三陽商会、低迷の本質…バーバリーだけが原因ではない、裏目に出た“三陽基準”

20170314 13
「バーバリーの後に三陽さんが用意したブランドの実力には懐疑的だったので、マッキントッシュは入れなかった」――。ある百貨店の商品担当者は、主要店舗の売り場構成を考える中で、こう決断したという。実際にマッキントッシュに切り替えた百貨店のある売り場からは、「『バーバリーの7割程度は売れる』と思っていたが、想定には届かない」といった声も漏れてくる。『三陽商会』と『バーバリー』のライセンス契約が切れたのは2015年6月。それ以降、業績悪化に歯止めがかからない。昨年12月期決算は売上高が676億円で、前の期比約3割減。最終損益は113億円と最終赤字に転落した。2015年夏の時点であった、バーバリーの約350の売り場の内、約260を『マッキントッシュロンドン』(右画像)に切り替えたが、想定の売り上げを確保できていない。大手アパレル4社の内、『オンワードホールディングス』・『ワールド』・『TSIホールディングス』は2015年に社長を交代。何れも業界外部の出身者で、改革を急いできた。各社共に売り上げ減少に歯止めはかかっていないものの、今年度の第3四半期までの9ヵ月累計で営業増益は確保している。それに比べて、大手4社の一角を占める三陽商会の不振は際立つ。当然、売り上げの半分を占めていたという「ミラクルブランドのバーバリー」(三陽商会取締役兼専務執行役員事業本部長の齊藤晋氏)が無くなった影響は大きい。だが、同社の辿った歴史等から分析すると、単にバーバリーとの契約終了が齎す業績悪化と片付けられない、会社を蝕んだ本質的な課題が見えてくる。

吉原信之氏が1943年に創業した三陽商会は、戦後、進駐軍からレインコート1万着の発注を受けたことで、アパレル企業としての大きな一歩を踏み出した。進駐軍のレインコートの発注を取り持ったのは、『第一通商』(※現在の『三井物産』)の繊維部門だ。コートの開発を足がかりに、総合アパレルとして成長を遂げた三陽商会は、1950年代に百貨店への出店攻勢を強める。「百貨店はまだまだ殿様商売、一方的な買い手市場の時代である」(三陽商会社史より)中で、百貨店の中でのシェア拡大を強力に推し進めた。商品を出せば売れる時代、三陽商会は百貨店の事業拡大の波に乗った。1960~1970年代には技術部を社内に設けて、“品質向上”・“品質安定”に努める。その結果、舞い込んできたのが、バーバリーとの技術提携の話だった。提携の話を持ち込んだのは、ここでもまた三井物産だ。社史によれば、契約期間や商標の使用等、「契約条件の一つひとつが、三井物産を窓口に解決されていった」。最終的な契約段階において、三陽商会が見せたサンプルに対して、バーバリーは“非常に高い品質水準”に満足したという。三陽商会にとって、大きな自信に繋がったことは間違いないだろう。ヒット商品を連発するアイデアマンの創業者が率いる三陽商会。強力なバーバリーとのタッグ、そして巨大集客装置である百貨店との蜜月関係という磐石な成功モデルは、少なくとも1980年代までは見事に機能したのだ。だが、どんな成功モデルも時代の変化に伴い劣化する。企業は新たな収益源となる“二の矢”・“三の矢”を、必死で探す必要がある。だが、幸か不幸か、バーバリーには「未だ行ける」と思わせる日本発の異例のヒットがあった。それが、1990年代後半の『バーバリーブルーレーベル』の成功だ。団塊世代が支えたバーバリーは、1990年代に入ると発売から20年余りが経過し、若者からは“親世代のブランド”と見られるようになってきた。ブランドの“若返り”を図り、三陽が独自に開発したのがブルーレーベルだった。歌手の安室奈美恵さんが1997年の結婚記者会見で同ブランドのミニスカートをはいたことで、「火に油を注ぐような勢いで売れ出した」(現常勤監査役の新名宏行氏・社史より)。百貨店にとってもドル箱となった。「女子高校生や若者が挙って百貨店に訪れた。万引き対策が大変だったほどだ」と、大手百貨店幹部は当時を振り返る。ただ、世の中が“安室フィーバー”に沸いた頃の三陽商会の業績を具に見ると、ブルーレーベルが会社全体の売り上げを底上げするほどではなかったことがわかる。ミニスカートが話題となった1997年12月期の売上高は、前期から1億7000万円増えて1486億6800万円だったが、1998年には早くも減収に転じた。2年後の2000年12月期の決算は、26億円の最終赤字となった。この当時から、「バーバリー以外のブランドが育っていない」という本質的な問題が、会社を蝕み始めていたのだ。何故、ブランドが育たなかったのか?

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嘗て新規事業を担当していた三陽商会の元社員は、「何事も“三陽基準”でないと仕事が進まなかった」と話す。「『三陽商会が売るものは全て“百貨店クオリティー”にする』という感覚でやっていた」。品質への誇りと拘りは、メーカーとして大切なことだ。一方で、百貨店の伝統と“高級さ”を重んじる感覚が、新たな販売チャネル開拓の壁になったようだ。「新しいブランドを作っても、どうしても“百貨店色”が濃くなって、新しい売り先を作ろうにも難しかった」(前出の元社員)という。駅ビルやショッピングセンターで売るには、原価と価格を抑えられるように事業モデルの転換が必要だが、それができなかった様子が窺える。創業家が三陽商会の中で、長きに亘り幅を利かせていたことも、過去の成功体験から抜け出せなかった理由の1つだろう。創業者・吉原信之氏の娘婿である中瀬雅通氏が会長を退任する2013年3月まで、実質的に創業家の経営が続いたと言える。現在も主要ブランドの1つである『エポカ』も、吉原氏の娘・長門道子氏が1996年に立ち上げたものだ。「“三陽商会らしさ”に拘ったのは、やはり創業家一族だった。その結果、百貨店以外の販路への展開が後手に回り続けて、今に至る。創業者の吉原信之氏が持っていたカリスマ性とアイデアに頼り切って、それを超える人間が創業家から1人も出てこなかった」。三陽商会の元幹部は、こう振り返る。先に見たように、コートの販売やバーバリーとの契約まで三井物産が果たした役割は大きい。若し同社の中に“商社依存”があったとしたら、それもまた独自ブランドの育成を妨げた可能性がある。他の大手アパレルにも共通する面があるが、最後は商社に頼ればいいとなれば、人材が育ちにくいからだ。2000年には創業家の中瀬氏に代わり、三井物産出身の田中和夫氏が社長に就任する。販売が低迷する中、改革を期待されての登板だった。

田中氏は三井物産時代に、バーバリーの契約にも関わった。新たな収益源を育てようと、「TO BE CHIC(トゥー ビー シック)」「ILFARO(イルファーロ)」「COTOO(コトゥー)」などを開発したが、実りは多くなかった。トゥー ビー シックは年商40億円程度になったが、イルファーロとコトゥーは2017年8月末での撤退を決めた。三陽商会が改革に足踏みする中で、かつては一蓮托生(いちれんたくしょう)の関係にあった百貨店が激動の時代に入る。00年代後半に、大再編が起きたのだ。07年には大丸と松坂屋ホールディングスが統合しJ.フロントリテイリングが誕生。08年には三越と伊勢丹が統合して三越伊勢丹ホールディングスに生まれ変わった。統合は百貨店店舗の集約につながる。百貨店での売上高構成比が7~8割と高かった三陽商会にとって劇的な経営環境の変化だったはずだ。百貨店の再編だけではない。08年は、スウェーデン発の世界的なファストファッションの「H&M」が日本に1号店を開く一方、スタートトゥデイが運営するネット通販「ZOZOTOWN(ゾゾタウン)」が一気に知名度を増し、100億円の売上高を突破した年だ。衣料品市場が激変する09年頃には、「バーバリーとの契約終了期限が当初の予定の20年から15年になる」という噂が、関係者の間でささやかれ始めた。こうした環境変化や、契約見直しの予兆にもかかわらず、三陽商会から抜本的な対策は見えてこなかった。当時の社長はバーバリー事業部長を経て07年に就任した杉浦昌彦氏だった。売り上げが下降線をたどる中、人員削減などの手を打ったが、業績回復に至らなかった。バーバリーの契約終了が決まった後でさえ、将来の見通しに楽観的な要素が消えていなかった。当初、16年12月期の売上高を770億円と予想。その後7月には700億円と下方修正したが、実績はそれをさらに下回る676億1100万円だった。ある百貨店幹部は三陽商会をこう評する。「原価率を下げられたのがオンワード。よいもの作りを続けたのが三陽」。それが皮肉にも、百貨店の市場縮小に対する抵抗力を弱める結果となった。財務面でも厳しさが増しつつある。13年12月期の不動産売却、14年12月期のバーバリー終了前の駆け込み需要などで、274億円にまで積み上がった現金残高は、直近で184億円まで減少している。ある百貨店の三陽商会の売り場では、同社の別ブランドへの切り替えが、延期になっている。「三陽の既存店の売り上げが伸びない中、出店を抑えているのかもしれない」(同百貨店幹部)。今後、ブランド数が減り、販売量が落ちる中で、急激にコストを削ろうとして、また売り上げが減ったり、品質が落ちたりすれば、「負のスパイラルが始まり、一時のレナウンのようになる」(前出の大手百貨店幹部)。三陽商会は、すでにマッキントッシュ ロンドンの店舗閉鎖も視野に入れている。約260店舗のうち夏以降、複数店舗の閉鎖を検討していると同社幹部は明かす。中期経営計画を公表した、17年2月14日の記者会見で、三陽商会は、投資ファンドなど外部資本の受け入れについては「現状の投資計画は保有資産で賄えるため、(資本受け入れなどは)考えていない」(松浦薫代表取締役)としている。

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ただ、資金難に陥ったアパレル企業が支援を受けるケースは増えており、今後も本業の止血に失敗すれば、支援受け入れも現実味を帯びるだろう。中期経営計画では、商業施設等新たな販路の拡大や、EC(電子商取引)専用ブランドの立ち上げ、M&A強化等を挙げた。今年1月に就任したばかりの岩田功社長(右画像)は、商業施設への出店について「過去何度か挑戦をして、ノウハウを得て、失敗の経験もある。新しい商業施設にフィットしたものを展開していける筈だ」と話した。更に、「MD(商品政策)の改革も進めて、収益性を考えた新しい切り口のブランド開発もしていく」とも強調した。サプライチェーンを見直し、商品原価を低減できるかが問われるだろう。EC専用ブランドは、価格を現状の2~3割程度抑えたものを検討する方針だ。M&Aについても、対象企業を検討しているという。「ECの事業者・プラットフォーマー・20~30代の顧客層を抱えているところ、アパレル以外の雑貨等、幅広く考えている」と話した。コンサルティング会社『ローランドベルガー』プリンシパルの福田稔氏は、「現実的な数字でコスト削減を進めていることは見えた」と評価する一方、「2018年に黒字化するとした見通しの根拠は不十分だった。具体的なブランド名や施策が見えず、どこに向かうのかがわからない」と指摘する。中計には、「近い将来に売上高を現状より100億円以上多い800億円に伸ばす」と記された。岩田社長は「800億円の内、百貨店が半分を切ることはない」と話しており、百貨店には引き続き期待せざるを得ない。今でも、百貨店幹部は口を揃えて、三陽商会のものづくりの姿勢を評価する。そうであれば、中計で敢えて“総合ファッションカンパニー”と銘打って、増収目標を公表する必要はなかったかもしれない。“ほんとうにいいものをつくろう。”という標語を消費者目線でビジネスに生かせれば、再起のチャンスはある筈だ。 (取材・文/本誌 染原睦美・杉原淳一)


キャプチャ  2017年3月13日号掲載




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