一記者が見た『朝日新聞社』の歪んだ報道倫理――社内の空気を忖度して記事を捏造、“ジャーナリスト”と“ブンヤ”の違いは何か

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「アメリカ人が就きたくない職業の筆頭は新聞記者」――。経済誌『フォーブス』日本版の無料配信記事に、そうあった。アメリカの求人情報サイト『キャリアキャスト』の今年の調査結果だという。去年も記者が最低だった。展望が無いというのだ。調査方法がもっとわかると良かったが、独り作業的職業が多いのは興味深い。実際、記者稼業は、不人気度9位のタクシー運転手に似ている。客がいないか、鵜の目鷹の目で視線を歩道に走らす運転手のように、記者もネタを探して歩く。遠く離れた行き先を言う上客が稀なように、上ネタも減多に無い。ただ、そんな運転手記者の目にも映る会社の風情というのもある。山本七平氏に肖れば、以下は“私の中の朝日新聞”・“一記者の見た朝日新聞社”・“ある異常体験者の偏見”となろうか。割り引いてお読み頂きたい。月刊誌『WiLL』2016年9月号に、『週刊朝日』元編集長の川村二郎さんが、こんな朝日体験を書かれていた(メディア時評『朝日新聞は“君が代”に謝罪しろ』)。国旗国歌法ができる1999年のことだという。その頃、朝日新聞には日の丸と君が代に反対する有名人の意見が来る日も来る日も載り、川村さんは社外の知人から「紙面の作り方がどうかしていませんか?」と言われて、「グーの音も出ない」でいた。そんなある日、「海外の大会で、君が代が始まると、席を立つ観客が多い」というY編集委員の署名記事が載った。その記事なら私も覚えている。川村さんは、「あれって本当かよ?」とY編集委員に聞いた。海外でのスポーツ大会はテレビでよく見るのに、そんなシーンは見たことがなかったからだ。

時評は、こう続く。「すると、こういう答えが返ってきた。『ウソですよ。だけど、今の社内の空気を考えたら、ああいうふうに書いておく方がいいんですよ』。あまりのことに、言葉を失った」。編集委員は朝日の顔である。「ショックだった」と川村さんは記す。Y編集委員の話に比べると救われるが、私にもこんなことがあった。リクルート事件を追っていた1988年、朝日が「大蔵省の宮沢喜一大臣にも未公開株が渡っていた」と特報した。当時、私は週刊朝日編集部にいた(※川村さんは副編集長の1人)。同僚が蔵相の緊急会見を取材し、誌面にねじ込んだ。私は「それにしてもよく数えたな」と、同僚である後輩を労った。会見で何を訊かれても、宮沢氏は「ノーコメント」で通し、「その数、13度に及んだ」と記事にあったからだ。彼は頭を掻いて照れた。「嘘に決まってんじゃないっすか。死刑台の段数ですよ」「えっ、13回は嘘? 実際は?」「7~8回ですかねぇ」。鳥肌が立ちそうだった。その宮沢氏が首相となり、1992年1月に訪韓して盧泰愚大統領との首脳会談に臨んだ。その直前、朝日は1面トップで、「慰安施設に軍が関与していたことを示す資料が見つかった」と伝えた。議題には無かった慰安婦問題が急浮上し、韓国大統領府の発表によれば、首相は大統領に“反省”と“謝罪”を8回繰り返した。「謝罪の回数を公表するとは心ないことを…」と思ったが、ひょっとすると、大統領府は日本で話題を呼んだ週刊朝日製の“13回のノーコメント”を参考にしたのかもしれない。何れにしても、“13回”では宮沢氏に申し訳ないことをした。尤も、人のことなど言えた義理でない。嘘は書かなかったが、“世間や社内の空気”を忖度し、追おうともしなかった事柄が一方ならずある。1990年代半ば、『朝鮮総連』元活動家の知人が友人に会わせてくれようとした件もそうだった。その頃、日朝間で何か問題があると、朝鮮学校に通う女生徒の制服であるチマチョゴリがナイフで切られる事件が続いていた。ある時、知人が吹っ切れたように話し始めた。「あんなことはもう止めないといけませんよ。自分の娘を使っての自作自演なんです。娘の親は、総連で私の隣にいた男です。北で何かあると、その男の娘らの服が切られる。朝日にしか載らないが、書いている記者も私は知っている。夕べ、友人に電話しました。『娘さんが可哀想だ』と。彼は『止める』と約束しました。会いますか?」。私は、「いや、結構です」と即答した。掲載を巡って衝突すれば、社を辞めることになるのも見えている。動悸は続いたが、悲し過ぎる素材で、書かないことに対する自分の中での抵抗は幸い薄かった。それから二十余年。その間、日朝の間には拉致という途方もない事件が明るみに出たが、「朝鮮学校女生徒の制服が切られる」という記事は見ずに済んでいる。

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1970年代の後半、月刊誌『文藝春秋』等で東京都立大学(現在の首都大学東京)の関嘉彦名誉教授と激しい防衛論争を闘わせ話題を呼んだロンドン大学の森嶋通夫教授には、氏の本音の防衛観を訊いてみるべきだった。国際状況の変化を説いて、防衛力の増強を唱道する関氏に対し、森嶋氏は「ソビエト連邦が攻めてきたら白旗と赤旗を掲げて降伏したらいい」と、平和の絶対と非武装を頑として譲らなかった。森嶋氏の割切りと舌鋒で論争は盛り上がり、1979年の文藝春秋読者賞に選ばれた。その森嶋氏が一時帰国の合間に来社し、講演した。1990年前後だったと思う。森嶋氏はアメリカの好戦性を力説した。必ず中国を侵略するという。「その時は我々も銃を執り、中国人民と共に闘うのです!」。それは絶叫とも言える咆哮だった。200人を超す社員が聴いていたが、私だけでなく、誰からも質問は出なかった。「関・森嶋論争に固唾を飲んだ読書人の為にも、森嶋氏に週刊朝日や月刊Asahiへの寄稿を願い出るべきだった」と、今も悔やんでいる。初任地の富山で、3年生記者の先輩と、五箇山に路線バスの開通を取材に行った話は、拙著『ブンヤ暮らし三十六年 回想の朝日新聞』(草思社)に書いた。この先輩との出会いが、“新聞”というものを考えるきっかけになった。今や世界遺産の秘境・五箇山だが、バス路線の誕生は、私が富山に赴いた1971年春だった。簡易舗装を終えた山道を縫い、辿り着いた平村(※現在は南砺市の一部)の村舎前広場には、1号バスがいつ姿を現わすかと待つ老若男女の村人で沸き立っていた。が、先輩記者は広場で、その名を聞き出した元高校教師の家に直ぐ向かった。元教師は幸い在宅で、先輩は元教師に、「山道の舗装やバスの開通が、何百年と続いた集落の崩壊を齎さないか?」と尋ねた。元教師は、「全く同じことを考えていた」と言い、自らの懸念を語った。

翌朝、富山版に載った先輩の記事は異彩を放ち、他紙の記者を悔しがらせた。「低開発国援助が住民の自立を妨げている」とは、時に指摘されることで、先輩の記事は一理あった。ただ私には、あんなに喜んでいた村人の姿が記事には薄いことに違和感があった。文化大革命で沸き立つ中国で、“声無き声”を拾うのとは違う気がした。その先輩が数年後退社した。拙著では、組合を巡るごたごたが原因のように書いた。拙著を読んだ先輩から私信があった。「退社は別の理由」と記され、医学雑誌でその理由を述べた一文が付されていた(※彼は医者になった)。そこには、「在社中(朝日新聞綱領の“不偏不党”・“公正中正”に制約され)、常に物事のアウトサイダーでいなければならなかった」ことの苦悩が綴られ、「生涯を捧げるに値しない」との結論に至った旨が記されていた。彼の退社理由を初めて知り、私は四十数年前に読んだ『新聞亡国論』(自由選書)の中の一章を突然、思い出した。週刊朝日を100万部雑誌にした扇谷正造さんが、ある新聞社の北陸地方の支局で起きた出来事を記す中で、「若い記者たちが物事の第三者でいることに疑問を持ち始めている、それには理もある」といったことを確かお書きだった。探すと、『新聞記事以前の問題』という題で載っていた。北陸での出来事は、こんな話である。ある新聞社の北陸の支局で、1年生記者が「明日、代休を取りたい」と支局長に言い、認められた。その翌日、「大学構内でゲバ合戦が起きている」との通報に、支局員が駆けつけると、何と、覆面学生の先頭にいるのが代休で休んだ1年生記者だった。支局員たちは合間を見て後輩を隊列から引き出し、支局に連れ帰った。支局長が「綱領違反だ」と叱ると、新人は答えた。「あぁ、あんなのナンセンス」――。「若しや、この新人が先輩の彼ではないか?」と思ったのである。思い切って電話した。「えぇ、僕です。扇谷さんの文章には誇張があるけどね」。支局では誰一人、一度としてこの件を話さなかった為、私は扇谷さんの書く“北陸地方の支局”が今、自分のいる所であることも、“1年生記者”が断然優秀な先輩の彼であることも、全く知らずにいた。今思えば、朝日は、この先輩記者のような、つまり「理想社会を作る為に私は書く」といった感じの同僚が多数派だったように感じる。敬愛する先輩の1人である長谷川熙さんは、著書『崩壊 朝日新聞』(ワック)の中で、「大義優先のそうした考えはマルクス主義に由来する」と書いている。私の見方は違う。要は富山の先輩同様、「社の綱領はあっても、アウトサイダーでいたくない」ということなのだと思う。

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以前、船橋市西図書館の司書が、利用者の要望で買った百余冊の本を廃棄していたことがあった。西部邁・西尾幹二・渡部昇一といった、所謂右派の方々の本が棚から抜かれ、処分されていた。産経新聞の大きな記事で知ったのだが、読売・毎日等の各紙が追いかける中、朝日も小さな記事を千葉版に載せた。気乗りしなかったのだろう、嫌々書いた感じの記事だった。櫻井よしこさんや上坂冬子さんの講演会が市民グループの反対で流れるというニュースも、読売や産経で知ることが多い。慌てて朝日をひっくり返すと、形ばかりの記事が見つかる。全国版には載っていないこともある。上野千鶴子さんら所謂左派系の人々の講演会やサイン会に鎗が入った時の、言論の自由を掲げた怒りの紙面とは全く違う。ただ、こうした紙面が読者には支持されてきた。文化勲章を受章した作家の丸谷才一さん、経済学者で京都大学名誉教授の伊東光晴さんは、共に近しくさせて頂いた方々だが、朝日を論じた鼎談で丸谷さんが「自民党内閣のいろんな偏向、危険、それを何とか抑えながら今日の無事な日本を作ったのは朝日新聞の抑止力だったのではないか」と言えば、伊東さんも「その点は賛成ですね」とお受けになっている(『丸谷才一と16人の東京ジャーナリズム大批判』青土社)。畢竟、週刊朝日で石堂淑朗さんの連載が始まれば、「石堂に書かせるのなら購読を止める」との葉書が社長室経由で届き、『月刊Asahi』の作家解読鼎談で山本七平さんや曽野綾子さんが取り上げられれば、「朝日らしくない」と抗議が何通も来た。社の綱領に背くことが無ければ編集長が自由に作れる週刊朝日等と違い、新聞は朝日の大義といったものに信倚するコアな読者によって支えられ、作られている面がある。

2014年8月、朝日は吉田清治氏に関連する慰安婦報道を取り消した。裏付けられなかったからだ。ただ、定年退職して7年になる私の元にも、「取り消しは不要。右翼に屈するな」という“激励”の電話が2本あった。高校の古い同窓会名簿に、私の勤務先として朝日新聞の名が出ており、それを見ての電話だったが、大企業の元幹部氏2人は「朝日が頼り」と言い、「取り消しは安倍政権からの圧力」と思い込んでいる様子だった。書き難いが、「櫻井よしこや西部邁には表現の自由など与えたくない」というのが、コアな朝日読者の空気と思える。都内の私大で“取材学”という授業を持っている。毎朝、新聞を手に取るという学生が、5~6年前は数人いた。ここ2年はいない。『NHK放送文化研究所』が2016年2月に公表した『2015年 国民生活時間調査』によると、10代の平日の新聞閲読時間は平均1分(20代・30代は3分)だ。私の学生が特に新聞を読まないという訳ではない。構内の大学博物館に取材に出たりもするが、授業では折々のニュースを素材に、ほぼ毎週、自分が記者ならどう取材するか書かせる。畳の上の水練だ。マスコミ志望者はゼロで、迷惑だろうが、彼らの取材構想案は面白く、勉強になる。2014年6月の東京都議会で、女性議員が妊娠や出産に悩む女性に対する支援策を都に質している時、「早く結婚しろ」等のヤジが飛び、海外でも話題になった件等は、2週連続で構想案を出し合った。8割がたの構想は、新聞がその後作る記事や社説を先取りする形のものだったが、取材先の人に田中眞紀子議員の名を書いてきた学生がいた。理由を訊くと、「安倍さんが『子供を育て易い社会を作る』と言った時、田中議員が『種無しカボチャが何を言うやら…』と述べたという記事を週刊誌で読んだ記憶がある。本当にそう言ったのなら、今、その発言をどう考えるか。また、都議会のヤジについてどう思うかを聞く」と答えた。「YouTubeでヤジが飛ぶシーンを見た」と話す女学生の意見もユニークだった。「酷いヤジだと思いますが、質問は女性都議が自分で用意したのでしょうか? 構読みで、気持ちが伝わってこなかった。議員の質問がもっと真剣なものだったら、ヤジも飛ばし難かったと思う」というのだ。「なるほど」と感心した。今年の授業でも、ドナルド・トランプやヒラリー・クリントンといったアメリカ大統領候補に日本の学生記者として質問したり、東京都の舛添要一知事(当時)に進退を間うたりしたが、取材方法も質問の筋も悪くなかった。

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へイトスピーチ対策法ができた時の授業では、「在日韓国・朝鮮人は死ね!」「日本から出ていけ!」とかいった暴言を認める意見は無かったが、大半の学生が「何故、そうした発言をするのか知りたい」と述べていた。所謂ヘイトスピーチを繰り返すデモ隊とアンチデモ隊の双方の参加者に、其々考えを語ってもらい、記事にするということも書いていた。誰でも考えつく取材案だが、どの新聞も未だ試みていないのも事実だ。「朝日新聞綱領が定める“不偏不党”・“公正中正”に縛られて、本当に書きたいことが書けない」と、先輩は社を去った。その綱領を改めて読み、肩透かしを食った。「真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す」(第3項)とはあっても、綱領に“事実”という語は一切無かったからだ。“事実とは何か”といった書物で説かれることは、「“事実”をいくら重ねても“真実”は見えない」ということに尽きる。「真実や“本質”は“事実”を超えたところにある」という。日本には、「社会や歴史の“真実”を読者に伝えよう」とする所謂ジャーナリストと、「“事実”をできるだけ正確に伝えたい」と願っているブンヤと、2種類の記者がいる。思うに、辞めた先輩もその1人だが、朝日には前者型が多い。朝日新聞綱領が“事実”の語を避け、“真実”という語を使っていることには、恐らく深い意味がある。私は遺憾ながら、それを解く事実を持ち合わせていない。


永栄潔(ながえ・きよし) 朝日新聞元記者。1947年、千葉県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、『朝日新聞社』に入社。経済部を経て、『週刊朝日』・『月刊Asahi』・『論座』各副編集長や『週刊20世紀』編集長等を歴任。


キャプチャ  2016年秋号掲載
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