【闘いの軌跡・拉致家族会20年】(上) 「家族返せ」、運命共同体

北朝鮮による拉致被害者家族会は明日、結成から20年となる。年老いても帰国を信じ、闘い続ける家族たちの20年を辿る。

20170406 03
「『お母さん、お父さん、弟たちのところに帰りたい』と、今日も叫び続けているかもしれない。どうか、真剣に救おうという思いで、立ち上がって下さい」――。永田町の衆議院第1議員会館で昨日、結成20年を前に開かれた記者会見で、横田めぐみさん(拉致当時13歳)の母・早紀江さん(81)は訴えた。1977年11月、中学1年生で拉致されためぐみさんは52歳になった。1970年代後半、新潟・福井・鹿児島等各地の沿岸で、カップルらが謎の失踪を遂げた。1980年代には、ヨーロッパにいた若者たちが行方不明になった。それが北朝鮮による拉致だと判明するまでには、長い年月がかかった。『朝日放送』のプロデューサーだった石高健次さん(66)は1995年6月、韓国の情報機関の高官から、北朝鮮からの脱北者による“13歳の少女”の目撃情報を聞いた。「日本の海岸から拉致」「バドミントンの練習を終えた帰宅途中」。石高さんは、断片的な情報を基に合致する人を捜した。めぐみさんの両親に辿り着いたのは、1年半後の1997年1月だった。「元気でいてくれるといい。ただ、そう思います」。石高さんから情報を伝え聞いた早紀江さんは、そう言って涙を流した。

1997年3月25日、東京都港区のホテル『アジュール竹芝』の会議室で、早紀江さんら抗致被害者7人の家族12人が顔を合わせた。1978年8月に鹿児島県の吹上浜で拉致された市川修一さん(当時23歳)の兄・健一さん(71)も、その1人。修一さんと一緒に拉致された増元るみ子さん(同24歳)の家族以外は初対面だった。「これだけの人が北朝鮮に拉致されていたんだ」。驚く一方、「皆で一緒に行動していける」と思うと心強かった。この日、『北朝鮮による拉致被害者家族連絡会』が結成され、家族たちは“運命共同体”になった。実名を公表して記者会見し、励まし合いながら街角に立ち、署名活動を続けた。家族会結成から5年余りが過ぎた2002年9月17日、日朝首脳会談で、北朝鮮の金正日総書記は日本人拉致を認めた。「5人生存、8人死亡」。そこには、家族を分断させるような北朝鮮の“罠”があった。外務省飯倉公館に集められた家族は1組ずつ別室に呼ばれ、“生存”か“死亡”かを告げられた。めぐみさん一家は、最初に“死亡”を告げられた。“生存”とされた家族は控室に戻ると、「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きながら謝った。「皆さんの家族が生きていることを、先ず喜んで下さい」。家族会代表だっためぐみさんの父・滋さん(84)は、そう気遣った。「いつ死んだかさえわからないことを信じることはできません」。記者会見で早紀江さんが気丈に絞り出した言葉に、家族は一体となった。家族会には今も、帰国した地村富貴恵さん(61)の兄・浜本七郎さん(65)が副代表として残っている。「一緒に闘い続ける」。浜本さんはそう言い切る。家族を取り戻す闘いは続いている。


⦿読売新聞 2017年3月24日付掲載⦿
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