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【ここがヘンだよ日本の野党】(08) 志位和夫に転向のススメ





20190227 10
前略 日本共産党委員長・志位和夫様

退院お祝い申し上げます。頸椎の傷も癒えられ、復帰なさるとの由、心からお喜び申し上げます。安倍晋三総理の自民党総裁選が確実視される中、一強体制が齎す閉塞感は日本を覆い尽くしています。モリカケ疑惑のように、総理のお友だちばかりが甘い汁を吸い、貧富の差は拡大する一方の現状に、多くの国民は不満を募らせています。自民党総裁選挙を前にした世論調査の多くでは、自民党支持者以外の有権者は石破茂氏を安倍総理以上に支持しているではありませんか。対する野党は、『松下政経塾』出身の頭でっかち、嘴の黄色い有象無象が離合集散を繰り返し、全く無力です。閉塞状況を打開できる野党は御党以外にないと深く確信し、我が国とその政治を回天させる秘策をご提示致すべく、この書状を認めました。反共学生だった私は、何を血迷ったのか、1980年代に御党の友党である中国共産党治世の大陸に遊学しました。当時は今から想像できぬほど貧しく、民主集中制と標榜しながら自由も民主もカネもない暗黒大陸でした。一方の我が国はジャパンアズナンバーワン、我が世の春を謳歌、高度経済成長を実現させた自民党こそ正しいと感じざるを得ませんでした。ある夜、同学と安酒を呷りながら青臭い議論をし、「帰国後は自民党に入党する」と酔余の末に口走って、御党を支持する進歩的同学に“総括”されかかったことがあります。しかし、そんな反共・反動であった私ですら、知らず識らずの内に御党に心を奪われているのが、現在の政治状況であります。

2015年9月、委員長は国民連合政府構想を打ち上げられ、1人区での野党統一候補者擁立と独自候補の取り下げという選挙協力に踏み切られました。戦前・戦中・戦後を通じ、一貫して変わることなく戦ってきたと独善的な偽りの看板を掲げてこられた御党が、コペルニクス的大転回をされたのかと大いに目を見張りました。平和憲法施行の際には、受け入れられないとした御党が、今では護憲の守護神を自任されている――。そんな変節に目を瞑っても好感せざるを得なかったのです。2016年参議院選挙で反自民野党勢力は1人区で11勝と、前回の2勝から大躍進したことが、御党への期待が元反動学生だけではなかったことを物語っています。丁度1年前、小池百合子という新たなトリックスターは、反安倍一強支配の民意を見事に集約するかに見えました。しかし、民進党代表の甘さと自身の排除発言から、野党共闘は雲散霧消。一強支配を更に強固にさせただけでした。しかし安倍政権は、高度経済成長を実現し、全国至る所が焼け跡だった敗戦国を20年足らずで世界の一等国に復帰せしめた自民党とは、大きく乖離しています。野党が結集して安倍政権を打倒するしか、この国に未来はない。御党とその前線に立たれている委員長こそキーマンであると確信しております。昨年の総選挙では、野党候補が一本化できていれば84選挙区で逆転可能だったと耳にすれば、その思いは強まるばかりです。金権政治家の代名詞である田中角栄は、味方を増やすのではなく敵を少なくすることこそ政権を握る要諦と心得ていました。今、御党に求められているのは、この角栄精神以外の何物でもありません。御党の友党である中国共産党は、自身よりも圧倒的に強大だった蒋介石率いる中国国民党と国共合作を結び、騙され騙した末に政権を奪取しました。その間には、結党以来の農地解放等の重要綱領を凍結・棚上げしています。これは、御党では最も忌み嫌われる大転向でありました。偽装ではあったかもしれぬこの大転向こそが、政権に導いたのではありますまいか? また、友党は1978年以来、共産主義の看板を下ろさずに改革開放という大転向を遂げて、政権の座を維持。今や世界の誰一人として、友党を共産主義政党とは認めることはありません。そこで以下、具申致すものであります。転向されては如何でしょうか? 御党は戦前・戦中・戦後を通じて、多くの転向者を輩出されました。その多くは各界で成功を収められています。政財界の黒幕で、1960年安保の際には総理の外祖父と対立した田中清玄、経済界から『フジテレビ』初代社長に転じ、マスコミに君臨した水野成夫、そして現在のマスコミのドンにして、総理の指南役である『読売新聞』主筆の渡邉恒雄――。皆、御党からの転向者であります。日本のインテリ中のインテリであり、厳しい党内闘争で鍛え上げられた彼らは、転向することで闘争能力を更に向上させたのですから、功成り名を遂げたのは当然の理です。そして彼ら転向者は、この国を良くしたいとの理想を左右の思想の別なく実現したのです。委員長は東大ご卒業。現在の政党党首の中では屈指の学歴をお持ちになり、その明晰な頭脳は、『ポツダム宣言』を巡る党首討論の論理構成で政界屈指であることが証明されています。また、宮本顕治議長の罷免を求め、分派活動を企んだ東大大学院の同志を粉砕されて頭角を現された実績は、闘争能力の証明でもあります。頭脳・党内闘争の実績とも、先に挙げた先達と遜色ない委員長が転向されれば、先達と同様、いやそれ以上の功績をこの国に捧げられることは間違いないと確信するものであります。

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【水曜スペシャル】(05) “奇跡のバナナ”商法の陰に豊田通商…「3本指に入る笑える話」、捨て値で3社間の転売





20190227 08
ショッピングモールがバナナの研究開発施設に早変わり――。こんな狐につままれたような不動産投資話が降って湧いている。舞台は、『豊田通商』が福岡県水巻町に開発した複合商業施設『グランモール』。カネ集めに邁進するのは、あの『みんなで大家さん』である。北九州市の西隣にある水巻町の国道沿いに豊田通商が約7万㎡の土地を取得したのは2008年4月のこと。元々、一帯は1990年代から地元の不動産業者が中堅ゼネコンと組んで開発を目論んでいたらしく、実現しないまま、2007年に新興不動産会社の『ゼクス』に転売され、最後は豊田通商の手に渡った。当初、投資額100億円と伝えられたグランモールが全面開業にこぎ着けたのは2011年7月。建物の延べ床面積は約4万6400㎡に及んだが、核テナントの誘致は迷走。最終的にはディスカウント店『ラ・ムー』と地元資本のホームセンターに落ち着いた。そんな苦難の船出もあり、客足は低迷。次第にテナントは歯抜け状態となる。インターネット上では“明るい廃墟”と揶揄される始末で、豊田通商のホームページでも過去の関連リリースが一時見られなくなった。この時、豊田通商は不動産を手放して事業から撤退したわけだが、その際の取引は少なからずトリッキーなものだった。登記簿によると、一連の取引が行なわれたのは昨年6月26日。売却先は、東京都目黒区の『MEP福岡』なる合同会社だった。同社の代表社員は当初、『ジャスダック』上場の投資アパート開発会社『明豊エンタープライズ』。が、同じ日、合同会社の代表社員は『都市綜研インベストバンク』なる東京都千代田区の会社に変更され、本店所在地も目黒区内から千代田区内へと目まぐるしく変わってしまう。

「あの物件は固定資産税評価額が凄く高く、その分、流通税(※取得税・登録免許税)がかかる。それで法人売買の形をとった」。そう説明するのは明豊エンタープライズだ。売買価額は不明ながら、豊田通商は固定資産税評価額よりうんと低い捨て値で手放したのだろう。実態として、不動産は1日の内に3社間で転売されたわけだが、この場合、明豊エンタープライズは仲介会社と見做せる。こうしたケースで全てを売買処理するのは、中間業者が法令で定められた手数料の上限(※取引額の3%)を超えて鞘を抜く手法として、業界では知られている。扨て、問題は最終的な買い手となった都市綜研インベストバンクである。共に柳瀬健一(※通称“公孝”)氏が代表取締役を務める兄弟会社の『都市綜研インベストファンド』(大阪府吹田市)は、何かと騒がしいみんなで大家さんの運営会社なのだ。不動産特定共同事業法に基づく投資商品であるみんなで大家さんのスタートは2007年。賃貸収入を元に、年7%前後の想定利回りを謳い、個人投資家から1口100万円で出資金を集めてきた。が、その運営は杜撰。2013年には粉飾決算が発覚し、業務停止2ヵ月の行政処分を受けている。対象不動産が抵当に入れられているケースも続発。元本償還は遅延が相次ぎ、複数の投資家から訴訟も起こされた。運営が続いてきたこと自体、奇跡的だが、更に輪をかけて不思議なのが、ここ1年でカネ回りが急速に良くなり、対象不動産の買い漁りを加速させている点だ。昨年1月には112億円もの資本増強を行なったと公表。実際、この前後に元本償還の遅延は解消した模様だ。公表決算によると、昨年3月末の受入出資金は前年度から6割増の198億円で、現在は更に増えている可能性が高い。現在、出資金集めで格好の広告塔となっているのが、皮ごと食べられるというバナナの栽培技術だ。種子を-60℃程に凍らせ、徐々に常温に戻す凍結解凍覚醒法を用いれば、苗の成長速度は驚異的に上がり、果実の糖度も増すという。発明したのは田中節三氏という民間研究者。高等教育を受けていないというこの人物の経歴は中々のものだ。四国で古紙再生業や中古船輸出業を手掛け、一頃は羽振りがよかったものの、破綻。この間に2度の個人破産を味わっている。そんな末、岡山県内に腰を落ち着け取り組んだのが、前述の栽培技術。それを確立させると、甥っ子の会社『D&Tファーム』を前面に押し立てて資金集めを始めた。「(青果物メジャーの)ドールが技術を買ってくれると言っていたが、ここ数年で3本指に入る笑える話だった」。そう話す投資関係者は3年前に訪問を受けたが、「相手にしなかった」と振り返る。

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【マーケティング神話の崩壊】(06) ブランド論は何故神話なのか

ブランディング、ポジショニング、CRM(※顧客情報管理)等のマーケティングの考え方は、実務の現場でどのように理解され、どのように活用・機能しているのだろうか? 何が神話であり、何が科学なのか? 現実を踏まえた実務の着地点はどこかを、順に検証していきたい。ブランド論は多くの人が関心を持つトピックだ。例えば、筆者がマーケティングの専門誌に寄稿した記事の場合には、ブランドについて論じたものは、ウェブに転載されると、更にニュースサイトにも取り上げられ、マーケター以外の一般読者からも反響がある。我々は消費者として、ブランドに囲まれて生活している。『スターバックス』でコーヒーを飲み、『Apple』のスマートフォン『iPhone』でニュースを見る。本誌もメディアブランドの1つだ。何故、我々はブランドに魅了されるのか? その魅力の源泉は何なのか? そして、どうしたら自社のブランドを強化できるのか? Appleや、その祖であるスティーブ・ジョブズを思い出してほしい。彼が亡くなった日、Apple本社に虹がかかったのを見たという現象が、SNS上で話題になった。これは、Appleファンが彼の存在を神格化していることを示している。Appleブランドは、現代において神にも近い存在かもしれない。

また、ブランド論の大家であるデヴィッド・アーカーが経営する経営コンサルティング会社名は『Prophet』という。この意味は預言者、つまり神の言葉を預かる者だ。1980年代に“ブランドは資産である”という考えを打ち立てて以来、ブランド論をリードする大御所の一人であるアーカーが、自ら神秘的で非合理的な預言者を名乗っていることは興味深い。ブランド論は、中世になってキリスト教神学がトーマス・アクィナス(1225頃-1274)らによって哲学的に体系化され、論理付けられたことと似ている面がある。中世のキリスト教神学で盛んに論じられた“神の存在証明”は、文字通り神の存在を論理的に証明しようとした試みだ。アラブ世界との交流が始まり、逆輸入されたギリシア哲学が再び脚光を浴びる一方で、都市が発達し、人々の倫理観が堕落していった当時のヨーロッパにおいて、キリスト教はその教えの正しさを論理的に説明する必要に迫られた。森羅万象には秩序があり、秩序が保たれる為には管理者が必要だ。その管理者こそが神であり、宇宙に秩序がある以上、神は存在する。この話には理屈が通っているが、キリスト教神学ではそれが科学的に証明されることはない。誰も実態を実証できないブランドについて議論を戦わせる今日のブランド論も、これに似ている。ブランドが発信する哲学が人々の共感を呼び、その共感がファンを生み、ファンが新たなファンを呼び込み、堅強なシェアが構築される。その理屈は通っており、哲学を持ったブランドの成功例としてAppleが引き合いに出されるが、分析サンプルはそれひとつだけで、ブランドとシェアの因果関係や相関関係を示す確かなデータが示されることは稀だ。これがブランド論に潜む神話性である。


井上大輔(いのうえ・だいすけ) 『ヤフー』メディアカンパニーエヴァンジェリスト。『ニュージーランド航空』にてオンラインセールス部長、『ユニリーバ』にてデジタルマーケティング&eコマースマネージャーを歴任し、2019年2月から現職。著書に『デジタルマーケティングの実務ガイド』・『たとえる力で人生は変わる』(宣伝会議)等。


キャプチャ  2019年2月23日号掲載

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【日本の聖域】(59) 癌検診――寿命が延びる科学的根拠は一切なし、“癌検診ムラ”の守護神は天下の公明党

20190227 07
癌は早期発見が大切と、癌検診を呼びかける声が日本では溢れているが、実は癌検診が総死亡率を下げるという科学根拠を示すデータは無い。海外では検診を行なうことのマイナスを指摘する学術論文も多いのだ。例えば、血液検査等初期の検診で癌の疑いがあるとされた場合、今度は身体から細胞を取り出して生体検査を行なうのだが、これが原因で身体に異常をきたすという本末転倒なケースもあるのだ。また近年、検査精度が向上したことによって、僅かな異変でも発見、癌と診断されるようになった。そして、本来であれば放置しておいても問題のない病状にも、早期治療の名の下、手術を始め、全身への化学療法や放射線治療等、身体に大きな負担をかける癌治療が行なわれ、そのダメージが寿命を縮めてしまっているケースもある。そのような癌検診のデメリットを、マスコミは殆ど報じない。

これは医療行政が戦前、徴兵制の時代から続けてきた“健康診断=全ての国民が受けるべきよいこと”という洗脳が効いていることに加え、健診や検診がひとつの大きな産業として成立していることが大きい。癌検診があるほうが、医師等の医療関係者、治療機器や薬を提供する企業、そして行政や政治に関わる関係部署にいる多くの人がハッピーになる。そして、その“癌検診ムラ”とも言うべき既得権益の守り神となっているのが公明党だと言われている。現在の癌政策の基礎になっているのは、2006年に制定されたがん対策基本法だが、これは公明党の神崎武法代表(※当時)が癌の早期発見・早期治療の必要性を訴え、その骨子作成に関しても公明党が主導的な役割を果たしていることが影響している。現在は、接種後に体調不良を訴えるケースが30例以上報告された為、積極的な接種が行なわれなくなった子宮頸癌ワクチン。その早期承認と公費助成を推進した松あきら氏が、当時、公明党副代表だったことからもわかるように、永田町で癌検診の整備強化を推進しているのは同党だ。この背景には、創価学会の池田大作名誉会長が癌に特別な思い入れがあるからといわれる。池田名誉会長と共に信仰の道に入った兄の池田清信氏は胃癌で亡くなっている他、 過去に対立した石田次男氏(※元参議院議員)が膵臓癌、評論家の内藤国夫氏が食道癌で亡くなっていることから、“癌=仏罰”という恐怖があるというのだ。癌検診への批判がタブー化しているのは、創価学会の影響があるのかもしれない。 (フリーライター 一条しげる)


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【自民党研究】第1部・地方と党員(14) 権力への執念、野党と差――小沢一郎氏(自由党共同代表)インタビュー

20190227 06
――政治改革を掲げて自民党を離党した。改革の成果をどうみるか?
「政権交代可能な議会制民主主義を作ることを最大の目標にしていた。(1996年の衆院選から)小選挙区制を導入しても、最初は自民党が勝つと思っていた。それでいい、と。自民党が勝つのは精々1~2回で、必ず野党が候補者を一本化して自民党は負けると思っていたから。結果として2009年に政権交代を経験し、政治改革は着実にいい方向に向かっている。自分たちの1票で“絶対に負けることのない自民党”を変えることができるという意識は、国民の頭の片隅にこびりついている。それだけでも大いなる前進だ」
――自民党が平成の30年間で変わったところは?
「人材がいなくなった。『小選挙区制を導入したせいだ』と言う人もいるが、それは間違い。イギリスを見てほしい。イギリスではテリーザ・メイ首相に対しても、ダメだと反論する与党議員が沢山いる。自民党にはそういう議員がいない。首相・総裁の力が強くなったのはいいが、党内で意見を言えないというのでは全然ダメだ。以前の自民党は、それなりに鍛え上げられてきた議員がいた。反主流派の人たちが政権に対して文句も言っていた。今の自民党は沈黙する羊の集団のようになった」
――自民党議員の活動ぶりの変化をどう見るか?
「地元活動が少なくなり、有権者との関係が弱くなったようにみえる。イギリスで外務大臣と会った時、『金曜の晩に中東に行き、土日は選挙区でティーパーティーと戸別訪問をやって、月曜の朝に貴男と会っている』と言われた。『大臣でもそんなことをやるのか?』と聞いたら、『当たり前だ。民主主義の当然のコストだ』と言っていた。今の議員はインターネット上の活動ばかりやっているように見えるが、特に日本ではイギリスやフランスと比べてインターネットの影響は薄い。直接、有権者に接することが大事だ。一言でもお互いに声を掛け合うだけで気持ちは通じる」
――自民党の地方組織の力をどう感じているか?
「自民党の地方組織が強いのは、長年のどぶ板選挙のおかげだ。だが、今の若い自民党議員はどぶ板の活動をやらなくなっている。時の政党へのイメージだけで、風に乗って当選してしまう傾向がある。小選挙区制の悪い点があるとすれば、そこだろう。他人任せな議員が増えた。公明党・創価学会が離れていったら、自民党はガタガタといくだろう。今、農村部の自民党離れは大きい。農業従事者があれだけ一生懸命、自民党を応援しているのに、安倍内閣は農業を潰すような政策をとっている。特に東北と北海道で批判が強いが、西日本だって一緒だ。自民党の足腰は弱っている。だから、風が吹けば、いっぺんに野党が議席を取る」
――自民党と野党の最大の違いは何か?
「自民党は、権力というものが何かをよく知っている。政権を取らないと何もできないということをよく理解している。(1994年の自社さ政権誕生の際)自民党は社会党と一緒になってまで、非自民政権を潰した。権力に対する物凄い執着と執念は、野党の連中の比ではない。自民党は権力の為なら、対立を乗り越えて一緒にやる。野党とは大人と子供みたいな違いだ。良くも悪くも、自民党は大人で、野党は子供の喧嘩をしているようなものだ。逆に言えば、野党が少し変わるだけで自民党は吹き飛ぶだろう」 =おわり

                    ◇

十郎浩史・芳村健次・今井隆・米川丈士・田島大志・八角一紀・阿部真司・小野健太郎・遠藤信葉・岡田遼介・木村優里・深沢亮爾・淵上隆悠・原尚吾・草竹敦紀・小川洋輔(富山支局)が担当しました。


キャプチャ  2019年2月25日付掲載

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【自民党研究】第1部・地方と党員(13) 中選挙区の遺産、今なお――佐々木毅氏(東京大学名誉教授)インタビュー

20190227 05
――平成の政治改革、選挙制度改革の成果は?
「自民党の金権政治や派閥政治に関わる根幹部分を手術したことで、リクルート事件のような大きな疑獄事件で政治が忙殺されることをなくした意味はあった。冷戦が終結し、バブル経済が崩壊する中で、自民党が最も危機意識を持ち、党内から改革の動きが出てきたのは大きかった。政策で勝負する以前に、政治とカネの問題でエネルギーを使うような時代を早めに清算しないと、今後身動きが取れなくなると考えたのだろう。政官業の癒着を防ごうと政党交付金を導入し、中選挙区制を廃止した。多くの人が夢見たような政治の姿に到達したかと言えば、未だ色々と課題はあるが、あの時から政治は継続して改革に努めるというスタートラインに立った。政治が自ら犠牲を払うことで、その後の地方分権や規制改革等様々な問題で、主導権を握って取り組む為の一つの跳躍台にもなった筈だ」
――小選挙区制の導入で、政党や政策が主体の選挙になる筈だったが、自民党内では未だ後援会主体の選挙が色濃い。
「中選挙区制は根を張った制度だったので、簡単に消えるものではない。長い時間の中で、自民党は地方にそれなりの基盤を持っている。小選挙区制を政党が使いこなし、政策的に質の高い選挙に辿り着くには、未だ時間がかかるだろう。逆に言えば、自民党は小選挙区制になっても、これまでの蓄積・伝統によって相対的な優位性を享受していると言える。世襲議員もそうだ。有権者側にも、自民党に対するノスタルジックな感情があると思う。ただ、そうした遺産はいつまでも続くものではない」
――自民党の政策は変化してきたか?
「高度経済成長以来、自民党が官僚制と一体となって作り上げてきた護送船団方式、利益配分の仕組みは、1990年代の金融危機で崩壊したと考えている。これらの後始末に追われた結果、世界に例を見ないほどの包括政党である自民党は、社会保障政策では昭和時代に作られた制度の“繕い”に終始し、財政規律からも目を背けてきた。結果として、日本社会の安定に寄与したとも言えるが、平成時代は民主党政権も含め、将来に向けた政策的展開で目覚ましい進展があったとは言えない」
――国会議員より地方議員のほうが強くなったとの指摘がある。
「地方議員の任期は4年で、参議院議員は解散がなく6年だが、衆議院議員は頻繁に解散される為、政治の時間軸が短くなって、地位も軽くなった。これが、“首相一強”の問題や、自民党内の事前審査制の形骸化にも繋がっている。政党論としては深刻な問題だが、現状では地方議員を巻き込んだ党内議論が非常に弱い。党内民主主義の問題と言える。突破口があるとすれば、国会改革だ。国会を政府に対する議員たちの質疑の場にせず、首相や閣僚の出席をごく僅かにし、ヨーロッパのように政党が審議権を掌握してはどうか。平成時代の手直しではなく、政治システム全体を良くすることを積極的に考えるべき段階に来ている。衆議院議員、特に若い議員には、平成デモクラシーに続く新しい運動を起こしてもらいたい。新しい御代の始まりに、政治に関する提言が積極的に出てくることを期待したい」


キャプチャ  2019年2月23日付掲載

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【自民党研究】第1部・地方と党員(12) ナタとカミソリ、信頼感――綿貫民輔氏(元衆議院議長)インタビュー

20190227 04
――自民党富山県連の会長として“保守王国”を築いた。
「会長就任の2年前の知事選が保守分裂になりかけたが、一本化に尽力し、全国でも珍しい自民党公認の知事を誕生させたのが大きかった。私は県連会長を18年務め、中沖豊知事は6期連続で安定した県政を進めたことが、発展に繋がった。県連幹部のポストに短期間で順繰りに就くところが多いが、私が会長の時は幹事長を県議に長くやらせて、県議会を纏めた。富山市議会も嘗て自民派閥が3つあってガタガタだったが、これも一本化させ、富山の自民党の力を結集した」
――富山県は有権者数に占める自民党員数の比率が全国一だ。
「天下国家の課題には大鉈を振るう、地元の陳情にはカミソリで剃るようにきめ細かく対応するという意味で、“ナタとカミソリ”を政治信条としてきた。カミソリを使うように、農業、中小企業、豪雪対策、治水等に関する地域の要望を叶え、『自民党でなければダメだ』という意識を持ってもらったことが、党員増に繋がった。保守系の市町村長にも党員集めに協力してもらった」
――巨大な後援会も組織した。
「自ら会って陳情を聞くことで信頼を得て、組織を広げていった。支援者の名前と顔を覚えるのは得意だったが、選挙に強くなるのはそれしかない。1万人の顔と名前が会ったときにパッとわかるようになれば、永久に当選できると思う。田中派や竹下派に所属したが、田中角栄さん(※元首相)は所属議員に『兎に角、地元を回れ』ということを言っていた。私もそれを忠実に守って、同じ派閥の議員の力も借りて地盤を厚くしていった」
――2005年の郵政選挙で自民党を離党し(※後に除名処分)、国民新党を旗揚げした。
「自民県議らから『無所属なら応援できるけど、他の党ならできない』と言われたが、『一人もついてこなくていい」と言って堂々と旗を立てさせてもらった。後援会の自民党員を集団離党させる考えもなかった。国民新党を自民党と対抗する大政党にする考えはなかったし、自分の身を守るので精一杯という面もあった。それでも、多くの後援会員や自民党員が“綿貫党”として支援してくれたのは嬉しかった」
――2016年に自民党への復党が認められた。
「最初に復党の話があった時は『そんなものに関心はない』と言っていたが、二階幹事長が『立派な人を無所属で放っておくのはおかしい』と一生懸命やってくれてね。自民党議員から賛成の署名も集まったので復党した。自民党の強みというか、元に戻ったら壁のようなものは全くない。私の所には自民党議員から沢山の相談事が寄せられている」
――今の自民党をどう見ているか?
「小泉内閣での郵政民営化が象徴的だが、政治のやり方が首相官邸主導に変わってしまい、党が弱くなった。党の地方組織も弱体化してしまった。昔は法案の事前審査制が機能していて、党総務会でも堂々と反対意見が出たが、今は黙って法案を通しているだけだ。政府だけで物事を進めるのは良くない。次の選挙や入閣のこと等があるからか、党内で厳しい意見を言う雰囲気がなくなっている。チェックアンドバランスがもっと必要ではないか。おかしいことにはおかしいと言わなきゃいかん」


キャプチャ  2019年2月22日付掲載

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【自民党研究】第1部・地方と党員(11) 県議と国会議員は両輪――猫田孝氏(自民党岐阜県連会長代行)インタビュー

20190227 03
――小選挙区制になって衆議院議員が“小粒”になったとの指摘がある。
「それは確かだ。今より選挙区が広かった中選挙区の時代は、自分の得意分野を伸ばして活躍する衆議院議員が多かった。岐阜県でいえば、大野伴睦さん(※元自民党副総裁)らが県内を纏め、保守王国の地盤が築かれた。小選挙区制で1選挙区が狭くなったこともあって、全県を束ねるような人はいなくなった。しょうがない。ただ、小さいだけに地域の細かい問題にも目が行き届くようになったのは評価できる。中選挙区制に戻したほうがいいと言う人もいるが、小選挙区制のほうがいい」
――岐阜県では国会議員よりベテラン県議が力を持っている。
「いやいや、国会議員と地方議員が互いに連携することで、県内は纏まっている。例えば、県内の課題には、県議と知事、国会議員と知事が其々対応して、上手く回している。車の両輪だ。県議も各選挙区では国会議員のフォローをしっかりとしている」
――岐阜県議会は定数46の内、自民系会派の議員が33人を占める“自民王国”だ。党員数も多い。
「大野さん以来の保守王国の流れを維持してきたからだ。2017年の党員数は3万8245人と全国5位で、上位を維持している。(有権者数に占める)率も全国5位の高さだ。2018年には4万人を超えた筈だ。驕りが出て、2009年に民主党に政権を奪われた時は減少したが、私が指示を出して、県連所属の議員に獲得ノルマを設けた。県議は1人あたり200人で、今は270人に引き上げた。達成できなければ選挙の時に公認しない。だから、全員が必死になって集める。国会議員のノルマも1人あたり1200人だ。党員が増えれば、自分の選挙に有利になるだけでなく、資金面での支えにもなり、強い県連の維持に繋がる。県連が強ければ、国会議員も国政の場で活動し易い。国会議員が活躍すれば、党員集めもし易くなる。相乗効果だ」
――岐阜県連は2005年の郵政解散を巡り、党本部と対立した。県連と党本部の関係をどう考えるか?
「党本部にも政府にも、言うべきことは言うという姿勢を貫いている。郵政解散の時は13ヵ月間、離党した。安倍内閣による集団的自衛権を巡る憲法解釈見直しについては、党員からも不安の声が寄せられたこともあり、2014年6月に県議会で意見書を纏め、慎重に検討するよう求めた。国会議員は意見書は出すなと言っていたが、『出すべきだ。県民の意思だ』と押し切った。地方の声をきちんと伝えることが、党員からの信頼感を高めることに繋がる。それが我々の役割だ」


キャプチャ  2019年2月21日付掲載

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裁判もゴーン流、“無罪請負人”で抗戦

20190227 02
『ルノー』会長に先月24日に就いたジャンドミニク・スナール氏が初来日し、『日産自動車』の西川広人社長兼CEO、『三菱自動車』の益子修会長兼CEOと会談した今月14日。3者が融和ムードを演出して結束の強さをアピールしたのと同じ日、東京地検では日産元会長、カルロス・ゴーン被告らの刑事裁判に向けた初協議が開かれていた。ゴーン氏の弁護人として出席したのが弘中惇一郎弁護士。郵便料金不正事件の村木厚子氏(※元厚生労働事務次官)や、ロス疑惑の三浦和義氏(※故人)、陸山会事件の小沢一郎氏(※自由党代表)らの弁護人を務め、何れも無罪判決を勝ち取ってきた“無罪請負人”だ。小菅の東京拘置所で日本の寒い冬を過ごすゴーン氏。勾留期間は今月19日で3ヵ月となった。その周辺に突如、動きがあったのは同13日。勾留以来、弁護人を務めてきた大鶴基成弁護士と押久保公人弁護士が辞任、新たに弘中氏らが就いた。元東京地検特捜部長の大鶴弁護士は何故、辞めたのか?

同氏が所属する弁護士事務所は、「特にこちらから話をする予定はない」と口を閉ざす。他の弁護士らは、ゴーン氏と大鶴氏の信頼関係の欠如や、ゴーン氏の側近だったグレッグ・ケリー被告の弁護人の喜田村洋一弁護士と大鶴氏の相性の悪さ等を勘繰る。但し、一つだけはっきりしていることがある。ゴーン氏は裁判で徹底的に争う意思があることだ。抑々、起訴後の弁護人の交代は珍しいことではない。捜査の際の弁護人と起訴後の弁護人では、役割が違うからだ。具体的には、容疑者が捜査段階で狙うのは不起訴で、「特捜OBの大鶴氏なら検察にも顔が利くだろうとみられる」(元特捜検事の弁護士)。時には駆け引きをしながら不起訴に持ち込むのが弁護人の役割となる。だが、起訴後は無罪を勝ち取ることが最大の仕事。特捜OBである必要性は薄れる。この点、弘中弁護士は“反権力で徹底的に戦う人”という評を持つ。弘中氏と共にゴーン氏の弁護にあたるとされる高野隆弁護士も“刑事弁護のプロ中のプロ”として有名で、全面対決するには理想的な態勢と言えそうだ。更に、弘中氏は過去の裁判で喜田村弁護士と多くタッグを組んできた。「2人は気心が知れている。緻密な作業を行なう喜田村氏の能力が発揮される」(ある弁護士)といった指摘もある。14日の裁判所、検察、弁護人による協議では、弁護側は争点を絞り込む公判前整理手続きを求めた。「大鶴氏なら認めたような調書でも、弘中氏は徹底的に不同意にするのでは」との見方も、法曹界にはある。今後、刑事裁判のスケジュールが詰められるが、初公判までには半年程かかる可能性もあるという。それでも、今のゴーン氏にとっては、勾留の更なる長期化は最早問題ではないのだろう。必達目標の達成に向け、人事を尽くして最適な布陣を敷く――。そんな“ゴーン流”が裁判でも貫かれようとしている。 (取材・文/本誌 北西厚一)


キャプチャ  2019年2月25日号掲載

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三菱重工、事業所解体が生んだ新社長

20190227 01
『三菱重工業』は今年4月1日付で、泉沢清次取締役(※右画像)が社長兼CEOに就く人事を発表した。「これまでの改革を定着させるべく、全力を尽くしたい」。泉沢氏は今月6日の会見で力強く、こう宣言した。2013年4月から三菱自動車の品質統括部門の責任者として、リコール問題等に対応した経験を持つ泉沢氏。社長レースではダークホース的な存在だったが、「三菱自動車での活躍を聞き、三菱重工に戻ってもらった」と、4月1日付で代表権のない会長に就く宮永俊一社長は、その実績に太鼓判を押す。それでも泉沢氏がダークホースとみられたのには理由がある。これまでの歴代社長と経歴が明らかに異なるのだ。東京大学教養学部を卒業し、1981年に入社した泉沢氏は、本社技術管理部からキャリアをスタート。潜水艦や原子力発電プラント等を手掛ける神戸造船所(神戸市)で6年勤務したが、再び三菱重工本社に戻り、技術本部で三菱重工全体の技術戦略作りを担ってきた。三菱重工では、他メーカーでは工場に当たる事業所が強い権限を持ち、歴代社長も有力事業所で頭角を現した人物が就くというのが、これまでのセオリー。

例えば、三菱重工発祥の地である長崎造船所(長崎市)からは、1964年に今の三菱重工が発足してから、現在の宮永社長まで14人中6人を輩出してきた。そうした中で、泉沢氏のような特定の事業所の色が薄い人材が社長に就くのは異例だ。だが、今の三菱重工には泉沢氏を登用する“必然”がある。生産のみならず、研究開発から人事、総務、経理までを束ねる事業所モデルから如何に脱却するか――。それが三菱重工の長年の課題だった。右肩上がりの高度成長期なら、事業所が競い合う体制でも全体の業績を押し上げることができたが、日本経済が停滞期に入るとそうもいかない。だから、1999年の社長就任直後に巨額赤字に見舞われた西岡喬氏から今の宮永氏まで、歴代4社長は組織の壁を壊し、事業を整理する改革に邁進してきた。特定の事業所の柵がない泉沢氏のような人物こそ、今後も改革を推し進める上で適任なのだ。泉沢氏が選ばれた理由として、嘗ての技術系トップ・青木素直氏に仕えていたことを挙げる声も社内にはある。大宮英明現会長の社長時代に副社長を務めた青木氏は、ガスタービン等原動機が主力の高砂製作所(兵庫県高砂市)の出身だが、「早くからゼネラルエレクトリックやシーメンスを意識していた」(三菱重工社員)。官公需の微温湯に浸る、旧態依然とした三菱重工への危機感の強い青木氏の薫陶を受けているからこそ、宮永氏も安心して改革の旗振り役を任せられるとの見立てだ。そんな泉沢氏の門出には難題が待ち受ける。国産ジェット旅客機『三菱リージョナルジェット(MRJ)』は、商業飛行に向けた型式証明の取得作業が大詰めを迎えている。稼ぎ頭のパワー事業では、大型石炭火力発電所案件の受注取り消しもあり、立て直しが急務だ。新社長は、どう4兆円の売上高の“巨艦”の舵を取るか。改革路線を踏襲する上でも、失敗の許されない戦いが始まる。 (取材・文/本誌 長江優子)


キャプチャ  2019年2月18日号掲載

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