
「友よ、一生一緒に歩いて行こう♪」――ステージ上でマイクを握り、中華圏のヒット曲『朋友』を歌い上げたのは柯文哲氏(64、左画像の右下、撮影/大原一郎)。先月下旬、台中市で開かれた後援会設立イベントだ。柯氏は7月にも、資金集めの為にコンサートを開催し、歌い踊った。民進党、国民党の二大政党のトップであれば二の足を踏むような演出だった。台湾大学医学部卒の元外科医。ニックネームは、名字にプロフェッサーの頭文字を付けた“柯P”。理想の人物には、日本の戦国時代の名将である武田信玄を挙げる。台北市長時代には、忍者漫画『NARUTO』のコスプレ姿を披露したこともある。『台湾民意基金会』の先月の世論調査によれば、柯氏の支持率は、25~34歳の年齢層に限れば50.7%で、総統選の他候補を突き放す。これまでになかったタイプの政治家が、新党を率いて名乗りを上げ、二大政党の候補に真っ向から挑戦する。台湾総統選は今回、新たな展開をみせている。政界への転身の経緯自体が特徴的だ。外科医時代の柯氏に看護師として接した元立法委員(※国会議員)の蔡壁如氏によると、台湾大学病院では「患者のことで深夜に呼び出しても怒られたことはない」という猛烈な働きぶりだった。
「人生を捧げてきた」という病院勤務の最中、2011年にエイズ患者の臓器が誤って移植される事案が起きた。責任を問われた柯氏は、手続きが不公正と訴える大学批判を展開し、知名度を上げた。その経験をきっかけに白衣を脱ぎ、「より理性的な社会を」と政治を志した。台北市長に無所属で当選したのは、騒動から3年後の2014年だった。既存の政治との柵の薄さから、外交や内政で対立に陥る二大政党を尻目に、「必要なのはどんな総統か。イデオロギーが強過ぎてはだめだ」と言い切る。台北市長選の際に話題を集めたコスプレも、「当初は嫌がっていたが、票になるとわかると躊躇わなくなった」(元側近)という現実主義者でもある。“政治の素人”とも揶揄された柯氏は、対立する相手を“犬”と呼んで罵倒する毒舌で、舌禍も度々引き起こしている。だが、台湾大学の張佑宗教授は、それが「既成政党の権威に挑戦したい若者を引きつける」とみる。2期8年毎に政権交代を繰り返してきた二大政党だが、100年超の歴史を持つ国民党だけでなく、民主化運動の闘士を輩出した民進党にも、汚職等長期執政の弊害が顕在化しているということだ。とはいえ、強大な中国と対峙する台湾の総統は、既存の政治批判だけでは務まらない。台北市長として訪中を重ねた柯氏は、中国のスローガン“両岸は一つの家族”に同調し、台湾で批判を受けたことがある。一方、中台が“一つの中国”原則で合意したとされる『1992年合意』は受け入れておらず、“対話と交流”という方針を掲げるのみだ。こうした対中姿勢は、若者を中心とした中間層の一部に広がる「戦争など起きない」という中国の意図を度外視した楽観論も意識しているようだ。民意の主流は“独立”に動いて中国の介入を招くことも、統一で自由を失うことも望まず、第三極の民衆党でも受け皿になり得るということだが、「無難」(中台関係研究者)とも評される中道路線だ。外交手腕や交渉力は未知数だ。2020年の前回総統選では見送った出馬に踏み切った今回、重要ポストの行政院長(※首相)を他党に譲る等、連立政権を組む考えも示している。台湾メディア等では、候補乱立で野党系が3つに分裂している状況から、柯氏が国民党の侯友宜氏(※新北市長)と選挙協力するとの臆測も絶えない。どこまで本気なのか。民主主義制度の定着に伴う社会の多様化から生まれたニュータイプだからこそ、様々な期待と疑念が渦巻く。

2023年9月17日付掲載
テーマ : 中朝韓ニュース
ジャンル : ニュース