FC2ブログ

【戦後75年】第3部・沖縄戦(中) 集団自決、8歳の恐怖

20200731 04
パソコンに映し出された動画の中で、座間味村阿嘉島出身の垣花武信さん(83、西原町、左画像、撮影/木佐貫冬星)が目を潤ませながら語り続けていた。「(日本)軍にお願いして、いっぺんに殺してくれと。おばあに抱かれて『皆一緒、天国に行くんだからね』と言われました」。沖縄本島西方の東シナ海に浮かぶ慶良間諸島。1945年3月26日朝、その中の一つである阿嘉島にアメリカ軍が上陸し、老若男女を巻き込んだ地上戦が始まった。小さな島々の住民が体験した惨事と平和への願いを次世代に残そうと、座間味村は特設サイト『座間味村平和・未来プロジェクト』での証言公開を計画。2018年度から80~90代の体験者や元兵士計15人にインタビューし、今年4月から1人10分程度に纏めた動画をアップロードしている。垣花さんは元中学教諭で、教え子や修学旅行生に体験を語ってきた。80歳を超えて体力の衰えを感じるようになり、「今の平和な風景からは想像できない惨状を後世に残さなくては」と、村の依頼に応じた。動画で最も伝えたかったことは、集団自決の危機に直面した体験だ。当時8歳。祖母や両親、兄姉ら親族計15人で、火の海となった山中を逃げ惑った。遭遇した日本兵に谷間へと促されると、輪になって座る島民の真ん中に2丁の機関銃が置かれていた。祖母の腕の中で「一瞬で死ねる」と安堵した。崖から飛び降りたり、手榴弾を使ったりするよりも苦しまないと思った。

アメリカ軍の部隊が移動した為、集団自決は免れることができた。その後は日本軍の兵士と山中に潜み、アメリカ艦から捨てられて海岸に流れ着いたリンゴの食べかす等で飢えを凌いだ。8月23日に投降するまで、マラリアや栄養失調で周りの幼子が次々に亡くなった。「体験者がいなくなったら、再び戦争に進む時が来るのではないか。だから絶えず受け継がないといけない」。自宅でそう語る垣花さんの胸には、未来への不安が渦巻く。アメリカ軍が慶良間諸島に侵攻したのは、沖縄本島の上陸に向けた補給拠点を確保する為だったとされる。沖縄は本土決戦の時間稼ぎをする“捨て石”と見做され、同諸島の住民はその中でも真っ先に地上戦に巻き込まれた。沖縄県史には、座間味島で177人、慶留間島で53人が集団自決に追い込まれたと記録されている。宮里哲村長(52)は、「平和というキーワードと切っても切り離せないのが座間味村だ」と話す。村長自身も、集団自決を目の当たりにした祖母や父親から体験を聞いて育った。壮絶な記憶から「話したくない」とインタビューを断る人もいたが、職員が「子供たちに知ってもらう為に」と粘り強く頼み、15人から特設サイトへの協力を取りつけた。表情も見て気持ちを想像してほしいと動画形式にし、国外にも発信する為、英語や中国語、韓国語の要約も付けた。15人の内の1人である田中美江さん(89、座間味村)は、「沢山の孫たちに同じ体験をさせたくない」という一心でカメラに向かった。教師が叩きつけた手榴弾が不発だった為、命を繋いだ。その教師が剃刀を研ぎ始め、恐怖のあまりガマから逃げ出した。シャツの裾を握り締めながら、凄惨な体験を語った。どこにいても、動画で触れることができる島の人々の証言。そこには、田中さんら体験者の悲痛な思いが込められている。「戦は人の心を壊し、その傷は癒えることがない。生と死が紙一重だったあの時代を、多くの人に知ってほしい」。


※本文由李的博多居民提供。谢谢。
キャプチャ  西部本社版2020年6月18日付掲載
スポンサーサイト



テーマ : 地域のニュース
ジャンル : ニュース

轮廓

George Clooney

Author:George Clooney

最新文章
档案
分类
计数器
排名

FC2Blog Ranking

产品搜索
广告
搜索
RSS链接
链接