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【ソニーの現在地】(09) 「セオリーを壊し、新しいものを」…YOASOBI“生みの親”に直撃

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――小説を原作にする発想は、どうやって得たのですか?
屋代「書籍やアニメへの展開もありだが、音楽を手がけてきた会社なので、小説を原作に音楽を作る企画があってもいい。それをゼロからやるユニットも面白そうだと考え、同期入社の山本に相談した」
山本「小説を音楽にするというコンセプトを、当初は積極的に発信していなかった。だが、それを面白がってくれる人が多かったので、打ち出していこうと思った」
――2人の役割分担は?
山本「熱量の高いほうが自然とやる。屋代は小説周りやSNS、僕は音楽やクリエイティブ周りを担当し、宣伝やプランニングは一緒に設計している」
屋代「全く違う経歴を歩んできたので、異なる人脈を持っていることも大きい。性格面でも正反対なので、結果的に補い合うことができる」
――『YOASOBI』がヒットした要因をどうみますか?
屋代「色々ある。小説が原作というコンセプト、メンバー2人のパーソナリティー、楽曲が良いのも勿論だ。どこから入っても、他の要素に気付いてハマっていく構造に結果としてなっている」
山本「ヒットさせてやろうという意識はなかったが、小さい火が点いた時、それをできるだけ大きくする為に“燃料”を投下してきた」
――『ツイッター』等SNSを通じて広がりました。
山本「例えばチャートで順位が上がったら、それをできるだけ伝えて、ファンを巻き込んで火を大きくしていくことは意識している」
屋代「SNS専任はいないので、自分たちが投稿する。アーティストに最も近く、自分たちが作っているという意識のある人間のほうが、ファンに伝わる投稿ができる」
――今後の目標は?
屋代「原作小説を書籍や映像作品にも展開し、音楽に加え、それらもしっかり売れるプロジェクトにしたい」
山本「“夜に駆ける”は構成等のセオリーを実験的に無視した曲。文化的なものを変えることができたら、それは意味があるし、YOASOBIの価値を上げる」 (聞き手/本誌 佐々木亮祐)


キャプチャ  2021年7月17日号掲載

テーマ : 芸能ニュース
ジャンル : ニュース

【真珠湾攻撃80年・櫻井翔が読み解く戦争】(05) 戦没場所の謎



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ここに色褪せた1枚の古い白黒写真がある(※左画像)。数百人が同じ制服に身を包み、じっとこちらを見つめている。“海軍経理学校第九期補修学生記念写真 昭和十八年第九期 補修学生四百七十二名 昭和十八年一月二十五日海軍経理学校校庭にて」――。裏面にそう記されたこの写真の若者のうち、約5分の1に当たる92人が戦死した。そのうちの1人が、私の亡き祖父・三男の兄、櫻井次男氏である。戦後、群馬県の『上毛新聞社』で記者をしていた祖父は、2003年に自費出版した著書に『戦死した次兄のこと』と題した文章を書き残していた。1941年12月の太平洋戦争開戦から凡そ40年後に生まれた初孫の私を抱き上げた祖父は、どのような想いを心に抱え生きていたのか。祖父や家族から戦争の記憶を直接聞くことがないまま40年が過ぎようとし、開戦から80年を迎えた2021年。その取材と調査の記録を、孫である私が、ここに書き残す。前回まで述べた通り、次男氏は昭和17年9月に東京帝国大学を繰り上げ卒業、商工省入省と同時に第九期海軍短期現役主計科見習士官として築地の海軍経理学校に入校。翌昭和18年1月に海軍主計中尉となり、第十一海防隊の主計長として昭和20年3月29日に戦死した。しかし、戦没場所がどこであったのかは、最近までわかっていなかった。“故 海軍主計少佐 桜井次男 昭和20年3月29日東支那海にて戦死”。群馬県にある祖父母宅の畳の部屋に飾ってある遺影には、そう書いてあった。戦後の年の間、家族の記憶における次男さんの戦没地は“東支那海”だった。祖母も、父も、叔母(※私の祖父・三男の娘)も、次男さんの年子の姉の娘(※父のいとこ)も「東支那海。そう書いてあったでしょ」。

この度、取材した中で、ただ一人、次男さんを直接知る末妹は「東支那海だと思っていたけど、私の息子も戦没場所については調べていたみたい」と言い、私の叔母は「お父さんは『本当のことはわからない』って言っていた気がする」と話していた。祖父の自著を開いてみる。「(昭和48年12月)私は東支那海を渡るとき、そんな兄を思い浮かべながら、今は亡き母からあずかった家族の写真と花束を海上に投じた。波は静かだった」。しかし、本稿を書く為の取材で、この“戦没地・東支那海”は間違っていたことがはっきりした。私が戦死した大伯父・次男氏について調べ始めたのは、2012年、特別ドラマ『ブラックボード 時代と戦った教師たち』(TBSテレビ系)に出演した時である。軍事考証を担当した『偕行社』の大東信祐氏に「祖父の兄が戦没しているのですが、詳しいことを知る手だてはありますか?」と、櫻井次男について調査をお願いした。名前、出身地、戦没日、戦没地がわかれば、ある程度のことは調べられるらしい。2012年3月13日、大東氏より調査結果を受け取った。主な内容(※抜粋)は以下の通り。

御祭神(※戦死公報の内容を記載したもの)によると、櫻井次男氏の所属部隊は第十一海防隊。昭和20年3月29日に沈んだ海防艦を調べると、南支那海の第18、84、130海防艦の3隻。この船隊は、南方圏から本土決戦に最も必要とされていた石油を、無理を承知で敵の警戒網を突破し強行輸送しようとした『ヒ88J船団』と呼ばれる。この船団の護衛に5隻の海防艦が当たったが、アメリカ軍の空襲、潜水艦の雷撃により油槽船、護衛艦艇共に全滅。以後における、南方の資源地域と本土との輸送は中絶することとなった、文字通り“最後の輸送船団”であった。戦没者が登載されている『海防艦戦記』(海防艦顕彰会)にて、ヒ88J船団の護衛に関係した全ての海防艦の記録を調べたが、櫻井次男の名前は見いだせず。この事実は、櫻井主計少佐が第十一海防隊の主計長で、当該艦の乗組員ではなかったことが関係しているのではないかと思われる。以上の調査結果を要するに、櫻井次男少佐は昭和20年3月29日、南支那海において昭南(※シンガポール)から門司に向け出航したヒ88J船団の護衛に当たり、戦死されたものと“推定”されます。

どのような最期を遂げたのかが、ここまで詳しくわかるのかと本当に驚いた。しかし、2つ気になる記述があった。どの海防艦の記録を見ても、戦死者のリストに櫻井次男の名前を見つけられなかったこと。そして、戦没場所が“南支那海”と言われたことだ。東支那海であれば台湾の上、南支那海であればフィリピンとベトナムの間。響きは似ていても、距離は遥かに変わる。東と南の僅か1文字でも、遺族にとっては大きな違いだ。加えて、「最期にどの艦に乗っていたのか、記録がないのでわからない」という事実も知ることになった。大伯父の戦没地点に靄がかかったまま9年が過ぎ、2021年9月。厚生労働省社会・援護局にて“親族の軍歴”を照会できることを知った。“旧陸海軍から引き継がれた資料の写し等”を申請すると、御祭神以上の情報が出てくることもあるという。凡そ2ヵ月後の11月4日。茶色い封筒が厚労省より届いた。海軍時代の人事記録である『奉職履歴』を始め、様々な資料が入っていた。

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テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
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【テレビの裏側】(197) 視聴率三冠の日テレを猛追するテレ朝とTBSの新戦略

https://friday.gold/article/102559


キャプチャ  2022年2月11日号掲載

テーマ : 芸能ニュース
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【追跡・5歳児熱中症死事件】(下) 降車確認、施設任せの限界

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「1人足りない」。福岡県久留米市の保育園で、送迎バスに乗っていた筈の2歳男児が見当たらない。運転手が急いで施錠したバスに戻ると、車内に男児がいた。取り残された時間は約8分間で、男児は無事だった。同県中間市の『双葉保育園』で倉掛冬生ちゃん(※当時5)が熱中症で死亡した事件の約1年前。昨年夏のことだ。久留米市は一昨年4月から送迎保育ステーション事業を実施している。園児は市中心部の保育園に集まり、其々が保育を受ける郊外の園へバスで出発。夕方、再びバスが其々の園に迎えに行って拠点の保育園に戻り、保護者が引き取るという流れだ。バスには運転手と保育士2人の計3人が同乗している。その日は、複数の園を経由して拠点保育園に着いた帰りのバスから園児を降ろした時、2歳男児が車内に取り残されていた。降車した園児を集めて数を確認した際に、1人足りないことに気付いたという。園児の不在に直ぐ気付いた為、事なきを得たが、降車時の人数確認と施錠時の車内確認をするとしたマニュアルが守られていなかった。事業を委託する社会福祉法人は、バスの降車確認を4人体制に増やし、チェックリストにチェック欄を設けて再発防止に取り組んでいる。久留米市と同様の送迎事業は、東京都町田市や大阪市等都市部の自治体を中心に広がっている。

都市部に集中しがちな園児を定員に余裕のある周辺地域の園へと繋げる取り組みは、待機児童を解消する狙いもあり、厚生労働省が運行費の一部を補助している。ただ、預かる時間が一定の幼稚園とは違って、保育園は保護者の就労時間に伴い通園時間も違う為、送迎は保護者がするのが原則とされている。その為、バス運行を巡っては、国の定める保育士の配置基準や行政監査の対象でなく、安全対策は施設任せなのが現状だ。待機児童対策の送迎事業も、厚労省は運転手以外の職員を同乗させることを条件に補助を認めているが、国は実際の運行については指導・監督する義務がない仕組みになっている。今後、少子化で施設が統廃合されれば、園までのアクセスが悪くなり、送迎バスのニーズは更に高まる可能性もある。双葉保育園での事件を受けて、福岡県は複数体制のバス運行を求める送迎の指針を作り、これを順守しているかどうか監査の対象にすることを決めた。北海道や秋田、熊本、大分各県でも送迎バスの実態調査に乗り出した。国が重い腰を上げない中、足元を見つめ直す自治体が出始め、やれることをやろうと対策に乗り出す施設も出てきた。送迎バスを運行する福岡県春日市の『オハナ保育園』では、園児の降車確認後、運転手が無料通信アプリ『LINE』を使って山本勇伍園長(35)に車内の画像を送り、降ろし忘れがないか第三者の目で確認する取り組みを始めた(※右上画像、撮影/中里顕)。山本園長は「どうやって子供の安全を確保できるのか、考え続けたい」と表情を引き締める。ただ、専門家からは現場の自助努力だけでは限界という声も上がる。『みつまた保育園』(埼玉県加須市)を運営する社会福祉法人の理事長、村山祐一氏(※元帝京大学教授、保育学)は「国がガイドラインを作り、補助金を出して送迎バスの事故防止を図るのは当然だが、現状は施設ばかりが負担を強いられている」と指摘。過去にも車内への置き去り事案があったことを踏まえ、「一施設のヒューマンエラーではなく、保育業界の構造的な問題と捉えない限り、再発防止には繋がらない」と警鐘を鳴らす。小さな命をどうやって守るのか。事件は重い課題を突きつけている。

                    ◇

中里顕・浅野孝仁・宮城裕也・成松秋穂・奥田伸一が担当しました。


キャプチャ  2021年12月20日付掲載

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【追跡・5歳児熱中症死事件】(中) サービス競争、安全置き去り

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「本当に1人で大丈夫なのかと思っていた」。福岡県中間市の『双葉保育園』で7月に倉掛冬生ちゃん(※当時5)が熱中症で死亡した事件。園では約2年4ヵ月前から浦上陽子前園長(44、今月17日に業務上過失致死容疑で書類送検)の送迎バス(※左画像、撮影/成松秋穂)の1人運行が次第に常態化しており、そのバスで事件は起きた。冬生ちゃんの元気な姿を覚えている元職員は後悔の念を口にし、振り返った。「前園長が『1人で行く』と言えば、口出しできない空気だった」。事件では、バスからの降車確認や出欠確認の杜撰さ等、園の安全管理の甘さが浮き彫りとなり、特別監査をした福岡県と中間市は8月、園を設置する社会福祉法人に児童福祉法等に基づく改善勧告をした。その後、県と市は園児らへの暴言や体罰があったとして、10月にも二度目の改善勧告に踏み切った。同市の担当課長は「職員間で物が言えない、注意し合えない雰囲気があった」と話し、虐待行為が是正されなかった背景を指摘。市の調査でも前園長の1人運行を保育士らに聞いたところ、「おかしいとは思っていたが、言い出せなかった」との証言があり、風通しの悪さの延長線上に事件が起きてしまったとみる。何故、1人運行までして送迎を続けなければいけなかったのか。

中間市は、日本の近代化を支えた筑豊炭田の一角にあり、嘗ては炭鉱労働者の夫婦が会社の送迎車に子供と乗り、託児所に預けて働きに出ていた家庭が多かったという。歴史的な経緯から保育園のバス送迎がこの地域で定着したと言われ、事件当時、市内の認可保育園(※認定こども園を含む)6園のうち、双葉保育園を含む5園がバスを運行していた。双葉保育園は、前身の託児所時代から送迎バスの運行を長年続けてきた。共働き世帯にとっては欠かせないサービスでもあり、元保護者の女性は「バス送迎で助かっていたのは事実。園長1人のバスに子供を乗せるのは不安だったが、信じるしかなかった」と話す。園によると、嘗て送迎バスは1台で、保育士が同乗して2人で運行していたという。しかし、経路や時間の都合で利用できない家庭に対応する為、2019年春に2台目を導入。一方、バスに乗らずに登園してくる園児の出迎えにも保育士が必要で、2台目の同乗者を確保できず、前園長が1人でバスを運行するようになった。今年6月に運転手を漸く採用したが、平日のうち3日は前園長の1人運行が続き、その日に事故は起きた。「人手が足りないのはどこも同じ。事件は他人事とは思えない」。県内の別の保育園長は複雑な表情を見せる。その園も送迎バスがあり、2人で運行するようにしているが、出迎えの保育士確保も課題で、頭を抱えていると明かした。事件後、県が保育施設を対象に実施した送迎バスの実態調査では、県内の8施設で運転手が1人で運行していたことが判明。県は、複数の職員でバス運行する等の運用指針を纏め、保育施設に再発防止を呼びかけている。保育政策に詳しい玉川大学の大豆生田啓友教授(保育学)は、「少子化を背景にしたサービス競争の中で、送迎バスは一つの強みにはなる」とした上で、「保育士を増やすだけでは、同じような事件をなくす為の根本的な解決策には繋がらない」と指摘する。「事件では園児が1人いないのに、保育士の間で話題にしていない。保育の質の問題だ。子供が幸せを感じ、保育士が仕事をして楽しいと感じられる環境でなければ、綻びが生じて悲劇に繋がってしまうのではないか」と話した。


キャプチャ  2021年12月19日付掲載

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【追跡・5歳児熱中症死事件】(上) 保育園職員、“思い込み”重なり

朝から強い日差しが照りつけていた。7月29日午前8時過ぎ、倉掛冬生ちゃん(※当時5)は福岡県中間市の自宅近くで、母親と小学生で夏休み中だった兄(12)の3人で迎えのバスを待っていた。前園長が運転する白いトヨタ『ハイエース』が親子の前に止まった――。これまでの園側の説明や遺族取材等を基に、あの日を追った。

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「おはようございます。宜しくお願いします」。背筋を伸ばした冬生ちゃんが、運転席の前園長に向かって元気に挨拶した。母親がバスのドアを開けようとすると、降りてきた前園長に「開けないで下さい」と言われた。前園長は新型コロナウイルスの感染防止策で冬生ちゃんにアルコール消毒をさせ、ドアを開けた。母親と前園長が予定されている泊まり保育で少し会話を交わした間に、冬生ちゃんは園児席の左側最後列に座った。バスはほどなく出発した。約30分後、バスは『双葉保育園』に着き、園舎から約30mの駐車場に止まった。1歳児4人を含む冬生ちゃんら園児7人が乗っていた。「何で泣くかね。泣かんでいいやないね」。前園長はぐずる小さな子をあやしながら、迎えの職員に引き渡した。バスに同乗した職員はおらず、前園長が1人で運行していた。全員が降りたと思った前園長は、乗降口から1~2歩入って車内を見回した。視界に冬生ちゃんの姿はなく、バスを施錠した。

冬生ちゃんのクラスは園児が24人。感染対策で、園児が部屋に入ったら先ず検温をしていた。担任は冬生ちゃんがいないことに気付いた。だが、欠席連絡があった園児を書き込む事務室のホワイトボードに名前はなく、職員間のスマートフォンのアプリにも冬生ちゃんの欠席の情報はなかった。にも拘わらず、担任は欠席と思い込み、前園長に尋ねることをしなかった。午後5時過ぎ、冬生ちゃんの自宅近くで母親がバスを待っていた。朝のバスとは違うバスが止まり、保育士が「冬生君は今日来ていませんよ」と言った。「冬生が乗っていない」。自宅に戻った母親の言葉に、祖父(68)は「そんなばかなことがあるか」と絶句した。バスから連絡を受けた前園長には、冬生ちゃんが朝のバスに乗車して最後列に座った記憶がある。園内で過ごしていたとばかり思っていた。「まさか…」。前園長は、駐車場に止めてあった迎えのバスに走った。施錠していたドアを開けると、乗降口付近で倒れている冬生ちゃんを見つけた。乗車から約9時間が経った午後5時15分頃だった。母親と祖父、兄が搬送先の病院へ駆けつけた。「どうか助けて下さい」。母親は土下座して医師に泣いてすがりついた。約1時間半後、死亡が確認された。あの日から5ヵ月となるのを前に県警は、前園長らを業務上過失致死容疑で書類送検した。今後、検察が起訴すれば、真相解明の舞台は刑事裁判に移る。先月8日、冬生ちゃんが事件当日に着ていた体操着や靴等が、県警から遺族の元に返ってきた。12月に生まれ、伸びやかな成長を願って“冬生”と名付けられた。祖父は、戦隊ヒーローをあしらった小さな靴を手のひらに乗せて、言った。「朝に家を出て、帰りは亡くなっているなんて考えもしないじゃないですか。家族はたまらんですよ。同じようなことが起こらんようにしてほしい」。


キャプチャ  2021年12月18日付掲載

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【韓国大統領選2022・尹錫悦とは何者か】(下) 知日派をブレーンに

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韓国の保守系最大野党『国民の力』の大統領候補で前検事総長の尹錫悦(61)は、「国政は難しい」と弱音を漏らしたことがある。国政経験がない弱点を補おうと、「実力ある専門家を起用し、結果に責任を持つ」と呼びかけてきた。陣営では保守系の大学教授らがブレーン集団を形成している。尹は新自由主義の旗手として知られるアメリカのノーベル経済学賞学者、ミルトン・フリードマンを信奉し、陣営関係者も「経済学の知識はある」と説明する。縁遠かったのが外交・安全保障分野で、検事総長を辞めた今春から大学教授らと勉強会を重ねた。注目されるのは、1965年の国交正常化以降で最悪と評される日本との関係だ。尹は先月12日、『ソウル外国人記者クラブ』で行なわれた記者会見で、「歴史問題、経済、安保協力を包括的に解決する」と関係改善の意欲を語った。対日強硬発言を繰り返す左派系与党『共に民主党』候補の李在明(56)とは対照的だ。ブレーンである元国立外交院長の尹徳敏氏やソウル大学国際大学院教授の朴語熙氏ら知日派の影響が大きいようだ。陣営関係者は、「文在寅政権が放置してきた対日関係改善に果敢に取り組む意欲がある」と力説する。尹は少年時代、経済学者として一橋大学で研究していた父に会いに訪日している。検察筋によると、検事時代には日本の検察組織について調べたこともある。日本への接近姿勢は、左派からの格好の攻撃材料となる。尹も日本関連の言動に細心の注意を払う。

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先月11日、尹は左派の元大統領、金大中の故郷である韓国南西端の全羅南道木浦を訪れ、日韓関係の改善を「金・小渕宣言を再確認することから始める」とアピールした。1998年10月、首相の小渕恵三が日本の植民地支配にお詫びを表明し、金は戦後の日本が国際社会で果たした役割を評価して、未来志向の関係を謳った日韓共同宣言のことだ。左派の金大中の功績を称える形であれば、国内の反日世論の攻撃を受けないと踏んだとみられる。法曹一筋で生きてきた尹には、大統領としての資質に疑問符が付くような不用意な発言が目立つ。「フェミニズムが政治的に悪用され過ぎて、男女間の健全な交際を妨げている」。8月の講演会での発言は、韓国の出生率が世界最低水準に落ち込んだ原因を、女性の権利擁護の問題と安易に結び付けたもので、党内でも顰蹙を買った。政界での組織作りの能力にも不安が付き纏う。先月5日に党公認候補に選出された後、選挙対策委員会の人選を巡る調整が難航した。尹は、朴槿恵前政権誕生の立役者で政界重鎮の元議員・金鍾仁に加え、金と不和説がある選挙参謀を同時に選対に招き入れようとした。この過程で、若者に人気の『国民の力』代表、李俊錫との協議も疎かにし、党内には約1ヵ月間、不協和音が響いた。尹には、周囲を旧知の議員や学者らで固め、ブレーンの助言が通り難くなっているとの評判も出ている。韓国メディアによると、尹に対し、検事出身の国会議員が「ここは命令すれば動く検察の世界ではない。個性を尊重して互いに協力しなければならない」と忠告した。選挙本番まで3ヵ月を切り、尹の言動に有権者は目を凝らしている。 《敬称略》

                    ◇

(ソウル支局)溝田拓士が担当しました。


キャプチャ  2021年12月18日付掲載

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【韓国大統領選2022・尹錫悦とは何者か】(中) “アンチ文在寅”象徴に

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韓国の保守系最大野党『国民の力』の尹錫悦(60)は、検察トップの検事総長として、左派系の大統領である文在寅の周辺と衝突したことで、保守派や中道層から“アンチ文在寅”のシンボルに押し上げられた。ソウルの青瓦台(※大統領府)で2019年7月に行なわれた、尹の検事総長任命式。任命権者の文は尹に向かい、「大統領府であれ政府であれ、不正があれば厳正な姿勢で臨んでほしい」と語り、“生きている権力”に手加減しないよう求めた。当時の尹は、保守派の宿敵として名を上げていた。2018年までに李明博、朴槿恵という保守の大統領経験者2人を、収賄罪等で起訴に追い込んでいたからだ。尹は、歴代の多くの検事総長とは異なり、高検検事長を経験せずにソウル中央地検検事正から抜擢された。文が尹を味方と誤信していた証しだ。尹は拝命に当たって、「これまで検察が権力の前で揺れたという指摘は重く受け止めている」と述べた。韓国の検察は政権の顔色を窺い、“政権の犬”という悪評もあることを念頭に置いた発言だった。その言葉通り、就任後は文政権の急所を突いた。文の“分身”とも言われる側近で、文が法務大臣に指名した曹国の家族を巡る不正に切り込み、在宅起訴に持ち込んだ。

曹はソウル大学法学部教授時代から文と検察改革の構想を共に温めてきた盟友で、スキャンダルは文にとって大きな打撃となった。後任の法相となった左派系与党『共に民主党』元代表の秋美愛は、尹の部下を露骨に左遷し、捜査方針にも口出しした。尹は「検事総長は法相の部下ではない」と猛反発した。尹自身も職務停止命令や停職処分を受けた。最終的には秋を辞任に追い込んだ。文の支持率は、周辺で不正が明るみに出たことで下落した。一方で、対立する尹への国民の支持が広まっていく。昨年7月には、“次期大統領に相応しい人物”を問う世論調査で、野党系候補のトップに躍り出た。その頃の尹の心情は不明だ。韓国メディアによると、自らの名前を大統領候補の調査対象から外すよう、世論調査会社に求めたという。約3ヵ月後の10月、国会国政監査での尹の発言が物議を醸した。野党議員から検事総長退任後の政界転出の意思を問われ、「社会と国民の為にどう奉仕するか、方法は退任してからゆっくり考える」と含みを持たせた。政界関係者は「この頃には出馬の腹を固めていたのではないか」とみる。尹は先月5日の演説で、自らは「曹国の偽善、秋美愛の傲慢を倒した公正の象徴」だと強調した。韓国政治は、経済成長重視・日米韓連携で北朝鮮に厳しく対峙しようとする保守と、分配重視で反日・親北朝鮮の左派の2大政党が激しく対立する構図だ。尹の陣営関係者によると、尹は必ずしも保守政党からの出馬に拘っていなかった。今年6月に大統領選の出馬の意向を表明した当時は、中道候補として正式に立候補し、無党派層等から幅広い支持を集める構想を描いたという。しかし、周囲は「過去に中道から大統領に当選した人はない」と引き留めた。選挙運動の資金を自前で賄えない尹は、結局、大政党に頼るしかなかった。尹は7月末に『国民の力』の門を叩いた。 《敬称略》


キャプチャ  2021年12月16日付掲載

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【韓国大統領選2022・尹錫悦とは何者か】(上) “公正と正義”アピール

来年3月9日の韓国大統領選で、保守系最大野党『国民の力』から出馬する前検事総長の尹錫悦(60)は、議員等の政治経験がない異例の有力候補だ。その人物像や政策を追った。

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尹は党公認候補に選出された先月5日の演説で、「国民は大庄洞ゲートのような巨大な腐敗を根絶し、政界を改革することを私に命じた」と述べ、政権交代を訴えた。“大庄洞ゲート”とは、左派系与党『共に民主党』候補で、前京畿道知事の李在明(56)の側近らが巨利を得た宅地開発疑惑を指す。尹は検事出身の自分こそ“公正と正義”を実現できるとアピールし、対抗心を剥き出しにした。尹には、政権が左派か保守かを問わず、権力中枢に切り込んだとの評価が定着している。26年の検事生活でついたあだ名は「硬骨の検事」(韓国メディア)だ。原点は学生時代に見いだせる。ソウル大法学部2年だった1980年5月8日、前年に起きたクーデターを裁く模擬法廷で裁判長役を務め、国軍保安司令官の全斗煥(※後の大統領、先月死去)に無期懲役の判決を下した。噂は学外に広まった。直後に戒厳令を敷いた軍政当局の摘発を警戒し、尹は東部江陵の祖母宅に3ヵ月間、身を潜めた。隣家の女性(69)は「(尹が)いつもの明るい表情で萎縮していなかった」と回想する。

この女性の証言や韓国メディアの報道によれば、尹の父はソウルの名門・延世大学の教授を務めた経済学者で、国費で一橋大学に留学した。祖先は高麗王朝時代の両班(※特権階級)という名門家系で、家庭の厳しい躾が尹の正義感に影響を与えたのだという。ソウル大学4年で司法試験一次に合格したが、最終試験パスまでに9年も要した。ある年の司法試験では、友人と豚足を食べに行く約束を待ちきれず、試験時間を残したまま答案を提出し、0.4点足りず不合格になったエピソードもある。酒好きの交際家で、法律書以外の読書に熱中するあまり、試験勉強に身が入らなかったとも言われる。司法研修で同期だった年下の弁護士は、尹を豪放磊落な性格だと評し、「司法浪人したことを恥ずかしがっていないように見えた」と回想する。30代半ばで遅咲きの検事生活を始めた。その為か、検察筋は「検事としての成果に人一倍拘っていた」と振り返る。政財界の不正に切り込む検事として頭角を現したのは、2002年の大統領選に絡む、左派の大統領・盧武鉉周辺の大規模な政治資金法違反事件だった。その後、保守の大統領・李明博の退任後の起訴も指揮した。保守の朴槿恵政権では、情報機関『国家情報院』による世論操作疑惑の捜査を主導したが、政権の意向を忖度した上司の命令に反して捜査を続けた為、停職処分を受けた。2013年10月の国会国政監査で詰問され、尹は「私は(特定の)人には忠誠を尽くさない」と語っている。後に朴の不正を巡る捜査チームのトップに返り咲き、朴の起訴に関わった。尹をよく知る検察筋は言う。「権力の頂点にいる人を逮捕することに誇りを感じていた」。酒席ではよく、「国会を掃除してやる」と気炎を吐いていたという。スター検事になった尹は、数奇な経線を辿り、大統領候補となった。内憂外患の韓国のリーダーとなれるかどうかは未知数だ。 《敬称略》


キャプチャ  2021年12月15日付掲載

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【新型コロナウイルス・闘う女性たち】第1部・非正規雇用(下) 就職への道、NPOが伴走

20220128 13
東京都内の50代女性は今夏、会計事務所に契約社員として採用され、来春には正社員になれそうだ。21歳の長女と高校2年生の長男の3人家族で、「50歳を超えて正社員に向けて就職できるとは思わなかった」と喜ぶ。長男が東京の高校へ進学するのに合わせて、九州から上京。職場を探し、昨年3月、非正規で企業のパソコンサポートの仕事を始めた。月収28万円だったが、企業の業績悪化でサポートの仕事も縮小となり、6月上旬に仕事を失った。英語が堪能で、簿記等複数の資格を持つ。ただ、就職となると年齢が壁となった。条件のいい職場は若者が優先的に採用される。幾つかの正社員採用試験で不採用になる中、検索して見つけたのがNPO法人『しんぐるまざあずふぉーらむ』だった。同法人は、コロナ禍でシングルマザーが困窮しているのは、基礎的なITのスキルや履歴書の書き方等のノウハウが足りない為と考え、こうした支援を拡充していた。女性はメール等で履歴書の書き方等を1ヵ月指導してもらい、採用に至ったという。

NPO等の就職支援が、女性たちの力になっている。高校3年の息子を育てる東京都内の50代女性は、NPO法人『キッズドア』の無料オンライン就労支援講座『わたしみらいプロジェクト』を受講し、講師に採用された。「仕事から離れていて自分に自信がなかったのですが、就労支援を受け挑戦してもいいと思えるようになりました」と話す。女性は長らく専業主婦で、一昨年の離婚後、久しぶりにパートで働いた。しかし、病気が見つかって休みがちになり、あまり体を動かさなくてもいい職場を探したが、コロナ禍で選択肢がない。「経験も少ないし、どこからも採用されないのでは」という不安に苛まれた。女性はキッズドアから食糧支援を受けたことをきっかけに、オンライン就労支援講座を受講した。同講座は平日の夕方や週末に開催していたので、参加し易かったという。国にも似た制度がある。月10万円の給付金を受け取りながら、就職の為の訓練を受けられる求職者支援制度だ。雇用保険の失業給付が受けられない人を対象に、IT等の知識を身に付けてもらうことを目的にしている。受講期間は2~6ヵ月だが、受給には本人収入が月8万円以下等の条件があるので、訓練だけ受ける人もいる。会計事務所の50代女性は、「利用して給付金を受けたが、講義を欠席できない等条件が厳しいと感じました」と話す。キッズドア理事長の渡辺由美子さんは「非正規雇用者は平日に学ぶ機会は少ないし、ハローワークにも行き難い」とした上で、「職を失ったり、見つからなかったりすると心が疲れます。NPOの就労支援等は空いた時間にスキルを身に付けられるので、利用して自信を持つきっかけにしてほしい」と話した。

■女性の雇用問題に詳しい『日本総合研究所』調査部副主任研究員の井上恵理菜さん
女性の労働市場は二極化が進んでいる。IT等の分野で正社員が増えて賃金も上がっているが、飲食業等の対人サービスや事務系の求人数は減っている。安定した職に就くには、スキルや資格を身に付ける職業訓練が重要になってくる。求職者支援制度は10万円の受給条件が厳しい。職業訓練利用者のうち、受給しているのは半数以下だ。安心して就職活動に取り組んでもらう為にも、条件を緩和して受給し易くしたほうがいい。労働市場とのミスマッチを防ぐ就職支援も重要だ。介護等のケア労働は敬遠される傾向にあるが、職場体験等を実施し、具体的に働くイメージを持てるようにするとよい。民間でもきめ細かなサポートをしている団体があり、そうした団体への助成金や、求職者を繋ぐ仕組み作り等も必要となる。

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福島憲佑・木引美穂が担当しました。


キャプチャ  2021年12月17日付掲載

テーマ : 経済ニュース
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