【脳は成長する】第2部・ブレインテック新時代(06) 「“死”からは逃れられる。何とか20年後に実現したい」――渡辺正峰氏(東京大学准教授)インタビュー
生身の体が死んでも、機械の中で目覚めて生き続ける――。東京大学発のベンチャー企業が、人の意識をコンピューターに“移植”するマインドアップローディングの技術開発に取り組んでいる。“死”を逃れるという究極のブレインテックが、本当に実現できるのか。この会社を起業した同大の渡辺正峰准教授に聞いた。 (聞き手・撮影/科学環境部 池田知広)

――人の意識をコンピューターに“移植”できるのでしょうか?
「できると考えています。脳の神経細胞であるニューロンの一つひとつの電気的な信号を伝える働きは、そこまで複雑なものではありません。ニューロンが膨大に集まった脳は、少し手の込んだ電気回路に過ぎないと言うことができます。その電気回路を機械上に再現できれば、そこにも意識が宿ると考えられます。意識について研究しているオーストラリアのデヴィッド・チャーマーズ博士は、ニューロンを一つずつシリコン製に置き換えた場合、全てが置き換わっても意識が残るという思考実験を発表しています」
――理論的に可能でも、技術的には困難に思われます。どのような方法があるのでしょうか?
「例えば、マサチューセッツ工科大学発のベンチャー企業“ネクトーム”は、死亡した直後の人の脳を取り出してから、ニューロン同士がどう結合しているのかを読み取り、その情報をコンピューター上にコピーすることで意識を移植しようとしています。しかし、この手法では、移植されるのは死後の脳の情報です。仮に意識が移植できたとしても、主体としての連続性はありません。読み取り精度にも限界があります。私は、人が生きているうちに脳と機械を繋いで意識を統合し、記憶まで機械に転送する方法を提案しています」
――“機械に意識が宿る”とは、どういう状態のことを指すのでしょうか?
「私は、機械に意識が芽生えたのかテストする方法を考えました。人の脳には右脳と左脳があります。それを繋ぐ脳梁という神経線維の束を切断して分離すると、右脳と左脳で其々意識が生まれることが、アメリカのノーベル医学生理学賞受賞者、故ロジャー・スペリー博士の研究でわかっています。私達が左右の視野を一つの景色として見られるのは、脳梁を通して左右其々の意識が統合されているからです。そこで片方の脳を機械に差し替えて、それでも左右の視野を一つの景色として見ることができれば、“機械のほうにも意識が芽生えた”という証明になると考えています」
――脳と機械を接続する方法があるのですか?
「脳梁に平板な電極を差し込み、機械の脳と統合する新たな方法を考案しました。意識を移植する上で重要なことは、機械側に“記憶”をきちんと転送できるかです。そうでなければ、機械の中で目覚めても、自分かどうかはわからないですよね。この電極は、新たなブレインマシーンインターフェース(※BMI)として、特許取得に向けた国際出願をしています」
――機械の脳とはどういうものですか?
「人の脳と接続するので、脳の情報処理のメカニズムを真似たコンピューターを想定しています」
――意識がコンピューターに移植された場合、どんな世界で生きていくことになるのでしょうか?
「先ずは、映画“マトリックス”で主人公がBMIを通して没入していたような、デジタルの仮想空間になると思います。マトリックスでは、仮想空間で体験するあらゆる感覚が信号として生身の脳に入ってくることで、仮想空間の中にいることにさえ気付かない状態になっていました。私がやろうとしているのは、その状態から更に進めて、コンピューターに意識を移植して脳もデジタル化することです。但し、技術が進展すれば、仮想空間だけでなく、アバターのロボットとして実世界の中で生きていくこともできるでしょう」
――意識のアップロードの実現まで、どのように会社の事業を成立させるのでしょうか?
「認知症では、記憶を司る部位、海馬の損傷が進みます。例えば、海馬と大脳皮質の間にBMIを挟み、海馬をコンピューターに置き換えることで、記憶をとどめておくことが可能になると考えています。こうした需要が出てくると思っています」
――道程は険しそうにも見えます。
「私は荒唐無稽なことを言っているつもりはありません。何とか20年後に実現したい。本気で信じているし、やりたいと思っています」 =第2部おわり
2022年12月29日付掲載

――人の意識をコンピューターに“移植”できるのでしょうか?
「できると考えています。脳の神経細胞であるニューロンの一つひとつの電気的な信号を伝える働きは、そこまで複雑なものではありません。ニューロンが膨大に集まった脳は、少し手の込んだ電気回路に過ぎないと言うことができます。その電気回路を機械上に再現できれば、そこにも意識が宿ると考えられます。意識について研究しているオーストラリアのデヴィッド・チャーマーズ博士は、ニューロンを一つずつシリコン製に置き換えた場合、全てが置き換わっても意識が残るという思考実験を発表しています」
――理論的に可能でも、技術的には困難に思われます。どのような方法があるのでしょうか?
「例えば、マサチューセッツ工科大学発のベンチャー企業“ネクトーム”は、死亡した直後の人の脳を取り出してから、ニューロン同士がどう結合しているのかを読み取り、その情報をコンピューター上にコピーすることで意識を移植しようとしています。しかし、この手法では、移植されるのは死後の脳の情報です。仮に意識が移植できたとしても、主体としての連続性はありません。読み取り精度にも限界があります。私は、人が生きているうちに脳と機械を繋いで意識を統合し、記憶まで機械に転送する方法を提案しています」
――“機械に意識が宿る”とは、どういう状態のことを指すのでしょうか?
「私は、機械に意識が芽生えたのかテストする方法を考えました。人の脳には右脳と左脳があります。それを繋ぐ脳梁という神経線維の束を切断して分離すると、右脳と左脳で其々意識が生まれることが、アメリカのノーベル医学生理学賞受賞者、故ロジャー・スペリー博士の研究でわかっています。私達が左右の視野を一つの景色として見られるのは、脳梁を通して左右其々の意識が統合されているからです。そこで片方の脳を機械に差し替えて、それでも左右の視野を一つの景色として見ることができれば、“機械のほうにも意識が芽生えた”という証明になると考えています」
――脳と機械を接続する方法があるのですか?
「脳梁に平板な電極を差し込み、機械の脳と統合する新たな方法を考案しました。意識を移植する上で重要なことは、機械側に“記憶”をきちんと転送できるかです。そうでなければ、機械の中で目覚めても、自分かどうかはわからないですよね。この電極は、新たなブレインマシーンインターフェース(※BMI)として、特許取得に向けた国際出願をしています」
――機械の脳とはどういうものですか?
「人の脳と接続するので、脳の情報処理のメカニズムを真似たコンピューターを想定しています」
――意識がコンピューターに移植された場合、どんな世界で生きていくことになるのでしょうか?
「先ずは、映画“マトリックス”で主人公がBMIを通して没入していたような、デジタルの仮想空間になると思います。マトリックスでは、仮想空間で体験するあらゆる感覚が信号として生身の脳に入ってくることで、仮想空間の中にいることにさえ気付かない状態になっていました。私がやろうとしているのは、その状態から更に進めて、コンピューターに意識を移植して脳もデジタル化することです。但し、技術が進展すれば、仮想空間だけでなく、アバターのロボットとして実世界の中で生きていくこともできるでしょう」
――意識のアップロードの実現まで、どのように会社の事業を成立させるのでしょうか?
「認知症では、記憶を司る部位、海馬の損傷が進みます。例えば、海馬と大脳皮質の間にBMIを挟み、海馬をコンピューターに置き換えることで、記憶をとどめておくことが可能になると考えています。こうした需要が出てくると思っています」
――道程は険しそうにも見えます。
「私は荒唐無稽なことを言っているつもりはありません。何とか20年後に実現したい。本気で信じているし、やりたいと思っています」 =第2部おわり

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【脳は成長する】第2部・ブレインテック新時代(05) 政治思想、AIで“解読”

政治思想が他人に解読され、為政者の意にそぐわない者が暴かれる――。そんな暗い監視社会の到来を予感させるような研究が、6月にウェブサイトで公開された。「(中国共産党員の)政治思想教育の受け入れ度を把握し、学習効果を評価できます」。中国東部、安徽省の『合肥総合国家科学センター』人工知能研究院は、思想教育の効果を可視化できると謳う装置を、そう宣伝した。中国の学術界の総本山『中国科学院』の指揮を受けている国家科学センター。装置は、脳波や皮膚から感知できる電気的な特徴を計測してAIで解析し、思想教育を受ける際の集中力等を判定する、と説明されていた。個々人の内心に踏み込む恐れがある装置の開発をアピールしたことに、国内外から批判的な声が上がった。英紙『デイリーテレグラフ』電子版は、「中国が“心を読むAI”を使って党員の忠誠心をテストしている」と報道した。過去のインターネット情報を保存するアーカイブサイトで人工知能研究院のページを見ると、心理チームの担当教授による「指導者にとって(党の思想を)学習させる方法の改善や学習内容の充実に役立つ」という発言が確認できた(※右画像、撮影/池田知広)。本紙は国家科学センターに開発の狙いをメールで問い合わせたが、回答は得られなかった。脳と機械を繋ぐブレインマシーンインターフェース(※BMI)の技術は、病気等で意思疎通が図れなくなった人でも思いを伝えられる可能性がある半面、個人の思想といった内心を読める技術でもある。オハイオ州立大学の研究グループは5月、脳をスキャンして、その人が保守派か、リベラル派かを識別できたとする論文を公表した。
成人174人に人の顔を見せて、男女を判断させる等、政治信条とは無関係な8つのテストをしてもらい、脳のどの部位が活動しているかを調べる機能的磁気共鳴画像化装置(※fMRI)で脳活動を読み取った。その結果をAIで分析したところ、保守派の人とリベラル派の人では脳活動に顕著な違いが見られた。記憶を司る海馬や、恐怖や不安等の感情と関連する扁桃体等、特定の領域の活性度合いが政治的な思想と強く関連していたという。若し、脳科学と最新技術を応用したブレインテックの一つとして、BMIで心を読めるようになった場合、知らぬ間に思想信条の自由を脅かす恐れはないのか。論文の執筆時はオハイオ州立大学に所属し、現在はノースイースタン大学で研究しているソ・ウンヤン氏は、本紙の取材に「1人の脳を測定するのに約500ドル(※約6万8000円)かかり、安くはない。市民の政治信条を明らかにしたいという(権力者側の)強い意図がない限り、社会の統制に悪用される可能性は低い」と説明する。脳神経科学の進展が法や社会に与える影響を研究する神経法学を専門とする慶應義塾大学の小久保智淳研究員は、「これまで法学や憲法学で前提とされてきた“内心の不可侵性”が崩れつつある」と指摘する。一方、話すことができない重度障害者の意思を脳波等で解読し、思いが伝えられるようになれば、社会参画に繋がる。こうした意思も内心に当たる為、小久保さんは「内心を読むことが“絶対に禁止”というのは不合理。誰がどこまで読んでいいのか、越えてはならない一線を決めておくべきではないか」と話す。古くはキリスト教の信者を見つける“踏み絵”、戦前は共産主義の運動を抑え込もうとした治安維持法のように、為政者は個人の内心に介入してきた。「国家にとって、人々の“内心”を知ることができる技術を使いたいという誘惑は非常に強く、注視しなければならない」。小久保さんはそう警鐘を鳴らす。但し、中国の国家科学センターの例については「技術的な根拠が見えない」とした上で、「科学技術が本当に“心を読める”と言える水準にまで達しているのかや、過剰な期待や恐れに私達が踊らされていないかも、慎重に見ていかないといけない」と語った。心を読むだけにとどまらず、ブレインテックは使い方によっては、洗脳にも繋がりかねない。企業からの出資を受けて、脳情報の研究開発をしている『国際電気通信基礎技術研究所』(※京都府精華町)等は2016年、BMIの技術を応用した脳の訓練により、人の顔の好みを好きから嫌いへ、嫌いから好きへ変化させることに成功したと論文で公表した。同じ手法で2018年には、蛇を怖がっていた人が感じていた恐怖や不快感を和らげることにも成功したと発表。心的外傷後ストレス障害(※PTSD)等の精神障害の新たな治療に繋がると期待されるが、研究グループ自らが「一歩間違えれば洗脳と見做される可能性もある」と認めている。この手法を開発した『理化学研究所』チームリーダーの柴田和久氏は、「現在のところ、規制を制度化しなくてはならないほど、内面を大きく変えることができるわけではない」と説明する。ただ、将来に向けた議論の重要性を強調する。「『科学者は無邪気に研究をやるけれど、それがどう利用されるかには無頓着だ』と言われないよう、考え続けないといけない。研究を進める上で、私達は必ず倫理や哲学の専門家の意見を聞いている」。他人の心を読むことに関する倫理的な問題を巡り、海外では技術の進展に応じてルールの整備に向けた動きが始まっている。『経済協力開発機構(OECD)』は2019年12月、各国政府や開発者を念頭に、“個人の脳データ情報を保護する”こと等を求める勧告を出した。南米チリでは、今年9月に否決されたものの、憲法改正案に“脳活動から得られる情報の保護”が盛り込まれた。大阪大学の石田柊特任助教(※応用倫理学)は、脳科学を応用した技術について、「“今できること”・“直近でできそうなこと”・“当面できそうにないこと”を明確に区別して議論する必要がある」と主張する。 (取材・文/科学環境部 池田知広・松本光樹・田中韻)

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【脳は成長する】第2部・ブレインテック新時代(04) 自動車、手使わず直感操作

流線型の黒いボディーに、水色に光るタイヤ。未来的なその車の中にハンドルは無い。運転席の脇に、段重ねの小さなケーキのように盛り上がった制御装置があるだけだ。運転手の頭には、ヘッドバンドが巻かれている(※左画像)。ドイツの『メルセデスベンツ』は昨年9月、“人が直感的に操作できる車”を、ミュンヘンで開かれたモーターショーで披露した。メルセデスが着目したのは、脳とコンピューターを繋ぐ技術であるブレインマシーンインターフェース(※BMI)だ。「BMIを自動車に応用すれば、例えばカーナビの目的地選択や窓の開閉が、考えるだけでできます」。現地の担当者は、そう説明する。脳波を検出してドライバーの意思を汲むことで、手を動かさなくても車内の機器を操作できるというのだ。今回は展示目的の為に作られた車で、未だそこまでは実現していない。来訪者はヘッドバンド型の脳波計を装着し、念じることでダッシュボードのパネルに表示される風景を変化させる体験を楽しんだ。運転は、制御装置に手を置くことで車体を動かす。メルセデスによると、脳波を使った操作で快適性を高め、運転手の負担を軽減する狙いがある。担当者は、「未だ製品化できるとまでは言えず、可能性を探っているところ」だと話す。『VISION AVTR』と名付けられたこの車は、開発者が映画『アバター』に触発されて考案したという。映画では体の不自由な男性が、神経活動を別の星で暮らす知的生命体の姿をした分身(※アバター)にリンクさせて、自由に動き回る。メルセデスはそんな映画のような、人と車の“接続”の可能性を探っている。
脳波による車の操作を視野に入れているのは、メルセデスだけではない。『日産自動車』は、脳波で運転を補助する研究を2015年から進めている。その一つが次のような技術だ。ハンドルを切ったり、アクセルを踏んだりする直前、運動を司る脳の運動野から運動準備電位と呼ばれる脳波が出る。運転手に脳波計を付けてもらって、この“無意識の判断”時の脳波を検出し、車の制御に反映させることで、ハンドルやアクセルを操作する前に車を動かせる。研究を主導するシニアマネージャーのルチアン・ギョルゲ氏は、「“無意識の判断”を使えば、体が動く前に車を動かせるので、初心者や高齢者の操作の遅れをカバーできます」と意義を語る。研究では、運転手が実際に操作する0.2~0.5秒前に車を動かす実証実験に成功した。しかし、世界は完全自動運転の実現に向けて動いており、寝ていても目的地に着ける未来が見え始めている。そんな中で、何故態々人の脳波を使って車を操作する必要があるのか。「日産はベッドメーカーではないですから。“運転”は人間が人工的に作った、数少ないポジティブな体験なんです。人間が関わらずに運転できる時代が来ても、その体験は残したい」。ギョルゲ氏は強調する。自動運転時でも脳波を検出し、個々人が運転し易い車に最適化して、人間が主体的に自動運転に関わる方法も考えているという。脳波で直接的に操作するだけでなく、間接的な活用で安全運転に繋げようとする動きも出ている。製品検査等熟練技能者の脳波を解析し、AIモデルをつくることで検査工程の自動化に繋げる事業等に取り組んでいる『マクニカ』。イスラエルの企業と技術提携し、脳科学と最新技術を融合させたブレインテックを活用したサービスの開発にも力を入れている。自動車の分野では運転時の脳波を分析し、安全運転に生かそうとしている。運転の模擬体験ができるドライブシミュレーターを用いた試験では、通常運転とスマートフォンを見ながらの“ながら運転”を2分間ずつしてもらい、主に視覚野から得られる脳波を測定した。ながら運転時には注意度のグラフの値が大きく下がった。脳波は頭皮に取り付けた脳波計で計測した。頭蓋骨の外から得られる脳波には不要な情報となるノイズが多く混入するが、マクニカはノイズを除去して解析し、一見すると意味がわからない波形を集中度等意味のある情報に精度よく変換させる技術を売りにする。こうした技術を生かせば、居眠り運転しかけている時に大きな警告音を出すことも可能だ。同社データエンジニアの塚越有介氏は、「脳波計の軽量化、簡素化を図ることで需要を増やしたい」と話す。自動運転時に運転手の目に入る車間距離に関する脳波を検出し、より快適な車間距離に調整するといった使い方も検討している。複数の大手自動車メーカーと活用例について相談しているという。『ホンダ』は運転中の脳の血流状態を研究し、事故の低減に繋げようとしている。脳血流から脳の活動を計測できる機能的磁気共鳴画像化装置(※fMRI)にドライブシミュレーターを組み合わせて、脳の活動と目の動きを調べた。その結果、どんな視線の動きの時に事故のリスクが高いのか推定できるようになった。実際の運転時には、運転手の視線をカメラで監視し、ハンドルやアクセルの行動データと合わせて分析することを想定する。危険が迫っている際に警告音を出したり、シートベルトを締め付けたりする機能を市販車に搭載することを目指している。前出のギョルゲ氏は語る。「研究は始まったばかりですが、脳活動の解読は、計測技術の向上と機械学習の組み合わせで、数年前では考えられないほど精度よくできるようになりました。車と人間が繋がる時代が来ると思っています」。 (取材・文/科学環境部 池田知広)

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【脳は成長する】第2部・ブレインテック新時代(03) メタバースと融合

会場に設けられた大画面には、前傾姿勢になって走り出す人気ゲームの女性キャラクターが映し出されていた。操作していたのは、筋ジストロフィーを患い、電動車椅子で生活する清水猛留さん(25、右画像、撮影/三浦研吾)だ。手元には、コントローラーもキーボードもない。頭にヘッドホンをしているだけ。念じることで、キャラクターを前進させているのだ。「『動け、動け』とずっと思っていたら、動きました」。先月19日、東京都渋谷区で実施されていたのは、プレイヤー同士が武器で戦うゲーム『フォートナイト』のキャラクターを、脳波で前進させる実証実験だった。中高生らも参加し、決められたコースを駆け抜けてタイムを競った。ゲーム好きの清水さんは以前からフォートナイトを楽しんでいたが、最近は手でコントローラーを操作し難くなっていたという。この日の清水さんのタイムは22秒。「すげぇ」。会場から歓声が上がった。その前に挑戦した3人はキャラクターを動かせずリタイアしていたこともあり、会場は大いに沸いた。操作する為の脳波は、参加者が装着していたヘッドホン型の脳波計で読み取った。頭の中で手を動かそうとイメージした時に出る脳波を感知して、キャラクターが前進する。フォートナイトは、インターネット上の仮想空間であるメタバースとゲームが合わさった“メタバースゲーム”の一つとして知られる。ゲーム内ではキャラクターを自分の分身(※アバター)として操作し、仲間のプレイヤーとコミュニケーションが取れる他、星野源さんら有名ミュージシャンがゲーム内でライブを催すこともある。
車椅子サッカーの選手でもある清水さんは、「技術が進めば、ゲームも車椅子サッカーも、脳波でできるかもしれない。それにメタバースの中でなら、もっと自由にスポーツができる」と夢を広げた。清水さんと共に実証実験に参加した、先天性脳性麻痺の鱒渕羽飛さん(20)はアバターを動かせず、他の参加者に負けてしまった。ただ、その表情は晴れやかだ。「いつもは友達とゲームする時、自分ができない操作があるから、ハンディキャップを貰っている。心のどこかで『同じ立場で勝負したい』と思っていました。それが今日は、みんな同じルールで同じ立場だったんですよね」。実証実験を主催したのは、慶應義塾大学の牛場潤一教授ら。脳と機械を繋ぐブレインマシーンインターフェース(※BMI)を研究しており、今回の脳波計を開発した。牛場教授は、「マウスやキーボードと同じようにBMIが使えるようになれば、体が不自由な人に選択肢が広がる」と意義を語る。メタバースは既に“もう一つの世界”として確立され始めている。CGで作られた仮想空間内でゲームだけでなく、買い物やオンライン授業の受講等もできる。BMIは、そのメタバースに“考えるだけ”で繋がる手段になる。「重い障害のある人も肉体の限界を超えて社会参画し、働くことだってできる筈」と牛場教授は語る。インターネット上に広がるメタバース。自分の分身となるアバターを通せば、現実とは別世界の生活を送ることができる。そこで既に長時間過ごしている“バーチャル美少女ねむ”さんは、この仮想空間と脳科学が繋がると、どんな世界が広がると考えているのだろうか。現実世界のねむさんは男性で、会社員として働いている。仕事を終えて帰宅すると、ベルトのようなトラッキング装置を左右の手のひらや足等に巻き、VR(※仮想現実)ゴーグルを頭に被る。手足を動かすと装置が読み取り、アバターがその通りに動く。毎日3~4時間、メタバースの世界を楽しむ。メタバースの世界でねむさんが“究極的な技術”と考えているのがBMIだ。BMIは、メタバースと脳が直接繋がる可能性を秘めている。若しそうなれば、頭で考えた通りにアバターを動かし、アバターが誰かに触れたり、何かを味わったりした感覚を自分の脳で感じることができる。メタバースの世界に、これまで以上に没頭して、より現実感を持って楽しめることに繋がる。ただ、脳の情報を読み取る技術の開発は進んでいるが、アバターが体感したことを脳に直接インプットさせることは今の脳科学では非常に困難で、技術開発はほぼ手つかずの状態だ。ねむさんは、「私が生きている間にメタバースで使われる可能性は、ほぼゼロ」と語る。そこで、ねむさんが期待しているのが“ファントムセンス”という感覚の解明だ。今のアバターは、VRゴーグルやトラッキング装置、手に握ったコントローラーで操作する。自分の脳には、VRゴーグルを通して視覚と聴覚からしか情報が入ってこない。それでも、高いところから落ちると不安を抱いたり、アバターが触られるとくすぐったいように感じたりすることがある。それがファントムセンスと言われている。「2021年にスイスの人類学者と共に、メタバースの利用者約1200人に“メタバース国勢調査”という大規模なアンケートをしました。その結果、落下する感覚は多くの人が初めから感じられたんですが、触覚を感じる人は多くはなく、これまでに500時間以上メタバースで過ごした人でも、感じられない人が半数程度いたんです」。この為、「今のメタバースでは強い臨場感を感じるには、ちょっとした“才能”が必要なのかもしれません。ファントムセンスを通して臨場感を感じるコツが解明されれば、より多くの人が楽しめるようになるのでは」と話す。 (取材・文/科学環境部 池田知広・松本光樹)

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【脳は成長する】第2部・ブレインテック新時代(02) “集中”や“リラックス”を可視化

東京都八王子市内の山の中に建つ工場内を記者が訪れると、封筒に書類を入れる機械等から「シャーシャー」という音が響いていた。ここでは、『凸版印刷』の孫会社にあたる『トッパンフォームズセントラルプロダクツ』が、ダイレクトメールや請求書等の印刷や封入の作業を請け負っている。作業スペースの端では従業員が、封筒に入れる書類が間違っていないか、折り方は正しいか等を、指を差しながら入念に確認している。耳にはイヤホンのような黄色い装置が掛かっていた(※左画像、撮影/三浦研吾)。作業は、機械で封入等の作業をする前の“校正”と呼ばれるもので、最も集中力が求められる。従業員は1日1000回ほど繰り返す。鈴木幸也第二製造部長は、「ここで間違えると、個人情報の流出や大量の不良品が出ることに繋がる。絶対に間違えられない作業です」と説明する。従業員が耳に付けていたのは、凸版印刷等が開発した脳波計『b-tone』。約30gと軽量だ。凸版印刷の担当者は、「脳波だけでなく、脈等も測ることで、作業中の集中度を折れ線グラフでスマートフォンに表示させることができる」と説明する。従業員は今回、どんな時に集中力が落ちてミスをし易いのか、実証実験をする為に脳波計を装着していた。今後、作業場所の違い等により、数値がどう変化するのかを見ていく。清村忠孝工場長は、「昔はミスがあれば『気合が足りない』と言われるようなこともありましたが、人間はどうしても集中が途切れてしまいます。どういう状況で集中度が下がるのかを先ず知り、効率的な作業に繋げたいですね」と話す。
凸版印刷が脳波計の販売を始めたのは昨年9月。運輸会社の工場では、労務災害の防止に向けた実証実験を計画している。教育分野では、塾の生徒の集中度に合わせた指導に繋げようとしている。凸版印刷事業創発本部の林知世さんは、「30社以上が導入を決めています。これまで見えなかった“集中”を目に見えるようにすることは、幅広い業種で役に立つので、様々な企業と実績を積み重ねて可能性を探っていければ」と語った。こうした手軽に脳活動を計測できる製品が最近、次々と登場している。『富士ゼロックス』の新規事業部門が独立したベンチャー企業『CyberneX』は、凸版印刷等とは別のイヤホン型の脳波計を開発した。同社の泉水亮介CSOは、「脳波デバイスは普及していくだろうが、未だキラーコンテンツ(※多くの人が『使いたい』と思う使い方)が定まっていない状況」と考えている。そこでCyberneXは今年6月、社会に受け入れてもらう出発点として、南麻布の住宅街にマッサージサロン『XHOLOS』をオープンさせた。客には耳に脳波等を測る装置を付けてもらい、施術を受けている時のリラックス度を分析。それに応じて、枕元に置かれた丸い電灯が青や赤、緑等に変わる。泉水さんは、「セラピストが色を確認しながら心地のよい施術が可能になります。まさに“以心伝心”です」と語る。CyberneXは10月、装置を貸し出した上で一緒に活用策を練るコンサルティング事業も開始。キラーコンテンツを模索している。一方、7~8月には東京都千代田区のギャラリーで『脳波買取センター』と題したアートのイベントが開かれた。企画したのは、広告制作等を手がける『コネル』だ。来場者には100秒間、犬やりんご等、特定の事を考えてもらい、その間の脳波を測定。来場者には“脳波代”として1秒10円、計1000円を支払った。測定したデータは、特殊な処理をしてバーコードのような模様で表現し、“脳波絵画”として販売した。模様の太さや濃淡は、来場者が何を考えるかで変わるという。他にも、脳波について考えてもらう仕掛けがあり、来場者がアートを体験できる内容になっていた。出村光世代表は、「何れ脳波に価値を見いだした企業が、実際に買い取りを始めることもあるかもしれない。イベントが自分の生体情報の価値について考えるきっかけになれば」と話した。企業や研究者らが参加して、脳科学と技術が組み合わさったブレインテックの振興を目指す『ブレインテックコンソーシアム』。その代表理事を務める脳科学者の藤井直敬さんは、「脳波計は普及するかもしれないが、用途は限られてくるのではないか」という見方を示す。抑も脳波とは、脳の表面にある複数の神経細胞で起きる電気的な活動が重なり、それを読み取ったものだ。神経細胞は其々が別々に働き、より複雑な情報処理をしていると考えられている。藤井さんは、「脳波は脳表面の限られた電気的な活動を測定しているに過ぎず、思考や感情といった複雑なことがわかるものではありません」と説明する。但し、リラックス度や集中度に関しては、手軽な脳波計でも一定の意味のある情報が得られる可能性があるという。「これまで見ることができなかった脳の活動の一部を、データとして自分で見られるようになったことが“価値”に繋がるかもしれませんね」。 (取材・文/科学環境部 松本光樹)

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【脳は成長する】第2部・ブレインテック新時代(01) CM好感度分析に新技術
脳に直接、“本音”を聞けないか――。広告を見たり商品を買ったりした時の脳活動を数値化し、商品開発や効果的な広告に生かす手法はニューロマーケティングと呼ばれている。昨年4月にサービスが始まったディープランナーは、これまで食品業界を中心に40~50社に導入された。CMの他、商品パッケージの好感度評価にも使われている。このような脳科学を活用した商品やサービス(※ブレインテック)が広がりを見せている。

赤い詰め襟の学生服に、鉢巻きと襷を身につけた人気俳優の浜辺美波さんが“応援団”になり、スーパーマーケットで買い物客に呼びかける。「たまる! たまる! たまるぞdポイント!」。そんな『NTTドコモ』の15秒間のテレビCMが7月、全国で放映された。このCMは、ドコモにとって初めての手法で制作したものだった。「“仮想脳”で評価を重ねて作りました」と、同社コンシューママーケティング部の曽輪翔一主査(※右画像、撮影/内藤絵美)が明かす。仮想脳はコンピューター上で、AIに人の脳活動から得られるデータを組み合わせたものだ。動画を読み込ませると、動画を見た時の人の標準的な脳の反応や思い等が推定できる。今回のCMでは、シナリオ作りの段階から複数の場面設定の案を仮想脳に評価させ、その中で好感度の高かった応援団の案を採用した。ところが、撮影後にも評価をさせたところ、事前の時よりも好感度が大幅に下がってしまった。何故そうなったのか、仮想脳の活動を分析したところ、CMの画面左に位置する浜辺さんだけでなく、右側の買い物客にも注意が分散していたことがわかった。そこで画角を調整し、浜辺さんがより大きく映るようにしたところ、好感度は改善した。曽輪さんは、「従来は『CMを見る人の目が、実は端のほうにいっているぞ』というのはわからなかった。撮影後に『ここを変えたほうがいい』と発見できたのは良かった」と話す。ドコモは、これ以降のCMも仮想脳を活用しているという。CMの評価に使われたのは、仮想脳を活用した『NTTデータ』の広告評価サービス『D−Planner』だ。
仮想脳は、次のように作られている。先ず、協力者にベッドに横たわってもらい、2時間の映像を見てもらう。その際、上半身をすっぽり覆うようなドーナツ形をした機能的磁気共鳴画像化装置(※fMRI)で、脳の深いところまでの活動状況を測る。こうして得られた複数の協力者の測定結果を用いることで、どんな映像を見ればどのように脳が反応するのか、AIで予測できるようにしておく。一方、これとは別のAIには、脳の様々な反応パターンに応じて人が抱く好感度や思い浮かべ易い言葉を学習させておく。この2つのAIを組み合わせることで、映像を読み込ませると人の脳の標準的な活動や好感度等が推測できる。ドコモは今回のCMを作る前、仮想脳の精度を確かめる為、自社の過去のCMを読み込ませた。すると、実際に視聴者の好感度が高かったCMに仮想脳も高い評価を与えたという。仮想脳にCMの動画ファイルを読み込ませると、早ければ数十秒後には、CM1秒毎の好感度や記憶定着度等が数値と折れ線グラフのデータで表示される。これまでは、CMを見てくれた人にアンケートをして好感度等を調べていたが、その手間暇を省けるようになった。NTTデータの前田直哉さんは、「人の脳活動のデータを反映させないAIでも、評価ができないわけではない。ただ、仮想脳の方が『美味しそう』や『好き』といった主観的な評価の精度が増す」と説明する。同社等の研究によると、これまでのAIより好き嫌いの評価の精度が10%向上したという。同社の大山翔さんは、「CM制作等“クリエイティブ”と呼ばれる仕事は、勘や経験等個人の力量に委ねられ、データ化できない曖昧な部分に頼らなければならないのが課題だった。仮想脳で、その課題を克服できるようにしたい」と話した。10月下旬、横浜・みなとみらい地区にあるガラス張りのビル『資生堂グローバルイノベーションセンター』の一室。記者はヘッドバンドのような機器を頭に装着してから、なめらかさが異なる2つの口紅を順に手の甲に塗ってもらった。すると、目の前のモニターに折れ線グラフが表れた。この機器は、人の目では見ることができない近赤外光で脳表面の血流を測っており、脳の活動の状況がわかるという。先に塗った口紅のほうがグラフの山は高くなり、脳がより強く反応していることを示していた。「今、“快感”を示しましたね」「左の脳が右の脳より強く活動すると“快い状態”と判断します」。『資生堂みらい開発研究所』の互恵子シニアスペシャリストがモニターを見ながら、そう解説してくれた。化粧品の新商品を開発する時、パッケージや素材、香り等、幾つものパターンの試作品を作るという。これまでは協力者に其々試してもらい、その評価をアンケートで尋ねていた。しかし、「謝礼を貰っているから」と協力者が高い得点を付けたり、外国人のほうが日本人より高い得点を付ける傾向になったりして、評価の仕方が協力者の主観に左右されるのがネックになっていた。互さんは、「アンケートの回答のバイアスをスキップできるようになった」と語る。ただ、こうしたニューロマーケティングの場合は、商品開発の度に脳の活動を調べる必要があるのが課題だ。脳の活動から消費者の行動原理や心理を分析し、商品開発等に生かすニューロマーケティングは、脳科学から生まれた技術やサービスといったブレインテックの中でも、最も応用が進んでいる分野だ。2000年代に欧米を中心に、メーカー等にその手法を提供する企業が現れた。その後、国内でも広告大手等が参入した。

赤い詰め襟の学生服に、鉢巻きと襷を身につけた人気俳優の浜辺美波さんが“応援団”になり、スーパーマーケットで買い物客に呼びかける。「たまる! たまる! たまるぞdポイント!」。そんな『NTTドコモ』の15秒間のテレビCMが7月、全国で放映された。このCMは、ドコモにとって初めての手法で制作したものだった。「“仮想脳”で評価を重ねて作りました」と、同社コンシューママーケティング部の曽輪翔一主査(※右画像、撮影/内藤絵美)が明かす。仮想脳はコンピューター上で、AIに人の脳活動から得られるデータを組み合わせたものだ。動画を読み込ませると、動画を見た時の人の標準的な脳の反応や思い等が推定できる。今回のCMでは、シナリオ作りの段階から複数の場面設定の案を仮想脳に評価させ、その中で好感度の高かった応援団の案を採用した。ところが、撮影後にも評価をさせたところ、事前の時よりも好感度が大幅に下がってしまった。何故そうなったのか、仮想脳の活動を分析したところ、CMの画面左に位置する浜辺さんだけでなく、右側の買い物客にも注意が分散していたことがわかった。そこで画角を調整し、浜辺さんがより大きく映るようにしたところ、好感度は改善した。曽輪さんは、「従来は『CMを見る人の目が、実は端のほうにいっているぞ』というのはわからなかった。撮影後に『ここを変えたほうがいい』と発見できたのは良かった」と話す。ドコモは、これ以降のCMも仮想脳を活用しているという。CMの評価に使われたのは、仮想脳を活用した『NTTデータ』の広告評価サービス『D−Planner』だ。
仮想脳は、次のように作られている。先ず、協力者にベッドに横たわってもらい、2時間の映像を見てもらう。その際、上半身をすっぽり覆うようなドーナツ形をした機能的磁気共鳴画像化装置(※fMRI)で、脳の深いところまでの活動状況を測る。こうして得られた複数の協力者の測定結果を用いることで、どんな映像を見ればどのように脳が反応するのか、AIで予測できるようにしておく。一方、これとは別のAIには、脳の様々な反応パターンに応じて人が抱く好感度や思い浮かべ易い言葉を学習させておく。この2つのAIを組み合わせることで、映像を読み込ませると人の脳の標準的な活動や好感度等が推測できる。ドコモは今回のCMを作る前、仮想脳の精度を確かめる為、自社の過去のCMを読み込ませた。すると、実際に視聴者の好感度が高かったCMに仮想脳も高い評価を与えたという。仮想脳にCMの動画ファイルを読み込ませると、早ければ数十秒後には、CM1秒毎の好感度や記憶定着度等が数値と折れ線グラフのデータで表示される。これまでは、CMを見てくれた人にアンケートをして好感度等を調べていたが、その手間暇を省けるようになった。NTTデータの前田直哉さんは、「人の脳活動のデータを反映させないAIでも、評価ができないわけではない。ただ、仮想脳の方が『美味しそう』や『好き』といった主観的な評価の精度が増す」と説明する。同社等の研究によると、これまでのAIより好き嫌いの評価の精度が10%向上したという。同社の大山翔さんは、「CM制作等“クリエイティブ”と呼ばれる仕事は、勘や経験等個人の力量に委ねられ、データ化できない曖昧な部分に頼らなければならないのが課題だった。仮想脳で、その課題を克服できるようにしたい」と話した。10月下旬、横浜・みなとみらい地区にあるガラス張りのビル『資生堂グローバルイノベーションセンター』の一室。記者はヘッドバンドのような機器を頭に装着してから、なめらかさが異なる2つの口紅を順に手の甲に塗ってもらった。すると、目の前のモニターに折れ線グラフが表れた。この機器は、人の目では見ることができない近赤外光で脳表面の血流を測っており、脳の活動の状況がわかるという。先に塗った口紅のほうがグラフの山は高くなり、脳がより強く反応していることを示していた。「今、“快感”を示しましたね」「左の脳が右の脳より強く活動すると“快い状態”と判断します」。『資生堂みらい開発研究所』の互恵子シニアスペシャリストがモニターを見ながら、そう解説してくれた。化粧品の新商品を開発する時、パッケージや素材、香り等、幾つものパターンの試作品を作るという。これまでは協力者に其々試してもらい、その評価をアンケートで尋ねていた。しかし、「謝礼を貰っているから」と協力者が高い得点を付けたり、外国人のほうが日本人より高い得点を付ける傾向になったりして、評価の仕方が協力者の主観に左右されるのがネックになっていた。互さんは、「アンケートの回答のバイアスをスキップできるようになった」と語る。ただ、こうしたニューロマーケティングの場合は、商品開発の度に脳の活動を調べる必要があるのが課題だ。脳の活動から消費者の行動原理や心理を分析し、商品開発等に生かすニューロマーケティングは、脳科学から生まれた技術やサービスといったブレインテックの中でも、最も応用が進んでいる分野だ。2000年代に欧米を中心に、メーカー等にその手法を提供する企業が現れた。その後、国内でも広告大手等が参入した。
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【脳は成長する】(番外編) 脳波でロボット操作

「先ずは皆さんに手を振ってみますね」。男性の声が響いてから数秒後。白いボディーに、緑色に光る目をした近未来的なデザインのロボットの左手が上がり、ゆっくりと左右に揺れた。数十人の観客から「おおー」と感嘆の声が上がった。このロボットを操っていたのは、全身の筋肉が動かせなくなる難病を患う武藤将胤さん(36)だ。先月23日、東京都内の店舗を借り切り、世界初の公開実験に挑戦した。頭の中で念じるだけで、高さ約120㎝の分身ロボット『オリヒメD』を動かし、接客するという試みだ(※左画像、撮影/手塚耕一郎)。武藤さんは広告代理店に勤務していた2014年、『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』と診断された。人工呼吸器を付ける為に気管を切開し、2020年に声を失った。キーボードは打てなくなったが、視線で入力する装置を駆使して文章を作り、過去に録音した自分の声を基にした合成音声で読み上げている。現在は、DJや服飾のデザイナーとして活動する武藤さん。この日はバーが1日限定のアパレル店となり、武藤さんが考案したジャケットやTシャツが並んだ。「ペットボトルを再利用した生地を利用しています」。ロボットの手の動きに合わせ、武藤さんはお勧めの商品や着こなし方も説明した。武藤さんはどのようにロボットを操作していたのだろうか。この日に使用したのは、自身の脳波だった。先ず、頭にヘッドホンと8つのボタン電池のような電極を装着。ヘッドホンから聞こえる3つの異なる音に集中する。客に伝えたいせりふとロボットの動きをセットにして3パターン用意し、予め3つの音と紐付けておく。そこで武藤さんが1つの音に集中することで、脳波に変化が表れ、解析システムを通じて3択から選べるという仕組みだ。
公開実験で最も盛り上がったのは、景品をかけたロボットとの“脳波じゃんけん”だった。武藤さんが念じてグー、チョキ、パーの中から1つを選択。ロボットが手のひらを握ったり開いたりして客と対決した。ロボットは“パー・グー・チョキ”の順番で出し続けた。武藤さんは意図的に、その順番を選んでいたという。「全ての脳波のセレクトに成功しました。皆さん、やりました。人類が前進しました!」。実験終了後、武藤さんの喜びの“声”がこだました。実験では『脳パシー』と呼ばれる解析システムを利用した。武藤さん自身が被験者となり、生体信号の解析を手がける『電通サイエンスジャム』の荻野幹人主席研究員(31)と二人三脚で、2018年から開発に取り組んでいる。荻野さんは、「今は9割ぐらいの精度。トレーニングが必要で、今回のイベントに向け、事前に武藤さんと500回くらい練習してきた」と明かす。武藤さんがそこまでして脳波に拘るのは理由がある。ALSでは症状が進行すると、眼球も動かせなくなることがある。意識があるにも拘わらず意思疎通ができなくなることから、“完全閉じ込め状態”と呼ばれる。不安を抱く患者は多く、武藤さん自身も恐怖と闘っている。実際にそうした状態になった身近な仲間もいて、脳波による意思伝達の実用化への思いは強い。武藤さんは、「たとえ完全閉じ込め状態になってしまったとしても、誰もが脳波で自分の意思を伝えられれば、分身ロボットを操作して、自分らしく挑戦を続けられる未来が作り出せる。そうした希望をALSの仲間を始め、様々なハンディキャップと闘っている仲間に届けたいと思います」と力説する。実験には、オリヒメの開発者で、ロボット研究者の吉藤健太朗さん(35)も同席した。吉藤さんは、重度身体障害者らが遠隔でオリヒメを操作して接客する“分身ロボットカフェ”を都内で運営しているほか、ALS患者らが使う視線入力装置を開発した実績もある。吉藤さんは、「視線入力も、当初はゆっくりとしか文字を打てなかった。脳波の読み取りには未だ安定性に課題があるが、少しずつだけど確実に前進している。昔から脳波には可能性を感じていた」と期待を寄せる。ただ脳パシーは、利用者に合わせて調整する必要がある為、武藤さん以外の患者が直ぐに使えるわけではない。今後は、完全閉じ込め状態の患者に半年間の期間をかけて使ってもらいながら調整し、本当に必要な人が使えるようにしていく。武藤さんらは、今は3択の選択肢を5択にしていきたいという。「5択を高確率で選択できるようになれば、あ・い・う・え・おの母音選択ができるようになるので、脳波でもテキストの入力が可能になる。最終的には脳波で会話ができる未来を目指して、研究を続けていきます」。武藤さんはそう力強く宣言した。 (取材・文/科学環境部 池田知広)

【脳は成長する】(番外編) 肉体の“縛り”を科学で克服
肉体を動かせなくても、仮想現実の中で不自由なく生き続ける――。イギリスのロボット工学者、ピーター・スコット・モーガン博士(※右下画像、『スコット・モーガン基金』提供)は“人類初の完全サイボーグ”を目指して、自らを改造して機械と融合し、全身の筋肉が動かせなくなる難病を克服しようとしていた。志半ばの今年6月に64歳で死去したが、博士が希望を見いだしていたのは“脳と機械を繋ぐ技術”だった。

ピーターさんは2017年、徐々に筋肉が動かせなくなる難病『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』と診断された。余命2年と宣告されて思い立ったのは、最新のテクノロジーで身体の限界を超越する道だった。症状が進行すれば、食事や排泄が難しくなる。ピーターさんは未だ体が動かせる段階で、前もって胃瘻や人工肛門・膀胱を付ける手術を一気に受けた。気管を切開し、人工呼吸器も装着。体に多くのチューブが繋がった状態でも操作できる電動車椅子を乗りこなした。更に、デジタル空間の中にCGで自分の分身(※アバター)を作成した。事前に録音した自分の声を元にした合成音声と、視線による文字入力システムを組み合わせて、声が出せなくても恰も自分が話しているような世界を作り出した。そうしてサイボーグ化した体を“ピーター2.0”と自称し、半生を記した同名の著書(※邦題は『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン 究極の自由を得る未来』、東洋経済新報社)は世界でベストセラーとなった。パートナーのフランシスさんによると、ピーターさんは視線入力システムでこの本を書き上げたという。「これは病気や事故、老化によって生じる極度の身体障害を、最先端のテクノロジーで解決しようという挑戦です」。ピーターさんは自著でそう述べている。これまでも常識を打ち破って生きることを体現してきた。1979年から苦楽を共にしたフランシスさんと2005年に結婚式を挙げ、同性同士でも婚姻に準ずる権利を認める、イギリスのパートナーシップ制度に基づく最初のカップルになった。
フランシスさんは本紙の取材に、「ピーターは私の人生で最愛の人でした。私は未だ悲しみの中にあります。ピーターの物語が、重度障害に直面している人々が既成概念に挑戦し、必要な援助を求めるきっかけになることを望んでいます」と明かした。ピーターさんの挑戦は、人間存在の在り方を問うものでもあった。再三に亘って「AIと融合する」と宣言。脳と機械を繋ぐ技術『ブレインマシーンインターフェース(BMI)』と仮想現実を組み合わせ、「脳が働きさえすれば自由に生き続けられる」と信じていた。ALSでは症状が進行すると眼球まで動かせず、視線で合図を送れなくなることがある。“完全閉じ込め状態”と呼ばれ、意識があるにも拘わらず意思を伝えられないことに不安を抱く患者は多い。ピーターさんは、そうした閉じ込め状態をテクノロジーで乗り越えようとした。ハイテクの力で障害者の福祉向上を目指す為、ピーターさんらが設立した団体『スコット・モーガン基金』の特使、ラボン・ロバーツさんによると、ピーターさんはBMIを使った2つの方法を模索し、亡くなる直前まで専門家に質問を重ねていたという。その一つは、機器を頭の外に装着するBMIの活用だ。非侵襲型という体にメスを入れないタイプで、ヘッドホンのような形をした機器等で脳波を解析し、画面上で文字入力等ができる装置を、既に複数の企業が開発している。ピーターさんらはこれに注目していた。イギリスの世界的な宇宙物理学者、故スティーブン・ホーキング博士もALS患者として知られ、体を動かし難くても使える『インテル』の意思伝達ソフトウェアを用いていた。ピーターさんらは、それと非侵襲型のBMIを連携させて活用することを検討していたという。インテルのチームが実際にピーターさんの脳波解析に訪れたこともあった。もう一つは、手術で脳の表面に機器を留め置く侵襲型のBMIで、将来的な利用を考えていた。アメリカのベンチャー企業『パラドロミクス』は、頭部に電極を埋め込んで脳波を読み取ることで、考えるだけで合成音声による会話等ができる機器を開発中だ。ピーターさんは完全閉じ込め状態になった後も意思伝達できるとして、同社の技術に可能性を見いだしていた。同社は来年中にも、人体で最初の臨床試験をする予定だ。将来的には電気刺激による精神・神経疾患の治療も見据える。スコット・モーガン基金で技術顧問を務める同社のマット・アングルCEOは、開発中のBMI機器について「身体の麻痺から鬱病まで、脳に関する疾患の治療に使いたい。最終的には何百万人もの人々に利用が広がると考えています」と話す。ピーターさんは、こうしたBMIを体内に埋め込めば、体を動かさなくても仮想空間の中で自由に行動できると考えていた。自著では、同じ仮想空間に入ったフランシスさんと出会う光景を描いている。実際には非侵襲型のBMIを試し、考えるだけで意思伝達できる段階まできていたが、今年に入り容体が悪化し、家族に看取られて亡くなった。ALSの症状が進行していない段階でリスクを伴う手術に踏み切ったことについて、一部の医療関係者から批判されながらも、「障害者にもより良く生きる権利がある」と主張し、変革を訴えたピーターさん。今は彼の人生を描いた映画の製作も進んでいるという。ピーターさんの甥のアンドリューさんは、「ピーターはテクノロジーに対する強い信念を持っていました。スコット・モーガン基金の主な使命は、支援技術の研究と普及に努め、『自分の体に閉じ込められている』と感じている人が、彼と同じような選択肢を持てるようにすることです。私はピーターの遺志を更に継いでいきます」と語った。 (取材・文/科学環境部 池田知広)
2022年11月8日付掲載

ピーターさんは2017年、徐々に筋肉が動かせなくなる難病『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』と診断された。余命2年と宣告されて思い立ったのは、最新のテクノロジーで身体の限界を超越する道だった。症状が進行すれば、食事や排泄が難しくなる。ピーターさんは未だ体が動かせる段階で、前もって胃瘻や人工肛門・膀胱を付ける手術を一気に受けた。気管を切開し、人工呼吸器も装着。体に多くのチューブが繋がった状態でも操作できる電動車椅子を乗りこなした。更に、デジタル空間の中にCGで自分の分身(※アバター)を作成した。事前に録音した自分の声を元にした合成音声と、視線による文字入力システムを組み合わせて、声が出せなくても恰も自分が話しているような世界を作り出した。そうしてサイボーグ化した体を“ピーター2.0”と自称し、半生を記した同名の著書(※邦題は『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン 究極の自由を得る未来』、東洋経済新報社)は世界でベストセラーとなった。パートナーのフランシスさんによると、ピーターさんは視線入力システムでこの本を書き上げたという。「これは病気や事故、老化によって生じる極度の身体障害を、最先端のテクノロジーで解決しようという挑戦です」。ピーターさんは自著でそう述べている。これまでも常識を打ち破って生きることを体現してきた。1979年から苦楽を共にしたフランシスさんと2005年に結婚式を挙げ、同性同士でも婚姻に準ずる権利を認める、イギリスのパートナーシップ制度に基づく最初のカップルになった。
フランシスさんは本紙の取材に、「ピーターは私の人生で最愛の人でした。私は未だ悲しみの中にあります。ピーターの物語が、重度障害に直面している人々が既成概念に挑戦し、必要な援助を求めるきっかけになることを望んでいます」と明かした。ピーターさんの挑戦は、人間存在の在り方を問うものでもあった。再三に亘って「AIと融合する」と宣言。脳と機械を繋ぐ技術『ブレインマシーンインターフェース(BMI)』と仮想現実を組み合わせ、「脳が働きさえすれば自由に生き続けられる」と信じていた。ALSでは症状が進行すると眼球まで動かせず、視線で合図を送れなくなることがある。“完全閉じ込め状態”と呼ばれ、意識があるにも拘わらず意思を伝えられないことに不安を抱く患者は多い。ピーターさんは、そうした閉じ込め状態をテクノロジーで乗り越えようとした。ハイテクの力で障害者の福祉向上を目指す為、ピーターさんらが設立した団体『スコット・モーガン基金』の特使、ラボン・ロバーツさんによると、ピーターさんはBMIを使った2つの方法を模索し、亡くなる直前まで専門家に質問を重ねていたという。その一つは、機器を頭の外に装着するBMIの活用だ。非侵襲型という体にメスを入れないタイプで、ヘッドホンのような形をした機器等で脳波を解析し、画面上で文字入力等ができる装置を、既に複数の企業が開発している。ピーターさんらはこれに注目していた。イギリスの世界的な宇宙物理学者、故スティーブン・ホーキング博士もALS患者として知られ、体を動かし難くても使える『インテル』の意思伝達ソフトウェアを用いていた。ピーターさんらは、それと非侵襲型のBMIを連携させて活用することを検討していたという。インテルのチームが実際にピーターさんの脳波解析に訪れたこともあった。もう一つは、手術で脳の表面に機器を留め置く侵襲型のBMIで、将来的な利用を考えていた。アメリカのベンチャー企業『パラドロミクス』は、頭部に電極を埋め込んで脳波を読み取ることで、考えるだけで合成音声による会話等ができる機器を開発中だ。ピーターさんは完全閉じ込め状態になった後も意思伝達できるとして、同社の技術に可能性を見いだしていた。同社は来年中にも、人体で最初の臨床試験をする予定だ。将来的には電気刺激による精神・神経疾患の治療も見据える。スコット・モーガン基金で技術顧問を務める同社のマット・アングルCEOは、開発中のBMI機器について「身体の麻痺から鬱病まで、脳に関する疾患の治療に使いたい。最終的には何百万人もの人々に利用が広がると考えています」と話す。ピーターさんは、こうしたBMIを体内に埋め込めば、体を動かさなくても仮想空間の中で自由に行動できると考えていた。自著では、同じ仮想空間に入ったフランシスさんと出会う光景を描いている。実際には非侵襲型のBMIを試し、考えるだけで意思伝達できる段階まできていたが、今年に入り容体が悪化し、家族に看取られて亡くなった。ALSの症状が進行していない段階でリスクを伴う手術に踏み切ったことについて、一部の医療関係者から批判されながらも、「障害者にもより良く生きる権利がある」と主張し、変革を訴えたピーターさん。今は彼の人生を描いた映画の製作も進んでいるという。ピーターさんの甥のアンドリューさんは、「ピーターはテクノロジーに対する強い信念を持っていました。スコット・モーガン基金の主な使命は、支援技術の研究と普及に努め、『自分の体に閉じ込められている』と感じている人が、彼と同じような選択肢を持てるようにすることです。私はピーターの遺志を更に継いでいきます」と語った。 (取材・文/科学環境部 池田知広)
