【闘いの軌跡・拉致家族会20年】(中) 「会いたい」願い続け、母他界

20170406 05
「薫が戻ってくるよう、空の上から探してね」――。熊本市出身で、1980年に拉致された松本薫さん(当時26歳)の姉・斉藤文代さん(71・左画像左)は、熊本県菊陽町の自宅で毎朝、母のスナヨさんの遺影に手を合わせる。スナヨさんは、親思いの薫さんを誰よりも可愛がっていた。京都外国語大学の大学院生だった薫さんは1980年5月頃、留学先のスペインで消息を絶った。失踪の心当たりがない斉藤さんやスナヨさんは、薫さんの帰宅を待つしかなかった。毎年6月、薫さんの誕生日には、好物のところてんを用意した。父の益雄さんは1990年2月、手がかりさえわからないまま、75歳で亡くなった。「薫は北朝鮮にいる」。予想もしていなかった事実を突き付けられたのは、1990年末だった。一緒に拉致された石岡亨さん(当時22歳)が実家に出した手紙には、薫さんらと北朝鮮で暮らしていることが綴られていた。

スナヨさんは海岸を訪れては、海の向こうに薫さんの姿を探すようになった。2002年9月の日朝首脳会談で、北朝鮮は日本人拉致を認めたが、薫さんについては「交通事故で死亡した」と主張。しかし、“遺骨”として示した骨は薫さんのものではなかった。斉藤さんは「生きているに違いない」と確信したが、高齢のスナヨさんは日毎に弱っていった。「かおる あいたい」。スナヨさんは2005年末、震える手でノートに書いた。寝たきりの状態が続き、長い入院生活の末、2014年1月11日に92歳で亡くなった。閉じた目からは涙が流れていたという。斉藤さんは、「母の人生って何だったんだろう」とスナヨさんの気持ちを推し量る。「拉致に振り回されて人生を終えるのが、どれだけつ辛かったか」。拉致被害者家族会は先月、被害者の救出期限を“年内”と区切り、政府に解決を迫った。背景には、家族の高齡化がある。飯塚繁雄代表(78)は、「被害者が帰ってきた時、親も兄弟もいなければ悲劇だ」と訴える。横田めぐみさん(当時13歳)の父・滋さん(84)は体力が衰え、集会にもあまり参加できなくなった。政府認定の拉致被害者17人の内、未帰国者は12人。帰国を待つ親5人の平均年齢は87歳だ。「恵子の顔を見ずに死なんとあかんのかな」。1983年にヨーロッパで拉致された有本恵子さん(当時23歳)の母・嘉代子さん(91)は今月上旬、神戸市内の自宅でこう漏らした。不整脈で、立っているだけでも辛い日がある。父の明弘さん(88)も心臓が弱り、2年前に手術を受けた。明弘さんが間髪を入れずに、嘉代子さんに言った。「そんなことはない。絶対、生きている内に解決する」。


⦿読売新聞 2017年3月25日付掲載⦿
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