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【WORLD VIEW】(08) 沖縄の“核密約”はアメリカ軍対策だった

アメリカ統治下にあった沖縄が日本に復帰して、今月15日で50年が経った。その日を前に、アメリカ側で返還交渉に携わったモートン・ハルペリン氏(83)の自宅を訪ねた。首都ワシントンの北西にある閑静な住宅街。風通しの良い裏庭の椅子に腰掛けたハルペリン氏は、「沖縄返還に携わった原点から訊ねたい」という私の言葉に、「かなり長い話になるな」と苦笑いしながら座り直した。ここで簡単に沖縄返還交渉を振り返りたい。日米両政府の交渉のテーブルに載ったのは、佐藤栄作首相が1965年1月にリンドン・ジョンソン大統領との会談で提起してからだ。首相は国会で、核兵器について“持たず・つくらず・持ち込ませず”という非核三原則を表明。沖縄に憲法や日米安全保障条約がそのまま適用される“核抜き・本土並み”での返還をアメリカに求めた。山場は、1969年11月の首相とリチャード・ニクソン大統領の会談だった。両首脳はここで“1972年・核抜き・本土並み”の返還で合意した。その一方で、アメリカは核兵器を撤去するが、緊急時には再び持ち込むことを日本政府は認めるという極秘の合意議事録に署名していた。政府は合意議事録の存在を認めなかったが、首相の密使として議事録作成を主導した国際政治学者の若泉敬氏が、1994年の著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』で内容を暴露。2009年には佐藤首相の遺族が議事録原本の存在を明らかにした。返還交渉には繊維問題等も複雑に絡むのだが、ここでは置いておく。ハルペリン氏は、1967年に29歳の若さで国防次官補代理に就き、当時、国務省日本部長だったスナイダー氏と返還交渉を担当した。ニクソン政権では、ヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官に請われて国家安全保障会議(※NSC)メンバーとなり、返還交渉の方針作り等に携わった。そんなキーマンは、東京五輪を控えた1963年の東京訪問が原点だと語った。著書『中国と爆弾』(※1965年出版)の調査の為に東京を訪れ、中国が核戦力を開発した場合の影響を日本の学者や政府高官に聞いた。ところが、「皆、『日米安全保障条約が維持されている限り深刻な問題にはならない』と言う。寧ろ、『沖縄の問題があり、条約を維持できるかどうかが心配だ』と語っていた」という。「その時、初めて沖縄に注目した」。安保条約は、発効10年の1970年6月から、どちらかが事前通告をすればその1年後に失効する仕組みだった。沖縄問題で日米関係が揺らげば、条約の延長がままならなくなるという懸念だった。1966年に国防総省で勤務し始めたハルペリン氏は、国防長官室を代表して沖縄問題を巡る省庁横断の会議に参加することになり、「条約は(沖縄のアメリカ軍)基地よりも重要だ。1970年までに同盟関係を強化する方法で沖縄問題を解決する必要がある」と訴えた。

アメリカ軍は“ブルースカイ政策”を主張していた。「空に雲が一つもない、つまり安全保障上の懸念が一つもない状況になれば返還するという。要は返還は実現しないという意味だった」。アメリカ軍には、「自分たちが沖縄を征服したのだから、保持する権利がある」という考えが根強かったという。それでもハルペリン氏らは、「アメリカ軍の基地使用権を日本が認めれば、沖縄を返還してもアメリカの安保上の利益は満たすことができる」という結論を出した。アメリカ軍は①日本政府の許可なしに(ベトナム等での)戦闘行為に向かう権利②沖縄に核兵器を貯蔵する権利――の確保を書き込むよう提案したが、ハルペリン氏が押し返し、「これらを脚注にとどめることができた」という。私は2010年と2011年、外務省が公開した沖縄返還交渉に関する膨大な外交文書に目を通し、交渉の実態に迫ろうと試みた。常に引っかかったのは、核再持ち込みを巡る合意議事録を作成する必要性があったのかという点だ。ハルペリン氏は、「アメリカは沖縄に核を必要としていないというのが私の確たる見解だった」と言い切った。上司だったロバート・マクナマラ国防長官も、「沖縄に核を持つ運用上の必要性はない」というメモを大統領に渡していたのだという。「沖縄に核を配備したドワイト・デヴィッド・アイゼンハワー政権時代は、沖縄が中国やロシアから攻撃されれば核兵器を使って守るという政策だった。ケネディやジョンソン政権は全く異なった。核兵器は“最後の手段”で、安全保障に大きな脅威がある場合にだけ使う。そのような状況で使うなら、沖縄には持ち込まない。爆撃機や潜水艦等から発射するからだ」。極秘の合意議事録は主にアメリカ軍対策だったという。NSCでの議論では、制服組トップの統合参謀本部議長が沖縄からの核兵器の撤去に反対していた。“核抜き”を実現する為には、抵抗するアメリカ軍や軍の意向を懸念するニクソン大統領から核撤去への同意を得る必要があった。その為には“緊急時には再び持ち込むことができる”という合意が不可欠だったという。ただ、「沖縄で核兵器を使うという戦争計画はなかった。どの大統領も核を沖縄に戻すように日本に求めることはないと確信していた」と付け加えた。ハルペリン氏との会話は、返還から50年を経た現在の沖縄が交渉当事者にどう映っているのかにも及んだ。返還交渉に密使として携わった若泉氏は、返還後の日本や沖縄の姿に良心の呵責に苛まれ、「歴史に対する結果責任を取る」(※1994年に沖縄県民らにあてた嘆願状)として1996年に自死している。「現在の沖縄は、当時想像していた姿と重なりますか?」と尋ねた。淀みなく語っていたハルペリン氏の口は重くなった。「返還されれば、日本政府が他の地域でしたように、人口密集地にある基地の閉鎖をアメリカ政府に求め、殆どの基地がなくなると想像していたのだが」。ハルペリン氏が大きく息を吐いたところで、インタビューは終わった。 (北米総局長 西田進一郎)


キャプチャ  2022年5月22日付掲載
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テーマ : 沖縄米軍基地問題
ジャンル : 政治・経済

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