【震災6年・未完の事業】(09) 点在する漁村、存続へ懸命

20170310 15
漁船が一隻も無い浜辺に、波の音だけが響く。近くの道沿いの枯れ草に埋もれた浮き具や漁網が、ここが嘗て漁港だった名残を留めている。宮城県気仙沼市の土台磯漁港は、東日本大震災の津波被害を受け、岩手・宮城両県で唯一、廃港になった。漁を止めた菅原誠一さん(63)は、「港が無くなると、土台磯の名も消えてしまいそう」と呟いた。嘗てはウニやアワビの漁が盛んで、小型船が30~40隻利用していた。その後、防波堤があって船を管理し易い隣の大沢漁港に移る漁師が増え、震災前は16隻・20人に減少した。震災の津波で船は殆ど流され、消波ブロックも損壊。新たに購入された8隻が約200m離れた大沢漁港に移って漁を再開し、2014年10月、廃港が決まった。土台磯漁港の近くにある小さな祠では震災前、漁師や住民が大晦日に訪れて海の安全や大漁を願った。菅原さんは、「祠は津波で壊れたまま。最近は訪れる人も少なく、寂しくなった」と嘆いた。三陸沿岸に甚大な被害を齎した海は、恵みの海でもある。漁師は各地に点在する港を拠点に、アワビ、ウニ、ワカメ等を取って生活し、集落を維持してきた。港の数は、宮城県が本州最多の142、岩手県は次に多い111。大半は小規模港だ。岩手県では、被災を免れた3港を除く108港の復旧が進む。

ただ、小さな集落では漁業継続への不安もある。約70世帯の大半が津波で流された釜石市の室浜地区は、国道から海に向かう道路に入り、狭い道を1.5㎞ほど進んだ場所にある。「次に災害が起きたら孤立する懸念がある」として、市は集団移転を提案したが、住民は「地元の浜で漁を続けたい」と訴えた。海抜14.5mの防潮堤を造り、土地を嵩上げして集落を再生させる道を選んだ。漁師の佐々猛夫さん(55)は、妻(55)や漁具販売会社で働く長男(31)と仮設住宅で5年ほど暮らし、半年前に室浜に戻った。再建した自宅から海が見える。しかし、避難先から戻ったのは、震災前の3分の1以下の約20世帯。若者は少ない。大半の住民は、漁師を止めて市中心部に移り住んだ。佐々さんは「やっぱり海さ近い所がいい。太陽を浴び、海に出ているのが一番の健康法だ」と話しつつ、表情を曇らせる。「でも、漁業を受け継ぐ次の代がいないと、室浜はどんどん衰退していく」。全港が被災した宮城県では当初、漁師の減少や高齢化を踏まえ、漁港を3分の1~5分の1に集約する方針だった。しかし、漁師の反発もあり、2011年10月に公表された計画では、漁港数の集約に関する記述は消えた。漁業集落が集約されたケースはある。南三陸町の志津川湾に面し、8つの港が点在する戸倉地区では、昨年4月、別々の港を利用する漁村が同じ高台に移った。津波被害を受けた14地域から64世帯が集まり、漁師たちは各港に通う。平地が少なく、移転用地を確保できなかった為だが、住民の養殖漁師・須藤大介さん(35)は、「元々、狭い地域なので、皆が顔見知り」と新しい街に馴染む。来月には自治会ができる予定だ。『戸倉地区まちづくり協議会』会長の阿部一郎さん(70)は、「漁業を守るには、漁師が暮らす集落を維持しなければならない。纏まって暮らすほうが結束力も増すので、よかった」と話す。過去、幾度も津波被害に遭い、その度に復活してきた三陸地方。小さな港と漁村が、再生の力になる。 =おわり


⦿読売新聞 2017年3月10日付掲載⦿
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