【震災6年・未完の事業】(04) 子供の為、避難先に定住

20170308 08
宮城県富谷市の門沢睦子さん(44)は、住み慣れた土地を一家で離れて間もなく6年になる。高校3年生から小学4年生の4人の子供たちは今、仙台市や富谷市の学校に通っている。次男の将貴君(14)は来年、高校受験だ。東日本大震災の前は夫(49)と子供たちとで同県南三陸町に住んでいたが、津波で新築の自宅は全壊した。夫が経営していた機械販売会社は行き詰まり、門沢さんも学習塾のアルバイトを失った。自宅のローンを残し、育ち盛りの4人を抱えた夫妻は翌月、夫の実家がある富谷市へ避難した。移った当初、門沢さんは気疲れや津波のフラッシュバックで体調を崩し、鬱病と診断された。その後、夫妻は働き口を得て一軒家も借りたが、家計は苦しい。それでも門沢さんは、「仙台市に近く、買い物に便利で、子供の進学先の選択肢も多い。ここを離れることは考えられない」と言い切る。岩手・宮城・福島3県の沿岸部には、震災前の2010年5月、約21万人の小中学生がいたが、昨年5月には約18万人に減少した。学校の統廃合も進み、3県の小中学校はこの6年間で約70校減った。

遠隔地から子供を運ぶスクールバスを運行する自治体も多い。また、3県では1月末現在、24校がプレハブ仮設の校舎を使い、21校は他校等に教室を間借りしている。42校は、校庭等に仮設住宅が立ったままだ。岩手県大槌町出身の大下広彦さん(51)は震災後、盛岡市の自動車販売会社に転職し、妻(53)・長男(15)・長女(13)と市内の見做し仮設のアパートに移り住んだ。月に1回は残った父母の世話で町へ行くが、子供の姿を見るのは稀で、地元の中学校にも生徒は戻っていないと聞く。大下さんは一昨年秋、盛岡市で中古住宅を購入した。「大槌には仕事も無く、子供の教育も不安。故郷の復興を願っているが、家族を犠牲にはできない」と語る。避難先で定住しても、落ち着いた生活を取り戻すのに苦労する人も多い。宮城県亘理町で被災し、熊本市に住む柴田祐子さん(44)親子は2度、転居した。震災直後、原発事故で出た放射能に対する考え方の違いから夫と別れ、被災者向けに住宅支援を行っていた和歌山市へ長男(15)と移った。アルバイトで食い繋いでいたが、長男から「学校で“放射能”と呼ばれている」と明かされ、打ちのめされた。更に西へ行こうと熊本へ。幸い、長男は友だちもできて、部活動に熱中した。自身も、熊本で知り合った男性と再婚。昨年4月には熊本地震も経験したが、「熊本で子供が元気になり、夫と出会えた。運が良かったとしか思えない」とホッとした表情を見せる。福島県から自主避難した人への住宅支援は、今月一杯で打ち切られる。福島で働く夫を残し、小学生と幼稚園児の子供2人と東京都内で暮らす主婦は、「一気に生活が苦しくなる」と憤る。「未だ福島に戻ろうとは思わない。でも、物価の高い東京で子育てできるか、不安」と溜め息を吐いた。


⦿読売新聞 2017年3月5日付掲載⦿
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