【解を探しに】第1部・漂流ニッポン(03) 何のために働くのか

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昨年10月、損害保険会社社員の杉村雄一さん(仮名・53)は、裁判所の証言台に立っていた。「組織ぐるみで行った不正行為の責任を押し付けられた」「会社人生に大きなダメージを受けた」。厳しい言葉の矛先は、30年勤める会社と嘗ての上司に向けられた。裁判で杉村さんは、自身の降格処分に対する損害賠償を求めている。きっかけは10年前。杉村さんによると、当時、損害保険各社で発覚した保険金の不払い問題に絡み、支払い対象を絞り込み、少なく装うよう指示された。当時は理由も知らされなかった。だが、待遇は次第に悪化。5年前には降格処分を受けた。「何故、こんな目に」。調べたところ、杉村さんが「独断で隠蔽工作を行った」とする嘘の報告書を上司が作っていたことを知った。反旗を翻さず、処分を受け入れて、残りのサラリーマン人生を送る道もあった。しかし、「真実を明らかにし、名誉を回復したい」と訴訟を決断した。「会社が一からやり直すには今しかない。会社を辞めずに闘いたい」。

東京都内に住む30代の会社員・福島達夫さん(仮名)は、6年勤めた不動産関連会社を辞めた。仕事は厳しかったが、当初は業績が上がることにやり甲斐や喜びを感じていた。しかし、徐々に疑問を感じるようになる。「仕事が終わるまで帰れると思うな」。上司からの厳しい叱責に加え、ノルマを苦にした同僚が失踪したのを機に、退職を決めた。会社が長期雇用と賃金の安定を保障する代わり、社員が長時間労働や会社への忠誠を受け入れる――。両者の蜜月関係は日本経済の原動力でもあったが、「バブル崩壊を契機とした長期的な経済の低迷で、その重要性は失われつつある」と一橋大学大学院経済学研究科の川口大司教授は言う。社員を使い捨てにするような会社がある一方で、社員側の働く動機も多様化している。「ちょっと叱責したら“パワハラ”と訴えられた」「『給料が安い』と退職届を出し、翌日から来なくなった」。社員教育に詳しい社会保険労務士・田北百樹子さんの下には、社員の心を繋ぎ留めようと模索する企業からの相談が相次ぐ。「正直、社員側の行き過ぎも目に付く」と田北さんは危惧する。ソフトウェア開発の『サイボウズ』(東京都中央区)は10年前、社員の28%が退社する危機に直面した。理由は、“7K”と呼ばれた労働環境。給料が安い・結婚できない・帰れない・化粧がのらない…。人事担当の中根弓佳執行役員は、「私も辞めようかと思ったくらい」と振り返る。“仕事重視”か“生活重視”かで選ぶ9種類の人事コース等を導入し、離職率を4%に下げることに成功した。中根さんは、「会社自身が硬直的な価値観から抜け出し、多様性を受け入れる必要がある」と語る。ブラック企業・社畜…。働くことへの否定的な言葉が蔓延る時代。「『会社の成長が自分の成長だ』と信じてきたが、裏切られた。何の為に働くのか、わからなくなっていた」。福島さんの呟きを、多くのサラリーマンはどう聞くのだろう。

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■こんなに変わった会社員
戦後71年目となる2016年が明けた。高度経済成長からバブル崩壊を経て、日本経済成長を支えてきたサラリーマンやOLの姿も変化してきた。会社員の姿はどう変わり、どこに向かうのか。年収や小遣い、出世願望や川柳まで、データで“会社員像”を描いた。厚生労働省の『賃金構造基本統計調査』によると、昨年の大卒会社員の初任給は、男性が20万4000円、女性が19万8000円だった。バブル景気の引き金になった『プラザ合意』の1985年と比べると、男性は約6万4000円、女性は約6万5000円、其々増加した。調査を基にした試算では、大卒社員の平均年収(2014年、残業代や賞与含む)は、男性が約648万円、女性が約447万円。こちらも1985年と比較すると、其々約130万~約140万円増えた。ただ、賃金カーブの上昇は1990年代前半まで。その後は景気低迷により、ほぼ横這いの状況が続いている。では、個人の懐事情はどうか。家庭を持つ会社員の場合、自由に使える小遣いは大きな関心事だ。『新生銀行』の『サラリーマンのお小遣い調査』によると、最も古い1979年の小遣いは月4万7175円。その後、バブル絶頂期の1990年に7万7725円まで上昇したが、景気の低迷と共に漸減し、昨年は3万7642円まで落ちた。年代別では、20代の小遣い額が2006年に50代以上を逆転。消費増税や教育費の上昇等を背景に、身を削って働く中年会社員の寂し気な姿が浮かぶ。昼食代も1979年の565円から上昇を続け、1992年に746円でピークを迎えたが、リーマンショック後の2010年には507円まで落ちた。昼休み、価格競争が激しい牛丼店やファストフード店に並ぶ会社員の姿も多かった。アベノミクス効果もあってか、昨年に601円まで上昇したが、この先、豪華なランチは復活するか?

“働き過ぎ”と言われ続けている日本の会社員。ただ、実際には労働時間は1990年代に大きく減った。就業者1人当たりの平均年間総実労働時間は、1990年に2031時間。2012年には約300時間少ない1745時間になった。テレビCMで使われた「24時間戦えますか?」に象徴される仕事一辺倒の企業戦士の姿は薄れつつある。尤も、諸外国に比べると未だ労働時間は長い。ドイツやオランダは1400時間を切っている。週50時間働く長時間労働者の割合は、2011年に31.7%に上り、主要国でも最高水準だ。休日を消化できない傾向も続いている。厚労省の『就労条件総合調査』によれば、労働者1人当たりの年次有給休暇の付与日数は、昨年に18.4日。1985年の15.2日から約3日増えた。だが、実際の取得日数は7.8日から8.8日に僅か1日増えただけ。調査結果からは、「取りたくても取れない」という嘆きが聞こえてきそうだ。オフの過ごし方も変わった。昨年、『シチズンホールディングス』が行った調査によると、1週間のプライベート時間の使い方で最も多かったのが「テレビを見る」の6時間38分。だが、35年前の1980年(13時間2分)からは半減した。代わりに中心になったのが「インターネットやEメール」。1980年には質問項目に無かったが、昨年には5時間59分を費やした。新聞・雑誌・本等の「読書」は、1980年の8時間42分から昨年には1時間55分に。「外での飲酒・喫茶」も7時間42分から2時間6分に減り、「パチンコや競馬等のギャンブル」は4時間16分から3時間21分に減った。サラリーマンの目標も変化した。産業能率大学の『新入社員の会社生活調査』によると、「社長になりたい」新入社員は全体の34.4%(1990年度)から11.5%(昨年度)まで、25年間で3分の1に減った。代わって増えたのが、“役員”(10.4%→20.4%)や“部長”(14.1%→19.6%)等のポスト。経済の低迷が続く中、「経営責任を取らされる企業のトップより、そこそこに出世して会社員人生を終えたほうが幸せ」という若い世代の思いが透けて見える。

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1985年の『男女雇用機会均等法』の制定を契機に、女性の社会進出が加速。20代後半から30歳代女性の就業率が落ち込む“M字カーブ”は改善しつつある。以前は“M字の底”と呼ばれた30~34歳の就業率も、49.0%(1985年)から68.0%(2014年)に上昇した。内閣府によると、1980年に614万世帯だった共働き世帯は、2013年には1065万世帯に増えた。一方で、夫が働き、妻が専業主婦という世帯は、1114万世帯から745万世帯に3割減った。ただ、女性の管理職は未だ少数だ。総務省の『労働力調査』によると、1985年の9.9%から2014年の11.3%に上昇したが、安倍晋三政権が2020年までに掲げる30%の目標には程遠い状況が続く。アメリカの43.7%、フランスの39.4%、シンガポールの33.8%と比べても低水準だ。『第一生命』が1987年から募集する『サラリーマン川柳』には、仕事や家庭との狭間で苦闘する会社員の悲喜交々が浮き彫りになる。バブルピークの1990年には“一戸建 手が出る土地は 熊も出る”・“夢さめて 株式欄を 避けて読む”・“ブランドは 見るもの聞くもの 貰うもの”等が世相を映し出した。消費税が5%に上昇した1997年は、“ビッグバン 俺の財布の 割れる音?”。リーマンショック後の2008~2009年には、“円下げて! ドル上げないで 株上げて!”・“100年に 一度の不況が 5年毎”等と景気低迷を嘆く川柳が目立つ。“アベノミクス”が流行語となった2013年と2014年には、日銀の金融緩和を題材にした“小遣いの 異次元緩和 未だなし”や、“昇給と 小遣いアップ ゼロ回答”等、好景気を実感できない会社員の嘆きも漏れた。1年後の消費増税や人口減少等課題を抱えて始まった2016年、世の会社員はどんな名句を生み出すのだろうか。 (高岡憲人)

■小説のサラリーマン

戦後の日本には、会社員を主人公にした“会社員小説”というジャンルが存在する。そう指摘するのは、『会社員とは何者か? 会社員小説をめぐって』の著書を持つ作家で東海大学教授の伊井直行氏だ。戦後の復興期から現代に至るまで、日本経済を支えてきた会社員がどのように描かれてきたのか。会社員小説の魅力を尋ねた。 (聞き手/社会部 高岡憲人)


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戦後、会社員を主人公とする小説で最初に注目を集めたのは源氏鶏太です。1948年のデビュー以降、ユーモア溢れる筆致で、会社員の悲喜劇を描いた小説を次々に発表。通訳専門の嘱託社員である主人公の“英語屋さん”と、他の社員との交流を描いた短編小説『英語屋さん』では、直木賞も受賞しました。源氏の登場以来、“サラリーマン小説”と呼ばれた小説群が、主人公を取り巻く上司・同僚・家族とのやり取りがコミカルに、そして生き生きと描き、国民の支持を得ますが、意外なことに、具体的な仕事内容等には殆ど触れられていません。エッセイストとしても活躍した山口瞳は、戦中派の昭和人・江分利満の生活を通じて、昭和30年代の会社員の日常を描いた『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞。『目白三平シリーズ』が人気を集めた中村武志も、サラリーマン小説の書き手と見做されました。代表格である源氏・山口・中村の共通項は、何れも高卒で大企業に入った点です。戦後の復興期、企業の中枢にいたのは一部の大卒者でした。高卒組は、出世・昇進・給料等で大卒者に差を付けられました。源氏らは、高卒者が企業内で抱えていた違和感や鬱屈した感情を、直接的にではなくユーモラスに描き出すことで、多くの国民から共感を得たのだと思います。当時は、経済発展に合わせて地方から都市部に若者が集まり、大学の大衆化も進みました。会社員が一気に増えた時代でもあり、等身大の日常を描いた“サラリーマン小説”に人気が集まる土壌がありました。源氏の作品が80本以上も映画化されたことからも、その人気ぶりが窺えます。

植木等主演の映画『ニッポン無責任時代』(東宝)がヒットを飛ばしたのもこの頃。純文学では、1955年に庄野潤三が会社の資金を使い込み、失業した男の家庭生活をスケッチした『プールサイド小景』で芥川賞を受賞。会社員の日常を描いて芥川賞を受賞したのは、庄野が初めてでした。純文学の作家では、この他、黒井千次と坂上弘が会社員を題材に秀作を書いています。1970年代に入ると、サラリーマン小説の人気は下火になります。代わって登場したのが、企業活動や企業間の競争等に重心が置かれた企業小説・経済小説でした。経済小説の開拓者で、総合商社を舞台にした『毎日が日曜日』の著者・城山三郎は、企業活動の実態とその裏側にある人間ドラマを巧みに織り交ぜた作品を発表しましたが、企業小説の多くは人間よりも企業活動が中心に据えられており、“会社員小説”とは一線を画しています。バブル景気で、誰もが「明日は今日よりも良くなる」と猛烈に働いた時代。会社員人生を描く小説を時間を割いてでも、敢えて読む人は少なかったのでしょう。一方で、1980年代に連載が始まった弘兼憲史の『課長 島耕作』や、1985年創刊の『ビジネスジャンプ』(集英社)等、ビジネス漫画が若い世代の人気を獲得しました。暫く冬の時代が続いた会社員小説ですが、2005年に女性会社員を主人公とする作品が一挙に登場します。代表的な作品が、絲山秋子の『沖で待つ』。住宅設備機器メーカーの福岡支店で働く女性総合職の“私”が主人公です。亡くなった同期男性との約束を守り、恥ずかしいものが記録されたパソコンを破壊する物語です。“女性総合職”を正面から捉えて芥川賞を受賞したのは、絲山が唯一です。絲山自身は、男女雇用機会均等法の施行後間もなく大学を卒業し、総合職として企業で働きます。営業職として転勤も経験しますが、精神的に辛かった時期があったようです。均等法施行後の女性会社員の大変さを知る女性作家が描いたリアルな会社員の姿は、高く評価されました。2009年に芥川賞を受賞した津村記久子の『アレグリアとは仕事はできない』も、自身の会社員生活を生かしたと思わせる純文学作品です。セクハラ・ハケン問題・仕事と家庭の両立等、女性会社員が抱える葛藤は日本社会が抱える課題を反映しており、会社員小説は今、男女問わず多くの共感を集めています。男性作家による“働く女性もの”も数多く発表されています。奥田英朗の『ガール』や、盛田隆二の『ありふれた魔法』等。今や、働く女性は会社員小説に欠かせない登場人物と言えます。元銀行マンである池井戸潤の小説『半沢直樹シリーズ』は、2013年のドラマ化以降、爆発的なヒットとなりました。主人公の半沢直樹は銀行員としてのプライドを大切にし、上司に平気で刃向かいます。最大の魅力は組織内で起きる下克上であり、悪意ある上司や組織を半沢が懲らしめる勧善懲悪のストーリーでしょう。

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企業という組織は、“閉域”と表現することができます。会社員は終身雇用や賃金の安定という面で会社に守られる一方、硬直的な上下関係や上意下達の指示体系に縛られます。「上司の指示は絶対。個人の正義や倫理観は二の次」となった時、会社は悪の組織に堕落します。日本では、会社はしばしば“閉ざされた領域”であり、外に出る(=転職)ことが容易ではないのです。アメリカなら、実力ある会社員がより良い待遇を求めて転職するのは当たり前でしょう。ですが、日本では今も尚、転職は難しい。だからこそ人々は、現実社会では困難な下克上をやってのける半沢の活躍に夢中になるのではないでしょうか。一方で、半沢直樹のヒットは、閉鎖的な日本企業への不満がピークに達しつつあることを示しているのかもしれません。半沢直樹のヒットの影響か、読書家向けの雑誌が“お仕事小説”を特集する等、近年、会社員小説はちょっとしたブームを迎えています。では、これからの社会で求められる会社員小説とはどんなものでしょうか。個人的には、「仕事には、仕事を通してしか得られない何かがある」ことをしっかりと描いた小説が出てきてほしいと考えています。社会ではブラック企業や経済格差等の問題に焦点が当たりがちで、会社でしか得られない充実感や働き甲斐が軽視されているように感じます。イギリスの小説家であるジョゼフ・コンラッドは、代表作『闇の奥』にこう書いています。「働くことは好きではない。誰だってそうだろうが。しかし、仕事には好ましい面がある。自分自身を見つけるチャンスがあることだ。他人には分からない、他の誰のものでもない自分自身のリアリティーを見つけられる。他人は外見しか知らないから、それが本当は何を意味するのか分からないんだ」。こうした、仕事の中でしか見い出せない魅力――或いは魔力を、読者に伝えてくれる物語の登場を期待しています。

■崩れつつある終身雇用
「終身雇用が崩れつつある」と言われる。厚生労働省の『賃金構造基本統計調査』によると、2014年の一般労働者の平均勤続年数は12.1年で、20年前からほぼ横這い。ただ、同省の調査(2014年10月)では、全労働者に占める非正規の割合が初めて4割を突破した。「人件費抑制の為、非正規にシフトする企業が増え、正社員の割合が減っている」(関西学院大学の大内章子准教授)。若者の意識は読み取り難い。厚労省によると、2012年3月に大学を卒業した若者の就職後3年以内の離職率は32.3%。希望する仕事につけないミスマッチが問題になっている。ただ、産業能率大学の新入社員調査では、終身雇用を望む割合は73.3%(昨年度)。過去最高だった前年度に続く水準で、安定志向の高まりも窺える。


⦿日本経済新聞 2016年1月1日付掲載⦿

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