地元住民の合言葉は「清には気を付けろ」――群馬の連続殺人鬼が巻き起こした“恐怖の41日間”

後に連続強姦殺人鬼として恐れられる男は、少年時代から異常な性癖の片鱗を周囲に披露していた。その頃を知る人物は、男の犯罪を受け、「然も当然」と思ったことだろう。しかし、男の生い立ちを詳らかにしていくと、男の行動こそ正常に思えてきてしまうのだ。普通ではない性癖を垣間見せる父と、冷酷だけど息子にだけは異常な愛情を注ぐ母――。男の体内に刻み込まれた異常心理の真相を読み解いていく。 (取材・文・写真/ノンフィクションライター 八木澤高明)

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「おい、人間ってあんな表情することができるんだな…」。先輩の事件記者であるNさんは、筆者に向かって呟いた。1998年、当時の筆者は写真週刊誌の新米カメラマンとして、Nさんの後を金魚の糞のようについて現場を回っていた。この日の現場は、とある住宅街の中にある一軒家だった。その家には、1971年3月31日から5月10日の僅か41日の間に、8人の若い女性を殺害した大久保清の元妻が暮らしていた。私たちは、昭和に起きた重大事件の現場を回る取材をしていて、先輩記者のNさんと共に任されたのが、大久保清事件の現場だった。既に大久保の生家周辺の取材は終えていて、「次は家族を探そう」ということになり、2日ほどの聞き込みで元妻の家が割れた。筆者は当時、そのつい数週間前に写真週刊誌に入ったばかりで、右も左もわからなかったが、これでもかと現場周辺で聞き込みを続けていくNさんの取材姿勢に驚いていた。そして、その家族にも直撃で取材するという。「夫が強姦魔で、奥さんと子供がいて、今はどんな生活をしているのか。それと、大久保との生活についても聞いてみたいと思わないか?」。雑誌の創刊当初から様々な現場を歩いてきたNさんは、個人的な興味を包み隠さずに言った。それにしても、事件から既に数十年が過ぎているのに、元夫がしでかした過去の犯罪に追いかけ回される元妻の心境とは如何なものだろうか。筆者は取材者でありながら、元妻の女性が不憫でならなかった。そんなウブな筆者とは対照的に、Nさんは家が割れたことに少々興奮気味で、元妻が帰って来るのが待ち切れないようだった。家から100mほど離れた場所に車を止めて待っていると、スーパーマーケットのビニール袋を持った初老の女性が門を開けた。Nさんは直ぐに車を飛び出し、その女性に近付いていく。動きには何の躊躇もなかった。玄関のドアを開けようとしたところで、女性に追いついた。

「こんにちは」。Nさんの一言で、女性が立ち止まる。見慣れぬ男に訝しげな表情を浮かべる女性。Nさんが畳み掛けるように言った。「大久保清さんの件で、お話を伺えればと思いまして」。女性の顔は一瞬で引きつり、目を吊り上げて言った。「いい加減にして下さい! どこまで追いかければ気が済むんですか!」。彼女の一喝に、海千山千のNさんも二の句が継げなかった。ただ頭を重れて、その場を後にした。車に戻った彼が呟いたのが、冒頭の言葉だったのである。「あれは鬼の表情だよ」。嘗ての心の傷を穿り返すような私たちの行為が彼女の表情を生んだだけでなく、1人の男と出会い、家庭を持ったことによって被った苦しみが、その表情を生み出したような気がした。大久保の犯した事件の凄惨さは言うまでもない。その時の取材中、夜に泊まったホテルで彼の犯罪記録を読み返しているうちに、背筋に寒気が走り、いざ記録を読み終えて眠ろうとしても眠れなくなってしまい、ホテルの電気を点けたまま朝まで起きていたこともあった。大久保清の犯罪をざっと振り返ってみると、その前身は彼が小学校の頃に遡る。小学5年生の時、近所に住む幼児を畑の中で犯そうとしたが果たせず、泣き喚いた幼児の性器に石を積んだことが、記録に残る最初の事件である。この時のことは近所でも大問題となったが、大久保の母・キヌは只管に「清は悪くない」と庇い続けた。「清はその事件だけじゃなくて、近くの河原でちょっかい出そうと女の子を追いかけ回したり、兎に角、女の子に悪戯ばかりしている子だったよ」。大久保が暮らしていたJR信越本線・群馬八幡駅近く、大久保と一家のことを知る女性が言った。事件が起きたのは1945年のことで、その年の小学校の成績簿を見ると「大それたことをする」と記されているが、それが小学5年生の時に起こした強姦未遂事件である。その事件後、近所では「清には気を付けろ」が合い言葉になっていったが、「気を付けなければいけないのは大久保だけではなかった」と、この女性が言う。「清のお父さんっていうのも、嫌らしい男だったんだよ。近所の女の人が清のお母さんと茶飲み話をしていると、一緒に炬燵に入っている清のお父さんが炬燵の中で手を出してきてね。昔は、息子の嫁が風呂に入った義父の背中を流すのが習慣だったから、その時に息子の嫁さんたちに手を出したとか、子供たちの前で気にせず“スモウ”を取っちゃったりしたみたいだよ」。“スモウ”とは、セックスを意味するこの地方の言葉である。大久保の父親の性に対する滅茶苦茶さが、この女性の言葉から十分に伝わってきた。大久保は幼い頃から、そんな父親の姿を目に焼き付けて育ってきた。6人兄弟の大久保だったが、一回り上の兄・幸吉は、警察への供述の中で、安中市内にある寺へ墓参りに行った帰りに、父親は幸吉の嫁を桑畑の中に連れ込み、犯したと証言している。一方で、母親は大久保を叱ることはなく、幼児を犯そうとした時も庇ったほどであるから、幼い頃より、大久保は我慢することを知らず、自由奔放に育てられたことが窺える。

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「小さい頃の清は、目がくりっとした可愛い顔で、外人みたいな顔をしていたよ。お母さんがロシア人とのハーフだったから、それを受け継いだんだろうね」(同)。大久保家の子供たちは、誰もが目がぱっちりとしていて、どこか日本人離れした顔つきをしていたという。その理由は、母親の出自に関係がある。大久保の祖母・トメは若い頃、大久保家から程近い安中の宿場で芸者をしていて、その時にロシア人男性との間にできた子供が大久保の母・キヌだった。トメはその後、藤岡市内で乙種料理店と呼ばれた娼婦を置く料理店の店主・西川健作と結婚。その時、養子としてキヌは引き取られたのだった。キヌが大久保家の養子となった理由は、結婚前にトメが大久保の祖父に当たる人物と愛人関係にあったことが理由である。キヌが嫁ぐ際、「連れ子がいては何かと不都合だろう」ということで、大久保の祖父がキヌを養子にしたのだという。藤岡市内に嫁いだトメは、料理店の女将として店を切り盛りしていたが、夫の健作に先立たれると、娘であるキヌを頼った。トメと健作の間には2人の息子がいたのだが、2人とも蒸発してしまい、トメの面倒を見られるのはキヌしかいなかった。しかし、頼ってきたトメをキヌは冷たくあしらっては追い出し、最後は東京の三畳一間の木賃宿で餓死した。母に冷たくあたる一方で、キヌは息子の清には一心に愛情を注ぐことになる。女に見境の無い父と、息子へ愛情を注ぐが実母を見殺しにした冷酷な母――。あまりに歪な家族環境の中で育ったのが大久保清だった。1971年3月2日、強姦事件の服役を終えて『府中刑務所』を出所した大久保は、この場所へと戻って来た。その僅か10日後の同12日、「仕事の為に必要だから」と、当時の最新車であった『マツダ』の『ロータリークーペ』を両親に買ってもらい、同19日に失効していた運転免許が再交付されると、まるで水を得た魚のように女に声を掛け、ガールハントを開始するのである。声を掛けた女の数は1日に20人以上。1日当たり、新車をタクシー並の200㎞近く走行させていた。大久保が声を掛けたのは、「若い女に限定していた」と本人も供述しているように、10代から20代前半の女である。肉体関係を持った女の数は、正確な数は不明だが、20人近くに及び、その内の8人が殺されたのだった。

女が殺害された理由は、大久保が前科者であることを知ってしまった者や、父親が警察や検事等と口走った女たちだった。従順に大久保に従った女は、特に危害を加えられることなく、送り返されている。殺害した8人の女の内、4人は自宅から見える範囲の造成地に埋めた。そのことを不気味がった刑事が取り調べ中、大久保に「不安じゃなかったか?」と尋ねているが、大久保はその質間の意味を汲み取れず、こう答えている。「誰かが掘り返して死体が見つからないか、不安だった」。今、死体遺棄現場を訪ねてみると、空き地や工場の敷地となっていて、どこか殺風景な景色の中にある。その景色は、まるで乾いた大久保の心の中のような印象を受けた。警察での取り調べの中で大久保は、「女性を殺害した後は不安で眠れなかった」と言っているが、その言葉とは裏腹に、母親が用意してくれていた夕食を平然と平らげている。人間離れした感情を抱える一方で、大久保は1人目の強姦殺人を犯した2日後の4月2日、祖母の墓参りをしている。東京で餓死した祖母は、夫の一族が眠る墓地に埋葬されているのだ。祖母の墓は誰も訪ねる者がいなかったが、思い立った大久保はそこを訪ねた。その理由について、こう供述している。「そこで私は、墓に向かって人殺しをやる許しを願いました。墓は返事をしてくれませんが、自分の気持ちとしては決心がついたのです。墓参りを済ませてから、8人の若い女性を殺したのです」。己の罪を悔いたのかと思いきや、祖母の墓前で犯行を宣言していたのだ。この墓参りの後、1ヵ月と僅かの間に8人の女を手にかけていくのである。更に、祖母の墓に参る9日ほど前にも、祖父の墓へ足を運んでいた。そこでは、確執のあった兄を殺すことの許しを乞うていた。どちらの墓参りも犯行宣言の為とは言え、鬼畜の中に微かな人間性を感じるのは筆者だけだろうか。大久保はガールハントをする際、ベレー帽にロシアの民族衣装であるルパシカを着て出没した。ロシアの民族衣装を着るという行為には、見たことのない祖父への思いがあったのではないだろうか。警察での取り調べにおいても、「ありがとう」等の簡単なロシア語を話したという。大久保の行いは、常に大きな矛盾を孕んでいる。女の前で紳士的な態度を見せたかと思えば、殺人鬼に変貌し、故人の冥福を祈る場で殺人を宣言する。大きく分裂し、捕らえどころのない人間性が、私たちに得も言えぬ不気味さを印象付けるのだ。大久保は1971年5月14日、被害者女性の兄が指揮する私設捜索隊によって捕縛された。その際も、助手席には別の若い女性が乗っていた。女性が車を降りる際、封筒に1000円札を入れて手渡し、大久保はこう声をかけた。「危ないからタクシーに乗って帰りなさい」。どこまで女を犯し、殺すつもりだったのだろうか。その心の闇は、果てしなく深い――。


キャプチャ  第22号掲載

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