【オトナの形を語ろう】(19) 故人から酒場で教わった酔い心地以上のもの

今週は、先日亡くなった私の先生とも言える人の話をしよう。享年77歳だから、私より10歳上のその人は、様々なことを私に教えてくれた。最初の出逢いは、前回にも書いたが、三十数年前の銀座の酒場だった。共通の知人がいたので、逢えば会釈する程度だった。それがある夜、仲間数人と六本木から始まり、銀座・赤坂・青山…と、延々と酒場を移っての時間が過ぎたことがあった。最後の青山の地下にある店の扉を叩いて入った時は、空が白み、夜が明けようとしていた。私と、友人と、その人だった。何故、そんなに長く飲むことになったかと言うと、その友人が「もう1軒、もう1軒付き合って下さい」と、仲間たちを離さなかった。それでも段々、1人抜け、2人抜け、夜中の3時・4時になると、私たち3人になった。私も、その友だちを知らぬではなかったが、こんな風に人に迷惑をかけるようなことをする男ではなかった。「珍しいナ」と思いつつ、最後の店で友人がトイレに立った時に、私はその人に尋ねた。「あの人がこんな風な飲み方をすることはよくあるんですか?」「いや、私も初めてやな。何ぞあんのかもしれんな。まぁ、飲んで紛れんのならえぇのんとちゃうか」。やはり、その人も私と同じことを考えていたのだと思った。

その頃、私は誰かと飲みに行くと、相手が引き上げると口にするまでは付き合うと決めていた。馬鹿話だけや、じゃれ合うような席はさっさと退散したが、相手が自分と飲みたいと申し出ての席なら最後まで付き合った。但し、自分のほうから「もう一軒」と口にすることは無かった。そういう酒席は、最後に相手から何か大事なことを打ち明けられることが多かった。その夜、友人がトイレから出てくると、トイレで泣いたのか、目が赤くなっていた。「いや、今夜はありがとう。美味しい酒だった。遅くまで引っ張って申し訳ない」。友人は言って、3人で乾杯して別れた。店の外へ出ると、空は明るかった。友人の家のある方角のタクシーが来て、彼は乗り込み、嬉しそうに手を振って去った。「家はどちらですか?」「××や。そっちは?」「○○ですから、途中で落として行きましょう」「そう。悪いね」。タクシーに乗り込むと、その人がぽつりと言った。「酒いうもんは不思議やね。人を変えることもあるが、人を優しゅうすることもあるもんな。アイツも何かあったやろうが、それを口にせぇへんかったんは中々やな。それにしても伊集院君、あんたえぇ酒やね」「何がですか?」「飲み方がえぇわ。勉強になった」「(勉強? 何のことだ…)私のほうこそ楽しい夜でした」「いやいや、こっちこそ。時々、飲もうやないの」「そうですね」。タクシーから降りて、路地に消える姿が何とも言えない風情があった。

その友人が事務所を畳み、故郷に帰ることは1ヵ月後に聞き、送られることは拒んで、東京を去っていった。「そうか、あれがアイツの東京の最後の夜・最後の酒だったのか…」。別離の場にいられて良かったと思った。田舎から上京し、汗を流し、歯を喰いしばって一人前の男になろうとする人は、東京に何万人といたし、今もいるのだろう。そうして何とか、一人前の男として形がつくようになり、酒場に出入りし始め、大人の男の酒を覚え、馴染みの店もでき、懸命に働いた後、夕刻からやる酒の酔い心地に浸る…。言葉では説明し難いが、「それは大人の男たちの勲章である」と私は考えている。勿論、独り酒にはそれなりの愉しさもあり、独りでないと飲めない事情がある時もあるのが、大人の男の酒だ。ただ、信頼し合える友人や・同輩・年長の人たちとやる酒には、酔い心地以上のものがあるのを、私はその人から教わった。夕刻、仕事場の電話が鳴り、「伊集院はん、ぼちぼち出かけまひょか」と声を聞き、最初の10年は、1年365日の300日以上を、私はその人と飲んだ。夜明けになることもあったし、週末になりそのまま其々が家に立ち寄り、ゴルフコースへ出かけ、吹き出す汗に、「やっぱり二日酔いには昼のクラブが一番えぇで」と笑い合った。よく、下戸の人が「酒を飲む時間があったら、そこでもっと有意義なことをすべき」と口にするが、私は「酒場で学んだ人生哲学以上のものは無い」と思っている。 【続く】


伊集院静(いじゅういん・しずか) 本名は西山忠来。作家・作詞家・在日コリアン2世。1950年、山口県生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業後、『電通』に入社。CMディレクター等を経て、1981年に作家デビュー。『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』(集英社)・『大人の男の遊び方』(双葉社)・『無頼のススメ』(新潮新書)等著書多数。近著に『旅人よ どの街で死ぬか。 男の美眺』(集英社)。


キャプチャ  2017年4月10日号掲載




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