黎明期のインターネット上を騒がせた数々のタブーは存在するのか? 都市伝説『裏S区』、祟られた地の真相
インターネットを中心に、日夜生み出される状態が続く恐怖伝説・怪談の類。中でも知名度で群を抜くのが『裏S区』で、恰も実在する地に纏わる現実にありそうな話というのが、人気の理由だろう。今回、この伝説の地を特定し、実際に訪れた筆者が、物語の真相に迫った。 (取材・文・写真/吉田悠軌 -とうもろこしの会-)

九州のとある地域。投稿者である“俺”は、裏S区出身の級友・Aから、笑いながら殴られるという不可解な苛めを受けていた。だが突然、Aは学校に来なくなる。理由は「“俺”が怖いから」。釈然とせず登校拒否になった“俺”は、ある日、投身自殺に出くわしてしまう。それを境に降りかかる奇怪な現象。更に、Aの親族たちと関わるうちに、彼らの不気味な“笑い”を幾度も目撃することになる。裏S区の住民たちは何かがおかしい。悪霊と対する時も、その為に身内が死んだとしても、只管に大声で不気味に笑い続けるのだ。果たして、本当に恐ろしいのは悪霊なのか、それとも裏S区の人々なのか――。インターネット黎明期に流行った『杉沢村伝説』は、曖昧な目撃情報や突撃した人の証言等、細切れの情報が集合して作られた都市伝説だった。更に、パソコンが普及し、インターネット利用者が増えていくに連れ、インターネット怪談も多様化していく。現在でも強い影響力を持つ『2ちゃんねる』のオカルト板『死ぬ程酒落にならない話を集めてみない?』(通称“洒落コワ”)スレッドが始まったのは、2000年夏のこと。洒落コワの功績は、長尺に亘るストーリー性の強い怪談を受け入れ易くした点だろう。その結果、完成された1本の物語としての怪談、言ってみればホラー小説に近いようなインターネット怪談が多くなっていった。酒落コワにおいてストーリーもの怪談の火を付けたのは、共に2005年発表の『トリバコ』『リョウメンスクナ』だろう。“秘められた村の因習”“古くから伝わる呪い”といった伝奇ロマン要素が、怪談好きから圧倒的な支持を得た。これは現在でも、多くのインターネット怪談に引き継がれたモチーフである。勿論、多くのインターネット怪談は、舞台となる土地を隠して語られている。それらが実話なのか創作なのかは一先ず保留するとしても、“呪われた因習が伝わるところ”“未だに化け物が封印された土地”等のイメージを流布されるのは、地元にとってはいい迷惑だし、そこは投稿者たちもキチンと心得ている筈だ。しかし、これらストーリーもののインターネット怪談の中で、ほぼ唯一、地域を特定できる怪談がある。それが、2007年に発表された『裏S区』『続・裏S区』だ。この物語もまた、典型的な“閉鎖的な地域に伝わるタブー話”ではある。だが、“笑い続ける一族”という個性的な道具立てや、明らかに実在の地域が舞台になっているリアリティー等、突出するクオリティーがあった。恐ろしい化け物が出てくるのではなく、裏S区の人間たちの狂気性や不穏さに焦点が当たっているのも斬新だ。そんな裏S区の舞台を確定していこう。

九州にて“区”が付く政令指定都市は、福岡市・北九州市・熊本市のみ。更に、“S”というイニシャルが付くのは福岡市早良区のみ。しかし、“裏早良”といった呼称は無い。文中で、“裏S区”を現在では“新S区”と呼ぶみたいな記述があるが、裏から新への地名変更といえば、“裏門司”が“新門司”に変わったことが先ず思いつく。また、S区は「目の前の海を正面と捉えて」いるそうなので、そこから山を越えた裏門司が裏S区となれば合点がいく。門司区ではイニシャルがSとならないものの、この辺りには猿喰という古くからの土地があるので、Sのイニシャルは、この猿喰から取ったのではないか? そこまで推定したところで、実際に猿喰地区を訪れてみた。門司港や門司駅からだいぶ内陸に寄っているものの、現在は高速道路が繋がっている為、車なら寧ろ門司港側よりもスムーズにアクセスすることができる。新門司インターチェンジで降り、猿喰に向かって車を走らせる。地区内をぐるりと廻ってみたところ、確かに作中の描写に沿うように、高校やバス停等が点在しているのが確認できた。アニメの聖地巡礼にも似た気分で車を走らせていると、今度は大きな病院が見えてくる。更に近付いて確かめてみると…。「これ、続・裏S区で言及されていた病院だ!」。思わず、そう叫んでしまった。総合病院の精神科ではなく「独立した精神病院がある」というのは、かなり決定的な証拠である。もう1つの候補である早良区では、精神病院は博多寄りの都市部にあるのみで、それでは作中の描写と当て嵌まらないからだ。ここまで状況証拠が揃ったなら、この猿喰地区が『裏S区』のモデルになっていると断言してもいいだろう。ただ、言うまでもないが、猿喰全体はかなり近代的な郊外地区である。コンビニは勿論、先述した病院・学校・斎場等の大型施設も揃っているし、閉鎖性や因習の匂い等欠片も感じられない。また、裏S区にあるという“Aの親族が住む集落”に至っては、それらしき場所すら見当たらなかったとも言い添えておく。文中では、街灯すら殆ど無い異様な集落として描かれているが、抑々、そんな立地など見当たらない。更に、精神病院の傍と言及されているのに、病院自体は大通り近くの開けた場所にある為、ロケーションとして齟齬が生じている。つまり、『裏S区』は舞台として猿喰をモデルにしているものの、物語そのものは創作だと結論せざるを得ない(勿論、インターネット怪談の真偽を詮索するなど野暮な話ではあるのだが)。投稿者は、この付近をよく知る人間、或いは地元民なのではないだろうか。

とはいえ、この町に纏わる怪談として興味深い場所も発見できた。嘗て猿喰城なる山城があった峠である。南北朝時代、この地を治めていた門司氏は南朝・北朝に分かれ、同族内で対立してしまった。骨肉の争いと裏切りの果てに、門司親頼と73名の配下は、猿喰城を枕に討ち死にしたのである。今や山城は跡形も無いが、猿喰城跡登山口の近くには“七ツ石”という崖沿いに並んだ7つの墓石が残されている。ここは猿喰城陥落の際、最後まで抵抗した7人の武士が力尽きた場所なのだそうだ。身内に裏切られ、恨みを抱いて死んでいった彼らの怨霊を慰める為に建てた石塚とも言われる。この七ツ石と猿喰城跡の間は急カーブの道路が走っており、昔から死亡事故が多発する地点なのだそうだ。何とも『八つ墓村』のような崇りを思わせるシチュエーションではないか。これは憶測に過ぎないが、『裏S区』投稿者は呪われた七ツ石に着想を得て、この町を舞台にした怪談を執筆したのではないだろうか。或いは、こうも考えられる。「7人の武士の怨霊が投稿者の無意識に語りかけ、この地を呪うような物語、評判を悪くするような創作怪談を書かせたのでは?」とも…。「2ちゃんねるを利用するなんて、やけに現代的な怨霊だな」と考えれば笑い話にもなるが、場所の記憶というものはバカにできない。たとえ無自覚にせよ、土地に纏わる怨念の歴史を感じ取り、それを現代風のパッケージに変えて提出したという可能性は充分にあると思う。創作である『裏S区』が妙に迫真のリアリティーを持っているのは、そんなところに理由があるのかもしれない。
第2号掲載

九州のとある地域。投稿者である“俺”は、裏S区出身の級友・Aから、笑いながら殴られるという不可解な苛めを受けていた。だが突然、Aは学校に来なくなる。理由は「“俺”が怖いから」。釈然とせず登校拒否になった“俺”は、ある日、投身自殺に出くわしてしまう。それを境に降りかかる奇怪な現象。更に、Aの親族たちと関わるうちに、彼らの不気味な“笑い”を幾度も目撃することになる。裏S区の住民たちは何かがおかしい。悪霊と対する時も、その為に身内が死んだとしても、只管に大声で不気味に笑い続けるのだ。果たして、本当に恐ろしいのは悪霊なのか、それとも裏S区の人々なのか――。インターネット黎明期に流行った『杉沢村伝説』は、曖昧な目撃情報や突撃した人の証言等、細切れの情報が集合して作られた都市伝説だった。更に、パソコンが普及し、インターネット利用者が増えていくに連れ、インターネット怪談も多様化していく。現在でも強い影響力を持つ『2ちゃんねる』のオカルト板『死ぬ程酒落にならない話を集めてみない?』(通称“洒落コワ”)スレッドが始まったのは、2000年夏のこと。洒落コワの功績は、長尺に亘るストーリー性の強い怪談を受け入れ易くした点だろう。その結果、完成された1本の物語としての怪談、言ってみればホラー小説に近いようなインターネット怪談が多くなっていった。酒落コワにおいてストーリーもの怪談の火を付けたのは、共に2005年発表の『トリバコ』『リョウメンスクナ』だろう。“秘められた村の因習”“古くから伝わる呪い”といった伝奇ロマン要素が、怪談好きから圧倒的な支持を得た。これは現在でも、多くのインターネット怪談に引き継がれたモチーフである。勿論、多くのインターネット怪談は、舞台となる土地を隠して語られている。それらが実話なのか創作なのかは一先ず保留するとしても、“呪われた因習が伝わるところ”“未だに化け物が封印された土地”等のイメージを流布されるのは、地元にとってはいい迷惑だし、そこは投稿者たちもキチンと心得ている筈だ。しかし、これらストーリーもののインターネット怪談の中で、ほぼ唯一、地域を特定できる怪談がある。それが、2007年に発表された『裏S区』『続・裏S区』だ。この物語もまた、典型的な“閉鎖的な地域に伝わるタブー話”ではある。だが、“笑い続ける一族”という個性的な道具立てや、明らかに実在の地域が舞台になっているリアリティー等、突出するクオリティーがあった。恐ろしい化け物が出てくるのではなく、裏S区の人間たちの狂気性や不穏さに焦点が当たっているのも斬新だ。そんな裏S区の舞台を確定していこう。

九州にて“区”が付く政令指定都市は、福岡市・北九州市・熊本市のみ。更に、“S”というイニシャルが付くのは福岡市早良区のみ。しかし、“裏早良”といった呼称は無い。文中で、“裏S区”を現在では“新S区”と呼ぶみたいな記述があるが、裏から新への地名変更といえば、“裏門司”が“新門司”に変わったことが先ず思いつく。また、S区は「目の前の海を正面と捉えて」いるそうなので、そこから山を越えた裏門司が裏S区となれば合点がいく。門司区ではイニシャルがSとならないものの、この辺りには猿喰という古くからの土地があるので、Sのイニシャルは、この猿喰から取ったのではないか? そこまで推定したところで、実際に猿喰地区を訪れてみた。門司港や門司駅からだいぶ内陸に寄っているものの、現在は高速道路が繋がっている為、車なら寧ろ門司港側よりもスムーズにアクセスすることができる。新門司インターチェンジで降り、猿喰に向かって車を走らせる。地区内をぐるりと廻ってみたところ、確かに作中の描写に沿うように、高校やバス停等が点在しているのが確認できた。アニメの聖地巡礼にも似た気分で車を走らせていると、今度は大きな病院が見えてくる。更に近付いて確かめてみると…。「これ、続・裏S区で言及されていた病院だ!」。思わず、そう叫んでしまった。総合病院の精神科ではなく「独立した精神病院がある」というのは、かなり決定的な証拠である。もう1つの候補である早良区では、精神病院は博多寄りの都市部にあるのみで、それでは作中の描写と当て嵌まらないからだ。ここまで状況証拠が揃ったなら、この猿喰地区が『裏S区』のモデルになっていると断言してもいいだろう。ただ、言うまでもないが、猿喰全体はかなり近代的な郊外地区である。コンビニは勿論、先述した病院・学校・斎場等の大型施設も揃っているし、閉鎖性や因習の匂い等欠片も感じられない。また、裏S区にあるという“Aの親族が住む集落”に至っては、それらしき場所すら見当たらなかったとも言い添えておく。文中では、街灯すら殆ど無い異様な集落として描かれているが、抑々、そんな立地など見当たらない。更に、精神病院の傍と言及されているのに、病院自体は大通り近くの開けた場所にある為、ロケーションとして齟齬が生じている。つまり、『裏S区』は舞台として猿喰をモデルにしているものの、物語そのものは創作だと結論せざるを得ない(勿論、インターネット怪談の真偽を詮索するなど野暮な話ではあるのだが)。投稿者は、この付近をよく知る人間、或いは地元民なのではないだろうか。

とはいえ、この町に纏わる怪談として興味深い場所も発見できた。嘗て猿喰城なる山城があった峠である。南北朝時代、この地を治めていた門司氏は南朝・北朝に分かれ、同族内で対立してしまった。骨肉の争いと裏切りの果てに、門司親頼と73名の配下は、猿喰城を枕に討ち死にしたのである。今や山城は跡形も無いが、猿喰城跡登山口の近くには“七ツ石”という崖沿いに並んだ7つの墓石が残されている。ここは猿喰城陥落の際、最後まで抵抗した7人の武士が力尽きた場所なのだそうだ。身内に裏切られ、恨みを抱いて死んでいった彼らの怨霊を慰める為に建てた石塚とも言われる。この七ツ石と猿喰城跡の間は急カーブの道路が走っており、昔から死亡事故が多発する地点なのだそうだ。何とも『八つ墓村』のような崇りを思わせるシチュエーションではないか。これは憶測に過ぎないが、『裏S区』投稿者は呪われた七ツ石に着想を得て、この町を舞台にした怪談を執筆したのではないだろうか。或いは、こうも考えられる。「7人の武士の怨霊が投稿者の無意識に語りかけ、この地を呪うような物語、評判を悪くするような創作怪談を書かせたのでは?」とも…。「2ちゃんねるを利用するなんて、やけに現代的な怨霊だな」と考えれば笑い話にもなるが、場所の記憶というものはバカにできない。たとえ無自覚にせよ、土地に纏わる怨念の歴史を感じ取り、それを現代風のパッケージに変えて提出したという可能性は充分にあると思う。創作である『裏S区』が妙に迫真のリアリティーを持っているのは、そんなところに理由があるのかもしれない。

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