【電通事件の衝撃】(01) 「勧告で済まさない」

『電通』の違法残業を巡る事件は、日本企業が抱える病巣を浮かび上がらせた。その余波を追う。

20161221 04
21時過ぎ、48階建ての電通本社(東京都港区)。「あと1時間しかない」。フロアで、社員が焦りながら仕事に追われていた。先月24日からの“全館22時消灯”。直前になると、急いで退館する社員で入退場ゲートが混み合うのは、今や恒例だ。「大変申し訳ありませんが…」。営業担当の30代の男性社員は、取引先からの急な発注を断ることも珍しくなくなった。「以前なら大抵は受けていたが、深夜の対応はできないから」。嘗ては、残業時間が労使合意の“月70時間”を下回るようしばしば少なく申告したが、今月は40時間台になりそう。自分に言い聞かせる。「納期は早め早め。余裕を持ったスケジュールに」。何とかやり繰りする。度重なる厚生労働省の指導にも関わらず、電通の違法な長時間労働は止むことが無かった。日本企業が安住してきた働き方の象徴と言うべき事案。捜査は異例の規模・スピードで進む。昨年12月に新入社員の高橋まつりさん(当時24)が過労自殺し、三田労働基準監督署(東京都港区)が労災認定をしたのは今年9月30日。2週間後の先月14日には、任意の立ち入り調査(臨検監督)が本社等に行われた。そして今月7日。本社と関西支社(大阪府大阪市)等3支社に、労働基準監督官ら総勢88人が一斉に家宅捜索に入った。臨検から1ヵ月も経っていない。監督官経験者ですら、「通常は数ヵ月はかかる。今回は力の入れ様が違う」と驚く。電通では、1991年に入社2年目の男性社員(当時24)が過労自殺し、最高裁が2000年に会社の責任を認めた。電通は労務環境の改善を誓った筈だった。ただ、体質は改まらなかった。2010年は中部支社(愛知県名古屋市)、2014年は関西支社、そして昨年の本社…。何れも長時間労働で、地元労基署から是正勧告された。高橋さんの自殺は、本社勧告の4ヵ月後だった。

「もう勧告では済まさない」。捜査を担うのは、昨年4月に東京・大阪の労働局で発足した『過重労働撲滅特別対策班』(通称“かとく”)。ベテラン監督官らが集まるチームだ。電通から押収した出勤簿と入退館記録を照らし合わせ、残業の過少申告等を具に調べる。かとくが動いた時点で、会社や労務担当者らの刑事処分が視野に入る。折しも、政府は『働き方改革実現会議』で生産性向上の為の議論を進める。長時間労働の是正もテーマだ。先月に初めて『過労死等防止対策白書』を公表、今月は過労死の防止月間でもある。“一罰百戒”で強い姿勢を示す為にも、電通捜査は最優先。「徹底的に究明する」。厚生労働大臣・塩崎恭久(66)の決意も固い。一方で長年、長時間労働を改善できなかった行政側にも問題は無かったか。今月14日、全国の労働局長を集めた会議で、厚生労働審議官の岡崎淳一(59)は厳しい表情で訓示した。「各事業場に是正勧告をしてきたが、企業そのものが変わっていなかったということは反省すべき課題だ」。揺れる電通――。社長の石井直(65)は、家宅捜索を受けた同7日、社員に「新しい電通を作り上げよう」と硬い表情で呼び掛けた。長時間労働の背景に“如何なる仕事も引き受ける体質”等があったとし、「業務の削減・分散化を進める」と説明。“意欲と真摯な姿勢”・“プロフェッショナルの矜持”も求めた。ただ、社員からは「抽象的でイメージが湧かない」との声も漏れる。仕事への影響も出つつある。「お宅は大変そうだね」。別の30代男性社員は、取引先との話題が違法残業や強制捜査ばかり。非難とも同情ともつかず、肩身が狭い。ゴルフや飲み会といった付き合いは減り、「会社のイメージは悪くなったし、余所に仕事を奪われてしまう」と危機感を抱く。日本では、1916年施行の『工場法』で、初めて長時間労働対策が導入された。それから1世紀。今も尚、労災認定された過労死は昨年度で96人、過労自殺(未遂を含む)は93人を数える。同9日、厚労省主催の過労死関連シンポジウムで、娘を失った高橋幸美(53)が500人を前に壇上に立った。「大好きで大切なお母さん、さようなら、人生、仕事のすべてがつらいです」。娘に送られた最後の言葉を、涙ながらに読み上げた。その死を無駄にしない為、企業の本気の取り組みを強く願う。「命より大切な仕事はない」。 《敬称略》


⦿日本経済新聞 2016年11月29日付掲載⦿
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