【「佳く生きる」為の処方箋】(31) 病院食に“美食”は不要

2年半前、尿管結石で3日間、入院しました。アントニオ猪木さんとの会食から帰った後、寒気がしてきたので熱を測ってみたら、38度7分。「これは何か異常が起きている」と、直ぐに順天堂医院の救急外来に駆け込みました。血液検査の結果は、尿管結石による腎盂腎炎。「先生、敗血症になりかけています。直ぐに入院して下さい」と担当医師に促され、人生で2度目の入院となったのです。実は、20年ほど前にも同じ病気で、人生初の入院を経験しました。尿管結石は、外科医にとって職業病のようなもの。手術中は水分をあまり取りませんし、夜中に食事をして直ぐに寝ることも珍しくありません。外科医の生活は“石”が出来易いのです。冒頭の話に戻りますが、入院した翌日は結石を破砕する治療を受けたので、食事は取らず点滴のみ。その次の日に病院食が出てきました。魚の煮つけ・ご飯・味噌汁・ふりかけといった極めてシンプルな内容。薄味で、普段なら物足りないと感じる筈なのに、この時は心から「美味しい!」と思いました。もういくらでも食べられる感じで、「おかわりをしたい」と思ったほど。「あぁ、病気の回復期には、こんな心境になるのか」と患者さんの心情が身を以て理解できました。心臓の手術でも、術後、順調に回復している患者さんは、病院食を先ず残しません。手術後の体の回復と食欲は極めて密接に関わっており、患者さんに「食べたい」という欲求が出てきたら、医療スタッフも一安心です。これは、若い人でも90歳の人でも同じ。お腹が空いて、ご飯が食べられて、「美味しい」と感じる。そういう人は生命力が強いのです。患者さんを見ていると、「生きている一番の証は食べることだ」と教えられます。

ところが、病院食に対してはいつまでも「美味しい」が続く訳ではなく、途中から「味気無い」とか「物足りない」という感想に変わっていきます。体が更に回復してくると病院食では満足できず、「もっと美味しいものが食べたい」となるのです。これも回復の段階を如実に示すもので、ここまで来るともう病院にいる必要はありません。つまり、そのくらいよくなったと解釈できる訳です。抑々、病院食は病気の治癒に貢献すべく、個々の患者さんの病状に応じて、カロリーや栄養分や調理法が決められています。治療の一環ですから、レストランの食事のようにはいきません。「ここの病院食は美味しくない」といった患者さんの声が聞こえてくることもありますが、病院長としては、その度に「治療が上手くいっている」「医療安全的にも問題が無い」と寧ろ安心します。食欲が出て、食事に不満を感じるくらい回復している訳ですから、最近は高級レストランのような豪華な料理を出す病院もありますが、「果たして、病院食にそのような美食が必要だろうか?」と疑問に思います。誰がいつ食べても「美味しい」と思うような病院食を出すより、「美味しい」と思えるタイミング(更には不満を感じるタイミング)を作ってあげられるほうがよいのではないか。健康食ではあるけれど、元気になれば、ある程度不満が出るような食事。そういう病院食のほうが、治療効果を判定する指標としても有効だと思うのです。「大学病院は長居をする場所ではない」と前回書きましたが、食事についても同様です。大学病院のような急性期病院は、快適に過ごす場ではなく、病気を治して卒業していくところ。「早くよくなって、美味しいものを食べに行きたい」――。そう考えるほうが、ずっと健全ではないでしょうか。


天野篤(あまの・あつし) 心臓外科医・『順天堂医院』院長。1955年、埼玉県生まれ。日本大学医学部卒。『亀田総合病院』『新東京病院』等を経て、2002年に順天堂大学医学部心臓血管外科教授に就任。2012年2月18日に天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀。2016年4月より現職。著書に『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)・『この道を生きる、心臓外科ひとすじ』(NHK出版新書)等。


キャプチャ  2016年12月15日号掲載
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