【回顧2016・経済編】(下) “苦闘”…黒田日銀、仕切り直し

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『日本銀行』にとって、2016年は試行錯誤と仕切り直しの1年だった。年明け早々、中国等の新興国経済の減速と原油安で、世界経済の先行き不安が広がり、円高・株安が進んだ。景気の下ぶれリスクを払拭しようと、日銀が1月に新たな一手として打ち出したのが“マイナス金利”政策だ。銀行が日銀に預けるお金の一部から事実上の“手数料”を取り、銀行が世の中にお金を供給することを促した。住宅ローンや企業向け融資の金利は大きく下がった。ところが、「収益が圧迫される」と主張する銀行界が猛反発。「預金から手数料を取られる」と心配した人たちが、金庫を買い求める“珍現象”も起きた。金利が下がれば円建て資産の運用益が減る為、円安が進む効果が期待されたが、円高の流れは変わらず、6月にイギリスが『ヨーロッパ連合(EU)』からの離脱を決めると、円相場は1ドル=99円台まで上昇した。

市場の想定外のタイミングと規模で金融緩和策を打ち出す黒田東彦総裁の手法も、市場の疑心暗鬼を生み、却って混乱を招くことが増えた。市場では、金融政策の限界論も囁かれ始めた。こうした中、日銀は黒田体制の下で最大の政策転換に踏み切る。9月、これまでの金融緩和政策の“総括的な検証”を行い、長期金利を金融政策の誘導目標に加えた。中央銀行としては異例の政策だ。同時に、物価上昇率が2%を超えるまで金融緩和を続けることも決めた。一方、市場環境は急速に変化した。先月、ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領選で勝利すると、アメリカ景気の拡大への期待から安全資産の国債が売られ、アメリカで金利が上昇した。国債価格が下がると、金利は上がる関係にある。日銀が長期金利を“0%程度”に抑える中、ドル資産の運用が有利になり、円相場は円安・ドル高に向かった。円安は輸入物価を押し上げ、物価上昇率2%の目標達成には有利になる。「これまで、グローバル経済の逆風の中で奮闘してきたが、これからは追い風を受け、(目標達成に)前進していくことが可能な状況だ」。黒田総裁は、今月26日の講演で自信を示した。だが、過度な円安は物価の上昇で家計を圧迫し、景気を冷やす恐れもある。長期金利の上昇を抑え続けられるのかも未知数だ。気が抜けない日銀の政策運営は、来年も続く。


⦿読売新聞 2016年12月30日付掲載⦿
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【回顧2016・政治編】(下) “戦後外交”解決道半ば

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首相の安倍晋三は今月27日、アメリカ大統領のバラク・オバマとハワイの真珠湾を訪問し、旧日本軍による真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊した。安倍は慰霊後の演説で、「私たちを結び付けたものは、寛容の力が齎した和解の力だ」と語り、日米両国の強い絆を国際社会にアピールした。安倍は嘗て、真珠湾訪問に前向きではなかった。昨年、オバマの広島訪問の情報が取り沙汰されると、「オバマ氏は、アメリカ国内の反発で広島には来られないだろう。ならば真珠湾に行く必要はない」と周辺に漏らしていた。オバマが広島を訪問したことが、安倍に真珠湾訪問を決断させたのは間違いない。『広島平和記念資料館』に残したオバマ自作の折り鶴や、被爆者との抱擁――。5月27日のオバマの広島訪問は、日本国民に強い印象を残した。ただ、広島訪問を巡る水面下の日米間の交渉は難航した。日本政府はオバマの決断を促す為、「謝罪は求めない」とアメリカ側に繰り返し伝えた。アメリカでは、退役軍人を中心に、「原爆投下が戦争を終結させた」として正当化する見方が根強く、オバマ政権内にも慎重論があった為だ。訪問が決まった後もアメリカ側は、原爆の残虐さを物語る平和記念資料館の訪問には、「大統領が悪者扱いされる」と難色を示した。

日本が「“被爆の実相”を知るには資料館訪問が不可欠」と粘り、最終的には10分程度の短い見学で折り合ったが、アメリカ側は展示品にまで細かな注文を付けた。オバマは今月27日、安倍との最後の首脳会議で、「広島訪問は、最も力強い思い出の1つ」と振り返った。安倍の真珠湾訪問を巡っては、日本国内の保守層に「無差別大量殺人の原爆投下と、軍事施設対象の真珠湾攻撃を同列にすべきではない」との意見が強かったが、広島でオバマが“謝罪”しなかったことで、安倍も真珠湾攻撃を謝罪せずに済んだ。オバマは広島で核廃絶を訴え、安倍は真珠湾で「戦争を繰り返さない」と表明した。2人の言葉に、広島の被爆者やアメリカ軍人の中には「不十分だ」等と不満を漏らす人もいたが、国家の指導者が自国の“負の歴史”と向き合う点からすれば、ぎりぎりの手法とも言える。安倍は今年、“戦後外交の総決算”として、北方領土問題の解決にも取り組んだが、領土返還は実現しなかった。ロシアのソチやウラジオストク、『アジア太平洋経済協力会議(APEC)』首脳会議の開かれたペルー、そして今月に日本と、今年だけで安倍は、ロシア大統領のウラジーミル・プーチンと4回、首脳会談を行った。「異常な状態に終止符を打つ」と意気込んだ安倍だったが、今月の会談でプーチンは、日本が領土を取り戻そうとする“本気度”に疑問を呈し、譲歩しなかった。政府筋は、「2015年は日韓で慰安婦問題を解決し、2016年は日露で領土に道筋を付け、2017年は愈々日中を改善する」と外交のテーマを設定してきたが、日露は2017年以降に持ち越された。アメリカでは、次期大統領のドナルド・トランプが来月20日に就任する。安倍はもう一度、トランプと強固な同盟関係を確認し、様々な外交課題に取り組むことになる。 (今井隆) 《敬称略》


⦿読売新聞 2016年12月30日付掲載⦿

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貯金1000万円から生活保護へ転落、下流の人たちを狙う貧困ビジネスの闇――1億総下流社会ニッポン、格差の現場を歩く

現在、日本人の16%が貧困状態にあるとされ、安倍政権下で益々格差が広がっている。普通に暮らしていた人が貧困化していく“下流老人”・“下流中年”は、決して対岸の火事ではない。“1億総下流”に向かって広がる格差と、貧困に喘ぐ現場をルポする。 (取材・文・写真/本誌編集部)

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病気で高額な医療費がかかることで、“下流”に転落するパターンは多い。下流化することで更に健康が悪化し、悪循環に陥る。東京都内在住の派遣社員・Aさん(女性・66)は昨年初夏、胸のシコリが赤く腫れ、爛れてきた為、病院を受診したところ、ステージ3Bの乳癌と診断された。胸のシコリには以前から気付いていたが、それまで受診していなかった。人間ドックも30年近く受けていない。診断された時には、手術をするには癌が大きくなり過ぎていた。そこで先ず、抗癌剤で癌を小さくする治療を開始。副作用の為、髪は全て抜け落ち、免疫力が低下して風邪を引き易くなった。派遣の仕事が入っても、行けないことが続いた。Aさんは大学卒業後、出版社に勤務していたが、数年で退職。その後、服飾関係のメーカーの派遣社員を続けてきた。収入が減り、30歳代から国民年金は払っていない。自炊はしないで、朝夕は外食。偏食家で、野菜は嫌いだ。自分でサプリメントを調合し、体調を崩したらマッテージに通う等として、なるべく医療機関にかからないようにしてきた。派遣の仕事だけでは生活が立ち行かず、数年前に親から相続した遺産500万円を切り崩して生活してきた。貯金残高は、既に百数万円まで減った。昨年2月に乳癌の切除手術を受けた。漸く働けるかと思ったら、今度は「放射線治療を行う」と主治医から告げられた。「貯金も少なくなっているので、仕事をしないと毎月6万5000円の家賃を払えず、食べていけなくなります。派遣仲間に癌と打ち明けると、仕事の声がかからなくなりました。それ以降は、周りの人に病気のことを言わないようにしています」(Aさん)。放射線治療を受けながら仕事を再開したが、体力が落ちている為、1日仕事をすると2~3日休む。2ヵ月間の放射線治療期間中に仕事ができたのは、たったの5日間だった。「このまま仕事が入らず、貯金が底をついたら、生活保護を受けるしかありません。立ち仕事は体力的に辛いけれど、家で閉じこもっていると孤立するので、仕事をしたいです。でも、体力が落ち、働き続ける自信は正直無い」(Aさん)。

昨夏の20時。東京都台東区の泪橋の交差点を渡り、路地に入った。簡易宿泊施設が並ぶこの一帯は、“ドヤ街”と呼ばれる。暗い道を行くと焼き鳥屋があり、何人かの男性が集まっていた。路上に椅子を並べ、話しながらお酒を飲んでいる。と、そこにジーンズを穿いた中年女性がやって来た。「こんばんは」。女性が挨拶すると、「早いな今日」「お袋さん大丈夫か?」と周囲から声が飛んだ。「下のお世話が大変よ」。女性は、55歳のさっちゃん(通称)。70代後半の母親の介護の為、荒川区から浅草のほうまで自転車で通う。3年前の6月から生活保護を受け始めたという。「自分の鬱病と親の介護で、仕事ができなくなってね」。さっちゃんは、20代から30代にかけて病院の受付をしていた。貯金も以前は千万円単位あったが、それを全て無くしたという。「男性に貢いでしまって」。借金ができて、それを返す為に水商売等で必死に働いたが、ストレスから鬱になった。自分を責めて落ち込む中、父が癌で他界し、母も脊髄の病に…。「母の提案で、福祉事務所に生活保護の相談に行ったの。今は13万円の生活保護費(住宅扶助と生活扶助)を貰って、5万5000円のアパートに住んでいる。食費がかかるのよ」。へルパーは「生保を貰っているし、頼み辛くて」、母の摘便(肛門から便を指で掻き出すこと)も自分でする。「この先が不安。でも、ヤマ(山谷)に来ると仲間がいて、ほっとするんだ。だから明日も来るわ」。『経済協力開発機構(OECD)』の調べ(2012年)によれば、日本の全世帯の内、約16.1%が相対的貧困(所得の中央値の半分に満たない状態)にある。特に、高齢者の相対的貧困率は一般世帯よりも高い。内閣府の『男女共同参画白書』(2010年版)をみても、65歳以上の相対的貧困率は22%と高め。男女別にみると、高齢単身男性のみの世帯では38.3%、高齢単身女性のみの世帯では52.3%にも及ぶ。高齢者の単身女性の半分以上が、貧困下で暮らしていることになる。同じく、内閣府調査の『世帯の高齢期への経済的備え』(左上画像)でも、60~64歳で貯蓄が「十分だと思う」と答えた人は3.6%。「かなり足りないと思う」と答えた人はその10倍、35.5%だった。「老後の貧困は他人事ではないのです」。そう警鐘を鳴らすのは、生活困窮者支援のNPO法人『ほっとプラス』の代表理事で、社会福祉士の藤田孝典さんだ。昨年出版した『下流老人』(朝日新書)で、「このままだと高齢者の9割が貧困化し、貧困に苦しむ若者も増える」と書く。「年収が400万円の人でも、将来、生活保護レベルの生活になる恐れがあります」(藤田さん)。生活保護の受給者は増加中で、今年3月時点で162万6919世帯。この内、65歳以上の高齢者世帯は82万6656世帯で、全体の50.8%と、初めて半数を超えた。昔なら、子供夫婦に扶助してもらうことが当たり前だったが、今は核家族が多い。頼りの子供は派遣切りやニート。高齢で大病して、貯蓄も尽きたら…。

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「山健組と弘道会が襟を正して初めて山口組が1つになるんじゃないでしょうか」――織田絆誠氏(『神戸山口組』若頭代行)インタビュー

2016年5月、『6代目山口組』と『神戸山口組』の“和解交渉”が密かに進められようとしていた。交渉は何故、決裂したのか? “六神抗争”の行方を左右する神戸山口組の“切り込み隊長”織田絆誠若頭代行が、6代目山口組『清水一家』の高木康男総長との交渉の経緯を具に語った! (聞き手・構成/フリージャーナリスト 西岡研介)

20161230 23

「初めてお会いする方に、こんな言い方は不躾かもしれませんが、我々、日陰のヤクザ者です。本来なら、こういうマスコミに対してお話をすることは、私としては正直、不本意なところもあります。しかしながら、この度は組織人として、上司から命を受けて、神戸山口組の名誉の為にお話しさせて頂くということだけ、ご承知おき下さい」――。初対面の挨拶を交わすと、神戸山口組の織田絆誠若頭代行は先ず、こう断りを入れてから席に着いた。織田代行は1966年、大阪府生まれの49歳。初代『倉本組』を経て、2002年に『4代目健竜会』(井上邦雄会長、現『神戸山口組』組長)入り。井上組長が『4代目山健組』を継承した後は、同組で若頭補佐等を務めた。そして、2015年8月27日の『山口組』分裂、『神戸山口組』の結成後の9月5日、同組の直参に昇格すると共に、若頭補佐に就任。同月24日には若頭代行に就くと共に、4代目山健組の副組長に就任した。若頭補佐就任と同時に織田代行は、『弘道会』の本拠地である名古屋を始め、北は北海道から南は九州まで全国を行脚し、神戸山口組の傘下団体を激励すると共に、6代目山口組系組織に対する示威行動を展開。これらの織田代行の行動が、各地で傘下団体同士の緊張関係を生み、衝突を引き起こしたことから、実話誌でなく、大手紙や民放テレビ等のマスコミから“抗争の行方を左右するキーマン”として注目を集めた。この為、筆者は半年以上前から、複数の神戸山口組最高幹部を通じて織田代行にインタビューを申し込んでいた。が、当の織田代行自身がメディアの取材に応じることを嫌っていた為、色よい返事は貰えなかった。更に、『伊勢志摩サミット』(2016年5月26~27日)前に、双方の山口組関係者や捜査関係者の間で取り沙汰された“幻の和解交渉”(※後述)でも、当事者の1人としてその名前が挙がったことから、筆者は再度、様々なルートを通じて織田代行にインタビューを申し込んだが、実現は叶わなかった。だが、7月に入ってから“潮目”が変わった。きっかけは、同月5日に発売された『扶桑社』発行の『週刊SPA!』7月12日号に掲載された、このような見出しの記事だった。『山口組総本部が異例のコメント発表! “ヤクザジャーナリズム”の功罪』(取材・フリーライター 根本直樹/文・SPA!編集部)。記事は、6代目山口組の“2次団体幹部”、或いは“総本部”の話として、ヤクザジャーナリズムの第一人者である溝口敦氏を批判することに主眼が置かれていたが、その前段として、“幻の和解交渉”について次のように記されていた。少々長くなるが、本稿の前提になるので引用しよう。

これまで、和平の道がなかったわけではない。射殺事件が起きる前に両団体の幹部同士が顔を合わせて交渉する席が設けられたという話が漏れ伝わった。6代目山口組側からは高木康男・清水一家総長、神戸山口組からは織田絆誠・若頭代行が出席し、落としどころを話し合ったとされる。この会談について、2次団体幹部が語る。「山健組の若頭補佐の1人が清水一家の重鎮に『高木総長にご相談があります』と連絡を入れたのが発端だった。『織田と会っていただけないか』との申し出に、全権を委任された立場で来るなら話を聞こう、と会ったのは事実。ただし、いざ会ってみると何の権限も持たず、『どうすれば(山口組に)戻れますか』と聞いてくる。6代目山口組としては『ポツダム宣言なら受け入れる。若い者は救えても絶縁者は救えるわけがないだろ』と蹴って終わった」。噂は瞬く間に広まった。ただし、巷に流布されたのは、極端に歪曲されたものだという。「そんな経緯が織田にかかると、『親分(神戸山口組の井上邦雄組長)の若頭での復帰案を司6代目が呑み、総裁職に退くことになった。ところが獄中にいる髙山若頭が拒絶して破談になった』というフィクションにすり替わる。さも事実であるかのように吹聴するので、始末に悪い」。

そして、記事は「神戸山口組サイドのキーマンとして挙げられる織田若頭代行だが、2次団体幹部の心証は極めて悪い」等と、織田代行に対する個人攻撃を展開していくのだ。が、この“2次団体幹部”が語ったとされる和解交渉の内容は、筆者が6代目山口組・神戸山口組双方の関係者から聞いたそれとは、全く違っていた。そこで、筆者は三度、前述の神戸山口組最高幹部を通じ、和解交渉のもう一方の当事者である織田代行に取材を申し入れたところ、「今回の(和解交渉の)件に限ってならば…」という条件付きで、織田代行自身がインタビューに応じてくれることになった。7月20日14時25分、こちらが会場に指定した神戸市内のレストランの個室に、今や彼のトレードマークとなった三つ揃いのスーツ姿で現れた織田代行は、こちらが前述の条件を呑んだことを伝えると、「では、自分の知り得た範囲の事実のみ、お話しします」と“幻の和解交渉”の全貌を語ってくれた。以下、約3時間に及んだインタビューの内容を、必要最低限の解説を加えた上でお伝えする。 ※()内は筆者の注釈

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【回顧2016・経済編】(中) “騒動”…長年のブランドに傷

20161230 18
企業を巡る騒動は、2016年も相次いだ。共通するのは、長年培ってきた“ブランド”の失墜だ。『三菱自動車』は4月20日、軽自動車の燃費データ不正を発表した。前年に『フォルクスワーゲン(VW)』の排ガス不正が発覚していただけに、業界では「まさか日本でも…」との声が上がった。過去のリコール隠し問題も含め、日本最大の企業グループである“三菱”の信頼を損ねた結果となった。『日産自動車』が三菱自動車を傘下に収めることを電撃発表したのは翌5月12日。問題発覚後から約3週間後だ。以前から関係強化を狙っていたとされ、カルロス・ゴーン社長は記者会見で「相乗効果はある」と意義を強調した。三菱自動車の経営危機は当面、回避されたが、燃費という車選びの重要な要素を捻じ曲げた事実は覆せない。傘下入りに伴い、三菱自動車会長だった益子修氏の社長での続投や、役員報酬の上限の引き上げ等が相次いで決まった。ドライバーの理解は得られるのか――。問題の根本的な解決は来年以降になる。

流通業界では、『セブン&アイホールディングス』のトップで、日本のコンビニエンスストアの礎を築いた“カリスマ”鈴木敏文氏が退任に追い込まれた。20年以上、グループのトップに君臨した鈴木氏。だが、業績好調な傘下の『セブン-イレブンジャパン』の社長だった井阪隆一氏の更迭に動いたことで、状況が一変する。社外の取締役が異を唱え、創業家も同調した。1ヵ月ほどの攻防で、鈴木氏はトップから“失脚”した。関係者は、「社外取締役がいなければあり得なかった」と打ち明ける。企業統治の強化が進み、大企業で社外取締役の登用が進む。鈴木氏の退任は、こうしたうねりの象徴とも言える。『出光興産』と『昭和シェル石油』の合併は、出光の創業家の反対で迷走が続く。一連の内紛は、出光ブランドにも影響を及ぼしそうだ。“世界の亀山モデル”の薄型テレビが大ヒットした『シャープ』は、液晶パネルの不振で経営難に陥り、台湾の『鴻海精密工業』の傘下に入った。嘗て、日本の家電ブランドは世界市場を席巻したが、その存在感は薄れている。日本のコンテンツ産業を代表するキャラクターの1つである、『任天堂』生まれの『ポケットモンスター』を題材にしたスマートフォンゲーム『ポケモンGO』は大ヒットした。その一方で、熱中し過ぎて事故を起こすトラブルも問題になった。


⦿読売新聞 2016年12月28日付掲載⦿

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【回顧2016・政治編】(中) 浮かんで消えた解散

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今月19日夜、首相公邸に首相の安倍晋三、副総理兼財務大臣の麻生太郎、官房長官の菅義偉が集まった。「内閣支持率は、これ以上は上がらない。衆院選をやれば、20議席は減らすかもしれないが、先送りすればもっと酷くなるかもしれない。やったほうがいい」。麻生はこう安倍に述べ、来月の通常国会の早い段階での解散を求めた。「いつまでも高支持率が続く筈がないし、経済が上向いている今のうちに勝負したほうがいい」というのが麻生の持論だ。麻生には、首相就任直後の2008年秋、解散を先送りし、翌2009年の“追い込まれ解散”で下野したトラウマもある。一方、菅は早期解散に否定的で、安倍に解散回避を進言しているとされるが、首相経験者の麻生の前では多くを語らなかった。会談は3時間に及んだが、結論は出なかった。安倍は周辺に、「解散してもいいが、結局は議席を減らすんだよな。民進党は今後も上がり目は無い。ならば、このまま政権運営を続ける手もある」と語っている。安倍は今年、解散のチャンスを先送りした。1つは“6月解散案”。5月26・27日の『主要国首脳会議』(伊勢志摩サミット)を成功させ、来年4月からの消費増税の先送りを表明した上で、6月1日解散・7月10日衆参同日選というシナリオだ。

1月4日の通常国会召集も、解散から40日以内と決まっている衆院選と、参議院議員の任期満了(7月25日)から計算し、同日選が可能な日程を設定したものだ。しかし、4月に最大震度7を記録した熊本地震が発生。被災地を無視して解散すれば「政局優先だ」との批判を受けるのは確実で、解散は難しくなった。公明党も同日選に反対していた。結局、安倍は同日選回避を決断。周辺には、「同日選をやったら『調子に乗っている』と思われるかもしれない。解散は止めた」と語った。7月10日の参院選で、自公両党は改選59議席を上回る69議席(追加公認を含まず)を確保して大勝した。安倍が次の解散日程として温めたのが、年末解散・1月22日投開票や、通常国会冒頭解散・2月5日投開票等だ。安倍は今年9月、来年1月に党大会を開く方向で検討していた幹事長の二階俊博に対し、3月に開催するよう指示。来年度税制改正論議では、一旦は前向きな考えを示した配偶者控除廃止と夫婦控除の導入について、「専業主婦世帯の反発が強い」とみて方針転換した。自民党内には、「今月15・16日の日露首脳会談の成果を武器に、首相が解散に踏み切る」との観測が広がった。だが、肝心の衆院選での“勝算”が無かった。党の情勢調査では、“30議席減”との予想も出ていた。自民党292議席が30前後減れば、改憲に前向きな勢力が衆議院の3分の2議席(317)を割り込む可能性もある。党の支持率は高いが、民進・共産両党が組む野党共闘は、選挙基盤の弱い自民党の1・2回生(計123人)の脅威だ。自民党執行部は、候補者の差し替えをちらつかせながら若手の尻を叩いているが、効果は不明だ。通常国会冒頭解散は未だあり得るが、可能性は低くなっている。次は、東京都議選後の来秋等が囁かれている。2018年12月の任期満了が近付けば、“追い込まれ解散”の可能性もある。安倍は来年も、解散時期に頭を脳ませることになりそうだ。 (加藤淳) 《敬称略》


⦿読売新聞 2016年12月28日付掲載⦿

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芸能人は芸能事務所の“奴隷”なのか――芸能界に蔓延る歪んだ搾取システムを徹底暴露する!

能年玲奈や『SMAP』等、所属事務所と揉めたタレントが凋落するケースが後を絶たない。タレントの生き死には全て、所属事務所が握っているのだ。何故、このような人権侵害システムが罷り通っているのか? 利権や癒着に塗れたその内部構造を解説する。 (取材・文/フリーライター 星野陽平)

20161230 19
先頃、筆者は『増補新版 芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』(鹿砦社)を上梓した。同書は、2年前に刊行した『芸能人はなぜ干されるのか?』(同)に補章を加えたもので、芸能界批判の決定版と自負するものである。抑々、筆者が芸能界に関心を持ったのは、2009年に起きた『北野誠事件』がきっかけだった。同年3月、北野がパーソナリティーを務める『誠のサイキック青年団』(朝日放送ラジオ)が突如として終了し、その後、北野は「番組内等で不適切な発言があった」として謹慎を余儀なくされた。筆者は、雑誌の依頼で同事件を取材する過程で、「芸能界は根本的に違法で不当なシステムの上に成り立っているのではないか?」という疑念を持ち、5年をかけて芸能界の歴史と構造を徹底的に取材・分析し、今回、書籍として纏めたのである。結論を言えば、芸能界は全てがおかしい。真面に批判されれば、芸能界はそれに耐えられないのである。その為、芸能界は業界を挙げてマスコミに圧力をかけ、一切の批判を封殺し、これまでは何とか乗り切ってきた。だが、SMAP分裂騒動で見られたように、近年は芸能界の圧力も及ばないインターネット言論が発達するようになり、それも綻びが見え始めている。筆者の感触では、「芸能界はそれほど遠くない将来、大きく変化せざるを得なくなる筈だ」と考えている。では、芸能界のどこがおかしいのか? 最も問題なのは、タレントの人権問題だ。嘗て大手芸能事務所に所属し、タレントとして活動をしていた女性・A子の話をする。

A子は女子大生時代にスカウトされてモデルになり、トークも得意だった為、活動の範囲を広げていこうとしていた。だが、中々仕事は入って来ず、悩んでいた。そんな時、仕事場でタレントの大竹まことから、こう言われた。「お前、この世界に向いてねぇんだよ。だって、『何でですか? 何でですか?』っていつも聞くだろ? 女ってのはさ、わかっていても『私、わかんなーい』って言ってりゃいいんだよ。それができないなら、この世界なんて辞めたほうがいいよ」。この時、大竹が言わんとしていたことは、女優の杉本彩から教えられることとなった。楽屋でA子が杉本に「仕事を増やすにはどうしたらいいんでしょうか?」と相談したところ、杉本は「誰か付き合ってる人、いないの?」と聞いた。A子が「誰かと付き合ってないと仕事は貰えないんですか?」と聞き返すと、杉本は「貴女、知らないの?」と驚いた。A子が言う。「オーディションに行っても、マネージャーからは『受かる人は決まっているんだけど、顔を見せておくことも大事だから』と言われることもありました。結局、仕事を取る為には、業界の実力者との親密な関係が必要なんです。大手芸能事務所って、その辺りは巧妙で、マネージャーはタレントを業界の実力者と引き合わせて、『後はお2人でどうぞ』という感じになるんです。つまり、『仕事は自分で取ってこい』っていうことなんですね。私には結局、才能が無くて芸能の仕事は辞めましたが、当時の友だちは今も諦めていません。数え切れないほど男と寝ても、大部屋女優から抜け出せませんが…」。昨年5月、アイドルグループ『PASSPO☆』のメンバーだった槙田紗子が、自身の『ツイッター』で「最初から芸能なんてしなければよかった。ブサイクばっか相手にしたし。芸能初めてから何人とエッチしたんだよって」と呟いたことで明らかになった所謂“枕営業”は、今も昔も芸能界のキャスティングに隠然たる影響を与えている。ある映画プロデューサーが語る。「大体、所謂“Vシネマ”だと、基本的に出資をしても半分ぐらいしか戻ってこないから、儲かるということは殆どないんだけど、主演女優から枕営業があるから、クレームが付くことは先ず無いね」。また、別の芸能関係者もこう語る。「グラビア系の芸能事務所の場合、『トップタレント以外は、ほぼ全員が枕営業をやっている』と思って間違いない。俺の知り合いのマネージャーは、『自分のところのタレントをパチンコ屋の社長に枕営業させるのに車で送るのはやるせない』とよく言っているな」。更に、近年はメディアの多様化により、テレビ局の地盤沈下が進行。相対的に大手芸能事務所の影響力が強まり、結果として「女性タレントは事務所の社長や幹部と寝なければ番組に出演できない」というケースも増えているという。

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“暴走国家”中国の犠牲者たち――これがGDP世界2位を誇る経済大国の真の姿だ!

驚異的な経済発展を遂げ、圧倒的な経済力で世界を呑み込まんとする中国。しかし、あまりにも急ぎ過ぎた経済成長は、中国社会のあらゆる場所に歪みを残し、栄華を誇る一部の人々は足元の綻びを見ようとしない。その危うさは、距離を置かないと当事者たちにはわからないのかもしれない――。 (取材・文・写真/ノンフィクションライター 八木澤高明)

20161230 09
高層ビルが建ち並び、目抜き通りには『ユニクロ』等の海外ブランドショップが建ち並び、日本の都市と変わらぬ雰囲気を持った上海や北京といった中国の大都市。ただ、その裏には、中国社会が抱える膿みが止め処も無く溢れていた。上海に入ったその日に筆者が目にしたのは、ストリートチルドレンだった。彼らは、筆者が滞在していたホテルの直ぐ傍にある高架橋の下で寝起きしていた。翌朝、彼らの下を訪ねてみると、ひっきりなしに車やバイク、そして歩行者が通り過ぎていく中を、少年たちは鼠色に変色した布団に、まるで蓑虫のように包まっていた。筆者の姿に気付くと、少年の1人が布団から顔と手だけを出して、「座ってくれ」と身振りで示した。筆者が朝食に買ってきたパンと牛乳を手渡すと、「サンキュー」と中国語ではなく英語で言った。片言の英語を話した周健(16)は四川省の出身。「家にいるよりは、外の世界を見たかったんだ。初めはレストランで働いていたんだけど、問題を起こしてしまって逃げ出したんだ。その店に身分証を預けたままだから、新しい仕事を見つけることができないんだ。田舎にも帰りたくないから、上海で空き缶拾いをして生活しているよ。稼げても1日に20元(約300円)ぐらいだね」。もう1人、楊天海(20)と名乗る青年は、四川省と隣接する貴州省の出身。「両親は銃の密売をしている」と言った。「『何か仕事が無いか』と思って、広州に行って、それから上海に来たんだよ。仕事が見つからないから、この生活さ」。農村から上海へ憧れを持ってきたものの、簡単に仕事を見つけられない厳しい現実が、彼らの目の前に立ちはだかっているのだった。果たして彼らは、上海でどう生きていくのだろうか。

20161230 10
都市へと流れて来る人々は勿論、少年だけではない。建設現場には、地方の農村から出稼ぎに来ている農民たち――所謂“民工”と呼ばれる人々が、安い給料で中国経済の下支えをしている。仕事を得られない者は物乞いになるしかない。都市部には、日本円で数千万円のマンションが次から次へと売れていく一方で、民工たちは1ヵ月3万円ほどの給料で朝から晩まで働く。古代エジプトでピラミッドを築いた労働者が永遠に眠ることがない墓を造ったように、民工たちは永遠に自分たちが住むことがない建造物を造り続けている。彼らは、どんな思いで高層ビル群を見つめているのだろう。北京の街には、地方政府の腐敗を陳情する人々が集まる“直訴村”と呼ばれる村があった。公安に賄賂を要求された者、炭坑で働いていた時に落盤事故に遭ったにも関わらず満足な補償を得られなかった者等、政府に不満を抱えた者たちが集まっていた。2008年の北京オリンピックの際に一度、村は潰れたが、その後、北京を訪ねてみると、また人々はどこからともなく集まっていた。いくら村を潰したところで、政府が変わらぬ限り、直訴村はまたどこかに現れるのである。都市から地方へと足を運ぶと、益々中国の闇が露わになる。エイズ患者で溢れる“エイズ村”や、環境汚染によって癌患者が多発する“癌村”等が存在する。筆者が先ず向かったのは、河南省にある“エイズ村”だ。河南省のとある地域へ入ると、畑の中にある小さな土の山が目につくようになる。その土盛りは、エイズで亡くなった農民たちの墓である。河南省では1990年代初頭、省政府が中心となって盛んに売血が行われ、30万人以上のHIV感染者を出した。河南省内には、多くのエイズ感染者を抱えた村が幾つもある。筆者はその1つ、河南省東部にある双廟村に潜入した。政府は“エイズ村”の存在を秘匿する為、厳重な警戒を敷いている。片田舎の村にも関わらず、村の入り口には不釣り合いなほど大きい公安警察署があり、余所者の出入りを警戒していた。村に潜入し、とある家の門を潜ると、1人の中年の女性がいた。筆者は思いきって切り出した。「日本の記者ですが、この村にエイズ患者はいませんか?」。初めは筆者の下手糞な中国語が通じず、困惑の表情を浮かべていたが、意味が通じると「それは私だよ」と言って、他にもエイズ患者の女性を連れて来てくれた。

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【財務省大解剖】(07) 弁護士・社長・コンサルタント…大蔵省不祥事官僚たちの“あの人は今”

“大蔵スキャンダル”で省を追われたエリートたち。彼らの“その後”の物語は、役人社会の情と非情を鮮やかに映し出す。事件から20年後の彼らの生き様とは――。 (取材・文/フリーライター 白石健郎)

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1990年代に起きた一連の“大蔵スキャンダル”では、多くの官僚たちが処分され、結果として省を去る者たちが多くいた。彼らは今でも不名誉なレッテルと戦っているのだが、本稿は敢えて、そうした彼らに対する批判ではなく、擁護する視点で纏めてみたい。というのも当時、大蔵省を追われた、或いは辞職せざるを得なかった者の内の多くは、逃げ隠れするどころか、今も社会的なステータスのある立場にあり、プライドある仕事を続けているのである。当時、メディアは大蔵省を激しく批判し、一般世間の人々には“極悪官僚”のイメージが刷り込まれた。しかし、彼らを直接知る政財界、或いは職場の同僚の多くは、「確かに驕りがあったが、それで人生の全てを否定されるようなことまではやっていない」というのが本音であった。大蔵官僚と雖も、立場上は公務員である。何か反論があったとしても、自ら主張することはできず、仮に反論したとしても、世間が耳を貸してくれることはなかっただろう。つまり、ただ耐えるしかなかったのである。非の打ち所の無い秀才としての人生を送って、名誉ある仕事に打ち込んできた何十年の人生が、ノーパンしゃぶしゃぶ店に行ったことで全否定されてしまうのか――。そうだとすれば残酷な話だが、世の中、それほど非情な人間ばかりでもない。あの大騒動から約20年。彼らの“その後”を追ってみる。

本シリーズにも随所で登場する中島義雄氏(1966年入省)。当時の大蔵省を退官して20年後の2015年12月、中島氏の名が大きなニュースとなった。同氏が社長を務めていた『セーラー万年筆』は、臨時取締役会で「中島氏の社長職を解職する」と決定。それに対して中島氏は、「決議は無効である」として、東京地裁に地位の確認を求める仮処分申請をしたのである。泥沼の紛争になるかと思われた矢先の同月末、同社と中島氏は和解を発表。中島氏は解職を受け入れる代わり、「今後も取締役として同社に残る」という内容だった。「中島さんに分の悪い話でしたからね」とは然るエコノミスト。「和解案を受けざるを得なかったと思います。セーラー万年筆側の理由としては、『講演等の私的な活動に走り、経営に専念しなかった』、或いは『知人が仲介する商品を持ち込まないよう中島さんに要請していたが、聞き入れられなかった』というもの。こういう場合の決め手は、やはり『社長として経営成績を残しているか?』という点ですが、同社は7期連続での赤字で、2009年に中島氏が社長就任して以降、黒字になったことが無い。これでは、今まで経営責任を問われなかったほうが不思議なくらいですからね」。セーラー万年筆は、文具だけではなくロボット機器の生産も手がける上場企業(東証2部)。大蔵省退官後、何故この会社の社長に中島氏が就任することになったのだろうか? 中島氏が大蔵省を退官したのは1995年。主計局次長だった中島氏は、『東京協和信用組合』元理事長だった高橋治則(『EIEインターナショナル』社長)氏から過剰な接待と供応を受ける。「料亭・ゴルフ・自家用ジェットでの旅行等が報じられました。中島氏は東京大学時代、駒場自治会副委員長を務めたり、ブントでの活動で1年間の停学処分を受ける等、凡そ官僚らしくない人。しかし、そういった意味でのスケールの大きさは役所で評価されたし、実際に最後まで次官レースに残っていた」(同)。1995年に退官を余儀なくされた中島氏だが、「迷惑をかけるまい」との気持ちから、暫くアメリカに渡り、嘗ての上司や仲間と意図的に連絡を断っていたという。しかし、退官から1年ほどした後、旧知の新聞記者であった岸宣仁氏(※現在はフリージャーナリスト)と会った際、自分を大蔵省に入れてくれた恩人である高木文雄(1943年入省・元事務次官)氏が「連絡してこい」と言っているのを岸氏から伝え聞いた中島氏は、その場で目を赤くして涙を堪えたという。

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下手な文字でも“字割”さえ良ければ大丈夫?…誰でも確実に筆文字が上達する方法

お坊さんを褒める言葉でよく聞くのが、読経と字の上手だ。特に字は、位牌や塔婆等、人に見せるだけに気遣う。能書家とまではいかずとも、少しでも上手に見せる方法はあるのか?

20161230 04
「字が下手で恥ずかしい。何とか上手く見せる方法があれば教えてほしい」――。読者の住職から、こんな声が寄せられた。「お坊さんが字の悩み?」。世間一般からすると意外にも受け取られようが、共感する声は意外と多い。「塔婆を書く時、自分の字の汚さにいつも嫌になる」とは50代の曹洞宗住職だ。毎月、お寺の掲示板に手書きの伝道文(左画像)を掲げるという東京都内の浄土真宗住職は、こう話す。「字には全然自信がない。でも、往来の人々の足を止めるには、印刷物のような通り一遍の法語では届かない。自分がインパクトを受けた言葉が大事だと思う。掲示板に貼るような大きな紙に書こうと思ったら、筆文字で手書きしかない」。確かにそうなのだ。塔婆・位牌・伝道掲示板・年忌票等、兎角、お寺の住職は21世紀の今も墨筆で字を書く機会が多い。しかも、人に見せるのが前提だけに、上手・下手が際立つ。弘法大師とまでいかずとも、檀信徒が落胆しない程度に字が上達する方法や、上手に見せる方法はないだろうか? そこで今回、無理を承知で、字の上手な3人の僧侶に「初心者でも上手くなるコツや、上手に見せる方法を教えてほしい」と頼んだ。ご協力頂いたのは、『日展』を始め数多の賞を受賞し、7000人の門人を抱える東京都新宿区の日蓮宗戒行寺の星弘道住職(72)、奈良の古刹の僧侶が中心となって書の研鑚を行う『南都華香会』事務局を務める律宗総本山唐招提寺の石田太一執事(49)、そして曹洞宗宗務庁で日々、宗派公式文書の揮毫を手掛ける人事部文書課書記の工藤淳英師(40)だ。

20161230 06
特に工藤師は、同部門に配属されるまで「字が得意ではなかった」という。だが目下、住職任命書等の各種書状から絡子・角塔婆まで、あらゆるものを手掛ける。扨て、字の書体は篆書・隷書・楷書・行書・草書がある。位牌や塔婆等、普段からお寺で使う字は楷書だ。そこで、今回は楷書に絞って取材した。先ず、「上達の第一歩は何か?」といえば、「学ぶは真似るに尽きる」という。「先ずはお手本を見ることから」と、3人とも口を揃える。お手本を見て書き写す“臨書”を行うのが、上達の王道だ。僧侶に合ったお手本はあるのだろうか。星住職は、こうアドバイスする。「素人にも上手に見え、お位牌の字にも合うのは写経の楷書でしょう。お手本としては隅寺心経や、東大寺の焼経なんかが非常に文字的にもいい字です」。『偶寺心経』は、奈良の真言律宗海龍王寺で奈良時代に書写された般若心経だ。東大寺の焼経は、『二月堂焼経』として名高い紺紙に銀字で書かれた『華厳経』である。江戸時代に『修二会』の失火が原因で二月堂が焼けた際に焼損したことから、“焼経”と呼ばれる。天平時代の書写と伝えられ、国の重文だ。一方、石田執事はこう話す。「やはり、楷書が始まった時代の字がいいでしょうね。塔婆等の字には、顔真卿辺りの楷書を見るといいのではないでしょうか。最も整っていますからね」。顔真卿(709-785)は唐代の書家。能書家として知られ、弘法大師も影響を受けたと言われる。工藤師が手本にしているものにも、唐代の能書家の作品がある。欧陽詢(557-641)の『九成宮醴泉銘』、それに虞世南(558-638)の『孔子廟堂碑』だ。何れも楷書のお手本に用いられ、星住職の著した『星弘道臨書集 古典臨書入門』(芸術新聞社)の第1集にも収載されている。同書によると、前者の九成宮醴泉銘は唐代王室の離宮『九成宮』の記念碑で、欧陽詢の76歳の作。「最高傑作で、一点一画が緻密に計算され、絶妙なバランスで書かれ」ており、「古来より“楷法の極則”として重んじられています」とある。孔子廟堂碑は虞世南の70代の作で、「唐碑の中でも品格第一」と言われる。

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