債務上限引き上げの難航がアメリカで懸念されている。過去の経験と比べて、落としどころが見え難いのが気がかりだ。アメリカでは、発行できる国債の残高に法律で上限を定めている。財務省によれば、6月初旬までに議会が上限を引き上げなければ、政府による支払いに支障を来す可能性がある。国債で資金調達できない為、日々の税収等による手持ち資金の範囲でしか、支払いに応じられなくなるからだ。思い起こされるのは、2011年の混乱だ。上限引き上げを巡る政権と議会の交渉が難航し、格付け会社『スタンダード&プアーズ』(※現在の『S&Pグローバル』)によるアメリカ国債の格下げもあり、世界的に金融市場が混乱した。不気味なのは、当時と今の共通点だ。2011年には、前年の中間選挙で民主党が下院の多数派を失っており、当時のバラク・オバマ政権が、上下院で多数派が異なる“ねじれ議会”との交渉に苦しんだ。ジョー・バイデン政権も、昨年の中間選挙で民主党が下院の多数派を失い、ねじれ議会と対峙している。下院の多数派となった共和党が、引き上げの条件に歳出削減を求めているのも、2011年と共通する構図だ。当時との違いは、財政再建への危機感だ。2011年は、リーマンショックで悪化した財政の再建が急務だった。アメリカ国債の格下げも、上限引き上げと同時に交渉された財政再建策が不十分だと見做されたからだ。実際に議会が上限を引き上げ、政府の支払いが滞る事態には至らなかったにも拘わらず、格下げは断行された。
財政再建への問題意識は、広く有権者に共有されていた。当時の世論調査では、二大政党の支持者の双方で、6割超が赤字削減を最重要課題に挙げていた。特に共和党では、小さな政府を過激に求めるティーパーティー(※茶会)運動が隆盛だった。今のアメリカでは、財政再建への危機感が浸透していない。世論調査で赤字削減を重要課題とする回答は、共和党支持者こそ7割に達しているが、民主党支持者は4割台だ。関心が高い筈の共和党ですら、ドナルド・トランプ前大統領が年金や高齢者向け医療保険の削減に反対する等、具体策は練られていない。財政再建で両政党の問題意識が揃わなければ、歩み寄る手がかりがない。共和党の提案では、気候変動対策予算の削減等、民主党が好む政策が狙い撃ちにされ易い。財政再建への危機感が低い以上、民主党が妥協するのは難しい。落としどころは見え難い。2011年には、格付け会社が格下げ回避に必要な赤字削減額を示していたが、今回はそうした目安がない。今のところ格付け会社は、アメリカ国債の元利償還が滞ることを格下げの条件に挙げており、共和党等からは「国債の元利償還を優先しさえすれば、他の支払いが滞っても構わない」との意見すら聞かれる。たとえ財政が健全でも、債務上限が引き上げられなければ、政府の支払いは滞る。国債の元利償還が続き、格下げが回避されても、年金や医療費の支払い等が止まれば、経済は混乱を免れない。債務上限の引き上げは、「今回も大丈夫」との楽観論が漂い易い。過去の経験でも最後は合意に至ってきたからだ。しかし、焦点が定まらない交渉は、ずるずると長引きかねない。まさかの展開には警戒が必要だ。
安井明彦(やすい・あきひこ) 『みずほリサーチ&テクノロジーズ』首席エコノミスト。1968年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、1991年に『富士総合研究所』(※現在のみずほ総合研究所)入社。在米日本大使館専門調査員・みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長・同政策調査部長・同欧米調査部長等を歴任。著書に『アメリカ 選択肢なき選択』(日本経済新聞出版社)。共著として『ベーシックアメリカ経済』(日経文庫)・『全解説ミャンマー経済 実力とリスクを見抜く』(日本経済新聞出版社)等。

2023年2月25日号掲載
テーマ : アメリカお家事情
ジャンル : 政治・経済