【基礎からわかる欧州連合】(01) 1世紀前に欧州統合構想
『欧州連合(EU)』の母体となる『欧州石炭鉄鋼共同体』の設立を決めた1951年4月18日の『パリ条約』調印から70年となった。EUの源流を形作ったリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーの人生を辿りながら、欧州統合の今を見る。

「多くの人々は唯一のヨーロッパを望んでいる」――。1923年。今から1世紀近くも前に『パンヨーロッパ(汎欧州)』と題した著作を発表し、欧州を一つに統合すべきだと訴えた思想家がいた。リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー(※右画像)。父は、現在のオーストリアを拠点とするハプスブルク帝国から駐日代理公使として派遣された貴族のハインリヒ。母は、牛込の骨董商の娘だった青山光子。日本人の血が流れる欧州人で、青山栄次郎という日本名もある。その欧州統合論は当時、国際的な反響を呼び、ドイツやフランス等各国の政治指導者が現実の国際政治の場で議論するまでになった。関税同盟や共通通貨による単一市場、仲裁裁判所の設置、共通の外交・安全保障政策――。『パンヨーロッパ』で示された構想は、今のEUの姿と多くが重なっている。だが、ここ数年、クーデンホーフ・カレルギーは奇妙な形で注目されている。インターネット上でEUの寛容な移民・難民政策等を巡り、“カレルギー計画”と呼ばれる陰謀論が拡散している為だ。陰謀論は「アジアやアフリカから大量の移民を流入させることで、欧州の人種を抹消するエリートたちの計画が進められている」と訴え、その立案者がクーデンホーフ・カレルギーだと指摘する。エリートらは、この計画で「混血によって作られた均質な奴隷を支配する」のだという。カレルギー計画は元々、ネオナチ思想を持つオーストリア人作家が2005年に著作で唱えたという。反移民を訴える排外主義者やEU懐疑派の間で実しやかに語られ、欧州の様々な言語のサイトに投稿され続けている。国家や民族を超えた平和を訴えたクーデンホーフ・カレルギーは何故、荒唐無稽としか思えない陰謀論の標的とされているのか。
「EUのエリートは、大量の移民を流入させることで欧州の国々を破壊しようとしています。祖国の誇りもキリスト教の価値観も持たない人々は、グローバリストが構築しようとする新たな全体主義の世界に簡単に支配されてしまう」。チェコ下院副議長で『自由と直接民主主義(SPD)』党首のトミオ・オカムラ氏(48)はメールで取材に応じ、移民・難民の受け入れに寛容なEUの政策に、こんな批判を展開した。移民流入とエリート支配を結び付ける主張は、まるでカレルギー計画をなぞったかのようだ。オカムラ氏の父親は日本人と韓国人との間に生まれ、母親はチェコ人。東京出身だが、チェコに渡り、児童養護施設等で育った。「黄色い」等と苛めを受け、10代後半で日本へ。ごみ回収等のアルバイト生活を送ったが、そこでも「変な外国人」と差別を受けた。その後、チェコに戻り、観光業で成功。テレビ番組等で人気を集め、2012年に上院議員に初当選した。2015年にSPDを創設し、2017年10月の下院選で第三党に躍進させた。クーデンホーフ・カレルギーが幼年期を過ごしたボヘミア地方は、現在のチェコにあたる。同じように日本とチェコを所縁の地としながら、オカムラ氏の生い立ちは、エリートだったクーデンホーフ・カレルギーとはかけ離れている。クーデンホーフ・カレルギーについて質問すると、オカムラ氏は「特に強調すべき意見はありません」と素っ気なかった。だが、SPD議員の一人はチェコのウェブメディアで、カレルギー計画を引き合いにクーデンホーフ・カレルギーを批判。対抗するリーダーとしてオカムラ氏への支持を表明し、「2人の日系人が戦っている」と訴えている。イタリアの極右政党『同盟』のマッテオ・サルビーニ党首ら他の反EU政治家からも、カレルギー計画の陰謀論と似た主張を聞くことが多い。反EUを掲げるポピュリスト政治家の主張に共感する人の多くは、経済的、社会的にグローバル化から取り残された人々といわれる。ポピュリストらは欧州統合を進めるEUを、人々が拠り所とすべき国家や民族の威信を奪う“エリート官僚の集まり”と批判し、“人民vsエリート”の構図を描こうとするが、その主張は時に虚実を綯い交ぜにしている。クーデンホーフ・カレルギーは“民族主義に敵対する混血の貴族”として、対立を煽る架空の物語の悪役にされたとみられる。オカムラ氏にはイスラム教徒への差別的な言動も目立つ。しかし、この政治家がチェコの一定数の人々から強い支持を得ているのも確かだ。チェコはEU市場へのアクセス等の経済的恩恵を受けていながら、EUに懐疑的な加盟国だ。昨年10月に発表されたEUの世論調査(※ユーロバロメーター)では、EUを「信頼しない傾向にある」と答えた人の割合はEU平均48%に対し56%で、加盟27ヵ国中4番目に高かった。この国の人々は周辺国に翻弄されたその歴史故、国家としての存立への拘りや、自国の文化への誇りが強いとされる。

16世紀以降、ハプスブルク帝国の統治下に置かれ、1918年にスロバキアと共にチェコスロバキアとして独立。ところが、僅か約20年後にナチスドイツの侵略を受けた。東側陣営下の1968年には『プラハの春』で独自の民主化路線を目指すが、ソ連の侵攻で弾圧されてしまう。「私たちの祖先はチェコの自由と独立の為に1000年以上も戦った。EUは忠誠を誓う祖国ではないのです」とオカムラ氏は言う。一方、1896年に日本から父の故郷であるボヘミア地方に渡ったクーデンホーフ・カレルギーは、ハプスブルク貴族として育った。高い石壁に囲まれた城の中で暮らし、「庭園を囲む壁は、われわれを下界の騒がしさから切り離していた」(※自伝より)という。国際色豊かな来客者と過ごしたこの城を“コスモポリタンのオアシス”と呼んでいた。多民族を抱えるハプスブルク帝国のエリート層は、国家や民族に囚われないコスモポリタンとしての意識が強かった。それは、パンヨーロッパを唱えた彼の思想に色濃く反映されている。だが、19世紀が終わりに差し掛かっていたこの当時、ボヘミア全体では既にチェコ民族主義が高ぶりを見せていた。ハプスブルク帝国下でチェコ語やその文化は下層階級のものとして蔑まれるようになり、そうした状況に反発する人々が“チェコ民族の誇り”を取り戻そうと帝国支配からの解放を求めた。彼らの目に映る世界は、クーデンホーフ・カレルギーが城の中で見ていたのとは全く別のものだった。カレルギー計画は、客観的な事実よりも感情が世論を形成する“ポスト真実”の時代に広がる陰謀論に過ぎない。ただ、“エリートのコスモポリタン”と“国家や民族を求める人民”との対立そのものは、クーデンホーフ・カレルギーが欧州統合の端緒を開いた時から根を張っていたのかもしれない。
2021年4月28日付掲載

「多くの人々は唯一のヨーロッパを望んでいる」――。1923年。今から1世紀近くも前に『パンヨーロッパ(汎欧州)』と題した著作を発表し、欧州を一つに統合すべきだと訴えた思想家がいた。リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー(※右画像)。父は、現在のオーストリアを拠点とするハプスブルク帝国から駐日代理公使として派遣された貴族のハインリヒ。母は、牛込の骨董商の娘だった青山光子。日本人の血が流れる欧州人で、青山栄次郎という日本名もある。その欧州統合論は当時、国際的な反響を呼び、ドイツやフランス等各国の政治指導者が現実の国際政治の場で議論するまでになった。関税同盟や共通通貨による単一市場、仲裁裁判所の設置、共通の外交・安全保障政策――。『パンヨーロッパ』で示された構想は、今のEUの姿と多くが重なっている。だが、ここ数年、クーデンホーフ・カレルギーは奇妙な形で注目されている。インターネット上でEUの寛容な移民・難民政策等を巡り、“カレルギー計画”と呼ばれる陰謀論が拡散している為だ。陰謀論は「アジアやアフリカから大量の移民を流入させることで、欧州の人種を抹消するエリートたちの計画が進められている」と訴え、その立案者がクーデンホーフ・カレルギーだと指摘する。エリートらは、この計画で「混血によって作られた均質な奴隷を支配する」のだという。カレルギー計画は元々、ネオナチ思想を持つオーストリア人作家が2005年に著作で唱えたという。反移民を訴える排外主義者やEU懐疑派の間で実しやかに語られ、欧州の様々な言語のサイトに投稿され続けている。国家や民族を超えた平和を訴えたクーデンホーフ・カレルギーは何故、荒唐無稽としか思えない陰謀論の標的とされているのか。
「EUのエリートは、大量の移民を流入させることで欧州の国々を破壊しようとしています。祖国の誇りもキリスト教の価値観も持たない人々は、グローバリストが構築しようとする新たな全体主義の世界に簡単に支配されてしまう」。チェコ下院副議長で『自由と直接民主主義(SPD)』党首のトミオ・オカムラ氏(48)はメールで取材に応じ、移民・難民の受け入れに寛容なEUの政策に、こんな批判を展開した。移民流入とエリート支配を結び付ける主張は、まるでカレルギー計画をなぞったかのようだ。オカムラ氏の父親は日本人と韓国人との間に生まれ、母親はチェコ人。東京出身だが、チェコに渡り、児童養護施設等で育った。「黄色い」等と苛めを受け、10代後半で日本へ。ごみ回収等のアルバイト生活を送ったが、そこでも「変な外国人」と差別を受けた。その後、チェコに戻り、観光業で成功。テレビ番組等で人気を集め、2012年に上院議員に初当選した。2015年にSPDを創設し、2017年10月の下院選で第三党に躍進させた。クーデンホーフ・カレルギーが幼年期を過ごしたボヘミア地方は、現在のチェコにあたる。同じように日本とチェコを所縁の地としながら、オカムラ氏の生い立ちは、エリートだったクーデンホーフ・カレルギーとはかけ離れている。クーデンホーフ・カレルギーについて質問すると、オカムラ氏は「特に強調すべき意見はありません」と素っ気なかった。だが、SPD議員の一人はチェコのウェブメディアで、カレルギー計画を引き合いにクーデンホーフ・カレルギーを批判。対抗するリーダーとしてオカムラ氏への支持を表明し、「2人の日系人が戦っている」と訴えている。イタリアの極右政党『同盟』のマッテオ・サルビーニ党首ら他の反EU政治家からも、カレルギー計画の陰謀論と似た主張を聞くことが多い。反EUを掲げるポピュリスト政治家の主張に共感する人の多くは、経済的、社会的にグローバル化から取り残された人々といわれる。ポピュリストらは欧州統合を進めるEUを、人々が拠り所とすべき国家や民族の威信を奪う“エリート官僚の集まり”と批判し、“人民vsエリート”の構図を描こうとするが、その主張は時に虚実を綯い交ぜにしている。クーデンホーフ・カレルギーは“民族主義に敵対する混血の貴族”として、対立を煽る架空の物語の悪役にされたとみられる。オカムラ氏にはイスラム教徒への差別的な言動も目立つ。しかし、この政治家がチェコの一定数の人々から強い支持を得ているのも確かだ。チェコはEU市場へのアクセス等の経済的恩恵を受けていながら、EUに懐疑的な加盟国だ。昨年10月に発表されたEUの世論調査(※ユーロバロメーター)では、EUを「信頼しない傾向にある」と答えた人の割合はEU平均48%に対し56%で、加盟27ヵ国中4番目に高かった。この国の人々は周辺国に翻弄されたその歴史故、国家としての存立への拘りや、自国の文化への誇りが強いとされる。

16世紀以降、ハプスブルク帝国の統治下に置かれ、1918年にスロバキアと共にチェコスロバキアとして独立。ところが、僅か約20年後にナチスドイツの侵略を受けた。東側陣営下の1968年には『プラハの春』で独自の民主化路線を目指すが、ソ連の侵攻で弾圧されてしまう。「私たちの祖先はチェコの自由と独立の為に1000年以上も戦った。EUは忠誠を誓う祖国ではないのです」とオカムラ氏は言う。一方、1896年に日本から父の故郷であるボヘミア地方に渡ったクーデンホーフ・カレルギーは、ハプスブルク貴族として育った。高い石壁に囲まれた城の中で暮らし、「庭園を囲む壁は、われわれを下界の騒がしさから切り離していた」(※自伝より)という。国際色豊かな来客者と過ごしたこの城を“コスモポリタンのオアシス”と呼んでいた。多民族を抱えるハプスブルク帝国のエリート層は、国家や民族に囚われないコスモポリタンとしての意識が強かった。それは、パンヨーロッパを唱えた彼の思想に色濃く反映されている。だが、19世紀が終わりに差し掛かっていたこの当時、ボヘミア全体では既にチェコ民族主義が高ぶりを見せていた。ハプスブルク帝国下でチェコ語やその文化は下層階級のものとして蔑まれるようになり、そうした状況に反発する人々が“チェコ民族の誇り”を取り戻そうと帝国支配からの解放を求めた。彼らの目に映る世界は、クーデンホーフ・カレルギーが城の中で見ていたのとは全く別のものだった。カレルギー計画は、客観的な事実よりも感情が世論を形成する“ポスト真実”の時代に広がる陰謀論に過ぎない。ただ、“エリートのコスモポリタン”と“国家や民族を求める人民”との対立そのものは、クーデンホーフ・カレルギーが欧州統合の端緒を開いた時から根を張っていたのかもしれない。

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