天性食道閉鎖症等を伴う奇形で生まれた」と語る。病気が直ぐに見付かったわけではない。母乳もミルクも何も消化できずに、もう助からないと思われた。偶然、その病院を訪れていた森川康秀医師が原因を突き止め、2日に及ぶ大手術を行ない、椎名の命を繋ぎ止めた。「母は、病気だった私を育てるのに容赦なく厳しかった。何があっても病気を言い訳にせず強く生きていけるよう、躾けなければならなかったのでしょう」。

椎名自身も、子供を産み、自分も同じ母という立場になった時、「母を理解できた」と語る。「その瞬間に、世界中の女性、老いも若きも、自分の母と重なった。自分の人生でなく、次の新しい世代に対して、無償で尽くしてしまうのが女性の性だと思い知った。けれど、その女性達へのケアは誰がするのか。そのことに思い至った時、彼女達への愛が溢れ返ってきた」。その思いは、子を産んでいようと、産んでいまいと変わらない。「女性がそういう生きものなんだと思った時に、哀れみだったり、慈しみだったり、愛おしみだったりがやり場のないほど湧いてきた。私が、生涯を通して関わってゆくべき、表現してゆくべき対象だと思ったんです。大勢過ぎるし、記号的でもあるし、一人ひとり考えも違う。けれども、全ての女性性が、自分に無償の愛情を注いでくれた母と重なって見えたし、我が子とも重なって見えました」。自分の人生は自分だけのものではない。かといって、自分の子供のものだけでもない。その複雑な喜びは、女性にしか味わえないのではないか。母であるかどうかによらず、女性だけが感覚的に知っている眩しさがあるんだと感じた。彼女は全ての生きものを包み込む愛情の不思議な感覚に圧倒され、最後には、音楽を発信していく道を選んだ。だが、「女性のことを考えている」と椎名が発信すると、「味方をしてくれて嬉しい」という反応が女性達から届く一方で、男性から非難されることもあった。「男女は体の作りが違うから、互いがわかり合えないこともあるでしょう。でも、 それは誰のせいでもなくて、単なる違いであり、しょうがない。だから、同志の女性達には、差異を否定するのではなく、一部には憎い相手が存在するのもよく知った上で、“女性がそういう存在に煩わされず賢く逞しく生き抜いていくにはどうすればよいか”を一緒に考えてほしいと思いながら、ものを書いています」。椎名は21歳の長男、9歳の長女、6歳の次男の3人の子供を育てている。ある時、子供に「結婚ってどういうこと?」「夫婦って何?」と聞かれた。「唯一本音を剥き出しにして、怒っていい相手だよ」と彼女は言った。「他人同士、何がどう違うかを徹底的に正直に教えてくれる同志という意味です。協力し合い、時にはぶつかり合って暮らしていくことが、成長の近道だと思っている。そんな高め合いこそ“男女が共生する唯一の目的”だと感じています」。だが、全ての人がパートナーを見つけられるわけではないこともわかっている。女性が一人で、ぶつかり合う相手もなく生きていくには、この世の中はあまりにも「寒過ぎる」という。先ずは食べていくことが大変で、明日の生活の為に必死に生きていかなければならない。「つらくとも抜け出すことが困難な状況に、多くの人が陥っていらっしゃるでしょう。女性一人でも子育てしなきゃいけない方もいる。彼女達がある程度安心して生きていけるようなサポートを、もっと推進すべきではないかと思います」。椎名が考えるのは、自分と同じ就職氷河期世代の雇用である。正規雇用が少なく、その救済が社会問題化している。「我々の氷河期世代では未だに正規雇用されず、生活に苦しんでおられる方もいる。辛酸を舐めていらっしゃるし、苦労なさっている分、心身共に鍛えられている方々なのではないでしょうか」。

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George Clooney

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