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【中小企業のリアル】(44) カイハラ(広島県福山市)――備後絣の生産技術をデニムに



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社屋に大きく書かれていた“桃李不言下自成蹊”という言葉が何より印象的であった。中国前漢時代の歴史家、司馬遷の『史記』の一節にあり、「桃李ものいわざれども、下、自ずから蹊を成す」と読み、「桃や李は何も言わないが、実が美味しいので人が沢山訪れ、自然に道(※蹊)ができる」――。徳の高い人には、たとえ弁舌は爽やかでなくとも、その徳を慕って人々が集まってくるという意味だ。その後、貝原良治会長から企業の歴史、現在の品質への取り組み、研究開発への姿勢を伺い、ひたすら努力を続ける『カイハラ株式会社』の歴史を最もよく表すのが、この言葉であることがわかった。カイハラの創業は1893(明治26)年。良治会長の祖父にあたる貝原助治郎氏が現在の広島県福山市新市町で、手織正藍染め備後絣の製造を開始したことにはじまる。130年近い歴史を持ち、伝統の技能を重んじつつ、現在は紡績、染色、織布、整理加工とデニム素材を一貫生産・販売している。その国内シェアは約55%。『東京ドーム』凡そ17個分の工場で、年間ジーンズ約2100万本分のデニム生地を生産する。世界約30ヵ国に輸出しており、『リーバイス』や『EDWIN』等の有名デニムメーカーを筆頭に、ハイブランドから『ユニクロ』・『GAP』等ファストファッションのブランドまで幅広く生地を供給している。戦前、危機に見舞われた時期もあったが、藍染めの技術を維持し、戦後、助次郎の子息である二代目の覚社長(※1920年就任)が、乏しい材料や資金を最大限活かして再開にこぎ着けた。あらゆるものが不足していた時代に、衣食住の第一である衣服の需要は強烈だった。

当時は、もんぺを始め衣類は主婦がミシンを使って縫うのが当たり前で、生地の需要は大きく、業績も順調に拡大。1951年には株式会社に改組し、『貝原織布』となった。当時、「絣をアメリカ向けに輸出したらどうか」と勧める人がいた。しかし、備後絣は伝統的に布幅が狭い。輸出するには、洋服の裁断に適するように、生地の幅を倍加しなければならない。絣の糸の括り方も変えなければならないし、経糸の本数や緯糸の引き方も異なってくる。試行錯誤の連続だったが、当時の技術陣が難しい条件を克服し、機械も自社製作し、1956年に36インチ(≒90㎝)広幅絣の生産に成功し、特許も取得した。1960年代に入ると、中近東輸出向けに更に幅広の48インチ(≒122㎝)幅の絣入りサロンを生産することになった。中近東の人たちが纏う腰巻状のものだが、絣地の布はちょっとおしゃれで、和風の独特の味わいが喜ばれた。また、羊毛を使ったウール絣を開発し、これもヒットした。一方で、藍染めの技術の研究開発を怠らず、伝統的な技法をベースに化学的な染色方法を取り入れた自動藍染め機を開発し、売上は大きく伸びた。ところが、男女ともに和服を着ない傾向が著しくなり、国内需要が減退し始めた。同時期、中近東の経済・社会情勢の変化でサロン布の輪出までも減退し、1967年末頃にはゼロ近くまで落ち込んだ。どのように道を切り開くか、悩みに悩んで色々な可能性を模索した。その中で、「海外ではブルージーンズというものが流行っているそうだ。お前の会社は藍染めが得意だ。ブルージーンズの生地に転換してみたらどうか」という友人の言葉にピンと来た。時恰も学生運動華やかなりし頃。デモの時も、ジーンズならどこに座ろうが引っ張られようが破れないし、汚れても洗えばいい。機動隊に追われても、ジーンズとスニーカーなら逃げ易い。映画『ウェストサイドストーリー』の踊りもジーンズの格好よさを強烈に印象付けた。「これからはジーンズの時代だ」と、デニムへの転換を決意した。先ず取りかかったのは、糸をロープのように束ねて染色する、ロープ染色機の開発だった。カイハラのそれまでの染め方では、デニム特有の色落ちが生まれない。約7ヵ月間かけ、以前特許を取った半自動式の機械を改良して連続的に染色できるシステムにした。この方式だと芯まで染まらない。ジーンズは芯が白いほうが、意図的に風合いを出すダメージ加工で映えるのだ。この機械は従来の100倍の能率を発揮した。こうして1970年にカイハラデニムを初めて市場に出荷したが、翌年、早くも黒字に転換。その後も最新式のスイス製スルザー織機を導入し、様々な改良を積み重ねて、デニム市場で大きなシェアを占めることになった。こうなると欲が出てくる。良いデニムを生産する為には良い糸が必要だ。綿花には多くの産地があり、性質も少しずつ違う。良い糸を作るには、紡糸の段階でそれらを適正にブレンドしなければならない。ところが、発展途上国の紡糸会社は品質が中々安定しない。そこは社長以下全員が凝り性で拘る会社だ。職人気質が高じ、とうとう原綿の輸入から紡糸まで手がけることにした。その拘りがカイハラの神髄だ。

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原料から織物まで、総投資額は当時の価値で400億円近く。今なら1兆円程か。そして、我が国で唯一、原綿からのデニムの一貫生産体制を確立した。ここまで品質に拘るから、世界有数のブランド企業から注文が来るのだろう。機械も、品質不良が発生すると自動的に止まり、不良品を後工程に流さない仕組みだ。更に、その不良は前工程にフィードバックされ、徹底的に検証・改良される。「顧客の要求に応じて糸を変えたり、織り方を変えたり、染色時間、薬品、洗い方を変えてみたり…。ウォッシングは大変大事なプロセスなので、色々な工夫をします。我々の生地を使っていただければ、製品を作る際、どのような差別化も出来ます。難しい注文を貰えば、私たちも明日へのヒントを得ることができる」。従来の繊維産業は、アパレルメーカーの要望を聞いて注文に応じる素材供給者に過ぎなかった。しかしカイハラは、新しい生地見本を年間、800種類以上つくり、ジーンズメーカーに提案している。「近年、ジーンズ、カジュアル、スポーツ市場は相互にオーバーラップしてきており、日本は勿論、世界的にみてもジーンズの需要はこれからも伸びると思います。我が社はジーンズの素材であるデニム生地製造メーカーですが、市場ニーズに合ったデニム生産に注力していきたいと思っています。一言でいえば、色気のあるデニムです」と良治会長。繊維産業は、日本国内では生き残ることさえ難しいと思われがちだが、常にエンドユーザーの動向に目を向け、新しい提案をし続けていけば、立派にやっていけることを、カイハラは証明してみせたともいえる。


橋本久義(はしもと・ひさよし) 政策研究大学院大学名誉教授。1945年、福井県生まれ。東京大学工学部卒業後、通商産業省(※現在の経済産業省)に入省。情報産業局鋳鍛造課長や中小企業庁技術課長等を経て、1994年8月に埼玉大学教授。1997年10月より政策研究大学院大学教授。著書に『今世紀最後の好景気始動 JIS儒教精神が不況を救う』(かんき出版)・『中小企業が滅びれば日本経済も滅びる』(PHP研究所)等。


キャプチャ  2022年1月号掲載




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テーマ : 経済
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Author:George Clooney

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