下手な文字でも“字割”さえ良ければ大丈夫?…誰でも確実に筆文字が上達する方法
お坊さんを褒める言葉でよく聞くのが、読経と字の上手だ。特に字は、位牌や塔婆等、人に見せるだけに気遣う。能書家とまではいかずとも、少しでも上手に見せる方法はあるのか?

「字が下手で恥ずかしい。何とか上手く見せる方法があれば教えてほしい」――。読者の住職から、こんな声が寄せられた。「お坊さんが字の悩み?」。世間一般からすると意外にも受け取られようが、共感する声は意外と多い。「塔婆を書く時、自分の字の汚さにいつも嫌になる」とは50代の曹洞宗住職だ。毎月、お寺の掲示板に手書きの伝道文(左画像)を掲げるという東京都内の浄土真宗住職は、こう話す。「字には全然自信がない。でも、往来の人々の足を止めるには、印刷物のような通り一遍の法語では届かない。自分がインパクトを受けた言葉が大事だと思う。掲示板に貼るような大きな紙に書こうと思ったら、筆文字で手書きしかない」。確かにそうなのだ。塔婆・位牌・伝道掲示板・年忌票等、兎角、お寺の住職は21世紀の今も墨筆で字を書く機会が多い。しかも、人に見せるのが前提だけに、上手・下手が際立つ。弘法大師とまでいかずとも、檀信徒が落胆しない程度に字が上達する方法や、上手に見せる方法はないだろうか? そこで今回、無理を承知で、字の上手な3人の僧侶に「初心者でも上手くなるコツや、上手に見せる方法を教えてほしい」と頼んだ。ご協力頂いたのは、『日展』を始め数多の賞を受賞し、7000人の門人を抱える東京都新宿区の日蓮宗戒行寺の星弘道住職(72)、奈良の古刹の僧侶が中心となって書の研鑚を行う『南都華香会』事務局を務める律宗総本山唐招提寺の石田太一執事(49)、そして曹洞宗宗務庁で日々、宗派公式文書の揮毫を手掛ける人事部文書課書記の工藤淳英師(40)だ。

特に工藤師は、同部門に配属されるまで「字が得意ではなかった」という。だが目下、住職任命書等の各種書状から絡子・角塔婆まで、あらゆるものを手掛ける。扨て、字の書体は篆書・隷書・楷書・行書・草書がある。位牌や塔婆等、普段からお寺で使う字は楷書だ。そこで、今回は楷書に絞って取材した。先ず、「上達の第一歩は何か?」といえば、「学ぶは真似るに尽きる」という。「先ずはお手本を見ることから」と、3人とも口を揃える。お手本を見て書き写す“臨書”を行うのが、上達の王道だ。僧侶に合ったお手本はあるのだろうか。星住職は、こうアドバイスする。「素人にも上手に見え、お位牌の字にも合うのは写経の楷書でしょう。お手本としては隅寺心経や、東大寺の焼経なんかが非常に文字的にもいい字です」。『偶寺心経』は、奈良の真言律宗海龍王寺で奈良時代に書写された般若心経だ。東大寺の焼経は、『二月堂焼経』として名高い紺紙に銀字で書かれた『華厳経』である。江戸時代に『修二会』の失火が原因で二月堂が焼けた際に焼損したことから、“焼経”と呼ばれる。天平時代の書写と伝えられ、国の重文だ。一方、石田執事はこう話す。「やはり、楷書が始まった時代の字がいいでしょうね。塔婆等の字には、顔真卿辺りの楷書を見るといいのではないでしょうか。最も整っていますからね」。顔真卿(709-785)は唐代の書家。能書家として知られ、弘法大師も影響を受けたと言われる。工藤師が手本にしているものにも、唐代の能書家の作品がある。欧陽詢(557-641)の『九成宮醴泉銘』、それに虞世南(558-638)の『孔子廟堂碑』だ。何れも楷書のお手本に用いられ、星住職の著した『星弘道臨書集 古典臨書入門』(芸術新聞社)の第1集にも収載されている。同書によると、前者の九成宮醴泉銘は唐代王室の離宮『九成宮』の記念碑で、欧陽詢の76歳の作。「最高傑作で、一点一画が緻密に計算され、絶妙なバランスで書かれ」ており、「古来より“楷法の極則”として重んじられています」とある。孔子廟堂碑は虞世南の70代の作で、「唐碑の中でも品格第一」と言われる。

お手本を見て愈々、臨書を行う訳だが、字が上手に見えるには、書の基本をマスターする必要がある。星住職が話す。「書は、線が引けないと形になりません。線をきちっと出すことで、形を整えていく。また、線によって温かさや豊かさ、ぴりっとした雰囲気等、色んな表現ができるのが書の面白いところ。基本は“永字八法”です。また、漢数字の一から十までがきっちり書けるようになると、色んな字に応用できます」。永字八法とは、“永”が書の運筆の基本である点・横画・縦画・ハネ・右払い上げ・左払い・短い左払い・右払いが盛り込まれていることにある。何故、基本が必要なのか。「文字にはルールがあるからです。ハネとか払いを矢鱈と強調する人もいますが、崩し方を間違うと、間違った漢字になってしまうのです」(石田執事)。“我流”でも、字が崩れていなければ、味わいのある字になると言えるだろうか。また、文字の組み立て方である“結構”にも気を配る。字は“偏”と“旁”等の字画の組み合わせでできており、そのバランスが取れたものが美しく見えるからだ。現代に伝わる古典は、そのお手本ということだろう。工藤師は振り返る。「兎に角、最初は点・縦の線・トメ・払いに関する筆の入れ方から只管に練習しました。先ずは、半紙に六文字等、大筆で書くことから始めましたね。それから臨書をして、自分の書いたものと何が違うのか。バランス・間隔・文字割を比較して、分析していきました。手を養うというか、脳を養うというのでしょうか、それしかありません」。実践への手習いとしては、仏教に関わるお手本を真似るのもいいかもしれない。北魏時代の『牛橛造像記』は、供養の為に仏像を造ったことを記すもので、『龍門石窟寺院』に刻まれた名品の1つ。力強く、角張っていることが特徴だという。「若い僧侶は、勤行本を写すのもいい」と石田執事は語る。「唐招提寺には、鎌倉時代に作られた勤行本“三時勤行之法則”があります。私も若い頃、父が書写したそれを写したものでした。今は弟子に写させています」。左画像が、石田執事が若い頃に書写したという行本だ。字の練習になると共に、お経が手からも叩き込まれるということなのだろう。字の基本の次は愈々、実践である。位牌や塔婆の共通点は、一定の幅の中に複数の字を収めるということだろう。字が上手に見える最大のポイントについて、「中心を外さないこと。但し、字の真ん中が中心という訳ではありません。字によって重さが違ったりしますから。目で見て、中心がちゃんと取れているのは上手に見えます」と星住職が話す。中々難しそうだ。

実際に、飽く迄も一例として、位牌の字を工藤師に書いてもらった(右画像)。確かに、定規で測ったように真っ直ぐに見える。しかし、原稿用紙のようにマスを当てたら、きっちり中に一文字一文字入っているかといえばそうでもない。“天”は下の“真”の字にかかっているし、“文”の字も一部、“大”にかかっている。だからといって、崩れているようには見えない。これが字の上手に見えるポイントの“字割”である。工藤師が話す。「塔婆も位牌もそうですが、先ずは『天地どこまで字を収めるか?』ということを決めます。そこから書く字数によって、自ずと“字割”が決まっていきます。字には其々、長い字や短い字等特徴があり、テリトリーがあります。そのテリトリーの真ん中を中心線とし、あとはやや潰すなどして、字間を統一していきます。綺麗に見えるかどうかは個人の感覚ですが、下準備に字割をしっかりすれば綺麗に見えます。角塔婆等でも同じで、ぴしっと決まります」。しかし、初心者には難しい。そこで、実際に鉛筆やチョークで中心線と横の線を引く等(左下画像)、下準備をしてから書くと失敗しない。因みに工藤師は、線を予め引いた謄写版の上に載せて書くこともあるという。もう1つ、“等間隔”は字にも当て嵌まる。先程の位牌の字をご覧頂きたい。“真”や“恵”の目や田の部分が等間隔である。これも、“字が上手く見えるポイント”のようだ。星住職が話す。「綺麗に見えるというのは、やはり等間隔です。塔婆や位牌の真ん中に合わせ、余白も等間隔であること。字形によっても変わりますが、目で見て同じ間隔だと感じられたなら綺麗に見えます」。尚、塔婆を何本も書く場合は、「1本目をきちんと字割の下準備をして仕上げ、2本目以降は、その1本目を横に置いて書くと字の高さがぶれず、並べても美しい」という話も聞いた。こうした字割の感覚にも、前述の古典の手習いが役立ってくるのである。勿論、字を真っ直ぐ書くには、真っ直ぐな姿勢が大事なのは言うまでもない。ところで、書く土台によっても筆や墨を変えたほうがいいのだろうか? 星住職に聞くと、「紙質によって筆を選び、墨の入れも変える必要があります。伝道掲示板に掲げるような模造紙のように、墨を全然吸わないものであれば墨が少なくても書けますが、奉書は墨がうんと取られてしまうので、ちょっと墨を多く含む筆を使うといいですね」とのこと。塔婆に関しては、本数が多いお寺なら墨汁、本数が少なければ墨といったところか。石田執事は、「私は、墨汁を使う時には専用の筆を使っています。やはり、混じりものがあって筆が傷むからです」という。

尚、墨を使うなら、製造してから年数が経ったものが良いそうだ。理由は、墨が“落ち着く”からだという。工藤師は、「絡子等の布に書く場合は、滲みを防ぐ為に墨を濃くします」という。板等の場合は、予めチョークで下書きをすると墨が滲まないそうだ。極々入門編だが、字が上達する方法・上手に見える方法をご紹介した。誰でも、最初から字が上手な人はいない。では、上手になるか、或いは下手なままの分かれ道は何か? 星住職は、「私自身、若い頃は字が下手で、仏様に対して申し訳ないという思いをずっと持っていました。でも、書道教室にまでは行かなかった。ところが、修行先で先輩の書いた字を見て、その躍動感に感動したのです。『こんな字を習ってみたい!』と思ったのが始まりです」。また、石田執事もこう話す。「坊さんというのは、社会通念的に“字が上手い”と思われていますが、そうでもない場合も結構ある。南都華香会が立ち上げられたのは50年前。『兎に角、字が上手くなりたい』という先輩世代の坊さんの情熱が生んだものです。“書は人なり”と言われますが、字は人格を表す。自分自身の発露が字であり、己がどういうものを追求したいかが問われる。会の指導者である中村象谷先生は、『先ずは手本を自分で探しなさい』と言われます。後は練習すること。それから、やはり良いものを鑑賞することでしょうね。歴史の中で、書というものは単に情報を伝達するだけでなく、余白等も含めて思いを伝える存在です。『この書は余白が多いな』と思ったら、自分でも書いてみる。そこから伝わるものもあります」。最後に、星住職が語る。「お経も塔婆も位牌も、僧侶が気を吹き込むところに力が生まれる。お位牌でも一生懸命書くと、字にお坊さんの気が凝縮する。パソコンで作った活字で位牌や塔婆を印刷すると楽かもしれませんが、それは無機質な字であり、結果として僧侶自らが、本来の職業を否定するものになるのではないでしょうか。文字というのは“思い”を持っている。そこを大事にしてほしいですね。それに、“いい字”というのは“上手い字”とは違います。いい字とは、その人の人間性が伝わる字。いい字を書くには、古典をしっかり勉強し、『自分ならどうか?』と問いかけながら書いていくことで、自分の字が確立していくのです。私自身、日々、練習なんですよ」。デジタルな活字が溢れる時代、手書きの、しかも筆で書いた文字は人目を引く。字に住職の思いが乗れば尚更だ。冒頭の伝道掲示板のお寺では、掲示句を写真に撮る人が絶えないという。
2016年11月号掲載

「字が下手で恥ずかしい。何とか上手く見せる方法があれば教えてほしい」――。読者の住職から、こんな声が寄せられた。「お坊さんが字の悩み?」。世間一般からすると意外にも受け取られようが、共感する声は意外と多い。「塔婆を書く時、自分の字の汚さにいつも嫌になる」とは50代の曹洞宗住職だ。毎月、お寺の掲示板に手書きの伝道文(左画像)を掲げるという東京都内の浄土真宗住職は、こう話す。「字には全然自信がない。でも、往来の人々の足を止めるには、印刷物のような通り一遍の法語では届かない。自分がインパクトを受けた言葉が大事だと思う。掲示板に貼るような大きな紙に書こうと思ったら、筆文字で手書きしかない」。確かにそうなのだ。塔婆・位牌・伝道掲示板・年忌票等、兎角、お寺の住職は21世紀の今も墨筆で字を書く機会が多い。しかも、人に見せるのが前提だけに、上手・下手が際立つ。弘法大師とまでいかずとも、檀信徒が落胆しない程度に字が上達する方法や、上手に見せる方法はないだろうか? そこで今回、無理を承知で、字の上手な3人の僧侶に「初心者でも上手くなるコツや、上手に見せる方法を教えてほしい」と頼んだ。ご協力頂いたのは、『日展』を始め数多の賞を受賞し、7000人の門人を抱える東京都新宿区の日蓮宗戒行寺の星弘道住職(72)、奈良の古刹の僧侶が中心となって書の研鑚を行う『南都華香会』事務局を務める律宗総本山唐招提寺の石田太一執事(49)、そして曹洞宗宗務庁で日々、宗派公式文書の揮毫を手掛ける人事部文書課書記の工藤淳英師(40)だ。

特に工藤師は、同部門に配属されるまで「字が得意ではなかった」という。だが目下、住職任命書等の各種書状から絡子・角塔婆まで、あらゆるものを手掛ける。扨て、字の書体は篆書・隷書・楷書・行書・草書がある。位牌や塔婆等、普段からお寺で使う字は楷書だ。そこで、今回は楷書に絞って取材した。先ず、「上達の第一歩は何か?」といえば、「学ぶは真似るに尽きる」という。「先ずはお手本を見ることから」と、3人とも口を揃える。お手本を見て書き写す“臨書”を行うのが、上達の王道だ。僧侶に合ったお手本はあるのだろうか。星住職は、こうアドバイスする。「素人にも上手に見え、お位牌の字にも合うのは写経の楷書でしょう。お手本としては隅寺心経や、東大寺の焼経なんかが非常に文字的にもいい字です」。『偶寺心経』は、奈良の真言律宗海龍王寺で奈良時代に書写された般若心経だ。東大寺の焼経は、『二月堂焼経』として名高い紺紙に銀字で書かれた『華厳経』である。江戸時代に『修二会』の失火が原因で二月堂が焼けた際に焼損したことから、“焼経”と呼ばれる。天平時代の書写と伝えられ、国の重文だ。一方、石田執事はこう話す。「やはり、楷書が始まった時代の字がいいでしょうね。塔婆等の字には、顔真卿辺りの楷書を見るといいのではないでしょうか。最も整っていますからね」。顔真卿(709-785)は唐代の書家。能書家として知られ、弘法大師も影響を受けたと言われる。工藤師が手本にしているものにも、唐代の能書家の作品がある。欧陽詢(557-641)の『九成宮醴泉銘』、それに虞世南(558-638)の『孔子廟堂碑』だ。何れも楷書のお手本に用いられ、星住職の著した『星弘道臨書集 古典臨書入門』(芸術新聞社)の第1集にも収載されている。同書によると、前者の九成宮醴泉銘は唐代王室の離宮『九成宮』の記念碑で、欧陽詢の76歳の作。「最高傑作で、一点一画が緻密に計算され、絶妙なバランスで書かれ」ており、「古来より“楷法の極則”として重んじられています」とある。孔子廟堂碑は虞世南の70代の作で、「唐碑の中でも品格第一」と言われる。

お手本を見て愈々、臨書を行う訳だが、字が上手に見えるには、書の基本をマスターする必要がある。星住職が話す。「書は、線が引けないと形になりません。線をきちっと出すことで、形を整えていく。また、線によって温かさや豊かさ、ぴりっとした雰囲気等、色んな表現ができるのが書の面白いところ。基本は“永字八法”です。また、漢数字の一から十までがきっちり書けるようになると、色んな字に応用できます」。永字八法とは、“永”が書の運筆の基本である点・横画・縦画・ハネ・右払い上げ・左払い・短い左払い・右払いが盛り込まれていることにある。何故、基本が必要なのか。「文字にはルールがあるからです。ハネとか払いを矢鱈と強調する人もいますが、崩し方を間違うと、間違った漢字になってしまうのです」(石田執事)。“我流”でも、字が崩れていなければ、味わいのある字になると言えるだろうか。また、文字の組み立て方である“結構”にも気を配る。字は“偏”と“旁”等の字画の組み合わせでできており、そのバランスが取れたものが美しく見えるからだ。現代に伝わる古典は、そのお手本ということだろう。工藤師は振り返る。「兎に角、最初は点・縦の線・トメ・払いに関する筆の入れ方から只管に練習しました。先ずは、半紙に六文字等、大筆で書くことから始めましたね。それから臨書をして、自分の書いたものと何が違うのか。バランス・間隔・文字割を比較して、分析していきました。手を養うというか、脳を養うというのでしょうか、それしかありません」。実践への手習いとしては、仏教に関わるお手本を真似るのもいいかもしれない。北魏時代の『牛橛造像記』は、供養の為に仏像を造ったことを記すもので、『龍門石窟寺院』に刻まれた名品の1つ。力強く、角張っていることが特徴だという。「若い僧侶は、勤行本を写すのもいい」と石田執事は語る。「唐招提寺には、鎌倉時代に作られた勤行本“三時勤行之法則”があります。私も若い頃、父が書写したそれを写したものでした。今は弟子に写させています」。左画像が、石田執事が若い頃に書写したという行本だ。字の練習になると共に、お経が手からも叩き込まれるということなのだろう。字の基本の次は愈々、実践である。位牌や塔婆の共通点は、一定の幅の中に複数の字を収めるということだろう。字が上手に見える最大のポイントについて、「中心を外さないこと。但し、字の真ん中が中心という訳ではありません。字によって重さが違ったりしますから。目で見て、中心がちゃんと取れているのは上手に見えます」と星住職が話す。中々難しそうだ。

実際に、飽く迄も一例として、位牌の字を工藤師に書いてもらった(右画像)。確かに、定規で測ったように真っ直ぐに見える。しかし、原稿用紙のようにマスを当てたら、きっちり中に一文字一文字入っているかといえばそうでもない。“天”は下の“真”の字にかかっているし、“文”の字も一部、“大”にかかっている。だからといって、崩れているようには見えない。これが字の上手に見えるポイントの“字割”である。工藤師が話す。「塔婆も位牌もそうですが、先ずは『天地どこまで字を収めるか?』ということを決めます。そこから書く字数によって、自ずと“字割”が決まっていきます。字には其々、長い字や短い字等特徴があり、テリトリーがあります。そのテリトリーの真ん中を中心線とし、あとはやや潰すなどして、字間を統一していきます。綺麗に見えるかどうかは個人の感覚ですが、下準備に字割をしっかりすれば綺麗に見えます。角塔婆等でも同じで、ぴしっと決まります」。しかし、初心者には難しい。そこで、実際に鉛筆やチョークで中心線と横の線を引く等(左下画像)、下準備をしてから書くと失敗しない。因みに工藤師は、線を予め引いた謄写版の上に載せて書くこともあるという。もう1つ、“等間隔”は字にも当て嵌まる。先程の位牌の字をご覧頂きたい。“真”や“恵”の目や田の部分が等間隔である。これも、“字が上手く見えるポイント”のようだ。星住職が話す。「綺麗に見えるというのは、やはり等間隔です。塔婆や位牌の真ん中に合わせ、余白も等間隔であること。字形によっても変わりますが、目で見て同じ間隔だと感じられたなら綺麗に見えます」。尚、塔婆を何本も書く場合は、「1本目をきちんと字割の下準備をして仕上げ、2本目以降は、その1本目を横に置いて書くと字の高さがぶれず、並べても美しい」という話も聞いた。こうした字割の感覚にも、前述の古典の手習いが役立ってくるのである。勿論、字を真っ直ぐ書くには、真っ直ぐな姿勢が大事なのは言うまでもない。ところで、書く土台によっても筆や墨を変えたほうがいいのだろうか? 星住職に聞くと、「紙質によって筆を選び、墨の入れも変える必要があります。伝道掲示板に掲げるような模造紙のように、墨を全然吸わないものであれば墨が少なくても書けますが、奉書は墨がうんと取られてしまうので、ちょっと墨を多く含む筆を使うといいですね」とのこと。塔婆に関しては、本数が多いお寺なら墨汁、本数が少なければ墨といったところか。石田執事は、「私は、墨汁を使う時には専用の筆を使っています。やはり、混じりものがあって筆が傷むからです」という。

尚、墨を使うなら、製造してから年数が経ったものが良いそうだ。理由は、墨が“落ち着く”からだという。工藤師は、「絡子等の布に書く場合は、滲みを防ぐ為に墨を濃くします」という。板等の場合は、予めチョークで下書きをすると墨が滲まないそうだ。極々入門編だが、字が上達する方法・上手に見える方法をご紹介した。誰でも、最初から字が上手な人はいない。では、上手になるか、或いは下手なままの分かれ道は何か? 星住職は、「私自身、若い頃は字が下手で、仏様に対して申し訳ないという思いをずっと持っていました。でも、書道教室にまでは行かなかった。ところが、修行先で先輩の書いた字を見て、その躍動感に感動したのです。『こんな字を習ってみたい!』と思ったのが始まりです」。また、石田執事もこう話す。「坊さんというのは、社会通念的に“字が上手い”と思われていますが、そうでもない場合も結構ある。南都華香会が立ち上げられたのは50年前。『兎に角、字が上手くなりたい』という先輩世代の坊さんの情熱が生んだものです。“書は人なり”と言われますが、字は人格を表す。自分自身の発露が字であり、己がどういうものを追求したいかが問われる。会の指導者である中村象谷先生は、『先ずは手本を自分で探しなさい』と言われます。後は練習すること。それから、やはり良いものを鑑賞することでしょうね。歴史の中で、書というものは単に情報を伝達するだけでなく、余白等も含めて思いを伝える存在です。『この書は余白が多いな』と思ったら、自分でも書いてみる。そこから伝わるものもあります」。最後に、星住職が語る。「お経も塔婆も位牌も、僧侶が気を吹き込むところに力が生まれる。お位牌でも一生懸命書くと、字にお坊さんの気が凝縮する。パソコンで作った活字で位牌や塔婆を印刷すると楽かもしれませんが、それは無機質な字であり、結果として僧侶自らが、本来の職業を否定するものになるのではないでしょうか。文字というのは“思い”を持っている。そこを大事にしてほしいですね。それに、“いい字”というのは“上手い字”とは違います。いい字とは、その人の人間性が伝わる字。いい字を書くには、古典をしっかり勉強し、『自分ならどうか?』と問いかけながら書いていくことで、自分の字が確立していくのです。私自身、日々、練習なんですよ」。デジタルな活字が溢れる時代、手書きの、しかも筆で書いた文字は人目を引く。字に住職の思いが乗れば尚更だ。冒頭の伝道掲示板のお寺では、掲示句を写真に撮る人が絶えないという。

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