“土人”発言なんてほんの序の口! 連綿と続く本土人による沖縄差別の非道過ぎる実態

機動隊員(大阪人)の“土人”発言で改めて提起された沖縄差別問題。遥か昔から続く本土人による沖縄蔑視が、土人発言に繋がっている。虐げられ続けた沖縄の歴史の実態とは――。 (フリーライター 星野陽平)

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「どこ掴んどんじゃボケ、土人が!」――。先月18日、『YouTube』にアップロードされた動画が波紋を呼んでいる。その内容は、若い機動隊員が金網越しに市民に対して罵声を浴びせているという強烈なもの。この動画は同日午前、アメリカ軍北部訓練場のヘリコプター着陸帯『高江へリパッド』の建設に抗議する沖縄市民に対し、現場で警備に当たる大阪府警の機動隊員を撮影したものである。“土人”とは、未開地域の原住民等を侮辱する言葉であり、沖縄県民に対する本土出身者の差別感情が込められているのは明らかだ。現代においては殆ど使われない言葉だが、インターネット上では数年前から「アメリカ軍基地で収入を得ながら、お金欲しさに基地に反対する沖縄の人」を指して、“沖縄土人”との言葉が使われているという。尚、基地を原発に置き換えた“福島土人”という言葉もあるそうだ。この問題を巡っては、国会でも沖縄選出の野党議員らが警察庁に抗議した上で、謝罪を求める等、大騒動に発展した。ここでは、抑々何故、“土人”等というアナクロな言葉が沖縄県民に向けられることとなってしまったのか、その確認の為にも、沖縄の歴史について紐解いてみたい。原住民を示す“土人”という言葉自体は差別語である。だが、確かに沖縄に住む琉球民族は、先住民に他ならない。国連も、「沖縄の人々は先住民である」と認定している。国連の『人種差別撤廃委員会』等は2008年以降、沖縄の人々を先住民族として認め、土地や天然資源に対する権利を保障するよう、日本政府に法改正を求める勧告を複数回に亘って出している。これに対し、日本は「政府として、先住民族として認識しているのは、アイヌの人々以外には存在しない」という立場を取り、国連の勧告を無視している。この国連の勧告は、尖閣諸島の帰属問題や沖縄独立論と絡んで、パンドラの箱を開けかねない国益上のタブーであり、国内で真面に議論されることは殆ど無いのだ。

人類学の世界では、「日本人は、原日本人と渡来人との混血によって生まれたものである」という説が有力だ。ここで言う“原日本人”とは、数万年前に大陸から日本列島に渡来した所謂“縄文人”のことで、“渡来人”とは、弥生時代以降に大陸から新たに渡来した所謂“弥生人”のこと。両者の接触によって九州や本州では混血が進んだが、北海道と沖縄では縄文人の系統が比較的純粋な形で残り、アイヌと沖縄の人々になったという。沖縄に行けば、現地の人々の顔つきが本州の人々と違うことが分かる。顔の彫りが深く、目はパッチリとした二重で、痩せている人が多い。遺伝子レベルで違うのである。更に言えば、沖縄は元々独立国家であり、日本に編入されたのは近代に入ってからのことだという事実がある。沖縄には、1429年から『琉球王国』という国家が存在し、アジアの各地域を結ぶ中継貿易で大きな役割を果たしながら、明や清を宗主国として仰ぎ、朝貢していた。16世紀後半、豊臣秀吉が明を征服する為に、その進路に当たる李氏朝鮮に出兵する際、琉球王国に協力を命じたが、国王はこれを一旦拒否している。琉球王は結局、兵糧の一部を負担したものの、全ての要求は受け入れなかった。これが、後に薩摩藩による琉球侵攻の口実となった。1609年、薩摩藩の島津氏は3000の兵を率いて琉球に攻め込み、琉球軍はこれに敗れた。琉球王国の尚寧王は薩摩藩に和睦を申し入れ、これ以降、琉球王国は薩摩藩の属国となるが、その後に大陸で成立した清にも朝貢を続けている。1850年代になって、琉球王国はアメリカ、フランス、オランダと修好条約を結んでいる。この当時の国際社会では、琉球王国は“主権国家”と見做されていたのだ。1867年に大政奉還が行われ、明治政府が発足。日本は近代国家として歩み始めるが、これに伴い、1871年には廃藩置県が断行された。明治政府は、琉球王国は鹿児島県の管轄とし、清国への朝貢等を断つよう命令したが、これが無視された為、1879年に警察官等600人を派遣し、強制的に沖縄県を設置した。これによって琉球王国は滅亡し、沖縄は正式に日本の領土となったのである。この一連の流れは『琉球処分』と呼ばれる。日清戦争の結果、『下関条約』によって清から日本に台湾が割譲された1895年の僅か16年前に、沖縄は日本に編入されたのである。言うなれば、日本にとって台湾と沖縄は抑々大差ないのだ。但し、沖縄の人々は人種的には“原日本人”であり、言語も日本語の系統に当たる琉球語を話すから、文化的には日本に近い。しかし、本土と沖縄では言葉が殆ど通じず、また沖縄には刺青の風習があったこともあり、“未開地域”と見做されていた。沖縄は、政治的には長らく朝貢を続けていた中国と近かった。にも関わらず、武力によって無理矢理に日本にさせられたのである。こうした日本への編入の経緯があったこともあり、本土の人々は沖縄に対して偏見の眼差しを向けていた。それは、歴史の中で度々表面化していくこととなる。

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1903年、『人類館事件』と呼ばれる問題が起こった。大阪市で開催された『第5回内国勧業博覧会』で、『学術人類館』と称して、沖縄・アイヌ・台湾高砂族・朝鮮・支那・インド・ジャワ・ベンガル・トルコ・アフリカ等の人々32名が、民族衣装を着させられ、区域内に住まされ、その日常生活を“見世物”にされた。沖縄人として晒し者にされたのは、“琉球婦人”と銘打たれた2人の遊女だった(左画像)。当時の沖縄では、遊郭の女性が騙されて連れて来られて“展示”されたことや、沖縄の人々をアイヌと一緒にされたことに対する抗議の声が上がったという。沖縄では、「自分たちは日本人だ」という意識が広がっていたにも関わらず、本土の人々は沖縄の人々を“琉球の土人”と見做していたのである。また、先の大戦においても、沖縄は本土防衛の為の“捨て石”にされたという悲惨な歴史がある。これも、本土人の差別意識が根底にあるのは間違いない。太平洋戦争末期の1945年、アメリカ軍が沖縄に上陸し、日本軍との間で激しい戦闘を繰り広げた。沖縄戦は、日米で最大規模且つ最後の戦闘である。沖縄戦におけるアメリカの狙いは、日本本土攻略の為の航空基地と補給基地の確保にあったが、一方、日本軍には本土決戦に向けた時間稼ぎの意図があった。沖縄戦の特徴は、住民の戦争参加が顕著だったことにある。“軍民一体の戦闘協力”のスローガンの下、徴用された沖縄の人々は、飛行場建設や陣地構築等に参加し、更に兵力不足に陥っていた日本軍を補う為、戦闘員としても動員された。その象徴が『ひめゆり学徒隊』だ。

ひめゆり学徒隊は、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師と生徒で構成された看護部隊だったが、戦況が悪化した1945年6月18日に突如、解散命令が出され、それから1週間の内に240人中136人が、集団自決やアメリカ軍の攻撃によって死亡するという痛ましい結果となった。それほどまでに戦争協力を強いられた沖縄の人々だったが、日本軍からは信用されず、「沖縄語を話していた」というだけでスパイ容疑をかけられ、虐殺される者も少なくなかった。ある記録によれば、「この附近にスパイが潜入している。沖縄出身の妙齢の婦人で数は4、50名と推定される。彼らは赤いハンカチと小型手鏡をもっていて、陰毛をそり落としているのが特徴である」として、沖縄で日本軍が“スパイ狩り”をしていたという。明らかにデマであろう情報を日本軍が真剣に信じたのは、沖縄の人々に対する差別や偏見に理由があるだろう。また、戦闘の過程で住民と共に洞窟に潜んだ日本兵の一部が、アメリカ軍に発見されるのを恐れて、泣き声を上げる赤ん坊を親に殺させたり、自ら殺害するようなケースもあったという。地獄と化した沖縄戦では、9万4000人もの住民が犠牲になった。当然のように、本土では地上戦は行われることなく、日本は降伏している。本土人は、沖縄人のことなど人間扱いしていなかったのだ。戦争が終わってからも、沖縄の苦難は続いた。本土から切り離されて、沖縄は1945年からアメリカの占領下に置かれたのである。沖縄を占領したアメリカ軍は、次々と集落や農地を強制接収し、演習地とした。また、住民が被害者となるアメリカ兵による事件が頻発したこともあり、沖縄の人々は祖国復帰運動を展開したが、アメリカ軍はこれを弾圧した。1972年に漸く祖国復帰が成し遂げられたが、アメリカ軍はそれ以降も沖縄に居座り続けた。現在も、沖縄県の面積の約10%は基地が占拠している。沖縄のアメリカ軍基地は、街のど真ん中や直ぐ近くにあり、航空機の騒音や実弾演習による山林火災、戦闘機やヘリコプターの墜落事故、アメリカ軍人による事件等、沖縄県民は常に基地によって脅かされながら、生活を余儀なくされている。しかし、未だに本土は「沖縄人など、我慢して当たり前だ」と思っているのだ。アメリカ統治下の沖縄では、“祖国”日本に対する思いが強く、アメリカ軍政府と交渉して、祝祭日には公共施設で日の丸を掲揚してもらう権利を獲得し、教育は日本式を貫き、ドルが流通しているのに“10円+10円=20円”という実生活では役に立たない計算を習っていた。

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晴れて祖国復帰となり、沖縄の人々はパスポート無しで本土を訪れることができるようになったが、待ち受けていたのは沖縄差別だった。復帰後、本土の飲食店に“沖縄の人、お断り”という貼り紙が張られることがよくあった。本土に渡った沖縄人は共同体意識が強く、寂しさからよく同郷人で宴会を開くことがあったが、「三線を弾き、歌ったり、踊ったりと大騒ぎされるから、他の客に迷惑だ」というのだ。これについて、「入店拒否は差別だ」として、沖縄県が正式に抗議をしたこともあった。安室奈美恵や『SPEED』が芸能界で活躍し始めた1990年代から、本土では“沖縄ブーム”が起こり、沖縄差別が表面化することは稀になっていったが、台頭する中国との間で尖閣諸島の帰属をめぐる問題がクローズアップされていくと、沖縄に対する偏見が再び強まっていった。その象徴が、昨年6月、作家の百田尚樹(右画像)が自民党の勉強会で、安保法制を巡って「沖縄の2つの新聞は潰さなアカン」と発言した問題である。“沖縄の2つの新聞”とは、普天間基地の移設問題で安倍政権批判を強める『琉球新報』と『沖縄タイムス』のことで、両紙は「民主主義の根幹である表現の自由・報道の自由を否定する暴論である」と百田を批判した。今回の“土人”発言も、百田発言に見られた沖縄に対する政治的な反発と、人類館事件の時から存在する差別意識が入り交じったものに違いない。だが、こうした侮蔑発言は、沖縄の人々に「これが本土の人々のウチナーンチュ(沖縄人)に対する本音なのか…」という思いを抱かせ、勢い“沖縄独立論”を駆り立てることに繋がる。沖縄の人々は、郷土の歴史を知れば知るほど、「沖縄は本来、独立王国だったのに、ヤマトンチュー(本土の人々)に征服された」という認識を持たざるを得ない。そして、世界的なナショナリズムの高揚と共に、今、沖縄で沸き起こりつつあるのが独立論だ。「民族自決の原則を取るなら、沖縄独立も止む無し」と考えるしかないのかもしれない。それが、本土人が長い歴史を通じて沖縄人に対して行ってきた差別の報いなのだ。


キャプチャ  2017年1月号掲載

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テーマ : 沖縄米軍基地問題
ジャンル : 政治・経済

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