【ニッポン未解決事件ファイル】(08) 『よど号ハイジャック事件』(1970)――日本・アメリカ・韓国・北朝鮮、3日間の神経戦

富士山上空でハイジャックされた『日本航空』の旅客機が、赤軍派の亡命の為に北朝鮮へ着陸させられた。このあまりにも有名な『よど号ハイジャック事件』は、1970年の出来事である。しかし、ハイジャックはすんなりと成功した訳ではない。赤軍派が北朝鮮へ亡命するまでには、長い攻防戦があったのだ――。 (取材・文/フリージャーナリスト 李策)

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1970年3月31日、羽田空港を離陸して板付空港(現在の福岡空港)に向かっていた日本航空351便(愛称は“よど号”)が、富士山上空を飛行中だった午前7時33分、日本刀・拳銃・爆弾のようなものを持った9人の男たちによって乗っ取られた。男たちは、日本での軍事革命を目指していた新左翼セクト『共産主義者同盟赤軍派』のメンバーたちだった。犯人グループの目的の詳細は後述するが、かれらがよど号をハイジャックしたのは、北朝鮮に渡り、革命遂行の準備をする為だった。結果的に北朝鮮への亡命は達成されるが、ハイジャックがすんなり成功した訳ではない。この後、よど号を北朝鮮に着陸させるまでに、3日と半日を要しているのだ。先ずは、その経過を辿ってみよう。飛行機を乗っ取った犯人らは、操縦室に侵入。即時、北朝鮮に向かうよう要求したが、「燃料が足りない」と嘘を吐いた副操縦士の機転により、福岡への着陸を認めた。福岡では警察等の不首尾の為、よど号を国内に留め置くことには失敗するが、女性・子供・病人・高齢者を含む人質23人が解放された。13時59分、よど号は犯人の要求に従って離陸。「今度こそ北朝鮮に向かわざるを得ないか」と思われたが、ここでも抵抗が試みられた。よど号が朝鮮半島の東側を北上していた14時40分頃、右隣に突如、国籍不明の戦闘機が現れた。機長が見ると、戦闘機のパイロットは親指を下に向けて、“降下”を指示している。更にその後、よど号に対し「こちら平壌進入管制」との無線が入り、航空無線の周波数を切り替えるよう指示された。何れも、「よど号を北朝鮮に向かわせまい」とする韓国当局のとっさの行動だった。

よど号は韓国側の管制に誘導され、機首を南に向けて降下する。因みに犯人グループは、朝鮮(韓国)語はおろか英語も殆ど理解できず、機長らと管制のやり取りに全く気付かなかったという。15時16分、よど号は韓国の金浦国際空港に着陸。待ち構えていた韓国軍兵士らは、朝鮮人民軍の軍服を着込み、“平壌到着歓迎”のプラカードを掲げて偽装工作を行っていた。だが、広大な空港を完璧に偽装するのは不可能だった。アメリカの航空便や『シェル石油』のロゴ等、共産主義の北朝鮮にある筈のないものを発見した犯人グループは、一気に疑念を募らせた。彼らが最終的に、どのようにして韓国側の罠を見破ったかには諸説あり、例えば「(北朝鮮の指導者である)金日成の大きな写真を持ってこい」との要求を出したとされる。金日成の個人崇拝に力を入れていた北朝鮮ならば、“大きな写真”などあっという間に出てくる。しかし、北朝鮮と鋭く敵対する韓国では、そうはいかない。そのような状況から、犯人グループはそこが韓国であることを確信。この時点から3日間に亘り、犯人グループ・日本政府・韓国政府・アメリカ政府までをも交えた神経戦が繰り広げられる。途中、犯人の人数や配置が概ね把握されたことで、韓国側は特殊部隊の投入を提案するが、日本の反対により退けられた。結局、山村新治郎運輸政務次官が乗客の身代わりとして人質になることで、犯人グループと合意。よど号は、犯人グループと乗員3人、山村を乗せて北朝鮮へと飛び立つ。これを受け、北朝鮮当局は犯人グループの亡命を認めると共に、乗員と山村を直ぐさま日本へ送り返した。事態は一応の収束を見る。ところで、犯人グループが北朝鮮に渡ったのは、「金日成体制を自分たち赤軍派のイデオロギーで改革し、北朝鮮を世界革命の根拠地にする」という荒唐無稽な目的からだった。実際には、北朝鮮当局によって逆に洗脳され、日本人拉致の片棒を担がされている。日本の警察当局は、1983年10月にデンマークから手紙が届いたのを最後に消息を絶った有本恵子さんや、ヨーロッパ滞在中の1980年に失踪した松木薫さんと石岡亨さんの拉致事件について、よど号の犯人グループ、そして日本から合流した犯人らの妻たちが関与したとみて、国際手配している。


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