【宇垣美里の漫画党宣言!】(29) 違う国から来た人々を想う
海外旅行が趣味で、世界最強と言われる信用度の日本国籍のパスポートを携えていても、毎回、入国審査は緊張する。係員のじろりと人を見透かすような目線に、「お前は誰だ?」と問われているようで落ち着かない。いわんや、母国を飛び出し、知り合いのいない国へ辿り着いた人をや。深い穴へ落ちていく不思議な入国手続きの描写に笑った後、あの時の足場のぐらつくような、背筋がひやりとする感覚を思い出した。『バクちゃん』は、遠い異星から地球にやって来たバクちゃんの目線から、見知らぬ土地で暮らす者の生活と現実のままならなさを描いている。主食である夢が枯れたバク星から、ひとりで地球の東京にやって来たバクちゃん。いつかは永住権を得たいと思っているけれど、地球での生活はわからないことだらけ。駅のホームでレジャーシートを広げて一服すれば変な目で見られ、総武線で満員電車にぎゅうぎゅうにされたかと思えば、車内で起きた放水で水責めに遭う。その度に目を真ん丸にして驚き、ころころと表情が変わるバクちゃんは、たまらなく可愛い。他の異星人たちも、小さな昆虫やもふもふの毛玉、ロボットといった地球人とは違う多様な姿をしていて、メルヘンチック。優しくふんわりとした線で描かれた彼らは皆、可愛らしく、SFめいた東京の街並みは、軽やかで温かなのに、ずっと泣きだす手前のような心細さが漂っている。それは、寂しさや辛さを言葉に出さず、ぐっとこらえているバクちゃんの心情そのものだ。一見ファンタジーだけど、作中で浮き上がってくる移民たちの抱える問題は、現実と強くリンクする。
例えば、夢を食べるバク星からの移民が増えると、地球人の安全な睡眠が奪われてしまうのではないかという偏見。口座がなければケータイを契約できず、ケータイがないと口座が作れないという冷酷な制度。移民同士の中にも、止むに止まれず故郷を出てきた人と、自由意志によって移住した人の間には、大きく深い溝がある。特に印象に残ったのは、故郷の星を戦争で失った掃除婦のサリーさんの言葉だ。「27年いて地球は好き?」と問うたバクちゃんに、少しの沈黙の後、ただ一言、「選択肢ないよ」。ずしんと重く、読んだ後、何度も何度も頭の中で反芻している。これは作者がカナダに移住していた時に、実際に移民の方から聞いた言葉だそうだ。きっと、私が日本で、日本に来た移民の方に聞いても一生聞けないことだろう。バクちゃんが入国審査で何度もしつこくこの国を愛しているかと問われていたことを思い出した。似たようなものを、私はテレビで日常的に見ている。そんな国の住民に、誰が素直に好きとは言えない感情を持っていると伝えられるものか。日本では、移民問題をどこか対岸の火事のように考えている空気があるのは否めない。でも、それって本当だろうか。見えてない、見ていない差別が、ほらここにも、あそこにも。東京に住まう違う国から来た人々を想う。少子化が進む日本は今後、どんどん移民が増えていくことだろう。海を越えて手を差し伸べることは中々難しいけれど、でも海を越えやって来た人が、せめて心穏やかに過ごせるように、と一人ひとりが心を配ることは、そんなに難しいことではない筈だ。若しバクちゃんに会ったら、私は何て声をかけるだろう。帯にあった「ねぇ、地球は、日本は、どんなふうに見える?」の言葉が、ずっとずっと私に問いかける。
宇垣美里(うがき・みさと) フリーアナウンサー。1991年、兵庫県生まれ。同志社大学政策学部卒業後、『TBS』に入社。『スーパーサッカーJ+』や『あさチャン!』等を担当。2019年4月からフリーに。近著に『風をたべる』(集英社)。
2020年7月30日号掲載
例えば、夢を食べるバク星からの移民が増えると、地球人の安全な睡眠が奪われてしまうのではないかという偏見。口座がなければケータイを契約できず、ケータイがないと口座が作れないという冷酷な制度。移民同士の中にも、止むに止まれず故郷を出てきた人と、自由意志によって移住した人の間には、大きく深い溝がある。特に印象に残ったのは、故郷の星を戦争で失った掃除婦のサリーさんの言葉だ。「27年いて地球は好き?」と問うたバクちゃんに、少しの沈黙の後、ただ一言、「選択肢ないよ」。ずしんと重く、読んだ後、何度も何度も頭の中で反芻している。これは作者がカナダに移住していた時に、実際に移民の方から聞いた言葉だそうだ。きっと、私が日本で、日本に来た移民の方に聞いても一生聞けないことだろう。バクちゃんが入国審査で何度もしつこくこの国を愛しているかと問われていたことを思い出した。似たようなものを、私はテレビで日常的に見ている。そんな国の住民に、誰が素直に好きとは言えない感情を持っていると伝えられるものか。日本では、移民問題をどこか対岸の火事のように考えている空気があるのは否めない。でも、それって本当だろうか。見えてない、見ていない差別が、ほらここにも、あそこにも。東京に住まう違う国から来た人々を想う。少子化が進む日本は今後、どんどん移民が増えていくことだろう。海を越えて手を差し伸べることは中々難しいけれど、でも海を越えやって来た人が、せめて心穏やかに過ごせるように、と一人ひとりが心を配ることは、そんなに難しいことではない筈だ。若しバクちゃんに会ったら、私は何て声をかけるだろう。帯にあった「ねぇ、地球は、日本は、どんなふうに見える?」の言葉が、ずっとずっと私に問いかける。
宇垣美里(うがき・みさと) フリーアナウンサー。1991年、兵庫県生まれ。同志社大学政策学部卒業後、『TBS』に入社。『スーパーサッカーJ+』や『あさチャン!』等を担当。2019年4月からフリーに。近著に『風をたべる』(集英社)。

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