【ヘンな食べ物】(32) 世界最凶の屋内食・ホンオ

「ホンオが食べたい」と私が言うと、韓国の友人・カンさんは実に浮かない顔をした。先日、ソウルへ行った時のことである。ホンオとは、韓国語で“鱏”のこと。鱏は鮫と同様、ちょっとでも鮮度が落ちるとアンモニア臭を発するので、日本では敬遠される(※乾燥させた鱏鰭ぐらいしか食べない)が、韓国では態々瓶の中で発酵させ、アンモニア臭を何倍にもアップしたものを食すという。発酵学の小泉武夫先生によれば、世界で一番臭い食べ物はスウェーデン人が屋外で食べる魚の発酵食品のシュールストレミング、そして2番目がこのホンオだという。その威力たるや凄まじい。小泉先生は、「食べた後で失神したり入院したりする人が大勢いる」等と語っている。先生自身、ホンオの刺身を口に入れたまま深呼吸したら、「目の前がスパークし、気が遠くなった」そうだ。そんなに過激なものが屋内の料理屋で提供されているということが信じ難い。カンさん曰く、「韓国人でも好きな人とそうでない人にはっきり分かれます。僕は好きじゃないですね」。それでも友誼に厚いカンさんは、ホンオ好きの友だちらと一緒に、専門の店へ連れて行ってくれた。意外にも半分以上は女性客。“ホンオマスター”の友だちは、「ここは初級者用の店です」と説明。実際に大皿に載って登場したホンオの刺身は、然して臭わない。しかし、油断は禁物だった。「えっ、これ全然臭くないじゃん」と皿に鼻をくっ付けてクンクン嗅いだカンさんは次の瞬間、「うわっ!」と叫んで後ろに吹っ飛び、蟹のようにひっくり返って口から泡を吹いた。アンモニアを直に吸い込むと、物凄い衝撃を受けるらしい。小泉先生の言った通りだ。

私はカンさんの突撃精神に敬意を表しつつ、その二の舞にならぬよう、慎重に息を落ち着けながら食べた。コチュジャンに酢と砂糖を加えたタレに付けて口に入れると、アンモニア臭がもわっと広がり、えもいわれぬ不味さ。軟骨が通っているらしく、刺身なのに妙にゴリゴリして、それも喉を通り難くさせる。やっと飲み込むと、マッコルリを1杯流し込むのが作法。乳酸発酵酒が口から胃まで嫌な臭いを洗い流してくれるようで、ホッとする。暫くして気付いたのだが、このアンモニア臭はフランスチーズの匂いによく似ている。でも、チーズには乳製品特有の甘くて濃い匂いも含まれるし、味ももっと複雑で円やかだ。ホンオは単調な刺激臭しか感じられない。…なんてことを思ったのだが、ホンオマスターは“次の食べ方”を教えてくれた。今度はキムチやサムギョプサル(蒸した豚バラ肉)と重ねて一緒に食べる。これは“三合(サマップ)”と言い、沖醤蝦を発酵させたタレに付けて食べる。量が嵩張るので、口に押し込んで無理矢理噛む。韓国らしい強引さに辟易しかけたが、噛んでいたら「おっ!」と思った。結構いけるのだ。キムチの爽やかな発酵と、ふっくらしたサムギョプサルと合わさると、私が発酵食品に求める複雑且つ円やかな味わいになってくる。アンモニア臭も、ここではアクセントとして効いている。更に、その応用編として三合をサンチュや荏胡麻の葉で包むと、もっと香りや風味が豊かになる。正直言って、未だ「美味い!」とまでは思わないが、食べれば食べるほど好きになっていく感覚がある。それは、臭いフランスチーズを初めて食べた時の感覚にも似通っている。しかし、これはあくまでも初級用ホンオ。次回は、“本場”で中級・上級にチャレンジすることにした。


高野秀行(たかの・ひでゆき) ノンフィクション作家。1966年、東京都生まれ。早稲田大学第1文学部仏文科卒。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)・『アジア未知動物紀行』(講談社文庫)・『世界のシワに夢を見ろ!』(小学館文庫)等著書多数。


キャプチャ  2017年4月6日号掲載
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