【新聞ビジネス大崩壊】(08) 老害だらけの新聞社…記者は40代で定年退職せよ!

新聞記者も40代後半になると、現場で取材することは少なくなり、出世レースに敗れた大多数の者は退職するか、会社にしがみ付くしか道は無い。日本独特のこうしたシステムこそ、新聞不信を生んでいる――。 (取材・文/ノンフィクションライター 窪田順生)

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2016年1月21日、『週刊文春』に前経済再生担当大臣・甘利明氏の金銭授受疑惑が掲載された。菅義偉官房長官や財務省・麻生太郎大臣と並び、安倍政権のキーマンの1人であり、『環太平洋経済連携協定(TPP)』最大の立役者の醜聞が日本中に衝撃を与えたのは、記憶に新しい。無論、安倍晋三首相にとっても極めて深刻な“有事”だった筈だ。この難局をどう切り抜けるべきか、どうやって“世論”を味方に取るべきか――。野党やマスコミの対策で頭が一杯であったであろうその日、首相は意外な場所で、意外な人物たちと夕食を共にしている。向かったのは、千代田区大手町の『読売新聞東京本社』。そこで、読売新聞グループ本社の渡邉恒雄会長(左画像)、同東京本社の橋本五郎特別編集委員、『NHKエンタープライズ』の今井環社長、『産経新聞』の清原武彦相談役、政治ジャーナリストで元『共同通信』編集局長の後藤謙次氏、そして『日本経済新聞』の芹川洋一論説委員長らと“会合”を行っているのだ。何れも各社の論調に影響力を及ぼす“大物”と、政権直撃のスキャンダルにみまわれた首相が一体、どんな会話を交わしたのかというのは、国民ならば誰もが知りたいところだろう。が、会合の中身がオープンにされることはない。各紙の“首相動静”で会合の事実が触れられただけだ。これは、世界的に見るとかなり異常と言わざるを得ない。最高権力者とのメディア幹部の夕食会等はどこでも存在する。が、それはあくまで“取材”の意味を持つ会合であって、最高権力者が発した重要な言葉はその後、各メディアで報じられる。

例えば、韓国の朴槿恵大統領が、大阪市の橋下徹前市長の従軍慰安婦に纏わる発言に対して、「日本は責任のある行動を取ってほしい」と不満を漏らしたことが報じられたが、これは韓国のメディア幹部との夕食会での発言だ。また、日本人的にはあまり“報道の自由”を認めていないイメージの強いロシアのウラジーミル・プーチン大統領も、ロシアのメディア幹部との夕食会の席上での発言が度々、国際ニュースとして報じられている。しかし、日本ではそういうマスコミ幹部との会合上での発言は表に出ることはない。口では「我々は権力の監視をしているんだ!」と勇ましいことを言いながらも、権力と“密室”にこもって、“フィクサー”として暗躍している状況なのだ。だが、それよりも特筆すべきは、当事者たちがこの異常さに全く気付くことなく、寧ろ「これがジャーナリズムだ!」と信じて疑わない点だ。何故、日本の新聞人は、このようになってしまうのか? “フィクサー”という響きから、“ナベツネ”こと渡邉恒雄氏の顔を思い浮かべる人も多いかもしれないが、個人的には渡邉氏は、この業界の「新聞人はこうあるべきだ」という美学に従ってキャリアを積んできただけで、“パイオニア”ではないと思っている。というのも、既に戦前の新聞人に強烈な“フィクサー志向”があることを垣間見ることができるからだ。『朝日新聞社』が発行する『歴史の瞬間とジャーナリストたち 朝日新聞にみる20世紀』という非売品の本がある。これは、同紙の記者たちが日本の近代化にどれだけ役目を果たしたかということを自画自賛したものなのだが、冒頭から驚きのエピソードが掲載されている。“日露開戦にいち早く布石”という見出しで、当時の朝日新聞主筆である池辺三山が外務省の参事官から、元老の山懸有朋と会って、「対露強攻策で問題解決を図るよう働きかけてほしい」と頼まれるのだ。当時、山懸は日露交渉に賛成する姿勢をみせていた。これを面白く思わなかったのが、開戦論者の外務参事官。そこで、何とか山懸が“開戦”に靡くように、親交のあった池辺主筆に“説得工作”を依頼したのである。因みに、池辺主筆は陸羯南や徳富蘇峰と共に、“明治の3大記者”とも称され、日本のジャーナリズムの先駆けと言われている人物だ。そんな大物ジャーナリストは、こんな風に山懸に迫った。「いまなさねばならぬのは、断じてこれを行うという決断です」。軈て、山懸はガックリと頭を垂れて涙を流し、日露開戦を決意したという。このエピソードからは、日露戦争には朝日新聞の池辺三山主筆という“フィクサー”が陰で暗躍したことがよくわかる。結果、朝日新聞は日露開戦をどこよりも早くスクープしたが、このような“会合”は当時の日本国民には知らされていない。

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つまり、“日本のジャーナリズム”は黎明期からこうだったのだ。大物ジャーナリストというのは、取材者の域を超えて、“権力者”と膝を突き合わせて、ある時は注文をつけ、ある時は尻を叩く。政策を進言する“フィクサー”になることこそが、“新聞人の理想のゴール”なのだ。実際、このエピソードも、「これ以降、日本の新聞界に近代的エディターとしての主筆が定着する」と誇らしげに締め括られている。日本の新聞人が目指す理想像がご理解頂けたと思うが、ここで1つ、大きな問題が発生していることにお気付きだろうか? 新聞記者の全てが、安倍首相のような時の権力者と会合を重ねて意見を述べることができるような立場になれる訳がない。事実、先程の会合に参加しているのは、メディア企業のトップ、若しくは会社を代表するジャーナリストだ。つまり、このような“フィクサー”になれない大多数の新聞記者たちがいるということだ。では、彼らはどうするのか? 1つの行く末として、“プチフィクサー”になる道がある。つまり、国政ではなく地方政治のプレイヤーになるか、民間企業に巣食うコンサルタントになるのだ。それを象徴するのが、“ヤメ記者議員・首長”の多さだ。鳥取市長に出馬して落選した後に同県議を務めた砂場隆浩氏、嘗て小金井市長だった佐藤和雄氏、そして足利市長を務めている和泉聡氏。彼らに共通するのは、“元朝日新聞記者”という肩書きだ。近年で1社だけでもこれほど多いのだから、新聞記者OBの政界転身が如何に“常識”かが窺い知れよう。勿論、自らが出馬することはなくとも、“黒子”として暗躍するケースも多い。政治家の秘書等になり、記者時代に培った人脈を駆使してコーディネーターになるのだ。

その代表が、“最後のフィクサー”と呼ばれた福本邦雄氏だ。戦後間もない時期、産経新聞記者を辞めた後、第2次岸信介内閣の官房長官・椎名悦三郎の秘書官に転じ、大平正芳・中曽根康弘・竹下登・宮沢喜一等の“大物”と親交を重ね、経済界にもその名を轟かせた。福本氏ほどのスケールではないにしろ、今も似たような立ち振る舞いをする“ヤメ記者”は少なくない。仮にも“ジャーナリスト”として最近、メディアが鼻息荒く主張する“権力の監視”等をしていた者たちが、このような道を辿ることが多い背景は、“新聞社のキャリアパス”が関係しているという。全国紙で現在、デスク業務を行う50代のA氏が語る。「最近は取材なんて全くしていません。仕事の大半は、これまで地方を回って作ってきた人脈で、後輩と役人との会合をして顔を繋いだり、トラブルの処理をしたりと、本当にコーディネーター。記者がやりたくてこの会社に入ったのに、あと20年こんな感じかと思うと、『何やってんだろう』と思う」。これは新聞社だけではなく、大企業全てに当て嵌まるが、新聞記者は40代になるとほぼ、「自分が組織の中でどの辺りの地位にまでいけるか?」という“先”が見えてしまう。編集委員や論説委員という肩書きまで手が届きそうな一握りの“勝ち組”は、あと少しで“主筆”というフィクサーが見えてくる。その芽が全く無い“負け組”の中には、組織人としての将来に見切りをつけ、地方議員や地方自治体の首長というプチフィクサーを目指す。しかし、そのどちらにも属さない新聞記者というのが、実は大多数なのだ。出世しない、かといって会社を辞めてフリージャーナリストになる訳でもなく、政治家になる訳でもなく、「定年退職までしっかりと会社にしがみ付こう」という者が殆どなのだ。実は、これがかなり辛い。A氏のように、取材の第一線から離れ、「こんな筈じゃなかった」という調整役等の業務で、退職まで20年近くを過ごすからだ。だが、そのような“窓際族”でも未だマシだ。中には、やり甲斐の無い仕事や先行きの不安さから自分を見失い、自らが“ニュース”になってしまうベテラン新聞記者も少なくない。特に近年急増しているのが、深酒や一般人との口論が原因で傷害や暴行に及んでしまう“暴走記者”である。例えば2012年10月、日本経済新聞の記者(当時48)が、銀座の路上で目の前に通りかかったタクシーのバンパーを蹴り上げ、車から降りた運転手の頭を腕で抱え込む等して書類送検された。2015年8月には、読売新聞大阪本社編成部の記者(当時41)が、やはり酒に酔い、道路脇に車を止めた大学生と口論となり、首を掴む等して怪我をさせたとして逮捕された。その“暴走”は、身近な人へも向けられる。2010年9月には、『北海道新聞』で嘗て道警の裏金問題を追及し、新聞協会賞を受賞した取材班にもいたことのある記者(当時49)が、自身の妻を殴って逮捕。2016年4月には、『産経デジタル』に出向していた産経新聞の記者(当時48)が、交際相手の40代女性の首を絞めて逮捕された。新聞各社が部数減による広告収入の落ち込みで苦境に立たされているというのは周知の事実だが、そのような斜陽ぶりも、このベテラン記者の暴走に拍車をかけている。

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ある全国紙の50代記者は、こう証言する。「我々の先輩世代は、ヒラの記者でもそこそこに良い給料だったし、大学の教授や地方の行政関連の委員等になって、食い扶持に困らなかった。定年退職後、故郷に戻ってフリーペーパー等を出すだけでも良い暮らしができた。それが今では、早期退職を迫られ、給料も減らされている。かといって、辞めて独立しても食えないので、皆、何とか定年までしがみ付こうとする。そんな50代・60代を沢山抱えた組織に、何か新しいことができる訳がない」。このような負のスパイラルにじわじわと触まれて、末期症状の組織が“報道”を名乗り、“権力の監視”を行っていることが、国民にとって大きな不利益であることは言うまでもない。では、どうすべきか? 考えられるのは、新聞社の“老害”を一掃する為、40代定年制度を導入することだ。現在、朝日新聞を始め、新聞社では早期退職を募っているが、これらはあくまで希望制だ。「フリージャーナリストとして一本立ちしよう」という人や、「別の職種や海外へ留学をしよう」という“独立心”のある人々が去り、「定年まで会社にしがみ付こう」という“老害”が増えているという皮肉な結果を招いているので、40代で自動的に退職させる制度のほうが望ましいのだ。海外では、新聞社や出版社は修業の場であって、40代でジャーナリストとして独立していくのが一般的だ。日本のように、定年退職まで会社にしがみ付き、経営者やマネジメント部門に転身するというのは、世界的にみても珍しい。ベテラン記者たちの“暴走”というのは、“記者はフィクサーになる”という日本独特の“ジャーナリズム”を続けてきた“歪み”が、遂に覆い隠せなくなってきたということかもしれない。新聞が消えるのが先か、或いは心を入れ替えて“老害”を切るのが先か――。どちらにせよ、残された時間はもうあと僅かだ。


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