【「佳く生きる」為の処方箋】(38) 恩を仇で返すインセンティブ論

「天皇陛下の手術をした偉い先生だから、おいそれとは手術をしてもらえないのではないか…」。こんな声を耳にすることがありますが、決してそんなことはありません。目の前に来た患者さんが誰であろうと、公平に診るのが医師の仕事。順天堂大学に赴任して15年近くが経ち、実力十分の部下も育っていますが、「自分が執刀したほうが一番良い結果を出せる」と判断したら、部下に任せることなく、自ら手術をします。勿論、部下が執刀しても私が執刀しても、患者さんが支払う医療費は同じです。しかし、このことに異議を唱える外科医がいるのも事実です。「抑々、ベテランと若手では経験値も腕も違う。ならば、ベテラン外科医の手術には、それ相応の“差”を付けてもよいのではないか」という訳です。所謂“インセンティブ”を設けようという考え方で、平たく言えば「ベテラン外科医の手当を厚くしましょう」ということです。私は、この考え方には絶対に反対です。理由は大きく2つあります。1つは、今ある国民皆保険制度を根底から揺るがすことになるからです。若し、術者によって医療費の支払い額が変わることになれば、経済的に豊かな人しか腕の立つ外科医に手術をしてもらえなくなります。これは、“全ての人が平等な医療を受けられる”という国民皆保険制度の理念に反します。私も家族も、この保険制度で健康を維持してきました。他の医師とて同じ。「恩恵を受け、そして今、医療の最前線にいる医師だからこそ、この制度を守るべく、先頭に立って汗をかくべきだ」と思うのです。もう1つは、「外科医には“貰う”ではなく、“返す”という発想が必要だ」と考えるからです。

どんな外科医にも、記念すべき1例目の手術があります。経験の無い未熟な外科医が、患者さんの体に初めてメスを入れさせてもらうのです。外科医のキャリアはそこからスタートし、手術を一例一例重ねる毎に腕が磨かれていきます。私は、この30年余りで7500例ほどの心臓手術を行いました。「完璧な手術ができた」と思ったことも幾度となくあります。では何故、完璧な手術ができるようになったのか。それは、過去の数多くの手術経験から沢山のことを学ばせてもらったからです。つまり、外科医の財産は全て患者さんから貰っている。貰った分はちゃんと返さなくてはいけません。また、医師は国からも莫大な“借金”をしています。1人の医師を育成するのに国から支出される助成金は、6年間で約1億円。仮に1億円の住宅ローンを組めば、退済額は金利でもっと膨らみます。医学部を出たばかりの24~25歳の若者が、一生かかっても返済できないような多額の借金を抱えている訳です。医師は患者さんに教えられ、税金に育てられる。だから、患者さんや社会に恩返しをしなくてはならない。少なくとも、そういう意識を持って、医師の仕事に精進すべきです。にも関わらず、ベテランだから・腕が立つからといって、人より多くの報酬を求めるのは、あまりに身勝手。言葉は悪いですが、物心共に貧しい医者だと言わざるを得ません。百歩譲って、そのようなインセンティブ論を主張するのであれば、恩返しをある程度済ませてからにすべきでしょう。前回も書きましたが、私は手術数が5000例を超えた辺りで漸く、「プロの心臓外科医だ」と公言できるようになりました。せめて、このくらいの領域にまで達したら、インセンティブの是非を口にしても許されるのかもしれません。尤も、この条件をクリアする心臓外科医は、今の日本には5人程度しかいませんが…。


天野篤(あまの・あつし) 心臓外科医・『順天堂医院』院長。1955年、埼玉県生まれ。日本大学医学部卒。『亀田総合病院』『新東京病院』等を経て、2002年に順天堂大学医学部心臓血管外科教授に就任。2012年2月18日に天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀。2016年4月より現職。著書に『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)・『この道を生きる、心臓外科ひとすじ』(NHK出版新書)等。


キャプチャ  2017年2月9日号掲載
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