【百年の森・明治神宮物語】第7部・復興(05) 甦った威容、新時代へ船出
【宇垣美里の漫画党宣言!】(29) 違う国から来た人々を想う
海外旅行が趣味で、世界最強と言われる信用度の日本国籍のパスポートを携えていても、毎回、入国審査は緊張する。係員のじろりと人を見透かすような目線に、「お前は誰だ?」と問われているようで落ち着かない。いわんや、母国を飛び出し、知り合いのいない国へ辿り着いた人をや。深い穴へ落ちていく不思議な入国手続きの描写に笑った後、あの時の足場のぐらつくような、背筋がひやりとする感覚を思い出した。『バクちゃん』は、遠い異星から地球にやって来たバクちゃんの目線から、見知らぬ土地で暮らす者の生活と現実のままならなさを描いている。主食である夢が枯れたバク星から、ひとりで地球の東京にやって来たバクちゃん。いつかは永住権を得たいと思っているけれど、地球での生活はわからないことだらけ。駅のホームでレジャーシートを広げて一服すれば変な目で見られ、総武線で満員電車にぎゅうぎゅうにされたかと思えば、車内で起きた放水で水責めに遭う。その度に目を真ん丸にして驚き、ころころと表情が変わるバクちゃんは、たまらなく可愛い。他の異星人たちも、小さな昆虫やもふもふの毛玉、ロボットといった地球人とは違う多様な姿をしていて、メルヘンチック。優しくふんわりとした線で描かれた彼らは皆、可愛らしく、SFめいた東京の街並みは、軽やかで温かなのに、ずっと泣きだす手前のような心細さが漂っている。それは、寂しさや辛さを言葉に出さず、ぐっとこらえているバクちゃんの心情そのものだ。一見ファンタジーだけど、作中で浮き上がってくる移民たちの抱える問題は、現実と強くリンクする。
例えば、夢を食べるバク星からの移民が増えると、地球人の安全な睡眠が奪われてしまうのではないかという偏見。口座がなければケータイを契約できず、ケータイがないと口座が作れないという冷酷な制度。移民同士の中にも、止むに止まれず故郷を出てきた人と、自由意志によって移住した人の間には、大きく深い溝がある。特に印象に残ったのは、故郷の星を戦争で失った掃除婦のサリーさんの言葉だ。「27年いて地球は好き?」と問うたバクちゃんに、少しの沈黙の後、ただ一言、「選択肢ないよ」。ずしんと重く、読んだ後、何度も何度も頭の中で反芻している。これは作者がカナダに移住していた時に、実際に移民の方から聞いた言葉だそうだ。きっと、私が日本で、日本に来た移民の方に聞いても一生聞けないことだろう。バクちゃんが入国審査で何度もしつこくこの国を愛しているかと問われていたことを思い出した。似たようなものを、私はテレビで日常的に見ている。そんな国の住民に、誰が素直に好きとは言えない感情を持っていると伝えられるものか。日本では、移民問題をどこか対岸の火事のように考えている空気があるのは否めない。でも、それって本当だろうか。見えてない、見ていない差別が、ほらここにも、あそこにも。東京に住まう違う国から来た人々を想う。少子化が進む日本は今後、どんどん移民が増えていくことだろう。海を越えて手を差し伸べることは中々難しいけれど、でも海を越えやって来た人が、せめて心穏やかに過ごせるように、と一人ひとりが心を配ることは、そんなに難しいことではない筈だ。若しバクちゃんに会ったら、私は何て声をかけるだろう。帯にあった「ねぇ、地球は、日本は、どんなふうに見える?」の言葉が、ずっとずっと私に問いかける。
宇垣美里(うがき・みさと) フリーアナウンサー。1991年、兵庫県生まれ。同志社大学政策学部卒業後、『TBS』に入社。『スーパーサッカーJ+』や『あさチャン!』等を担当。2019年4月からフリーに。近著に『風をたべる』(集英社)。
2020年7月30日号掲載
例えば、夢を食べるバク星からの移民が増えると、地球人の安全な睡眠が奪われてしまうのではないかという偏見。口座がなければケータイを契約できず、ケータイがないと口座が作れないという冷酷な制度。移民同士の中にも、止むに止まれず故郷を出てきた人と、自由意志によって移住した人の間には、大きく深い溝がある。特に印象に残ったのは、故郷の星を戦争で失った掃除婦のサリーさんの言葉だ。「27年いて地球は好き?」と問うたバクちゃんに、少しの沈黙の後、ただ一言、「選択肢ないよ」。ずしんと重く、読んだ後、何度も何度も頭の中で反芻している。これは作者がカナダに移住していた時に、実際に移民の方から聞いた言葉だそうだ。きっと、私が日本で、日本に来た移民の方に聞いても一生聞けないことだろう。バクちゃんが入国審査で何度もしつこくこの国を愛しているかと問われていたことを思い出した。似たようなものを、私はテレビで日常的に見ている。そんな国の住民に、誰が素直に好きとは言えない感情を持っていると伝えられるものか。日本では、移民問題をどこか対岸の火事のように考えている空気があるのは否めない。でも、それって本当だろうか。見えてない、見ていない差別が、ほらここにも、あそこにも。東京に住まう違う国から来た人々を想う。少子化が進む日本は今後、どんどん移民が増えていくことだろう。海を越えて手を差し伸べることは中々難しいけれど、でも海を越えやって来た人が、せめて心穏やかに過ごせるように、と一人ひとりが心を配ることは、そんなに難しいことではない筈だ。若しバクちゃんに会ったら、私は何て声をかけるだろう。帯にあった「ねぇ、地球は、日本は、どんなふうに見える?」の言葉が、ずっとずっと私に問いかける。
宇垣美里(うがき・みさと) フリーアナウンサー。1991年、兵庫県生まれ。同志社大学政策学部卒業後、『TBS』に入社。『スーパーサッカーJ+』や『あさチャン!』等を担当。2019年4月からフリーに。近著に『風をたべる』(集英社)。

【東畑開人の週刊臨床心理学】(12) 補欠の品格

この夏、甲子園がない。こんな悲しいことはない。オリンピックも、サッカーW杯も、プロ野球日本シリーズも殆ど興味が持てない私だが、甲子園だけは別だった。特に沖縄代表の試合は欠かさず応援してきたのに、今年は中止。ああ、あの暑い夏が懐かしい。チャンスに鳴り響く『ハイサイおじさん』のトランペット、スタンドを埋め尽くす緑の応援団、メガホンを持って舞う補欠たち、ベンチで声を張り上げる補欠たち。そう、甲子園の醍醐味は補欠にある。試合の行方よりも、補欠たちの気持ちが気になってしょうがないのだ。レギュラーが怪我することを祈っているのだろうか、チームが早めに負けてくれたら家に帰ってパワプロができるのにと思っていやしないか、そしてそんな自分は人間として終わっていると自分を責めているのではないか――。そんなことばかり考えてしまう。だから、ついついテレビに向かって「頑張れよー、お前は自分の人生では補欠じゃないんだぜー」と声をかけてしまう。いや、わかっている。仮にも甲子園に出る程の名門校なのだ。たとえ補欠と雖も、そんなしみったれたことを考えている筈がない。だけど、「若しかして」と想像して切なくなる。これが私にとっての甲子園だ。それは勿論、私が中学時代に野球部の補欠であったからだ。疾風怒濤の思春期、私の気高き魂は、あらゆる試合でベンチを温めることに費やされた。まるでお徳用ホッカイロのような魂である。だけど、この補欠根性が沁み込んだお徳用魂こそが、実は私を臨床心理士という職業へと導いたのではないか。そんな仮説がある。
本当は「補欠じゃなかったヤツは心理士とは認めない!」くらい言いたいのだが、間違いなくルサンチマンによる暴論であるので、心理士と補欠は魂の底の部分で繋がっていると控えめな仮説を提示したい。一応、根拠がある。未だ大学院生だった頃、研究会の夏合宿で隠岐に行った時の話だ。何故隠岐なのかというと、流罪に関心があったからなのだが、それが心理学とどう関係するのか、今となっては全然わからないから、単にどこか遠くに行きたかっただけかもしれない。何れにせよ、島に着くと暑過ぎたので、流罪史跡巡りは早々に断念し、宿で甲子園を見続けた。日が沈むと隠岐牛と日本海の幸を堪能し、布団に入ってからは大学院の先輩の陰口を明け方まで後輩たちと語らい続けた。事件が起こったのは、ヘロヘロの帰路、米子から岡山に向かう特急列車『やくも』でのことだった。二日酔いと旅行の疲労、そして旅が終わってしまう悲しさから、皆、妙なテンションになっていたのだ。「今まで言えへんかったことがあるんです。聞いてもらえませんか?」。ジャイアンみたいな風貌の後輩が突如、神妙な表情になって切り出した。「何だよ、言ってみなよ」と、窓を通り過ぎる深い山々を見ながら私は言った。結構、ダンディな感じだったと思う。ジャイアンは深く息を吸い込んでから、言った。「僕…実は補欠やったんです」。重た過ぎる告白に、皆、何も言えなかった。ジャイアンは続けた。「監督にはめっちゃ媚びていたんです。監督の目にどう映るかだけ考えていましたわ。だけどね。一回も試合に出たことないんです。チームの中で僕だけです。ユニフォームがね、いつも真っ白なまま家に帰るんです」。円らな瞳に涙が浮かんでいた。「何と痛ましい、先輩としてこれ以上、彼を一人にするわけにはいかない」と思った時、隣に座っていたハリガネのように華奢な後輩が声を上げた。「お前だけやない」。野太い声だった。「俺もや」と。「只な、一回だけ試合に出たことがある。ベンチでな、『誰でもいいから怪我しろ』って祈っていたら、ライトのヤツが本当に怪我してくれてな」。ハリガネが続けた。「だけど、グラウンドに立つとな、別の祈りが浮かんでくるんや。『頼むからボール飛んでくんな』って。でも、来たんだよ。大きくて、綺麗なフライだったわ」。私たちは固唾を飲んで聴き入った。「心臓がバクバクして、足が震えた。動けへんかった。ボールは俺の頭上を越えていって、ランニングホームランになったよ」。ジャイアンがハリガネの震える肩にそっと手をやった。「きっ、奇遇だな」。私はダンディさを失わないように、しかし失いながら言った。「俺もさ、補欠だったよ」。言葉が溢れて止まらなかった。ずっとベンチから試合を見ていたこと。「早く家に帰ってパワプロをやりたいから、コールド負けしねぇかな」と思っていたこと。そしたら本当にコールド負けしたこと。
【地方銀行のリアル】(40) 大東銀行(福島県)――筆頭株主『SBI』でパニック

「真珠湾攻撃」――。地元金融筋の間では、こう呼ばれているらしい。福島県郡山市に本店を置く第二地銀の『大東銀行』を激震が見舞ったのは、今年5月29日のことだった。地域金融機関を糾合する形で“第四のメガバンク”構想の実現を目指す『SBIホールディングス』が突如、筆頭株主へと躍り出たのである。傘下の『SBI証券』を通じ、マンション分譲や再生可能エネルギー事業等を手掛ける東証2部上場の『プロスペクト』から保有株の大半(※216万株弱)を譲り受けたもので、持ち株比率は17.14%(※議決権ベース)。更に、4日後の先月2日には16万9400株を追加取得し、合わせて発行株の18.49%を握った。「事前にSBI側から何ら連絡もなく、全く寝耳に水」(大東銀行幹部)の出来事だったという。鈴木孝雄社長も「筆頭株主の異動はここにきて(初めて)聞いた話で驚いている」として、不快感と衝撃を隠さない。無理もなかろう。SBIは昨年11月、福島市を本拠とするライバルの『福島銀行』と資本業務提携を結び、11億円の第三者割当増資を引き受けて17.85%を保有する筆頭株主となっているからだ。事と次第によっては、SBIが主導する形での合併・統合提案を受け入れざるを得ない局面に追い込まれる可能性すら浮上する。鈴木社長は早稲田大学社会科学部卒業後、1976年に大東銀行に入行。2004年に常務、2008年に専務となり、2010年6月に社長に昇格した。以来、10年間に亘ってトップに君臨。その豪腕ぶりは地元金融界でも夙に知れ亘っており、専務時代から既に「大東銀行には2人の社長がいる」と取り沙汰されていた程の実力者だ。
ただ、いざ再編ともなれば、その地位は一挙に流動化。いつまで玉座にとどまれるかは保証の限りではない。いきなり表舞台に登場してきたSBIの存在に、些か首筋辺りが薄ら寒くなったことだろう。その鈴木社長の下で大東銀行が今年度から新たにスタートさせたのが、「共創力と提案力で地域の豊かな未来を実現する」とした中期計画だ。自主独立路線を明確化したもので、コンサルティングや事業承継、M&A、事業再生支援等に経営資源を重点投入して、対法人ビジネスを底上げ。その一方、対個人は資産形成・管理や相続に注力して、投信・保険等の預かり資産を積み上げる。これにより、投信解約益を除いたコア業務純益を2023年3月期で15億円(※2020年3月期10.6億円)に拡大。預かり資産(※今年3月末時点で1102億円)50億円の上乗せを目指す。が、SBIの存在はそんな大東銀行が描く近未来図をも揺さぶる。同行関係者からは、「まさにSBIショック。出鼻を挫かれた形で、衝撃度はコロナショックを遥かに上回る」といった呻き声が止まらない。「純投資」――。SBIでは大東銀行株の取得の目的について、大量保有報告書等で今のところ、こう説明している。確かに、大東銀行株のPBR(※株価純資産倍率)は0.2倍前後。大幅に割安だ。とはいえ、これを真に受ける市場関係者は「ほぼ皆無」と言っても過言ではなかろう。SBIの資本業務提携先である福島銀行は、業績不振が続く地銀の中でも収益基盤が殊の外、脆弱だ。投信解約益を除いたコア業務純益は2020年3月期で7.29億円。前期比で2.6倍超増加したものの、その水準は地銀底辺クラス。今年1月にSBIとの共同店舗1号店を郡山市に出店する等、協業化が進みつつあるとはいえ、コロナ禍による取引先の財務内容悪化で今後は与信費用が膨らみかねず、「収益の劇的な改善や安定化は望み薄」(メガバンク筋)だ。こうした状況を打開するには、SBIという支持棒一本だけでは如何にも力不足。「再編の受け皿を用意して、一先ず合併や統合に活路を見出すしかない」(同)。そして、その受け皿候補としてSBIが白羽の矢を立てたのが大東銀行――。市場はすっかりこう見切っているのだ。尤も、「仮に両者の再編が実現したとしても、経営の先行きはなお予断を許さない」という見立てもまた、市場の総意と言ってよい。“弱者連合”との誹りを免れ難いからだ。
【地方大学のリアル】(07) 東京医科歯科大学(東京都)――コロナ禍で大赤字でも評価の声

東京都内の新型コロナウイルスへの新規感染者数の動向は、未だに予断を許さない。入院患者は5月中旬以降、順調に減少していたが、6月に入って200人程度を底に横這いを続けている。1月から中国国内での感染が拡大し、日本人帰国の為のチャーター機乗客の感染者等が問題になっていたにも拘わらず、「東京都が都内の病院に感染者受け入れを要請し始めたのは3月になってから」(全国紙社会部記者)だった。首都・東京には国立、公立、私立問わず多くの医療機関が集結しており、医学部のある大学だけでも13を数える。しかしその時点で、都の要請に前向きに応えられる医療機関は少なかった。国や都だけでなく、医療機関や大学も、未知の感染症への備えが十分とは言えなかったのだ。そんな中、東京医科歯科大学では様相が違った。同大学で新型コロナウイルス対策本部が設置されたのは1月28日。これは「国内の大学としてはトップレベルの早さで、かなり早い段階で今回の新型コロナウイルスの危険性について備えを行っていた」(医療担当記者)のである。続けて、附属病院での対応に関する会議も設置され、2月中旬以降は毎日、ミーティングが行なわれるようになった。流石に6月に入ってその頻度は減ったが、週3回のオンライン会議には、各診療科長や医局長等多くが参加して、情報共有と今後の方針に向けた話し合いが続けられている。1月に当初の対応を決定したのは吉澤靖之学長である。しかし、吉澤氏は3月末での任期満了に伴う退任が決定していた。後任には4月から内科出身の田中雄二郎氏が就いている。田中氏はこれまで副学長のポストにあったとはいえ、6年間に亘った吉澤執行部からバトンを引きついだばかりの4月上旬には、新型コロナウイルス患者の全面受け入れを決定したのだ。
これについては学内からも評価する声が上がっている。ある中堅医師は、「単科大学ならではのコンパクトさが素早い決定プロセスにプラスになった」と分析する。同大は歯学部とその附属病院もある為、厳密な意味での単科大ではないが、学部学生数で比較して東京大学の約10分の1という身軽さが強みとなった。通常、医学部やその附属病院には、教育機関や研究機関以外に、地域医療を担うプレイヤーとしての役割がついて回る。そして大学附属病院は、看護師を含めたスタッフの人数という面で、市中病院等と比較して恵まれている。前述した通り、東京都内には13の医学部があるが、国立の医学部、大学病院は東大と医科歯科大の2校のみ。「その中で、医科歯科大が新型コロナウイルス対応をやるしかないという学内の空気を逸早く作れた」(前出の中堅医師)のが、評価を得た理由のひとつと言えるだろう。これは、地域医療を支える役割を担う側面は勿論のこと、研修医等も含め、未知の感染症対応に関する貴重な教育の機会にもなる。最終的に、医科歯科大は入院患者数を通常時の3分の1以下となる200人程度に絞り込み、集中治療室(ICU)を新型コロナウイルスの重症患者用に振り向ける等して、万全の体制を構築した。その為に三次救急患者の受け入れを停止し、予定されていた手術を停止する等、副作用もあった。こうした決定に、現場からも少なからぬ反発があったという。例えば今回、医科歯科大の附属病院で注目されるのは、最前線に立ったICUや感染症科、呼吸器内科の面々だけでなく、彼らを支えたバックヤードチームだ。入院患者等が減ったことで通常業務の手が空いた整形外科等の医師が、院内の清掃や患者の運搬といった下働きを担ったのである。このチームを実質的に仕切っていたのが、手術等が減った整形外科の医局長を中心としたチームだった。「何故手術を減らすのか、何で自分たちが掃除なんかしなければならないのか」という反発の空気はあったというが、それでも応援の仕事を推進したのが整形外科出身の前病院長で、4月からは医療担当理事に就いている大川淳副学長だ。「新型コロナウイルス対応が決まった瞬間から強いリーダーシップで手術を縮小させて、バックヤードチーム編成に尽力した」(前出の中堅医師)。
【創価学会は今】(16) アベノマスクでも疑惑が…創価学会“あの10万円が財務へ”説の真相

先月3日は『創価学会の日』にあたり、今年は池田大作名誉会長の第3代会長就任60周年だという。機関紙『聖教新聞』には、この日を挟んで毎日のように“池田先生礼賛”の記事が掲載された。池田氏は“人類の 仏界ひらく ルネサンス 創価の後継たち 鐘うち鳴らせ”始め3首の和歌を詠んだが、肝心の学会員の前にはこの日も姿を現していない。最後に公の席に出たのは2010年5月13日の本部幹部会だったから、今年で丸10年になる。池田氏に代わってメッセージを発したのは原田稔会長だ。「60年前、池田先生の歩み出された“一歩”こそ、人類の宿命の転換をも可能にする“偉大な一歩”であったと確信いたします。私たちは先生の不惜身命のご闘争に心から感謝するとともに、先生の“一歩”が21世紀を開いた――全世界の人々に、こう謳われる時代を、真実を語り抜く弟子の闘争で、必ずや開いてまいりたいと思います」。原田氏はこう語り、人間革命の大道を誓いも新たに進もうというが、池田氏自身は完全に“過去の人”になってしまったようだ。学会元幹部が語る。「学会はインターネットに力を入れ始め、最近も公式ホームページに“映像で見る池田先生の行動と軌跡”等をアップロード。ソ連のミハイル・ゴルバチョフ氏や南アフリカのネルソン・マンデラ氏等と池田氏の交流を描いた映像を公開している。これからもこの企画は続くというが、世界の偉人との対談を通して、池田氏を“神格化”しようと する動きだ。もうひとつの柱は、作家の佐藤優氏によるAERA連載中の“池田大作研究”を学会員に読ませること。今や佐藤氏が書く創価学会や公明党、池田氏に関する著書は、学会員のバイブルになっている」。
佐藤氏は同連載で、池田氏の会長就任(※1960年)受諾の意義について、「戸田(城聖第2代会長)の遺志を継承し、創価学会を世界宗教化することは、池田氏にしかできない使命だった」等と言っている。戸田氏が亡くなったのは、その2年前の1958年4月2日のことであり、「当時は次期会長を巡って、初代牧口門下と戸田門下が組織内で対立していた。有力候補は後に参議院議員となった石田次男氏だった。戸田氏が亡くなった時点で、池田氏が会長に就任すると思っていた学会員は殆どいなかった」(古参学会員)という。青年部参謀室長だった池田氏は、戸田氏の葬儀の直後、目黒の戸田邸に上がり込み、遺品や古美術品、学会関連の重要資料を差し押さえた(※内藤国夫氏のレポートより)。2年間の空白を経て会長に就任したが、当時、“将来の世界宗教化”など考えられる筈がない。池田氏の不在で学会が迷走を続ける中、池田氏の私党と言われる公明党の動きが活発化している。とりわけ、武漢肺炎対策で政府が国民一人あたり10万円を給付する緊急対策を決めた背後には、公明党・創価学会の強い働きかけがあった。同党の山口那津男代表は4月15日、官邸に乗り込み、安倍晋三首相との緊急党首会談に臨んだ。その席で山口氏は、「(減収世帯への)30万円給付では対象が狭い。改めるに如くはなし。所得制限なしで一律10万円の現金給付をするべきだ」と首相に迫った。「財務省が主導した“低所得世帯に30万円”という経済対策は、誰が貰えるのかわかり難く、極めて評判が悪かった。若しそのまま実施すれば、給付作業にあたる自治体はパンクし、安倍政権は批判の嵐に晒されていた可能性がある」(政界事情通)。だが、学会のディープスロートは別の動きを指摘する。「最近は学会員世帯も裕福になっており、『うちは30万円支給には該当しない』という見方が強まった。その為、学会婦人部を中心に、『公明党は何をしているのか!』『山口代表は安倍首相を一律給付で説得するべきだ!』との意見が、学会本部や支部に殺到した。これらを受けて、山口代表は自ら重い腰を上げざるを得なくなった」。確かに“国民一律10万円”なら、全国全ての学会員に行き渡る。そうなれば、回り回って毎年秋に行なわれる学会への財務(=寄付)に充てられる可能性も出てくる。関東地区のある学会員は、「既に上層部からは『我々が動いたことで公明党を突き上げ、一律10万円が決定した』と喧伝され、『更なる広宣流布の為に財務(=功徳)をしよう』と促されている。これ以上、“選挙マシーン”として動かされるのではたまったものではない」と洩らす。勿論、この10万円は公明党議員にも当てはまる。昨年12月、元衆議院議員の石井一氏(※元自治大臣)が『つくられた最長政権』(産経新聞出版)という著書を出版。その中には、公明党所属議員による“P献金”のことが触れられている。これはプレジデント、即ち池田氏のことを指し、党本部に対する上納金を示す。
台湾がアメリカと組んで中南米進出…新型コロナウイルス対策指導を名目に対中牽制

台湾がアメリカと手を組み、新型コロナウイルス対策で中南米エリアでのプレゼンスを強化する動きが出ている。『ボイスオブアメリカ(VOA)』によると、国務省西半球局の次官補代理で台湾出身のジュリー・チャン氏が、『新型コロナウイルス対策における台湾とラテンアメリカに関するネットワーク研究会』で明らかにした方針だ。中南米は元々、財政破綻等で民主主義が機能しない地域が増えているのに加え、ブラジルのように感染対策を放任した結果、感染者が急増している地域が多い。そこで、台湾の経験を共有していくことにより、各国に接近する思惑だ。衛生面の管理という初歩的段階から台湾の得意分野である情報技術等を伝え、更には観光等の分野でも中南米諸国と協力関係を築くことを目指している。背後には、アメリカが脱退した『世界保健機関(WHO)』で台湾が排除されていることがある。脱退を決めたドナルド・トランプ政権が公然と台湾と連携して、自らの裏庭である中南米で影響力拡大を狙っている。言うまでもなく、このエリアでは近年、中国の存在感が増しており、新たな米中対立の火種となりそうだ。
◇
ネパールとインドの関係が悪化しつつある。両国国境にあるリプレク峠は長年、領有を巡って対立してきたエリアで、インド側はその南側について「自国領だ」と主張してきた。しかし、ネパール国会はこの程、このエリア全域をネパール領として公式地図に記載する憲法修正案を可決したのだ。これに対してインド側が直ぐに反応し、インド外務省のスポークスマンは「交渉により領土問題を解決するとの双方の合意に反するものだ」とする激しい非難声明を発表した。ネパールはインドと中国の狭間で揺れ動いてきた経緯がある。2018年にインドが自国労働市場をネパールに開放したことで、両国の距離は縮まってきていた。しかし昨秋、中国の習近平国家主席がネパールを訪問して以降、中国寄りの姿勢が顕在化。インドとの関係が再び冷え込みつつあった。
◇
韓国政府は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急支援として、全国の世帯に総額13兆6000億ウォン(※約1兆3000億円)を給付。元々、政府は世帯所得額が上位3割の層は排除する計画だったが、4月の総選挙を前にした与党の圧力で、全世帯が対象になった経緯がある。その為、政府は高所得世帯等に支援金を寄付するよう呼びかけていた。政府の試算では1兆~2兆ウォンが還流するとみていたが、既に99%の世帯が支援金を受け取った時点で、寄付金が282億ウォンにとどまっているという。寄付一件当たりの平均金額も少なく、失望の声が広がる。受け取られなかった支援金を合わせても6000億ウォンにとどまり、政府の目論見は外れてしまった。
◇
インドネシア警察がここにきて、全国各地の病院の遺体安置所で警備を強化している。同国では、新型コロナウイルスの感染が原因で死亡した場合、遺体はポリ袋に包まれて接触厳禁で迅速な埋葬が命じられる。しかし、医療現場では「新型コロナウイルスではない」「遺体を返せ」と怒り出す遺族が多い。弔問に集まった集団が“遺体強奪隊”を組織して、病院を襲撃する例も報告されている。親族が望むのは、埋葬前に遺族が遺体の全身を洗う伝統儀式だ。これを行なわないと天国に行けない。こうした感情が強い中、中国漁船が操業中に死亡したインドネシア人船員の遺体を海に遺棄する動画が5月に広まり、激しい怒りを招いて事態が複雑化している。
【ときめきは前触れもなく】(37) 久しぶりの勘六山房
海抜2000mの高峰高原からの眺め。八ヶ岳の頂上に雪が漂っている以外は快晴。梅雨というのに、晴れ女の面目躍如である。小諸に住む友人の車で高原ホテルで昼食をとった後、山頂から眺めた眺望の真ん中へ真っ直ぐ下ってゆく。目的は勘六山、千曲川の赤い橋を渡り、布引観音や御牧乃湯を通り過ぎ、確かこの辺りの畑の中を右に上がった筈と、うろ覚えの地理をナビがなぞってくれる。作家の水上勉さんが晩年を過ごされた場所を、私は何度も訪れている。最初は佐久出身の作家・井出孫六さんに連れてゆかれたのだ。水上さんは1919年、福井の生まれだから、生誕100年を過ぎたばかり。去年伺えなかったので、一日も早くお詣りにと思っていた。だが、突然の訪問で現在、その家で暮らす娘の蕗子さんが不在ということもある。その時は、家の外から手を合わせてと思って、勘六山の入口の坂道を登る。通い馴れた道だ。滅多に吠えない気の優しい雌の飼い犬が、いつも出迎えてくれた。水上さんは、この勘六山に軽井沢から移り住み、親しい人々を近くに住まわせた。ご自宅の隣には小川が流れ、竹紙を漉く仕事場があった。骨壷等の焼き物を焼いた工房は、当時からいた角りわ子さんが独立して、今も営んでいる。自宅の周りを親しい人々が囲んでいたが、北側の一角だけが未だ空いていた。
私とつれあいは、当時、軽井沢から小諸の間で、夏を過ごす家を探していたので、水上さんは隣が空いていると勧めて下さった。目の前に浅間が聳え、「月を見ながら酒を飲むのは旨いぞ!」という話に、つれあいは大いに惹かれたようだ。井戸もご自宅から分けて下さるという。私も浅間が大好きなので、その気になりかかったが、車の運転をしない私は一人で移動が難しく、残念ながら諦めざるを得なかった。抑々、不思議な御縁だった。岐阜県の下呂温泉へ講演に出かけた時、グリーン車の前の席に水上さんと編集者が座っていた。ペンクラブの催し等で御一緒したことがあったので御挨拶をすると、高山へ取材旅行とのことで、私が先に失礼した。一泊し、翌朝に下呂から乗るとまた、前の席に水上さんがいらっしゃるではないか。そこですっかり話が盛り上がり、勘六山へ伺うご縁が出来たのだった。結局、交通の便を考え、軽井沢で夏を過ごすことになった私たちは、ちょくちょく勘六山を訪れ、角りわ子さんや蕗子さんとお目にかかり、水上さんが亡くなった後も編集者と一緒に伺っていた。久しぶりの訪問、竹紙の工房は閉まっていたが、勘六山房の窓に人影があった。蕗子さんだった。簡素な仏前に線香を手向ける。足許近くまで竹が這っている。いつの間にか生えたのだ。障子の破れは、一時、ハクビシンが棲みついて出入りしたせいだろう。声を聞きつけて角りわ子さんが会いに来てくれた。
下重暁子(しもじゅう・あきこ) 作家・評論家・エッセイスト。1936年、栃木県生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業後、『NHK』に入局。名古屋放送局や首都圏放送センターを経て、1968年からフリーに。『家族という病』(幻冬舎新書)・『若者よ、猛省しなさい』(集英社新書)・『夫婦という他人』(講談社+α新書)等著書多数。
2020年7月31日号掲載
私とつれあいは、当時、軽井沢から小諸の間で、夏を過ごす家を探していたので、水上さんは隣が空いていると勧めて下さった。目の前に浅間が聳え、「月を見ながら酒を飲むのは旨いぞ!」という話に、つれあいは大いに惹かれたようだ。井戸もご自宅から分けて下さるという。私も浅間が大好きなので、その気になりかかったが、車の運転をしない私は一人で移動が難しく、残念ながら諦めざるを得なかった。抑々、不思議な御縁だった。岐阜県の下呂温泉へ講演に出かけた時、グリーン車の前の席に水上さんと編集者が座っていた。ペンクラブの催し等で御一緒したことがあったので御挨拶をすると、高山へ取材旅行とのことで、私が先に失礼した。一泊し、翌朝に下呂から乗るとまた、前の席に水上さんがいらっしゃるではないか。そこですっかり話が盛り上がり、勘六山へ伺うご縁が出来たのだった。結局、交通の便を考え、軽井沢で夏を過ごすことになった私たちは、ちょくちょく勘六山を訪れ、角りわ子さんや蕗子さんとお目にかかり、水上さんが亡くなった後も編集者と一緒に伺っていた。久しぶりの訪問、竹紙の工房は閉まっていたが、勘六山房の窓に人影があった。蕗子さんだった。簡素な仏前に線香を手向ける。足許近くまで竹が這っている。いつの間にか生えたのだ。障子の破れは、一時、ハクビシンが棲みついて出入りしたせいだろう。声を聞きつけて角りわ子さんが会いに来てくれた。
下重暁子(しもじゅう・あきこ) 作家・評論家・エッセイスト。1936年、栃木県生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業後、『NHK』に入局。名古屋放送局や首都圏放送センターを経て、1968年からフリーに。『家族という病』(幻冬舎新書)・『若者よ、猛省しなさい』(集英社新書)・『夫婦という他人』(講談社+α新書)等著書多数。

【WATCHERS・専門家の経済講座】(60) “デジタル円”発行できるか――福本勇樹氏(『ニッセイ基礎研究所』金融研究部主任研究員)

「日本はキャッシュレス後進国とされています。クレジットカードや電子マネー等キャッシュレスで決済する割合は、2016年に2割程度となっており、主要国平均の4割と比べて見劣りします。理由として、銀行口座の残高内で即時決済するデビットカードの普及の遅れや、治安が良い為、路上で現金を奪われる可能性が少ないこと等が挙げられます。政府がキャッシュレス化の推進に本腰を入れ始めた契機は、インバウンドの急増だったと思います。訪日客向けのアンケートでは、『日本での旅行でクレジットカードが使えない』『両替をするのが面倒だ』等の不満がありました。訪日客を更に増やす為、キャッシュレス化の推進が必要と判断したのです。その後、キャッシュレス化には様々なメリットがあることがわかってきました。現金を取り扱う業務は人手がかかりますが、キャッシュレス化すればこうした作業が必要なくなり、収益性の高いところに人を配置できるようになります。更に大きいのが購買データの活用です。現金決済でデータを取ろうとすると、誰が何を買ったのかを見た目で判断して記録する必要がある。キャッシュレス決済なら、誰がどこで何を買ったのか、正確に把握できます。データを使ったビジネスは、AmazonやApple等GAFAと呼ばれるアメリカのIT企業大手が得意としています。ですが、日本でもキャッシュレス化が進めば、インターネットやスマートフォンを使ってサービスの基盤を提供する日本独自のプラットフォーマーが生まれ、消費者に魅力のある新しいサービスが提供されるのではないか。そんな期待が高まっています」。
昨年10月の消費増税に伴い、政府はキャッシュレス決済へのポイント還元制度を導入した。購入額の最大5%を還元する仕組みで、先月末に終了した。「還元制度によってキャッシュレス決済の比率は約27%まで上昇し、効果は大きかったと言えます。コンビニやドラッグストア、外食は元々、現金の扱いを減らしたいという意向を持っており、一気にキャッシュレス決済を推進しました。スマホでのQRコード決済が普及した影響もあり、少額の買い物でも現金を使わない人が増えています。それでも、制度の対象となった中小・小規模店の参加率は半分強にとどまりました。レジが一つしかない店も多く、キャッシュレスによるコスト削減効果が薄い為とみられます。今後、キャッシュレス決済が更に広まるかは不透明です。カードやQRコードによる決済は、入金まで15~30日かかるのが一般的。新型コロナウイルスの感染拡大により、資金繰りに苦しむ店の間で、キャッシュレス決済に必要な端末を返却する動きが増える可能性があります。政府は9月から、マイナンバーカードを活用した還元策であるマイナポイントを始めますが、ポイント還元制度程の効果は見込めないでしょう。ポイント還元制度では決済事業者が上限を決めたものの、多くは使えば使うほどポイントを受け取ることができました。一方、マイナポイントは決済手段を一つに絞る必要があり、上限額も5000円。マイナンバーカードの作成手続きの煩雑さが敬遠される可能性もあります。日本は欧米に比べて、小売店が決済事業者に支払う手数料が高い。海外の決済事業者は、手数料のかかるリボ払いを消費者に利用してもらうことでも収益を上げていますが、日本の決済事業者は主に小売店からの手数料で儲けるという、ビジネスモデルの違いがあります。決済事業者が、小売店にお金を支払う際の銀行振込手数料も高い。こうした費用負担がキャッシュレス化の妨げになります。ですが、決済システムは社会的なインフラであり、キャッシュレス化に伴うコストは本来、政府や日本銀行が負担すべきです。最終的には、日銀がデジタル円を発行する必要があると思っています。デジタル円の発行には、多くの課題があるのも事実です。カンボジアやウルグアイ等一部で、中央銀行によるデジタル通貨を試験運用する動きがありますが、経済規模の大きい日本が全面的にデジタル円を導入した場合、膨大なデータを適切に処理することができるのかという問題があります。サイバーセキュリティーや災害時の対応も課題になります。キャッシュレス化が進むスウェーデンやイギリスでは、高齢者やIT弱者への配慮から現金を残すべきだとの意見が高まっています。日本でも暫くは現金と共存する形で、デジタル円の導入を模索すべきです」。 (聞き手/経済部 戸田雄)
