『創価学会』が訴えたり訴えられたりする裁判で露呈する教団への疑念――本尊の真偽で寄付金返還訴訟、『聖教新聞』座談会記事の敗訴

20170331 15
18万余の宗教法人を数える中、原告・被告の席を交互にして出来する裁判件数の多さは、『創価学会』が断トツである。ここ30~40年、裁判が途切れなく続き、幕を閉じることが無い。組織の図体も大きいから、比例して裁判所に正邪の判断を仰ぐようなトラブル発生のケースが多く、昨年1年間を振り返っただけでも、様々な裁判が展開された。香川大学教育学部の高倉良一教授が原告になり、創価学会の池田大作名誉会長、原田稔会長等を訴えていた名誉毀損裁判がある(※最高裁判所判決で原告敗訴、最新準備中)。又は、創価学会本部の職員たちが、“職員解雇無効”等で訴えた損害請求訴訟も注目された。創価学会と法の関係について、同会が飛ぶ鳥を落とす勢いで会員を急増させていた1970年代前半まで、実は組織内では“法”に関し、次のような“教え”が浸透していたのだ。出典は明らかにされず、多分に都合よく作った教えとも思われるが、人や社会を裁く時に仏法律・国法律・世間法律という“三法律”があるという。どんな法律なのか。元古参幹部が次のように説明してくれる。「つまり、創価学会に対して世間の評価がどう下されようと、国が法律でどう判断しようとも、最も怖いのが日蓮大聖人の説く“仏法”の裁きということですね。要するに、『仏法律という大きな枠内に世間法や国法がある』という考えです。もう少し平たく言うと、『世間法や国法よりも仏法の法が上で、仏法を守る為には、極端な話、世間法や国法を犯しても構わない』と教えられたものです」。

実際、同会にはそうした教えがきっちりと“教義本”に残されている。会員が布教時にバイブルの如く活用していた『折伏経典』(戸田城聖監修・教学部編纂、昭和33年再版、宗教法人創価学会発行)がそうで、その中に『三法律というのは何か』のタイトルで、こう堂々と記されていた。「世の中には世間法律・国法律・仏法律の3つの法律がある。この世間法と国法と仏法とを網にたとえれば、世間法律は大きな目の網で、国法律は中ぐらいの目の網、仏法律はごく細かい目で、絶対にこの法律をのがれることができない。…最高の仏法律に従うといえども、世間法・国法が仏法律の一部分であることを忘れてはならないことである。一切法これ仏法である。特に世間法にそむき、国法に背くことがあってはならない。ただ仏法を護らんためには、世間法にも背かねばならないこともあるのである」。つまりは、「創価学会を守る為に、世間法に背くこともあるし、また国の法律よりも、寧ろ“仏法律”を恐れよ」という教えだ。一般社会では通用しないだろう独善的な教えである。尤も、近年になって、創価学会もいつの間にか、この三法律の教えを引っ込め、今日ではほぼ完全に姿を消した。三法律は、同会組織の基礎を築いた2代会長、故・戸田城聖の発想と思われるが、この三法律が組織から消えたもう1つの理由は他でもない。創価学会自身が被告や原告になり、正邪の判断を委ねる裁判件数が頻繁に重なり始めたからだ。最早、裁きの最高機関が仏法律等と言えるゆとりが無くなってきたのである。創価学会が裁判という形で国法律の舞台に登場したのは、早くも1950年代後半からだ。学会の信者が一斉に伝統仏教寺院の墓地に対して、その使用権を要求した訴訟で、その数は100件を超したと言われる。次いで注目されたのは、1972年秋頃からの同会の関連団体である『民主音楽協会』(略称“民音”)の職員だった松本勝弥氏が提訴した板本尊真偽訴訟や、御供養金返還請求訴訟」だろうか。それらの訴訟の内容を簡単に説明すると、創価学会は1965年、信仰の対象にしていた日蓮正宗総本山(宗門・静岡県富士宮市)に大伽藍『正本堂』を寄進する目的で、会員から御供養金を集めた。原告の松本氏は、1957年に創価学会に入会し、青年部の幹部等を務めながら、民音企画部に勤務。学会活動も熱心だった松本氏は、家族で正本堂の御供養金400万円を納めた。50年前の400万円である。決して小さな金額ではない。それから数年、松本氏は宗門の“大御本尊”を研究している間に、本尊の真偽に疑問を抱く。若し誤りであったら、創価学会は“錯誤”しながら会員から御供養金を集めたことになり、それなら会員の寄付行為は無効であるとして、返還訴訟を起こしたのである。この裁判経過は、松本勝弥著『訴訟された創価学会』(現代ブレーン社)に詳しいが、同著を読むと、創価学会は未だ裁判には慣れていなかったようで、こんな一面が活写されている。

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【風俗嬢のリアル】(03) シズカ(30)の場合――香川では高級店のデリヘル嬢

20170331 11
京都の激安人妻デリへルで新年を迎えたシズカは、正月明けには香川に移動し、高松市内にある高級デリへルで働いていた。JR高松駅から車で15分ほどのアパートに女の子たちの待機室兼寮があり、シズカはそこで寝泊りをしている。最寄りは無人駅で、ガタガタと音を立ててドアの開く2両編成の古びた電車が走っていた。周辺は田圃と用水路と家ばかりの長閑な住宅街で、どこを向いても遠くには山が見える。喫茶店1つ探すのも一苦労するほどで、こんなド田舎にデリへルの待機室があるなど、とても信じられないような場所だった。「何も無いんですよ~この辺」。シズカは、グレーのトレーナーにべージュのパンツといういつもの格好で現われた。頭のてっぺんから足の爪先まで何も変わっていないのに、今回は一転して高級店である。客の支払う金額は70分コース2万円ほどで、前回の京都の店と比べたら倍近く高い料金設定だ。女の子の取り分は、その内の約半分だという。「四国のデリへルは全般的に高いっす。何でだろう。理由はわからないけど、岡山・広島も中々いい値段ですね。逆に京都・大阪・神戸・和歌山は安いです。『稼ぐなら関西方面は止めとけ』と言いたい!」。シズカが今回、高級店にいるのは、「面接したら受かった」というシンプルな理由だった。実は、シズカがこの店に来るのは2回目である。去年の夏にも香川に来て、デリへル勤めと観光をしたものの、その後、新たに行きたい場所が増え、今回、再び同じ店で働きながら、香川を回ることにしたのだという。

「香川は居心地いいんですよ~。働いている女の子もいい子ばっかりだし。店のホームページ見ます?」。スマホの画面を覗くと、まるでアロマオイルでも売っていそうな上品なトップページが現われた。在籍一覧には、しっとりと落ち着きのある女の子たちの写真が並んでいる。茶髪にミニスカートばかりだった京都のド派手な人妻店とは、だいぶ毛色が違うようだ。「ホント、皆清純派です。どこにでもいる若奥様みたいな。全然、風俗嬢に見えないですよ」。年齢層は20~30代。主婦もいれば、本業があって週末だけ働きに来る子もいるという。地元の子は少なく、何と瀬戸内海を挟んで岡山から出動してくる子が多いそうだ。「岡山で働くと、やっぱり身バレする可能性が高いみたいで、海を渡ってこっちに働きに来るみたいですね。寒波が来て電車が止まると、フェリーで帰るって言っていました」。通える距離とはいえ、抜かりない主婦たちである。「こっちはアルバイトの時給が安いんですよ。700円とか800円で、深夜のコンビニでも900円くらい。だから、普通のアルバイトで1日働くより、風俗で1人客を取ったほうが高いんですね。今日、一緒に待機していた方は、小学生の子供がいる人妻で、『どうせ家にいてもテレビしか見ないし、待機室でテレビ見ていても同じだし、その間に1人でも客がついたらラッキー』って言っていましたね。偶に出動して、お金を貯めるのが目的みたいな子が殆どですよ」。17時にもなれば皆、夕食の準備をしに家に帰ってしまう。それに合わせて店も閉店。つまり、営業は昼がメインなのだ。因みに、店長も“その辺の商店街にいそうな人”らしく、「その普通さも居心地がいい」とシズカは言っていた。この日、私はシズカと会う前に、高松市内の古びた商店街でうどんを食べていたのだが、通行人も疎らなその商店街と最寄りの駅ビルには、子供連れの若い主婦が異様に多く、皆、べビーカーを押しながら、友だちとランチや買い物を楽しんでいる様子だった。シズカの話すデリへルの女の子たちの姿は、まさにそこにいた若い主婦たちを彷彿とさせるのであった。シズカの出勤は10時から18時。香川では人気があるようで、1日3~4人ひっきりなしに客がつく。予約が入ると、店長が運転する車で客の待つホテルへと向かう。よく利用するのは、『高松琴平電気鉄道』沖松島駅周辺にあるラブホ街だ。大きな川に沿って、一方にラブホテルが並び、一方にお墓が並ぶ奇妙な場所で、周辺は極普通の民家だ。時折、自転車に乗った高校生が、何の違和感も無く近くを走り抜けていく。ラブホ街とは思えないほど長閑な風景で、デリへルの客もまた素朴な人が多いようであった。「20㎞走って、そのまま来た人がいましたね。マラソン大会に出るみたいで。プレイが終わったら、力尽きてフラッと倒れたんですよ。で、また走って帰っていきました」。シズカは、「香川は面白い話が少ない」と言いながら、そんな話を出してくる。

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<画像2枚> 恵比寿のデパ地下で仲良く買い物する2人をスクープ撮! 日本ハム・斎藤佑樹(28)、復活の裏にカトパン似の美人OL

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海鮮コーナーに寄り、真剣な表情で食材を選ぶ2人。この距離感、友人にしては近過ぎないか!?

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【刑務所のリアル】(12) 「私が見た刑務所内部の全記録を話そう」――斎藤充功氏(ノンフィクション作家)インタビュー

全国の刑務所をルポし続けると同時に、死刑囚との文通や、将又懲役を終えたばかりの出所者に直撃インタビューを敢行する等、刑務所取材の第一人者である斎藤充功氏。斎藤氏は、今は取材不可能となっている府中刑務所・網走刑務所の内部撮影を許された稀有な体験を持つノンフィクション作家である。斎藤氏が出会ってきた刑務所・懲役囚・職員たちの“実像”とは――。 (聞き手・構成/フリージャーナリスト 小林俊之)

20170331 08

下山事件や、陸軍中野学校の“その後”の追跡、またダグラス・マッカーサーの日本占領下に蠢いた闇勢力の調査等、幅広いテーマで取材活動を展開してきたノンフィクション作家の斎藤充功氏は、日本列島を南北に走破して、全国の刑務所事情を雑誌や書籍で発表してきた刑務所研究家でもある。法務省相手に「内部取材をしたい」と粘り強く交渉し、堀の中でのスクープ取材を何度も実現させてきた。まさに刑務所“内部”取材のパイオニアなのである。「1977年に刑務所取材を始めたので、もう40年近くなります。きっかけは、月刊宝石(光文社)の刑務所ルポだったと思います。実際に私が工場を見たり、受刑者や刑務官にインタビューをしたり、中に入らないとできない取材をしたのは12ヵ所ですね。北から網走刑務所・釧路刑務所・函館少年刑務所。下って宮城刑務所・市原刑務所(交通刑務所)ね。それと府中刑務所。府中刑務所は、フランスのテレビ局の取材クルーと一緒に入りました。岡崎医療刑務所も行きました。それから大阪刑務所・広島刑務所・岩国刑務所。九州では、女性専用の刑務所である麓刑務所にも行きました。四国では松山刑務所。開放的な処遇をしている日本で唯一の施設なんですけど、そこは造船所でもある訳ですね。受刑者にもね、造船の作業員と同じように作業をさせていましたね」。その後、2005年8月から隔週刊誌『特冊新鮮組タイムス』(竹書房)で刑務所事情をルポする連載をスタート。その集大成を、『日本の刑務所』(竹書房)や『ルポ 出所者の現実』(平凡社)といった書籍で発表した。「刑務所の取材を始めた当時は、法務省矯正局の局長がとても開放的というか、マスコミに理解があったし、向こうも私を利用して刑務所を広く広報してやろうという目的もあったと思います。局長が『中で自由に取材していい』と言ってくれたのですが、懲役囚から見たら取材者は“招かざる客”ですからね。刑務所に出向いて、その実情を連載していったのは、日本では私が初めてだったと思います。刑務所の組織っていうのは、取材の窓口は法務省矯正局のトップですから、その人の命令だと、現場の所長さんたちは安心すると同時に、私を拒否できない訳です。取材の度に条件を矯正局と詰めて、協定書を交わすのです。刑務作業ですとか懲役の人のコメント等、『聞いた事実はそのまま書くから信用してほしい』と説得しましたね。また、『事前に原稿を見せろ』とよく言われました。ですけど、これは事前検閲になりますから、基本的には要求されても断りました。『ご存知の通り、検閲制度はないでしょう』と。先方は何を書かれるか不安でしょうがないでしょうけど」。

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一記者が見た『朝日新聞社』の歪んだ報道倫理――社内の空気を忖度して記事を捏造、“ジャーナリスト”と“ブンヤ”の違いは何か

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「アメリカ人が就きたくない職業の筆頭は新聞記者」――。経済誌『フォーブス』日本版の無料配信記事に、そうあった。アメリカの求人情報サイト『キャリアキャスト』の今年の調査結果だという。去年も記者が最低だった。展望が無いというのだ。調査方法がもっとわかると良かったが、独り作業的職業が多いのは興味深い。実際、記者稼業は、不人気度9位のタクシー運転手に似ている。客がいないか、鵜の目鷹の目で視線を歩道に走らす運転手のように、記者もネタを探して歩く。遠く離れた行き先を言う上客が稀なように、上ネタも減多に無い。ただ、そんな運転手記者の目にも映る会社の風情というのもある。山本七平氏に肖れば、以下は“私の中の朝日新聞”・“一記者の見た朝日新聞社”・“ある異常体験者の偏見”となろうか。割り引いてお読み頂きたい。月刊誌『WiLL』2016年9月号に、『週刊朝日』元編集長の川村二郎さんが、こんな朝日体験を書かれていた(メディア時評『朝日新聞は“君が代”に謝罪しろ』)。国旗国歌法ができる1999年のことだという。その頃、朝日新聞には日の丸と君が代に反対する有名人の意見が来る日も来る日も載り、川村さんは社外の知人から「紙面の作り方がどうかしていませんか?」と言われて、「グーの音も出ない」でいた。そんなある日、「海外の大会で、君が代が始まると、席を立つ観客が多い」というY編集委員の署名記事が載った。その記事なら私も覚えている。川村さんは、「あれって本当かよ?」とY編集委員に聞いた。海外でのスポーツ大会はテレビでよく見るのに、そんなシーンは見たことがなかったからだ。

時評は、こう続く。「すると、こういう答えが返ってきた。『ウソですよ。だけど、今の社内の空気を考えたら、ああいうふうに書いておく方がいいんですよ』。あまりのことに、言葉を失った」。編集委員は朝日の顔である。「ショックだった」と川村さんは記す。Y編集委員の話に比べると救われるが、私にもこんなことがあった。リクルート事件を追っていた1988年、朝日が「大蔵省の宮沢喜一大臣にも未公開株が渡っていた」と特報した。当時、私は週刊朝日編集部にいた(※川村さんは副編集長の1人)。同僚が蔵相の緊急会見を取材し、誌面にねじ込んだ。私は「それにしてもよく数えたな」と、同僚である後輩を労った。会見で何を訊かれても、宮沢氏は「ノーコメント」で通し、「その数、13度に及んだ」と記事にあったからだ。彼は頭を掻いて照れた。「嘘に決まってんじゃないっすか。死刑台の段数ですよ」「えっ、13回は嘘? 実際は?」「7~8回ですかねぇ」。鳥肌が立ちそうだった。その宮沢氏が首相となり、1992年1月に訪韓して盧泰愚大統領との首脳会談に臨んだ。その直前、朝日は1面トップで、「慰安施設に軍が関与していたことを示す資料が見つかった」と伝えた。議題には無かった慰安婦問題が急浮上し、韓国大統領府の発表によれば、首相は大統領に“反省”と“謝罪”を8回繰り返した。「謝罪の回数を公表するとは心ないことを…」と思ったが、ひょっとすると、大統領府は日本で話題を呼んだ週刊朝日製の“13回のノーコメント”を参考にしたのかもしれない。何れにしても、“13回”では宮沢氏に申し訳ないことをした。尤も、人のことなど言えた義理でない。嘘は書かなかったが、“世間や社内の空気”を忖度し、追おうともしなかった事柄が一方ならずある。1990年代半ば、『朝鮮総連』元活動家の知人が友人に会わせてくれようとした件もそうだった。その頃、日朝間で何か問題があると、朝鮮学校に通う女生徒の制服であるチマチョゴリがナイフで切られる事件が続いていた。ある時、知人が吹っ切れたように話し始めた。「あんなことはもう止めないといけませんよ。自分の娘を使っての自作自演なんです。娘の親は、総連で私の隣にいた男です。北で何かあると、その男の娘らの服が切られる。朝日にしか載らないが、書いている記者も私は知っている。夕べ、友人に電話しました。『娘さんが可哀想だ』と。彼は『止める』と約束しました。会いますか?」。私は、「いや、結構です」と即答した。掲載を巡って衝突すれば、社を辞めることになるのも見えている。動悸は続いたが、悲し過ぎる素材で、書かないことに対する自分の中での抵抗は幸い薄かった。それから二十余年。その間、日朝の間には拉致という途方もない事件が明るみに出たが、「朝鮮学校女生徒の制服が切られる」という記事は見ずに済んでいる。

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【東京情報】 聖徳太子論争

【東京発】文部科学省が、小中学校の次期学習指導要領改訂案を公表した。そこでは、聖徳太子の呼称について、小学校では“聖徳太子(厩戸王)”、中学校では“厩戸王(聖徳太子)”と併記する方針だった。しかし、一部から不満の声が噴出。『新しい歴史教科書をつくる会』は、「律令国家形成の出発点となった聖徳太子を抹殺すれば、日本を主体とした古代史のストーリーが殆ど崩壊する」と批判。結局、文科省は記述を元通りに戻すようだ。フランス人記者が吐き捨てる。「頭悪いよな。聖徳太子は、没後100年以上経ってから付けられた呼称だろう。お伽話は別として、史実を学ぶ学問の場で“厩戸王”という呼称を使うのは当然だろう」。アメリカ人記者が同意する。「呼称以前に、聖徳太子の実在自体が疑問視されている訳でしょう? 日本の歴代天皇は、推古天皇辺りまでは実在を疑う声もある。聖徳太子は推古天皇の摂政なんだから、聖徳太子が存在しなかった可能性も十分にあるわ」。確かに、有名な旧1万円札の聖徳太子の肖像画も、当時の日本人の服装とは違う。あれは中国の絵を流用したものであり、長い髭も後から描き加えられたものだ。有名な『十七条憲法』は、儒教精神に基づく官吏の心得である。推古朝時代には官僚制度のシステムは完成していないので、“官僚こうあるべし”という法文が出てくること自体変だ。当時の日本には、文字を使うことのできる人間は殆どおらず、『古事記』は記憶力の良い人間が暗唱し、伝承されていた。ヤマトタケルやスサノオノミコトと並んで、“古代史の英雄”に数えられる聖徳太子の呼称について議論すること自体がナンセンスだろう。つまり、聖徳太子はイギリスのアーサー王と同じ。「我々の先祖には凄い人物がいるんだぞ」と言いたいが為に作られた伝説なのだ。

アメリカ人記者が続ける。「厩で生まれた王というのは、どう考えてもイエス・キリストのことよ。『原始キリスト教の伝説がシルクロードを経由して中国に伝わり、それが日本に入ってきて聖徳太子像が作られた』と考えるのは、それほどおかしなことではないわ」。アルバイトの小暮君が反論する。「僕は中学校の修学旅行で、奈良の法隆寺に行きました。子供心に、『昔の日本には凄い人がいたんだな』と感心した記憶があります。其々の国には物語がありますよね。『我々は世界で一番の民である』という教育は、日本に限ったことではありません。イギリス国歌の“God Save the Queen”だって、国の誇りを前面に打ち出したものでしょう。勿論、歴史学や考古学では実証的な研究をしなければなりませんが、小学生くらいだったら歴史に興味を持つように、聖徳太子を英雄化しても害は無いと思います」。歴史を学ぶ子供にとって重要なのは、当時の日本と隋の間係を頭に上手く思い浮かべることだろう。そういう意味では、聖徳太子をフィクションとして切り捨ててしまうのはもったいない。問題は、小学生レベルの大人が多いことだ。神話と事実、ライトノベルや講談と歴史を混同してしまう。中国との貿易が活発になった室町時代、足利義満は交易をスムーズに行う為、自ら“王”と名乗った。王は皇帝の下に位置するので、中国に遜った訳だ。本居宣長等といった江戸時代の国学者は、これを「日本を貶める行為だ」と批判した。そこで、それまで注目されてこなかった聖徳太子が担ぎ出されることになる。聖徳太子が隋の煬帝に「日出処の天子、書を日没処の天子に致す」という書を出して、激怒させたとの話が典型だ。江戸時代の日本人は、「当時の日本には中国と対等に渡り合った大人物がいた」というエピソードを歓待したのである。フランス人記者が頷く。「自信を喪失すると、それを慰める為の史観が必要になる。新しい数科書がどうこうという連中が、この問題に口を出すのもそういうことだ。当時の国学者は、推古天皇の時代は不明なことが多いので、勝手に伝説を付け加えていったのだろう。その出所が中国の肖像画と官僚制度だったというのは皮肉だけどな」。

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【変見自在】 吉田清治ショック

朝日新聞は今更のようだけれど、面白くない。ただ面白くないだけでなく、中身が無い、新鮮味が無い。何というか、古本屋で見る古雑誌のようで、古色蒼然とさえしている。何故、そんな印象なのか。新聞記事の8割は、官庁の発表ものとか、各社共通ネタでできている。紙面化されても差は無い筈だが、時に記者の筆力とか新聞社の姿勢とかでかなり違ってくる。例えば、先日の全人代だ。ネタは退屈な会議だが、産経新聞は習近平と李克強が握手するか、目を合わすか、見どころを教える。朝日は支那に気を使うから、そういう嫌味な楽しみ方は書かない。ところが、その記事が支那を痛く刺激したらしい。閉幕後、恒例の首相記者会見があったが、産経の記者だけが取材禁止。会場から摘み出された。産経はそれを報じ、抗議もしたが、朝日は産経記者が追い出された顚末を書かなかったから、ひたすらつまらない紙面になった。新聞は、共通ネタの他に2割程度、特ダネを含む独自ネタを入れて、他社との差別化を図るのが形だった。朝日は、この分野で一時は他社を圧倒した。昭和25年、地下に潜行した共産党幹部・伊藤律を、朝日の記者が伝手を辿って、遂に六甲山中でインタビューに成功した。GHQが全警察に命じて追っかけていた男だ。それを嘲笑うように朝日の記者が出し抜き、たった3分間とはいえ話を聞いた。皆、「朝日は凄い」と思った。朝日の特ダネはそれだけじゃあない。下関の労務報国会の職員・吉田清治が、「陸軍兵士を指揮して昭和18年5月、済州島に上陸し、205人の若い女を強制連行した」「女たちは支那と戦う皇軍兵士の慰安婦にされ、最後は皆、殺された」ことをスクープした。吉田は、日本軍の記録にも無い戦時中の恥ずべき行為を、白日の下に曝した。

他社が驚く中、松井やよりが「釜山でも若い女が拉致された」と報じ、植村隆も「平壌でも日本軍が若い女を戦場に連れ去った」と畳みかけた。ほぼ30年間、他社の追随を許さない独走スクープだった。未だある。西表島沖の名物の大珊瑚に“KY”の落書きがあるのを、その日に潜った朝日のカメラマンが発見した。毎日潜っている竹富島の漁師も知らなかった大特ダネだった。朝日は、「日本人の記念碑になる。精神の貧困の、すさんだ心の…」と日本人を論した。四倉幹木はレイテを訪ね、95歳老人の首の後ろに、日本軍兵士に殴られてできた頭出腫が未だ残っているのを見つけた。四倉は、それを朝刊にカラー写真で紹介した。一見して金日成と同じ脂肪瘤風だが、兎も角、半世紀以上も隠されてきた残忍日本軍の生きた証と主張した。そのうち、『学び舎』の教科書に載るかもしれない。朝日の強さを示す数々のネタだが、ただ、そのどれもが記者の提造した嘘っぱちと判明した。現社長の渡辺雅隆は、「記事は事実を書け」と命じた。記者は、「独自ネタは創るもの」と教わってきた。事実を書けったって取材も裏取りも知らないから、記事の書きようもない。“吉田清治”取り消し以降、朝日から独自ネタが消えた。スカスカの紙面をどうするか。先日は、池澤夏樹とかが琉球新報に載せたコラムをそのまま載せた。「何で地方紙の二番煎じを読ませられるのか?」。読者は首を傾げたが、まぁ本土では独自ネタになる。昔、連載した夏目激石の小説も再掲した。それで記事の再利用を思いついたか。再利用なら裏取りも取材もいらない。その典型が、連載『新聞と9条』だ。「土井たか子が燃えた」とか、「中曽根が侵略を認めた」とか、先日は藤尾正行が“韓国の無責任”を言って文部大臣を解任された話が載った。今なら正論だが、紙面に今の視点は無い。昔の暴走自虐史観そのままが載る。こうしてみると、昔から嫌な新聞だったんだ。


高山正之(たかやま・まさゆき) ジャーナリスト・コラムニスト・元産経新聞記者・元帝京大学教授。1942年、東京都生まれ。東京都立大学法経学部法学科卒業後、産経新聞社に入社。警視庁クラブ・羽田クラブ詰・夕刊フジ記者を経て、産経新聞社会部次長(デスク)。1985~1987年までテヘラン支局長。1992~1996年までロサンゼルス支局長。産経新聞社を定年退職後、2001~2007年3月まで帝京大学教授を務める。『高山正之が米国・支那・韓国・朝日を斬る 日本人をますます元気にする本』(テーミス)・『アジアの解放、本当は日本軍のお陰だった!』(ワック)等著書多数。


キャプチャ  2017年3月30日号掲載

テーマ : 報道・マスコミ
ジャンル : 政治・経済

【「佳く生きる」為の処方箋】(45) 病院ランキングの裏事情

手術数の多い病院を紹介する“ランキング本”や所謂“名医本”が、多数出版されています。私もよく取材を受けますが、この手の本には手術数やその内訳等の具体的な数字が載っていますから、病院や医師の実績を客観的に知る目安になり、病院選びにとても役立ちます。但し、情報を正しく活用するには、読む側の“読解力”が必要です。最近流行りの言葉を使えば“リテラシー”。情報を適正に活用する能力のことで、この場合は“ランキング本リテラシー”と言えるでしょう。例えば、基本的なことですが、読む時には先ず、編集記事と広告の記事とを見分けます。意図的かどうかはわかりませんが、記者が取材をして書いた編集記事なのか、広告の記事なのか、素人目にはよくわからないものもあります。一般に、広告の記事の場合は、ページの欄外等に小さく“広告”とか“AD”と入っているようですから、チェックしてみて下さい。また、症例数については、どんな調査法に基づくのか、数字の根拠を確認してほしいと思います。そして、医療機関や医師に関心を持ったら、インターネットでその病院のホームページも是非確認して下さい。最近は診療実績を紹介しているところが多いですから、本には無い情報も得られるかもしれません。ランキング本の情報は有用ですが、実は数字には“裏事情”があることも知っておいてほしいと思います。外科医の腕は、どれだけ手術をしたかに比例しますから、症例数は外科医の実力を推し量る材料になります。しかし、中には未だ必要でない手術をして数字を稼いでいる医療機関があるのも事実です。手術数の増加は病院の利益に直結し、知名度アップに繋がります。

ランキング本が市民権を得た今、それに載ることが病院の宣伝にもなる訳です。例えば、検査技師が異常を発見した段階で即手術という医療機関もあります。幸い、医師の腕が良いのでトラブルにはなっていませんが、「手術は本当に必要だったのか?」という疑問は残ります。以前も書きましたが、元気な心臓に対する手術ほど成功率は高いものです。こうした医療機関では、積極的に手術をし、成績も良いということで、症例数は右肩上がりです。“やり過ぎの医療”に対しては、何かトラブルでも起きない限り、中々歯止めが利きません。止められるのは医師の良心しかないからです。勿論、裏事情も何も無く、ランキング本の数字がそのまま医療機関の実力を表している場合もあります。実際にはそちらのほうが多いでしょうが、患者さんがそれを見極めるのは至難の業。やはり、最終的にはセカンドオピニオン等で専門家の意見を聞くのが得策でしょう。私は、患者さんが「この病院で手術を受ける」と決めた時点で、患者さん側にもある程度の“自己責任”が発生すると考えています。これは、交通事故の“過失割合”の考え方に似ています。仮に、交差点で車同士の衝突事故に遭った場合、こちらが交通法規を守って運転していたとしても、過失がゼロになることは先ずありません。交差点に進入した段階で安全確認等の義務が発生する為、通常は2割程度の過失割合があると見做されるのです。つまり、加害者と被害者の過失割合は8対2という訳です。これを医療に当て嵌めてみると――。患者さんが病院を選んだことは交差点への進入に相当しますから、その時点で自己責任が“2割”生じることになります。この場合の自己責任とは、自分で自分の命を守るということ。たとえ相手が医師であろうと、自分の命を丸投げしてはいけないのです。この自己責任を果たす為にも、ランキング本等の情報を適正に活用してほしいと思います。


天野篤(あまの・あつし) 心臓外科医・『順天堂医院』院長。1955年、埼玉県生まれ。日本大学医学部卒。『亀田総合病院』『新東京病院』等を経て、2002年に順天堂大学医学部心臓血管外科教授に就任。2012年2月18日に天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀。2016年4月より現職。著書に『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)・『この道を生きる、心臓外科ひとすじ』(NHK出版新書)等。


キャプチャ  2017年3月30日号掲載

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

【男の子育て日記】(45) 11月某日

怒り頂点の日。記子が、「岸和田まで裁判所に行く序でに、逮捕の連絡があった男のところに顔を出す」という。「お前、まさかまた一発ヤッたことがある男とかじゃないだろうな?」「…一発ぐらいは」。本当にこの女、1秒でも早く死なないかな。俺のことが好き、2人目の子も欲しいとか言うけど、俺が嫌がることばかりしやがんの。そんなの断われよ。喜んで送り出す男は、1万人に1人もいないよ。本当に人の気持ちがわからない女だな。よく夫に話せるよ。お前の旦那は、全てを許してくれるマリアじゃない。「あっちから頼んできたことだ」と言うけれど、簡単にヤれたことがある弁護士だから頼み易いだけ。面会に行ったら行ったで、「コイツ、未だ俺に気がある」と男は思うものなんだよ。先日の消防士といい、いつまでも昔のセフレやヒモに優しくするな。お前は『ホテルルワンダ』の主人公か? 彼はホテルマンとしての職業倫理から、ツチ族等の1200人をホテルに匿って、命を助けた。お前は『帰ってきたウルトラマン』の『怪獣使いと少年』の回のパン屋の女の子か? 皆が差別する男の子にもパンを売る理由を訊かれた彼女は、「だってあたし、パン屋だから!」と答えた(※詳しくは町山智浩さんのブログで検索して下さい)。「ケツの穴の小さい夫より、目の前の困っている人を助ける職業倫理を優先させる」ってか? そりゃあ御立派なことだ。

あのな、ヤリマン過去のことは問わないけど、お願いだから現在まで継続させないでくれ。俺は過去の女と誰一人連絡を取っていないし、たとえ川で溺れていても飛び込まない。他の人に任せるよ。そんなの当たり前だろ。お前は、その当たり前もできていないんだよ。あーあ、早くこの女が死んで、一文と2人で人生をやり直せないかな。俺が癌になったら全部、三輪記子のせい。俺が早死にしたら皆、お前のせいだって思うよ。一文の本当の父親も俺じゃないだろって思われているよ。俺だって信用できないよ。こんなヤリマンの深情けを。どうせ、どうして俺がここまで怒っているかもわからないんだろ? 自分が学歴コンプレックスの塊だから、「東大女の優秀な遺伝子を残したい」と思って結婚して、一文を産んでもらった。それには感謝しているし、幸せだけど、それ以外は大後悔。地獄。お願い! 死んで! 頼むから!…と、ここまで書いたところで妻が起きてきた。「朝の5時だよ…眠れないの?」「怒りのあまりな」。しょうがないなという感じで、記子が股を開く。怒張ペニスで痛めつけるようにヤる。半泣きで膣内射精。記子と出会う前、「いつか檀一雄の“火宅の人”や、島尾敏雄の“死の棘”のような小説を書きたい。俺なら書ける」と思っていたけど、何かもうイイ線来ているような気がする。いや、まだまだだな。鳥羽口にさえ立っていない。コイツとの全面戦争は、これからが本番だ。


樋口毅宏(ひぐち・たけひろ) 作家。1971年、東京都生まれ。帝京大学文学部卒業後、『コアマガジン』に入社。『ニャン2倶楽部Z』『BUBKA』編集部を経て、『白夜書房』に移籍。『コリアムービー』『みうらじゅんマガジン』の編集長を務める。2009年に作家に転身。著書に『日本のセックス』(双葉文庫)・『ルック・バック・イン・アンガー』(祥伝社文庫)・『さよなら小沢健二』(扶桑社)等。


キャプチャ  2017年3月30日号掲載

テーマ : パパ育児日記。
ジャンル : 育児

【ヘンな食べ物】(31) インドカレーは悲劇の料理

謎の怪魚を探しにインドへ行った時の話の続き。シーラカンスに匹敵する世紀の大発見を夢見た私は、現地・オリッサ州の公用語であるオリヤー語を習ったり、魚を見つけた際に鑑定してもらうよう日本の著名な古生物学者に協力をお願いしたりして、万全の準備を整えてインドへ向かった。ところが、そこには又しても想像を絶する悪夢が待っていた。降り立ったコルコタ国際空港のイミグレーションで入国を拒否され、そのまま身柄を拘束されてしまったのだ。実は前回、インドに(※止むを得ずなのだが)密入国してしまい、強制送還されていた。その時の記録がちゃんと残っていたのだ。世紀の大発見どころか、世紀の茶番劇である。意気消沈している上に、引いていた風邪が悪化して熱まで出ていた。食欲など皆無な私のところへ、アルミパックに入った(※恐らく空港職員用の)弁当が運ばれてきた。カレーの匂いがする。「こんなもん食えるか!」と思った。今、この世で一番食べたくないものだった。でも、「折角持ってきてくれたんだし…」と形ばかりスプーンで掬って、口に入れたら驚いた。無茶苦茶美味い! 辛さは程々で、スパイスは複雑且つ円やか、柔らかく胃に収まっていく。米もパサパサというより、“軽い食味”で、本当に食べ易い。どうやら、今まで旅行中に食べていたのは、単に安食堂のもので、同じカレーも中級以上になれば別物らしい。弱って干からびた心身がみるみるうちに緩み、解けていく感じがしたほどだ。「インドカレー凄い!」と開眼したのだが、時既に遅し。その後、強制送還された私は、未だにブラックリストに絶賛掲載中で、インドに入国できない。本場のインドカレーは、私にとって文字通り、“悲劇の料理”なのである。


高野秀行(たかの・ひでゆき) ノンフィクション作家。1966年、東京都生まれ。早稲田大学第1文学部仏文科卒。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)・『アジア未知動物紀行』(講談社文庫)・『世界のシワに夢を見ろ!』(小学館文庫)等著書多数。


キャプチャ  2017年3月30日号掲載

テーマ : 海外旅行
ジャンル : 旅行

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George Clooney

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