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【ときめきは前触れもなく】(37) 久しぶりの勘六山房

海抜2000mの高峰高原からの眺め。八ヶ岳の頂上に雪が漂っている以外は快晴。梅雨というのに、晴れ女の面目躍如である。小諸に住む友人の車で高原ホテルで昼食をとった後、山頂から眺めた眺望の真ん中へ真っ直ぐ下ってゆく。目的は勘六山、千曲川の赤い橋を渡り、布引観音や御牧乃湯を通り過ぎ、確かこの辺りの畑の中を右に上がった筈と、うろ覚えの地理をナビがなぞってくれる。作家の水上勉さんが晩年を過ごされた場所を、私は何度も訪れている。最初は佐久出身の作家・井出孫六さんに連れてゆかれたのだ。水上さんは1919年、福井の生まれだから、生誕100年を過ぎたばかり。去年伺えなかったので、一日も早くお詣りにと思っていた。だが、突然の訪問で現在、その家で暮らす娘の蕗子さんが不在ということもある。その時は、家の外から手を合わせてと思って、勘六山の入口の坂道を登る。通い馴れた道だ。滅多に吠えない気の優しい雌の飼い犬が、いつも出迎えてくれた。水上さんは、この勘六山に軽井沢から移り住み、親しい人々を近くに住まわせた。ご自宅の隣には小川が流れ、竹紙を漉く仕事場があった。骨壷等の焼き物を焼いた工房は、当時からいた角りわ子さんが独立して、今も営んでいる。自宅の周りを親しい人々が囲んでいたが、北側の一角だけが未だ空いていた。

私とつれあいは、当時、軽井沢から小諸の間で、夏を過ごす家を探していたので、水上さんは隣が空いていると勧めて下さった。目の前に浅間が聳え、「月を見ながら酒を飲むのは旨いぞ!」という話に、つれあいは大いに惹かれたようだ。井戸もご自宅から分けて下さるという。私も浅間が大好きなので、その気になりかかったが、車の運転をしない私は一人で移動が難しく、残念ながら諦めざるを得なかった。抑々、不思議な御縁だった。岐阜県の下呂温泉へ講演に出かけた時、グリーン車の前の席に水上さんと編集者が座っていた。ペンクラブの催し等で御一緒したことがあったので御挨拶をすると、高山へ取材旅行とのことで、私が先に失礼した。一泊し、翌朝に下呂から乗るとまた、前の席に水上さんがいらっしゃるではないか。そこですっかり話が盛り上がり、勘六山へ伺うご縁が出来たのだった。結局、交通の便を考え、軽井沢で夏を過ごすことになった私たちは、ちょくちょく勘六山を訪れ、角りわ子さんや蕗子さんとお目にかかり、水上さんが亡くなった後も編集者と一緒に伺っていた。久しぶりの訪問、竹紙の工房は閉まっていたが、勘六山房の窓に人影があった。蕗子さんだった。簡素な仏前に線香を手向ける。足許近くまで竹が這っている。いつの間にか生えたのだ。障子の破れは、一時、ハクビシンが棲みついて出入りしたせいだろう。声を聞きつけて角りわ子さんが会いに来てくれた。


下重暁子(しもじゅう・あきこ) 作家・評論家・エッセイスト。1936年、栃木県生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業後、『NHK』に入局。名古屋放送局や首都圏放送センターを経て、1968年からフリーに。『家族という病』(幻冬舎新書)・『若者よ、猛省しなさい』(集英社新書)・『夫婦という他人』(講談社+α新書)等著書多数。


キャプチャ  2020年7月31日号掲載
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