【東京情報】 追憶の教育勅語

【東京発】久しぶりに浅草を散歩した。この辺りで酒を飲んでいると、観光客に間違われることが多い。この日も、居酒屋のテーブルで相席になった老人から“May I help you?”と声をかけられた。2人は兄弟で、こちらがお世話をしなくてはならないような齢である。私が日本語で「ありがとうございます。この店は偶に飲みに来るんです」と言うと、興味を持ったようで、色々問いかけてきた。ベレー帽を被った弟(83)が言う。「私は1934年生まれなので、所謂戦前派だ。当時は国民学校だが、今話題の教育勅語を暗唱するのが義務でね。歴代の天皇の名前も暗唱させられた。天皇皇后両陛下の御真影と教育勅語が、学校の奉安殿に飾られていたな。暗唱は毎日ではなくて、週に2回くらいだ。あれは大したもので、子供時代に覚えたものは未だに暗唱できるんだ」。森友学園問題に端を発する一連の疑獄事件において、教育勅語を教材として使用することの是非について、やや過熱気味な議論が行われている。官房長官は態々、「否定しない」との談話を発表。右翼は「教育勅語を積極的に活用すべき」と言い、左翼は「とんでもない」と目くじらを立てる。この状況を、戦前の人はどのように見ているのだろうか? 弟が生ビールを傾ける。「明治以降の日本は、近代化の為に欧米の制度を取り入れることが急務だった。でもね、教育勅語のモデルになるようなものは、欧米には無かったと思うんだ。ビスマルク時代のプロイセンにも、歴史が長い王室を持つイギリスにも見当たらない。如何にも教育勅語的なものがありそうな国なのに」。

ニコニコしながら頷いていた兄(87)が口を開いた。「わしが小学2年生の時が支那事変ですわ。小学6年生の時、校庭で遊んでいたらラジオで日米開戦が告げられ、中学校に入ると本格的な戦争になった。中学4年生で終戦だから、占領軍の命令で歴史の教科書を黒く塗り潰した経験は無い。だから、わしの考え方は戦前のままなんだ」。弟が続ける。「教育勅語で謳われているのは真面な道徳律で、特殊でも新しくもない。『親孝行をして、兄弟仲良く、夫婦仲良く、友だちとは互いに信じ合い、行動を慎み深くしろ』というだけのことですわ。反対派の人が問題にしている“一旦緩急アレバ”という部分も当たり前のこと。何かがあれば国にお返しするのは、国民の役目なんだ」。2人とも日々のニュースを追っているようで、矍鑠としている。尤も、元気だからこうして兄弟で酒を飲んでいられるのだろう。兄がワインに切り替えた。「祝祭日には小学校の講堂に集まり、白髪で痩身の見るからに気高い雰囲気の校長先生が御真影を恭しく持って、教育勅語を奉読する。そして、教室に戻って担任の先生の話を聞き、紅白饅頭を貰って自宅に帰るんだ。いつのことかは忘れたが、海軍の軍人が来て、頭を垂れて真剣に校長先生の奉読を聞いていたことがあった。あれは印象的でね。出来が悪いのを派手なバッジで誤魔化す陸軍と違い、海軍は地味な隠しボタンが付いた良い上着を着ていたな」。弟が笑う。「兄貴はよくそんなことを覚えているな。今思うと、当時の子供はいつも鼻水を垂らしていた。木綿の上着の袖口は鼻水で光っていた。下を向いていると、どうしても鼻水が出る。奉読が終わり、『直れ』と言われて頭を上げると、子供たちは一斉に鼻を啜るんだ。“ズズーッ”という音が講堂に響き渡って、何ともおかしかったな」。店員が生ビールのお代わりと串カツを運んできた。3本あったので、勧めて頂き1本頂戴した。弟は、思い出話が止まらなくなったようだ。

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【変見自在】 パンの中の悪意

日本敗戦の朝、アメリカ人がどやどややって来た。今もそうだけれど、彼らは日本人に比べてかなり知的レベルは低い。例えば、GHQスタッフのレオン・ベッカーは、「日本はアメリカに比べて遅れていて、だから未だ奴隷がいる」と頭から信じていた。彼はさんざ探して、北海道の炭坑を監獄部屋と決めて、「1万3000人の奴隷を解放した」(『マッカーサーの日本』)。「彼らは24時間働かされた、立派な奴隷だった」と彼は報告したが、当時は“黒いダイヤ”のブームだった。現に、この監獄部屋摘発の後、GHQは「石炭増産の為に24時間操業をせよ」(同)と指令している。俄かに奴隷にされた炭坑夫もビックリしただろう。アメリカ人はまた、「日本語の読み書きも文化の遅れた一因」と見做した。だって、アルファベット26文字のアメリカ人の識字率はやっと60%台。日本人は1万以上の漢字に仮名とアルファベットも使っているから、「日本人の85%は新聞が読めないだろう」(同)と推測した。「それが日本の民主化を遅らせている」「まずローマ字化し、ゆくゆくは英語化すべきだ」と。そんな馬鹿を論す為、文部省は昭和23(1948)年、子供から老人までを対象に全国規模の日本語読み書きテストを実施した。結果は識字率98%。担当したGHQ将校のジョン・ペルゼルが、「識字率をせめてアメリカ人並みに改竄してくれないか?」と日本側に哀願した話が残っている。アメリカの医学界も低レベルで、新生児は“1年間は植物状態”と信じていた。だから、GHQの医療担当官は、早い時期から添い寝する母子を見て驚愕する。「添い寝は危険で不潔だから」と、GHQは産院に母子分離を命じ、為に不幸な取り違え事故が増えた。

母子添い寝が赤ん坊の情緒安定にいい影響があることをアメリカ人が知るのは、1980年代に『世界保健機関(WHO)』が公認してからだ。この辺までは無知ながら、どこかに善意は感じられるが、GHQの施策にはそうでないものも結構ある。クロフォード・サムスは、日本人の頭にDDTをぶっかけた男だが、その次にやったのが、マーガレット・サンガーと加藤シヅエを使った産児制限強制だった。フランクリン・ルーズべルトは、「日本人は4つの島に閉じ込めて滅ぼせ」と遺言した。「ポエニ戦役で敗れたカルタゴのように」と。それで、“4つ”以外の台湾や朝鮮は没収。軍隊は解体させ、交戦権も奪った。ローマがカルタゴに提示した降伏条約そのままだ。加えて、この産児制限で人口を減らし、滅びをより確実に早めさせた。実際、日本の人口は何れ、先の大戦前のそれを割り込むだろう。サムスはもう1つ仕掛けをした。日系アメリカ人が祖国の窮乏を救う為に、所謂“ララ物資”を始めた。アメリカ政府は家畜飼料の脱脂粉乳を出したが、その際に始まった給食に便乗してきた。パン食の普及だ。彼らは呼び水に、約18万トンの小麦を供与し、見返りに“パンを中心とした給食”を法制化させた。山村明義『GHQの日本洗脳』によれば、ジョージ・マクガヴァン上院議員は「これで日本を将来にわたる小麦の大口買い入れ国に仕立てられた」と語っている。“コメを食うと頭が悪くなる”伝説が伝播されたのもこの時期。朝日新聞は「次代の子供たちまでコメ食につきあわせるな」(昭和39年)と、アメリカからカネを貰ってパンの宣伝をした。斯くてコメ離れは進んで、2011年にはパンとコメの購入額が逆転している。小学1年生の道徳教科書にあった“パン屋”の話を“和菓子屋”に変えたら、検定をパスした。「日本の伝統と文化はパンでは語れない」という趣旨だ。それに朝日が噛みついた。「パンには伝統も文化も無いのか?」と。そう、何にも無い。代わりに、頭が悪くなるグルテンと、年季の入ったアメリカのズルさがどっさり入っている。コメの飯を食え。少しは歴史も見えてくる。


高山正之(たかやま・まさゆき) ジャーナリスト・コラムニスト・元産経新聞記者・元帝京大学教授。1942年、東京都生まれ。東京都立大学法経学部法学科卒業後、産経新聞社に入社。警視庁クラブ・羽田クラブ詰・夕刊フジ記者を経て、産経新聞社会部次長(デスク)。1985~1987年までテヘラン支局長。1992~1996年までロサンゼルス支局長。産経新聞社を定年退職後、2001~2007年3月まで帝京大学教授を務める。『高山正之が米国・支那・韓国・朝日を斬る 日本人をますます元気にする本』(テーミス)・『アジアの解放、本当は日本軍のお陰だった!』(ワック)等著書多数。


キャプチャ  2017年4月27日号掲載

テーマ : 教育問題
ジャンル : 政治・経済

【管見妄語】 忘却の世界史

3月まで愚にもつかない豊洲移転や森友学園等に熱を入れていたメディアが、4月に入るとシリアと北朝鮮一色となった。4月初めにアメリカは、「シリアのアサド政権がサリンを用い、市民、とりわけ子供まで殺している」という人道上の理由で、トマホークにより攻撃した。理由の真偽は不明だ。アメリカは「イラクが大量破壊兵器を隠している」というデマをでっち上げ、イラクに侵攻し、サダム・フセイン大統領を殺害した前科がある。たとえサリンが使われたとしても、アサド政権の仕業かどうかはわからない。アメリカは自作自演の大家でもあるからだ。例えば、ベトナム戦争で北べトナムへの本格的空爆を始める為、「アメリカの駆逐艦が北ベトナムによる魚雷攻撃を受けた」とでっち上げた。英語が国際語となってから、英米メディアの発信力が理不尽なほど圧倒的となっていて、我が国のメディアはこれらを鵜呑みにして伝えがちだ。清廉で穏やかな眼科医という評判のアサド大統領を、フセイン大統領やリビアのカダフィ大佐と同様、悪の象徴にしてしまった。今、アメリカはテロとの戦いと称し、イスラム過激派組織『IS(イスラミックステート)』を叩いているが、抑々ISは、2003年のイラク戦争でフセイン大統領を追放した為に始まった、シーア派とスンニ派との内戦の中で生まれたものだ。フセインは巧く両派の確執を抑えていたから、アメリカの介入により、イラク国民は長く辛酸を舐めることとなった。2010年からの『アラブの春』と言われる民主化運動だって、欧米が政権を倒す為に画策したものだった。その結果、北アフリカや中近東の多くの国で独裁政権が倒されたが、殆どの国は未だ混乱の坩堝にある。“名宰相”カダフィを殺した為、福祉国家のリビアは今も内戦中だ。シリア内戦もその1つだから、EUを分断することとなった大量移民は、EUの自業自得と言えるものなのだ。

欧米によるアラブの春は、独裁者の下で見事に治まっていた地に、血で血を洗う抗争を齎したのである。抑々、ここ100年のパレスチナを含む中近東の混乱は、ほぼ全て第1次世界大戦中のイギリスの“三枚舌外交”に端を発し、それを継いだアメリカの介入により悪化したものだ。アラブ人はそれを忘れていない。メディアは、「アメリカによる北朝鮮への攻撃が今にも始まりそう」と言い立てる。評論家や学者たちがメディアに登場し、危機感を煽る。異口同音に、「アメリカにとって、アメリカ大陸に届く核ミサイルの完成がレッドラインであり、その前に北朝鮮を叩く」と言う。まるでアメリカ政府の広報機関のようだ。確かにアメリカにとって、金正恩の如き“狂犬”がニューヨークに核ミサイルの照準を定めたとしたら悪夢だが、我が国にとってはあくまで二義的なことだ。最も重要な事実は、「“狂犬”の核ミサイルが既に日本の大都市やアメリカ軍基地に照準を合わせていて、アメリカ軍の強力な攻撃を以てしても、発射能力を一気に壊滅できない」ということだ。「東京に撃ちこまれれば、100万人を超える死傷者が出る」と言われている。我が国のレッドラインはとっくに越えている。日本は、アメリカ軍による北朝鮮攻撃を、文字通り命がけで止めさせなければならないのだ。ここ100年、欧米による海外介入はほぼ常に失敗し、その後の混乱を惹起してきた。頭には国益しかないからだ。とりわけアメリカは、介入前に美辞麗句を振り翳す。20世紀初頭までは“文明化”によりインディアンを虐殺し、西部諸州をメキシコから強奪し、ハワイやフィリピンを侵略した。第2次世界大戦頃からは、自由・平等・民主主義・人道等を理由に世界中に干渉する。これらが無意味な言葉であることは、既に10年前に拙著『国家の品格』で述べた。なのに我がメディアは、今やグローバリズム正当化の合言葉でしかないこれらを、金科玉条の如く奉っている。アメリカが人道的見地から、狂犬ですらしないことを広島と長崎になしたことさえ忘れているようだ。


藤原正彦(ふじわら・まさひこ) 数学者・お茶の水女子大学名誉教授。1943年、満州国生まれ。東京大学理学部数学科卒。同大学院理学系研究科修士課程数学専攻修了。ミシガン大学研究員・コロラド大学ボルダー校助教授等を経て現職。著書に『藤原正彦の人生案内』(中央公論新社)・『この国のけじめ』(文藝春秋)等。


キャプチャ  2017年4月27日号掲載

テーマ : 国際問題
ジャンル : 政治・経済

【「佳く生きる」為の処方箋】(49) 外科医の引き際

数年前から、“引き際”について考えるようになりました。若い頃は「外科医がメスを握っていられるのは55歳くらいまで」と思っていましたが、いざその年齢に達してみると、思い通りに手術はできるし、「まだまだ成長している」という手応えもありました。唯一気になっていたのは老眼ですが、それも遠近両用の二重焦点コンタクトレンズを用いることで、一気に克服しました。そうして天皇陛下の手術を執刀させて頂いたのが56歳の時。自ら思い込んでいた“外科医55歳限界説”は、いとも簡単に崩れ落ちた訳です。現在、61歳ですが、院長職も兼務しながら、年間400件ほどの手術を手がけています。まさか、この年齢でこれだけの手術をすることになるとは、若い頃には想像もしませんでした。ただ、そうはいっても、いつか外科医を辞める日はやって来ます。その日をどのように迎えるか。最近はそれを折に触れて考えるようになったのです。本音を言うと、今の自分の中では、「もっと外科医を続けたい」という気持ちと、「もうそろそろ外科医を辞めることを真剣に考えてもいいのかもしれない」という気持ちが綱引きをしています。天皇陛下の手術をした直後、ある先輩医師から言われました。「外科医として、これ以上名誉なことはない。ここでスパッと辞めて、他の道に進むのもよいのではないか?」と。この時は全くそんなつもりはありませんでしたが、病院長となって2期日の今は管理責任も増して、外科医としての時間的制約を受けざるを得なくなりました。

手術は、私にとって生きることそのものだと言っても過言ではありません。どんなに心配事やストレスを抱えていても、手術室に入れば全部忘れて、目の前の心臓を治すことに集中できます。休日にゴルフをしていても、「あっ、この展開は手術に生かせる」等と手術に関連付けて考えることも度々です。要は、頭から手術が離れないのです。これは裏を返すと、「自分から手術を引き算するとゼロになってしまうのではないか…」という不安にも繋がってきます。そんな風に思い巡らせていた折、ある方と出会いました。脳神経外科医の福島孝徳先生です。福島先生は独自の手術法を開発してアメリカに渡り、“ゴッドハンド”として賞賛され続けてきました。74歳になった現在も世界各国を回り、精力的に手術をされています。マスコミにもよく取り上げられていますから、ご存知の方も多いでしょう。実際にお会いして、圧倒されました。兎に角、手術への情熱も含め、“神って”いるのです。私よりもキャリアはずっと上ですが、今も患者さんや家族に直接手術の説明をしたり、励ましたり、また「少しでも手術がやり易いように」と、自ら医療機器の改良にも携わったりしています。その福島先生に、こんなことを言われました。「私は今、天野先生と同年齢くらいのつもりで仕事をしています。天野先生のほうは今、私の40代半ばと同じくらいの仕事をされている。まだまだこれからです」。正直、福島先生の前では自分は“凡人”だと思いました。外科医としての引き際を考えていたそのタイミングで福島先生に出会った意味を今、考えています。患者さんと正面から向き合い、手術で病気を治す。そういう外科医の仕事が、福島先生は本当に好きなのでしょう。それは私とて同じです。「このままでは終われない、まだまだ自分が外科医として役に立てる場所はある筈だ」――そんな熱い思いが蘇ってきています。アジアの心臓外科医療発展への貢献も含め、将来図を思い描いているところです。 =おわり


天野篤(あまの・あつし) 心臓外科医・『順天堂医院』院長。1955年、埼玉県生まれ。日本大学医学部卒。『亀田総合病院』『新東京病院』等を経て、2002年に順天堂大学医学部心臓血管外科教授に就任。2012年2月18日に天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀。2016年4月より現職。著書に『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)・『この道を生きる、心臓外科ひとすじ』(NHK出版新書)等。


キャプチャ  2017年4月27日号掲載

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

【男の子育て日記】(49) ○月×日

この頃、父のことをよく考える。54歳で逝った父のことを。父は優しい人だった。働き者だった。どうしてあんなに温厚な人だったのか。サービス精神が旺盛で、いつも皆を笑わせようとしていた。僕は一文がとても愛おしい。そして思う。「父も僕に、同じような気持ちを抱いてくれていたのか?」と。父に抱き締められた記憶は無い。かといって、父が冷たかったとは思わない。父の時代の家族像と、自分の時代のそれとは大きく違う。日曜日は決まって、近所のサウナとパチンコ屋に連れて行ってくれた。子供の愛し方がわからなかったが、父なりの愛情表現だったのだろうと思う。父は自分の父に、つまり僕の祖父に殴られて育った。父はよく言っていた。「だから自分は絶対に子供を叩かない」。それでも、父は僕に2度、手を上げたことがある。1度目は僕が小学生の時。日曜日の夜、肉屋を営んでいた父に「お母さんにも給料を払え」と意見した。「生意気を言うな」と頬に張り手を喰らった。2度目は僕が中学生だったか。夜、泥酔した父が帰宅して、自分の部屋で布団の中で寝転がっている僕を「何で未だ起きているんだ!」と怒鳴り、蹴り出した。しかも激しく泣きながら。僕も泣くしかなかった(※断っておくが、僕はこの場で父を断罪したい訳ではない。この手のエッセイにありがちな、親を実物以上の人間に祀り上げて、お涙頂載の美談にしたくないだけ)。父は普通の、気が小さい人だった。父は人並みに野心家で、肉屋以外に幾つも店を興したが、全て失敗した。自分に裏切られることに疲れ果てて、早く逝ってしまった。父が逝った時、自宅で検死官が取り囲む中、僕は彼の顔に近付いて心に誓った。「あんたの人生の復讐は必ずする」。その復讐は叶ったのだろうか? 生きていたら76歳。記子と会わせたかった。一文に会わせたかった。嘗て、ショーン・レノンは父親について、こう語ったことがある。彼の父親が殺された時、ショーンは5歳だった。覚えているのは1つだけ。愛と平和を唱えていた父親が、狂ったように自分を叱りつけている光景だという。ショーンは言う。「それでもパパに会いたい」。僕は父に会いたいとは思わない。父は僕の中にいるから。一文の中にいる。一文の笑顔に父を見る。僕と一文、兄と妹、妹の子供たち、父の弟と妹の子供たち、そして孫。皆が生きている限り、お父さん、貴男も生きています。育児日記、今回で終了です。ご愛読ありがとうございました。 =おわり


樋口毅宏(ひぐち・たけひろ) 作家。1971年、東京都生まれ。帝京大学文学部卒業後、『コアマガジン』に入社。『ニャン2倶楽部Z』『BUBKA』編集部を経て、『白夜書房』に移籍。『コリアムービー』『みうらじゅんマガジン』の編集長を務める。2009年に作家に転身。著書に『日本のセックス』(双葉文庫)・『ルック・バック・イン・アンガー』(祥伝社文庫)・『さよなら小沢健二』(扶桑社)等。


キャプチャ  2017年4月27日号掲載

テーマ : パパ育児日記。
ジャンル : 育児

【ヘンな食べ物】(35) 巨大ムカデと人類の叡智

新宿区歌舞伎町の『上海小吃』でゲテモノ料理に挑むつもりが、間違えて生の虫を食べてしまった我々取材班。「Yさん、気付かなかったんですか?」と今更担当編集者を咎めると、「だって百戦錬磨の高野さんがパクパク食べているから…」との答え。私の百戦は“錬磨”でなく“連敗”だってことを、彼は知らなかったらしい。昔も、タイの市場で売っていた生の芋虫を間違えて食べてしまったことがある。何度も同じ間違いをするのが私の特徴だ。扨て、改めて調理された“虫の盛り合わせ”が運ばれてきた。「おおっ、食べ物だ!」とびっくり。姿揚げなので形状はそのままだが、質感が“生”とは全然異なり、ちゃんとした料理に見える。火を通すとこんなにも違うのか。ゲテモノ料理挑戦から解放された思いで、順番に気楽に摘んでいく。先ず、生の時は粉っぽくて死体じみた味がした(というか死体だったのだが)バッタは、カリッカリに揚げられ、塩味と唐辛子も効いており、まるでスナック菓子の『カール』みたいな食感。ビールが進む。セミの幼虫は、先程の(生の)むにゅむにゅしたタンパク質がどこへ行ってしまったかと思うくらいカスカス。栄養分が失われ、勿体ない気すらする。続いてタランチュラ。こちらは昔、カンボジアで食べた物と同じ味。前の虫2つより中身が詰まっている。運良く遅れてやってきて“生”を食べずに済んだ、同じく本誌の女性編集者・Iさんは、「土っぽい」と適確な表現。言い得て妙だ。足が焦げて炭化しているせいかもしれない。

お次はサソリ。長さ10㎝。巨大なハサミと、反り返った立派な尾を持っている。他の虫は北京から輸入しているが(※首都に各地の名産品が集まるらしい)、これは山東省から来たという(※「山東省はサソリで有名」と店長)。鋼鉄のようなボディーをしているだけあり、囓るとバリバリと大きな音がする。中には灰色の内臓があり、やや苦い。「ちょっとエビみたい」と、Iさんがまた鋭い指摘。確かに、ぷりぷりした肉の部分を除いたエビと考えるとしっくりくる。でも、一番美味い部分の無いエビって…。そして、ラストは愈々巨大ムカデ。長さ20㎝、幅は胴体が1㎝、足を入れると2㎝。これを生で喰わなくて本当によかったと思う。恐らく、これは熱帯の国から来たのではなかろうか。私も、東南アジアのジャングルで生きて動いているものを1~2度見た記憶がある。他の虫は串から外して1つずつ食べたが、これは串のまま囓る。サソリ同様、外側はサクサク(※ガサガサとも言える)、中はグレイな内臓だが、「こっちは薬っぽいですね」とIさん。確かに、ちょっと漢方系の香りがする。「Iさんは素晴らしい。常に冷静で適確な指摘をしてくれるこの女性が初めから居合わせてくれたら、私たちも虫を生で食べずに済んだだろう」と心底残念なほどだ。さてさて。虫の盛り合わせで、どれが一番美味かったか。答えは巨大ムカデ。実際、“取材”を終えて他の普通の料理(※こちらも美味しい)も頼んでいるのに、私はどうしてもムカデに手が伸びてしまう。理由はバランスの良さ。他の虫はハサミとか頭とか形状にばらつきがあるが、ムカデはどこを齧っても足・殻・内臓と均一で適度な香り・苦み・食べ応えがあり、火の通り具合も良い。生では超絶なゲテモノが、見事なつまみになっている。腕の良いシェフと“火の利用”を発見した人類の叡智に乾杯である。


高野秀行(たかの・ひでゆき) ノンフィクション作家。1966年、東京都生まれ。早稲田大学第1文学部仏文科卒。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)・『アジア未知動物紀行』(講談社文庫)・『世界のシワに夢を見ろ!』(小学館文庫)等著書多数。


キャプチャ  2017年4月27日号掲載

テーマ : 海外旅行
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【警察・腐敗する正義】(16) 時には摘発、時には癒着…風俗と警察の腐れ縁

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風俗と警察は切っても切り離せない関係だ。店の存続に関わる風営法や売春防止法の運用は、其々の警察に裁量が任されている。風俗店で実質的に合法なのはデリへルのみ。暫定的に営業が認められている本番サービスのソープランドとか、立地が営業禁止区域に該当する既存の店舗型へルスやピンサロといったグレーゾーンの業態は、いつ摘発があってもおかしくない。風俗店にとって、警察対策は頭の痛い問題である。一方、警察には其々の所轄毎に摘発ノルマがある。その達成の為にターゲットにし易いのは、グレーゾーンで営業する店舗型風俗店だ。風俗店は、「暴力団の資金源だから摘発した」等と大義名分を付け易く、摘発しても市民から苦情が来ることは無い。ノルマ達成という内部事情をクリアする為の格好のターゲットとなっている。警察事情に詳しい大手週刊誌記者に話を聞いた。「風俗店・ストリップ劇場・外国人パブの経営者や店長は其々、警察対策をしています。一番ポピュラーなのは、所轄の生活安全課の刑事に遊ばせること。外国人パブだったら無料で飲ませたり、ヌキが好きな刑事には無料か、若しくは女の子に支払うお金だけで遊ばせたりしています」。地元の警察官に性的サービスを無料提供し、仲良くなるという戦法である。取締りや摘発の情報は、所轄の生活安全課では共有されている。生活安全課の刑事に貸しを作れば、情報をリークしてくれる可能性も高まるのだ。「署長が交代した時には、風俗店から警察にお金が集まる。風俗店や組合が新署長に祝い金を渡す訳です。『歌舞伎町の管轄では、署長が代わると1億円以上が集まる』なんて噂もありました。纏まったお金は、何人かの幹部で山分けするようです。最近は警察の内部監査が厳しくなって減っているようですが、少なくとも2000年代半ばまでは、風俗店が署長に現金を包むのは常識でした」(同)。地域にもよるが、繁華街を管轄に持つ警察には、基本的に風俗店からの賄賂が飛び交っている。中には、あぶく銭に溺れる署員もいるという。

生活安全課の刑事の仕事は、管轄内の繁華街を自分の足で歩き、生の情報を集めること。刑事は其々、個人の裁量で街の風俗関係者と繋がりを持ち、情報を集め、悪質な店舗を摘発する。刑事は、風俗関係者と情報収集の段階で繋がりができる。知り合った経営者や店長に誘われ、無料で遊んだり、小遣いを貰ったりといった親密な関係になる場合も多い。「遊んだ見返りは情報提供です。末端の刑事が其々の風俗店に、摘発や内偵の情報を流す。刑事も借りのある店には捕まってほしくないから、知っている情報を流して逃がす訳です。所轄刑事と風俗店は、どこもそんなズブズブの関係で、情報が漏れている。警視庁や県警の上層部も、それはわかっています」(同)。所轄警察署が担当すると、風俗関係者に情報が漏れる。その為、「本庁の意向で必ず摘発する」という案件では、違う所轄に担当させるという。警察と風俗店の癒着はあまりにも大量過ぎる為、揉み消されるケースが多い。警察も、風俗関係者と人間関係を築かなければ、有力な情報を得ることができない。警察と風俗店には、持ちつ持たれつの関係があるのだ。2013年9月、『国際オリンピック委員会』が2020年夏季オリンピックの開催都市を“TOKYO”と発表し、多くの国民が歓喜の声を上げた。そんな世間の浮かれ具合とは裏腹に、落胆に暮れていた人々もいた。そう、東京の性風俗関係者である。日韓ワールドカップや洞爺湖サミット等、過去の例を見ればわかる通り、国際的な催しと風俗の浄化作戦はワンセットになっているからだ。現在、風俗関係者は、東京オリンピックに向けた浄化作戦に怯えている。警察や行政は、「外国人たちに綺麗なTOKYOを見せたい」と考えている。摘発対象は、街に風俗の看板を掲げる店舗型の可能性が高いが、無店舗型も例外とは言い切れない。吉原・池袋・渋谷・錦系町・歌舞伎町・上野・大塚・巣鴨・高円寺・吉祥寺・立川・町田――。どこも店舗型風俗店が数多く存在する東京の地域である。東京オリンピックを前に、各風俗街の同業組合や地元組織は危機感を強めている。コンプライアンス遵守や、ボッタクリやキャッチを撲滅しようと自ら奮起しているのだ。「風俗店は反社会勢力とは無関係で、地域のルールを守り、外国人客も安心して遊べる」と、警察や市民にアピールする為だ。警察が徹底的に浄化作戦をするとなれば、風営法を改正して摘発をすることになるだろう。営業禁止区域を広げるだけで、店舗型風俗店を絶滅させることは可能だからだ。風俗店だけではなく、ラブホテル・レンタルルーム・アダルトショップ・出会い喫茶・テレクラ等、東京の“ウラの文化”が絶滅の危機に曝されているのだ。 (取材・文/ノンフィクションライター 中村淳彦)


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【憲法考・施行70年】(01) 改正論議、じれる首相

日本国憲法は来月3日、施行70周年を迎える。70年前から一字一句変わらない憲法で、この国の未来を描けるのだろうか? 憲法改正論議の現状を報告する。

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「改正するなら9条だ」――。安倍晋三首相は冗舌だった。今月7日、首相公邸。夕食を囲んだ国会議員らに、9条改正の持論を語り始めた。「(戦力不保持を定めた)9条2項は色々議論になる。そこに触れずに自衛隊をどう書くかだ」。自衛隊の存在は憲法に明記が無い。歴代政権は「自衛隊は合憲である」との立場を取ってきたが、リベラル勢力からは批判が絶えなかった。9条に自衛隊の根拠規定を設けることは、首相を始め、保守勢力にとって憲法改正の本丸だ。自民党が2012年の憲法改正草案で提案した緊急事態条項ではなく、9条に言及したことに、出席者は“首相の強い拘り”を感じ取った。首相は今年2月24日の衆議院財務金融委員会でも、防衛費の増加を批判した日本共産党の議員に苛立ちをぶつけた。「『(自衛隊を)憲法違反だ』と言っておきながら、いざという時は『命をかけろ』(と日本共産党は言うのか)。そんなことはできない」。首相は表向き、憲法改正で踏み込んだ発言を控えてきた。野党の反発を避け、改正の機運を高める為だ。一方で、気心の知れた相手には陰に陽に発破をかけてきた。同月中旬には、自民党組織運動本部の山口泰明本部長を首相官邸に呼び、自民党大会で発表する運動方針の書き換えを指示した。“憲法改正原案の検討・作成を目指す”との表現は、“原案の発議に向けて具体的な歩みを進める”と変わり、発議を目標とすることが盛り込まれた。

先月4日、東京都内のホテルで開かれた保守系の議員連盟の会合でも、「憲法施行70年の節目に、自民党から憲法改正を発議できるよう、議論に入らなければいけない」と踏み込んだ。首相は来年9月の党総裁選での3選を目指し、最長で2021年9月までの長期政権を視野に入れる。だが、衆参両院で改憲に前向きな勢力が3分の2以上を占める“この70年間で最高の政治状況”を、その後も手にできるかは予断を許さない。更に総裁選後には、来年12月に衆議院議員の任期満了を迎え、再来年夏の参院選と国政選挙が続く。憲法改正の実現には「来年秋の臨時国会までには、衆参両院の憲法審査会で改正項目の絞り込みを終える」(政府関係者)ことが望ましく、「首相も残り時間が少ないことは自覚している」(首相周辺)という。ところが、肝心の憲法審査会は足踏み状態だ。昨年の臨時国会以降、実質審議は衆議院は5回、参議院は1回に留まる。ブレーキとなったのは、天皇の退位と憲法を絡めようとした民進党の対応だ。民進党は憲法審査会で天皇制を議題に取り上げるよう求め、与党は「静かな議論が必要だ」と慎重姿勢を崩さなかった。与党内の足並みも思うように揃わない。憲法審査会の自民党メンバーには、「憲法改正は与野党協調で進めるべきだ」との考えが根強い。改正には国会発議だけでなく、国民投票の過半数の賛成も必要で、「与野党が対立して世論の分断を招くことは望ましくない」という訳だ。公明党も「党憲法調査会でゼロから議論する」と、慎重姿勢を崩していない。首相は党大会で、憲法制定に関わった芦田均元首相の言葉を引用した。「芦田首相は敗戦後、『日本はどうなるのか?』と悩む若者たちに、『どうなるのかではなく、どうするかだ』と語った。この気概を持たなければならない」。笛吹けど進まぬ憲法論議を“どうするか”。首相は、次の一手に頭を捻る。


⦿読売新聞 2017年4月25日付掲載⦿

テーマ : 憲法改正論議
ジャンル : 政治・経済

【韓国大統領選2017・安哲秀研究】(下) 文と因縁対決、支持陰り

20170427 05
韓国大統領選で2度目の戦いに挑む中道左派の野党第2党『国民の党』の安哲秀は、保守と左派の2大勢力が支配する韓国政界に、たった1人で舞い降りた“宇宙人”のような存在だ。全国行脚したトークショーで、既成政治に飽き足りない若者の熱望を一身に集め、政治の表舞台に躍り出てから6年。2大勢力の間で埋没するか、両勢力を糾合して“国民統合”を成し遂げるか、正念場を迎えている。前回2012年は、本選で保守の朴槿恵と戦う前に、左派の文在寅との候補一本化で辞退。「組織の無い無所属の悲哀」(選挙参謀)を味わった。保守候補が低迷する今回、文との“因縁の一騎打ち”に臨んでいる。「2012年の大統領選は完走できず、失望した国民がいることはわかっている。その時より1000万倍強くなった」――。今月4日の党候補者受諾演説。安は両手を振り上げ、野太い声を絞り出してこう語り、「ひ弱な姿は過去のものだ」とアピールした。朴・文・安の三つ巴の争いだった前回。文と安の候補一本化に向けた直談判で、文は「一歩も譲らなかった」(同)。安は告示2日前に記者会見し、「(これ以上)対立すれば国民に申し訳ない」と涙ながらに辞退表明した。本選で安が文の応援遊説に駆けつけたのは、選挙戦が始まって10日後。おざなりであることは明白だった。安は投開票当日、結果を見ずに渡米。文は惜敗した。文は今年1月に出版した対談エッセーで、安の応援は「物足りなかった」と吐露。安は「獣でも口にしない言葉だ」と罵り、遺恨の深さが浮き彫りになった。

20170427 06
文との争いは、安が2013年4月の国会議員補選で無所属候補として初当選し、翌2014年3月に文と野党『新政治民主連合』(※現在の『共に民主党』)を結成した後も続いた。2015年4月の再・補欠選で同党が敗北すると、安は党代表だった文の引責辞任を要求。文が拒否すると、安は同年12月、「党革新は不可能との結論に達した」として離党した。安は2016年2月、同党反主流派を率いて、新党『国民の党』を設立した。同年4月の総選挙で、幹部は文がいる『共に民主党』との選挙協力を主張したが、安は「荒野で死んでもいい」と突っ撥ねた。結果は20議席から38議席へと躍進。安は「政治的困難の中で突破力と成果をみせた」と、当時の“意地”を振り返る。しかし、既成政治にどっぷり潰かった安に、往時のカリスマは無い。安に対する若者の熱狂も冷めている。安が足場とする『国民の党』は、全羅道を地盤とする左派の元大統領・金大中の信奉者集団。安が打倒を叫ぶ“古い政治”・“地域主義”そのものだ。若者の支持は寧ろ、朴の弾劾要求集会に参加し続けた文に向かう。文は、保守系政党から連帯論がある安を、「(朴)政権延長の代理人」と批判する。出馬直後、文に肉薄した安の支持率は、ここへ来て失速している。社会コンサルタント会社『オピニオンライブ』世論分析センター長の尹熙雄は、「文を当選させたくない保守票が、テレビ討論をみて安から離れ、組織固めを進めた保守系候補に流れた」と分析する。“金大中党”にいながら保守票に手を伸ばす安は、今月19日のテレビ討論会で、金大中の対北朝鮮融和政策を継承するか問われ、「良いところも悪いところもあった」と歯切れの悪さを曝した。10日付の朝鮮日報社説は、「文は(朴)弾劾、安は文に対する幅広い拒否感のおかげで2強になったが、多くの有権者は(2人とも)大統領に相応しいか疑問視している」と批判した。勝利のカギは、「“アンチ文”を超える国家ビジョンと価値」(5日付同紙社説)を示せるかどうか。安は「あらゆるものがインターネットに繋がるIoT等を活用した第4次産業革命で韓国経済を活性化できるのは、IT企業家だった自分だけだ」と説き、最大の武器である頭脳と商才をアピールしている。 《敬称略》

               ◇

ソウル支局 宮崎健雄が担当しました。


⦿読売新聞 2017年4月22日付掲載⦿

テーマ : 中朝韓ニュース
ジャンル : ニュース

【韓国大統領選2017・安哲秀研究】(中) 企業家で成功、頑固者

20170427 04
抜群の頭脳を持ち、企業家としても成功。蓄財には関心が無く、社会貢献に熱心――。韓国大統領選に挑む野党第2党『国民の党』の候補・安哲秀(55)は、韓国社会で典型的な“優等生”と見做されているが、指導者としての資質は賛否両論に分かれる。韓国メディアによると、安は少年時代、内気で口数が少なく、時計やラジオ等機械を分解するのが好きだった。将来の夢は“人類を救う科学者”だったが、釜山で開業医をしていた父親の勧めでソウル大学医学部に進学。患者と向き合うより、1人で病気の原因を探る病理学の研究を選んだ。医学博士課程で人生初の転機を迎える。使用していたパソコンがコンピューターウイルスに感染したのをきっかけに、徹夜を続けて対策ソフトを開発。一般国民向けに無料で配布した。1995年、新興企業『安哲秀コンピューターウイルス研究所』を創業した。社員の給料を支払う為に借金を重ねた。アメリカの情報セキュリティー会社から「1000万ドルで買収する」と提案されても、「従業員が解雇され、国民は無料のウイルス対策ができなくなる。お金より公益が重要だ」と断った。会社が軌道に乗ると、1500億ウォン(約142億円)相当の持ち株を投じ、教育や雇用創出の慈善団体『トングラミ財団』を設立した。安と10年来の知人は、「貧しい地域の開業医だった父親の影響で、公益に関心が強い」と話す。

安は、テレビ番組の出演をきっかけに2011年から、全国25都市を回りながら、若者向けのトークショーを行い、就職難や非正規労働等に悩む若者に希望を語りかける活動を開始。トークショーの主催財団と関係があった元大統領府経済首席秘書官の金鍾仁、元駐日大使の崔相龍、元環境大臣の尹汝雋らが安の政界入りを後押しし、一気に次世代政治リーダーとして注目を浴びた。しかし、安の元側近は、安が前回2012年の大統領選出馬を断念した際、「発表30分前に知った」と証言。「1人で決定する企業オーナーのやり方を政治でも続けている」と語った。安の周辺からは“頑固者”という評価も聞かれる。安は2013年4月、国会議員に初当選して野党生活を始めた。政界筋によると安は、共に野党の共同代表を務めたキム・ハンギルや、元大統領・金大中の側近で『国民の党』代表の朴智元といった“老練な有力政治家”の言いなりになることもない“手強い一面”があるという。安は2度、野党代表に就任したが、選挙敗北の責任等を取って辞任。側近から、「責任感が強過ぎる分、粘りが足りない」との不満が零れる。政治家として勢力作りに不可欠な包容力や意思疎通の不足も指摘される。母の影響で、妻にも敬語で話す。軍医時代は部下にも敬語を使い、恐縮させた逸話が残る。周辺からは、「参謀とよく議論するが、YES・NOを言わない」「政策提案したのに反応が無く、安の元を離れる人もいる」との声も聞かれる。韓国の歴代大統領は様々なタイプに分かれる。部下の話をよく聞く盧武鉉。開確な指示を上から下ろす李明博。密室で1人で決める朴槿恵。安は昨日、『韓国放送記者クラブ』の討論会で、側近や閣僚との意思疎通不足を批判された朴槿恵との共通点を指摘され、「(安が)国会議員になってから補佐官23人が交代した」として、リーダーの資質を問われた。安自身、「企業経営の時に従業員に顔色を読まれないよう、感情表現をしなかった。政治家としては欠点」と認めている。「安が当選すれば、国会(※定数300)で39議席しかない“国民の党”は、連立を余儀なくされかねない」との見方もある。安は「派閥に囚われないドリームチームを作る」と強調するが、チームワークで采配を振るえるのかどうか問われている。 《敬称略》


⦿読売新聞 2017年4月21日付掲載⦿

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