『LDH』が1億円でお買い上げ! 全く輝かない『日本レコード大賞』栄光の黒歴史

『日本レコード大賞』の買収問題が世間を騒がせている。しかし、腐敗は何も今に始まったことではない。買収や談合絡みの審査方法は年季が入っており、歴代受賞者には疑惑ばかり。果ては死人まで出しているレコード大賞の実態を、満を持してここに記す。 (フリーライター 星野陽平)

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『紅白歌合戦』(NHK総合テレビ)と並ぶ年の瀬の風物詩である『日本レコード大賞』(TBSテレビ系、以下“レコ大”)に激震が走っている。『週刊文春』が、昨年末のレコ大で買収工作があったことを裏付ける請求書を公開したのである(右画像)。同誌の2016年11月3日号に掲載されたのは、“芸能界のドン”と呼ばれる周防郁雄社長が率いる『バーニングプロダクション』から、『EXILE』の所属事務所である『LDH』に対する2015年12月24日付の請求書で、金額は1億800万円。但し書きには、“年末のプロモーション業務委託費として”とある。文春の取材によれば、昨年末のレコ大では、バーニングから審査員に対して、EXILEの弟分である『三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBE』(以下“三代目”)を強く推す働きかけがあり、実際にグランプリである日本レコード大賞を三代目が獲得したという。周防社長と言えば、芸能マスコミに大きな影響力を持っているが、レコ大の審査委員の多くは新聞記者が務めている。日頃から取材で世話になっているバーニングから、「今年のレコ大は○○で宜しく」と言われれば、審査員も抵抗できないのである。昨年のレコ大の審査が始まる前の下馬評では、約180万枚売れた『AKB48』の『僕たちは戦わない』が圧倒的に優位だったが、最終審査になると、15人の審査員の内の11人が、約20万枚売れた三代目の『Unfair World』に挙手した。この逆転劇が起きたのは、“芸能界のドン”の意向が大きく影響した為だった。まさに、“不公正な世界”が実現した瞬間だった。

レコ大と言えば、予てよりレコード会社や芸能事務所による談合疑惑や、審査員の買収疑惑が囁かれてきたが、今回の文春の報道では、その決定的な証拠が初めて明らかになったのである。最近のレコ大受賞曲を並べてみると、不自然さは一目瞭然だ。

2008年 EXILE『Ti Amo』
2009年 EXILE『Someday』
2010年 EXILE『I Wish For You』
2011年 AKB48『フライングゲット』
2012年 AKB48『真夏のSounds good!』
2013年 EXILE『EXILE PRIDE~こんな世界を愛するため~』
2014年 三代目J Soul Brothers『R.Y.U.S.E.I』
2015年 三代目J Soul Brothers『Unfair World』

EXILEグループとAKB48がほぼ交代で獲得しているのである。昨年のレコ大での工作が事実ならば、「それ以前にも同様のことがあった」と推測せざるを得ないだろう。レコ大は、今年で58回目を数える伝統ある音楽祭だが、ここまで悪事が暴露されながら、TBSは何事も無かったように今年も放送できるのだろうか? だが、レコ大の歴史は腐敗の歴史である。レコ大が創設されたのは1959年のこと。アメリカで『グラミー賞』が始まった翌年だった。当初、各レコード会社からは「大事な商品に傷を付けるつもりか?」と言われ、評判は芳しくなかったが、回を重ねる毎に受賞した歌手が次々とスターになっていくようになり、レコード会社側も対策に乗り出すようになった。“黒い霧”と呼ばれた醜聞が持ち上がったのは、1964年の第6回だった。この年のレコ大は青山和子の『愛と死をみつめて』が受賞したが、事前に青山本人が各審査委員の自宅を菓子折り持参で訪れ、挨拶回りをしていたが、「菓子折りに入っていたのはお菓子ではなかった」と噂された。翌1965年のレコ大は美空ひばりの『リンゴ追分』が受賞したが、この時も、ひばりが所属するレコード会社が各審査委員に林檎を送り、「林檎箱の中に実は…」という噂が流れた。以降、レコ大は無名歌手が新人賞を受賞する等して、毎年のように不正が囁かれるようになる。レコード会社は、審査委員にレコードの解説等を書いてもらい、高額の原稿料を支払ったり、芸能事務所は審査委員を接待漬けにしたりして、レコ大の票を獲得しようとした。何故、レコ大でカネが飛び交うのか? 当然、それは元が取れるからである。

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当時は、レコ大を受賞すると直ぐにヒットチャートに反映されたし、テレビやラジオの出演料は20~30%はアップし、地方公演のギャラも2倍・3倍と跳ね上がったのである。1970年代、そうしたレコ大利権の中心にいたのが、レコ大創設に関わり、“歌謡界の天皇”と呼ばれた音楽評論家の平井賢だった。レコ大の審査委員の中には、平井の息のかかった者が少なからずいて、平井の発言が賞の選考に大きく影響した。各レコード会社の宣伝担当者らは、レコ大が近付くと平井の下を訪れ、ご機嫌を伺った。当然、平井には多額のカネが支払われ、“1年を1ヵ月で暮らすいい男”等と揶揄された。1977年、レコ大は歴代最高視聴率の50.8%を記録する。この頃の芸能界は、今とは比べ物にならないくらいに活気に満ち、レコ大の買収合戦も熱を帯びていた。1978年の日本レコード大賞は『ピンクレディー』の『UFO』が獲得したが、ピンクレディーの所属事務所『T&Cミュージック』の貫泰夫社長は、パーティーや付け届けの費用で「3年がかり、1億4000万円がかかったと言えますね」(『週刊ポスト』1982年1月8日号)と暴露している。金権腐敗の進んだレコ大には反発の声もあり、1979年のレコ大では、同じ年に始まった歌番組『ザ・ベストテン』(TBSテレビ系)で圧倒的な人気を誇った歌手がレコ大では振るわず、ニューミュージック勢が相次いで出場辞退を表明した。この頃から、「レコ大に出ること自体が恥ずかしい」という意識が歌謡界に広がっていったのである。レコ大側も重い腰を上げ、開票方法の透明化を図ったり、審査委員の数を増やしたりして改革に乗り出したが、全く効果は無かった。腐敗する一方のレコ大の転機となったのは、1980年代初頭の日本経済を襲った『第2次オイルショック』だった。芸能界も不景気の余波を受け、芸能事務所の業界団体では、「業界が不振なのに、賞獲りの為にカネをばらまいたり、お互いの足を引っ張り合うようなことは止めよう」という申し合わせがあり、その結果、談合が幅を利かすようになった。談合とはどういうことかというと、それまでのように各レコード会社や芸能事務所が一斉に審査委員にカネをばらまくのではなく、業界で根回しをし、ある程度より分けた上で、審査委員に曲を推薦するのである。

例えば、1987年のレコ大では、実績から言えば中森明菜の『難破船』か瀬川瑛子の『命くれない』だったが、賞レースを争ったのは『ジャニーズ事務所』所属の近藤真彦と五木ひろしだった。結果的に近藤が大賞を制したが、その裏では「当時、近藤との交際が周知の事実だった明菜側が近藤に加勢したからだった」と言われている。レコ大の審査委員等を歴任した音楽評論家の相倉久人氏(故人)は、当時のレコ大について、ある私的な講演でこのように話していた。「ある年のレコ大で、私は『中森明菜さんに投票しよう』と決めていましたが、不思議なことに、明菜さんの所属事務所から『マッチに1票をお願いします』と言われました。芸能事務所の業界団体で談合していたんでしょう。当時のレコ大の審査では、業界団体の談合の結果、最終的に2人の候補に絞られることが多かったですね。それ以外の事務所は手を引っ込めるから、審査委員は食事にも誘われなくなる。それから、その2人の候補者の所属事務所から、審査委員に同額の商品券が届きます。だから事実上、審査の選択肢はその2人の候補しかない訳です」。談合が横行するようになったレコ大では、それまでのような買収工作が鳴りを潜め、その皺寄せが審査委員の懐具合を直撃した。談合によって、芸能事務所は審査委員の力を封じめることに成功したのである。また、芸能事務所だけでなく、レコ大を放送していたTBSもまた、“レコ大の私物化”という点では同罪だった。1987年の近藤の日本レコード大賞獲得については、近藤がジャニーズ事務所から独立する動きを見せており、これを宥める為にジャニーズ事務所が「マッチに獲らせないなら、今後、うちのアイドルは出演させない」とTBSに通告し、焦ったTBSが「系列局の審査委員に近藤に投票するよう圧力をかけた」という説が報じられていた。最近、『フェイスブック』で、当時、大手レコード会社で勤務していたという男性が、これを裏付けるような逸話を明かしているので紹介しよう。「もう時効だと思うが、1980年代後半、あるテレビ局のレコ大の審査員と飲んだ時に聞いた話。ある男性アイドル歌手と男性演歌歌手がレコ大を争った。その審査員によると、投票の結果、演歌歌手に軍配が上がったが、主催テレビ局から『我々の望んだ結果と違う』と言われ、再投票(※要するに『男性アイドルに投票しろ』ということ)になり、結局、男性アイドル歌手がレコ大を受賞した。まぁ、そんなもんでしょう」。レコ大は、芸能事務所とTBSの思惑に振り回されて腐敗が極まっていった。そこで、レコ大を主催する『日本作曲家協会』の理事で作曲家の船村徹は、「レコ大の放送をTBSからNHKに移すべきだ」と論じ、話題となった。だが、それ以降もレコ大の混迷は続く。審査方法を変える等、改革の動きもあることにはあったが、毎年のように“黒い噂”が週刊誌を賑わし、「レコ大に出たらイメージが悪化する」として出場を辞退するアーティストが続出。視聴率も低迷していった。

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レコ大の歴代最低視聴率となる10.0%を記録したのは、倖田來未の『Butterfly』が大賞を受賞した2005年のことだが、この年のレコ大では異様な事件が起きている。同年12月2日、レコ大審査委員長の阿子島たけし(右画像)を糾弾する怪文書が、関係者の間で出回った。その内容は「親の死に際し、レコード会社社員らに振込先まで指定して香典を要求した」「一昨年の東京音楽記者会の集いで幹事を務めたが、決算書を公表せず剰余金が不明」「レコード会社等に接待を強要、業界の有力筋に顧問料を強請った」といったもので、「このままではレコード大賞にも大きな傷が付く」として、審査委員長を辞退するよう求めていた。その直後の同13日早朝、阿子島の自宅が全焼し、3日後に瓦礫の下から遺体が発見された。出火原因は不明。阿子島の身に一体何が起きたのか? 『週刊新潮』2005年12月29日号には、次のような芸能ジャーナリストの談話が掲載されている。「レコ大に大きな影響力を持つ大手プロダクションは、今年はあるボーカル&ダンスユニットに大賞を獲らせたかったようなのですが、蓋を開けてみると金賞(ノミネート)にも入っていなかった。実際、審査委員会では『入れるか否かで揉めた』と聞いています。このグループを支援する某団体が、『阿子島さんに1000万円以上の工作資金を渡したのに、それが全く実らなかったので激怒している』というのです」。コメント中の“あるボーカル&ダンスユニット”とは、その後、皇族の前でも歌とダンスを奉納したEXILEだと囁かれている。阿子島は、このグループが落選したことの落とし前として消されたのだろうか? 阿子島の怪死後、同年のレコード大賞はEXILEと同じレーベルである『rhythm zone』の倖田が受賞し、様々な憶測を呼んだ。今、この事件を知る者はあまり多くないだろう。何故なら、当時のマスコミ各社が阿子島の死について報じることに消極的だった為だ。阿子島の怪死の直後、それに代わってワイドショーを賑わしたのは、大手芸能事務所の系列会社に所属するタレントの離婚スキャンダルや、熱愛パフォーマンスばかりだった。同グループが初めてレコ大を受賞したのは、阿子島の死から数年後。死人まで出たレコ大で、大手芸能事務所の意向に抵抗できる審査委員などいる筈もないだろう。レコ大は、この頃から業界で談合をしたり、審査委員に工作資金をばらまいたりするまでもなく、すんなりと大賞が決まるというシステムが出来上がっていったのではないか――。そう思えてならない。


キャプチャ  2017年1月号掲載

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