【ヘンな食べ物】(23) 小泉先生の鯨

日本屈指の食研究家である小泉武夫先生と雑誌で対談をさせて頂いたことは、前に書いた。その時、先生が「今度は仕事抜きで一杯やりましょう」と仰ったので、ただ普通に喜んで、後日指定された渋谷の居酒屋に出かけていった。個室に通されてビックリ。先生とそのお仲間6名、そして巨大な鯨肉の塊が私を待ち構えていたのだ。このお店は先生の行きつけらしく、個室は貸し切りの“小泉劇場”と化していた。「私はクジラ食文化を守る会の理事長をやっていてね、お金は一銭も貰っていないけど、いい鯨肉は手に入るんです」とのこと。肉は中トロのような綺麗なピンク色で、物凄く鮮度が高そうである。呆気に取られていると、先生は俎板と包丁を取り出し、使い捨てのビニール手袋を嵌めると、手際よく肉塊を切り始めた。お仲間の1人が、これまた持参の生姜をゴリゴリすり下ろし、生姜醤油を拵える。忽ち刺身の山ができ、先生は「さぁ食え! どんどん食え!」と放るように手渡しし、皆がわあわあ言いながら貰い受ける。まるで、何かの祭で祭司がお供えを信者に分け与えているようだ。店のご主人もお裾分けしてもらっている。刺身を口にして更にびっくり。鯨と言えば“固い”・“臭みがある”というイメージしかなかったが、これは臭みが一切無く、マグロのように柔らかい。でも、動物らしい深みのある味。これが鯨? まるで未知の肉を食べている気がする。散々刺身を食べ、他にそのお店のイノシシ鍋も御馳走になり、もうこれ以上食べられないとなっても先生は止まらない。余った肉をフリーザーバッグに生姜醤油と一緒にぶち込んで私にくれた。「これ、持って帰って。熱々のご飯にかけると美味いよ」。翌日、先生に言われた通りにしたら最高。翌日まで続いた小泉劇場なのであった。


高野秀行(たかの・ひでゆき) ノンフィクション作家。1966年、東京都生まれ。早稲田大学第1文学部仏文科卒。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)・『アジア未知動物紀行』(講談社文庫)・『世界のシワに夢を見ろ!』(小学館文庫)等著書多数。


キャプチャ  2017年2月2日号掲載
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