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【ソニーの現在地】(13) 時価総額はソニーの4分の1! パナソニックの“失敗の分岐点”

20220228 03
先月24日に大阪で開催された『パナソニック』の株主総会で、株主からは業績と株価の低迷に対する批判の声が出た。「ソニーは過去最高益を出しているのに、パナソニックは30年前と売上高が変わっていない」という株主からの指摘に対し、津賀一宏社長(※現会長)は「お客様へのお役立ちを絶えず新しい形に拡大している」と現状を説明しつつ、「株価に反映されるのには時間がかかる」と弁明した。パナソニックと『ソニーグループ』の現在の事業領域は、一部のAV機器を除いてほぼ重ならない。だが、嘗ては総合電機メーカーとしてテレビや録画機等でライバル視され、共にテレビ事業を元凶とする業績不振に陥った。時価総額も同程度だった。それが、平井一夫前社長によるソニーの構造改革が実を結び始めた2015年頃からソニーの時価総額がパナソニックを上回るようになり、2021年現在のソニーの時価総額は約14兆円。パナソニックの4倍以上と大差がついている(※左図)。ソニーが見事復活を果たした一方で、何故パナソニックは未だに旧態依然のままなのか。その“運命の分かれ道”はどこにあったのだろうか。実は、リーマンショックで業績が落ち込んだ大手電機メーカーの中でも逸早く業績を回復させたのがパナソニックだった。2011、2012年度と2期連続で7000億円超の巨額赤字を計上したが、プラズマテレビからの撤退等で膿を出しつつあった。BtoCから車載機器や住宅等のBtoBへのシフトを掲げた経営方針も評価され、2014年時点ではソニーよりも高い時価総額を誇った。新聞各社も「パナソニックは業績回復鮮明」と持ち上げる記事を連発した。

ところが、2015年頃から構造改革が停滞し始めた。プラズマテレビからは撤退したものの、他にも赤字事業は半導体や液晶パネル、テレビ等が残っていた。これらの事業の“選択と集中”は遅れ、液晶パネル生産と半導体からの撤退を発表したのは2019年、テレビの低価格機種の委託生産方針を明らかにしたのは今年に入ってからだ。人員削減は事業リストラに伴うものが主体であり、こうしたリストラの不徹底が今でも尾を引いている。ソニーがエレキ事業を中心に2万人の人員削減を行ない、テレビの高級路線シフトや、パソコンやリチウムイオン電池等の不採算事業の売却を実施したのとは対照的だ。成長領域への投資でも誤算があった。BtoBシフトの柱は、車載分野への注力だった。コックピット領域(※運転席周り)やADAS(※先進運転支援システム)、車載電池等で事業拡大を狙い、通常の事業投資の他に設けられた1兆円の戦略投資枠のうち、5000億円以上が車載事業に投じられた。2018年には『ボッシュ』や『デンソー』等のメガサプライヤーが鎬を削る車載部品市場において、トップ10入りを目指すという高い目標も掲げられた。ただ、コックピット領域やADASでの過去の取引実績は一部メーカー相手に限られ、投資をしても成長に繋がるかは未知数だった。車載機器では欧州メーカー買収する等拡大を急いだが、無理な受注拡大で逆に減損が発生する等、裏目に出ることもあった。車載領域でパナソニックに優位性があったのは、寧ろリチウムイオン電池だ。パナソニックは2013年当時、車載リチウム電池で世界シェア約4割を占めるトップメーカーだった。2009年には『テスラ』と円筒形リチウムイオン電池の供給契約を結び、共同運営する電池工場には2000億円以上を投じた。尤も、テスラの他にこの円筒形電池を採用するメーカーは乏しく、主流は角形電池だ。結果、車載電池事業の業績はテスラの生産動向に激しく左右されることになってしまった。パナソニックは2009~2011年にかけて、車載向けの角形電池を持つ『三洋電機』を6000億円以上で完全子会社化していたが、組織統合が上手くいかず、有力な技術者がライバル企業へ流出する事態を招いていた。テスラ事業の投資回収に時間がかかった車載事業は、2020年3月期からの3ヵ年計画で成長事業から“再挑戦事業”に格下げされ、角形電池事業も『トヨタ自動車』との合弁企業へと切り離された。ソニーが画像センサーを成長領域と定めて集中投資し、4割を超す市場シェアを築いたのとは又しても対照的だ。“選択と集中”の遅れ、そして成長領域での迷走の中で、今のパナソニックはアイデンティティーを見失っているように見える。2018年に津賀社長はパナソニックを“くらしアップデート業を営む会社”と定義した。単品売り切り型の大量生産モデルから脱却し、住空間や社会インフラ分野を中心に、幅広い製品群とソフトウェアを組み合わせた継続課金モデルを目指すというわけだ。この路線の下で、2009年秋に『グーグル』のスマートホーム部門を率いていた松岡陽子氏を招聘。今年には供給網効率化業務を手がけるアメリカのソフトウェア企業『ブルーヨンダー』を7800億円で巨額買収すると発表した。倉庫の在庫管理といった法人向けの継続課金ビジネスモデルの強化を狙う。ただ、一度掲げた“くらしアップデート”という目標を今のパナソニックが自ら発信することはない。社内から「わかり難い」と不評を買い、徐々に決算資料等でも使われなくなっていった。6月に新たに社長に就任した楠見雄規CEOは、代わりに“地球環境問題の解決”を目標として掲げるが、パナソニックが何の会社なのかはやはり不明瞭だ。パナソニックの示す方向性はBtoBでの継続課金モデルの確立であるが、具体的にどのような収益拡大モデルを思い描いているのか。パナソニックが“自分探しの旅”を終え、再び市場評価でソニーと伍する日が来るのは未だ先だ。 (取材・文/本誌 劉彥甫)


キャプチャ  2021年7月17日号掲載

テーマ : 経済ニュース
ジャンル : ニュース

【真珠湾攻撃80年・櫻井翔が読み解く戦争】(09) 「どこかで『もう止めとけ』と言われるのでは、と少し怖くもあった」――櫻井翔さんインタビュー

本誌に2万5000字の論文を寄稿した櫻井翔は、戦没した大伯父の櫻井次男氏の記憶とどう向き合い、執筆したのか。次男氏の弟であり、“戦没した兄”について自著に書き残した祖父・櫻井三男氏は、どのような存在だったのか。 (聞き手/本誌 小暮聡子)



20220228 02
――櫻井さんにとって、新聞記者だった祖父の櫻井三男氏はどういう存在でしたか?
「祖父が新聞記者だったというのは、子供の時は全く知りませんでした。物心ついた時にはもう引退していたので、記者だったと知ったのは、ほぼ亡くなったのと同時期です。僕にとっては“父方の爺ちゃん”であり、それを超えるものはなくて、何をやっている人なのかは知らなかったし、考えもしませんでした。亡くなったタイミングで漠然と徐々に知ることになって、祖父が書いた記事を見つけ、戦没者の遺骨収集をやっていたことを知り…。ただ縁深いなと思うのは、奇しくも祖父が亡くなった年に僕はキャスターを始め、報道の世界に足を踏み入れることになりました。祖父の背中を知らなかったので背中を追うというのは特にないのですが、結果的に何だか重なり合っていくような、そういう縁は感じます。この仕事(=芸能界)にそれほど好意的でなかった祖父が、もうあと1年生きていたら何か別の思いを感じてくれたのかな、という思いはずっとあります」
――芸能界での仕事について、祖父の三男さんから何かを言われることはありましたか?
「なかったですね。それこそ触れなくなりました。会話は少し減ったかもしれない。中2の時に芸能界に入って、距離ができたとは思っていました。一般論だとは思うのですが、孫が独断で芸能界に入るなんて、祖父の世代の人からしたら突拍子もないことだと思うので、到底応援できるものではなかったとは思っています」

――櫻井さんは、祖父に対して後ろめたさのようなものを感じていたのですか?
「子供だったのでそこまではありませんでしたが、何か気まずいな、ちょっと行き難いな、というのはありました。何せ初孫だったので、それは愛されました。愛されている自覚はあったのですが、どこか怖かったですね。第一子で里帰り出産でしたし、父も忙しかったので、父方の祖父母宅に行くことは圧倒的に少なかった。だからなのか、父方の祖父母宅には何となく襟を正して、ぴしっとして行かなきゃいけないな、と。特別厳格な家でもないですけど、どこか緊張する感じはありました」
――今回、祖父と同じく記者として取材し、それを文章に書くということをされたわけですが、キャスターとしてテレビ画面を通して伝えるのとは違うものがありましたか?
「大きく違いました。テレビにおけるキャスターとは“繋ぐ役割”だと常々思っています。テレビの場合は話している時の目の動き、表情、声色を以て伝わるものがあります。それを兎に角アーカイブとして、記録として残そうともしています。一方で活字の場合は、文献を洗い、写真を見て、時代を知り…これは映像ではできないことでした。毎年のように戦争を伝えてきましたけど、今回の内容はやっぱり活字でなければ伝えられないものでしたし、想像以上に大きなものが自分の中に残ったと思っています」
――書くということは自分と向き合う作業でもありましたか?
「自分と向き合ったのかはわからないですが、兎に角、寝付けないんですよね。寝る時間がないとかではなくて、寝付けない。書くというアドレナリンで覚醒しているのか、あの時代にいるからなのかわからないですけど。布団に入っても、何だかうわーとなって、急に思い出したりして、起き出してパソコンに打ち込み始めてみたり。情報と知識を資料で大量に見ていて、映像として急にスコーンって出てくる時とか…。それは今回初めての経験で、びっくりした部分ではありました」
――本連載第4回では、まるで大伯父の次男さんに憑依したかのように書かれていました。
「憑依していたのかな(笑)。自分の中では見えている景色を書いていたという感覚でした。特に海軍経理学校の日々については、頭の中に築地の景色、湖畔会での鰻の匂い、入校式のざわめきみたいなものが沢山あって、それを文字に落としていました…ということは、そうか、そこにいたのかな。若しそこにいたとするなら、それこそモノクロがカラーになる感覚というか。ある意味、今とは全く違う想像もできない特殊な時代だったと思っていたものが、今と変わらぬ日常だった、生活があったんだなと。それを少しでも伝えたくて、試験が13科目あってとか、何時に寝て起きてとか、資料を基に細かく書いていました」
――まるで櫻井さんが見てきたかのように描写していました。
「それについては、ジレンマも大きかったです。やはりある程度、脚色が含まれるわけなので。色を付けていく作業にはまさに脚色も必要ではあるけれど、どこまでが事実に基づき、どこからが脚色なのかという点は凄く悩みました。究極的には、若し自分が次男さんならこうだろう、と書くしかなかった。例えば、海軍士官になって初めて家に帰って、“気恥ずかしさと誇らしさが同居する”という一文は、書くのに物凄く抵抗がありました。本当にそう思ったのだろうかと。でも、若し自分ならと想像して、読者の人に伝わるのであれば、と思って書きました」
――抵抗があるというのはとても重いと思います。間違ったことを書いてしまったら、次男さんに対して失礼に当たりますよね。
「そうなんですよ。ご本人の影が浮かぶんですよね」
――櫻井さんは、その覚悟や責任まで背負って書かれたというのが伝わってくる原稿でした。自分はできる限りのことは調べた、理解しようと努力したと言えて初めてあの次元に入れるのだと思います。それにしても、兎に角、お忙しい櫻井さんから毎日、何度も修正原稿が届いて、どこでどう作業をされているのだろうと。11月26日、北海道から沖縄に弾丸で日本を縦断している最中に3回も修正原稿が届いた時には驚きました。
「あの時は飛行機の中でやっていたのですが、普段は勿論家で、机の上に資料を広げて。僕はやる時間を決めているので、仕事の合間にはやっていないです。ああ、でも飛行機は合間なのか…確かに、昨日もCMの現場でやっていたな…。でも、基本的には“書く日”と決めた時に書いていました」

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テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

【テレビの裏側】(201) ボーダーレス化が加速する“テレビとYouTube”

https://friday.gold/article/104631


キャプチャ  2022年3月11日号掲載

テーマ : 芸能ニュース
ジャンル : ニュース

【NPO法人『Fine』理事長インタビュー】(04) メンタル支援も不可欠

20220225 15
「不妊治療は周囲に話しづらい」といわれる。つらさを抱え込む人も多い。同じ病院に通っていたAさんは時折「本当はあんまり積極的に治療をしたくない。薬もつらいの」と言っていた。夫や医師らに本音を話せず、夫らもよかれと思って次の治療を勧めた。ついに心身に支障をきたし、心療内科に通うようになって治療は終わった。もっと早く周囲に悩みを打ち明けていれば、私も「旦那様とちゃんと話してみたら」と勧めるだけでなく何かできなかったのか…。いまだに悔やまれる。不妊の課題は一人で抱えるにはあまりに重い。心理士資格を持つ生殖心理カウンセラーや、医療資格を持つ人が多い不妊カウンセラーなどが活動しているが、相談にたどり着けない人が多い。厚生労働省や自治体による不妊専門相談センターも、敷居の高さなどから利用は伸び悩む。我々の団体も設立以来の活動の柱として不妊ピアカウンセラーの育成とカウンセリングの提供を続ける。ピア(※同じ立場)の仲間が心理的な知識・手法を学び、不妊専門カウンセラーとして活動する。この数年、男性の相談も増えている。女性よりも相談しづらく、一人で悩むケースが多い。『世界保健機関(WHO)』によると、不妊原因が男性にもあるケースが全体の約5割に上る(※原因が女性のみ41%、男性のみ24%、男女とも24%、不明11%)。相談の場があることを知ってもらいたい。今後、保険適用された場合、不妊治療のやめどきに悩むケースも増えると予想される。現状の助成金は43歳未満との年齢制限があり、区切りとされてきた面がある。もし保険に年齢制限がなければ、自主的に区切りをつけなければならない。自ら「一生、子どもを持たない、持てない」と決めることは並大抵ではない。私もこの決断を経験した。こうしたときにもメンタルケアは欠かせない。メンタルケアや不妊治療を特別視する風潮が日本は強い。それが多くの課題を生んでいる。「私今、不妊治療してるの」「へぇ、そうなのね」と会話ができる日がいつか訪れてほしい。そうすれば“言えない”ことからくる様々な課題やミスコミュニケーションは改善されるだろう。 =おわり


松本亜樹子(まつもと・あきこ) 長崎県出身。結婚後、不妊治療を経験。自身の不妊の体験を出版したことを機に、2004年にNPO法人『Fine』(https://j-fine.jp/)を設立し、理事長に就任。相談支援や実態調査、不妊白書の作成等に取り組む。


キャプチャ  2021年7月6日付掲載

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

【NPO法人『Fine』理事長インタビュー】(03) 仕事と両立、支援策検討を

20220225 14
働く女性が不妊治療をする場合、仕事との両立が課題となる。特に体外受精では女性の卵子を投薬や注射などでじっくり育て、程よい大きさになったら手術で体外に取り出し、精子と受精させ、受精卵を再び子宮に戻して着床・妊娠するのを待つ。育ち具合は人それぞれで、使う薬や体調によっても変わる。こまめに様子を見る。頻回で突発的な通院が必要となる。そもそも「不妊治療している」ことを職場で言えない人も多い。我々のアンケートによると、仕事しながら不妊治療をした経験がある5471人のうち96%が「両立が難しい」と答えた。理由は「急に、頻繁に仕事を休む必要がある」が最も多かった。企業にサポート制度が「ある」と答えた人はわずか6%で、うち4割は「制度が使えなかった(使おうと思わない)」と答えた。「1ヵ月前に申請しなくてはならず、急な休みに使えない」「上司に『そんな制度はない』と言われた」などせっかくの制度を生かせない状況がある。制度設計の際に現場の声を聞いてほしいと願わずにいられない。「不妊に特化した制度は現実的ではない」という声も聞く。まったくもってその通りだ。必ずしも特化する必要はなく、既存の育児・介護等の休暇制度に可能な範囲で「不妊治療にも使える」と追加すれば十分だ。従業員は「会社が理解を示してくれた」「応援してくれている」と感じ、仕事を続けるモチベーションも上がるだろう。実際、当事者の多くは「仕事は継続したい」と答えている。治療は永遠に続くものではなく、良くも悪くも必ず終わりがくる。両立を頑張る従業員のために支援策を検討してほしい。両立できず、退職を余儀なくされるケースも後を絶たない。残念なことに「不妊治療するなら契約社員になったらどうかといわれた。マタハラと同じだと思い、心が傷ついた」「不妊治療したいなら退職してから、といわれた」との声も寄せられる。不妊に悩む人への心ない言動を“プレマタニティハラスメント”と呼んでいる。厚生労働省の調査では治療する就労女性の4人に1人が、両立できず“不妊退職”した。大きな社会課題だ。我々の試算では不妊退職の社会的経済損失は1345億円を超える。こうした現実を知ってもらおうと『不妊白書2018』をまとめた。


キャプチャ  2021年6月29日付掲載

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

【NPO法人『Fine』理事長インタビュー】(02) 不妊治療、保険適用にも課題

20220225 13
団体設立当初から、不妊治療には4つの負担があると提唱してきた。第一は治療に伴う痛みや副作用などの“身体的負担”、第二は仕事と治療の両立など“時間的負担”、第三は周囲からのプレッシャーや自己嫌悪、自己否定など“精神的負担”。そして、最後が高額な治療費による“経済的負担”だ。不妊治療のほとんどは健康保険が使えず、自費診療となる。体外受精ともなると1回の治療費が40万~60万円以上かかる。不妊に悩む当事者たちは費用を工面するのに大変な苦労をしている。費用を理由に体外受精を諦めるカップルも少なくない。治療しても妊娠・出産できず、「お金が続かない」と治療を断念する人も後を絶たない。我々が実施したアンケートでは、治療に使った金額は“100万円以上200万円未満”が24%と最多。約半数が100万円以上使っていた。「100万円以上治療に注ぎ込み、先の見えないトンネル、底のない沼にハマったよう。私の人生は不妊治療で狂い始めた」。悲痛な声が寄せられた。現在、不妊治療への保険適用が議論されている。保険が使えるようになれば課題がすべてクリアになるか、というと、そう一概には言えない。保険適用で負担が軽くなれば費用を理由に体外受精を諦めるカップルが減り、子どもを授かる可能性は高くなるだろう。大きなメリットだ。ただ残念ながらメリットばかりではない。不妊治療は個々の体調や体質に合わせて細かい調整が必要だ。標準化が難しく、オプションとされる投薬や検査が必要な患者も多い。どこまで保険適用の範囲とするかの線引きは非常に難しい。保険診療と保険外診療を併用する混合診療は原則認められない。それでも保険外の治療を受けようとすれば、全額自費になる。体外受精を受けるカップル向けの助成金も、保険適用後に廃止されてしまう恐れがある。全額自費の上に助成金がなくなれば、現状よりも負担額が重い患者が出かねない。不妊治療を保険適用する制度設計で最も大きな課題だ。保険が使えるからと本人の意向にかかわらず周囲が治療を勧めることも起こるかもしれない。保険適用にはメリットだけでなく、心配な側面があることも広く知ってほしい。


キャプチャ  2021年6月22日付掲載

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

【NPO法人『Fine』理事長インタビュー】(01) 不妊の悩み、声届けたい

20220225 12
「子どもは3人。男の子が1人、女の子が2人。女の子にはバレエを、男の子には剣道を習わせたいな」。ずっと思い描いていた私の家族像だ。まさか子どもができないなんて…。思い切って病院に通い始めたら、とんとん拍子に治療が進み、気づけば不妊治療の道一直線。治療のたびに期待しては妊娠できず自己否定を繰り返す。治療費は膨大な金額になっていた。同じ経験をする人は少なくない。日本ではカップル5.5組に1組が不妊治療や検査を受けている。「不妊かも」と悩んだことがあるのは3組に1組だ。最も高度な治療である体外受精で生まれた赤ちゃんは、2018年のデータで日本の出生数の約16人に1人を占める。クラスに2人はいる計算だ。体外受精などの治療総数は2018年に45万4893回。これまでの累積で65万333人の子どもが治療を経て生まれている。不妊は今や多くの人が抱える深刻な問題だ。だが公言されることが少なく、課題や悩みが可視化されづらい。そこから派生して数多くの課題を生み出している。私が当時、心のよりどころとしたのはインターネットの掲示板だ。全国からたくさんの当事者たちがアクセスし、想いや状況を書きこみ、交流した。同じ経験をする者同士、妊娠できない悲しさやつらさ、社会の無理解を嘆き、時に憤った。励ましあいながら不妊と向き合った。リアルでは話せないことも、インターネットの中では話せた。何年も掲示板を見ていて、ある規則性に気付いた。お正月には赤ちゃんの写真付きの年賀状で嘆き悲しむ人がいて、それを慰める人がいて、ひとしきり盛り上がる。節句、子どもの日、母の日、父の日などの行事ごとに同じ光景が続いていた。それでわかったのだ。「ここで言い合っていても、社会は何も変わらない」。この声をどこかに届けたい。届いたら何かが変わるかもしれない。2004年、NPO法人『Fine 現在・過去・未来の不妊体験者を支援する会』を仲間たちと立ち上げた。


キャプチャ  2021年6月15日付掲載

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

【同志社総長エッセイ】(05) 新島襄の記念碑

20220225 11
同志社の創立者、新島襄に関係する碑のある場所で行われる碑前祭に学長、総長として参加してきた。同志社中学に入学して60年。若い頃は新島の精神を深く学ぼうとは思わなかったが、教学と学校運営の責任者となって新島の軌跡や言葉を詳しく知ると、その挑戦心と志が学校をまとめる芯になっていると感じる。碑はあちこちにある。東京都千代田区の学士会館近くには生誕の地の碑があり、生誕日の2月12日朝に同志社の関係者らが集まって讃美歌を歌う。都心の道路脇にスーツ姿の男女が大勢集まって歌う姿を見て、通りかかった人は何事かと驚いた表情を浮かべる。北海道函館市には海外渡航の地碑がある。新島は鎖国政策が続いていた1864年、函館港から米商船ベルリン号に乗って脱国。上海経由で翌年米国に渡り、およそ10年間キリスト教などを学んで帰国した。碑は同志社と函館市が資金を出し1954年に建立した。出港した6月14日に同志社と函館市の関係者が集まって碑前祭をしている。碑には“男児決志馳千里”(※男児志を決して千里を馳す)などと刻まれている。激動の時代に国禁を破って1年がかりで渡米し、10年かけて教学を修め、宣教師となって戻った志の強さには敬服するしかない。新島は同志社大学設立に向けて奔走する中、病に倒れ、療養していた神奈川県大磯町の旅館で亡くなった。旅館跡には終焉の地碑が建てられ、命日の1月23日に黙祷と讃美歌をささげる礼拝を続けている。比較的新しい碑は新島が船で函館に向かう途中、荒天を避けて滞在した青森県風間浦村に1992年に建てられた寄港記念碑だ。秋に碑前祭を行うほか、村と協定を結び、中学生の相互訪問など交流事業を続けている。学校教育は知識と知恵を教えるが、知恵をいかに教えるかという工夫の部分に私学の特色が出る。新島が追求した、キリスト教精神に基づく良心を育む教育が同志社の知恵の核だ。毎年、各地の碑前祭を巡ってその気持ちを新たにしている。 =おわり


八田英二(はった・えいじ) 1949年、京都府生まれ。同志社大学経済学部卒。同学部教授、学部長を経て、1998年から2013年まで学長、2017年から学校法人『同志社』総長・理事長。2021年11月まで『日本高等学校野球連盟』会長を6年余り務めた。


キャプチャ  2021年12月10日付夕刊掲載

テーマ : 大学
ジャンル : 学校・教育

【同志社総長エッセイ】(04) 大学コンソーシアム京都

20220225 10
大学コンソーシアム京都は異なる大学間の単位互換や社会人向けの講義提供などをし、全国の大学連携、地域連携の先駆けとなった組織だ。現在48の国公私立大学・短大が加盟し、多彩な事業を展開している。財団法人化後の1998年から理事長を14年務めたが、その期間は大学間の競争と協調、地域との連携の大切さを実感する日々だった。ライバル校の立命館は滋賀県草津市にキャンパスや学部を新設したり、大分県に新大学を開学したりと、組織の拡大を続けていた。一方、同志社は1949年に商学部と工学部を新設して以降、6学部のままだった。少子化で大学間競争が激しくなるのにおっとりしていたのは確かで、立命館の理事長が「あちらは老舗の酒屋」と話しているのを新聞で読み、ムム…とうなったことも。学長に就任してから将来を見据えて学部新設や今出川キャンパスの整備などを積極的に進めた。大学誘致をする地方自治体は補助金や土地の提供など様々な支援策を打ち出す。しかし、京都市は大学が多く、特定校だけの優遇はできない。その縛りがないコンソーシアムに市は多大な支援をしてくれた。事務局がある京都駅前のキャンパスプラザ京都(※右画像)の建設には100億円近い予算が投じられた。運営の中心となっている同志社、立命館、龍谷、京都産業大学は学生獲得では競争関係にあるが、大学の街・京都を盛り上げていくという点では同志、仲間だ。私が理事長になってしばらく事務局長として支えてくれたのは現在立命館の理事長をしている森島朋三さん。よく酒を酌み交わして議論した。一大学では実施が難しい事業もコンソーシアムでは試みることができる。アイデアを出し、実現して軌道に乗せ、自分のところに持ち帰る流れも生まれた。学生にとっても特色のある別大学の講義を受講できるのは魅力だ。私のゼミにも池坊短大で生け花の授業を受けている学生がいた。同志社大の学部は8つ増えて14学部になった。競争と協調で京都の大学・短大が存在感を増し、充実した教育研究ができるようになってほしいと願っている。


キャプチャ  2021年12月9日付夕刊掲載

テーマ : 大学
ジャンル : 学校・教育

【同志社総長エッセイ】(03) 甲子園の交流試合

20220225 09
先月末に日本高等学校野球連盟の会長を退任した。2015年9月に早稲田の奥島孝康元総長から引き継いでから6年余り。高校野球は学校教育の一環との理念の下、選手の健康への配慮や女性の参加で改革に取り組んだ。投球数制限やタイブレーク制の導入、女性理事誕生、女子部員の甲子園練習参加を実現できたことはよかったと思う。在任中の一番の思い出はなんと言っても2020年夏に開催した交流試合だ。新型コロナウイルスの感染が拡大する中、春の選抜大会を中止した。涙を流す出場校の選手らの気持ちを思うといたたまれなかった。感染は収まらず、夏の大会も5月20日に中止を決めた。49の代表を決める地方大会も中止である。それでも練習を続ける球児の姿が報道され、胸を打たれた。野球に打ち込んできた3年生は野球生活の集大成となる機会を失ってしまう。一部の地域は代替となる独自の試合開催の模索を始めた。政府のガイドラインが公表されたことを受け、高野連としてのガイドラインや実施要項を作成し、都道府県の高野連にお示しした。高校球児の夢の舞台である甲子園で試合をさせてあげられないか。議論する中で思いついたのが、春の選抜出場校を対象に、夏の大会日程を使って行う1試合だけの交流試合である。春は毎日新聞、夏は朝日新聞とともに大会を主催しているが、交流試合は高野連単独の主催になる。打診すると、両社とも快諾してくれた。甲子園球場も、球場を空けて待っています、と準備を応援してくれた。発表時にはテレビでニュース速報が流れた。準備作業はたいへんだったが、9人いる高野連の職員は皆、奮闘した。高校野球は高野連の理事も試合の審判も、関係する人の多くが手弁当のボランティアだ。代替試合と交流試合は、高校野球を愛し、支えてくれている人たちの熱い思いと厚意で実現できたと思っている。交流試合が終了した後、出場校の校長や監督から開催のお礼の言葉を数多くいただいた。「やってよかったとしみじみ思いました」。そう話す職員もいた。私も同じ思いだった。


キャプチャ  2021年12月8日付夕刊掲載

テーマ : 大学
ジャンル : 学校・教育

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George Clooney

Author:George Clooney

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