【ニッポン未解決事件ファイル】(10) 『金大中事件』(1973)――“暗殺”が計画されるも一転“阻止”した黒幕たち

映画にもなった『金大中事件』は、1973年に日本で起きた事件である。軍事政権を批判する野党指導者であった金大中が、『韓国中央情報部(KCIA)』によって命を狙われた驚愕の事実。重石を付けられて大阪湾に沈められる直前に、何者かによって作戦は中止となったのである――。 (取材・文/フリージャーナリスト 李策)

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1973年8月8日、日本に滞在中だった韓国の野党指導者・金大中(後の大統領)が白昼、東京都千代田区のホテル『グランドパレス』から、KCIAによって拉致された。金大中は当時、日本やアメリカに滞在しながら、本国の軍事独裁体制を批判する半亡命生活を送っていた。1971年の大統領選挙で、金大中は現役大統領の朴正熙を猛追。危機感を覚えた軍事政権は、大型トラックを金大中の車に突っ込ませ、交通事故に見せかけて暗殺を謀る。これにより、金大中は腰と股関節の障害を負い、同乗していた3人が死亡した。更に翌年、朴正熙は非常事態宣言を発布して、国家を戒厳令下に置く。これを受け、金大中は海外に留まることを決断したのだ。韓国政府は当初、自主的な帰国を説得していたが、金大中が応じないとみるや、強硬手段に打って出たのである。金大中を拉致した犯人らは、車で神戸市内のアジトに連れ込み、翌9日朝、大阪埠頭から偽装貨物船『龍金号』に乗せて出航。海の中へ投げ込んで殺そうと企んでいたとされるが、殺害直前に中止命令が出たた為、そのまま韓国に移送した。ソウル市内で金大中を解放したのは、拉致から5日目の同月13日のことだった。金大中の殺害が中止されたのは、アメリカ政府の強い要請によるものだった。金大中は事件直後、次のように証言している。「船で運ばれている途中で両足に重しを付けられ、『殺される』と観念したが、その時、謎の飛行機、或いはヘリコプターが接近した。船は猛スピードで逃げようとしたが、拡声器で何かを指示され、それから船内の男たちの態度が変化し、以後は殺される心配が無くなった」。

この飛行機はアメリカ軍機、或いは自衛隊機と推測されている。ところが一方では、自衛隊調査隊のダミー会社と言われる興信所『ミリオン資料サービス』が、大使館員に偽装したKCIA要員の依頼を受け、金大中の日本での行動を監視していた事実もあった。また、2007年に韓国政府が公表した事件の調査報告書では、KCIAが拉致の実行前、日本の暴力団を使って金大中暗殺を検討していたことが明らかにされている。しかし事件当時、こうした事実が日本の警察の捜査によって明かされることはなかった。1973年9月21日、箱根の『富士屋ホテル』。その一室に、日韓政財界の超大物3人が顔を揃えた。日本側からは時の首相・田中角栄と、その“刎頸の友”と言われた政商・小佐野賢治(『国際興業グループ』創業者)。そして、『大韓航空』を擁する韓国の有力財閥『韓進グループ』総帥の趙重勲である。趙は、2015年に話題になった“ナッツ姫”の祖父に当たる人物だ。会談の目的は唯一つ、金大中事件の幕引きである。事件は、“日本に対する重大な主権侵害”に当たるとして轟々たる非難を呼んだが、日韓国交正常化(1965年)による巨額のジャパンマネーの韓国流入を受け、両国間に巨大な開発利権が渦巻いていた時代である。経済的利益を優先したい政財界の首脳らは“手打ち”を急ぎ、刑事事件としての金大中事件は、司法的な手続きを経ることなく、闇から闇へ葬られたのだ。一方、この事件には在日コリアン社会も強い衝撃を受けた。ある在日2世の男性は、「『KCIAは海外まで出て来て、こんなことまでやらかすのか』と不気味な思いがした」と、当時の思いを語る。KCIAや、同様の活動を行う国軍保安司令部は、この事件に限らず、当時の軍事独裁政権に反対する人々への拷問・拉致・殺害を躊躇わないことで恐れられており、『人民革命党事件」(1965年)等のスパイ事件をでっち上げることもしばしばだった。彼らは在日韓国・朝鮮人さえもそのターゲットにしており、1970年代には『学園浸透スパイ団事件』等、数々の罪状を捏造。これによって、在日韓国人の留学生ら百数十人が逮捕され、相当数が死刑を含む有罪判判決を受けた。彼らの冤罪が証明され出したのは、漸くここ数年のことである。


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