セクハラ・いじめ・自殺は当たり前! ミライなんてありゃしない『三井住友銀行』のブラック過ぎる実態

「いくぞ、ミライ」と女優の吉高由里子が微笑む爽やかなテレビCMでお馴染みの『三井住友銀行』。だが、その裏側は、闇社会との関係・11億円詐欺事件・若手社員のパワハラ自殺等、まさに黒歴史塗れだった。ヤクザも真っ青の腐った実態とは――。 (取材・文/フリージャーナリスト 小石川シンイチ)

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「磯田会長、苦悩の色濃い。磯田 おかしいことはわかっている。ヤクザがからんでいる。どうしていいかわからない。『変なことをすると河村が殺される』という感じ」――。今、1冊の本が話題になっている。「戦後最大の経済事件“イトマン事件”。保身に走る上司とぶつかり、裏社会の勢力と闘ったのは、銀行を愛してやまないひとりのバンカーだった。すべてを綴った手帳を公開する!」と紹介されている『住友銀行秘史』(講談社)である。著者は國重惇史氏。東京大学経済学部卒業後、1968年に『住友銀行』(現在の『三井住友銀行SMBC』)に入行。銀行員時代は、エリートが集う“MOF担”(大蔵省担当)を10年務め、渋谷東口支店長を皮切りに、丸の内支店長等を歴任。1994年に48歳の若さ(同期トップ)で取締役に就任し、“将来の頭取候補”とも目されたものの、その後、退社し、2005年に『楽天』の副社長に就任。2014年、楽天副会長を経て、現在は『リミックスポイント』会長兼社長を務めている。同氏は、住友の行員だった時に、戦後最大の経済事件とされる『イトマン事件』(1990年)に関わった。「イトマン事件は、大阪の住友系列総合商社“イトマン”を巡って起きた不正経理事件です。目黒雅叙園に隣接する雅叙園観光ホテルを経営していた雅叙園観光の仕手戦に関する融資と、不明朗な絵画取引やゴルフ場投資で、3000億円以上の資金が、住友銀行からイトマンを介して闇社会に消えていったとされています。その際に暗躍したのが、“日本財界のフィクサー”と言われた許永中でした」(経済ジャーナリスト)。イトマンの社長は、住友銀行元常務の河村良彦氏。彼は、当時の住友銀行で“天皇”と呼ばれていた磯田一郎会長の腹心でもあった。イトマンは東京都内の地上げで急成長。しかし、同社の急成長を支えていたのは、闇社会との深い関係だったのだ。当初は闇社会との関係も良好だったが、バブルの崩壊と同時に、河村氏は命を狙われる立場になってしまった。

住友は旧財閥の1つで、組織も大きく、この混乱を利用した次の頭取を巡る派閥抗争も深刻。内部告発の怪文書も飛び交った。『住友銀行秘史』には、その経緯と大企業での派閥抗争が詳細に書かれている為、日本の旧来型の企業文化で社畜的に働くビジネスマンにとっては、共感を呼ぶ必読マニュアルとして売れているのだ。著者の國重氏も、事件当時はマスコミに様々な情報をリークしたという。しかし、住友銀行という大広告主を前に、マスコミ内部の派閥抗争も絡んで、バブル期のマスコミによるスクープ合戦の裏側をも垣間見ることができる。「そんな國重氏自身も聖人君子ではなく、2014年には週刊新潮に愛人とのセックススキャンダルを報じられて、楽天グループの全ての役職の辞任をしています。今や失うものが無いだけに、『その暴露の内容には信憑性があるのではないか』という訳です」(同)。その週刊新潮による國重氏のセックススキャンダルの告発内容もえげつない。同誌によると、妻子がいる國重氏は、東京都内に住む43歳の専業主婦の女性と不倫交際。赤坂の国重氏の自宅マンションやホテルで逢瀬を重ね、海外出張にも同行させていたという。「今夜、3階でHして明日の朝もHして、【中略】京王プラザかどこかでHするのもいいね」といった國重氏のものとされるメールも紹介されている。しかし、國重氏が別の女性の名前を口走ったことで口論となり、女性を殴打。女性は全治7日の打撲を負い、國重氏は頭を丸めて謝罪したという。その後も2人の関係は深まり、遂に女性の妊娠が発覚。だが、女性が國重氏の浮気を疑い、旅先のニューヨークで又もや喧嘩となり、警察沙汰に。結局、女性は流産したという。女性は、「赤坂警察署に、暴行に関して告訴の相談をしている」と証言した。「こうしたセックススキャンダルは、住友の黒歴史を見ると、『極めて住友らしい』とも言えますね。最近も、詐欺で騙し取った大金を愛人に貢ごうとした三井住友銀行大森支店の元副支店長が逮捕されていますから」(同)。この元副支店長は、2007年頃から、勤めていた各地の支店で詐欺を繰り返し、11億円もの大金を騙し取っていた。警察の調べに対して元副支店長は、「子供の教育費や愛人との交際費に使った」と供述。その大金は、借金の返済等にも使われたという。捜査関係者によると、元副支店長は鹿児島の商業高校を卒業後、1980年に『平和相互銀行』に総合職として入行。その後、住友銀行・三井銀行との合併を経て、三井住友銀行で働いていた(※事件発覚の7月に解雇)。「銀行の外貨取引システムを不正操作する手法を始めた成城支店勤務の後、自由が丘支店に配属されて部長職に出世。昨年から大森支店に移り、今年4月から副支店長になっていました。11億円の内の5億6000万円は手元にあった為、既に回収されています」(新聞記者)。高卒で、支店ナンバー2まで上り詰めた叩き上げの最後は侘しいものだが、新聞記者の間では、その経歴である平和相互銀行にも注目が集まった。

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平和相互銀行といえば、1970年代の経営陣内紛に端を発し、1985年の『金屏風事件』等、数々の不正融資事件の舞台となって、世間を賑わせてきた相互銀行だった。大蔵省の検査で、融資額の半分が不良債権と判明し、1986年10月には住友銀行に吸収合併されてしまう。「大阪を地盤とした住友銀行にとっては、首都圏を中心に100支店があった平和相互銀行は、合併には理想的な相手でもあったのです。但し、旧財閥系エリート意識の強い住友銀行員からみれば、吸収合併される平和相互銀行員は“お荷物”に過ぎませんでした。そこで、住友銀行員は時に罵声を浴びせ、時に廊下に立たせたり、坊主刈りを命じたり…。“企業内リンチ”とも呼ばれた大粛清が行われ、3300人の平和相互銀行員の大半が数年で去ったとされています」(同)。こうした大粛清を生き残っただけに、余程のストレスが溜まっていたのだろうか…。しかし、バブル時代以来の住友の黒歴史を見れば、そうした不祥事も社風ではないかと思えてくるほどなのだ。では、住友銀行の黒歴史の一端を見てみよう。先ずは、1985年の金屏風事件だ。「この平和相互銀行の金屏風事件とは、内紛で採める平和相互銀行の株式を巡り、住友系列のイトマンファイナンスと平和相互銀行側が凌ぎを削った事件です。その道具に使われたのが銀座の画廊にあった金屏風で、竹下登の秘書・青木伊平(※1989年に『リクルート事件』の際に自殺)が介在したことから、平和相互銀行側が用意した40億円が『政界工作に消えたのではないか』とされました」(同)。金屏風事件と共に、バブル崩壊前後の1990年に起きたのが、冒頭で紹介したイトマン事件だ。「東京都内の地上げをきっかけに、闇社会との関係を深めたのが、住友の子会社であったイトマンです。同社は、1980年代の一和会との抗争を経た山口組とタッグを組んで、“東京侵攻作戦”を展開。山口組は、警察の締め付けもある為に経済ヤクザ化し、東京でフロント企業教百社(組員2000人規模)を展開します。そして、この時期に合わせて東京に拡大したのが、住友銀行だったのです」(前出の経済ジャーナリスト)。

しかし、1990年代に入るとバブルも弾け、金融機関は融資を渋るようになる。バブル時代の融資が焦げつき、不良債権化したのだ。良好だった闇社会との関係も逆回転し始める。そして、遂に死者が出たのだ。それが、1994年に発生した『住友銀行名古屋支店支店長射殺事件』だ。9月14日午前7時20分頃、愛知県名古屋市千種区法王町にあるオートロック型マンション10階の自室前エレベータホールで、住友銀行取締役で同社名古屋支店長の畑中和文氏が、裸足にパジャマという姿で死んでいるのを近くの住人が見つけた。畑中支店長は右額を38口径拳銃で撃ち抜かれており、正面から至近距離で射殺されていたという。「住友グループを巡っては、この事件の前年2月から、神戸市東灘区の同社・巽外夫頭取の自宅や住友銀行支店に、火炎瓶が投げ付けられる等の事件が相次いでいました。名古屋支店はイトマンへの直接の融資支店でもあり、畑中支店長は大阪の支店を歴任していたことから、フロント企業説に闇金融業者説等と様々な犯人像が取り沙汰されましたが、事件から2ヵ月後の11月、ある老人が住友銀行大阪支店への恐喝未遂で逮捕された際、支店長射殺事伴で使用したとみられる38口怪の拳銃を所持しており、『このピストルで名古屋支店長をやった』と自供。鑑定の結果、拳銃が凶行に使用された凶器と判明したものの、本当の実行犯であると裏付けできるだけの証言内容は得られませんでした。そして、2009年9月に時効を迎えることとなったのです」(同)。この事件をきっかけに、住友銀行の黒歴史がマスメディアで注目されるようになり、同時に、バブル崩壊で金融機関が抱える不良債権も深刻なものとなっていった。そこで、金融機関の合併が叫ばれるようになり、1999年10月に住友銀行と『さくら銀行』(※1992年に『太陽神戸三井銀行』から行名変更)が合併することを発表した。「住友は、1996年にライバルの三菱が外国為替に強い東京銀行と合併したこと(現在の『三菱東京UFJ銀行』)、1999年8月に日本興業銀行・第一勧業銀行・富士銀行が統合したことに(現在の『みずほ銀行』)に衝撃を受け、ライバルの財閥だった三井銀行と組むことにしたんです。戦前は最大の財閥だった三井ですが、『御し易い』という判断もありました。実は、三井は財閥ではありながら、三井11家からなる集合体で、戦後は財閥解体と共にバラバラになってしまいました。一方で、創業家である住友家の影響力を最小限にしながら団結したのが住友でした」(同)。合併比率は、住友銀行が1に対してさくら銀行は0.6だが、合併は事実上、「住友の黒歴史ロンダリングに使われた」と言ってもいいだろう。しかし、そんな努力も空しく、合併後も黒歴史が貌を出し続けた。「2007年には、大阪市西成区の無職男性(当時34)が殺害され、和歌山県・紀伊大島の山中に埋められていた事件がありました。山口組系暴力団幹部が、前年のクリスマスイブに凄惨なリンチの末、この男性を殺害したというものでしたが、共犯として傷害致死容疑で逮捕されたのが、三井住友銀行の部長代理(当時39)でした。2009年には、兵庫県宝塚市の路上で女性に暴行して衣服を奪ったとして、三井住友銀行お客様相談課長(当時39)が強姦致傷と強盗の疑いで逮捕されています。同市の現場周辺では、女性が襲われる事件が11件起きており、警察が警戒していたところでした。最近でも、2015年に三井住友銀行ソウル支店で、酒に酔ってタクシーに同乗した同僚女性の体を触った30代の三井住友銀行ソウル支店員(日本人男性)の元行員が在宅起訴されました(※懲戒解雇、懲役2年6ヵ月の実刑判決)」(前出の新聞記者)。

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月刊誌『選択』2016年2月号によれば、2015年には国内でも女性行員へのセクハラ事件が問題視されたという。「舞台となったのは船橋法人営業部。1989年入行の同部長が、部内で行われた宴会後に女性行員とタクシーに同乗し、運転手に行き先を告げないまま、車内でいきなり身体に触る等の行為を始めたのだ。女性の嫌がる素振りを見た運転手が頻りに声をかけたが、部長の行為はエスカレートするばかり。それどころか、遠慮がちに窘められた運転手に対して『うるせぇ!』等と毒づく始末で、手に負えないあり様だった。機転を利かせた運転手が最寄りの警察署に駆け込んだ為、女性は事なきを得、最終的には刑事事件にもならなかった」。同年秋には、札幌法人営業部長によるセクハラ問題も発覚している。視察と称し、女性行員を連れ回して宿泊していたのだ。更に同年、入行2年目の男性行員がパワハラに耐えかね、自殺する事件もあった。競争が熾烈な田園調布エリアで、“販売目標”という名のノルマを達成できない男性社員は、「上司から毎日のように怒鳴られ、詰られ、時には他の行員が見つめる、謂わば衆人環視の状況の中で独りだけ立たされ、3時間にも亘ってねちねちと責め立てられる等、『常識では凡そ考えられない陰湿なやり方』(SMBC関係者)で“口撃”を受け続けたとされる」「直属の女性課長は男性を激しい口調で罵り、半ば無能呼ばわりしながらも、これを“指導”等と嘯いていたというから呆れ返る」(前出の『選択』2016年2月号より)。男性行員は、心身のバランスを崩して強い抑鬱状態となり、ひっそりと自らの命を絶ったのだ。「こうした事件の多くは有耶無耶にされる為、更に社内のモラルが低下し、また次の事件が起きる…という悪循環です。事件の責任を取るべき責任者は、“黒歴史”の住友銀行出身者が占めています。三井住友銀行の黒歴史は今も健在なのです」(前出の経済ジャーナリスト)。“経済の心臓”である筈のメガバンクがこんなあり様では、日本経済が良くなる筈がないのだ――。


キャプチャ  2017年1月号掲載

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