教義との整合性は? 名誉会長亡き後の布石? 会則前文に“創価学会仏”と定められたのは組織の大異変のせいなのか

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昨年11月4日午後、『創価学会』は、組織の重要事項を決定する最高機関“総務会”で、同会の会則を改正した。その会則前文に、“創価学会仏”と付加することを議決した。 創価学会仏? 文字通りに受け止めると、創価学会の組織が“仏”になったという会則の改定である。一般市民の感覚なら、“仏”とは悟りを開いた人。その代表として、インドのブッダガヤで悟り、仏教の開祖になった釈迦を指す。庶民の間では、亡くなった人に畏敬の念を込めて、“仏様”と呼称することがある。それが創価学会は、何故いきなり、その“仏”の冠を被せた教団になったのか。同会のトップである原田稔会長は、同日開催された総県長会議(※全国・各都道府県の最高幹部の集まり)で、大要“創価学会仏”と会則を改正する2つの理由をこう述べた。第一点目は、「日蓮大聖人の曠大なる慈悲を体し、末法の娑婆世界において大法を弘通しているのは創価学会しかない。ゆえに戸田先生は、末法の経典に“創価学会仏”と記されるであろうと断言されたのである」(聖教新聞・11月5日付)。要するに、「故・戸田城聖二代会長が生前、“創価学会仏”になるという未来を断言していた」と力説している。もう一点は、「本年7月26日の全国最高協議会へのメッセージのなかで、池田先生は『御本仏の広大なる慈悲を体し、荒れ狂う娑婆世界で大法を弘通しているのは、学会しかない。戸田先生が“創価学会仏”と言い切られたゆえんである』とご指導してくださいました。大変に大事なこ指導であり、創価学会の宗教的独自性を明確に宣言するものです…池田先生は、さらにそのメッセージのなかで、『広宣流布を推進しゆく創価学会が仏の存在であり、創価学会なくして広宣流布はなく、学会を守ることが広宣流布を永遠ならしめることである』ともご指導くださいました…」(同)。要するに、「戸田城聖2代会長に続き、池田大作3代会長(現在は名誉会長)も“創価学会仏”と指導を残してくれたことが、今回の新たな会則改正に結び付いた」というのだ。

突然、創価学会が“創価学会仏”と名乗ったことがインターネット上でも拡散し、様々な意見が飛び交った。伝統仏教の寺院住職を務めているA師の感想はこうである。「ここ数年、創価学会は会則の改定を頻繁に行ってきましたが、ここまで改正するとは正直驚きました。この改正に当たって、『未来の経典に創価学会仏と記される』と説明をしておりましたが、これはかなり苦しい予言だと思いましたね。私たちも昔、創価学会から『邪教だ』と散々攻撃をされました。その批判の根拠とした創価学会の教義が“御書”(※日蓮聖人が残した教え)で、学会にとってその“御書”が最高の経典だったのです。ところが、『創価学会仏を名乗ることで、未来の経典に創価学会仏と記されるであろう』とあります。未来とはいつのことなのでしょうか? 少なくとも、現在の創価学会員さんが生存している近い未来ではないでしょう。200年先か、1000年先のことなのか。しかも、そうした経典をどんな仏様が書き残すのかも明記されておりません。ただ、その未知なる経典の出現は、日蓮聖人の“御書”を超える存在になるのでしょうから、創価学会は『日蓮の教えと離れ、独自の宗教を開いた』という宣言をしたのかもしれませんね」。もう1人、2代会長の戸田城聖時代に創価学会に入信(※現在は“入会”と言う)して、組織の幹部等も歴任し、現在も尚、同会に籍だけは置いているものの、組織活動には殆ど参加していないB氏が、こんな感概を抱く。「熱心な学会の信者時代、“御書”を中心に日蓮教学をよく勉強しました。80歳を過ぎても、“御書”の重要な部分は暗記しているくらいです。その“御書”の中に、例えば鎌倉時代の信者であった四条金吾に、日蓮大聖人が『いよいよ道心堅固にして仏になり給え』という手紙を書いています。大聖人は多くの信者たち個々に、『強い信仰によって“仏”になりなさい』という教えですね。でも大聖人は、在家信者組織そのものが“仏”になるなど書き残しておりません。創価学会が“仏”を名乗ることで思い出したのですが、今から40年ほど前に創価学会と宗門(日蓮正宗)が喧嘩(※第1次宗門学会紛争のこと)をして、それが原因で池田大作会長が会長を辞任しました。この喧嘩の原因の1つにカネの問題があり、創価学会が会員から資金を集めていたことに、宗門が『在家が金を集めることは教義に違背する』と批判したのです。学会もこれを認めて反省し、以後、学会が会員からお金を集める時は、“御供養金”という名称を捨て、“財務”(※“寄付”に近い用語)という名前に変更したのです。しかし、納金する信者(会員)にとって、御供養金と財務(寄付)では、言葉の重みが天と地の差ほどの開きがあります。創価学会が創価学会仏になることによって、“在家集団”の組織が仏に昇格して、会員からお金も堂々と集めることができるということでしょう。それと、ここにきて創価学会仏と名乗った背景には、池田大作名誉会長亡き後の布石戦略と見ていいでしょうね」。池田名誉会長亡き後の布石――。どういうことなのか?

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原田会長は、会則に敢えて“創価学会仏”を付加することについて、過去に語っていた戸田・池田会長の話を引き合いに出し、「より“宗教的独自性”を明らかにする為」と説明していた。それなら、25年前の1991年に宗門と離反した時期が、創価学会仏を名乗る最高のタイミングではなかったのか。また、これほど重要な会則の改正である。組織の最高指導者で、創価学会仏を名乗る“文証”を残した池田大作名誉会長自身の説明があっても当然なのに、それすら無い。創価学会仏の会則改定が決議された翌5日、巣鴨の東京戸田記念講堂で、『第21回本部幹部会・SGI総会』が開催された。創価学会が毎月開催している本部幹部会は、同会の最高重要行事で、全国在住の最高幹部たちが一同に出席し、会の活動方針や池田名誉会長のスピーチを拝聴する幹部会である。池田名誉会長も同会には長文のスピーチを送っていたが、中身は「対話を拡大しよう」等で、創価学会仏の改正には一切触れていない。公称会員数827万世帯に“仏”を浸透させる絶好の本部幹部会なのに、とうして池田名誉会長は説明をしないのだろうか。昨年9月22日付内朝日新聞で、原田会長は同紙記者のインタビューに応じ、池田名誉会長について「元気にしておりますよ。…執行部は名誉会長に報告すべきことは報告し、指導を受けています」と語っている。本当だろうか? 長年、“在家”会員の組織が創価学会仏と鮮明にした宗教団体にとって、これは革命にも近い会則の変更である。その最高指導者が会員に一言の説明もしないということは、「ひょっとしたら、池田名誉会長が何も知らないところで執行部が決議したのか?」と疑わせる。併せて、突然に飛び出した創価学会仏の会則改正は、池田名誉会長の健康不良が急速に進行していることも暗示させてくれるのだ。

1960年、池田大作氏が僅か32歳の若さで第3代会長に就任した。会長就任に当たって、会長就任を巡る組織内部の抗争等が囁かれたが、当時を知る古参幹部が「池田氏が長けていたのは、組織人事の配置にあった」と語っているように、巧みな人事配置で頭角を表し、会長就任5年後の1965年に一大事業として取りかかった活動が、宗門に対する大伽藍『正本堂』の建立である。“貧乏人と病人の集まり”と揶揄されていた会員から、50年前のカネで、何と355億円という巨額の御供養金を集めて、世間をあっと言わせ、1972年に建立し、宗門に寄進した。この辺りの時期が創価学会の最盛期で、同時に池田大作会長への“神格化”が急速に始まることになる。取り巻き幹部が残した証言や内部文書を見ると、池田氏の神格化は組織の方針ばかりではなく、本人の意向も多分に加わっていた。「桜の蕾も池田先生が来るとパッと咲いた」とか、「雨が降って溜まった池に池田先生が釣り糸を垂らすと鯉がかかった」等、会員の間に盛んに喧伝されたのもこの時期である。更に、1975年に国際組織『創価学会インタナショナル(SGI)』を立ち上げて、海外組織が拡大していく中で、池田氏は諸外国の要人たちと対談を重ね、組織では“日本の池田”から“世界のイケダ”へと、崇拝の高揚ぶりが弥が上にも増していった。そうした順風満帆の中で、創価学会に思いがけない事態が生じる。長年、信仰の対象にしてきた“宗門”との離別である。教団の根本は崇拝する“本尊”にあるが、宗門から離れたことで、「幸福製造機」(※2代会長・戸田城聖による発言)と言っていた“大御本尊”から遠ざかり、創価学会組織の大黒柱が池田名誉会長に移っていく。“選挙に勝つこと”も“財務集め”さえも“池田先生の為”で、聖教新聞等の機関紙(誌)類も池田氏礼賛の記事で埋め尽くされた。各種行事で幹部が指導する内容にしても、“池田先生指導”の代弁である。このような池田氏中心の教団活動が10年・20年と続けば、会員にとって池田氏はシンボル化し、“本尊”と同格的な存在になる。しかし、長いこと崇拝の対象にされてきた池田名誉会長も、今月には89歳という高齢を迎えてしまう。しかも、6年前から体調を壊し、会員の前から姿を消したままだ。それでも創価学会執行部は、池田氏が元気であることをアピールし、各種重要行事には“無声のメッセージ”を届けてきた。若し、原田会長が言うように、池田氏が元気なら、天皇陛下やアメリカのドナルド・トランプ次期大統領のように、通信衛星を通じ、全国の会館にビデオメッセージを送ることも容易かった筈である。しかし、それもできない不良な体調である。

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年に数回、聖教新聞に近影の写真を掲載してきた。だが、その写真掲載の回数にしても年々、減少の傾向にある。若し池田名誉会長が消えたら、教団組織はどうなるだろうか。時々、一部メディアが“ポスト池田”を話題にするが、ポスト池田は不在である。会長や理事長等、組織を牽引する事務職等のトップはいても、神格化された池田名誉会長の代わりを務めるカリスマ的な人材はいない。池田名誉会長が姿を消したら、巨大組織にどのような動揺が走るか。“鉄の団結”を誇ってきた教団だ。一部のメディアが伝えているような、幹部間で反発し合い、組織が分裂するようなこともないと思われる。ただ、創価学会執行部は、そうしたポスト池田の危機管理対策として、組織を丸ごと仏にした“創価学会仏”を立ち上げたものと推測されよう。会則に“創価学会仏”という気高い名称を付加したことで、早速効能も現れた。会員が納金する“財務”である。同会は毎年12月、組織を上げて“財務”を強行するが、例年に比べて原田会長の鼻息が荒い。「愈々、今月には広布部員会が行われ、財務の振込期間となります。広布部員の皆様全員に功徳の花が咲き薫り…」(11月4日・総県長会議での発言)。広布部員とは、“財務”を納金する会員の名称で、“会員=広布部員”と思えばよい。更に7日後の同11日、今度は第21回本部幹部会で原田会長は、「初めに、今月下旬から財務の振り込みが始まります。財務は、世界広布の大願を成就していく為の御本仏への御供養に通じ、これに勝る大善はありません」と宣言。嘗て、創価学会は「創価学会は1銭もかからない宗教。宗教を利用してカネを集めている宗教は金儲け宗教だ!」と痛烈に批判してきた。それが今日では、これほどの様変わりである。要するに、巨額の寄付を求める“宗教的独自性”をアピールしながら、“創価学会仏”を御旗にする新宗教の誕生と言えようか。それにも況して、我が国の政治を左右しかねない政党の母体の急変ではないか。


段勲(だん・いさお) フリージャーナリスト。1947年、宮城県生まれ。東洋大学文学部卒。『週刊ポスト』記者を経てフリーに。宗教・社会問題・人物・健康等について幅広く執筆。著書に『千昌夫の教訓』(小学館文庫)・『創価学会インタナショナルの実像 池田会長が顕彰を求める理由』『反人間革命 創価学会へ入信した男の一生』(共にリム出版新社)・『定ときみ江 “差別の病”を生きる』(九天社)等。


キャプチャ  2017年1月号掲載




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