【管見妄語】 半人前国家

戦前、郷里の信州は“教育県”として名高かった。「“信濃教育”が日本の初等教育をリードしていた」と言っていい。それが20年余り前、長野県の教育関係者が沖縄を視察に行ったところ、当地の教育界の人に「長野県を目標として頑張っています」と言われた。「信濃教育の威光、未だ健在」と胸を張っていると、何とセンター試験の平均点で、ビリが沖縄でビリから2番目が長野県ということだった。県を挙げて観光立県に励んでいる間に、信濃教育の遺産は食い潰されていたのだ。文部科学省の今年度学力テスト(小学6年生と中学3年生に対する国語と数学のテスト)の結果が先頃、発表された。沖縄の小学生が遂に国語・算数共に全国平均を越え、綜合13位に躍進したという。18位の長野県をも軽く抜き去った。アメリカ軍基地に付随する諸々のハンディキャップを乗り越えての結果だけに、賞讃に値する。中学校のほうは小学校の上にあるから、未だ数年はかかるだろうが、何れは同じ道を辿りそうだ。朗報から2ヵ月たった数日前、『経済協力開発機構(OECD)』のPISA(15歳の生徒に対する数学・科学・読解力のテスト)の結果が発表された。先進35ヵ国で、日本は数学と科学で1位、読解力で6位だった。全ての参加国や都市の中では、シンガポール・香港・マカオ・上海等、主に中国系がしばしば日本より上位にくる。但し、これらはどれも都市と言っていい所だし、生徒の選び方も不透明だから、比較の対象となるのは先進35ヵ国だけだ。ただ、そこで数学と科学が1位と喜んではいけない。2桁の足し算に苦労する人の多い欧米相手なら、断トツの1位でなければいけないのだ。一方、前回1位だった読解力が、3年経った今回は6位というのは由々しき事態である。今回の数学でも、基礎に比べ、文章読解力を要する応用のほうで、案の定、大きく点を落としていた。読解力さえ良ければ、数学は実力通り、トップでなく断トツのトップとなる筈だった。

原因として1つ思いつくことは、小学生に比べ、中高生が本を読まないことだ。論理的文章に弱いのは、新聞を読まなくなったことも大きい。内閣府の調査によると、中学生の3人に2人、高校生の2人に1人は新聞に全く目を通さないのである。一方で、スマートフォン等を用いたインターネット利用時間は、中学生が1日2時間、高校生が1日3時間だ。殆どが友だちとの連絡、動画や音楽の視聴、ゲームである。読解力不足は、数学力や科学力の不足より遥かに深刻だ。数学や科学に疎いと、生活上、かなり不便と思うが、国がどうかなる訳ではない。現に、“1/2+1/3”のできない人だらけの米英でも、国はきちんと動いている。それに反し、読解力不足では知識や教養は殆ど身に付かず、従って思考力も見識も得られない、こうした人間が多くなると、世界中から侮られるばかりか、「国民の多数決で全てを決める」という民主主義さえ成り立たなくなる。だからこそ、米英で「数字を見ると頭痛がする」は自虐ユーモアとなっても、「文字を見ると頭痛がする」は深刻過ぎてユーモアにならない。「私は半人前の人間です」と告白するようなものだからだ。読解力低下、即ち活字文化の衰退がこのまま続けば、日本は半人前国家となってしまう。寺子屋の先生は皆、この危険を知っていたから、“読み書き算盤”、今なら“読み書き算数”だけを教えた。初等教育では、これらが他教科に比べ、圧倒的に重要ということである。「10年後には、スマートフォンに実用可能な音声自動翻訳機能が付く」と言われている。なのに、グローバル化に燥いで小学校で英語を必修とした。グローバル化には、何はともあれ人間力だ。即ち、力強い読解力を通して培われた論理的思考力・情緒力・教養力である。英語が如何に流暢でも、こういったものに欠けていると、世界では相手にされない。話す手段より、話す内容を整えることが先決ということだ。


藤原正彦(ふじわら・まさひこ) 数学者・お茶の水女子大学名誉教授。1943年、満州国生まれ。東京大学理学部数学科卒。同大学院理学系研究科修士課程数学専攻修了。ミシガン大学研究員・コロラド大学ボルダー校助教授等を経て現職。著書に『藤原正彦の人生案内』(中央公論新社)・『この国のけじめ』(文藝春秋)等。


キャプチャ  2016年12月22日号掲載
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