【オトナの形を語ろう】(11) 人間が無条件に信じるものに疑問を抱く者たちがいる

前回書いた文章の中で、1つ誤りがあったので訂正しておきたい。それは、文中で「“無頼”とは読んで字の如く、“頼るもの無し”であって、“頼りない”とは違う」と書いた一文である。この文章の後半の“頼りない”が間違いで、本当は“頼るものが無い”ということである。それで前回の続きだが、私は“無頼”と酒場へ行き、そこでちょっとしたゴンタクレと遭遇し、厄介になった時の状況を書いた。ゴンタクレは、その店で庖丁を手に私たちの所へ来て、黙って飲んでいる私と“無頼”に向かって、「オイ、何を気取って飲んでやがる?」といちゃもんをつけてきた。ゴンタクレと“無頼”の呼応があって、最後にゴンタクレが「殺ってやる」と叫んだ直後、“無頼”はゴンタクレの喉元に噛みつき、相手は倒れ、私たちは店を出た。私と“無頼”は店を出て、通りを黙って歩き、飲み直そうかと店に入り、飲み始めた。「…」。“無頼”はずっと黙っていた。私も黙って隣に座っていた。「すまなかったナ」。“無頼”が言った。「あぁ、大丈夫だ」。それで2人とも黙って飲んでいたのだが、私は気になり、「ありゃ、くたばったのか?」とゴンタクレのことを訊いた。

“無頼”は苦笑いして、「な、訳ないですよ」と言った。「喉を噛み千切ったのと違うか」。私が訊くと、「まさか、腹を殴っただけです」と言った。「お前にしては珍しく荒っぽいことをしたな」「いや、あれは、あいつは」と言い、「間違いなく、俺に刃物を向けてきましたよ」と言って、グラスの酒を飲み干した。「あぁ、そういうことか」と私は思いながら、「どうして、あのゴンタクレが手を出すことを“無頼”は察知できて、私にはそれができなかったのか」と思った。場慣れや経験と言ってしまえばそれだけのことだが、情人の如きのことで見ず知らずの者を「殺ってやろう」と言う相手の意志が読めなかった自分を情けなく思った。私は、そのことを“無頼”に話した。「俺にも本当のことはわからないっすよ。ただ俺は、あんな野郎の手でくたばりたくはなかったんすよ」。なるほど…。その夜、私は“無頼”と別れて、もう1軒、酒を飲みに行った。騒がしい店だった。その時、「この店で同じ状況が起こった時、私は“無頼”のようにやり過ごせるのか?」と思った。私は自信が無かった。私は君たちに、「“無頼”は、自分に危険があると思えば、それを逃れる為に何だって平然とやる人間である」ということを知ってもらいたいだけなのだ。

「『カネをどんだけ稼いだ』とか、『あれだけのイイ女を連れている』とか、そんな屈のようなことはどうでもいい」と思っている男たちは、この世の中にいるということなのである。こう語って行くと、「“無頼”なんぞになりたくない」と君たちの半分近くは思うだろうが、カネや女が君たちに何をしてくれたのかを考えてみればいい。私は、「“無頼”から何かを学べ」と言うつもりはさらさらない。じゃ、次の“無頼”の話をしようか。“無頼”は“頼るもの無し”と書いたが、人間というのは所詮、強くはあり続けられない生きもので、「弱い」「皆と共に生きたい」「誰かと何かを共有したい」という生き物でもある。“無頼”というものは、そういうことを全て拒絶するということを決め、その覚悟を持って生きていく連中である。じゃ、それが如何にも意志が強いと思われるかもしれないが、そうじゃない。誰か他人に依ることは、相手を信じなければできることではない。例えば、親とか肉親を、大半の人間は無条件に信じる。しかし、人間が無条件に信じるものに疑問を抱き、尚且つ「それが嫌だ」と思う感情を抱く者が、この世にはいるということなのである。これから語るその“無頼”は、弟を殺して刑務所に入った。出所してきた時に、私の世話になっていた先生が、「そいつはイイ奴で、麻雀が飯より好きでね」と出所祝いのメンバーに入れてもらった。初見、「こんな穏やかな男が…」と私は思った。半日、麻雀を打って、先生と3人で酒場へ行った。男が言った。「俺は間違ったことはしなかったんだよ」。 【続く】


伊集院静(いじゅういん・しずか) 本名は西山忠来。作家・作詞家・在日コリアン2世。1950年、山口県生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業後、『電通』に入社。CMディレクター等を経て、1981年に作家デビュー。『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』(集英社)・『大人の男の遊び方』(双葉社)・『無頼のススメ』(新潮新書)等著書多数。


キャプチャ  2017年2月13日号掲載

スポンサーサイト

テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

轮廓

George Clooney

Author:George Clooney

最新文章
档案
分类
计数器
排名

FC2Blog Ranking

广告
搜索
RSS链接
链接
QR码
QR